12-49 お前はどうする? 『後編』
―――お前はどうする?
その問いかけに、レイは瞼を瞑った。
殺気を伴った影法師に胸倉を掴まれているというのに。
瞼の裏に浮かぶのは、自らの状態を表した本では無く、これまでの旅路だ。
ネーデの街では誰も彼もが良くしてくれた。エルドラドに放り出されたばかりで、右も左も分からない新米冒険者に声を掛けてくれた。絡まれもしたが、あれはファルナなりの新人冒険者へのコミュニケーションなのだと今なら理解できる。
アマツマラまでの道中は全てが新鮮だった。リザとレティを助け、彼女たちの信頼を得るためにオルドに教わり、《トライ&エラー》を駆使して初めてもぎ取った勝利。
眠らなない街ウージアで、レティを誘拐したガシャクラに対して怒りのまま剣を振るった。あの時、自分の中にある言語化できない衝動と初めて向き合った。あれは、レイとしての未熟な人格が、内包する影法師や御霊の感情に飲み込まれてしまったのだろうか。
ようやくたどり着いたアマツマラは祭りを前にして賑わっており、人々の笑顔が満ちていた。だけど、滅びの未来を予知したシアラと出会い、彼女の予知通りにスタンピードが始まると、戦場の中を駆けずり回り、生き残るために赤龍とも戦う羽目になった。不思議なことに、酷い目に遭ったというのに、どこか充実感を、生きているという実感を味わっている自分がいた。
だが、スタンピードが終わって目にしたのは、人々の悲しみと破壊の爪跡だ。人の骸が乱雑に積み上げられ、穴に放り投げられていく光景を幾つも見た。自分だけが何度もやり直せるという幸運によって生き延びた罪悪感が胸の内を広がり、影法師が生まれる引き金を作った。
そして、スタンピードに巻き込まれて母を亡くしたエルフの雑種エトネを拾い、母親の故郷まで届けたとき、この世界が限界を迎えつつあると知った。確定した滅びへの道筋を辿る世界を前にして、世界を救うなんてことは口が裂けても言えなかった。
里の規律によって行き場を失くしたエトネを仲間に加えた直後に、妙な二人組と遭遇した。自由気儘で自らの主張が通ると疑わない典型的なボンボンであるダリーシャスと、彼を守る影のように寄り添うナリンザ。一見するとはた迷惑な二人組のようだったが、彼らから受けた影響は大きい。
ナリンザには一つしかない命を自分のために使わせてしまったという罪悪感と、こんな自分にダリーシャスを託した信頼に応えたいという感情。この世界で漠然と、生きようとしか思っていなかったレイにとって、ナリンザの死と託された信頼は、世界に深く関わるきっかけとなった。
そして、ダリーシャスには先達として学んだ。多くの人々の命を預かる者として、自分が為すべきことが何なのか常に考え、どうやって背負っていくべきなのか。そして、自分を待ち構える運命から逃げてはならないということを教えてもらった。
混沌とした状況の連続だったデゼルト動乱を乗り切り、獣人の国を旅した。他種族を寄せ付けない閉鎖的な環境の一方で、寄り添った一族たちは一致団結して難局を乗り切ろうとする。そこにエトネの居場所は無かったが、家族の在り方を知り、それを作りたいと考えるようになった。
期せずして迎えた運命の日。自分の中にあった違和感が刃となって貫いた。本物のエルドラドから迷い込んだヨシツネとの邂逅は、おそらく誰の筋書きにもなかった。もし、ヨシツネと出会っていなかったら、レイという人格は御厨玲という人間の人格を模したコピーという域を出ないまま、消滅していたかもしれない。
コウエンの犠牲によってどうにか繋ぎ止めた自我は、神の座から引きずり下ろされたクロノスとの戦いで大きく揺さぶられた。御厨玲として元の世界に戻るという目的は消え去り、『招かれた者』として送り込んだ張本人まで騙されていたという事実は、自分が得体の知れない機械の一部に組み込まれたのではないかという疑念を抱かせた。
学術都市を舞台に『七帝』同士がぶつかった戦いでは、彼らの目的を垣間見た。彼らは彼らなりの信念と目的があって、この世界を救おうと行動していた。あの『魔王』フィーニスですら、世界を救済しようとしていた。
そして、北の果てにあった『科学者』ノーザンの研究所で、御厨玲の真実と影法師の正体、この世界が滅びたエルドラドを救う為に作られた試行錯誤の異世界という秘密を知った。
これが、レイの試行錯誤の異世界旅行記。
