12-58 神の権力 『中編』
副官は近くにあった魔水晶が吐き出した羊皮紙を手早く開けると、書き留められたメッセージを素早く読み上げた。
「殿下。北方大陸の諜報員から火急の報せが入りました。『鳥かごに雛が入った』、繰り返します『鳥かごに雛が入った』」
「で、あるか」
長椅子に寝ころんでいたゴルディアスの巨体が跳ね起きる。衝撃で書類が宙を舞うが、獣面の皇子は気にしたそぶりも見せず、獰猛な笑みを浮かべた。
「予想よりも速い展開だな。レイ達が研究所に着いて目的を果たし、入り江に戻るまでにあと一週間前後は掛かるのではなかったのか?」
「推測ですが、奴らも何かしらの手段で長距離を移動したのかと。レイ達に同道させたイチェルがクリストフォロスの転移で入り江近くに飛ばされたのと同様に」
「なるほど、『科学者』手製の道具ならばあり得るか。よし、状況に変化があればすぐに知らせろ。どんな細かな事でも構わん。今は現地の情報が何よりも大事だと徹底させろ」
室内に待機していた副官の配下たちが一斉にペンを走らせ、現地に送り込んでいる数十人の諜報員たちに指示を出す。
洋上の船の一室だが、ここは謀略の最前線であった。
「上手く事が運びますかな」
「さてな。こればかりは、俺にも読めん。だが、《ミクリヤ》のレイが《招かれた者》である以上、帝国の権威も暴力も、奴には通じぬ。あれは理外の怪物だ」
それは帝国という国家の敗北を意味するのだが、ゴルディアスは楽しそうに口にしてしまう。
帝国という国は最高戦力である『勇者』を筆頭に、飛竜や練度の高い兵士を多数有した軍事国家と思われがちだが、内情は違っている。
確かに『勇者』はS級冒険者すら超越した最強の戦士だが、運用にあたって制限が多く、一つの戦場にしか投入できないというデメリットがある。
飛竜の存在も他国には驚異的に映るが、飛竜の数は人間戦役の頃から減少傾向にあり、組織だった運用はデゼルト国の大敗で、半数以上が未帰還となったせいで不可能となってしまった。
ギルドを排し、自国の迷宮を兵士の練兵場としてレベルの底上げを図っているため、兵士の平均レベルは他国に比べて高いが、安全を第一とした戦法によるレベル上げばかりが重視されていることもあって戦闘意欲はさほど高くないという弱点もある。
加えて、帝室の権力争いが泥沼化しており、皇子達を支持する貴族同士の対立によって内部では紛争や謀略が絶えない。
これまでは武の象徴であるウィンドヘイル家が存在していたからこそ、帝国軍の規律や練度は一定水準を保っていたが、そのウィンドヘイル家が叛逆したことで帝国軍の弱体化は歯止めが効かなくなっていた。
デゼルト国への外征が失敗したのは、ゴルディアスに言わせれば当然の結果だった。
「『勇者』然り、『招かれた者』は異常な技能を所有している。『緋星』のレイが戦闘に特化した技能か、それとも全く別の、俺達の予想すら遥かに上回る技能を持っている可能性は十分にあるだろう。ゆえに、搦め手を使う」
帝国の本質は謀略だ。
戦国時代の西方大陸で、小国家だった帝国の前身が生き残り続けた理由が、まさに謀略によるものだ。
他国の重要情報を盗み出し、敵対国に提供。重要人物の懐柔や誘拐、暗殺。重要施設の破壊工作。数え上げたら切りがない。
『勇者』が召喚されてからは、『勇者』の持つ暴力と、帝国が有していた謀略の二つが噛みあい、破竹の勢いで西方大陸を制した。
ガシャクラを始めとした諜報員の一族が今でも重用される風潮や、皇子直轄の情報機関が存在するのは古くからの伝統といえた。
「帝国の権威と暴力が通じないなら、神の権力を使わせてもらう。法王庁が異端と認定すれば、レイの社会的信用は地に落ちる。それを回避するためなら、どんな要求でも呑むだろうな」
法王庁は無神時代のエルドラドにおける、唯一の宗教組織。その活動範囲と影響力は広く、法王庁が異端と見做した存在は例外なく世界の敵とされていた。
過去の事例を紐解けば、『魔王』フィーニスや『龍王』黒龍、そして『機械乙女』ポラリスが異端と見做されていた。
「一度異端と見做されれば、それを覆すことは容易では無い。今から、シュウ王国のテオドールや学術都市のグラッセが手を回しても遅い」
「しかしながら、この一手は高くつきますな」
副官の言葉にゴルディアスは肩を竦めた。
「仕方あるまい。必要経費と捉えよう。まずは、レイと姉妹を引き剥がす。そのための法王庁。そのための異端審問だ」
