12-44 滅んだ世界の旅人
『神々の遊技場』エルドラド。
異なる世界を管理する神々が、無限に続く己が生に飽き、倦み、退屈を紛らわすための遊興場。
お気に入りの魂を転生、転移させ、『招かれた者』の織りなす物語を演劇のように楽しむ劇場。
その世界はある瞬間を持って滅んだ。
世界は黒い光の海に溺れ、コインをひっくり返したように世界は一瞬で滅んでしまった。
命芽吹く魔力に満ちた大地は、全てが砂に変わりひび割れ乾いた土が延々と続く。
大地を優しく包んでいた空は、燃え盛る炎を思わせる赤灼けた色に塗りつぶされ。
四季の匂いを運んでいた風は、鼓動が止まった心臓のように微風すら起こらず。
数多の生命を抱えていた海は、一滴残らず蒸発し大地を抉るかのような跡だけが残り。
空に君臨していた太陽と月は、最初から存在していないとばかりに形も無くなり。
大地を這う蟻のように生きていた生命と文明は、骨すら残さずにキレイに消え失せた。
生に溢れていたエルドラドは、死が充満する滅んだ世界となってしまった。
―――ある存在を除いて。
赤灼けた空に、死が充満する世界にあっても輝きを放つ物が取り残されていた。
在りし日の夜空に浮かぶ星々よりも細かく、淡く輝く無数の光は川のように集まっている。一本の帯では無く、何本もの帯が蛇行しながら伸びてはぶつかり、ぶつかっては分かれていく。
誰かが描いたかのような星の橋は、死んだ世界であっても輝きを失わずに、滅んだ世界には似つかわしく無い。さながら、季節のイベントを盛り上げる装飾が時期を過ぎても飾られているかのような。
全てが死に絶えた世界で、なぜ輝きを放つか。その理由は明確だった。
星の橋は死者の魂魄を集めた循環装置。全てが死に絶えたエルドラドにおいて、最初から死という属性を有していた機構だ。
死んでいるからこそ、滅びなかった。
滅べなかった。
何もかもが手遅れになってしまったエルドラドで、死の国に住む彼らだけは不変の存在として置き去りにされてしまった。循環装置としての機能は壊れ、新たなる生命が生まれないエルドラドで行き場を失くした魂魄らは、赤灼けた空にて無意味な輝きを放つ。
輝きは次第に弱くなっていく。
病床で動けない人の呼気が弱まるように、繋がれた機器の変化が小さくなるように。
一つ、また一つ、輝きを失っていく。
色とりどりの輝きは、希望を失い絶望に染まるかのように、色を失っていった。
かつては、夜空に架かる星の橋と呼ばれた物は、いつしか赤灼けた空に浮かぶ残骸へとなり果ててしまった。
全ての星から色が失われ、赤灼けた空に底の見えない漆黒の粒が浮かぶ。
すると、黒い粒に変化が起きていく。子供が砂を集めて城を作るかのように、輝きを失った星々が一点に集まるのだ。
星が移動する度に空が裂けた。壁紙を力任せに破いたら、素の壁が現れたかのような黒い剥落を残し、星の残骸は集まっていく。
無数の、数え切れない星の残骸が集まると、自重に耐えかねたかのように雫が地面へと落ちた。天から地に向けて、一本の糸のように切れない雫。
乾いた大地に潤いをもたらさない黒い雫は、次第に一つの形を作る。
それは、大地に伸びる人の影を起立させたかのような異様な存在だった。人と同じ手足を持つが、顔におうとつは無い。体を構成する黒い粒はテレビに走るノイズのように蠢いている。
赤灼けた空に残された星の残骸は消え失せ、ひび割れた大地に不気味な人の影が生まれ落ちた。
それは―――それとしか呼ぶことのできない―――黒い塊は自分が居なくなった空を見上げる。もっとも顔に瞳は無いのだから、本当に見ているのかどうかは誰にも分からない。
赤灼けた空は剥落だらけで、いまにも落ちてきそうなほど脆くなった。それは、何かを確かめるかのように、あるいは何かを決意するかのように剥落を見つめたのち、歩き出した。
それは滅んだエルドラドを旅した。
行けども、行けども、全てが砂と干上がった大地。文明の残滓は欠片も残されず。『招かれた者』達が作り上げた超大国も、大陸から追放された奴隷たちが空に浮かべた島も、誰も知らない海の底にあったエルフの隠れ里も、全てが滅んでいた。
行けども、行けども、全てが赤灼けた空。時間さえ滅んだ世界では、昼も夜も無く、どこまでも無情な空が続く。剥落は空の全てに及び、ひび割れた空の向こう側にある漆黒が手招いているかのようだった。
行けども、行けども、風は吹かない。風は死に絶え、雲は流れず、嵐すら何処かへと消えた。死の匂いに満ちた世界は音も死に絶えて静かで、月に取り残されたかのような孤独感だけが満ちていた。
行けども、行けども、海は器だけが残っている。なだらかな斜面から急に深い崖が現れる。地の底まで続くかのような崖は、深海に続く道の名残だ。生命の原初たる海は一滴も残っておらず、海があったという形だけが虚しく放置されていた。
行けども、行けども、空にあった太陽と月の残骸は見つからない。滅びた世界にあるのは、巨大な球体だ。表面は黒と白のまだら模様が生きているかのように蠢き、太陽の代わりに滅んだ世界を照らしている。奇妙なことに、それが世界を巡っている間、常に見張るかのように空に球体はあった。
結局、どれだけの時間を掛けても、どこまで歩いても、誰とも逢うことは無かった。
千年? 二千年? 一万年?
