11-30 リザの視点Ⅵ
見知らぬ少年にレティとクロノが抱きかかえれているのを見た瞬間、リザの思考回路はスイッチを切り替える様に戦闘に適した物へと切り替わった。
ポラリスの細腕に持ち上げられている不安定な状態だが、彼女は片腕で精霊剣の柄を引き抜くと、手の甲でくるりと回した。熟達したマジシャンが、コインを指の背で回すように、リザは精霊剣を掴むと力を注ぎこむ。
精神力が変換され、淡い紅色の光が零れ始めると力を集積し放った。
「《刺突槍》!」
極限にまで細めた刃は、斬撃と呼ぶよりも槍の突きの如き一撃だ。下手に斬撃を飛ばせばレティ達を巻き込んでしまうと判断し、敵の頭蓋を撃ち抜くように力を一点に集中させた。
真っ直ぐに放たれた紅色の一撃は、しかし少年の足元から伸びた黒い影にぶつかった瞬間、四方へと拡散されてしまった。金属のような硬い音を響かせた影は、次の瞬間には水のように融けて足元に戻る。
影に守られた少年は、楽しそうに頬を歪めた。
「驚いたなぁ。ジグムントの聖剣……は言い過ぎか。それでも、似た系統の一撃なんて、珍しい物を見たよ」
風に乗って聞こえてきた呟きに、リザは表情を固くする。
今日、二度目となる『勇者』の名前を何気なく口に出した少年への疑念と警戒が深まった。
(ジグムントを知っている。それに、レイ様と似たような影を使える少年……まさか!?)
脳内でバラバラだったピースが、嵌る場所を見つけて急速に形を作っていく。前方の少年が何者なのか気づいたのと同時に、リザの顔に影が掛かった。
少年の身を守った影では無く、日光が遮られて生まれる影だ。
「くははは、陛下を直接狙うなんて、いい度胸してるじゃねぇか。―――笑えねぇな」
少年の傍に立っていたドレッドヘアーの青年は、一瞬にして距離を零にすると、どこからか取り出した透明な剣を二振り握っていた。もう、攻撃は放たれ、あとはリザの首を両側から切断して終わる話だ。気づいた時には手遅れだった。
だが、肉と骨が裂ける音はせず、代わりに刃を弾く音が建物に反射していく。
二刀による左右の連撃を防いだのは、ポラリスだ。彼女はリザを抱える反対の手で迫る刃を弾いてみせた。続けざまに放たれた三刀目はリザを抱えたまま体を斜めに傾けて回避してみせる。
奇襲を防がれたドレッドヘアーの男は、自分の足から透明な斧をぽろりと落とすと、それを足場に大きく後退した。
少年のすぐ傍に立つと、両手は空なのに油断なくこちらを見据える。
「陛下。……ありゃ、俺の見間違いっすかね。それとも新手の幻影魔法でも掛けられたんでしょうか。すげぇ懐かしい女の顔に見えるんですけど」
「残念だけど、どちらもハズレの様だよ。幻影じゃ、キミの三刀連撃は防げやしない。あんな頭のイカレタとしか思えないメイド服を着ている奴は他に居るとは思えない」
甲高い音を立てながらポラリスの車輪が止まり、摩擦からか辺りに焦げ臭いにおいが立ち込める。解放されたリザは精霊剣を両手で構えながら、自分を除く三人から立ち上る濃厚な死の気配に意識を削られそうになっていた。
少年がポラリスを見据えながら、どこか親しそうに笑った。
「『機械乙女』ポラリス、キミは三百年経っても変わらないね」
「肯定。そう、あれかしと創造主によって作られたのが私です、『魔王』フィーニス」
やはりか、と。リザは心の中で叫んでいた。
姿形は、レイやシアラから聞いているのと少し違っていた。茶色の髪に瞳の色も違う、街ですれ違えば数秒で記憶から消えてしまいそうなはかなげな少年。だが、レイと同じ影を操り、ジグムントの事を知っていて、金色黒色の魔人を従えている姿から、彼こそがあのフィーニスじゃないかという可能性にたどり着いていた。
それが現実になると、驚きの感情よりも深い絶望が胸の内側を満たしていく。
相対しているだけで伝わってくる。
弱体化しているはずなのに、同じ地平に立っている気がしない。遥か高みに君臨する怪物が、何かの気まぐれで人の領域に現れた、そんな理不尽さを感じていた。厄介な事に、隣に立つ魔人からも同格の、いやもしかするとそれ以上に危険な気配が漂っている。
