11-63 抑止力 『前編』
音と共に水しぶきが上がる。円形の透明な筒は緑色の液体で満たされており、その中に入れられたフィーニスは、頭の上から垂れたマスクを着けていた。
「これで一安心……と言いたいところですが、あまりにも無茶が過ぎます、陛下。両足を切り落とし、腕も炭化するまで戦いを続けるなんて。カタリナ、ジグムンントとの戦いで、貴方様はかつての力を失ったというのをお忘れですか」
ガラス越しにフィーニスを叱責するのは、長い黒髪の青年だ。怜悧とも取れる美貌を強張らせ、臣下としての分を越えない範疇で苦言を奏上していた。
対する『魔王』は、言葉の代わりに影を文字の形に浮かび上がらせた。
『すまなかった。十分、反省しているとも』
「いいえ、この際ですからハッキリと申し上げておきます。陛下は御身を粗雑に扱い過ぎです。確かに、弱体化したとはいえ、陛下の生命力は常軌を逸しております。黒龍と二度に渡り挑み、ご帰還なされたのですから、疑うまでもありません。ですが! それでも困難を前にして躊躇う事なく踏み出すのはお控えください!」
『はいはい』
「はいは一回!」
「なんだ、この茶番劇は」
ジャイルズが小さく嘆息すると、クリストフォロスの刃のような視線が突き刺さる。
「ジャイルズ。君にも責任があるのを忘れないように。六将軍に座しながら、陛下にこれだけの手傷を負わせるとは」
「ひひひ、藪蛇藪蛇」
かつての師匠に叱責され、ジャイルズは舌を出した。
とはいえ、彼にも思う所はあった。
「でもよ、『龍王』と『機械乙女』を相手取って、こうやって帰って来たんだぜ。称賛の言葉ぐらいくれても良いじゃねえか」
「それは任務を成功させた者の台詞ですね。そもそも、一度は捕獲対象者を手中に収めておきながら、どちらも逃がしてしまうとは。何とも嘆かわしい結果だと反省しなさい」
「ありゃ、陛下の悪い癖が出ちまったんだよ。目的達成で深追いせずに帰っていりゃ、こんな事にならなかったな」
『返す返す、言葉もありません』
この場の最高権力者であるはずの『魔王』は、液体に浸かりながらうなだれてしまう。だが、彼は続けて文字を浮かべた。
『だけど、収穫はあったよ』
「収穫、ですか?」
六将軍第四席の瞳が、興味深そうに細くなった。
『レイの技能が分かった。あれは、死に戻り。死をきっかけに時を巻き戻す力だ』
「……死に戻り、ですか。事実ならば驚嘆すべき力ですが、同時に納得も出来ます」
「随分とあっさりと認めるんだな。俺は、いまだに疑っているぞ。死に戻りなんて、13神の領域じゃねえか」
「確かに、時に関する力は、神の領域、権能に匹敵します。しかし、赤龍や黄龍、ゲオルギウスといった錚々たる怪物を相手取って、生き延びたという事実は否定できません。何かとてつもない力を持っているのではと推測していましたが、時を戻す力となれば、ある程度納得も出来ましょう。陛下には、治療が一段落着きましたら、詳しい聞き取りをさせて頂きます」
『構わないよ。それと、もう一つ』
一瞬、フィーニスは告げるかどうかを躊躇うかのように空白を作った。しかし、伝えるべきと判断して影を滑らした。
『レイとカタリナは繋がっている。おそらく、学術都市に彼女が居た』
瞬間、室内は重くるしい殺意に満たされる。六将軍第四席、第五席が放つ殺気は物理的な力を持ち、ガラスにヒビが入る。ジャイルズが音を立てて飛び出そうとした瞬間、彼の体は天井を伝って伸びた影に絡め取られた。
フィーニスが培養回復液の中から伸ばした影だ。
『落ち着け。今から行っても、姿を隠されてしまうだけだ』
「……仰る通りでございます。あの女狐は、自分に害が及ぶことに関しては天才的な感性を持っています。サファが研究所を襲撃した時も、何の事前情報も無しに嫌な予感がするとだけ残して、襲撃一時間前に姿を消していましたね」
「ひひひ。自分の大事な研究結果だけは根こそぎ持って行って、他の職員は見捨ててな。……陛下、もう勝手に動きませんから、影を外してくれませんか。頭に血が上りますよ」
逆さづりの態勢に文句を言うジャイルズに、フィーニスは伸ばした影を解いた。
身軽に着地すると、ジャイルズは自分が目撃したことを思い出す。
「もしかして、黒龍を転移させた影。あれがカタリナの影だったって事っすか?」
『そうだよ。君じゃ分からないかもしれないが、力を分け与えたボクには分かる。あれはカタリナの力だ』
「あの女はレイに味方している、と考えるべきでしょうか。それとも、単に利用しているだけなのか」