―――僕は旅をした。
旅路は一人じゃなかった。
始まりは偶然の出会い。行く当てもないからと身を寄せ合った者達に過ぎなかった。でも、共に食事をして、語らい、眠り、笑い、泣き、戦い、苦しみ、理解しあった末に仲間となった。
―――星を見た。満天の星を見た。
御厨玲の記憶にある夜空とは違った、青い月が浮かぶ世界。最初は無感情に見上げていたが、今では月の満ち欠けや星の並びに愛おしさすら抱いている。なぜなら、仲間と共に見上げた夜空は、いつだって特別だった。
―――大地を見た。命を繋いでいく大地を見た。
モンスターが蔓延る危険な土地だが、同時に多くの人々が懸命に生きて暮らす場所だと知った。生命が満ちていく春の香りに心が弾み、夏の照り付ける日差しに喘ぎ、実りを迎えて変化する秋の色合いを楽しみ、芯まで凍るような冬の息吹に世界の脈動を感じた。
―――海を見た。無辺にひろがる海を見た。
危険と隣り合わせの船旅はいつだって驚きと発見に満ちていた。世界を駆けまわり、未知の大陸、知らない島を見るたびに、そこで暮らす人々や生き物の存在を頭の中で膨らませていた。
―――生物を見た。多種多様な生き物を見た。
善人も居れば悪人も居た。理不尽な対応を取る者もいれば、どうしてここまで優しくしてくれるのかと不思議に思ってしまう人もいた。そのどれもが得難い人々で、失った人の代わりなんて勤まらないからこそ、命は尊く、奪った命に対して責任を持たなければならない。
―――世界を見た。どこまでも広い世界を。
自分が旅した試行錯誤の異世界を思い出した。
美しくも、理不尽で、そして守りたい仲間が居る世界を。
―――だから僕はこの世界を救うと決めた。
レイは瞼を開けると、顔無しの影法師を見つめる。彼を構成する本物のエルドラドを生きた人々の魂魄に向かって語りかけた。
「僕はこの世界を救う。試行錯誤の異世界を救ってみせる」
「……そうか。てめぇなら、そう言うだろうな」
耳障りな雑音交じりの声には、落胆したかのような感情が混じっていた。
「試行錯誤の異世界と本物のエルドラド。救えるのはどちらか一方。てめぇは、そっちを救うって決めたんだな。なら、俺とてめぇは……敵同士だ」
瞬間、殺気を伴った影法師の体が膨れ上がる。『魔王』の影によって肉体を構築している影法師にとって、全身が殺傷武器なのと一緒だ。加えて、レイの胸ぐらを掴んでいるという状態は、影法師にとって有利に働いていた。
敵を排除するべく刃が奔る。
だが。
「早合点するな。僕の言葉を最後まで聞いてから判断しろ」
レイの静かな声に刃がピタリと止まった。
殺されそうになっているにもかかわらず、冷静な態度を取るレイに、影法師は苛立ちと期待を込めて尋ねた。
「なんだ……命乞いか? それとも、両方の世界を救うなんて、物語の主人公気取りの台詞を吐くつもりなのか」
「そんなつもりはない。そもそも、僕が本物のエルドラドを救う理由なんて無いだろう」
レイにとって世界とは、リザ達と旅をした試行錯誤の異世界こそが本物の世界であり、救うべき価値のある世界なのだ。
本物のエルドラドが滅んでしまったことは悲しき出来事だが、救わなければならない理由なんて無い。
レイが本物のエルドラドを救う理由も必然性も無い。
それを持っているのはたった一人。
「お前が救うんだよ、影法師」
「なにを……言ってるんだ?」
「本物のエルドラドを救うのはお前だ、影法師。僕は試行錯誤の異世界を救う。お前は、試行錯誤の異世界を滅ぼさずに本物のエルドラドを救う方法を考えろ。そうすれば、二つの世界が救われるだろ」
まるで、簡単な計算式の答えを口にするかのような気軽さで、レイはとんでもないことを口にした。
「……はぁああああ!?」
ずるり、と。レイの胸ぐらを掴んでいた手から力が抜け、レイの体は再び地面へと投げ出された。目に入り込むのは、剥落だらけの灼けた空だ。
レイの知る、エルドラドとは違った空だが、この空もエルドラドの空に違いない。
「自分で言うのもなんだけど、僕は役立たずだ」
空を仰ぎながら滔々と語りだしたレイを、影法師は驚きと困惑から抜け出せず、仕方なく黙って話を聞いた。
「幾らか力も付いて、戦い方を学んできたけど、頂点に君臨している怪物達を倒せる自信なんて無い。ゲオルギウスと引き分けたけど、ローランが心臓を二つ潰した手負いの状態だったのが大きい。あれが無ければ、確実に詰んでいただろうな」