どうしてこんな怪物が、二匹も学術都市に現れたのだろうか。
その答えはフィーニスの手に収まっていた。
「珍しいね。キミが空からじゃなくて、大地を走るなんて。察するに、今のキミはいつもの、あの空を舞う破壊の女神では無く、別の目的があって学術都市に来たんじゃないのかな。例えば……時に関する権能の調査、とか」
「黙秘。私の目的をミスターに説明する義務はありません」
「あははは。相変わらず、堅苦しい喋り方だ。だけど、まあ、空に目と耳を持つキミが、一月前の異変に気づかない訳がない。ボクだって気づいたんだから、当然気づくはずさ。だけど、一足遅かったね。御覧の通りさ」
そう言って、フィーニスは抱えている女性の顔を見やすいように上げた。意識を失っているのだろう。フィーニスの細腕の何処にそんな力があるのか、軽々と持ち上げた彼の腕の中で二人は揃って瞼を閉じていた。
「神はボクの手の中に。ついでに、ジグムントを操作できる少女も捕まえられたよ。これも日頃の行いが良い証拠かな」
「レティ、クロノ! 二人に何をしたんですか、フィーニス!!」
リザが叫ぶと、フィーニスの瞳が初めてリザの方に向けられた。途端、両足が地面に捕まったように動かなくった。蛇に睨まれた蛙のように、剣先を動かす事も出来ない。
「この二人を知っているという事は、もしかしてレイの仲間かな。安心しなよ、彼女たちは眠っているだけさ。ボクは何もしていない。無論、危害を加えるような真似もしない。キミたちは重要な、お客様さ。だからこうやって」
言いながらフィーニスは二人を手放した。重力に引かれて落ちる二人は、足元に広がっている影に飲まれて沈んでいく。
「大切に扱わせてもらうのさ、あはははは!!」
「二人を返せ、『魔王』!」
フィーニスの哄笑を遮るリザの気迫だが、『魔王』は動じない。そればかりか、笑い声は更に高くなり、二人の姿は完全に消えてしまった。
怒りに震えるリザを宥めたのは、隣に立つポラリスだった。
「安心。フィーニスの影は魔法の鞄と性質は同じ。むしろ、こちらがどれだけ攻撃しても中に影響は届かない分、安全地帯とも言える」
「……ふーん。興味深いね。キミは、そちらに着くのかい。レイの、『招かれた者』の味方に」
「訂正。味方ではありませんが、ミスター・レイには時に関する権能の調査協力を依頼する予定。彼の協力を取り着けるための交渉を円滑にするには、彼の仲間を助け出すのが得策だと判断しました」
「合理的な判断だけど、欠点を見落としているな。……誰から助けようとしているのか、理解しているのかガラクタ」
空気が変わる。それまでにもあった死の気配が、より濃厚に、重く感じられる。サファやゲオルギウスが発していた、怪物だけが持つ絶対的な力の充満に、喉が渇いていく。
どこか遠くで鐘の音が聞こえたのと同時に、爆発が聞こえた。
それはフィーニスの攻撃では無く、その隣に立っている魔人がした事だ。リザの眼には、彼が腹の傷口に手を当てたと思ったら、そこから出てきた透明な槍を振りかざし投げたのだ。
槍は真っ直ぐに飛翔し、積み重ねてあった木箱の山を一瞬でえぐり取った。
「やれやれ。不躾な覗き魔くらい、確実に当てなよ」
「陛下だって見ていたでしょ。ポラリスに軌道を逸らされたんだから」
まるで、巨人にむしり取られたような跡の木箱から顔を出したのは、キョウコツだった。どうやらここまで付いて来てしまったようだ。そんな彼女に向かって、リザは叫んだ。
「キョウコツ、逃げてレイ様かシアラに伝えて! レティとクロノが『魔王』フィーニスに捕まった!!」
「―――っ! これは貸しだからな!!」
状況の深刻さから反論は無く、キョウコツはすぐ傍の通りに飛び込んで消えていった。
「ふむ……もしかすると、彼女もレイの仲間かな。だったら、抑えておこうか。ジャイルズ。追いかけてちょうだい」
「へいへい。ちなみに殺しても?」