『あの子がレイに肩入れしているのは間違いない。じゃなければ、ボクに存在を気取られるような真似は絶対にしない。道具扱いしているなら、見捨てている筈さ』
「なるほど。……では、当面は学術都市に対する監視を強め、カタリナが潜伏しているかどうか。レイとの関係がどうなっているかを調べる方向で宜しいでしょうか」
『仔細は任せる。……流石に、少し疲れた。僕はしばし眠る』
フィーニスは言葉通り、眼を瞑った。クリストフォロスとジャイルズは恭しく頭を下げると、揃って部屋を退出した。
「ジャイルズ。君の具合はどうなんだ。オルタナと戦い、手酷くやられたのだろう」
「ひひひ。ご覧の通り、健康体その物さ」
自分の不死性を自慢するかのように、ジャイルズは己の体を撫でる。確かに、新しく生えた手足は彼に馴染んでおり、一度は吹き飛んだとは思えないほど一体化している。
「宜しい。ならば、新しい任務を命じよう」
「カタリナの調査なら、俺は向いてないぜ」
「そちらは、私が請け負うから問題ない。君には『科学者』の遺産を探してもらおう」
「『科学者』の遺産って、ゲオルギウスが探しているヤツか」
「ああ。私達の目指す世界救済において、ノーザンの工房は押さえておきたい。万に一つも無いだろうが、失敗した時の保険が欲しい」
「そいつは良いけどよ、ゲオルギウスと合流して調査に当たれって言うのか。確かに、ノーザンの遺産は重要な内容だけど、六将軍を二人も派遣する程の事か」
「仕方あるまい。ゲオルギウスから人手が足りないと連絡があったのだから」
「なんだって?」
意外な返答にジャイルズが気色ばむ。六将軍第二席ゲオルギウスが助けを請うなど、人魔戦役から思い返しても数えるほどしかない異常事態だ。
しかし、クリストフォロスは平然とした様子で続けた。
「仕方あるまい。あれも、先の戦いでの傷が癒えないまま、無理を押して活動中なのだ。それに、どうも法王庁の動きが活発になっているらしく、随分と調査の邪魔が入っているようだ」
「法王庁って事は、『聖騎士』か」
ジャイルズは自分の体に残る、真新しい傷を嬉しそうに撫でた。デゼルト動乱の時、競い合った敵の顔を思い出し、戦士として高揚しているのがクリストフォロスに伝わった。
「全く。君にしろ、ゲオルギウスにしろ、陛下にしろ。戦士共は目的よりも戦いばかり熱中して。とにかく、君はゲオルギウスに合流して、彼と共に『科学者』の遺産を追え」
「ひひひ。了解っと」
転移の影が開き、ジャイルズはその中に飛び込もうとした時、ふと気になったことを尋ねる。
「そういや、クリストフォロス。アンタはどうするんだ? カタリナの追跡を始めるのか」
質問に対して、クリストフォロスは口の端を吊り上げた。
「いや、まずは別件を片付けるさ。今回の一件、私達にしてみれば敗北で終わったが、世界規模で見れば、大きな変革の時を迎える結果となったのでね。これから、あちらは大分荒れるだろうな。だから、幾つかの国を焚きつけようと思うのさ」
酷薄な表情は、これから起きる激動を、どう利用するか考える軍師の物だった。
「うおぉぉぉ。つ、疲れたぁああ」
華美な装飾品が一切ない、機能的な部屋に酷く疲れ果てた声が響く。椅子に深く腰掛けるのは、アカデミックガウンを羽織り、頭の上にちょこんと帽子を乗せた大猩々(ゴリラ)族だ。
この部屋の主、学術都市運営評議会学長グラッセは、長々と紛糾した会議を終えて、疲れ果てた体を投げ出していた。
「がははは。いや、予想はしていたが随分と時間が掛かっちまったな、学長。しかも、話はまとまらず。会議は踊る、されど進まず、とはまさにこの通りだ」
対照的に、ソファに腰かける禿頭の冒険者は、意気軒高とばかりに声高に笑っている。グラッセは恨みがましい目を『紅蓮の旅団』団長のオルドに向けた。
「何を他人事のように。貴方だって会議に列席していた当事者でしょうに」
部屋に入ってきた秘書のモランヌが入れた紅茶を口にして、グラッセは真夜中を過ぎてまで終わらなかった会議を思い出していた。
「『龍王』黒龍の襲来、『魔王』フィーニスの暗躍、『魔術師』オルタナの侵入、『機械乙女』ポラリスの潜入。一つだけでも学術都市が吹き飛びかねない出来事が、一緒に押し寄せてくるとは。……何とも恐ろしい時代に生きていますな」
遡る事、十二時間前。
グラッセの元に、レイの名代としてヨシツネが訪れ、《リバースワールド》で起きた一連の騒動を聞いた時は、正直なところ信じてはいなかった。
