閑話:冒険王 立志編Ⅲ
つい数秒前まで、悪鬼のように醜く歪んでいた顔から険しさが消えて、素朴な、彼の純朴さを現したような表情へと戻った。
顔を隠していた布切れが地面へと落ち、ぽかんと、口を半開きにして此方を見つめる青年の姿に、エイリークは奪ったばかりの剣を下ろしてしまう。
地面に尻餅を着き、此方を見上げる青年を知っていた。
あの奪い、奪われる螺旋の底で、共に自由への為にと歯を食いしばった十六人の兄弟の一人。
名を―――。
「デクノ……お前、デクノなのか」
「にーにー? 本当に、にーにーなのかい」
どちらの声も震えていたが、温度に大きな隔たりがあった。デクノの口から零れた呟きは喜色に満ち、頬に赤みが差していた。一方でエイリークの口から漏れた呟きは、真冬の夜に似た、凍てつく冷たさがあった。
「そうだよ、僕だよ! ああ、にーにーが生きていた。崖に落ちた時は、もう駄目かと思ったけど、あれで生きているなんて信じられない! やっぱりにーにーは凄いや!」
無邪気に喜ぶ姿は、記憶の通りの彼だ。
だが、轟々と燃える炎は彼の罪を暴きたてる。
奪ったばかりの剣は掴まで血に濡れ、研いだばかりの筈の刀身は酷使されたのか刃こぼれが幾つもあった。これらの血は鍛冶屋の家族の血だ。
殺したのはデクノだ。
生き別れになった兄弟との再会だというのに、この状況にエイリークは頭を銃で撃ち抜かれたような衝撃を味わい、言葉を失った。
だが、デクノが立ち上がり自分に駆け寄ろうとした時に、無意識に反応していた。
手に持つ重い剣を、横に薙いだ。相手を殺す為では無く、追い払うための斬撃は波打ち、先程までの俊敏な戦いぶりとは雲泥の差だ。
しかし、デクノにとっては予想外な一撃だったため、彼を追い払うのには十分だった。肩口にはエイリークが投げたナイフが刺さったままだ。
剣を躱した青年は非難めいた視線を敬愛する兄に向けた。
「にーにー!? 僕が誰だかわからないのか? デクノだよ。採掘場で一緒だった兄弟だよ。それとも混乱しているだけなの?」
「……ああ、混乱しているとも。お前と、あの地獄を生き抜いた兄弟と会えたのに、嬉しい事の筈なのに、なんで、なんでこんな事に。なんで、お前が、旦那さんを」
一瞬、怪訝そうに首を傾げたデクノは、自分の剣と、地面に転がって息絶えた男を見て話が繋がったとばかりに頷いた。そして、すまなそうに頭を掻きつつ、
「もしかして、にーにーの知り合いだったの。だとしたら、ごめんね。僕、知らなかったんだ」
と、謝った。
まるで、人が育てていた花を雑草と間違えて抜いてしまったように。
人を殺したという罪悪感を微塵も抱かず、自分の知り合いという点だけを謝った。
裏を返せば、自分の知り合いでも無ければ謝らないと言う事になる。
人を殺したのに。
これまで自分たちを苦しめていた採掘場の兵士とは違う、ただ普通に暮らしていた人を殺したというのに。
そのズレにエイリークは恐怖した。
炎に照らされるデクノが全く知らない人物のように映った。
「そっか。にーにーはあの後、この村で世話になっていたんだね。そりゃ、不味い事をしたかな。皆にも言って止めさせないと……ああ、でも、もう手遅れかな」
ぐるりと辺りを見回した彼につられて、エイリークも周囲を見回した。
そして気づいた。
炎は辺りの建物を飲み込み勢いを増し、むき出しの地面に人らしき残骸が散らばり、悪鬼たちが戦利品をかき集めていた。いつの間にか悲鳴はどこからも聞こえなかった。
「この村の人、ほとんど殺し終わっちゃったみたいだね。いまは、奪える物を根こそぎ奪っている最中だ」