否、数えるだけ無駄だ。
ここは時間の止まった世界。時間すら滅んだ世界。観測者不在の世界。
神に見放された世界だ。
世界は神によって管理され、恙なく運営されていた。
命の巡り、時の巡り、魔力の巡り。
全てが12神の持つ権能によって管理され、エルドラドは存在していた。だが、あの黒い光が全てを塗りつぶした時に、全ては終わってしまった。滅んだエルドラドは、別の世界の神々から見限られ、12神にすら見放された。
見捨てられてしまったのだ。
滅んだ世界を旅して得たのは、永遠の孤独。それを構成する黒い粒は、得た結果に絶望し、涙を流し、嗚咽を漏らし、苦痛に喘いでいた。
観測者の居ない世界では、これ以上の変化は望めない。
誰にも読まれない小説が終わりを迎えられないように。
プレイヤーが放り投げたゲームがクリアされないように。
あるいは、エンドロールが流れた映画の続きは存在しないように。
観測者が消えた世界は、これ以上の変化も、発展も、終わりも望めない。
何も無い、行き止まりの世界。
それは、そんな世界に残されてしまったのだ。消えることもできず、時が流れることも無い世界に置いていかれた。永遠の孤独だけが、背中にへばりつく。
いつしか歩みを止め、乾いた大地に身を投げ出した。生あるものが砂と化したのなら、その砂と交われば孤独が和らぐのでは無いかと一縷の望みを賭けて。
結局、虚しさだけがそれの奥底を鈍く揺らす。
赤灼けた空から乾いた大地に降り立った時に抱いていた希望は消え失せた。
世界の何処かに、誰かが生きているのでは無いかという希望。
大海に混じった水滴を見つけるかのような。
砂漠に流れる砂粒を見分けるかのような。
空に千切れた雲から元の形を見出すかのような。
最初から不可能だと分かりきっていた希望にすがり、世界を旅し、分かり切っていた絶望に打ちひしがれていた。
誰も居ない。
ただ一人―――あるいは無数の―――置き去りにされた魂魄は、時の止まった世界で続くであろう永遠の孤独を前にして、全ての活動を停止した。
全てを諦めようとした。
―――「驚いたな。こんなのが生まれていたとは」
声を、いや正確には音を聞くのすら、それには初めてだった。乾いた大地に倒れ伏す、黒い塊のそれに別の影が落ちる。
それの傍に立つのは、フードで頭までを覆った何者かだ。シルエットだけでは、男なのか女なのか、老人なのか子供なのか分からない。
人間なのか、魔人種なのか、獣人種なのか、それとも別の何かなのか。
正体不明の存在は、黒い塊を見下ろす形で立っていた。
「興味深いな。循環装置に組み込まれた魂魄が集結して動き出したのか。いや、違うな。循環装置自体が長い時を掛けて自らを組み替え、大地に降り立ったのか。素晴らしい、神々が見放したシステムが、持ち得なかった機能を生みだして滅んだ世界を彷徨うとは!」
喜色に満ちた声に同意するかのように別の声が響く。
「素晴らしいですわね、おとうさま」
声は正体不明の人物の胸元からした。弾むような声色は、全てが滅んだ世界にそぐわない。
「ああ、我が娘よ。君も理解してくれるのか」
「ええ、ええ、そうですとも。何が素晴らしいのか欠片も分かりませんが、おとうさまが素晴らしいと仰るなら、たとえどれだけ劣悪で醜悪で唾棄すべき物であっても、天上まで積んだ黄金にも勝ります」
「……うん。やはり、君とは一度話し合うべきだな。ほかの姉妹は既に出発したというのに、いまだに私の元に止まっていることも含めて」
「まあ、まあ! わたくしだけと二人っきりのお茶会を開いてくださるなんて。アナスタシアおばさまの焼き菓子でも用意しましょうか。茶葉は秘蔵の物があるので、どうぞご期待ください」