「馬鹿なっ! レイ君に異端の嫌疑が掛けられているだと! それも、帝国第一皇子が告発者なんて……馬鹿げている!」
「発言には気をつけて下さい、『聖騎士』。一国の王族が自らの言葉に責任を持って告発しているのです。軽んじるような発言は法王庁の品位を落としかねません」
爬虫類じみた印象を与えるオーバートは、丁寧な言葉遣いが返って慇懃無礼となっていた。防寒具の前を開け、法王庁の制服をことさらにアピールしている。
「さて、《ミクリヤ》所属のレイ。君には異端の嫌疑が掛けられている。思い当たる罪があるならば、告解したまえ」
「思い当たる罪を言えと急に言われても」
「おっと、発言には気をつけたまえ。これも異端審問であるから、君の発言は全て公的な記録として聴取させてもらっている」
複数の神官が、吹雪に背を向けつつメモを取っている。どうやら、余計な発言は命取りになりかねない。
「オーバート一等異端審問官! レイ君に掛けられた異端の嫌疑とはなんじゃ?」
迂闊に発言ができなくなったレイの代わりに、後方からマクスウェルが問いかける。
「これは『三賢』殿。貴方が彼の弁護を引き受けるのですかな? まあ、どちらでも結構ですがね。帝国第一皇子ゴルディアス・スプランディッド殿下の告発内容は、《ミクリヤ》所属のレイが、かの悪逆極まる異端、『機械乙女』の修復に手を貸しているというものです」
ざわり、と。白々しいどよめきが異端審問官の周りから上がった。
オーバートは舞台役者のように腕を振り回し、茶番劇を続ける。
「ああ、なんという事だ。新進気鋭の冒険者。『緋星』という二つ名まで拝した人物が、まさか異端に関わっているとは。なんという嘆かわしい出来事なのか。ああ、なんという悲劇なのか」
ふざけた男のふざけた振る舞いだが、隣のローランを始め、リザやシアラの顔色が青ざめていくのは北方大陸の気候が原因ではないだろう。
「マクスウェル。異端審問ってのは、やっぱり厄介なのか。僕にはふざけた茶番劇にしか思えないけど」
「端的に言えば最悪の状況じゃ。下手をすれば、レイ殿は世界のお尋ね者となりかねん」
本来の宗教としての異端審問とは、正統とは認められない信仰に対する裁判だ。最大派閥の宗教が、異なる考えの宗派を排除し、統治と信仰を安定させるのが目的である。
だが、無神時代のエルドラドにおいて信仰とは13神を崇め奉ることであり、それ以外の信仰はそもそも存在していない。では、何を持って異端と見做すのか。
「法王庁は世界を滅ぼしかねない危険分子を異端と見做し、各国家の力を結集して排除するべきだとして、異端審問を設立したのじゃ。世界を管理する13神に逆らうものはすべからく異端とした使うべきだ、とな」
「異端と見做されると世界の敵になる訳か。今の所、異端と見做されているのは?」
「異端と見做され現存しているのは三種。『機械乙女』と『龍王』黒龍、そして魔人じゃな」
「魔人? 魔人種じゃなくて?」
「人魔戦役のおりに異端審問が開かれ、魔人種という種族全てを異端とすべきという意見もあったそうじゃが、流石に多くの国が反対を表明してのう。魔人種では無く、魔人種を間違った方向に導こうとしている魔人こそ異端。そんな結論に達したのだ」
「なるほど。それで『機械乙女』ポラリスの復活に協力した僕は異端だと糾弾されているのか」
状況は理解できた。このまま異端認定をされれば、世界救済どころか世界を滅ぼす危険分子として世界に潰されてしまう。
ゴルディアスの大鉈に近い一撃が、ゆっくりと、深く食い込んでいく。
「僕に異端の嫌疑が掛かっているのは理解できたが、その証拠は。根拠もなしに異端審問は行われるのか?」
反撃の質問を投げかけると、一人芝居に酔っていたオーバートが動きを止めた。
「そんな事はありません。帝国の皇子といえど、一個人の証言だけで異端審問は開かれません。ですから、きちんと証拠を調べましたよ、ええ、それはもう」
オーバートの言葉はねっとりとした温度を感じてしまうほど、気味が悪く不快だった。精神を乱す技能を発動しているのではないかと疑ってしまう。
「学術都市の魔法工学研究所の職員から情報提供がありました。昨年末に、極秘裏に回ってきた魔法工学の機械は現行の技術を大きく凌駕しており、それこそ『科学者』ノーザンの技術ではないかと。それと並行して、学術都市の運営評議会からも情報提供があり、学長グラッセの強引な立案により、重要度の低い北方大陸の地質調査計画が開かれたという事。同時に、その計画が《ミクリヤ》のレイに何かを運搬させるための偽装計画の疑いが強いという事もね」