「……奪うだって?」
デクノが何気なく口にした一言をエイリークは聞き逃さなかった。
否、聞き逃せなかった。
奪う事、奪われる事。
それこそがこの世界に生まれ落ちた時から、自分たちを縛って来た鎖で、その螺旋から脱出する為に足掻いてきたというのに。
この自由の地平に這い上がってなお、よりにもよって兄弟の口からそれを聞くことになるとは。
筆舌にし難い感情が胃の中で暴れ回る。エイリークは堪え切れないとばかりに叫んだ。
「おかしいだろ。俺達は、奪い、奪われる事から逃れるために、あの地獄の底から抜け出そうとしたはずだ。なのに、どうしてお前は、こんな野盗に加わって、見ず知らずの人を殺して、奪っているんだ!」
叫びはデクノに刃のように襲いかかった。
青年は苦しそうに顔を歪めて、しかし、静かに反論する。
「……そうだね。初めはそうだったよ。採掘場から抜け出て、あんな螺旋に飲み込まれて一生を過ごしてたまるか。奪って生きていくなんて、ご免だと思ったよ。でもね、にーにー。地上だって変わらないんだよ。ううん、むしろ、地上の方がよっぽど地獄だったよ」
そう語る青年の横顔は、苦悩に満ちた物だった。
「……デクノ。あの後、お前に何があったんだ。俺が崖から落ちた後に、お前たちはどうなったんだ」
「……にーにーが落ちた後、僕たちは散り散りになって逃げたんだ。馬を奪った人も居れば、徒歩で行ける所まで行った人もね。僕は、近くに居た集団と一緒になって、山に逃げ込んだ。……にーにーが前に決めた様に、分裂しながら北を目指したんだ。でも、追っ手は思っていた以上に早く、しつこく、執念深く追いかけて来た。
アイツらは、人の形をした猟犬だよ。昼も夜も無く、僕たちに休む時間なんか与えてくれなかった。一人、また一人と倒れていって、どうしようもなくなった時に野盗に拾われたんだ。僕だけじゃないよ。ここにはネズも居るんだ」
「ネズも、だって」
告げられた、もう一人の兄弟の名前にエイリークは眩暈すらした。すると、炎の手が伸びていない場所を小走りで駆け抜ける影に気づいた。
炎が作る陰影で最初は分からなかったが、近づくにつれてそれが誰だか分かった。
分かってしまった。
鼠人族の青年だ。
「おい、デクノ。お頭がそろそろ引き上げ時だって、何ぼんやりと……おい、おいおい、おいおいおいおい! まさか、まさか、にーにーか!!」
飛び上がらんばかりに喜ぶ兄弟だが、エイリークは彼の衣服にべったりと付いている血を凝視してしまう。染み込んでいるそれは、誰の血なのだろうか、考えずにはいられない。
「スゲェよ。やっぱり、にーにーはスゲェよ! あんな高い崖から落ちて生きてるなんて!」
喜び、エイリークの手を掴もうとするも、それは振り払われる。喜色に満ちた表情が凍り付くのを見て、エイリークの心は痛んだ。
どれだけ墜ちたとてしても、自分にとっては魂で繋がった兄弟なのだと痛感した。
それだけに、許せなかった。
誰からも奪わないという自由を目指していたはずの兄弟が、当たり前の顔をして奪う側に回っている事実に絶望していた。例え、そうするしか道が無かったとしても、それを受け入れてしまった事が、どうしようもなく悲しかった。
「ど、どうしたんだよ、にーにー。デクノも血を流してるじゃないか。……まさか、にーにーがやったのか。俺達兄弟だろ!? どうして、こんな事をしたんだ!」
「どうしてだって。自分の姿を見て何も思わないのか。だとしたら、それが答えだ」
