10-52 神の願い
「はぁぁぁぁー」
キョウコツは何度目になるのか分からない溜息を吐いた。すると、自分の体を間借りしているカタリナが不思議そうに尋ねた。
『随分と湿った溜息を吐くね。何か嫌な事でもあったのかい?』
「……元凶が聞きますか、それ」
『心外だね。これでも君の上役として、きちんと務めを果たす度量くらいはあるよ。部下の心と体を労わるぐらい、造作も無いことさ』
「……はぁぁぁぁー」
これまた何度目になるのか分からない溜息。その原因は、キョウコツの置かれた状況にある。元々は帝国皇族の汚れ役を率いる一族だった彼女は、父親であり一族のまとめ役を失った事で急遽頭領代行に祭り上げられた。男尊女卑の傾向が強い帝国において、女の頭領は認められず、弟が独り立ちするまでの腰かけ。あるいは空いた席を埋めるだけの置物だったのは明白だ。それでも自分なりに一族を纏めようと奔走し、与えられた命令を完ぺきにこなそうとした。
その結果がこれだ。
レティ誘拐に失敗し、一族の実働部隊は半数以上失われてしまった。おめおめと戻れば、失敗の責を取らされ、よくて斬首、悪ければ恥辱の限りを尽くされた後に処刑。我が身可愛さに、拾い上げてくれた変人博士に身を寄せれば、その正体は悪名高き六将軍が一人。人間からも魔人種からも憎まれているカタリナ・マールム。安全地帯所か、魔法が雨あられと落ちてくる戦場に放り込まれたような気分だった。
カタリナの命令で、再会したレイ達の監視をしていれば、迷宮で遭遇したのは時を司る神クロノス。どうして13神が地上にいて、それもあんな狂気に染まっているのかキョウコツには理解できないが、彼女がレイに固執して、それ以外を排除するのに毛ほどの抵抗感を抱いていないのは間違いない。
攻撃は通じないわ、魔法は無力化されるわ、精霊が飛び出してくるわ、熱戦が空間を削ぐわの大乱闘。極めつけはクロノスが見せた時戻しの権能。
伝説のはるか向こう側に消えたような戦いを、キョウコツは近くで観戦させられていた。顔や耳や体内に侵食している影に逆らう事は出来なかった。
生きた心地はしなかった。クロノスもおっかないが、レイ達も恐ろしかった。超常の存在であるクロノスよりも、人間の領域から化け物の領域に半歩足を踏み入れているリザ達の方が、強さや凄さを理解しやすかったという面もある。
もしも、民間人が居る船で襲撃しなかったら、あの猛威が自分たちに向いていたのかと考えると、生きた心地はしない。
そんなリザ達ですら敗北したクロノスは、キョウコツにとって理外の存在。命が惜しければ逃げるべき相手だ。普通なら、多くの人間はそうすると彼女は確信していた。
人間の本質は、自分が生き残る事。誰かの為に、何かの為に、そんな耳障りの良い言葉を口にした奴ほど、土壇場で生き汚い本性を曝け出す。
恋人を売って生き残るとする奴。親を代わりに差し出した子。子を金に変えて命を繋いだ親。そんな奴を幾らでも見てきた。
なのに、リザ達はレイを見捨てなかった。奴隷契約を結んでいるからとか、逃げ道を封じられていたとか、そんなのとは関係なしに、彼女らは仲間を見捨てず、文字通り最後の一人になるまで戦い抜いていた。
目にした光景に心打たれ、変心した、などという事は無い。キョウコツにとって、彼女らの行動理由も理外の範囲の事だ。
今もこうして、作戦を話して合っているレイ達の事を、正気なのかと疑いの目を向けているぐらいだ。
そして、これから再び幕が上がる戦いを、最前列で観戦しなくてはいけない自分に溜息が止まらなかった。
「影を別の存在に張り付ける事が出来るなら、私が直接出向かなくても良かったのでは?」
少しの間だが、遠く離れた水晶に影を貼りつけ、レイ達と何やら会話していた事を指摘するとカタリナは、
『出来るけど、難しんだよ。ワタシの影は出現する起点を中心に拡大縮小しか出来ない。この起点ってのが、自分の見えている範囲でしか作れないんだよ。遠い所に出現させるには、そこまでの間に幾つもの影を作って、眼球を移動させながらじゃないと無理なんだよね。だから、生きた人間に張りつけて、動いてもらうのが便利なんだよ』
