閑話:冒険王 邂逅編 Ⅺ
明らかに戦場向きでは無い豪奢なマントを土に汚し、どこか生気が欠けた相貌をしていたが、見間違える事は無い。あの日、空から見捨てられたような地の底で、野盗共を使って兄弟たちを殺した貴族、アンドリューが立っていた。
「アンドリュー・モーガンっ!」
怨嗟の声が、食いしばった歯から漏れだす。アンドリューと遭遇し、王国から追われるようになってからも情報収集として街や村を訪れていた。そこで聞いたのは、地方貴族の一人でありながら、手勢を率いて逃亡奴隷を次々と始末して、王から直々に褒められた男の名前だ。
逃亡奴隷達の血を啜り、肥え太り、名声を得た。
それがアンドリュー・モーガンであり、目の前に立つ男だ。
「アンドリュー・モーガン、お前も、俺を追いかけてきたのか。兄弟を殺しただけでなく、俺を捕まえて、さらに栄誉を求めるのか」
「……ふん。下賤な、国に人間としてみなされていない奴隷が、高貴な私の名を口にするとは不愉快だ。耳からウジ虫が湧いたら、どうしてくれる」
どこまでも尊大な態度は、あの夜と変わらない。
だが、あの夜と決定的に違う所がある。それは、この男の周りに誰も居ないという事だ。
視界の範囲に、野盗や手勢が潜んでいる様子は無い。オルタナに視線をやれば、彼も伏兵は居ないと目配せした。
「正直、驚きだな。お前は野盗たちを裏から操り、美味しい所だけを掠めとる天才だから、こんな現場に一人で出てくるとは思わなかったよ。王様に煽てられて、いい気になったのか」
「……貴様に何が分かる」
貴族ゆえの傲慢さが仇になった。平民以下の奴隷から侮られた事で、アンドリューは感情を取り繕う事も出来なかった。
「貴様と関わったばかりに、私は……栄達の道を。いや、あの女のせいで、あの快楽に抗えず。くそ、くそ、くそっ!!」
「……随分と情緒不安定な奴だな。あんな奴だったか」
驚きの声を上げる親父さんにエイリークは同意した。地面をけり上げるアンドリューの姿は、抱いていたイメージとは違っていた。殺気立った瞳には、どろりとした闇が浮かんでいた。
重たい甲冑で息を切らしたのか、アンドリューは肩を上下させつつ、エイリークを見据えた。
「だが、それもこれで帳消しになる。この私の手で、貴様を捉えられれば、今度こそ、私に道が開ける。……これは、神々が与えた奇跡なのだ。天が与えるべくして与えた、好機なのだ!」
「また神だとかなんだとか言い出す奴が増えたよ」
「どうするの? あの人を無視して先を行くの。それとも」
問いかけたオルタナに答えた。もちろん、それともに続く言葉だ。
「戦う。戦って、あいつを殺す」
それはエイリークにしては珍しい殺害宣言だった。これまで追って来た者達に対して倒すという言葉は使って来た。その過程で、相手が死んでしまっても、エイリークはそれも止む無しと割り切っていた。自分の命を奪おうとしている相手なら、死んだとしても文句は言わせない。
しかし、アンドリューに対しては別だった。奪い、奪われる螺旋から抜け出そうとした彼らを、ただ自分の栄達の為だけに殺した男を許す事は出来ない。
奇しくも、同じ相手に二度繰り返した事になる。
「アイツとはここで決着を付ける。俺が、この手で。だから、親父さんたちは先に行ってください。あの剣士から逃げられる騎士が居るとは思えませんが、ここに新手が来ないとも限りません」
「いや、そうじゃなく、わぷっ」
「そうかそうか。覚悟を決めたのなら、俺はそれを尊重しよう」
何かを言いかけたオルタナを止めて、親父さんは続けた。
「これが命を賭けた決闘なら、見届け人が必要だろ。なに、誰かが近づけば、気配で分かる。俺達の事は気にせずに、存分に戦い、因縁にケリを付けろ」