剣を掴む手に力が入ると、それを感じ取ったのかデクノが身構えた。
「にーにー。馬鹿な事を考えないでくれ。剣を置いて、僕たちと一緒に行こうよ」
デクノの雰囲気からただ事じゃないと感じ取ったネズも説得に加わった。
「そ、そうだぜ。にーにーなら、お頭も気に入るはずさ。なんだったら、俺達でこの集団を乗っ取っちまおうよ。そうすりゃ、やりたい放題できるぜ」
兄弟たちの悲痛な訴えに、エイリークの心は決まった。
これは自分の犯した罪だ。
兄弟たちに自由という餌をちらつかせて地上へと誘っておきながら、最後の最後で役割を全うせずに降りてしまい、彼らを放り出してしまった自分の罪だ。
ここで流れた血は、これまでに流された血は、自分が流した血と同じだ。
だからこそ、これ以上の血は流させる訳には行かない。
例え―――兄弟を殺す事になったとしても、止めなくてはいけない。
月も星も輝かない、濃厚な闇に似た覚悟がエイリークの四肢のすみずみまで行き渡った時、それは彼の力となる。
弾倉に弾は込められた。
撃鉄は既に起きている。
後は引き金を引くだけで、彼の力は発動する。
「《折れぬ心よ、我が身に祝福を》」
なんと言う皮肉だ。これは祝福にあらず。この身に焼き付けるべき悔恨の念だ。
相反する意味の詠唱と共に、彼が抱いた覚悟が力となって内側から湧き上がる。それは相対するネズやデクノにも届いた。
彼らはこれに近いのを一度味わっていた。
採掘場での反乱の時、唯一の脱出口である橋を守護した魔法使いにエイリークが挑んだ時だ。誰もが、指導者が一瞬で蹴散らされるのを覚悟していたが、結果は違った。自らの背丈以上の氷を素手で破壊した姿は頼もしくあった。
それがこうして敵意を漲らせていることを二人は現実の物と捉えられていなかった。
「にーにー! 冗談だよな。俺達、兄弟だろ!?」
「ああ、そうだ。兄弟だとも。血を分けていなくとも、魂で繋がった大切な兄弟だ。だからこそ、始末は自分でつけるべきなんだ。他の誰でも無い、俺の手で」
「……正気じゃない。ここには僕らだけじゃない。野盗の集団なんだ。いくらにーにーが強くても、一人じゃ敵う訳がない。お頭だって、にーにーと同じなんだ。一回、冷静になって話をしようよ」
「止めてくれ。これ以上話をして、決心を鈍らせないでくれ。……お前らを切る覚悟を……揺らがせないでくれ」
苦悶の表情から流れる涙は炎のせいか赤い血の涙のように見えた。
ここに来て、二人もようやくエイリークが本気だと悟った。本気で自分たちを殺そうとしている事に。
そうなれば、彼らも覚悟を決めた。
採掘場を生きて突破して、執拗な追跡部隊を振り切り、野盗に加わった事で積み上げた暴力の経験値がどうすれば良いのか教えてくれる。
ネズは持っていた斧をデクノに渡して予備の剣を構えた。そして二人はエイリークを挟み込むように位置を決めた。
「にーにー。これが最後だ。考え直してくれ。ここで会えたのも運命なんだ。次の満月に、僕たちの生き残りは北にある境谷で合流する事になっているんだ。生き残り同士が連絡し合ってそう決めたんだ。その場所に、にーにーも居たら、みんな喜んでくれるはずだ」
デクノの言葉にエイリークは何も答えない。
ここに兄弟との決別は成った。
あとは、互いの武器が打ち鳴らされるだけだ。
しかし、三人は忘れていた。この場に居るのが、彼らだけではない事を。
風きり音が聞こえるなり、エイリークは振り向きざまに剣を薙いだ。
鋼は真っ直ぐに狙いを付けた矢を打ち砕いた。
「ごらぁっ! 新入り共! お頭が撤退だって言ってんのに、なに油売ってやがるんだ!」
