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試行錯誤の異世界旅行記  作者: 取方右半
第10章 世界の中心
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10-59 時は動き出す 『前編』

 学術都市運営評議会学長のグラッセは視界の端に白い物を捉えた。窓の方を見やれば、雪がいつの間にか降りだしていた。通りで寒いわけだと思い、秘書のモランヌに頼んで紅茶を二つ用意してもらう。


 一つは自分、もう一つは客人用だ。


 実務一辺倒な執務室のソファに深く腰掛けるのは、『紅蓮の旅団』団長オルドだ。巨体に耐えるソファが上げる悲鳴に、心の中で応援を投げかけた。


 冒険者らしい鍛え上げた体格を黒の服で包む男はくたびれた様子だった。置かれた紅茶にも反応せず、手で顔を覆う。その憔悴ぶりを無理ないとグラッセは納得する。


 遡ること二週間ほど前、学術都市は未曽有の大事件に見舞われた。大迷宮ラビリンスと、最先端の魔法工学が研究されている土地では大抵のことが起きても驚かないが、今回ばかりはグラッセも度肝を抜かれた。


 学術都市に暮らす人々が体験したのは、神の神秘に相当する物、時間が巻き戻るという体験だった。数秒から十数分。時間が幾度となく巻き戻ってしまった。繰り返される同じ光景、無かったことにされる行動。一端は治まったかのように思えたが、時間を置いて再開された時は、原因不明の体調不良が同時に蔓延した。人々の心を削るような圧力に、あちこちで事故が起きてしまう大騒動となった。


 幸いにも死者は出なかったが、負傷者多数。いまも病院で治療を受けている市民が大勢いる。


「にわかには信じ難いことではあります。ラビリンス内で騒ぎになっていた『姿なき幽霊の呼び声ゴーストボイス』が今回の騒動の原因であり、それが13神が一柱、時を司る神クロノス様がエルドラドに来た事で起きたなどとは」


 グラッセが紅茶で唇を湿らせて呟くと、それまで無反応だったオルドも口を開いた。


「信じ難いという点に関しては同意するが、レイが報告したことは全て事実だ。それに、アンタ程の人間なら、あれが神の御業であり、神以外に起こせない神秘だってのは理解しているだろ、『繁栄の賢者』」


「……確かに、否定はできません。時を操る事が出来るのは、クロノス様ぐらいでしょう。それでも、まだ神器を手にした者の暴走なら理解できます。あの方が神器を残したという逸話を聞きませんが、それでも納得は出来ます。……よもや、神が自ら大地に降り立つとは。間違いなく、無神時代に入ってから初めてのことでしょうね」


「それも、神殺しときたもんだ。エルドラドの歴史上、初めての偉業、いや蛮行か? ともかく、時を司る神クロノスは死んだ」


「そして、へメス様の権能を持って人間として転生した。……正直、何度聞いても無茶苦茶な話ですね」


「俺もそう思う。だが、レイの話に嘘のニオイはしねえ。俺が遭遇した女の特徴からしても、あれがクロノス様だったのは間違いねえし、アイツが迷宮から連れ帰った女と同一人物なのは確認した。ついでに、力を失っている事もな」


 レイ達がラビリンスから脱出したのは四日ほど前のことである。ラビリンス中央部上層階にあるセーフティーゾーンから戻ってくるのに十日近くかかったのは、途中で迷宮の変成が起きたからだ。内部構造が変わり、オルド達から貰った内部情報が役に立たなくなり、時間をかけて上ってきたという訳だ。


 そして、レイは帰還した足で学長に会いに行き、何があったのか報告した。グラッセは自分の足元で起きた激闘に驚きを隠せず、同時にそれだけの存在が居れば時間が巻き戻るという天変動地が起きても仕方ないと納得した。


 疲労を押して報告しに来たレイを家まで送り届け、学長は今回の件について市民に対して今回の一連の騒動は魔法工学の研究区画から漏れたガスの影響による、集団幻覚だったと発表した。ガスは地下深くに染み込み、迷宮内で散布され、それが地上にまで昇って来た、と。


 何とも無理がある説明だったが、意外と市民はこれを受け入れた。受け入れた理由は魔法工学への知識不足もあったが、そもそも今回の事態が神による物という発想が浮かんでこない。それらしい理由を与えられれば、それが腑に落ちるかどうかは別としても、そういうものかと受け入れるものだった。


 もちろん、犯人扱いされた魔法工学関係者からの不満は大きかったが、治安維持を名目にごり押しをした。根回しにも金と手間を費やしたが、神の存在は一応は秘匿できた。


「もっとも、これは時間稼ぎにしかならないでしょうがね」


 グラッセが疲れた声色を出す。学長として、あちこち顔を出し、必要な書類に目を通し指示を出す毎日。体を横に出来たのは何時だったのか、覚えていないほどの激務だ。


「法王庁か?」


「ええ。彼らの教会は学術都市にもあります。すでに、公式、非公式問わずに接触を求めており、今回の事態が誰の手により起きたのか知りたがっています」


「公式発表じゃ、納得しなかったわけだな」


「そうでしょうね。彼らはなまじ、神の奇跡について知識があります。それこそ学術都市以上に詳しいはず。そんな専門家からすれば、今回の事態がクロノス様の御業だと気づくのも時間の問題でしょう。それこそ今頃、聖都ではどうするかの会議が開かれているはず」