「うーん。この話を聞いているようで、聞かない自由っぷり。我が娘たちの中でも、君は母親似だ」
フードを被った何者かは、懐で響く声に頭を振ると、倒れ伏している黒い塊に向けて声を掛けた。
「さてさて。君の方はどうかな? 私の声が聞こえているのかな」
問いかけに返事は無い。黒い塊の手足はピクリとも動かない。
途端、懐から響く声に冷たい色が加わる。
「失礼な方ですね。せっかく、おとうさまが声を掛けて下さっているのに無反応なんて。ねえ、おとうさま。こんな無礼な方はこのまま虚の粒子になるまで放っておけば宜しいのでは?」
「無反応というよりも、反応する術を知らない、というのが正しいのだろう。本来なら、このように地上に降り立ち、歩き回る機能なんて無かったはずだ。仕様から外れてしまった機構が限界を迎えた、といったところかな」
「では、この方に意志や感情は宿っていないのですか? こんなに歩き回ったのに」
ひび割れた大地には、無数の足跡が刻まれていた。
誰も居ない世界に取り残された黒い塊が、この世界に自らの存在を刻み込んだ証だ。
ここに居るぞ、という、声なき叫びだ。
無数の人間が行き交ったかのような無秩序で、地平線の端から反対の端まで続く膨大な足跡は、時さえ滅んだ世界でどれだけの時間が経過したのかを計る指針となっていた。
「いや、意志や感情はあるのだろう。……だが」
フードの何者かは、言葉を区切ると黒い塊に向けて手を伸ばした。指先が黒い塊に沈むと、苦痛の声が漏れ出た。
「おとうさまっ!」
「―――っ、大丈夫。大丈夫だから、そんな危ない物は仕舞なさい」
穏やかな言い含める声。
その周りには溢れんばかりの殺意を隠そうともしない刃の群れが現れていた。全ての切っ先が黒い塊へ向いており、何かのきっかけで雨のように降り注ごうとしていた。
「ですが、この者はおとうさまに対して」
「止めなさい、我が娘」
言葉に空気が震える。刃は虫にかじられたかのような穴を作って、音も無く消えた。
「も、申し訳ありません、おとうさま。立場を弁えずに勝手な行動に出てしまい、弁解の言葉もございません。どのような裁きでもお受けいたします。ですから、どうかわたくしに罰を!」
「……言葉面だけは殊勝だけど、ちょっと興奮しているのがマイナスポイントだな。ほんと、どうして五人とも、妙な方向に育ったんだろ」
叱られたというのに、歓喜で息を荒げる懐の声にぼやくと、フードの何者かは黒い塊に触れていた指先をまじまじと見つめた。
「予想通りだな。この子には感情があるけど、感情が多すぎるんだ。私という存在を前にして、渇望、狂気、羨望、興奮、恐怖、喜び、不安、畏れといった何百種類という感情が発露している。だが、それは一つとして一定じゃない。強弱だって千差万別。無数の人格が溶け合った。まさに混沌とした状態だ」
「えっと、船頭多くして船山に上るってことでしょうか?」
「どちらかというと、船頭多くして船沈む、というべきか。ともかく、無数の魂が生み出す無数の感情を処理しきれていない。うねる波と叩きつける暴風の中で迷子になる船と同じだ」
「でも、それだとおかしいわ、おとうさま。この子は今まで、この滅んだ世界を彷徨っていたんですわ。だとしたら、無数の感情を処理できていたのでは?」
「その通りだ、我が娘。本来なら、魂魄の循環装置に過ぎなかった機構が、無数の魂魄を束ね、人のような体を作りだしただけでも途方もない奇跡だ。その上で、仮初の肉体を使って滅んだ世界を放浪したというのは二重の奇跡といえよう。だが、それも一つの感情によって結束したとしたら、説明がつく」
「はぁ」
懐の声は曖昧な吐息で応じた。