「……ありがとう、ございます」
親父さんの気づかいに、エイリークは様々な想いを込めて頭を下げた。そして、顔を上げた時には、意識から二人の事は抜け落ちていた。怒りと復讐に燃える瞳は、道を通さないとばかりに立ちふさがるアンドリューに向いていた。
「待たせたな、アンドリュー」
「気安く名前を呼ぶな、逃亡奴隷」
「そっちこそ、逃亡奴隷なんて肩書で俺を呼ぶんじゃない。俺はエイリークだ」
「ふん、奴隷には不相応な名前だな。だが、一応は記憶してやろう。もしかすると、舌を抜かれて喋れなくなるかもしれんからな。貴様を飼う檻の名札に、この私自ら掘ってやっても構わんぞ」
「だったら、お前の墓碑銘は俺が書いてやるよ。身の丈に合わない欲を求めて死んだ愚か者だとな!」
互いに距離を詰めつつ、視線がぶつかり合う。逸らしたら負けだと言わんばかりに、火花を散らせ、アンドリューが剣を抜いた。応じる様にエイリークも剣を抜こうとして―――ぴくり、と手が止まった。
ついでに足も止まった。
「……あ、ああっ!」
間抜けな声が漏れるも、事態は変わらず、より深刻さを増していく。
腰に下げていた、騎士から奪った剣は無い。正確には鞘と柄と僅かに残った刀身はある。それ以外は、ジャイアントナーガの皮膚に打ち負けて折れてしまったのだ。根元からぽっきりと。
もう一つの武器であるダガーも、エルフの剣士が繰り出した人外の斬撃を凌いで砕けてしまった。回収する暇も無く、遺跡に流れ込んできた土砂に埋まったはずだ。
様々な事が立て続けに起きたせいで、それらの事をすっかりと忘れてしまっていた。
武器が無い事に気づき途方にくれたエイリークだが、すぐにもう一つの切り札を思い出す。こりずに送りこまれる兵士や、重装備な騎士たちも倒してきた刻印魔法があるなら、剣が無くても勝てる。
そんな思いから、距離を詰め切れていなかったアンドリューに向けて掌をかざした。
「《超短文・中級・音波砲》っ!?」
かざした掌から魔法は放たれた。それを予期していたかのように、アンドリューは腹で地面を叩くかのように飛び込んだ。アンドリューがあまり近寄って来なかったのは、魔法が発動されても避けられように身構えていた。
狙い通り、彼は魔法を避けた。貴族にあるまじき、みっともない動きではあるが、避ける事に成功した。
そんな敵の涙ぐましい努力も、いまのエイリークにはどうでもいい事だ。彼を襲ったのは強力な脱力感と疲労だった。
頭の中を締め付けられ、全身から力が抜けていく。今にも倒れそうな状態の彼に、後ろから幼子のため息が聞こえた。
「はぁ、だから言おうとしたのに。もう、戦える力なんてほとんど残ってないでしょ」
その通りだった。
エイリークは大森林に入ってから、百人の完全武装した騎士を相手取り全滅させ、遺跡内部ではジャイアントナーガという巨大なモンスターを一人で倒し、親父さんとエルフの剣士が繰り広げる神話のような戦いを傍で見て、あまつさえ一撃を防いでいた。
それがどれだけ彼の体力や精神力を削っていたのか、想像するまでも無い。
たった一日で、普通の人間なら一生かかっても得られないような体験をした彼が、疲労していないはずがないのだ。加えて、刻印魔法を連発していた。
詠唱魔法に比べれば精神力の消費が抑えられているとはいえ、あれだけ使用していれば、精神力が枯渇しかけてもおかしくなかった。
エイリークを襲う疲労と脱力感は、休む間もなく戦ったツケだ。
それを見抜いていたオルタナは止めようとしたが、同じ事に気づいていた親父さんに止められたのだ。
