3-25 精霊祭 三日目〈Ⅵ〉
時間の針はしばし巻き戻る。
赤龍とテオドールが戦場を空に移した頃、防壁沿いにてディモンドとロテュスはウォントの遺体と遭遇していた。赤龍が魔法工学の兵器で大地から逃げ出した直後、混迷する戦場の全体を把握するために防壁上に昇り発見した。
氷で固められた部分の傍に潰された肉塊だけが残された。赤龍が遺した足跡に平たくなったローブから血が広がっている。防壁の上を赤く染めていた。偉大な魔法使いの最期としてはあまりにも物悲しい光景だった。ディモンドは乱戦続く戦場でありながら涙を流していた。
「まったく。……他の人間なんか助けずにさっさと逃げればいいのに」
事前に兵士たちから話を聞いていたロテュスは端麗な唇から冷たく言い放った。だが、言葉とは裏腹に美麗なエルフの横顔は何処か寂しそうに見えた。彼女は血に濡れる事も構わずに跪くと圧潰した死体へと手を伸ばした。
「思えば結構な戦場ですれ違いを繰り返したりしてたけど、あなたの事何も知らないままだっけ。……まあそんなもんよね。冒険者ってのは……だけどあなたとの言葉の応酬は……ちょっと楽しかった。お休み『氷瀑』のウォント。貴方の眠りに安らぎがあるように」
エルフ流の悼みの言葉を捧げた。互いに長命種同士。まだ若いディモンドには容易に踏み込めない両者の絆を感じた。それが拍車をかけたのか感極まったディモンドは更に大粒の涙を流した。
「うおおおん! 絶対さ仇はわたじでどります。だかきや御霊かきや見守っていてけろ、ウォント殿!!」
「ふふふ。何言ってんのかさっぱり分かんない。……だけどその意気よ、若人」
漢泣きを始めたディモンドの背中をロテュスは嬉しそうに力一杯叩いた。いつまでも悲しみに囚われてはいけない。戦場ではそうなったら最後、そのまま自分も悲しまれる側に連れ込まれてしまう。
迷いを振り切るように一歩、足を踏み出したロテュスの背後で―――冷たい気配を感じた。
氷河の壁によって冷えた空気では無い。悍ましさと醜悪さを氷山で凍らせ、伸びた氷柱から溶けた極上の雫のような殺気を感じてA級冒険者は直ぐに臨戦態勢を取る。泣いていたディモンドも背中のクレイモアを抜き放つ。
背中合わせに周囲を警戒するディモンドの前。ウォントの遺体の上に黒い影が生まれた。目線より少し高い円形の影から下に向かって脚甲が生えてきた。最初は足首でそのまま順に膝、腿、下腹部と順番に現れる。
「転移魔法? ……ののだな?」
ディモンドの目にはその影が意志を持って邪悪さや邪気を振りまいているように捉えた。彼の知識にそんな転移魔法は存在しなかった。それゆえ、影が吐き出す人物に対して何の対策も取れなかった。
重量の篭った落下音と共に―――重装鎧の人影がウォントの遺体を踏みつぶした。水袋が破裂した音がディモンドの耳を震わせたとき、彼は激昂のあまり駆けだしていた。
「きっさまああああ!!」
激昂にかまけた愚直なまでの突進。現れた人影は気味の悪い意匠の杖を振り無謀な突進を迎え撃とうとした。だが、空気を切り裂くような音共にディモンドに巻き付いた糸が二人の激突を阻む。
「あああ、あ?」
ぐん、とディモンドの巨体が宙を舞った。まるで見えざる巨人の手に放り投げられてしまうようにロテュスの背後へと落下した。彼女の指に嵌っている指輪から伸びた鋼糸が吶喊するディモンドを絡めとったのだ。
その細腕に似合わない膂力を見せたロテュスは代わるように一歩前へ歩み出る。娘と同じ萌黄色の瞳は油断なく敵を見据えていた。
「そう……いう事ね。三百年ぶりに姿を現したわけね……六将軍第四席クリストフォロス」
彼女の告げた名に顔から落ちたディモンドは驚愕した。目の前の性別不詳の魔人種があの伝説の怪物だというのか。だか、放たれる圧力は偽りではない。A級冒険者二人を前にいささかも怯む様子を見せないのも頷けた。
一方で正体を看破されたクリストフォロスは足元にこびり付いた血と肉片を不快そうに見下ろしてから、眼前に立つエルフへと胡乱気な瞳を向けた。
「ん? ……ああ。そうか。思い出したよ。こんな所で何をしているのでしょうか……エルフの王族?」
クリストフォロスの放った一言にディモンドは更に驚愕してしまう。自分を鋼糸で縛るエルフが只のエルフでは無く、王族だと? 彼の角度からではロテュスの後頭部しか伺えないが冷ややかな闘気を感じ取った。直感で分かった。あれは女の静かな怒り方だ。
「国を滅ぼされた流浪の王家よ。治めるべき民を喪い、帰るべき故郷を失くし、それでもなお生き恥を晒しているのですか」
