閑話:冒険王 立志編Ⅳ
野盗共を押しのけて現れた男に場の空気が変えられていく。退廃的な空気を醸し出し、鞭のような武器を腰から提げて無防備に立っているというのに、じっとりと重たい空気を感じた。
落ちくぼんだ瞳は木の洞のように昏く、男から放たれる威圧感は湿った泥のようにエイリークの体を包み込んでいく。
周りの男達が一歩退く様子からも間違いない。
この男こそ、野盗共の頭だ。
「元気が良いね。ひのふのみ、っと。そんなボロイ剣で、よくもまあうちの奴をこんだけ切り殺せたもんだ。感心するね」
部下が殺されているというのに、不気味な態度は変わらない。底の知れない様子に、頭の中で警鐘が鳴る。
「人を殺したのは初めてじゃないけど、そんなに回数をこなしてないだろ。おじさん、そういうの分かるんだよ。断面に感情が残ってる。力任せだと駄目駄目。抜く所は抜かないと、ぷっつりと切れちまうよ」
「……そんな事、アンタから教わる必要はないだろ。アンタが、ここの頭で間違ってないのか」
「応とも。このろくでなし共の親分とは俺の事だが……そういうお前さんはどこの誰さんなんだい。見た所、この村の人間、ぽくはないよな」
頭の粘ついた視線が、長年すれて色の変わった自分の首元へと向けられた。
様子を窺う野盗の中から、デクノとネズの二人が飛び出した。
「頭! その人が前に話したにーにーです!」
ネズの言葉に野盗たちの中で何人かが驚きの声を上げた。声の主へと視線を向ければ、残酷な現実が覗き返した。二人以外にも、あの採掘場を脱出した元奴隷の顔を幾つも見つけたのだ。
彼らは口々に肯定する
「おう、おうおう。なるほど、なるほど。お前らが話していた、採掘場の英雄とはお前さんの事かい。驚いたねぇ、あそこの崖から落ちて無事なんて。お前さん、本当に人間族かい?」
問いかけにエイリークは答えようとせず、柄を固く握りしめた。その態度に腹を立てず、肩を竦めた頭は続いて、
「で? そんな奴がここで俺の部下を殺しているのは、どういう料簡なんだ。まさかとは思うが、この有様に腹を立てて、なんてことじゃないだろうな」
「……そうだと言ったら、どうなんだ」
「ぶっはっはは! いや、悪い悪い。まさか、そんな綺麗事を聞く羽目になるとは思わなくてな。いや、そうかそうか。そうだよな。お前さんはそんな綺麗事を吐くから、奴隷共を地上に送り出せたんだ。なら、許せないよな。うんうん、分かるぞ。おじさん、これでも人の気持ちってもんを分かるデキル上司なんだよ」
にたり、と顔面が溶けたように不気味に笑うと、頭は足元に転がっていた、原型を留めていない焼死体を踏み潰した。
黒ずみが砕ける鈍い音がエイリークを突き動かした。
一歩目から嵐の速度となって、頭に向かって突撃した。多くの野盗たちは反応すら出来ない速度を、しかし、頭は読んでいたように行動した。
じゃらり、と金属をこすり合わせる音ともに、エイリークの顔面めがけて一撃が飛ぶ。それを回避すると同時に、正体に気づいた。
それは鎖だ。
血がこびり付き、錆となって殺傷力を高めた鎖が蛇のようにうねる。剣で弾くも、すぐさま二撃目、三撃目が繰り出された。これでは近づくことすらできなかった。
「そら、どうしたんだい? さっきまでの威勢はどこに消えたんだい。それとも、こうすればやる気を出すかな?」
まるで赤子をあやすかのように言う頭は、再び黒焦げとなった焼死体を足で踏みつぶした。元は人間だったとは思えないほど軽い音にエイリークは感情を昂らせた。
鎖を弾くと同時に、一気に距離を詰める。
被弾は覚悟の上だ。頭と首を腕で守りながら吶喊すると、予想が的中した。頭を守っていた腕に鎖が巻き付いた。
痛みは一瞬。だが、技能で強化されたエイリークは耐える事が出来た。そのまま歩を止めず、相手との距離を詰めようとした。
だが、野党の頭はおかしくて仕方ないとばかりに吹きだした。
「ぶはは! おじさん、経験値が高いからね。お前さんのような甘ちゃんには、こういう挑発が聞くって事、知ってるんだよ! 《絡み取れ、腐臭漂う泥濘よ》!」
つらつらと繋がる言葉の羅列が何なのか気づいた時には遅かった。
