閑話:冒険王 立志編Ⅱ
「野盗の集団、ですか?」
「そうなのよ。最近、ここいらを荒らし回っているって言う話よ。ほら、五日程前にも向こうにある森を越えるために領主さまの軍がこの辺りを通ったでしょう。あれ、野盗を追いかけてたみたいなのよね」
怖いわよね、と続けたおばさんの会話にオルタナは生返事で相槌を打った。確かに、数日前に数十人規模の兵士たちが森へと飲み込まれていくのを見た。
その数と重武装から、エイリークを捜索する部隊では無くモンスターなどを討伐するのが目的かと思っていたが違ったようだ。
「もうやんなっちゃうわよね。元々、領主さまの取り立ては厳しいので有名だったのに、採掘場で起きた事件がきっかけでさらに税は重くなったし、そんなのなんかが暴れ回っているんじゃ、私達みたいな庶民が安心して過ごせないじゃない」
一方的にまくし立てるおばさんの話を遮る事も出来ずに、オルタナは短く無い時間を無駄に過ごす事になった。
昼食を終えて、薬草を摘みに行った帰りに噂好きのご婦人に掴まってしまったのは運が悪かった。夕暮れに村が照らされていく中、足早に坂道を昇りつつ、頭の中で先程の話が引っかかっていた。
立て板に流した水のように、次から次へと淀みなく流れていく噂話の中で気になった野盗の事だ。
野盗自体は珍しい事ではない。
税を払えなかった村人が、村を捨ててそのまま山に入り、野に出て畜生に落ちるのはよくある話だ。それこそ村一つがそのまま野盗や山賊に変身した例もある。
問題なのはそこではない。野盗団が出没している為に領主が兵をここまで派遣している事が問題なのだ。
自分たちは噂話にもなっている逃亡奴隷の、それも主犯格を匿っている。見つかれば、当然国から追われてしまう。
崖から落ちたエイリークが生きている事を知っているのは少ないせいか、この辺りを素顔で歩き回っても怪しまれる事は無かったが、これから先は分からない。
何より、自分たちはよそ者だ。
今はこうして村人に取り入り、薬を売っている事である程度信頼されているが、それは冬の朝に張った氷のように脆い。何かあれば、あっという間に砕けてしまう。
野盗の集団に領主の兵。どちらも村人の意識を騒めかせ、警戒心を呼び起こすには十分な種だ。
そろそろ、移動するべきか。
しかし、下手に移動すれば領主の兵隊に見つかる危険もある。
どちらを選んだとしても、この先は慎重にならざるを得ないとオルタナは嘆息した。とても、十に満たない少年とは思えない仕草だった。
「力技で来られたとしても、僕と父さんなら簡単に躱せるけど、延々と追いかけられたらいささか面倒よな。エイリークには悪いけど、彼の兄弟を探すのは一度諦めてもらって、安全な場所でほとぼりが冷めるのを待つことにしようかな」
それが危険性を排除した方針だとは理解しつつも、エイリークは納得しないだろう。それぐらいの予測は直ぐに付く。いまは、こうして命を助けられ、生活の面倒を見てもらっているから一歩引いた立ち位置でいるが、こうと決めたら答えを変えないような頑固さは垣間見える。
それが的中したのは数日後の事だった。
最初に気が付いたのはオルタナの父親だった。
彼は風車小屋の上層を占有して、薬品の調合などを行っていた。夕食を終えてエイリークとオルタナの二人が下で床に就いても男は眠ろうとしなかった。室内だと言うのにトレードマークの帽子を外さず、吊るしたランタンの灯りをつばで遮りながら黙々と作業を行っていた。
人の指より細い試験管を軽く振れば、中の液体が青から赤、そして黄色へと変化する。それが正しい反応なのか、男は満足そうに頷いて次の作業に移った。
すると、室内を煌々と照らしていたランタンが切れた。
中の油が消えたのか、室内は薄暗くなる―――はずだった。
しかし、どういう訳かそうはならなかった。
風車小屋に嵌った窓から射し込む、紅色の光に室内は染まった。まるで炎が飛び込んできたような明るさに男は危機感を抱いて窓へと駆け寄った。
丘の上に建てられた風車小屋は、上層から村が一望できる。夜も更けた頃となれば、星灯りも届かない深い闇に村は包まれているはずだ。
それがどうだ。
紅色の炎が躍り、村を包んでいるのだ。
火事だ。だが、それだけではない。
窓を微かに震わしているのは怒号と悲鳴が入り混じった叫び声だ。その中には明らかに恫喝の声が混じっていた。
男がつばを持ち上げ村を睨むと、逃げ惑う影を切り伏せる影を捉えた。
「……アイツらが言っていた野盗の類か?」
数日前の夕食の席で息子やエイリークが話をしていた内容を思い出す。
正規兵や賞金稼ぎの類を振り切り、あるいはやり過ごした奴らが襲っているのかもしれない。
それが正しいかどうかはこの際どうでもいい。重要なのは、野盗共がこの風車まで来るかどうかだ。
