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試行錯誤の異世界旅行記  作者: 取方右半
第9章 故郷
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閑話:冒険王 立志編Ⅵ

 エルドラドにおいて、魔法とは世界に直接干渉する鍵だと教わった。


 屈強な獣人種ですら音を上げる採掘場に珍しく送られた老人の奴隷は、様々な事を知っていた。古代種が六龍の伝説、愛ゆえに人を殺して墜ちた精霊、遠くの大陸で起きている戦乱、人々の憎悪によって消えたエルフの国。


 一度目の人生を代価にしてまで異世界への憧憬を捨てきれなかったエイリークにしてみれば、どれも胸躍る物語だ。中でも魔法となれば、興味を抱くなという方が無理だ。


 老人曰く、魔法とは本来、精霊が操る力ある言葉だった。彼らは人のように手足を使ってこの世界に触れるのではなく、彼らの言葉を用いてより深く関わっていた。なにも無い所から炎や水を生み出し、天変地異すら起こせる。人とは違う理に住んでいた。


 世界の根幹、人よりも深い場所に触れられる彼らは神々の遣いとして崇められ、尊敬されていた。無神時代が始まるよりもずっと前、そんな精霊たちは一人の子供を拾ったという。


 精霊達は何を思ったのか、その子供を育てる事にしたのだ。


 獣の乳を飲ませ、貢物の麦を与え、そして精霊の文字を教えたのだ。


 精霊に文字など必要は無かった。彼らは産まれた瞬間から世界に祝福され、理解を得ていた。学ぶという必要が無かったのだ。だが、彼らが育てる事になった子供は違う。彼には文字が、言葉が必要だった。