あっさりと、自分の力の秘密を明かした。こうも簡単に喋るのは、大した秘密ではないのか、真実ではないのか、あるいは話した所で自分の優位性は揺らがないと理解しているのか。
最後だろうなと予想したキョウコツにカタリナは続けた。
『でもまあ、ここまで来たら君の御役目は御免だね』
「……え?」
『だから、ここまで来たからキョウちゃんの役目は終了って事よ。あとはその辺に影を展開しておけば、事は足りるからね。もう帰って来ても良いよ』
「……よろしい、のですか」
『おつかれー。ごくろうさま、ボーナスは期待してちょーだい』
これまたあっさりと解放されてしまう。自身の中にまで伸びていた影が、引き潮のようにスーッと無くなっていくのを感じていた。そして、キョウコツの足元に転移用の影が出現した。
『これに潜れば、研究所に到着だよ。帰ったら、夕食の準備を始めてね。今日は、お魚が食べたい気分だね』
声の調子からカタリナの機嫌は良いと判断できる。おそらく、此処までの流れが彼女にとって理想的か、あるいは有意だったのだろう。影に飛び込んで帰還しても、怒りを買うようなことはあるまい。このままクロノスとの戦いが再開すれば、ここは激しい戦場になる。今度こそ、巻き込まれ死ぬかもしれない。
キョウコツにとって、大切なのは自分の命。折角拾った命を、こんな形で捨てるのは本意ではない。
―――ただ。
「……申し訳ありません。此処に残らせてはもらえませんか」
口からするりと出た言葉は、彼女の哲学とは真逆だった。
『……へぇ。なに、レイ君たちの戦いを見ていきたいのかい? 言っておくけど、君が乱入する余地なんて無いよ。それに、ワタシが守ると思ったら大間違いだよ。君が死んでも、一度死を悼んだら、次の瞬間には忘れてるよ』
それどころか死を悼む事すら、怪しい物だ。だが、キョウコツは重ねて頼んだ。
「それでも構いません。最後まで、目撃させてください」
『ふーん。まあ、好きにすればいいよ。観客は、多い方が盛り上がる。それにしても、意外な答えだけど、急にどうしたんだい。残るなんて、君らしくない』
その通りだ。この選択はキョウコツらしくない。
ただ、気になるのだ。
「……この先、あんな狂った神が生きているのか死んでいるのか不安に思いながら生きていくよりも、死んだのなら死んだ場面をしっかりと見ておいた方が精神的に楽だと思っただけです」
これは嘘だ。カタリナも見抜いているのか、詰まらなそうに相槌を打つ。
ただ、気になるのだ。13神の一角相手に挑み、勝とうとする彼らの結末に。同じ世界に生きる人間として。勝つにしても、負けるにしても、誰かが見届けなければいけない。魔人カタリナだけでなく、同じ人間として、誰かが。
ふと気づけば、遠くの方で準備を終えたレイが手招きをしている。キョウコツは面倒だと言わんばかりに立ち上がると、水晶の草を踏み潰しながら近づいていった。
「先に言っておくが、私に期待なぞするなよ。私はあくまで観戦者。貴様等が死のうが生きようが、とんと興味は無い」
「来て早々、偉そうに言うわね、この女」
「主殿。目障りですから始末しましょうか?」
呼ばれてきたキョウコツが腕組みをしつつ宣言したことに、シアラとヨシツネが即座に反応した。額に青筋を浮かべる二人を取り成しながら、レイは用件を伝えた。
「まあまあ、落ち着いてくれ。それとキョウコツ。君に助力は期待してないよ。素の戦闘力だとヨシツネ以下だろ。それに僕らと連携も取れない。そんなのを今更仲間にしても意味がないよ。それより、カタリナさん。クロノスを此処に出現させてほしい」
迷宮一階でレイ達と交戦したクロノスは、カタリナの影に囚われたままだ。レイは彼女に開放を頼んだ。
『そいつは構わないが、ここで戦うのかい』
「はい。ここならセーフティーゾーン。モンスターが出現しません。それに、他の冒険者も居ません。余計な邪魔が入らない場所です」
レイ達は念入りに作戦会議をしたのだろう。水晶の森が戦いやすく整地されていた。地の利はレイ達にある。
『結構。ただ、老婆心ながら忠告しておこう。現在、クロノスの神気は強まっている。今もなお、ね』
