1-6 ネーデ散策 『前編』
※7/23 空行と一部訂正。
気が付くとすでに朝日は昇り、太陽の輝きが部屋を照らす。
開け放たれた窓から景気の良い呼び込む声が飛び込んでくる。
うっすらと目を開けると同室の先客の姿は無く申し訳程度に整えられた空のベッドが視界に入る。
(寝て起きたら、夢でした……とはならないか)
心の片隅に抱いていた淡い希望は露と消える。痛む節々が一層、この世界が現実であると訴えてくる。
一晩寝たぐらいでは心も体も回復していない。
軋む薄いベッドから起き上がり、体をチェックする。せめて顔を洗いたいと思った。土や泥が服の至る所にこびりつき、乾いた汗が肌に張り付くようだった。それにお腹がすいて、腹がぐう、と鳴る。考えてみると夜に何も食べずに寝ていた。お金もあるし異世界料理を食べてみようと思った。
所持品も盗られていないか確認してから部屋を出た。
廊下に出ると3階は人気が無い。夜に聞こえたイビキの合唱が嘘のように静かだった。代わりに階下から活気に満ちた人々の音が響く。つられるように足を階下に向ける。
2階にたどり着いた途端、熱気に当てられた錯覚に陥る。どうやらここは多目的ホールのような物らしい。設置されたテーブルに地図を広げ何かを検討する冒険者風の男達や、棚から資料を引っ張り出している人、柔らかいソファに座り朝飯を食べながら談笑するグループなど様々な人たちで溢れていた。
その人ごみをすり抜け1階へと向かう。
1階もまた混雑していた。夜とは打って変わり、どの窓口にも職員が立って忙しなく冒険者達を捌いていく。その中にアイナさんの姿もある。
彼女はいま、鎧を着こんだスリムなクマと声を交わしている。
そこで気が付いた。あからさまに人間じゃ無い人達が人だかりの中に居る。耳とは別に犬耳を生やした男性や、二足歩行の爬虫類のような人? も居た。
(誰も驚いていないところを見るとこれが当たり前なんだな)
よくよく思い出すと、二階のホールにも人じゃ無さそうな人もいた。現にカウンターの内側にも猫のような顔立ちの女性が事務仕事に追われている。
そうやって興味本位で眺めていたが、どうやら人の流れはしばらく途切れなさそうだ。忙しそうなアイナさんに声をかけるのは諦めて僕はギルドを出た。
日差しは穏やかで、気候もさほど暑くない。昨日の夜の森も寒いと言うよりは涼しかった。今の季節が春なのか、気温の差が少ない地方なのかもしれない。
外は夜と違い、大通りは人だかりで埋め尽くされる。どこかから、食欲をそそる匂いも漂ってくる。
ぐるりと見渡すと、この大通りは商店街のような所だった。分かりやすいシンボルとして食器や武器、防具などのマークを軒先に掲げている。
その中の食器を掲げる店に近づく。看板にオルゴン亭と書かれている。外から中を覗くかぎり、テーブルに空きはありそうだ。僕は店に入った。
「いらっしゃい。ってちょいとアンタ!」
入ってすぐ、女将さんらしき人に止められた。恰幅のいいその人は、愛想の良い笑顔から一転して、眦を吊り上げて僕の足元を睨む。
「泥ぐらい落としてくれないか。店が汚れちまうだろ。ほら、これ」
怒りつつ店の片隅に置かれた鉄の器具を渡され、外に追い出された。
「まったく。冒険者ってやつはいつも汚れた格好でずかずかと入り込んできて」
ぶつくさと文句が背中から聞こえたがどうやら入店自体は大丈夫そうだ。
とにかく足元の泥を、器具を使いはがしていく。綺麗になった足元を確認し再び店の中に入り、借りた器具を元の位置に置く。
「好きな所に座りな」
言われて、入り口から遠く壁沿いの席を選んだ。周りに人も居なく、目立ちにくい。
「今の時間ならモーニングが安いよ。こっちがメニューさ」
「それじゃ、モーニングで」
差し出された水だけ頂き、メニューは見ないで決めた。とにかく腹に何か入れないと倒れそうだ。もっとも相場を知るためにメニューぐらいは見ておくべきだったと後から思った。
水をちびちびと飲みながら店内を見渡す。
木造でできた店はおそらく夜になったら酒場としての顔を出すのだろう。バーカウンターや大人数が座れるテーブル、二階席など随分手広くやっている。