 そこで精霊たちは自らの言葉を独自の文字にして、子供に教えた。世界を構成する物質を、名称を、成り立ちを、ありとあらゆる事柄に文字を付け学ばせた。


 不変の精霊と違い、子供は成長する。人の世界へと戻った彼はそこで、人の世界の言葉を学んだ。その瞬間、彼の中には二つの言語があった。


 人の言葉と精霊の言葉。


 彼は悟った。この二つを繋ぎ合わせる事こそが自分が生まれた使命なのだと。


 協力者を募り、多くの時間を掛けて彼は精霊の言語を人の言語に翻訳した。それは人が発音できる力ある言葉の誕生だった。


 それこそが魔法の根幹たる、魔法言語ヒエログリフである。







 周りの兄弟たちは眉唾だと疑った伝承をエイリークはきちんと覚えていた。


 魔法とは力ある言葉を繋げて生み出す神秘。音の羅列こそが魔法を生み出すのだ。


 これは水を熱せば蒸発し、物が重力に囚われるのと同じぐらい当たり前の事実。


 しかし、いま起きた現象はこの世界の理から大きく逸脱していた。


 右腕にある文字とも絵とも見分けが付かない文様を記され、囁かれた言葉を復唱しただけで野球のボールほどの火が手元から放たれた。


 いくらこの世界の知識が少ないエイリークとはいえ、自身に起きた現象が異常なのは明白だった。


 普段から不機嫌そうな親父さんすら呆然と佇み、愛用の中折れ帽子が落ちている事にすら気が付いていない。だというのに、仕掛けた本人は平然とした様子で、


「うん、試運転はまずまずかな。とりあえず、今のが低級ローだけど精神力はまだ残ってるかな。大丈夫なら中級ミディアムを試したいんだけど」


 と、どこか楽しそうにしつつ腕を取った。


 新しい文様が書かれる寸前、鋭い声が響いた。


「オルタナ! ……それ以上は止めろ」


 親父さんの静かな、しかし張り詰めた威圧にエイリークは自然と後ずさる。オルタナも何かを察したように筆を下ろした。


 男は何度か口を開くも言葉が出ない様子で顔を歪め、最後には自分の帽子を拾い背中を向けた。


「……話がある。馬車に来い。……その前に、エイリークに書いた奴は消しておけ。それでお前はまだ寝ていろ」


 一方的に告げると、そのまま馬車の中へと消えた。


 オルタナは父親の言う事に素直に従うのか、エイリークの腕に書いた文様の一部を手で拭う。墨が乾いておらず、それだけで形が崩れた。


「これでさっきの言葉を繰り返しても発動しないよ。それじゃ、ちょっとお説教を受けてくる。エイリークはちゃんと休んでおくこと、いいね?」


「ま、待ってくれ。いまのは何だったんだ。あれも、魔法なのか。でも、あんな魔法は聞いた事が無いぞ」


 父親の後に続こうとするオルタナに尋ねると、少年は僅かに後ろを振り返り、


「そりゃそうだよ。だって、僕が作ったんだから」


 と驚くべき事実を口にした。


 そのまま馬車の中へと消えた少年を呆然と見送るしか出来なかった。








 いつの間にか眠っていた。


 火が枝を食む音が聞こえ、夜行性の虫や動物が動く気配がする。


 オルタナと親父さんが馬車へと入ったのを見届けると、エイリークはこの場を立ち去ろうとしていた。デクノが話していた、逃亡奴隷達の合流地点である北の境谷へと向かおうとしたのだ。


 だが、負傷は思っていた以上に深刻だ。どうやら足の甲にひびがあるらしく、体重を掛けた途端蹲るほどに痛かった。


 加えて衝撃的な光景―――親しくした村を兄弟が襲うという悪夢―――は心を疲弊させていた。体に纏わりつく倦怠感と、なにも食べていないというのに込み上げてくる吐き気は心が衰弱している証拠だ。


 今は体を休める時だと自分に言い聞かせて毛布に包まっていたら、そのまま眠っていたようだ。


 体を起き上がらせず視線で辺りを窺うと、たき火の傍で此方に背を向けている人影を見つけた。この世界では珍しい革のジャケットを羽織った親父さんだ。


 彼はたき火の方を向いているというのに、後ろに目でもあるのだろうか。

「起きたか、厄介者」


 と、エイリークに向けて言う。


「お前さん、コーヒーは飲めるか?」


 掲げられたカップは湯気を上げている。香しい芳香に軽く驚いた。


 飲めます、と返すと親父さんは新しいカップを用意して、そこにコーヒーを注いだ。動けずに居るエイリークの元へと置くと、自分の分を一口飲んだ。


 エイリークも同じように飲む。舌先にある苦みは、安城だった頃よりも激しく、だが舌の上を撫でていく味わいは紛れも無くコーヒーだった。


 この世界にもコーヒー豆はあるのかと驚いていると、親父さんが自分の顔をじっと見つめている事に気づいた。


「えっと、どうかしたんですか」


「いや、なに。奴隷の子供の癖に、コーヒーの存在を知って、あまつさえ飲めるなんて返すのかと思ってな」


 指摘にエイリークは自らの迂闊さを恥じた。


 コーヒーなど、採掘場では一度もお目にかかった事は無い。彼らと旅をするようになっても見た事も聞いた事も無い。知識が無いはずなのに、真っ黒に近い液体を何の抵抗も無く飲むのは確かにおかしかった。


 どう言い繕うかと考えていると、親父さんはやはりな、と呟いた。


「お前さん、『招かれた者』だろ」


 直球な物言いに今度こそ愕然とした。正体が知られたと言う事以上に、親父さんがその事を知っている事に驚いたのだ。


「どうして、その事を。もしかして、貴方もそうなんですか」


 考えてみれば、その可能性はある。この時代においても珍しい、西部劇から飛び出したような出で立ちに、戦闘時に見せた異常な迫力。今更、ただの薬師だと言われても誰も信じない。


 同類だからこその結論かと思ったが、親父さんは口元を歪めて首を横に振った。


「悪いが、俺はそんな御大層なもんじゃない。神々から世界救済なんて下らないこと、死んでも御免だね。これでも顔が広くてな。世界救世候補について知っている程度の、エルドラド生まれさ。てめぇみたいな、半端者じゃねえよ」


「半端者、ですか」


「違うとは言わせねえぞ。自分のした事がどんな悲劇を招くことになるのか想像すらせず、いざ目の当たりにしたら臭い物に蓋をするように兄弟を手に掛けようとするなんて、そりゃ半端者がすることだろう」


 容赦ない言葉にエイリークは顔を伏せる。


 厳しい言葉だが、彼の言う事は正しい。兄弟を中途半端に自由な状態で解放させたことであの村が、そして他の人々が犠牲になるならこの手で始末を付ける。自分の不始末は自分でという正しい道筋に見えるかもしれないが、それは短絡的な行動だ。


