12-33 最後の時間稼ぎ 『中編』
氷の壁が鎮座する広場に潜んでいたレティとシアラは、空気の壁を突破して飛び込んできた赤い流星に吹き飛ばされそうになった。小さな体を持ち上げる狂風と衝撃波が拡散し、彼女たちは手近にあった物に掴まって耐えた。
(成功、成功したの? それとも、別の攻撃なの?)
魔法が使えない空間だと二人の出来ることは少ない。そのため、裏方のような役回りをしていたから、戦況を正確には理解できていなかった。だが、衝撃波が収まって顔を上げた時に全てを理解した。
氷河を固めたかのような《アンダンテ・フィールド》に、横一文字に大きな亀裂が走っているのだ。亀裂の先端には概念殺しの槍が突き刺さっているが、もう穂先しか残っていない。コウエンが投げた槍が、エネルギー切れによって実体を失いつつあった。
二人は立ち上がると、《アンダンテ・フィールド》の方へと近づいた。
魔法に囚われているローランやジャイルズたちが、今にも動くのではないかと警戒、あるいは期待していた。しかし、彼女たちを裏切るかのように変化はまだ起きていない。
「ど、どうなったの。これで魔法は解けるのかな」
レティのしがみ付いた手が震えている。概念殺しの槍が魔法を打ち消す所は幾度も見ており、槍の力を疑う余地は無い。
だが、《アンダンテ・フィールド》は特殊な魔法だ。それに、ミラースライムのコピー能力とはいえ、神の権能を完全に再現できたのかさえ不明だ。
ここまでお膳立てし、死を繰り返してきた結果が失敗となれば、落胆は激しい物となる。それこそ、もう戦うことすら出来ないかもしれない。
そんな可能性が脳の奥から滲みだすが、シアラはあえて明るい声を発した。
「大丈夫よ。主様やリザ、皆があれだけ頑張ったのよ。失敗なんてする訳ないじゃない。……そうよ、失敗なんて、する訳ない」
最後は自分に言い聞かせるように口にしていた。レティもシアラの不安を察したのか、しがみ付く手に力を籠め、《アンダンテ・フィールド》に走る亀裂を注視した。
だからなのか、変化が起きたのに気づいたのはレティだった。
「……あれ? ねえ、シアラお姉。あそこ見て、亀裂の真ん中の上の方。あそこ、亀裂が伸びていない?」
夏の日差しを浴びた森のような色の瞳が、亀裂から新しい亀裂が根のように広がっていくのを見つけた。シアラも亀裂に気づき、そして異音に耳を澄ませた。
パキリ、と。枯れた木を折るかのような、あるいは年老いた老人の骨が折れるかのような音が断続的に、次第に連続して起きていた。
音源は前方の氷の壁からだ。
「亀裂が広がっているわ! 成功よ!」
「やったぁ!」
両手を上げて喜ぶレティ。シアラも同じぐらい喜びたかったが、すぐに思考を次に進めた。
「でも……不味いわね。ワタシたちが想定したよりも時間が掛かってるわ」
鉋を少しずつ入れる様に氷のひび割れは奥深くへと侵食しているが、全体からするとまだ半分も進んでいない。レイの炎やリザの光帯のように、触れた瞬間に消え失せるという展開にはならなかった。《アンダンテ・フィールド》が時を歪ませている魔法だから、概念殺しの権能が浸透するまでに時間が掛かるのか、やはり槍のコピーが不完全だったのか。
「原因を考えても意味は無いわね。このまま放っても封印は解けるだろうけど、それにどれぐらい時間が掛かるのか」
「どうしよう。もう、手は尽くしたよ。これ以上、ゲオルギウスを足止めする方法なんて―――ッ!!」
言葉が途切れたのは、全身に纏わりつく重圧に息を呑んだせいだ。赤い流星―――ゲオルギウスの槍が飛んできた通りから、途轍もない重圧が広がっている。恐らく、この都市全域に及んでいるだろう。