村の端という立地と、みすぼらしい風車小屋という施設だからか、野盗たちが坂を上ってくる様子は無い。もっとも、それも時間の問題だ。此処に居れば余計なトラブルに巻き込まれる。
そう判断した男は直ぐに行動に出た。
右手を軽く回すと、途端に室内に風が吹いた。窓も隙間も無いというのに吹いた風は、男が広げていた実験器具や本などを包み込むと、持ち上げて鞄の中に詰め込んでいく。
まるで透明人間の見えざる手が運んでいるようだ。
その手は、階下の二人にも届いた。
ベッドなど無い、床に敷物を引いて毛布に包まれていたエイリークたちも、風に掴まれるようにして持ち上げられた。
「ん……ぬお!? な、何で俺、立ってるんだ」
目を覚ました途端、両足で立っている自分に慌てふためくエイリークとは対照的に、オルタナは眠たそうに瞼を擦って、
「まだ夜じゃん。おやすみー」
と、気の抜けた声で寝ようとする。だが、螺旋階段を降りる父親がそれを許さなかった。
「駄目だ。起きろ。面倒事になった。村が野盗共に襲われているぞ」
告げられた内容に、オルタナの体は跳ね上がり、窓の方へと向かった。遅れて、エイリークも向かうと、二人は村から上がる火の手と、風に混じる絶叫を感じた。
「荷物を直ぐに纏めろ。幸い、奴らは此方に気が付いていない。今なら、余計な事に巻き込まれない内に離れられるぞ」
旅姿を整えた父親にオルタナは仕方ないと肩を竦めて、自分も準備をする。毛布を掴んで畳もうとするが、エイリークが動いていない事に気づいた。
彼はまだ窓の傍に居た。
後ろ姿しか分からないが、その背は震えていた。憤りからなのか、怒りなのか、窓枠を掴む手が嫌な音を立てた。
明らかに不機嫌になった父親が、背を向けるエイリークへと告げた。
「おい。まさかとは思うが、あの中に飛び込んで、助けたいなんて言い出すんじゃないだろうな」
「……それの、何が悪いんですか」
返ってきた声は低く、しかし何かのきっかけがあれば一気に噴火しそうな危うさがあった。
「あれを見て、逃げるんですか」
「そうだ。逃げるべきだ。敵の数も、戦力も、状況も分からずに突っ込むなんて、馬鹿のする事だ。そもそも、この村は、小屋を間借りしていただけの関係だ。縁も所縁も無い奴を助けに行く理由なんて無い」
非情に聞こえるかもしれないが、父親の言葉は正しい。
今から助けに行ったところで、どれだけの村人が救えるのか。救ったとしても、その後はその後で面倒だ。部外者である自分たちが、謂れの無い疑いを掛けられる可能性だってある。
ここはこっそりと逃げるのが正しいのはエイリークとて理解しているはずだ。
だが、振り返った彼は真っ直ぐな瞳でオルタナ達を見つめた。
「すいません。それは出来ません。それは、俺のしたい事とは反する事だ」
「……そうか。なら、どうするつもりだ」
「強いから奪えて、弱いから奪われるなんて、そんなふざけた決まりは、許せない。ここは、あそことは違う。行き詰った螺旋の底じゃない。どこまでも自由な地平なんだ。……それを証明する為に行きます」
エイリークが、安城琢磨が異世界を熱望したのは生きているという実感を得たいが為だった。この世界に来て、何かがしたいという欲求は無く、ひたすらに転生を、第二の生を熱望していた。
これでは異世界転生したという事実に満足してしまうと危機感を抱いた13神アネモイはあえて彼を奴隷という過酷な場所で誕生させた。
奪い、奪われるという理不尽な環境を過ごした事で、エイリークの心の中にはそれまでになかった新たな感情が芽吹こうとしていたのは、間違いなく神の狙い通りだった。
「自己満足だな。それで死んでも構わないのか?」
「……死ぬのは嫌です。でも、ここで見捨てる事は死ぬのと同じなんですよ。お世話になりました。どうか、無事に逃げて下さい!」
「あ、ちょっと待って!」
オルタナの制止の声は届かず。エイリークは扉を開け放つと坂道を下っていった。
遠ざかる背中を見て、父親は不愉快そうに舌打ちをした。
「馬鹿だ。大馬鹿野郎だ。ありゃ、早々に死んで村人と運命を共にするな。まあ、これは良い機会だ。厄介払いが出来た。俺達は裏から出ていくぞ」
鞄を掴み、息子に声を掛けるがオルタナは駄目だ、と呟いた。
「……どういうつもりだ、オルタナ?」
「良い機会なのは同感だよ。彼が本当に僕と同じなのか、見極める絶好のね」
「……まさか、このまま残るつもりなのか。あいつがお前と同じかどうかを確かめるために。……悪いが、この二月、あいつを見てきたがあれは単なる奴隷の子供だ。お前のようにふざけた力も、特殊な知識もあるようには見えなかったぞ」
父親の手厳しい評価にオルタナは僅かに苦笑してしまう。それは的外れだ。