 兄弟たちのおかれた状況を、そうせざるを得なかったという事情を考慮せず、自らの倫理観だけで彼らを殺すと決めた。


「苦難を耐え忍び、奇跡を分かち合えた兄弟を殺す。薄情な奴だ。いくら、無辜の民が犠牲になるからといって、そのほとんどが顔も知らない赤の他人だ。今回は運悪く知り合いが知り合いを殺していたかもしれんが、そんなの偶々だろう。それでもお前は見ず知らずの他人を守る為に兄弟を殺せるのか」


 親父さんの言葉に、刃を向けた時のデクノやネズの悲痛そうな瞳を思い出す。信頼していた自分から、敵意を向けられることを露とも思っていなかったであろう彼らを殺す。こうして時間が経ち、動揺から乱れていた思考が纏まっていき自分の覚悟を見つめ直した。


 それでも結論は変わらなかった。


「……俺にはその責任がある。彼らを外の世界に引きずり出した責任が。誰かが止めなくちゃいけないのなら、それは俺がやる事だ」


 エイリークの決意を聞き親父さんは軽く目を瞑った。


 彼の結論は極端だ。どうして、見ず知らずの人間を守る為に魂で繋がった兄弟を殺せるのだろうか。


 そもそも前提がおかしいのだ。


 確かに奴隷たちを扇動して解き放ったのはエイリークかもしれないが、そこからの責任は彼に一切ない。一人の人間として選んだ行為の結果はその個人に帰結されるべきだ。それなのに、自分の罪のように抱え込む姿は修道者のような痛ましさがあった。


「なるほど。こいつは異常だ」


 呟きは痛みに意識を蝕まれる青年には届かなかった。


 代わりにエイリークは真っ直ぐに親父さんを見つめた。


「だから、お願いです。俺に、魔法を教えて下さい。あの頭目を倒せるだけの力が欲しいんです」


「さっきも言ったが、魔法は一朝一夕で手に入る代物じゃねえよ。そもそも、教える気なんて無い」


「なら、オルタナ君がした、あのまじないを。あれをもう一度施すように頼んで下さい」


 オルタナが自分に何をしたのか、エイリークは理解できていない。どんな危険性があり、どんな副作用があるのか不明だ。それでもと縋る青年を親父さんは複雑そうに見つめた。


「……なあ、お前は魔法の優れた点は何だと思う」


 唐突な質問にエイリークは戸惑った。


 質問の意図は分からず、だが親父さんの様子が真剣なのは間違いない。


 しばらく考え込んでから、威力と返した。


「威力。それも間違っていないが、俺は使い手が限定される点だと考えている」


「優れた点が、使い手を選ぶことなんですか」


 相反するような事を口にした親父さんは続けた。


「ここに、使えば相手を簡単に殺せる剣があるとしよう。世の中は物騒だ。どいつもこいつも、火が付けば簡単に殺し合いを始める。そんな剣は皆からすれば、喉から手が出るほど欲しい。だが、その剣は使い手を選ぶ。限られた人間にしか運用できない、強力な兵器。周りは、それを手にした奴に従うか、あるいはそいつを取りこむなどしていき、いつしか緊張のある対立で落ち着く」


「強すぎる力を行使できる人間が限られているからこそ、薄氷のような平和が成り立つと言う事ですか」


「薄氷でも、見せかけでも、平和は平和に変わりない」


 力を持った強者に皆が従う平和は偽りかもしれない。だが、それでも争いが続くよりもずっとマシだと親父さんは言った。


「それが魔法だ。限られた人間にしか使えないからこそ、その力は乱用されず、使わずとも他者を牽制できる。……だが、オルタナの編み出したあれは、根底からひっくり返す。使ったお前の方が、よっぽど理解できるだろ」


「はい。体に文様を塗っただけで魔法が使えると言う事は、使い手を選ばない。大人だけでなく、それこそ老人や子供ですら魔法を使える、兵器になってしまう危険性があります」


 一つの技術が、それまでの価値観や常識、限界を大きく変える事は歴史が証明してきた。だが、その分水嶺に立つことになるとは考えた事も無かった。


 オルタナが生み出した技術は、世界の流れすら大きく変える。そんな途方もない力を秘めていた。


 エイリークは自分たちの置かれた状況に身震いした。


「オルタナ君は、どうしてあんなやり方を。本当に彼が思いついたんですか。そもそも、貴方たち親子は何者なんですか」


「旅の薬師とその息子さ」


「あんな魔法を使いこなせる薬師? 今更、そんなのが通じると思っているんですか」


 無理かと親父さんは乾いた笑い声を上げた。


「前に一度、魔法使いと戦いました。あの時は無我夢中だったこともあったけど、負けるなんて思いませんでした。でも、貴方が詠唱している時、僕は殺されると思いましたよ。自分を目標にされていないのに」