鼻を突くような腐臭を感じ取った途端、世界から緩やかに速度が失われていく。
頭へと近づくにつれ、自分の体から速度がはぎとられていく。まるで泥に足を取られるように、全身が重く、重く、動かなくなっていく。
「これは―――技能か!?」
「御明察! お前さんは俺に辿り着けない。そして、俺の狩場から逃れられない」
一方的に宣言すると、頭目は優雅な手つきで腰から提げていた鞭をしならせた。炎を反射するそれは、鎖だ。分銅らしき物を先端に括った鎖が、エイリークを襲う。
不可視の何かに絡めとられた体を横へと無理に動かそうとすると、途端に速度が戻った。唐突な速度差に、エイリークは体のコントロールが効かず地面へと激突してしまう。だが、それが幸いした。彼の居た空間を薙ぎ払う鎖の一撃を躱せたのだ。
技能の効果が切れたと判断したエイリークは、地面に手を突き低い体勢を取る。陸上選手さながらのスタートは、しかし再び不可視の何かによって阻まれる。
「そういう事か。お前に近づこうとする物から速度を奪うのが、お前の技能か!?」
頭目は口元を吊り上げ、再び鎖を振り回す。じゃらり、と耳障りな音がして、視界の隅を黒い物が通り過ぎる。エイリークは咄嗟に腕で急所を守った。
まだ《スピリット・オブ・スティール》の効果は失われていない。一撃ならば、耐えられると判断した。だが、それは甘かった。
鎖その物が意思を持つかのように腕に絡みついた途端、エイリークの体は横へと振り回された。視界が高速でぶれ、遠心力で血が傾いていく。抵抗しようにも、地力に差があるのか敵わず、何度も地面へと叩きつけられた。
(なんだ、これは? 人の体をヨーヨーのように振り回しやがる!? これも技能による強化なのか)
自分の上げる土埃が視界を塞ぎつつも、エイリークは観察と分析を止めようとしないが力の正体までは気づけなかった。
山賊の頭目がしていたのは精神力による強化。だが、それは碌な戦闘経験も知識も無いエイリークには見抜けず、慣れないワイヤースタントに振り回される役者のように耐えるしかなかった。
ようやく終わった時には、全身が土と血で汚れ、皮膚はおろし器で擦られたように削れていた。
鎖は解け、頭目の元へと引き戻された。
「ぶははは! こんな田舎の野盗にお前と同じ技能持ちなんていないとでも思ったのか。そいつは考えが甘いな。どんなことだって起こり得る事だと覚えておくことだな」
嘲笑もどこか遠くに聞こえた。途中で意識を失っていたのか、《スピリット・オブ・スティール》は効果を失っていた。
「そうだ。お前さんは考えが甘いんだ。聞いたぜ、アイツらから。地上にさえ出れば、地獄から抜け出せる。奪い、奪われるの繰り返しから抜け出せるって」
頭は言葉を溜めると、爆発させるように叫んだ。
「馬っ鹿じゃねえの!? 何の知識も無い奴隷が自由になった所で、この世は弱肉強食。結局、奪う事しか知らない獣は、どこに行ったとしても、弱い奴から奪う事でしか生きられねえ!」
「……そんな、事はない。あそこじゃ、いずれそうなったけど、ここなら、地上なら違う」
血まみれになりながらも反論するエイリークに頭は侮蔑の笑みを送った。
「現実を見てみろ! 確かに、自由って響きは甘美だ。でもな、それは始りであって終わりじゃねえんだよ。自由になったから、はいそうですかじゃ済まねえ。それなのに、お前さんは一人で崖から落ちて、残ったのはどうすれば良いのか分からない哀れな獣同然の奴隷達だろ。その多くは殺され、生き残りは奪う側に回った。これが現実だ!」
傷よりも頭目の嘲笑がエイリークの心を抉る。
奴の言っている事は間違っていない。自由を求め、奪い、奪われる螺旋から抜け出そうとして現実はどうだ。仲間達の多くは死に、生き残った者も野盗に身をやつし、新しい螺旋に組み込まれてしまった。
全て、自分が甘かったせいなのだろう。
あの時、一人で崖から落ちたせいで、皆の道を踏み外させてしまった。
「あー、よく笑ったぜ。さて、お前さん。ここからは現実のお話だ。お前さん、俺達の仲間になれよ」
