11-66 星の橋
「座標?」
「はい。レイさんの知識だと緯度と経度と呼べば伝わりますか。これはエルドラドのある場所を示しています」
クロノは数字を指でなぞりながら、そこがどの辺りになるのか思い出した。
「位置としては北方大陸の南側ですね。……細かい場所までは分かりませんが」
「いや、どの大陸なのか分かるだけで十分だよ。気になるのは、この座標が何を示しているかだけど、コウエン。お前は、どうしてこれを見つけたんだ。これが何か知っているのか?」
「否。ただ、気にはなっておってのう」
「気になるって、何がだ」
「ほれ、砂漠でこやつと遭遇した時の事だ。あの時、こやつは自分を倒せば研究所の場所を教えると口にしておったじゃろ」
正確に言えば、コウエンにぺチぺチと叩かれているポラリスがノーザンのメッセージを再生したのだが、大まかに言えばその通りだ。
彼女を倒して、研究所の場所を聞きだし、来いとノーザンは言っていた。
「不思議に思っておったんじゃ。首尾よく、こやつを倒してしまった時、こやつが口も利けんほどに壊れてしまえば、どうやって研究所の場所を聞きだせば良いのか、とな」
「それもそうだね。今みたいに、ポラリス様が喋れなくなったら、研究所の場所を聞きだすなんて出来やしないよね」
「然り。故に思いついたのが、こやつの体の何処かに、研究所の位置を示す何かを仕込んだのではないか、とな。どうやら当たりのようでな、取り出したこの欠片以外にも、同じ数字を刻まれた欠片が複数ある」
「戦いが熱を帯びて、ポラリスが修復不可能になるほど破壊されても、場所が伝わるように複数用意したのかもしれませんね。もしかすると、胴体の方にも同じ仕掛けがあったかもしれません」
コウエンの推測は正しいのだろう。
ポラリスを倒して研究所の場所を聞きだせとノーザンは説明していたが、倒す事の定義については何も語っていなかった。魔法工学という新技術を世に広めた男が、ポラリスが説明できない状態まで追い詰められる可能性を想定していないとは思えなかった。
ポラリスの性能に絶対の信頼を置きつつも、万が一の事態に備えて、保険を掛けていたというのは納得できる話だ。
「問題は、これが本当に研究所の位置を示しているかどうかだけど……他に手がかりも無い。まずは、北方大陸のここに行ってみようと思う」
レイの提案に全員が頷いた。
「とはいえ、すぐに出発するのは現実的に難しいわよね。主様は鎧を無くしちゃったし、北方大陸までの遠征準備だって必要よ。北方大陸なんて、人が少ない地方でしょ」
「事は私達だけで済ませられる話ではありません。グラッセ様やオルド様、できればテオドール陛下などにも相談された方が宜しいかと存じます」
「そうだね。学長に話を通しておけば、学術都市に収めてある『科学者』関係の情報を閲覧する許可を貰えるかもしれないよ」
「中央大陸から北方大陸への海路となれば、片道2週間は必要になりますね。その間、キュイはどうしましょうか?」
「キュイ、つれていきたい」
「ふむ。北となれば寒さの厳しい環境。果たして、あのニチョウが寒さに耐えられるでござろうか。……いざとなれば、あの脂肪が非常食になるやもしれませんな」
「キュ、キュイイイ!」
不穏な気配を感じ取ったのか、庭の方からキュイの悲鳴が聞こえてきた。
「キュイの奴、夜も遅いのに鳴くなんて近所迷惑だろう。……それにしても、外が随分と騒がしいな」
顔をしかめたレイが玄関の方を向いた。シアラが帰って来た時に、外の雑踏が垣間見えたが、時刻は既に十二時を大分過ぎていた。この辺りは住宅地で、遅くまで開いている飲み屋はほとんど無い。そのため、この時間帯は人通りの少ない場所なのだ。
すると、シアラが思い出したように口を開いた。
「ああ、忘れてたわ。皆、外に出ましょうよ。始まったわよ」
「え、本当に? お姉ちゃん、あたし外に出たい」
「分かりました。全員で行きましょう。防寒着を用意しましょうか」
全員が共通の理解を示したかのように、テキパキと準備を始める。ただ一人、事情を飲み込めていないレイだけは、ぼんやりと席に座っていた。
「こんな時間に外に出るのか」
言外に、寒そうだから嫌だなというレイの意見は黙殺される。部屋から防寒着が運び出され、外に出る準備ができてしまう。レイはエトネに手を引かれてしまう。