「過分な評価だな。……別に俺もオルタナも大した事の無い人間だぞ。ただの旅人だ。まあ、あいつは捨て子だったのを拾ったんだがな」


「拾った? それじゃやっぱり」


「ああ。あいつと俺は血が繋がってない」


 彼らと旅をして来た間に抱いていた疑惑があっさりと解けてしまった。


「この事はオルタナも知っている。森の中を旅していたら、何処からかガキの泣き声がしてな。いつもなら無視するんだが、どうしても気になって探したら木の窪みにあいつが居た。赤ん坊がすっぽりと収まるバケットに、生肉の欠片が入ってた」


「生肉ですか? 何でそんな事を。赤ん坊に生肉なんて食べられるはずがないでしょ」


「そうだな。生肉を喜んで食べるのなんて、獰猛な野獣か、モンスターぐらいだな」


 言葉の意味を理解してエイリークは口の中に苦い物を感じた。


 安城琢磨として世界中を周った時に、近い光景を何度か見た。貧しい家族が口減らしの為に、僅かな金銭で子供を売り払う。だが、これはそれよりも劣悪だ。


「俺は途方に暮れた。見てしまった以上は、見なかった事にはできず、どこか適当な村でお人よしにでも押し付けるしかないと拾い上げた。以来八年、その機会を失ったままずるずると来ちまった」


 どのような出会いだろうと、どのような経緯だろうと、この二人が親子として繋がっているのは間違いない。オルタナにとって親父さんが大切なように、親父さんにとってもオルタナは守るべき存在なのだ。


「お前にあの術式を施して、それがオルタナのした事だと広まればあいつは世界中から狙われる。誇張なく、それだけ途轍もない技術なんだ、あれは」


 だからエイリークには使わせない。そう続くのだろうと覚悟していたが、オルタナは何かを考え込む様に黙ってしまった。


 火が薪を食む音が幾度か続いた頃にやっと重たい口を開く。


「だが、決めるのはお前らだ。アイツが思いついたという事は、もしかしたら他の場所で誰かが考案しているかもしれない。既に実戦配備されているかもしれない。だとしたら、警戒する必要なんてないかもしれない」


「い、良いんですか。その、息子さんが危ない目に遭うのかもしれないのに」


「はっ! 引きずり込もうとしている張本人が何を言ってやがる。……俺はな、もう人間の歴史に関わらないと決めたんだ」


 それはまるで、自分が人間ではないという口ぶりだ。


 親父さんはコーヒーを流し込むと、それを持って馬車の方へと歩き出した。


「あとはお前らが好きに決めろ。俺はオルタナの選択を尊重するだけだ。どうせ、滅びる世界。何かが変わる訳でもない」


「待ってください! 世界崩壊まで知っているなんて。本当に、貴方は『招かれた者』じゃないんですか!?」


「くどい奴だな、てめぇは。俺が12神の使いパシリに見えるのか?」


「……え? 12? 神の数は13では?」


 疑問に首を傾げていると親父さんは帽子を脱いで面倒だとばかりに頭を掻いた。


「ああ、そうだそうだ。そうだったな。……俺はもう、寝る。朝になったら、どうするのか聞くぞ。だから、それまでに話し合って決めとけ、オルタナ」


「うん、わかったよ父さん」


 声はエイリークの背後から聞こえた。


 一体、何時からそこに居たのか。癖のある金髪の少年はエイリークの背後に座っていた。


 屈託なく笑う姿に、親父さんとは別の凄みを感じてしまう。


 年下の筈なのに、見かけ以上の風格を放っていた。


「さて、エイリーク。まずは、改めて自己紹介をしようか。僕の名前はオルタナ。でもそれはこの世界で生まれて、父さんに付けてもらった名前さ」


 半ば予想できた言葉に口を開くよりも先に、オルタナは―――自分と同類の少年は名乗った。


「前の世界で付けられた名前はエイリーク。人を司る神、テミスによって遣わされた、『招かれた者』の一人だよ」


読んで下さって、ありがとうございます。

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