クロノスの時は、彼も時戻しの権能を目の当たりにした為、否が応にも信じるしか無かった。だが、今回は輪をかけて荒唐無稽な話だった。
『龍王』黒龍。
『魔王』フィーニス。
どちらも人類に対して強い敵愾心を持ち、甚大な被害を生みだした戦争を招いた元凶たちだ。
『機械乙女』ポラリス。
『科学者』ノーザンが生み出した最高傑作にして、兵器の破壊者として世界中に恐怖を降り注ぐ化身。ある意味、魔法工学の道具を研究する学術都市の敵と呼べる存在だ。
『魔術師』オルタナ。
先に挙げた者達に比べれば知名度は劣るが、『七帝』の一角に収まる脅威だ。
この怪物達が誰にも知られずに集まり、戦い、そして《ミクリヤ》のメンバーが巻き込まれたという話を信じるのは到底難しかった。
ところが、ヨシツネの指定した場所に人を送ると、戦いがあった証拠が見つかってしまったのだから、状況は一変した。
学術都市から東に向かい、内海との境にある山のすそ野。
本来ならモンスターが出没する危険地帯なのだが、到着した冒険者が目撃したのは大地が抉れ、幾つものひび割れを起こし、山が抉れるという壮絶な風景の中に、黒龍の片翼が横たわる光景だった。
加えて、幾つもの不審な情報が飛び込んできた。
学術都市最高機密を扱う研究区画を何者かが強襲。ギルド会館地下に収められている魔石が大量に消失。高位の冒険者たちが感知した、大規模魔法の存在。
そして、ヨシツネが持ってきたのは青色に輝く血だ。
『魔王』フィーニスとの戦闘で付着した血を採取した物らしく、微量ではあるが恐るべき力を秘めていると判明した。
以上の情報から、ヨシツネの―――正確にはレイの報告が真実だと確信し、グラッセは学術都市の上層部を極秘裏に招集し、事実の周知を兼ねた対策会議を開いたのだ。
その中には、ギルド会館でギルド主催のパーティーの打ち合わせをしていたオルドも含まれる。
会議に集まった面々は、いずれも学術都市を代表する者達ばかりだが、同時に様々なしがらみを抱えている。己の率いる派閥のパワーバランスや関係性、将来を見越した権力闘争等々。様々な事情が絡みあい、会議はまとまりを得ずに終わりを迎えてしまったのだ。
「全く馬鹿げている。世界崩壊までの時間が迫っているこの時期に、『七帝』が集まる意味を理解できんのか。口から出るのは責任の所在と権益の有無ばかりとは、嘆かわしい!」
「仕方無いぜ。今回集まったのは、政治で成り上がった奴らばかりだ。そんな奴らは未来で待ち構える滅びよりも、明日迎えるかもしれない失脚と裏切りをどうやって防ぐ事で頭が一杯なのさ」
「……それは、繁栄の賢者である私への皮肉ですかな」
「いやいや。俺が見る限り、貴方は真っ当に勤めをこなしている。各派閥間の利害を調整し、共に歩を進める所まで持っていたのは、流石ですぜ」
学長であるグラッセは、学術都市の運営を代々担う賢者だ。自らの知的探求心を捨て、学術都市を未来に存続させるためだけに自らの知を使うと誓いを立て、実践してきた。
「それが役割なれば、当然でしょう。……とはいえ、あの方が不在なのは大きな痛手です」
「……師匠か」
オルドの呟きに、グラッセは無言で頷いた。
一月前、ギルド冒険部門統括長にして、『岩壁』のオルドの師匠、オーギュスターは自殺をした。苛烈な性格の人物だったが、統括長としてのカリスマ性と手腕は素晴らしく、この非常事態に生きていれば、政治に腐心する者達を一喝してくれたはずだ。
ところが、後任となった代役は心もとなく、一枚も二枚も上手の老獪な政治屋共に取りこまれてしまい役に立たなかった。
「とはいえ、当面の問題はある程度の筋道が立ちました。あとは、現場が動き出して、問題が噴出したら対処すれば良いだけです。……問題は、こちらですね」
「ああ、まったくだ」
一転して、オルドとグラッセは深刻そうな表情を浮かべる。オルドが会議は終わったのにグラッセの学長室に足を運んだのは、政治屋共に聞かせられない話をするためだ。
「『機械乙女』ポラリスの機能停止。こればかりは、誰も予想できない異常事態でしょうな」
苦悶の表情を浮かべて、今回の騒動における最悪を口にした。同意するように深刻な表情をするオルドは、魔水晶を通して届いた手紙に目を通した。
「テオドール陛下も同じことを仰っていますよ。魔法工学の兵器を破壊する兵器の停止。それはすなわち、魔法工学の兵器の封印が解かれたのに等しい、と」
読んで下さって、ありがとうございます。