「ダーメ。さっきも言ったけど、レイの仲間は殺しちゃダメだから。それと、シアラもね」
「ちぇ。……うっかり手が滑ったことなら、いけるかな」
聞き分けの無い子供のように頭を掻いた魔人―――六将軍第五席ジャイルズは音も無く消えた。おそらくキョウコツを追いかけたのだろう。
怪物が一人消えても、リザは安心する事は出来ない。むしろ、余分な存在が居なくなったことで辺りに立ち込めていた殺気が対象を絞り、バチバチとぶつかり合っていた。
怪物同士が放つ殺気。それが物理的な力を持ったかのように周囲へと手を伸ばし、建造物を歪ませているように見える。
これが『七帝』同士の対峙なのだ。
デゼルト動乱の時、帝国との戦争に参加できなかったリザは『守護者』サファと『勇者』ジグムントの激突を知らない。あの場に立っていたレイ達も、戦場の端と端のため、両者の持つ殺気がぶつかる中心に居たわけでは無い。
暴風を伴った嵐と、立っていられない地揺れという異常な気象の中に放り込まれたような物だ。
数秒後に自分の命が消えても、何ら不思議はない。
そんな怪物同士の戦いは、驚くほど静かに、そして不気味なほど密やかに始まった。
フィーニスの背中から噴きだした影は、腕を伝うと一つの武器になった。手を守る小手の先には細長い針のような剣、レイピアだ。
しなる刃を手にした魔王は、深く踏み込む。一気に距離を潰し、刃が一直線にポラリスへと迫った。
ポラリスはその刃を前に、回避も防御もしない。
なんと、刃の先端を掴もうと指を伸ばしたのだ。驚異的な反射神経と、身震いするほど正確な技量もってすれば、高速で振り抜かれる刃を掴む事は出来る。だが、ポラリスの指先が刃を掴むよりも前に、刃は蝶のようにひらりと躱した。
首筋を狙うはずだった軌道は直前で変わり、逆にポラリスの指先を落とそうと鞭のようにしなる。だが、鋼鉄の体で出来た乙女に刃は届かない。
浅く入った一撃から、すぐさま立ち位置を変えようとしたフィーニスに対して、ポラリスは戦車のように止まらなかった。被弾覚悟で深く踏み込むと、同時に拳を叩きこんだ。
軽く入った一撃は、しかし重たい音を響かせた。リザの内臓まで響く音から、何かしらの格闘術だと直感する。拳を放った姿勢のままのポラリスに対して、一撃を喰らったフィーニスは後ろへと吹き飛んだ。
「凄い。……い、今です! すぐさま追撃を!」
『魔王』に一撃を叩きこんだという現実を処理するまでに、ちょっとの時間が必要だった。我に返ると叫んでいたリザだが、しかしポラリスが動きを不自然に止めていた理由を理解した。
ポラリスの首に、黒い剣が突き刺さっている。細い、針のように長いレイピアが左から右に貫通していた。
「そんな。いったい、いつの間に」
「解説。私が一撃を与えた際に、刺されました。とはいえ、この程度の損傷は軽微と判断。何ら問題ありません」
「軽微って、首が刺されているんですよ! 下手に引き抜いたら血が。いま、回復薬を用意します!」
「不要。この身は人に非ず」
ポラリスが引き抜いたレイピアは、油で濡れ何かの破片が付着している。なまじ、人間の姿をしているだけに、ポラリスの体から出てきた機械としての証にリザは言葉を失った。
『機械乙女』ポラリス。
彼女は正しく、人じゃないのだ。
「早急。それよりも、何時までやられた振りをしているのですか。攻撃の当たる瞬間、影を幾重にも束ねて防御しているのは記録しています」
「やれやれ。少しは油断とかしてくれないかな。こっちは、全盛期に遠く及ばないっていうのに」
地面に倒れていたフィーニスは、軽快に立ち上がった。傍にいたリザでさえ、衝撃で体の芯が震えた一撃だというのに、それを直接くらったフィーニスにダメージは感じられない。
「それにしても、珍しいね。キミが地上を歩いているのも珍しいけど、格闘で戦ってくるなんて。あの悪趣味な掃除道具は何処にやったんだい」