息苦しさを感じて、レティは自分が息をしていないのに気づいた。何度か呼吸に失敗して、ようやく言葉を音にして出せた。
「い、今のって。もしかして、お兄ちゃんの?」
「……ええ、そうね。龍刀の気配よ。主様、自滅覚悟で抜いたの?」
距離が離れたレティ達でさえ龍刀の放つ威圧感に苦しんでいるのだから、当然、震源地に居るエトネたちは二人よりも重い圧に晒されていた。加えて、龍刀が放つ熱気に頬が乾燥し、唇が切れ、血が流れた。
「主殿、いけませぬ。その妖刀を抜いては、御身が燃え尽きてしまう!」
リザを抱え、エトネとクロノを背に庇うヨシツネは、両ひざを地面に付けながら叫んだ。ゲオルギウスの向こう側に立つレイの右腕が黒く見えるのは、漆黒の炎に飲み込まれたのではないかと焦っていた。
だが、否定の声が彼のすぐ傍から聞こえた。
「……いいえ」
「おお! リザ殿、目を覚ましましたか」
精霊剣に生命力を注ぎ込んで意識を失ったリザが、薄っすらと目を開けた。彼女はまだ体力が覚束ないのか、それでも途切れ途切れに呟いた。
「大丈夫……です。レイ様は、一人じゃありません。……彼が、戻ってきました。影法師が、力を、貸しています」
「影法師が。となると、あの右腕は炎では無く、影が集まった物でござるか!」
リザの説明に納得したヨシツネに、ゲオルギウスの向こう側に立つレイが話しかけた。
「ヨシツネ、動けるか?」
「はっ! 辛うじて、ではありますが」
この言葉に嘘は無い。最初は重圧に押しつぶされそうになっていたが、幾らか和らいでいたのだ。もしや、この重圧に慣れたのかと思ったが、違うというのにすぐ気づいた。
魔人の満身創痍の体から青黒い熱気めいたものが渦を巻き広がっていく。
ゲオルギウスが放つ重圧が、レイの龍刀と拮抗してぶつかり合っていた。だから、和らいでいるように感じたのだ。
「なら、三人を連れて離れていろ。そこに居たら、君たちを巻き込んでしまう」
「御意! 御武運を!」
ヨシツネは千切れた長布を器用に使ってエトネとクロノを掴むと、リザを抱えて建築物の中へと飛び込んだ。
そのまま、気配が遠ざかっていくのを、レイは視線で追いかけた。スライム形態になったコウエンも姿を消している。重圧を浴びて、むしろ上機嫌に立ち去っていた。
「意外と優しい奴なんだな。黙って見逃してくれるなんて」
クロノによって切り落とされた左腕を再び繋ぎ直した魔人は、感触を試しながらレイを見据えた。
「ほざけ。先程から灼熱の如き殺気をぶつけて。後ろの奴らに僅かでも意識を向ければ、その刃で胴を両断するつもりだったろうが」
「なんだ、ばれてたか」
「童のように笑いおって。くははは!」
己の命が他者の掌にあったというのに、魔人は喜悦に歪んだ笑みを浮かべた。
「それが報告にあった山を削った剣か。赤龍の力に加え、陛下の血を吸って容易ならざる魔剣となっているな」
「期待している所悪いが、流石に全開で戦うつもりは無いからな」
「そうなのか。それは残念だ」
「当たり前だろ。全開で使えば、この都市が火の海になって、崖の下に埋まってしまう」
右腕を影の籠手で覆い、赤龍の炎の鎧を身に纏った姿は威風堂々としており、さながら龍のような威圧を放っていた。
言葉と共に、龍刀が僅かに傾いた。
「一割。どうにか引きだせてその程度だ」
―――瞬間、空気が爆ぜた。
雷鳴に似た金属音が空気を叩き、発生した衝撃波が建造物を揺らした。
炎を圧縮して推進力に変えたレイの一撃をゲオルギウスは槍で受け止め―――貫通した衝撃によって左腕が吹き飛んだ。
魔人の戦いに耐えられないと評されていたが、精神力によって強化してどうにか運用できていた粘液の肉体は、僅か一合の衝突で霧散した。