「エイリーク。お前さん、自分で思っている以上に疲れ果てているからな。いままでは、脳が興奮してたから体の疲労を感じていなかったが、足が止まっちまえば嫌でも気づいちまうぞ」
親父さんの言葉に言い返す気力も無い。エイリークはどうにか立ち上がり、拳を引いた。それは、ダウン寸前のボクサーが意地か無意識で立っているかのような、今にも崩れそうな脆さがあった。
鉛のような体は動かない。足が、地面から伸びた手に捕まれたかのように貼りついていた。
「どうやら、好機の様だな。ならば、足から潰させてもらおう。これ以上、逃げられてでもしたら、面倒だからな」
エイリークの不調が演技じゃないと理解したアンドリューは、嗜虐的な笑みを堪えきれないとばかりに浮かべた。土を払いのけ、剣の持ち手を弄ぶのは余裕の表れだ。
一歩、一歩と近づくにつれ、幼いオルタナの表情が険しくなっていく。
「父さん。このままじゃ、エイリークが危ないよ。助けないと」
心配そうな声色に、親父さんは珍しいもんだと呟いた。
「お前もそんな風に感じる事があるのか。こいつは、新しい発見だな」
「冗談言ってる場合じゃないでしょ。大体、なんでエイリークが戦うのを止めなかったんだよ。父さんだって、エイリークが限界なのは気づいていただろ。だから、足を止めて休憩を少し挟んだんでしょ」
「ふむ。まあ、間違っていないな」
「なら、なんで……まさか、エイリークをここで死なせる気なの?」
その質問に対して、親父さんは薄く笑みを浮かべるだけだった。気が気では無いオルタナは、距離を詰められるエイリークに必死になって叫んだ。
「エイリーク! 今はとにかくこっちに! 僕を巻き込めば、父さんだって動くしかない!」
「なるほど。そこの魔法使いが動かないのは、その子供が重要だからか。ならば、子供に手出しをしなければ、そこで黙って見ているのだな」
「いい線を突くな、貴族。おおむね間違っていないぞ。付け加えれば、俺はこの戦いに一切関与する気はない。お前が、俺達を狙わないと約束するなら、な」
「父さん!?」
言外に、エイリークを見捨てると発言した父親を信じられないとばかりに見つめるオルタナ。アンドリューは一度頷くと、
「了承した。貴様等には興味ない。だから、そこでこやつが切り刻まれるのを黙って見ているがいい!」
と、手にした剣を大きく振るった。死神の鎌のような大仰な軌道を描いた一撃は―――エイリークが斜め下に放った拳に叩きおられた。
「「は?」」
金属が乾いた音を立てるのにまじり、空気を押したような声が二つ重なった。上げたのは、オルタナとアンドリューだ。
彼らはエイリークが前に出した左足を目がけて振るわれた剣が、真ん中で二つに割れたのを目撃していた。
硬直する二人に対して、親父さんがつまらなそうに呟いた。
「やっぱり、心配するだけ損だったか。俺が手を出さなくても、瀕死の状態だとしても、あの貴族よりもエイリークの方が強いぞ」
その言葉を証明するように、エイリークが動いた。鉛を飲み込んだかのような重たい体は、足裏が地面から離れられない。前進するために引いた線が、地面にくっきりと残る。
緩慢な動きで距離を詰めると、剣を折られたアンドリューが考えも無しに行動した。その場にとどまり、折れた剣を叩きつける様に振るった。
エイリークはそっと手を伸ばした。剣が通る軌道よりもさらにアンドリューの懐に向けて伸ばし、剣の柄を抑えた。それだけで、剣は動かない。シンプルだが効果的な防ぎ方だ。
今更になって距離を離す必要性を認識したアンドリューは、後ろに下がろうとした。ところが、柄を抑えられているため動けなかった。剣を手放せば自由になるが、それは武器というアドバンテージを失う事になる。