「憤慨。創造主の崇高なる趣味を愚弄するとは。確かに、あの方の趣味嗜好は、あの時代においても、現代においても異端であり、孤高ではありましたが、決して悪趣味と呼ばれるほどの酷い物ではありません」
「……いや、キミも大概な事を言っているような気がするんだけど。……まあ、いいや。どうやら、いつものキミじゃなさそうだ。なら、ボクにも勝機はありそうだ」
言うと、フィーニスは足元におびただしい量の影を展開する。意思を持っているかのように蠢く影は、空中に伸びていくと一つの像を作りだそうとしていた。
どんな物が生み出されるのか分からないが、それが辺り一帯を吹き飛ばしても余りある威力だというのは、リザにも容易に想像が付いた。
人払いの魔法がどれほどの範囲に渡っていたのか知らないが、あの一撃の効果範囲に人が居ないという保証はない。フィーニスの一撃に巻き込まれれば、あっという間に死んでしまう。
精霊剣に自分の精神力や生命力を全て注ぎ込んでも、一撃を防ぐことは出来ない。
どうするべきだと悩んだ末に、リザは叫んだ。
「ポラリス、あの一撃を止めて下さい!」
叫んでから、頼む事しか出来ない自分の弱さが嫌になる。何より、今のポラリスにそんな事が出来るのだろうかという疑問が湧いた。
彼女の戦闘スタイルは、広域破壊に特化している。サファと戦った時、空の上で幾筋もの光が走り、黄龍の纏う砂嵐を爆発が吹き飛ばしたのを目撃している。裏を返せば、彼女の本来の戦闘スタイルはエネルギーを多く必要とするのだ。
いま、彼女はメインとなる燃料を失い、大きく弱体化している。フィーニスの攻撃を素手で対処したのがその証拠であり、いつもと違う戦闘スタイルからフィーニスも気づいているのだろう。
だから、放つのに時間のかかる大技を、堂々と披露しているのだ。
叫んでから、全部を理解し、どうする事も出来ないと嘆く。
「了承。対処いたします」
リザの嘆きを打ち払う様に、ポラリスは前に出た。右手をフィーニスの方に向けると、薄手の手袋に光が集まっていく。青白い光は稲妻を伴い、バチバチという音がリザの鼓膜を打つ。
ゆっくりと力をかき集めるフィーニスに対して、ポラリスの光は一気に力を注ぎこんでいる。光は加速度的に強くなり、地上に太陽が落ちたかのように眩しくなっていく。
その光の隙間からリザは見ていた。
―――フィーニスが笑ったのを。
「充填。発射」
気合も無く、淡々とした呟きと共に放たれた光弾は、真っ直ぐフィーニスに向かって突き進む。まだ、フィーニスの方は準備が出来ていない。普通なら、ポラリスの勝利の筈だ。
ところが、フィーニスは迫りくる光弾を前にして、闇を解いたのだ。
集めていた力は霧散し、『魔王』は事もあろうに背中を見せたのだ。
そして自分の背後にあった屋敷へと飛び込んだ。
《ミクリヤ》の屋敷へ。
扉が閉じられた直後、爆発と衝撃波が辺りに吹き荒れる。爆心地近くでは、体が飛んでいきそうな衝撃が駆け巡る。仮に、鉄で出来た建造物があったとしても、原型を保つのは不可能だろう。
だが、もくもくと上がる煙が収まった時、そこには何ら変わりのない姿の屋敷があったのだ。
壁に傷一つ無く、窓にひび割れも無い。。
「計測。異常な魔力反応。……当該屋敷は魔道具と判定。超高度な防衛機能を備えていると判断。現状、この砦を破るのは困難」
ポラリスが冷静に下した判断から、フィーニスの狙いに気づいた。彼はポラリスの不調を、一合で見抜いた瞬間、ワザと攻撃を喰らい吹き飛んだのだ。立ち位置をずらし、屋敷の方に吹き飛ぶように調整したのだ。
そして無防備な姿をさらす大技を餌に、ポラリスの攻撃を誘った。この屋敷が魔道具なのは、フィーニスは知っていてる。なぜなら、この屋敷を魔道具としたのは彼なのだ。
どうして、こんな手段に出たのか。その理由はすぐに分かる。
「報告。残存エネルギーが一割を下回りました。これ以上の戦闘行為は不可能と判断。一時、撤退を進言します」
危機的状況を告げる内容なのに、込められた感情は平坦な物だった。
読んで下さって、ありがとうございます。