「というか、なんで皆して外に出ようとするんだ」
「レイ様。昨日、お話ししたことを覚えていますか。年の終わりごろになると、星の橋がかかる、と」
昼の騒動があったせいで、昨日がずっと前に思えてしまう。だが、記憶を遡れれば、リザからそのような事を聞かされていた。
「そういえば、そんな事を言ってたね。それじゃ、もしかして」
「ほらほら、主様。とにかく、外に出れば分かるわよ。晴れてくれたおかげで、綺麗に見えるわよ」
そう言って、シアラに押されたレイは外に出て―――息を呑んだ。
その夜。多くの人々が空を見上げた。
迷宮の活性化で大きな変化を遂げ始めたネーデの街に住む、見習い労働奴隷のリラは、外の騒がしさに気づいて起きた。眠たそうな目をこすって、窓の外に広がる光景を見つめた。
眠らない街を支配する女帝ジョゼフィーヌ・ヴィーランドは、珍しく誰とも閨を共にせず、裸身のまま尖塔のベランダに出た。
シュウ王国首都アマツマラの王城は、赤龍によって壊されたまま放置されていた。国の立て直しを優先したテオドールは、仮住まいを抜け出すと民の祝いの声に耳を傾けた。
クライノートの森に隠れ住むエルフたちも、洞穴のような住居から空を見上げる。何百年も同じ光景を見てきた長のブーリンだが、同じ物を孫娘が見ていると考えると、格別の思いがこみ上げてきた。
『怪物の行進』によって被害を受けたアクアウルプス。出店しているフェスティオ商会の若旦那、ジェロニモは新しい取引の書類を確認していると外の騒ぎに気づき、この時期が来たのかと休憩を取った。
新しき王の統治を受け入れたデゼルト国は、動乱の哀しみを癒そうとするべく盛大な催しが行われていた。民と共に哀しみと喜びを味わおうとするダリーシャスの傍には、自分の背丈よりも大きな双頭の槍を握るラシードの姿があった。
大陸の何処か。焚火を囲み、一時の休憩を取る《神聖騎士団》の面々は、今日の日の為に用意していた酒を酌み交わしていた。いつもなら止め役に入るミストラルはでき上がり、見た目は子供のマクスウェルに無理やり飲ませようとしている。他の仲間が止めに入るのを、ローランは楽しそうに見つめていた。
獣人種の国カプリコルでも、年の終わりは祝いの時期だ。特に、普段から祝い事や変化の少ない農村地域にとっては数少ない楽しみである。収穫物が無事に採れた事を祝いつつ、里の重鎮だったザングはこの場に居ない者達に杯を掲げた。
里に戻らず旅を続ける『守護者』サファの頭上でも、同じ光景が広がっている。彼は歩みを止めると、その中に昇っていた友の名前を呟いた。
自らの道を求めてさまよう求道者も同じ空の下に居た。この一年で亡くなった、父と姉の名を口にして、自分が意外と未練がましい性格をしているとクリシュは驚いた。
西方大陸を単独で支配する帝国。陰謀渦巻く王宮の一室では、民の祝いの声も届かない。第一皇子ゴルディアスは、室内に飛び込む明かりの変化に気づくも、一瞥を送るだけだった。
中央大陸の北方。天を突くように伸びる山々のすそ野に広がる聖都でも祝いの空気はある。とはいえ、他の国々に比べれば静かで、荘厳な空気が漂う。その中心たる大聖堂で膝を折るのは第百十三代法王フランチェスカ・ブルクアイ。その背後に佇むのは、『紅蓮の旅団』団長オルドの娘、ファルナと魔人種の娘アイナだった。少女たちは同じように祈りを捧げていた。
レイが旅してきた街で、知り合った人々の頭上で、あるいはレイとはあった事の無い者達にも等しく、それは夜空に浮かんでいた。
―――夜空に星の橋が出来ていた。
満天の星を塗りつぶすように、雲上に光の帯が伸びている。普通の星よりも細かく、淡く輝く星々が集まっている。天の川に似ているが、一本の帯では無く、何本もの帯が蛇行しながら伸びてはぶつかり、ぶつかっては分かれていく。
誰かが描いたかのような星の橋が、夜空の端から端を繋いでいた。
人々は通りに出たり、あるいは部屋の窓から身を乗り出して、幻想的な光景に心を奪われていた。
「これを見ると、年が明けるって実感あるよね」
リザに支えられ、防寒具の上に毛布まで掛けられ丸くなったレティが、どこか嬉しそうに言う。