「ふふ。その言葉、そっくりそのままお返しするわ。冷遇されていた同胞を助けるために立ち上がり、世界を敵に回し、居場所を失った貴方たちが今頃姿を現してるのはどうしてかしら」
どちらも人が見れば美しさにため息が零れるほどの美しい顔に冷たい微笑みを浮かべていた。向かい合って立っているだけなのに空気が淀み、まるで捻じれるかのような圧迫感をディモンドは味わっていた。
そして―――両者は一瞬のうちに動き出した。
ロテュスは鋼糸をクリストフォロスの両腕に巻きつけると十字架に貼り付けにするように両腕を横に水平にして固定した。精神力で強化された鋼糸は単純な筋力では切る事すらままならない。
空いた両手で抜かれた双剣を前にしてクリストフォロスは口を開いた。
「《刃よ、起これ》!」
鳴らされた指を合図に複数の魔方陣がクリストフォロスの背後に展開され、そこから刃が射出される。縦横無尽に空間を削ぐような刃の嵐を前にロテュスは踊るようなステップを刻み距離を詰めていく。まるで空間のどこを刃が削るのかを予期するかのように彼女は踊る。時折、直撃しそうな刃は鋼糸を側面に当てる事で逸らしていく。
ディモンドはその光景に見惚れてしまい自分がいつの間にか解放されていることに気づいたのは、彼女の躱した刃の流れ弾によって吹き飛ばされてからだった。
むろん、クリストフォロスはロテュスの舞いに見惚れる事は無かった。魔方陣を背後のみならず彼女を囲む様に展開し続け、逃げ場を削りながら自分を拘束する鋼糸を切り裂く。まるでボードゲームで相手を冷徹に追い詰めるかのように淡々と攻め立てる。その手練れは確実にロテュスを追い詰めていき、彼女の一挙手一投足を逃さんと神経を張り巡らせる。
だから―――盤外からの一撃に気づくのが遅れた。
迫りくる矢に気づいたのは彼のこめかみに鏃が触れるかどうかの瀬戸際だった。クリストフォロスは上体を大きく後ろにそらして矢を避けた。その際に眉の上一部を鏃で傷を負わされた。純潔の魔人種としての証たる青い血が彼の視界を塗りつぶす。
血の緞帳で塞がれる視界側から斬撃が振るわれたのに気づいたのは腹部に裂傷を受けてからだった。浅くは無い傷が無防備の腹部に刻まれた。
「ぐうう!」
追撃を仕掛ける『双姫』に対して抜かりなく鎖を呼び出した。防壁の上に蛇のような鎖がのたうちながら関所を作る。両者はウォントの遺体を間に挟んで睨みあった。その隙にクリストフォロスは血を拭い、裂けた腹部の治療を始めた。
「まったく。いつのまにあんな伏兵を用意していたのでしょうかね」
クリストフォロスの金色の瞳が遠く、城壁の上からこちらを狙ったエルフを射抜いていた。背中まで伸びた鮮やかな金髪が風に煽られて靡く。ロータスは矢を番えたままクリストフォロスを捉えて離さない。
ロテュスはディモンドを引き寄せた時点で城壁の傍で指揮を執っていた娘まで鋼糸を伸ばして注意をこちらに向けさせた。仮にもB級冒険者。遠目であろうとこの男の危険性は説明するまでも無く理解することに賭けた。
ロテュスの読み通りロータスはクリストフォロスの正体を看破し城壁の上から《加速》の魔法を掛けた矢を放った。高速で飛来する矢は戦場を横切り魔人へと迫る。その間ロテュスはワザとクリストフォロスの間合いで戦う事で自分に注意を向けさせていた。
意志の疎通無しで行った親子のコンビネーションが魔人に一撃を与えた。
それでも魔人にとっては手傷にしかならない。六将軍の中でも近接戦闘に向いていないクリストフォロスとはいえその回復力と身体能力、そして生命力は図抜けている。現に僅かな時間で腹部の裂傷を癒してしまった。
「能力攻撃にしとけば良かったかしら?」
ロテュスは双剣を構えながら少々後悔していた。三百年前と変わらない出鱈目ぶりに出し惜しみをした自分に腹が立ちそうになる。そんなロテュスを無視してクリストフォロスはじいと城壁上のロータスを見つめた。彼の視力は風にたなびく金髪を捉えていた。
「あれは……貴女の親族か何かでしょうか?」
「……そうよ。他の人間種なんかに恋をしちゃった不肖の娘。……それが?」
問い返したロテュスに向けてクリストフォロスは残忍な笑みを向けた。その笑みを受けてロテュスの危機本能が最大音量で鳴り響いた。
彼はゆっくりと杖を向けた。照準がぴたりとロータスに向かった。
「だとしたら……娘が死ぬところを目の当たりにした貴女の絶望を……私は見てみたいのですよ」
瞬間、先程のディモンドと同じようにロテュスも駆けだした。鎖の関所を飛び越え防壁の上を疾駆する。
「《盾よ、起これ》」