―――もっとも、そんな物がって在っても無くても、埋めがたい実力差があった。
考えてみれば、エイリークはジャイアントナーガを相手に勝っているのだ。指揮系統を乱し、動揺している騎士たちを百人打ち倒しているのだ。これまでにも襲いかかってきた追撃部隊を、一人で蹴散らしているのだ。
そんなエイリークが、今更ただの貴族一人に後れを取るはずが無かった。
どうするべきか迷っているアンドリューのすき間を縫うように、エイリークの拳が傷の走る顔面を貫いた。
拳打の威力とは、速度が重要な要素を占めている。どれだけ巨大な質量であっても、ゆっくりとぶつかって来るだけでは瞬間的な痛みは大した事は無い。
それなのに、消耗しきったエイリークの拳は岩のように重く、針のように鋭く突き刺さった。一瞬で痛みは奥底まで到達し、アンドリューの脳を揺らした。
倒れはしなかったが、戦意は砕けていた。
鼻血で呼吸が満足に出来ない。殴られた衝撃で思考が散逸する。自分が立っているのか寝転んでいるのか、生きているのか死んでいるのかすら分からない。
呆然自失となっているアンドリューに向けて、エイリークはもう一撃拳を叩きこむ。自分に残っている力を込めた一撃は、鎧で守られている腹部に重く沈み込む。
そして、
「これで、最後だ! 《超短文・中級・音波砲》」
正真正銘、精神力を根こそぎ注ぎ込んだ刻印魔法が起動する。
零距離から放たれた魔法は、拳が当たったインパクトと重なり、金属製の鎧に包まれたアンドリューを吹き飛ばした。
「ぐはっあああああああ!」
血が混じった悲鳴は地面を転がる音と混じる。そして、二転三転とアンドリューの天地が逆さまになった後、彼は浮遊感に包まれた。
「あ、あ、ああああああ!!」
悲鳴が奈落の底へと飲み込まれていった。
運悪くとしか言えなかった。吹き飛んだ方向にあった地面の亀裂に、アンドリュー・モーガンは飲み込まれていったのだ。
悲鳴は遠ざかっていき、最後には無音となってしまった。
「はっ、はっ、はっ。……死んだ、のか」
荒い息を吐き、その場に跪くエイリーク。
一撃も貰わずに、相手を圧倒した勝者とは思えない姿だった。
父親の手を振りほどいたオルタナがエイリークに肩を貸そうとする。
「多分……死んだと思う。激突した音すら聞こえない、凄い深い所に落ちたみたい」
「そう、か。なんだか、あっけない、終わり方だな。あんなに、憎んでたやつが、こんな風に、死ぬなんて」
「凄かったよ、エイリーク。攻撃を防いで、カウンターを喰らわせるなんて。圧勝じゃないか」
「そう、でもない、よ。……アイツが、もっと冷静だったら……時間を使われて……どうしようも……ない」
「エイリーク? エイリークってば!」
オルタナが叫んでも、エイリークはずるずると体を地面に傾けていく。最後には意識を失い、地面に突っ伏してしまった。最後の魔法が止めだったのか、精神力が枯渇してしまったのだ。
結果だけ見れば完勝だったが、それは紙一重の勝利でもあった。意識を失いかける前、エイリーク自身もそれを認めていた。アンドリューが最初から距離を保ち、不用意に攻め込んでこずに時間をかけていれば、結果はまるっきり逆だった。
それでも勝利には変わらない。
エイリークは生き残り、アンドリューは死んだのだ。
「ちょっと父さん! そこでぼさっとしてないで、手を貸してよ」
「へいへい。ちょっとくらいは、父親をいたわれよっと……ん?」
オルタナに言われ、仕方なくエイリークを担ごうとした親父さんだが、背後から近づいて来る気配に視線を向けた。
「お、お待ちくださ―い! わ、私も付いていきます! お供をさせて下さいませ!!」