結果的に見れば、仲間は誰一人欠けることなく、ゲオルギウスを戦闘不能まで追い込み、魔法によって拘束されていたローランたちを助けたレイ達の勝利と言えるが、レイの実感では勝利とは程遠い結果だ。
「頭だってシアラやクロノに比べて優れているとは思えない。クリストフォロスのように、《トライ&エラー》を先読みして何手も用意することなんてできやしないし、エイリークやノーザンのように現代技術を異世界に持ち込むための知恵や発想力がある訳でもない」
『冒険王』エイリークこと安生琢磨は、異世界の技術力に合わせて現代の科学技術を再現できるように幾つもの案を用意していた。
たとえば、太陽の熱で煮沸消毒した水を大量に保温可能な温水器を彼は開発した。構造を知れば、大学までの平均的な一般教養を受けた御厨玲でも理解できる内容だったが、それを思いつける発想力や、基礎的な知識を組み合わせる応用力を持ち合わせていなかった。
「僕にできることなんて、《トライ&エラー》を繰り返して可能性を片っ端から試していくだけ。ただの凡人だ。途轍もない幸運が幾つも重なって、これまで生きてきた。世界を救うと決めたけど、そのための方法だって思いついていないんだ。でも、一つだけ自慢できることがある」
「……自慢だと」
「ああ。僕は人に恵まれた」
足を持ち上げて軽やかに起き上がったレイは、影法師と視線の高さを同じにして話を続けた。
「僕にはリザが居る。帝国や『勇者』が絡むと暴走しがちだけど、戦いが始まれば先陣を切る。一番危険な役目を率先して引き受けようとする、芯の強い子だ」
まず、一人。
「僕にはレティが居る。幼い頃から命を狙われていたからか、年齢に見合わない視野の広さと冷静さが頼りになる」
二人。
「僕にはシアラが居る。僕なんかよりも頭が良くて、それでいて知識を求めることに貪欲で、常にパーティーの安全を考えている」
三人。
「僕にはエトネが居る。幼くて無邪気な振る舞いは、皆の心を和ませてくれる。それに、彼女は世界の基盤を支える精霊と意思疎通が可能だ」
四人。
「僕にはヨシツネが居る。本物のエルドラドから流れてきた『招かれた者』。どこへでも入りこめる技能があり、敵の裏を掻く切り札だ」
五人。
「僕にはコウエンが居る。古代種の龍としての記憶と知識を持ち、数多のモンスターの力を宿した頼れる戦力だ」
六人。
「僕にはクロノが居る。12神の一柱だった頃の力は失ったけど、神としての責務を忘れない彼女は献身的に僕らを支えてくれている」
七人。
「仲間達だけじゃない。オルドやテオドール陛下。ロータスさんにローランさん、ミストラルさん、マクスウェル。サファにダリーシャス、カタリナ。これまでの旅を通じて色んな人と知り合って来た。そして何より、お前が、お前たちが居る」
「……俺たちも、数に入れてるのか」
「そうだ! 滅んだエルドラドを彷徨い、自分が消えることも覚悟した上で本物のエルドラドを取り戻そうとした御霊。魂魄の集合体。僕の罪悪感から生まれた影法師。こんなにも頼りになる人たちの力を借りれば、試行錯誤の異世界を滅ぼさずに本物のエルドラドを救う方法も見つかるはずだろう」
馬鹿げた夢物語だ。
本物のエルドラドと試行錯誤の異世界。
コインの表と裏のような関係の二つの世界は、どちらかしか救えない。どちらも救うなんてのは夢物語にすら劣る、荒唐無稽な妄想だ。そもそも、終わりを迎えるエルドラドを救う方法だって思いついていないのだ。
―――なのに。
レイは真っ直ぐと、自分の語る言葉に自信を滲ませながら影法師を見つめていた。
具体的な救済計画なんて一欠けらも存在しないのに、一点の曇りもなく、出来るという希望を抱いている。
「……不可能だ。どちらの世界も救うなんて、そんなことできるはずが無い! 仮に、そんな方法が見つかったとしても、実現できるのは万が一、いや億が一の可能性だぞ」
「万が一、億が一か。そいつは僕の得意分野だな」
そうだった。
『招かれた者』なのに特別秀でた力を持っている訳でもなく、特別優れた知恵を持っている訳でもなく、特殊な知識や技術を持ち込んだ訳でもない。
そんなレイが唯一得意とすること。
「万が一、億が一の可能性しかなくても、何度だってやり直して、その一にたどり着いてやる。皆が力を合わせて考えてくれた救済方法が、どれだけ可能性の低い計画でも構わないさ。無数の死を積み重ねても、二つの世界を救う未来を掴み取ってやる」