「どれも推測や憶測ばかりの証言じゃないか。僕が『機械乙女』を北方大陸に持ち込んだという証拠は無いのか」
一種の賭けだった。もし、オーバートがポラリスの顔や特徴を知っているなら、後方で状況を窺っているポラリスの存在に気取られた瞬間に詰んでしまう。
言い訳の余地も無い。
だが、レイは賭けに勝った。
「残念ながら、貴方が『機械乙女』を修復するために北方大陸に渡ったという物証はありません」
オーバートの敗北宣言は、しかし、即座に厄介な勝利宣言へと変わった。
「ですが、帝国第一皇子ゴルディアス・スプランディッド殿下は、貴方達との通信において、『機械乙女』を修復するために北方大陸に渡ったという言質を引き出したと証言しています」
レイの脳裏に、この入り江に到着した時の出来事が蘇った。
氷の巨人を倒し、イチェルの正体が帝国の諜報員だと判明した直後、レイ達はゴルディアス本人を交渉のテーブルに着かせた。
その際に、ハッキリと明言してしまった。
北方大陸へ渡ったのは、ポラリスを修復するためだ、と。口にしたレティが、積もった雪と同じぐらい頬を白くして言葉を失ってしまった。
あの交渉こそ、ゴルディアスが仕掛けた罠だったのだ。
「ゴルディアス殿下は異端審問において必要ならば、審問官の問いにも答えると宣言しております。よって、我らは確度の高い告発だと判断して、こうして北方大陸まで来たのです」
「なんと、一国の皇子が審問官の問いを受けるとは。……これはまずいのう」
審問官の瞳は特別製で、相手が嘘を吐いているかどうか見破れる力を持つ。
真実を直接的に引き出すことは出来ないが、質問に対して回答が嘘かどうかを見破れる力は凄まじく、質問内容によっては国が傾く恐れすらある。そのため、各国王族に審問官の瞳を向けてはならないという決まりがある。
ゴルディアスという、帝国でも屈指の重要な人物が異端審問という世界中が注目する場面で審問官の問いかけに答えるという状況が、ゴルディアスの告発の信頼性を高めていた。
「正直、こんな寒い所まで追いかけなくても、中央大陸に戻ってから捕縛すれば良いと思っていましたが、苦難の先に宝あり。思いがけない物証を手に入れましたよ」
オーバートの言葉の意味は理解できなかったが、嫌な予感が体を貫く。戦闘とは違う、見えない脅威が頭から押しつぶそうとする。
「……あ、みんな、船をみて!」
エトネが、法王庁の甲板から見下ろす人影に気づいた。吹雪で見えにくくなっているが、その人物をレイ達は知っていた。
「あれは……熊人族か」
「イチェルではござらんか。あやつが何故、かの船に」
甲板から見下ろすのは、帝国の諜報員にして、湖までの道案内を務めていたイチェルだ。そばに武装神官らしき人物が控えているが、法王庁に捕まっている様子は無い。
ゲオルギウスの戦いが終わった直後から姿を消していた男が、なぜか南の入り江に停泊している法王庁の船上に現れた。
湖から南の入り江まで、少なく見積もって一週間は掛かる。
氷の天蓋に覆われた魔人種の都市を脱出するのだって、普通にやれば二日近くは掛かるはずだ。それなのに、イチェルが入り江に居るというのはあり得ないのだ。
「……最悪。アイツ、どこまで底意地が悪いのよ」
あり得ないはずの事実を成立させた要因をシアラは理解し、ここには居ない魔人に対して怒りをぶつける。それは、自分たちが裏を掻かれたという敗北宣言でもあった。
「こちらをご覧ください」
オーバートが懐から取り出したのは薄い羊皮紙で、レイにも見覚えがあった。なぜなら、同じ羊皮紙をレイ達も持っているのだ。
「この羊皮紙はある人物と交わした停戦協定ですが、その内容と署名した人物の名前が驚くべき事実を示しています。要約すれば、内容は二点で、『北方大陸に居る間は互いに手出しをしない』、そして『北方大陸を離れる際は元六将軍カタリナ・マールムの居場所を教える』。この協定書は二つの罪を告白している! 『魔王』の娘であるカタリナの居場所を知りながら、それを誰にも明かさなかった罪。そして、異端認定を受けている魔人、六将軍第二席ゲオルギウスと協定を結んだという罪。それを行った咎人の名は、ここにハッキリと記してある。そう、『緋星』のレイ、君だ!」