「……信じられん。気配を読み取る力も無いくせに、勘だけで見つけやがったぞ」
大声を響かせるのは、サーコートを纏った先程の青年だ。背後には、幽鬼のようにエルフの剣士が付いている。青年の絶叫にうるさそうにしているが、離れるそぶりはしない。ということは、エルフの剣士も付いてくるという事だ。
「……はぁ。随分と面倒な事になったな。『守護者』に加えて、初代法王とまで旅をする事になるとは。……というか、あの変質者がどこをどうまかり間違えれば初代法王なんて敬われるんだ?」
未来の自分と同期する事で知識を得た親父さんは、この邂逅が後の未来でどうして美談のように描かれているのか不思議でしょうがなかった。
こうして、後の『冒険王』と呼ばれるエイリークは、大いなる運命を背負った者達と邂逅する。
いずれは新式魔法を開発した功績を称え『魔導師』と呼ばれるオルタナ。
遠き未来にも変わらず存在する『精霊の養い児』であり後に『魔術師』を冠する現象。
幾多の血と命を切り裂き遂には自身の寿命すら切り離した『守護者』サファ。
行き過ぎた信仰心を持ち神の慈愛を世界に広げようとした『初代法王』グレゴ・ラングフォード。
彼らは、『冒険王』の波乱に満ちた旅路を共に進む事になる始まりの仲間達であり、これは邂逅の物語である。
それは、この男にとっても運命との邂逅でもあった。
光も差し込まない知の底。世界から見捨てられたような場所で、アンドリューは目を覚ました。意識はぼんやりとし、痛みも感じ取りにくい。痛くない訳ではないが、幾つもの布を通して熱い物に触れているような、正確さに欠けていた。
感じ取れたのは、寒さだけだ。自分の体の中心に向かって、凍えるような寒さが手を伸ばしていた。これが心臓に届けば最後、待っているのは死ぬという予感だった。
「死ぬ、のが。私ば」
どろりとした液体が口から流れ落ち、言葉が濁る。息をするのも苦しいのは、口の中が血で満たされているからだ。
最後の記憶は、エイリークに殴られ魔法で吹き飛ばされる場面だった。地面を転がった先に亀裂があり、あっという間に落ちてしまった。
あれから、どれぐらいの時間が経過したのか、アンドリューには見当もつかない。真っ暗な闇の中では時間経過を知る事は出来ない。
ただ、自分に残された時間が多くない事だけは理解できた。
「ああ……ごんな、どごろで、死ぬのが。ごんな、誰も、居ない、ばじょで」
自然と涙が込み上げてくる。
同時に胸の内に湧いてくるのは、純然たる怒りだった。
自分を篭絡して情報を引きだしたルムリエ。
利用するだけ利用して、栄達の道を積み取った国王。
異分子として邪険に扱い、あからさまに見下していた騎士達。
そして何より、自分をこんな地の底に落とした奴隷―――エイリーク。
「にぐい、にグイ、ニグイ、ニグイ、ニグイニグイニグイニグイニグイニグイ! アイツらが、ズべで、ニグイ!!」
地の底から怨嗟の声が発せられる。怒りは肉体を突き破り、それこそ地上を越え、天空まで届きそうな勢いだった。活性化したマグマのように吹きだす怒りに呼応して、涙は血涙へと変わっていった。
だが、所詮は地の底で上げた怒りだ。誰かに拾われる事も無く、アンドリューの命が尽きるのと同時に終焉を迎える―――はずだった。
―――「そんなに憎いのかえ」
声が、した。
それもアンドリューの耳元で。
一切の光が差し込まない闇の中に、自分以外の誰かが居る事を彼はようやく気づいた。
「だ、誰だ!?」
「おお、おお。そんなに怯えんでくれ。何しろ、久方ぶりの人間と会えたのじゃ。こちらとしても、どうするべきかと思案しておってのう」
喋り方は老人だが、声には生気が漲っていた。甘く囁くようで同時に、底知れない圧力を感じた。