 そう言って、グラッセは再び窓の向こうを見た。灰色雲が伸びていく向うは、北東の空だ。そこに聖都はある。







 グラッセの推測は当たっていた。


 学術都市より北東の地にある、中央大陸北方に位置する聖都は冬の時期になれば常に雪で覆われている。荘厳なる白き都が、分厚い雪の中に沈み込むのも風物詩だった。


 そのため、どの室内も魔法工学の道具によって一定以上に温められ、防寒設備は整っていた。


 祈りを上げる信徒たちや、勉学に励む神聖騎士団見習の生徒たちとは別に、にわかに殺気立っている空間があった。


 聖都の中央に位置する、大聖堂。その一角は法王庁の各部門長と枢機卿、そして法王が集まり討論する場所であった。


 議題はその時々に変わり、人魔戦役の始まりにおいて魔人種を信仰の敵と認定するのか議論された場所だった。


 そして今回、議論の対象となっているのはもちろん学術都市で起きた現象についてだった。


「ええい、貴様等の目は節穴か! この報告書を記した神官は、己の信仰心に偽りなくと宣誓した上で明言しているのだ。時間が巻き戻る感覚を何度も味わった、まさしく神の御業であると。これはクロノス神の逸話を纏めた書物と一致する記述だ。ゆえに、あの地にクロノス神が降臨なされたのは間違いあるまい!」


「笑止! たかが一神官風情の信仰心が何だ。そのような物が証拠になるはずが無かろう。大体、貴様が根拠とするその書物は、五百年前の宗教論争において偽書と認定された物ではないか。今更、そのような物を取り出して高説を並べ立てるとは、ここを何処だと心得る!」


「これを偽書と認定したのは、貴様等の宗派だけだ。我が宗派では、これ間違いなく本物だと認定されておるわ! そも、魔法工学により生成されたガスによる集団幻覚などという学長の言葉を信じるのか?」


「貴様の根拠のない説よりかは、よほど信頼できると思うが」


 紛糾する議場。激しく言い合う二人の枢機卿と、彼らの取り巻きたちは舌戦鋭く言い争いを続けていた。


 これには理由があった。いま、この議場には大きく分けて二つの立場があった。片方は13神が降臨したのなら速やかに接触し取り込みたい派閥。もう片方は、13神が降臨する事はあり得ず、今回の騒動は神とは無関係だとしたい派閥だ。他にも色々な思惑が渦巻いているが、大きく分ければこの二つであり、どちらが優勢かと言われれば後者だった。


 法王庁が13神を信奉する宗教機関である以上、神の御業としか思えない事態を確認すれば、それを13神の降臨だと考えて行動するかと思われるが、実際は違う。


『冒険王』の仲間が作った法王庁という組織は、無神時代が始まるよりも前にあった13神の教えを、収集して再編した組織だ。神の残した言葉を、自分たちの都合のよい解釈をして広めていったのだ。


 神の言葉が一つでも受け取る側が百人いれば百通りの解釈があり、千人いれば千通りの解釈が発生する。この解釈の違いは宗派の違いとなり、統合や分裂、消滅を繰り返していた。


 この議場において、神の降臨があり得ないと声高に主張する一派は、神の教えを自分たちの都合に歪めてきた宗派である。今更本当の神に登場され、自分たちの行いを暴かれる訳にはいかない。逆に、神が降臨したと必死に主張する一派は、宗派としての規模が小さく、法王庁内部での順位も三番手、四番手に属している。巻き返すには、神を味方に付け、自分たちの解釈が正しかったとお墨付きを得るしかなかった。


 それ以外の者達も、厳粛そうに構えているが内心は似たり寄ったりだ。神がエルドラドに降臨したという事よりも今回の出来事を利用して、いかに自派の権力を増大させ、他派の力を削るか思案している。


 法王庁とはトップに行けば行くほど、信仰心の高さよりも政治家としての手腕が優れているかどうかで生き残れるか決まっていく。


 その中で最高位に位置する法王が、政治的に優れているかというと、実の所そういう訳ではない。


「諸君、静粛にしたまえ」


 幼くも良く通る声に、ヒートアップしていた枢機卿らは口を噤んだ。


 声を発したのは、円卓の上座に座っている少女だった。椅子に座れば足は床に届かない、幼い少女だったが、薄く微笑みを湛える姿は威厳があり、尊大な口調と合っていた。まるで幼い見た目が入れ物で、中身は成熟した魂のような印象を与える。