だが、それを予期していたようにクリストフォロスは動く。空いた指を鳴らせば、小さな六角形の盾が彼女の行く手を阻む様に出現した。一枚一枚は脆いのだが、それが大量に現れて道を塞ぐ。盾の壁に阻まれてあからさまにロテュスの速度は落ちた。
「《蔵よ、開け》」
ロテュスは不味いと感じた。クリストフォロスの技能は大雑把に言えば『引き出す力』だ。《起これ》は事前に登録してある刃や鎖、盾などの質量を持った物を無尽蔵に引き出せる。それは火や水といった物さえも登録されていれば引き出せる。直前に何を出すのか口に出すため対処は容易だ。
だが、《開け》はマズイ。あれは自分が使える魔法を引き出す。詠唱を全て破棄した上で魔法を行使できる力。すでに杖の先端に黒い光が収束していた。その漆黒の輝きは全てを飲み込んでくらい尽くす滅びの結晶といえよう。
ロータスが自分に向けて精神力が行使されているのを目撃した時には遅い。
「《ダークフォトン》!」
収束した黒い光球がロータスに向かって放たれる―――はずだった。
彼らの意識下より一人の男が現れた。彼は刃の流れ弾により防壁の上から落ちていた為クリストフォロスはおろかロテュスの意識からも消えていた。ゆえに、誰に阻まれることなく戦場に帰還する。
「おんどりゃああああ!!」
『剛剣』のディモンドが喝采をあげて防壁を垂直に駆けのぼってクリストフォロスの眼前に現れたのは黒い光球が杖から離れる直前だった。彼は目前に存在する破壊エネルギーの塊に気づくなり巨体を低く屈めてクリストフォロスの体に向けて突進した。
自分の背丈よりも大きな巨漢にタックルされたクリストフォロスは自分の杖が上空に向いているのを見て咄嗟に上へと振り切った。結果、放たれた破壊エネルギーはバルボア山脈から流れる雪解け水が溜まった湖へと放たれ―――巨大な水しぶきを上げた。
「ちぃ。……興醒めだな。さっさと退け、でかいの」
クリストフォロスは自分に圧し掛かるディモンドに向けて膝を立てた。巨体はくの字に折れ曲がり、肺の中の酸素を掻き乱した。拘束が緩んだ隙に逃れたクリストフォロスはじいと上空を見つめていた。
その隙にロテュスはディモンドへと駆け寄った。
「ナイスな行動よ。動けそう?」
「うう。……息が出来ねばって、何とが」
ディモンドはロテュスに助けられながら立ち上がった。その間もクリストフォロスは上空を見据えて動かなかった。隙だらけの姿が返って不気味で二人は凍り付いたように動けなかった。
「……ふん。鍛冶王とやらも随分と甘い。殺せば良い所を意識を取り戻そうとするなんて……ああ、これは面倒だ」
呟くのと同時にクリストフォロスの背後に現れた時と同じ不気味な気配を放つ影が出現した。
「逃がすか!」
いきり立つディモンドだが、彼の歩みをロテュスは冷徹に止めた。これ以上、この強敵を相手に戦いを挑むのは愚策と判断したのだ。
「おや、逃がしてくれるのですかな?」
「嫌らしい言い方しないでくれる。見逃してあげるだけよ。貴方が今回のスタンピードの主犯なら……あとできっちりと責任は取ってもらうわよ」
ロテュスの視線はすでに戦局の把握に努めていた。随分と攻め込まれているが魔法工学の兵器を持ち出したことである程度持ち直しているようだった。それでもすでに戦線は城壁を巡る戦いへと移っていた。これ以上、コイツに構っている暇はなさそうだ。
そんな焦りを見透かしたようにクリストフォロスはあざ笑うと―――両手を下に向けた。
がくりと、足元が崩れる音がロテュスたちを襲ったと思うとゆっくりと防壁が傾きを始めていた。まるで底なし沼に沈んでいく馬車のように。
「クリストフォロス、貴方まさか!?」
「ええ、そのまさかですよ。この目障りな防壁……もういらないでしょ?」
人とはこれほど美しく残忍な笑みを浮かべる事が出来るのだろうか? それともそれができるから魔人と呼ばれているのだろうか? ディモンドは影に姿を消したクリストフォロスの笑顔だけが網膜に焼き付いて消えなかった。
南北に弓なりに展開していた防壁。その大地との境界に影が差し込まれた。全域に渡って広がった影は緩やかに、そして確実に防壁を飲み込んでいく。それは間違いなく防衛側の希望を飲み込む底なし沼だった。
読んで下さってありがとうございます。
次回更新は11月2日を予定しています。
それと活動報告でも述べましたがそろそろ100話を達成しそうなので記念的に外伝を1話掲載しようかと思います。100話目を外伝にするのか、それとも話が一つ区切りがついたら投稿するかなどはちゃんと決まったら報告します。