「お山で見たのといっしょだ……おとうさん、おかあさん」
故郷で見上げた光景を思い出し、一緒に居た両親の顔を思い浮かべてエトネは涙ぐんだ。そっと、シアラが頭を撫でるのを、彼女は黙って受け入れた。
「時代が違えど、見える光景は同じでござるな。……こうなってくると、一献傾けたくなってくるでござる」
「酒か。ならば、妾にも注げ」
ヨシツネが部屋に戻り、秘蔵の酒を取り出そうとするのを知ると、コウエンが杯を要求した。
「星の橋。……言い得て妙ですね。これを、下から見上げる事になるとは思っていませんでした」
神々の観測所から見る時は、常に見下ろしていた自分が、よもやエルドラドで人として生まれ変わるなど、全く予想外な事だった。そんな風に考えているクロノに対して、レイが尋ねた。
「クロノ……これは……なんだ?」
尋ねられるのを予想していたクロノは、用意していた説明を諳んじる。
「あれは御霊です。エルドラドの死者たちの魂が昇り、清められ、いずれは降りてくるまでの循環装置。一年の内の、この数日間だけ御霊は人々の見える場所に現れ、そして大地に取りこまれた魂を回収していきます。いま、私達が見ているあの光の帯は、死した人々の魂になります。そして、時間を置いて清浄な魂となった者が地上に戻ってきます。エルドラドはこうやって魂を循環させてきたのです」
「……そうか。……あれが、御霊……なのか」
「レイさん? どうかされましたか」
様子のおかしいレイに、クロノと、そしてリザとシアラも気づき不思議そうに振り返る。だが、レイは顔を伏せて屋敷の方へと戻ろうとしていた。
扉に手をかけると、レイは振り返りもせずに、
「ごめん。少し、疲れが出たようだから、先に休ませてもらうよ」
と、だけ言ってしまった。残された者達は、顔を見合わせた。
「ちょっとクロノ。主様の様子が変だったけど、どうかしたの」
「いえ。……御霊の説明をしたら、急に部屋に戻られてしまって。何か、おかしなことを口にしてしまったのでしょうか」
「そんな事はありません。横で聞いている分にはクロノの説明は問題なかったと思います。……ただ、今のレイ様、声が震えていませんでしたか?」
屋敷の最上階にある部屋へとレイは足早に駆け込んだ。扉を閉めるなり、堪えていた物があふれ出してしまった。
止めどなく流れるのは涙だ。
レイの瞳から、涙が幾筋も分かれて落ちていき、木目の床を濡らしていく。
どうして、これほど悲しいのか。
どうして、これほど嬉しいのか。
どうして、これほど苦しいのか。
レイには分からない。幻想的な光景である御霊を見た瞬間、心がこれまでに無いほど激しく揺さぶられた。正気を保つのが難しいほど、感情が爆発し、あと数秒も見ていれば叫びだしていたかもしれない。
心臓が痛いほど鼓動を奏で、血の流れる音が耳朶にまで響く。神経が火花を散らし、全身の細胞が震えていた。
これほどまでの衝撃を受けた事は、過去にある。
自分が日本に対する執着が無いと気づかされた、あの時と同じ衝撃だ。
「影法師、影法師、影法師っ!」
『……怒鳴らなくても聞こえるぜ』
返事は頭の中から聞こえた。さび付いた歯車を無理やり回したような影法師の声でさえ、この時ばかりは振るえているように感じた。
「あれは、何だ!? あれは、なんで、あれを見た瞬間に、どうしてこれほどまでに、心が乱れるんだ。どうして……どうしてなんだ! 答えろ、影法師!」
苛立ちを言葉に乗せて発すると、影法師は冷徹とも取れる態度で返した。
『気づいているんだろ。それが答えだ』
その一言で、レイは否が応でも理解した。最初に得た直感こそが正しく、後からやって来た感情は、最初の直感を否定したいがために生まれた物に過ぎないのだ。荒狂う津波のように押し寄せた感情が、影法師の言葉をきっかけに急速に引いていき、飲み込まれるはずだった直感が姿を現した。
レイは、最初に自分が感じた事を口にした。
「御霊は……僕だ」
影法師が静かに答えた。
『そうだ』
ここまで読んで下さって、本当にありがとうございます。
これにて11章本編は完結となります。
閑話ですが、3本投稿する事を予定しております。投稿予定や内容につきましては、活動報告の方にてお知らせしますので、目を通していただけると幸いです。