「どういう意味かしら?」
『コウエンちゃんとの戦いさ。あの時、赤龍の魂の残滓を持つコウエンちゃんに押され、彼女は幾つかの権能を使えなかった。特に大きな時戻しを発動できないでいた。ところが、死の危険を感じ取って、彼女は殻を破った。傾いていた場を自分に引き寄せ、時戻しに成功した。もっとも戻し過ぎてしまったけどね』
「だから貴様にちゃんづけなど……まあよい。そこの覗き魔と同意見じゃ。クロノス様は氏の危険を感じ取り、さらに力を取り戻していた」
『君たちが思っているよりも、クロノスの影響範囲は広がっている。正直な所、残り時間はそれほどあるとは言えないよ。ワタシの影に居る限り、世界の法則は乱れず、軋む事は無い。それでも戦うのかい?』
カタリナの確認にレイは一瞬目をつぶると、自分の意思を確かめる。そして、目を開けた時には覚悟の決まった様子で頷いた。
『結構。それじゃ、クロノスを解放しよう。確認だけど、ワタシやキョウちゃんの援護は期待しないでくれよ』
「分かってるわよ。むしろ、余計な事をしないでちょうだい」
『くははは。嫌われてるね。それじゃ、キョウちゃん。端っこに移動してくれる。此処じゃ、巻き添えを喰らうよ』
そう言われたキョウコツは来た道を引き返し、さらに奥へと移動した。壁を背にしゃがみ込むと、レイの合図があった。
それをキョウコツを介して研究所で受け取ったカタリナは、影の起点を設定する。
レイ達の前方にある、水晶の草むらに黒い点が浮かび上がると、それは一気に広がった。まるで太陽を遮る球体でもあるかのような丸い影から、青い色が浮かび上がってくる。
足元まで伸びた透明感のある青い髪に、陶磁のような滑らかで艶やかな白い肌。何より、あふれ出る神気にレイ達は圧倒される。
精神を保護するポーションやアイテム、そしてコウエンや《ハヅミ》らが揃っていても、神気は圧倒的だ。
影が消え去ると、残ったのは水晶の草むらに立ち尽くす、クロノス一人だ。
衣服としてトーガを纏っているが、足元は素足だ。触れれば砕けるほど脆い水晶だが、先端や割れた面は鋭い。下手に触れれば血が溢れるような場所でも、クロノスに傷は無い。
神の守りは、健在なり。
「レイ、レイ、レイ」
形の良い唇から零れるのはレイの名前。顔を伏せているから判別つかないが、やはり正常な状態とは程遠い。もしかすると、という期待が泡と散ったレイだったが、続けて発せられた言葉に驚く。
「……玲様」
耳朶に飛び込んだ呼ばれ方に、呼吸を忘れてしまう。
レイがクロノスを凝視する中、クロノスがゆっくりと顔を上げた。どんな言葉でも形容できない美しい相貌は涙の筋で汚れていた。青い瞳からは決壊したように涙がとめどなく溢れていく。そんなクロノスが、レイを見て、そして視線が横に滑っていく。
「玲様、エリザベート様、レティシア様、シアラ様、エトネ様、ヨシツネ様。ああ、皆さん、本当に、本当に、本当に申し訳、ありません」
「あたしたちの名前まで? もしかしてクロノス様、正気に戻ったの!?」
「そうなのか、クロノス!」
呼びかけにクロノスは嗚咽で返す。袖で拭っても、涙は落ち、水晶の草が弾いていく。
「謝っても、謝っても、謝り尽くしても、足りません。私が、した事は、それだけ、惨い事です。あんな、あんなことを、私が。13神である、私がしたなどと、思いたくありません。ですが、事実です」
「いいえ。あれは本当の貴方様の意思ではありません。何者かによる仕業に違いありません。ですから、貴女様が責任を感じる事は無いのです!」
「そうだよ、です! クロノスさまは、わるくない!」
非道な目に遭ったというのに、クロノスを擁護するリザとエトネ。クロノスは、そんな二人に対する申し訳なさで、さらに涙が止まらなかった。
「いいえ。いくら、どんな事情があっても、私は神です。それなのに、今日まで、奴に、騙されていて、そしてこんな事になるなんて」
「奴? 奴とは、誰の事ですか。もしかして、『正体不明』や『黒幕』の事ですか?」