今の時間帯から酒を飲んでいる人はいない。僕と同じように朝食をとっている人たちで席が埋まる。ギルドと違い冒険者よりも商人風の人たちが目立つ。
「はい、お待ち。モーニング15ガルスさ」
女将がテーブルに大皿とマグカップを置きつつ手のひらをこちらに見せる。ポケットから金貨を1枚取り出し、女将に渡した。
女将は受け取った金貨を見て、面倒くさそうにため息をついた。
「100ガルスかい。85ガルスの返しだね」
言うと女将はカウンターに戻り、金貨をしまうと代わりの貨幣を掴み戻ってくる。
「ほら、釣りだよ」
差し出した手のひらに八枚の銀貨と五枚の銅貨が渡される。どうやらこの世界では銅貨が一番価値が低く、十枚あると銀貨一枚と、その銀貨が10枚あると金貨一枚と同価値のよう。受け取った硬貨をポケットにしまい、食事に取り掛かった。
安食堂とタカを括っていたが、目の前の皿には黒パンやサラダ、卵を何かの肉
と混ぜて焼いたスクランブル風エッグに薄い色のスープに野菜がゴロリと入っていた。種類はともかくそれなりに量はある。
「頂きます」
言って、僕は黒パンを齧る。思ったよりも固い。噛み切れない訳ではないが、噛んでもいつまで口の中に残る。マグカップに入ったスープを一口飲みパンを押し込んだ。この黒パンはちぎってスープでふやかそう。サラダを口に放り込むと、爽やかな酸味が食欲を引き出す。何のドレッシングがかかっているか今一つ分からないが美味しい。野菜自体もドクダミのような見た目でレタスに近い味がする。最後に残ったスクランブルエッグに取り掛かる。日本の卵より濃厚なそれは、砂糖のような人工的な甘さがいらず、混ぜられた肉の油を受け止めている。
気づけばフォークを動かす手は止まらず、瞬く間に全てを食べきってしまう。
「おや、あんた。良い食いっぷりだね。見ていて気持ちが良いよ」
通りかかった女将が嬉しそうに空の皿を覗く。ポケットから先程もらったお釣りを掴み女将に差し出した。
「お代わり!」
「あいよ!」
10分も経たぬうちに僕は2度目の朝食を食べ終わり、水を飲みつつ頭の中で計算を始めた。残りの所持金は4970ガルス。仮に日に3食取ったとして単純計算で45ガルス。それを念のために倍として計算し90ガルス前後かかるとする。その場合、55日程は食費に困らないことになる。
しかしだ、今の僕の手持ちは剣が1本。着の身着のままだ。仮に冒険者をするとしたら、装備を整える初期投資が幾らか必要になる。そうなると、手持ちの資金を減らすことになる。いつまでもギルドの3階に間借する訳にもいかない。ちゃんとした住居が欲しい。とすると何らかの方法で稼ぐしかない。冒険者の稼ぎ方はやはり、モンスター退治か?
むしろ考え方を変えるべきじゃないか? 一応、身分証と換金の手続きの関係で冒険者になったが、正直冒険者は自分に向いていないと思う。技能は戦闘向きだが、能力値が低すぎる。実際、手も足も出なかったフュージョンスライムクラスを倒して、やっと食費2か月分はリスクが高いように思う。
だとすると、手持ちの金は大事に取っておいて、別の職種を選ぶべきじゃないだろうか?
水を飲み干すと、近くでテーブルを掃除している女将さんに声を掛けた。
「この辺りで職を探している?」
「はい、何かありませんか?」
「うーん。この街だと厳しいね。なんせ迷宮が近くにあるせいでこのネーデに職人や商人ギルドの支部は置かれていないからね。誰かの口入れでもないと……飛び入りは、難しいね」
駄目だった。
なるほど身元がはっきりしないと職に就けないとは異世界も世知辛い。とするとやはり冒険者か。
「それじゃ、この辺で鎧とか道具を安く手には入れるお店は知りませんか?」
「そりゃ、この街はあちこちにそういう店はあるけど、新人向きってなったら……うーん。ちょっと分からないね。とりあえず、気になった店に飛び込んでみて、手が出ないなら引き上げてみることだね」
「ははは。そうですね。それじゃ、御馳走様です」
乾いた笑みを浮かべながら、僕はオルゴン亭を後にする。
店を出た後、ブラブラと通りをうろつきながら、防具屋を見て回った。
どこも熱心に勧めてくるが、正直予算が足りない。一体、他の新人冒険者たちはどうやって装備を整えるんだ?