「クリストフォロスの奴、イチェルを通じて協定書を法王庁に売ったわね」
果たして、どこまでがクリストフォロスの計画だったのか。
流石に協定書云々や、カタリナの情報などは予想外の展開だったはずだ。だが、レイ達が来るのを待ち構えて、上陸地点を監視していたからには、帝国の動きをある程度は知っていたはずだ。
協定書という予想外の展開になりつつも、最大限に利用できる方法を瞬時に思い付き、イチェルを人知れず転移させ、協定書まで渡したのだろう。
本当に、最悪の男だ。
「この協定書を発見した人物は、君が六将軍と取引を行った事を本裁判で証言すると宣誓している。以上の理由から『緋星』のレイの異端は確実といえるが、事の重大さを鑑みて、私一人の判断で判決を下す訳にもいかない。そこで、君を拘束し、聖都にて裁判に掛ける事となった」
「……嫌だと断ったら」
「ふむ。断る、ということ自体が許されてはいないが……仕方あるまい。拘束させてもらうよ。抵抗するなら、好きにしたまえ。どうせ、君の異端は揺るぎない。どれだけ罪を重ねた所で、極刑なのは変わりあるまい」
「そうか、ならお言葉に甘えさせてもらうとするよ」
オーバートの背後に控えていた武装神官たちが一歩前に出た。荒事に長けているのか、手にしたメイスは使いこまれている。
だが、恐れるに足る相手では無い。レイが龍刀を抜き放っただけで、互いの実力の違いに踏み出した足は凍り付いたように動けなくなった。
「……おい、貴様等。何を呆けているのだ。早く、レイを捕まえろ!」
ここに来て感情を乱したオーバートの叱責が飛ぶも、武装神官たちは動けずにいた。
「なまじ戦闘訓練を積んでいるから分かるのだろうな。これ以上近づけば、死ぬ事すらあり得ると」
「僕は殺す気なんて無いんですけど。それより、どうしましょうか」
「マクスウェル、意見を」
「儂に丸投げするな。……とはいえ、ここを力づくで乗り切ったとしても状況は改善せん。釈明の場で無実を主張するにも、法王庁の本裁判まで行ってしまえば孤立無援。さて、どうするべきなのか」
腕組みをして考え出すマクスウェルを余所に、レイは自分の異変を感じ取っていた。
用心のためにタイマー代わりに飲んでいたレティの毒薬が効果を発揮しつつある。龍刀を握る指先が痺れ始め、視界が僅かに狭まっている。このまま放置しておけば、いずれ毒で死ぬだろう。
法王庁―――それと帝国とクリストフォロス―――の動きは把握できた。情報収集としては上出来で、この辺りで死んで状況を仕切り直すべきかとレイが考えていると、ヒステリックに叫んでいたオーバートが船の方へ振り返った。
「仕方ありません。やはり、貴女に出て貰うことになりました。よろしくお願いしますよ、『戦巫女』」
「はっ、カッタルイことしてるから、こうなるんでしょ。最初から、力づくで行けば、無駄な手間を掛けずに済んだんじゃないの」
声は若い女性だった。
レイが視線を上げると、イチェルの傍に佇んでいた武装神官らしき人物が身を翻して桟橋へと着地した。不安定な足場、それも凍った雪の上というのにもかかわらず、着地の音すらしない身のこなしに、頭の中で警報が鳴った。
直後、武装神官の姿が眼前へと迫った。
技能か、精神力によって跳躍を強化したのか。ともかく、敵は双剣を抜いてレイの眼前まで迫っていた。
完全に虚を突かれた形ではあるが、これぐらいの危機をレイは数え切れないほど潜り抜けてきた。
首を狙って放たれた連撃を龍刀で捌くと、相手の動きを封じる一撃を放つ。ところが、敵は頭が地面に触れるほどのけ反って攻撃をかわしつつ、浮いた足で蹴りを放った。
繰り出した斬撃によって間合いを詰めていたレイは、蹴りを躱せなかった。右のこめかみに直撃し、視界がふらついてしまう。
敵はその隙に態勢を整えると、再び連撃を繰り出す。今度は相手の攻撃を捌けず、龍刀で受けるしか無かった。
「ちょっとはマシになったようだけど、まだまだ甘いね……バカレイ」
懐かしさを覚える呼び方に、レイは相手の顔をまじまじと見つめた。
いつかどこかで見た、リザとは違う、氷のように青い瞳に自分の呆然とした表情が浮かんでいた。
読んで下さって、ありがとうございます。
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