「この仮初の体を構成する粒は、人の魂魄だ。それが細胞のように寄り集まって仮初の肉体となっている。魂魄を繋ぎ合わせていたのは、強弱はあれど、たった一つの感情さ。この子は、この者達は一つの感情に突き動かされ、この瞬間まで存在していた。無数の魂が一つの感情によって一体となっていたんだ」
フードの何者かは一拍開けると、滅んだ世界に置いてきぼりにされた黒い塊の感情を代弁した。
「寂しい、と。無数の死者の魂をその身に宿しながら生者に触れたかったんだ。永遠の孤独から癒されたく、無数の魂は集い、人に似た仮初の体を手に入れ、この滅んだ世界を旅して、その末で分かり切っていた絶望に膝を屈した」
「そんな、そんなの、可哀想ですわ。この子も、12神の犠牲者ですわ。私達のおかあさまと同じように、あの子と同じように」
「優しいな、我が娘。その通りだ。この子は、私の救えなかった者達と同じだ。ゆえに、私はどんな犠牲を払ってでも、この子を救うべきだ」
「お優しい、お優しいおとうさま。世界が滅んでしまっても、全ての者を慈しもうとする優しさは変わらず。娘として誇らしいですわ。でも、この子をどうやって助けるですの? 無数の魂、無数の魄、無数の感情が渦巻く混沌をどうやって」
「この仮初の器で混沌を支えきれないなら、混沌を支えられる器を用意すればいい。混沌を処理できないのなら、混沌を処理できる人格を与えればいい」
「良き案ですわ。見るに堪えない汚物も、華美な包装をすれば贈答品に相応しい見た目を得ますもの。ですが、その器は? 姉妹のように、あちらの人間をお使いになるのですか?」
「いや、エルドラドが生み出した混沌を、エルドラドの器に注ぐと、混沌に飲み込まれてしまう。この混沌と魂の色が似ていない器となると……『招かれた者』のような異世界人の魂か人格が必要だな」
正体不明の存在はそこで言葉を切ると、突然自らの顔を手で掴んだ。懐の存在が声を上げるよりも前に、作業は終わった。
ずるり、と。
何者かの手には、人の顔から剥いだとしか思えない仮面が握られていた。
「おとうさま、何をなさっているのですか!?」
悲鳴混じりの絶叫に、フードの何者かは淡々と説明した。
「簡単な話だ。エルドラドの魂魄を抱え込んだ御霊を宿す器となれば、エルドラドと無関係の人間の魂か人格が必要だ。それならば、うってつけの人格が……人生が私の中にあるだろう」
何者かは仮面を黒い塊の頭部に嵌めた。途端、仮面は黒い塊と一体化し、最初からそうであったかのように張り付いた。
「人格が形成できないなら、もう使わない名前を君に与えよう。遠慮することは無い。何しろ、私には三つの人生がある。エルドラドで生まれ、五人の娘に恵まれ、『正体不明』になってしまった一つ目と、12神の中に紛れ込んだ三つ目の人生は渡せない。だが、その間にあった人生は君の物だ」
黒い塊に根付いた仮面から肉の膜が広がっていく。人の形をした皮袋に、黒い塊を詰めていく作業は数秒と経たずに終わり、一人の人間が乾いた大地に倒れていた。
若い、黒髪の青年はうっすらと瞼を開け、顔を覗き込むフードの何者へと視線を向ける。
「エルドラドの崩壊からほかの世界に転生して一生を終え、世界救済という名目でエルドラドに連れ戻されるまで。その人生も、人格も、記憶も、全て君の物だ」
フードの何者の語り口は優しいが、その裏には有無を言わせない迫力があった。無数の魂、無数の魄、無数の感情を宿した機構の入れ物として覚醒した青年は、訳も分からないまま頷いた。
そうしなければ、せっかく手に入れた人としての肉体すら失うと直感したのだ。
フードの何者かは満足そうに頷いた。
「良い子だ。それじゃ、今日から君が御厨玲だ」
読んで下さって、ありがとうございます。
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