「その、通りです。私は、奴に会いました。崩壊する観測所から撤退して、座に戻り、貴方のと、思っていた肉体は無くて、動揺していると、背後に現れました」
嗚咽まじりの言葉に苦悶が顔を覗かせる。自然と空気が変わりつつあるのに気づいたレイ達は、いつで
も動けるように身構えた。
「奴は、13神の中に紛れ、こんでいました。人の認識と、記憶を操り……いったい、いつから? どこまで、本当の記憶なの。分からない……分からないわ」
「その人物の顔や、情報は無いのですか」
「……ごめんなさい。思い出そうとしても、無理なの。暗闇の中で、発狂した私の隙を突いて、こうやって主導権を奪えたけど、それも限界が近いの」
「……面妖な。それではまるで、今までのがクロノス殿とは別の存在のように聞こえるでござる」
「奴は、私の記憶を、燃やした。空っぽの私を地上に、落そうとしたの。でも、私は自分に、時間逆行をして、防ごうとした。二つの力がぶつかって、残ったのは玲様の事だけ。その記憶に縋る、人格が誕生、したの」
「成程ね。何一つ覚えていないから、あれだけ主様に固執していたわけ。それじゃ、今の貴女は? 記憶が戻ったのですか」
「いまの、私は、神としての力が、強まった事で、一時的に記憶を取り戻しているだけ。直に、記憶消去が始まり、あちらの私が表に出る。そのまえに、伝えるべき事を伝えるために、此処に居るの。13神の、中に、貴方を此処に送り込んだ、『黒幕』が居るわ。でも、それが誰なのか、私には、分からない。多分、他の神も、同じ。だけど、この世界に、神を殺そうとする者が、居るわ。そいつによって、神々の観測所は、破壊されたの。もしかしたら、そいつは、何かを知っているかも、しれないわ」
敵の敵は味方、とすんなり受け入れられるわけではない。ただ、他に手掛かりになる事は無い。何より、神々の観測所が破壊されたというのは大きな収穫だった。神による監視が無くなれば、こちらがどう動いても『黒幕』に察知される確率は下がった。
苦しそうな表情をするクロノスは、涙で濡れた瞳でレイを真っ直ぐに見つめた。
「お願い、玲様。私を……『殺して、ください』」
その一言は、レイの体を貫く。同時に、神の声が頭に響いた。
「『貴方の刀なら、私の命を、貫けます。これ以上、醜態を晒す前に、貴方の手で、私を』」
「……それ以外、道は無いんですか」
「レイ様、それは!」
「『……ありません。このまま行けば、私が世界を終らせてしまいます。それは、世界救済を諦めた身とはいえ、許し難い行為です。なにより、皆さんを、あのような目に遭わせた、私を、私が許せません』」
クロノスは袖口で顔を拭った。そこに現れたのは、涙と悔恨に浸る弱い女性では無かった。神々しく、堂々とした神の姿があった。
「『私は、責を取らなければなりません。皆さんにした事も、ここに来てからした事も、そして神でありながら、何もかも黒幕の手のひらで踊っていた事も』」
だから、と彼女は続けた。
「『だから、私を……殺してください、玲様』」
途端、空気が異質化する。緑色の水晶たちは、彼女の発する神気に染まるかのように青色に輝きだした。青い瞳に映る狂気は、ある意味見慣れた物だ。
「『ああ、ああ、あああ! やっと会えた。レイ、レイ、レイ。貴方がレイね! まだ、邪魔な害虫が……早く、駆除しなくちゃ。そう、それが一番なのよ』」
「……記憶が消えている。そうか、記憶消去で、さっきまでの記憶も」
「ワタシ達を認識しているという事は、幾らか残っているようだけど……その分惨い事になっているわね」
クロノスの時間逆行と、『黒幕』の記憶消去。二つの力がせめぎ合い、頭の中で消滅と再生が繰り返されるというのはどれ程の地獄なのか。狂ったような笑みを浮かべるクロノスに、レイは静かに告げた。
「時の神、クロノス。いま、貴女に安らぎの時を与えます」
そして、自分の中に宿る新たな力を解放した。
「《漆黒よりもなお昏き影よ、我と共に起て》!」
瞬間、左目の下を走る傷口が疼いた。
読んで下さって、ありがとうございます。
申し訳ありません。急用が入ってしまい、投稿を一回飛ばさせてもらいます。
次回更新は27日を予定しております。