唾を飛ばしながら叫ぶ人相の悪い男。エイリークには見覚えが無かった。と言う事は採掘場を脱出した奴隷ではないのだろう。
おそらく、デクノたちを拾ったという野盗だ。
彼もまた、衣服に血の斑点を作り、戦利品を詰めているのか、腰から下げた袋は重たい音を鳴らしていた。
「さっさと生き残りを殺して、ずらかる―――」
言葉は最後まで続かなかった。
男の体を冷たい風が吹き抜けたのだ。
辺り一面炎が躍っているというのに、彼を通り過ぎた風は不気味なほどに冷たかった。それに言葉を失っていると、一緒に命まで失ってしまった。垢塗れの首に赤い線が走れば、それに合わせる様にずるずると滑り落ちた。
地面に男の凶悪な人相を固定したままの頭が転がった。
一瞬で男の真横を通り過ぎたエイリークは、剣を振って付着した血を飛ばした。
その眼は既に次の獲物を睨んでいた。略奪を終え、最後の仕上げとばかりに死体を弄ぶ野盗共へと一歩踏み出した。
その一歩は荒々しい嵐となって彼の体を突き動かす。
「な、何だてめぇ!? 何処から現れた!」
野盗は驚きのあまり遊んでいた物を放り投げた。彼の目には、エイリークが突然現れたようにしか映らなかったのだろう。得体のしれない怪物に驚いたまま、彼の心臓は縦に裂けた。
「―――っ! 敵、敵襲だぁ」
仲間の無残な死に方に悲鳴まじりに叫ぶも、男の言葉は途中で途切れた。エイリークの剣が、男の上あごと下あごの間を通過したからだ。
とはいえ、警告は野盗全体に届いた。
半数は撤退の準備を続け、残りの半数が武器を構えて様子を窺う。
彼らは正規の戦闘訓練を受けたわけではないが、こと生存への嗅覚は鋭い。その場その場においてどうするのが正しいのか、もっとも正解に近い方を本能的に選び取る。
だが、最適解だとしても、そのまま生存に繋がっている訳ではない。
エイリークは目に付いた野盗を順番に撫で切りしていく。暴風のように襲いかかる彼に野盗たちは為す術も無く切り殺される。
エイリークがエルドラドに降り立った際に渡された力。
《スピリット・オブ・スティール》。
抱いた覚悟の量や時間が彼に物理的な力として付与される特殊能力だ。
今回、彼は魂で繋がった兄弟であっても、奪う側に回り無関係な人々を苦しめるならこれを殺すと決めた。あまりにも重すぎる覚悟は、短い時間であってもエイリークに絶対な力となって与えられた。
「お前ら、どけどけ! そいつは俺が仕留める!」
馬の嘶きがエイリークを襲う。
馬上した野盗が大槌を片手で振るいながらエイリークへと迫ったのだ。馬の加速と、大槌の重量が合わさり、直撃すれば人体など水の詰まった革袋のように弾けるはずだ。
だが、現実は違った。
エイリークへと迫る大槌は、彼の伸ばした手に絡めとられ空間に固定されたようにぴくりとも動かなくなった。
当然、武器を握っていた男も腕を引っ張られるように馬から転げ落ちたのだ。
頭を打ち、意識が混濁する男が見たのは、自分の握っていた大槌が空高く舞い、そのまま視界を塞ぐ瞬間だった。
「次ッ! 次はどいつだ!! 死にたい奴から前に出ろ!!」
獣の咆哮じみた叫びに圧倒されたのか、野盗たちは後ずさる。たった一人の若者に荒事に長けた者が気圧されていた。
しかし、彼らとは違う動きをした者が一人いた。
「くくく。随分とまあ、生きの良さそうな奴だな。面白いな、お前」
ねっとりとした口調で、野盗を押しのけて前に出てきた男は、悠然と構えながらエイリークを見つめた。
読んでくださって、ありがとうございます。