「父さん。僕たちは凄い力や知識があるから特別なんじゃない。この世界と真剣に向き合おうとするから、特別なんだよ」
そう静かに言ったオルタナはとても十に満たない子供とは思えない笑みを浮かべていた。
見慣れた光景が紅蓮に飲み込まれていく。轟々と燃え盛る炎の中に家や動物、あるいは人らしき影が垣間見えた。四方を炎に包まれて、うだるような熱さが脳を煮え立たせる。
手にあるのは鍛冶屋の旦那から貰った小さなナイフが一振りだ。
とてもじゃないが、人を殺すには難しい道具だ。
いや、そもそも自分に人を殺す事は出来るのだろうか。
あの日、採掘場を支配していた兵士たちを殺せたのは、それまでの積年の恨みがあったからだ。くろまるを始め死んでいった兄弟たちの仇と、自由への渇望が人を殺すという禁忌への嫌悪を忘れさせていた。
その時とは状況が違う。
耳に聞こえてくる怒号と悲鳴に体が強張り、いつ、何が飛び出してくるのかと身構えていた。足は震え、一人きりなのが急に心細くなった。
すると、炎の中から人影が飛び出した。それはエイリークにしがみ付いたのだ。
「うわぁああああ! って、鍛冶屋の旦那!?」
炎が男の素顔を映し出す。
数日前とは比べられないほど憔悴しきった男は、最初はしがみ付いた相手が誰なのか割らなそうに暴れた。それを止めようとした時、エイリークは服から液体が染み出ているのに気づいた。
血だ。
服には絞れそうなほど大量の血が染み込んでいた。
「お、お前か。お前は、無事なのか」
喋る度に、口の端から赤い物が流れていく。生前の知識と経験から、彼が非常に危険な状態なのは一目瞭然だ。地面に横たわらせ、止血をしようとするも、その手を旦那が掴んだ。
「聞け、俺は、もう駄目だ。女房も、息子も、あいつ等に。ああ、俺が、俺が馬鹿だった。あいつ等の言葉を、何にも疑わずに。賞金稼ぎだなんて、嘘っぱちだ! あいつらが野盗なんだ。そうやって入りこんで、村の中を調べてたんだ。俺が研いだ武器で、家族は……家族はっ!」
それが男の最期の言葉となった。歯を割らんばかりに固く噛みしめ、無念そうに顔を歪ませると、掴んでいた手が力無く地面に落ちた。
失われたばかりの命を前にして悲しみに浸る暇はない。旦那が飛び出してきた方向から足音がしたのだ。
振り返れば、顔を布で覆い、手には奪った品を詰め込んだと思しき袋を掴む男が居た。
もう片方の手には血に染まった剣がある。それに見覚えがあった。数日前に研ぎ直しの依頼品だと聞いた剣だ。
野盗は淡々と、どこか機械的な反応を示した。奪った品を地面に置き、血がべったりと付いた剣を構える。名乗り合いも、余計な言葉も無い手慣れた動作。それを前にして恐れは吹き飛んだ。
エイリークは腰に差してある鞘からナイフを抜いた。
圧倒的にリーチで負けている自分に活路は一つしかなかった。相手が振り切るよりも前に一歩でも近づく。
まさか飛び込んでくるとは思っていなかったのか相手は一瞬反応が遅れた。その隙を逃さない。ナイフは男の武器を持つ腕を浅く裂いた。
腕の内側に赤い線が生まれ、血がぽたぽたと垂れていった。
初手から相手の命を奪おうとしなかったのは、それが非常にリスクの高い手段だからだ。手のひらほどの長さしかない刀身で、相手を殺すには首を狙うか、太い血管を切るぐらいしかない。だが、それを外すというのは、相手の懐で棒立ちすることになる。
そこで相手の行動を一つずつ潰していくことにしたのだ。
腕を切った後は足を、足を切った後はまた腕を。行動力と戦闘力、そして何より相手の士気を削りながら仕留める。
これは兵士を相手に毎晩考えていた戦い方の一つだった。
十年以上の月日を掛けて頭の中で思い描いていたシミュレーションは実戦経験の少ないエイリークにとって大きな武器だ。
「くう、ちょこまかと!」
腕も足も傷つけられ我慢できなくなったのか野盗は大振りに出た。
それを待っていたのだ。
相手の振り下ろしに合わせて後ろに下がり、目と鼻の先を剣先が通り過ぎるのを待ってナイフを投げた。それは相手の肩に突き刺さり、剣が地面へと転がる。
慌てて拾おうとする野党の顔面に拳を叩きこんだ。
くぐもった悲鳴を上げて地面に転がる野盗。彼が落とした武器を拾い上げて、相手の方へと向いた。もう、心は迷っていない。相手を殺す覚悟を固めていた。
―――しかし、その覚悟は一瞬で吹き飛んだ。
殴った拍子か、地面を転がった時なのか。顔を隠していた布は破け、男の素顔が炎によって浮き彫りとなった。この世の人間とは思えないほど醜く歪んだ悪鬼は此方を見て、呆然とした様子で呟いたのだ。
「……にーにー?」
悪鬼の顔が、兄弟の優しげな顔と重なってしまった。
読んでくださって、ありがとうございます