「ここは、ほれ。地の底じゃろ。普段はミミズやら虫やらしか喰えんで、随分と難儀しておったのだ。そこに来て、お主が落ちてきて受け止めたんじゃが……どうやら虫の息のようじゃな。呵々、虫が繋がってしもうたの!」
何が面白いのか、声の主は笑うと、その笑い声は空間に反響した。どうやら此処はそれなりの広さがある空間なのかもしれない。考えてみれば、光も差し込まないような深さまで落ちたのに、辛うじて生きているというのはおかしな話だ。普通なら死んでいて当然だ。
「頭から食うか、足から食うか、生きたまま食うか、死んでから食うか、色々と悩んでおったらお主が意識を取り戻してな。何やらぶつぶつと呟いておったから聞いてたのだが、誰かを憎んでいるようじゃな」
「……ああ、ニグイ」
聞き捨てならない言葉が飛び出したが、アンドリューは気にしなかった。自分の中に抱いた憎しみを誰かに聞いて欲しかった。
「ニグイ、アイツラガ、ニグイッ」
「そうかそうか。それほどまでに憎いのならば、その復讐を果たすのにお主は何を差し出せる?」
何を、と聞かれ頭の中には自分の持っている財産や領地、領民などが浮かび上がる。だが、口を突いて出た答えは、それらを上回る答えだった。
「ワダジノ、ズベテ……ゴレマデニ、デニイレダモノ、ゴレガラ、デ二バイルモノ。ズベデ、ザジダズ」
「ほう? 全てとは大きく出よったな。それもこれから手に入れるモノとは。ならば、問うが、お主が国を手に入れたのならば、国を差し出すというのか?」
「ムロン」
闇の中に潜む何かが、にたりと笑ったように思えた。
「良き返事だ。久方ぶりに邂逅した人間が、お主のような存在なのは、まさに天の配剤と言えよう。神々が儂をこの地に括りつけるために、わざわざ地下深くに伸びる寺院なんぞを作った時には辟易したが、この出会いの為なら数百年の封印なんぞ、うたた寝も同然じゃ」
「ナニヲ、イッデイル」
「気にするでない、独り言だ。さて、お主に尋ねよう。お主の憎しみ、怒り、憤怒。それは実に良き魂の咆哮だった。儂はそれにときめいてな、お主の味方になろうと決めたのじゃ」
「ミガダ?」
「そうとも。お主の復讐に力を貸そう。無論、代価は貰うがのう。お主が口にした通り、お主がこれから手に入れるであろう物を含めた全てを頂く。じゃが、その代りに其方の願いを、復讐を手伝う、その契約を結ぼうではないか」
甘い言葉だ。闇に隠れ、語りかけている存在が笑っているのか蔑んでいるのか、人間なのか悪魔なのかすら判別できない。
分かっているのは、これが最後のチャンスだという事だ。
手放せば、地の底で誰にも気づかれないまま、誰にも刻む事も出来ないまま、抱いた復讐心と共に埋まってしまうのだ。
なら、答えは一つだ。
「ケイヤクヲムズブゾ!」
「心得た、我が主、我がマスターよ。これより先は、儂は貴様の僕となり復讐を果たす日まで従属しようぞ。我が名、フシャスラの名に誓ってな!! 呵々、呵々、呵々!」
反響したせいか、笑い声は複数の物のように聞こえつつ、アンドリューは意識を失った。
『冒険王』の旅路における最大の敵として描かれたアンドリュー・モーガン。彼が地の底で契約した存在の名は何処にも記されていない。
記す事すら阻んでしまう存在。
その名は、フシャスラ。
その時はまだ、『七帝』の一角に君臨していた存在だった。
ここまで読んで頂き、本当にありがとうございます。
これにて10章の閑話は終了となります。この後の予定としては、10章終了時のステータスと人物紹介を掲載したいと思っています。更新予定は21日を予定しておりますので、少々お待ちください。