人造モンスターの肉体は耐久力が低かったとも取れるが、レイが魔人の領域に限りなく近づいた証でもあった。
片腕になったゲオルギウスは槍を手の中で滑らせ、中央付近で持ち直す。自らの体を軸に左右に振りながら、穂先と石突を交互に繰り出した。槍術と呼ぶよりも、杖術のような戦い方だが、そちらにも才能があるのか、まるで嵐のような連撃を繰りだした。
ゲオルギウスが嵐なら、レイは猛火だ。紅蓮に混じる漆黒の炎が嵐を飲み込む。
レイが展開した龍刀影打が津波のようにゲオルギウスへ襲いかかる。炎が刃を形成する速度も、軌道も、威力も全てがこれまでと段違いだ。魔人は恐るべき技量で、その大半を打ち落としたが、躱しきれなかった二本がわき腹と背中に突き刺さる。
「ぐぉおおおお!」
血が蒸発し、肉が焼ける感触に苦痛の声が漏れる。だが、ゲオルギウスの肉体は闘争を欲していた。槍がしなり、繰り出された一撃はレイの心臓を目がけて走る。
再び雷鳴の如き金属音。
レイは一瞬で距離を潰すと、ゲオルギウスの繰り出した一撃よりも速く刃を振り抜いた。ゲオルギウスは筋肉と神経を総動員して、槍の軌道を変えて一撃を防ぐしか無かった。
激突の衝撃波が周囲を震わし、ゲオルギウスの体は吹き飛んだ。瓦礫の山に激突しなければ、果たしてどこまで吹き飛んでいただろうか。
「な、なるほど、なるほど。力も速さも、レイの方が勝っているというのか」
屈辱的な、しかし認めざるを得ない現実に、魔人は敗北の足音が近づいてくるのに気づいていた。
手負いの魔人とレイの間にあった能力値や経験といった全てを含めた実力差が、遂に埋まったのだ。仮に、ゲオルギウスが万全な状態であっても、今のレイを倒すのは至難の業だろう。
瓦礫に埋まっていた体を素早く起こすと、紅蓮と漆黒が混じる炎の斬撃が襲いかかる。魔人が槍を一閃すると炎は掻き消える。概念殺しの権能はまだ機能していた。
金色の瞳は敵を求めて彷徨うが、レイの姿はどこにも無かった。
だが、太陽の如き有無を言わせない重圧だけは感じられる。近くに居る筈だ。
「上か!」
周囲の影が濃くなったのに気づき、ゲオルギウスは顔を上げた。そこには、空中に固定したかのように浮遊しているレイの姿があった。炎の精霊の如き姿と放つ重圧に、ゲオルギウスの背骨が軋みを上げる。
同時に、彼の周囲を取り巻く炎の量に魔人は瞠目する。
太陽の周りに出現した光輪のように、レイを中心に炎が広がり、それが日本刀の形を作っていく。これまでは多くても十本程度しか出せていなかった龍刀影打が百に届く勢いで出現していた。
「《龍刀影打百嵐》!」
精神力を吸い上げて発動した戦技は、文字通りの嵐となってゲオルギウスを包み込んだ。魔人も応戦するが、逃げ場のない刃の嵐の中だ。一つを槍で打ち消しても、その隙に二本の刃が迫る。全てを打ち落とし、躱す事は不可能だった。
絶命必死の炎嵐に捕まりながらも、ゲオルギウスは片腕で槍を振り回す。
まるで針の山で舞うかのような極限状態は長く続かなかった。
ゲオルギウスに失敗は無かった。ただ、レイが生み出した影打の量が尋常では無く、武の極致に達した技量は、大海の如き物量に飲み込まれただけだ。
体に影打が突き刺さる度に、ゲオルギウスの体が痙攣する。油の切れたロボットのような無様な動きを晒した。
右肩に一つ、左腕の付け根に一つ、右わき腹に二つ、腹部に四つ、右膝に二つ、左足甲に一つ刺さった時に遂に膝を屈した。まだ、七十本以上の刃が嵐となってゲオルギウスを取り囲んでいる。
瞬間、レイは炎を圧縮させ、空を駆け抜ける。自らが生み出した炎の嵐に飛び込み、刃を滑らした。