4軒目にてその情報を掴んだ。どうやらこの近くに新人冒険者御用達のお店があるそうだ。見た目が牛の店主に礼を言い、言われた店へと向かう。
「……此処かな?」
街の東のブロックにある、その店の前に辿りついた。確かに看板に新人御用達とでかでかと書いてある。
店を外から覗くが、暗く、中の様子が分からない。とにかく入ってみることにする。
中に入ると奥から熱気と、鉄を打つ音が聞こえてくる。店は流行っている様子ではなく客もおらず人気は無い。しかし、無造作に置かれた鎧や盾は新品のような輝きを放つ。僕に目利きの才能は無いが悪い店ではないようだ。
「いらっしゃい」
店の奥から厳格な声が飛んでくる。見ると僕より小さいが、ずんぐりとした分厚い体型の老人がエプロンをかけたまま店の奥から現れた。
「……新人か?」
「はい。そうです。鎧とあと下に着こめる服が欲しいです」
「ふん。……ちょっとそこに立ってみろ」
言われて、老人の前に立つ。真っ白な髪や髭は地面に着くほどに伸び、腕などは分厚い筋肉をのぞかせる。
「ドワーフが珍しいか」
僕の視線が気に触ったのか、低い声で言われた。
「すいません。田舎から出てきたので、気に障ったら本当にすいません」
反射で謝りながら、なるほど、ドワーフかと納得する。
鼻を鳴らしながら、ドワーフは籠を手にして陳列棚に向かう。
「こいつと……こいつと……こりゃ重いな」
棚に置かれた鎧をブツクサと呟きながらも手早くつめていく。数分もしないうちに戻ってきた店主はまず僕に薄手の服を差し出した。
「防具の下にこの上下を着こみな。防刃性がある。普段着にも使えるぞ」
渡された黒のインナーは確かに不思議な手触りだ。さらに軽く、丈夫そうだ。
「あっちが試着室だ」
顎で示された小部屋に入り、着慣れたが、いまではサイズの大きいシャツとズボンを脱ぐ。忘れずにポケットから硬貨を抜いておく。代わりに黒い上下のインナーを着こむ。少し丈が余るが、確かに軽い。
「着替えたか。……サイズが余るな。《超短文・初級・寸法変更》」
カーテンを開けて店主に見せると、節くれだった指をこちらに向けると魔法を放った。すると手足がすこしはみ出ていたインナーが縮み、ピタリと体に張りつく。
ドワーフが魔法を放った。映画やゲームで斧を片手に暴れるイメージがひっくり返った。
「最近の冒険者は、厚着はいやとか着込むと重いとか言いおって昔からの格好を軽んじとる。ふん、少しでも着込んで防御を上げるのは基本じゃ」
少し怒りながら店主は次に鎧を一式僕の足元に置く。
「アーマーじゃ。軽い金属でできておる。胸当て、肩に前腕。下は膝からすねまでの下腿と最低限の部位しか守れん。じゃが、主のステータスじゃとこれ以上重いのは動けなくなる」
解説しながらドワーフは足元から防具を着けていくので、僕は上から着込んでいく。
「どうやって僕のステータスを知ったんですか?」
「見ればわかる。……よし。これで下は終わりじゃ。上は……うむ。ではちょっと屈め。《超短文・初級・寸法変更》」
再び魔法をかけられると、少し隙間の空いていた鎧が縮み隙間を無くす。軽く動くと確かに全身を守っているわけでないのに重さを感じる。これ以上防御を固めたら動くのがやっとだろう店主の眼力は確かなようだ。
白銀の輝きを放つ鎧を見下ろしぐるりと回り、動きを確認する。同じように不備が無いか確かめていた店主は満足そうに頷く。
「本当は新人の冒険者には革製品の鎧を勧めるのじゃが、今回は特別じゃ。お前さんのステータスだと、重さで潰れる手前まで防御を固め、重ね着で防御力を上げた方が良いと思った」
「ありがとうございます。すごくピッタリ来ます」
「後はブーツとコートじゃ。それはここから二軒隣りの仕立て屋で用立てると良い。安く売っておる」
店主はインナーの上下をもう2セット取り出して、同じように魔法をかけた。
「これで合計2000ガルスじゃ。どうじゃ? 買うか?」
少し迷ったが、ここまで用立ててもらったので購入を決意する。裸のまま金貨を20枚取り出す。
「ふむ。道具を入れる袋もないのか。サービスじゃ。これもつけよう」
棚から店主は肩に提げられる鞄を一つ取り出す。その中にインナーを入れた。
「あ、ありがとうございます」
重ねて礼を言う。僕は試着室に畳んでおいていた洋服を鞄の中にしまい込む。
「…あの、どうしてここまでしてくれたんですか?」
意を決して疑問を投げつける。言われて長い眉毛に隠れた片目を覗かせ、驚きの表情を作るドワーフ。顎をさすりつつ考え込むようなそぶりを見せた後。
「お主のような、弱いステータスは中々お目に掛かれんからのう。ついつい手を貸したくなったのじゃよ。ぐわっははは!!」
と、のたまう。一瞬腹が立ったが、言われても仕方ないと思い諦めて店を出た。