不屈。
泥臭く、不格好で、無様な姿を晒すことになったとしても、蜘蛛の糸よりも細い可能性を掴み取ってきた。
「影法師、今度は僕が尋ねる番だ。僕は皆の力を借りて、試行錯誤の異世界を救うぞ。そして、お前が本物のエルドラドを救うために試行錯誤の異世界を滅ぼそうとするなら全力で抵抗する。でも、お前が試行錯誤の異世界を滅ぼさずに本物のエルドラドを救おうとするなら、それに協力してやるよ」
無茶苦茶な話だ。
実現不可能な夢物語だ。
そう言って、断るべきなのに、影法師は一言も発せられない。
―――あるいは、そう言ってほしかったのかもしれない。
「この世界だけを救いたいのか、それとも試行錯誤の異世界を滅ぼさない方法で本物のエルドラドを救うのか? お前はどうする?」
そう言って、レイは右手を差し出した。
差し出された手を見つめて、影法師は葛藤する。
彼の目的はあくまでも本物のエルドラドが復活することであり、そのために試行錯誤の異世界が滅びるのは必要な犠牲だと割り切っていた。
なのに、その手を払いのけることが出来なかった。
神々が見ている夢の中にしか存在しない作り物の世界。
暮らす人々は偽りの存在であり、本物のエルドラドを救う為の生贄―――のはずだった。
試行錯誤の異世界を旅するレイを通して、内包する御霊の魂魄たちは困惑する。神々が夢見た世界は、あまりにも本物のエルドラドと同じで、生きている人々が本物同然なのだ。
当たり前のように生き、喜びを分かち合い、悲しみを乗り越え、理不尽な苦しみに怒る姿は、生前の自分たちと何一つ変わらない。
御霊に宿る魂魄は、自分たちと変わらない人々を目の当たりにしてしまった。
そもそも、影法師という人格はレイの罪悪感に反応して誕生した人格だ。
裏を返せば、御霊に宿る無数の魂魄たちは、レイの中にある喜怒哀楽という普遍的な感情よりも、罪悪感という感情に共感を示したのだ。
―――本物のエルドラドを救う為に、試行錯誤の異世界を滅ぼすことへの罪悪感が影法師を生んだとも言える。
「……ああ、くっそ! 俺が俺である以上、その選択肢を突きつけられたら、答えは一つしかねえな」
影法師は呟くと、レイの差し出した手を叩くように掴んだ。
握手とは名ばかりの、しかし、影法師の決意が伝わる行為だ。
「いいか! てめぇの言葉を全面的に信用した訳じゃねえ。どちらの世界も救う手段が見つからなかったら、俺は本物のエルドラドを優先する。それだけは忘れるなよ」
「分かってる。その時は、僕は試行錯誤の異世界を救うのを優先する。もっとも、そんな諦めるような真似はしたくないけどね」
二人の手が重なっていたのは一瞬だったが、それで十分だ。
すると、タイミングを見計らったかのようにノーザンが口を挟んだ。
「結構。君たちの方針を聞かせてもらったうえで、提案がある」
「提案だと? 面白いじゃねえか。『科学者』の紛い物がどんな提案をしてくれるんだ?」
挑発的な物言いの影法師を無視して、ノーザンはレイの方を向いた。
「確認。試行錯誤の異世界と本物のエルドラドを救うのにあたり、最優先課題は滅びに向かうエルドラドを救うことである。これは理解できているか?」
「理解できているさ」
「当然だろ」
二つの世界を救うのか、どちらか片方の世界を救うのか。
どちらを選ぶにしても、優先するべきなのは『七帝』の出現によって滅びるエルドラドを救うことである。最初にして最大の難関を突破しなければ、試行錯誤の異世界も、本物のエルドラドを救う事だってできやしないのだ。
もっとも、その方法の手掛かりすらレイ達は掴めずにいた。
「重畳。理解できているならば話は早い。ミスター・レイ。私の創造主である『科学者』ノーザンは、ミスターにしか頼めないミッションを残していった。それこそが、エルドラドを救う最初の一歩となるはずだ」
「ノーザンが残したミッション? それって一体、どんなことなんだ?」
無神時代の黄金期を作りだした一人が残したミッション。どれほどの難題なのかと身構えるレイに対して、ノーザンは簡潔に告げた。
「提案。『七帝』にして『機械乙女』ポラリスを破壊して欲しい」
読んで下さって、ありがとうございます。
次回の更新は7日ごろを予定しております。