唐突な発言にネズとデクノを除いた野盗たちは驚きを隠せなかった。中にはあからさまに激怒してエイリークを殺すように進言するのも居た。
しかし、頭はそれらを一瞥するだけで退けた。
「こっちとしても、失った分の戦力は補充したいし、これでもお前さんの事は高く評価してるんだぞ。十年に渡って監視の目を掻い潜って準備を行った忍耐力と、有象無象達を束ねた指導力。おまけに珍しそうな技能持ち。こいつは磨けばそれなりの玉と見た。どうだ、悪い話じゃないだろ。お前も、奪う側に回れよ。そうすれば楽だぜ」
腹立たしいが、この男の言葉は正論だ。
自分の考えがいかに甘く、見通しが不十分で、そして現実が厳しいかを理解できていなかった。
奴隷達が生き残るには奪う側に回るしかないのも仕方ない。
だが、
「断る」
痛みで朦朧としながらも立ち上がり、震える腕で剣を構えた。断ればどうなるのか分かりつつも、その瞳に臆した怯えは無かった。
「……へぇ。一応、理由なんぞ聞いてみようか」
「そうしたくないと、決めたからだ。俺は奪う側に回らない。誰からも奪わないと。決めた以上は最後まで貫く」
その言葉に、デクノは堪え切れないとばかりに叫んだ。
「意味が分かんないよ! そんなにずたぼろになってまで、どうして自分の意思を貫こうとするんだよ。良いじゃないか、僕たちが奪う側になっても。だって、そうするしかないんだよ!」
デクノの気持ちも理解できる。
知識も無く、伝手も無く、技術も無い奴隷たちが地上で暮らしていくにはそうするしかなかったのは仕方ない事だと。例え、奪い、奪われる螺旋に飲み込まれることになっても、生きるためには己を曲げる事は必要だ。
そうする事で彼らは今日まで生きて来た。
―――他者の命を奪って。
「デクノ、ネズ。……お前たちは、くろまるを覚えているか?」
エイリークが口にした名に二人は動揺を隠せなかった。その名こそ、十年前、自分たちが自由になる事を誓い合ったきっかけだ。
「お前らはその手で、あの子を殺しているんだ。奪う側に回ると決めた瞬間から、兄弟を殺しているんだ! ここに転がっている人は、くろまるなんだぞ!!」
エイリークの言葉は、どんな刃よりも二人の心に突き刺さった。薄々は気づきつつも、必死になって目を逸らしていた事実。自分たちが生き残るためには仕方ないと、そう言い聞かせてしてきた行為が、どんな意味を持っているのか突きつけられた。
二人はもう、反論する気力すら湧かず地面に膝を屈してしまう。
周りに視線を向ければ、手に掛けた人たちの顔が死んでいった兄弟たちと重なっていく。奪われて死んだ魂で繋がった兄弟たち。
にーにーが俺達を裏切ったんじゃない。俺達が兄弟を裏切ったんだ。
嗚咽を漏らす二人に頭目は舌打ちをしつつ、エイリークに向けて殺気を飛ばした。
それまで飄々とした、得体のしれない男が遂に本性を現したのだ。長耳の戦士や親父さんほどではないが、死と暴力が全身の細胞に染みついているような男が鎖を回す。
先端にある分銅が遠心力によってエネルギーを溜めこんでいく。
当たれば致命傷だ。
避けることなど疲弊したエイリークには不可能だ。
風きり音が鋭くなっていくのを死神の呼気のように感じていると、
「おめでたい奴だ。自分が死ぬかもしれない時にも、そんな頭に花を咲かせるような甘い事を言うなんてな」
と、冷淡で皮肉げな声が飛んだ。
その声に聞き覚えがあった。
「だが、悪くない。例え死ぬことになっても自分の意思を貫こうとする姿勢は、悪くない。本当ならそのまま意地を貫き通してやりたいところだが、残念ながらそうも行かないのでな」
斜面の上。地面に腰を下ろし、中折れ帽子を深くかぶった男が居た。
何時からそこに居たのか、野盗たちは驚きと戸惑いを隠せなかった。頭目ですら鎖を止めて、警戒の色を強めた。
「親父さん? なんで、ここに居るんですか。オルタナを連れて早く逃げて下さい!」
「だから、そうも行かなくなったと言ってるだろ。……選手交代だ、馬鹿野郎」
エイリークの懇願を一刀両断すると、男は悠然と立ち上がり、告げた。
「《星辰よ、生まれろ》」
読んでくださって、ありがとうございます。