 彼女こそ、第百十三代法王フランチェスカ・ブルクアイ。


 僅か六歳で法王に就任し、そして自身のカリスマ性を武器に居並ぶ枢機卿と、そしてエルドラドに存在する信徒たちを束ねた、紛れも無い怪物だ。


「ここは神の御前である。我ら、神の僕がこうも騒がしければ、遥かな高みから見下ろされている神々も失望するというもの。議論が白熱するのは結構だが、論点がずれているではないか」


「論点、ですか。法王猊下」


「そうだとも。重要なのは学術都市でクロノス様が降臨され神の御業が行われたかどうかよりも、その後はどうなっているかだ。かような事態が起き、民草の心は乱れたであろう。再び起きるのではないかと眠れない日々が続いているはずだ。報告書によれば二週間前に発生して以来、現時点で同じ現象は起きていない。敬虔なる信徒ならば、これをどう解釈するかね」


 自分の娘どころか、孫ほど年の離れた少女に上から言われているというのに、問われた枢機卿は真剣に考え答えを出した。


「やはりクロノス様が天上へと戻られたのではないでしょうか。これまでの降臨伝説においても、神が地上に居られた時間は限られております。長居すれば世界に対する強い影響を与えかねません。それを懸念して、戻られたと思われます」


「ふむ。それも一つの意見だ。他に意見はあるかね?」


 まるで教師のように発言を求める法王に、居並ぶ男たちは次々に自分の考えを伝えていく。ある者は、神がまだ地上には居るが神の御業を観測できない場所に移動したのではないかと発言し、ある者はやはりこれは神と関係の無い出来事ゆえに再発していないだけだと持論を展開した。


 ひとしきり聞いた法王は満足そうに頷くと、


「諸君らの鋭い洞察は見事な物だ。さすがは、この円卓に座るだけのことはある。だが、そんな君等をもってしても、唯一無二の真実にたどり着いたと断言できるものは居ない。いま、学術都市で何が起き、何が潜んでいるのか。それを知るだけの情報が不足しているのではないか」


「それは……残念ながら仕方ありません。学術都市は成り立ちからしてギルドの影響力が強く、我々の情報機関を秘密裏に設置するのは互いの信頼関係を損ねる可能性から見送られてきました。あそこで起きる事件に我らは手出しできずいます」


「ならば、正面から調べようではないか」


「正面からと、仰いますと?」


「法王庁は神秘の蒐集を行動理念の一つにしている。今回の事態は正にそれだ。学術都市において神の御業が起きた可能性が高く、仮に事実であるならば類する情報、物証は全て法王庁の管理下になければならない―――という口実を使い堂々と調査隊を編制するのだよ。そして、怯える民に堂々と宣言すればよい。もう安心して欲しい、このような事態は二度と起きない、と。」


 法王の言葉に枢機卿らの目の色が変わる。


 調査隊がどれだけの規模になるかは不明だが、学術都市に法王庁専属の情報機関を送りこめる絶好の機会だ。学術都市は進んだ魔法工学の研究のみならず、その重要性から各国の情報が集まりやすい場所でもある。そこに割り込む事は法王庁にとって、ひいては自分にも利益があることだった。


 この密室で、決め手となる証拠も無しに主張だけを言い合っていても特になる事は無い。そう判断した枢機卿らは作り笑いを貼りつけた。


「なるほど、それは素晴らしい。では、早速調査隊を編制しましょう」


「まず先行隊として少数精鋭で向かわせてはどうでしょうか。各部門、二名ずつを選出し、学術都市との折衝を行うのは」


「それで良いでしょう。人員の選定は私が」


「いやいや、そこは私の部下に」「待て待て。ここは公平に決めようではないか」


 地面に落ちた砂糖に群がる蟻のように、ころっと態度を変えた大人たちをフランチェスカは冷めた瞳で見つめる。


 幼女とは思えない硝子のような瞳は、ついっと横を向いた。背後で控えていた少女が音も無く近寄った。


「悪いが、調査隊には其方も同道してもらおう。妾の目となり耳となり、何があったのか伝えて欲しい。出来るか―――アイナ?」


「……全ては法王猊下の御心の儘に」


 そう言って顔を上げた女性の瞳は、黒く虚ろな穴のようだった。








「法王庁が何らかの反応を示し、行動に移るまでは時間がかかるだろうな。あそこは組織としてデカく、あちこちが硬直している。物事がすんなりと決まる事が珍しいだろう」


 オルドの言葉にグラッセは違いないと同意した。


「それにこの雪ですからね。法王庁が人を送り込むとしても、年が明けるまでは難しいとみて間違いないでしょう」


「そうだな。だからこそ、今はこっちの問題を片付けなくちゃな」


 オルドの言葉にグラッセは再び頷いた。彼らは共に、黒を基調とした衣服を身に着けていた。それはまるで、死者との別れをするための喪服のような出で立ちだった。


 いや、ような、では無かった。彼らの出で立ちは喪服だ。グラッセは幾度目になるか分からない溜息と共に、頭を悩ませている問題を吐き出した。


「S級冒険者が一人にして、ギルド冒険者部門統括長オーギュスター殿が……よもや自殺するとは」


読んでくださって、ありがとうございます。

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