現時点で出せる最高速度を乗せ、考え得る最適のタイミングで放った、一切の無駄を省いた斬撃。
三度、雷鳴めいた金属音が響くと、刃の嵐は衝撃波で吹き飛び―――紅蓮の炎を纏った少年が弾き飛ばされた。レイは近くにあった建築物を三棟突き破ってようやく停止した。
刃を通して伝わった膂力に、それがもたらした結果にレイは唖然とした表情を作ってしまう。
「あ……打ち負けた? 今のゲオルギウスに!?」
「ぎゃははははは! ざまぁねえな! 勝ちを確信して飛び込んだら、当てが外れて吹き飛んじまうとは、俺だったら恥ずかしくて死にたくなるほど無様だぜ!」
耳障りな罵声混じりに哄笑を上げた影法師だったが、満足したのか途端に不気味なほど静かな声で呟いた。
「ま、てめぇも大概イカレてやがるが、アイツも相当なイカレ野郎だったって事だろうな」
「どういう意味だ?」
「行けば分かるさ」
レイは通りへと飛び出し、影法師の言葉の意味を理解した。
ゆっくりとレイの元へ近づいてくる魔人の全身から立ち上る重圧は、この局面に至ってもなお増している。その全身に異様な変化が生じていた。
体を貫いていた龍刀影打が、影も残さず消えているのは理解できる。
だが、金色の瞳に紅蓮の輝きが混じり、失った左腕の断面から炎が噴き上がり、僅かに開いた口元から緋色の火の粉が落ちていくのは理解できなかった。
魔人の放つ重圧に、かつて感じた怪物の重圧が混ざっていく。
城壁よりも高き城の尖塔を足場に、迷宮から出てきたレイ達を迎え撃った、古代種が一つ。
赤龍の気配が、ゲオルギウスから感じた。龍刀も、自身を構成する因子に気づいたのか、輝きを強くする。
「……嘘だろ。アイツ、僕の炎を取りこんだのか。フィーニスの力はそこまで無茶苦茶なのかよ!」
「違うな。そんな事ができるなら、もっと早くやっている。手品にタネがあるように、アレにもそうなるための理屈があるはずだ。……てめぇは阿保だから気にならなかったようだが、俺はアイツがこの土地に現れた時から気になってたことがある」
「……僕としては、一々毒舌を挟まないと話を進められないのかも気になるな」
「真面目な話だ、茶化すな。いいか、奴は心臓を三つ揃えたと言ったんだ。神前決闘で失った代わりに、心臓を三つ。再生したんじゃなくて、他所から手に入れたんだぞ。あの魔人が用意した心臓なんざ、曰くつきの心臓に決まってるだろ」
「……まさか」
「そのまさかだろうな。おい、ゲオルギウス!」
互いの間合いがぶつかる距離まで近づいた所で、ゲオルギウスは足を止め、声に視線を細めた。
「……陛下が与えた影が喋っているのか? 妙な方向に成長したな」
「てめぇに言われたら、おしまいだ。生き延びるためなら、何だって吸収しやがって。……その心臓、どこで手に入れた?」
質問に魔人は唇を吊り上げた。吐息に火の粉が混じり、左肩から噴き出した炎は渦を巻いて形を作り始めた。完全に炎をコントロールしていなければ、できない芸当だ。
「老婆心ながら、若い奴に助言の一つでもくれてやろう。レイ、切り札というのはな、相手が全ての札を出し尽くした時に出すべきだ。でなければ、相手の切り札に打ち負かされてしまう恐れがある。……もっとも、この切り札を出すつもりは、微塵も無かった」
そういって、ゲオルギウスは炎が模った左腕で胸元を抑え、秘密を明かすかのような口ぶりで披露した。
「この体に残された最後の心臓は赤龍の心臓。貴様の炎は、我が力として取り込ませてもらったぞ」
紅蓮の色が灯る瞳を見て、レイはアマツマラで相対した赤龍の瞳を思い出していた。
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