9-4 モンスターの卵
書庫でマクスウェルらと共にレイを待っていたのは人相の悪い男と、腰が曲がった老婆だ。男の方は火を付けていないパイプを手で弄びながら、レイの方へと視線を向けた。
「よう、坊主。随分と名前が売れたようで。いやまさか、あの時の坊主が此処までになるとは予想すらしていなかった。その点で言えば、ジェロニモの眼力は侮れねぇな」
「……なんで、貴方がここに居るんですか。ハインツさん」
記憶から呼び起こした名前を呟くもハインツは笑みを濃くするだけで答えなかった。
目の前の男はハインツ・ゴルゴン。奴隷を扱う商人としては名門らしく、身なりも相応に豪奢な男だ。そして、レイにシアラを売った男でもある。
その隣で腰かけている老婆は、ゴルゴン商会で奴隷紋を刻む事の出来る人物だ。リザやレティ、シアラと結んだ奴隷契約は彼女にしてもらった。
「ひょひょひょ。久しぶりだね、来訪者。息災そうでなにより」
彼女はレイが『招かれた者』であることを知っている一人だ。異世界人の魂は特殊らしく、奴隷契約を交わす際にそれが発覚した。そのまま芋づる式にリザ達にも異世界人だと判明した。
親しいとは言い難いが、それなりに顔見知りの相手とこんな所で再会するとは露とも思っていなかったレイは困惑してしまう。
すると、それを察したマクスウェルが場を取り成した。
「このお二方は儂が呼んだのだ」
「マクスウェルがこの二人を。知り合いだったのか?」
「いや、違う。フェスティオ商会のジェロニモ殿に、奴隷商人でなおかつレイ殿と知己の者は居ないかと尋ねると、ゴルゴン商会の名を出されての。商会と接触すると、折よくお主を知る二人がデゼルト国に滞在している事が判明した」
「国が乱れれば、奴隷の需要も供給も高まるからな。情勢はジェロニモを通じて幾らか聞かされていたから、稼ぎ時と睨んでやって来たら、王宮からの遣いに呼び出されて、あれよあれよという間にここに来たって訳だ」
「まあ、確かに僕の事を知っている奴隷商人なんて、この人達ぐらいだけど。でも、何で奴隷商人が必要なんだ」
尋ねると、マクスウェルはもう少し待てと返した。
「あと一人、呼んでおるのだが……どうやら来たようだな」
扉が開く音に振り返れば、灰色まじりの緑髪が本棚の影から飛び出した。
「おにいちゃん。おにいちゃんも、おねえちゃんも、マクスウェルさまによばれたの」
不安そうな表情はレイ達を前にして解れた。小走りで駆け寄る少女、エトネにレイは驚いた。彼女はレティと共にミストラルの手伝いを買って出ていたはずだ。
「エトネまで。それじゃ、最後の一人って」
「うむ。これで全員そろったな。では、一つ目の要件から片付けよう」
この場に全員を集めたマクスウェルが場を仕切る。彼は机の上に、布でくるんだ何かを置いた。形状は楕円で、大きさは人の頭よりも大きい。
「ねえ。それって、もしかして」
正体が分からない物に対して反応したのはシアラだ。何か心当たりがあるのか、金色黒色の瞳でマクスウェルを窺うと、彼は首肯した。
「うむ。お主から預かった、例の物じゃ。儂の鑑定だけでは不足かもしれんから、念には念を入れて本職にも見てもらおうか」
どういう事だとレイが不思議がると、包みが解かれた。中から出て来たのは、白地に青の斑模様が入った卵だった。
このメンバーを集めて卵を見せる意図が分からないレイだったが、驚いた事に強い興味を示したのは、ゴルゴン商会の二人だ。
「これは見事な。確認させてもらっても、構いませんか」
「そのために招いたのだ。大いに頼む」
マクスウェルの許可が下りると、ハインツは卵を自分の方に引き寄せ、老婆と共に上から下までじっくりと観察する。手に取って肌触りを確かめ、軽く叩いて音を聞いたりする姿は、まるで古美術品の鑑定をするようだ。
レイは事情を知ってそうなシアラへと体を寄せて尋ねた。
「あの卵に心当たりがあるのか」
「まあね。実はあの卵、キュイが隠し持っていた奴なのよ」
「キュイが? でも、あいつが生む卵とは色も大きさも違うじゃないか」
レイ達の旅の仲間であるニチョウのキュイは卵を産む。それは無精卵なので、ありがたく朝食の材料として使わせてもらっているが、目の前で鑑定中の卵とは形状が全く違う。
「そうなのよ。気が付いたのはリザと合流した翌日の朝でね。あの子が隠し持っていたのを取り上げたんだけど、よく分からない代物だったのよ。そしたら通りがかった、マクスウェル様に気になるから渡してほしいと言われてね」
「それじゃ、シアラもあれが何の卵なのか知らないのか」
そう言う事、とシアラが頷くと、鑑定が終わったのかハインツが顔を上げた。
「マクスウェル殿の見立て通りで間違いないと思います。ただ、何の種類なのか、となりますと、そこまでは私にも生憎と」
「そうか。いや、気にするでない。なにしろ、研究が遅々として進まない分野。それも仕方ない事だ」
ハインツとマクスウェルは揃って気難しそうな顔をして押し黙った。話から置いてかれているレイは、ワザと声を張り上げて二人の間に割って入った。
「それで、その卵は何なんですか。奴隷商人まで呼んで、どういう事なんですか」
「説明が後回しになったのは謝罪しよう。だが、事は厄介でな。まず、この卵の正体について説明しよう。これは―――モンスターの卵だ」
マクスウェルが重々しく告げた内容に、レイ達は一瞬だが呆気にとられ、しかしすぐさま気色を変えた。
「モンスターの卵? これが?」
「間違いないぞ。この表面を走る斑模様に、分厚い殻はモンスターの卵に通じる特徴だ」
冒険者なら覚えておくといい、とハインツは続けたが、驚きの方が勝るレイは聞いていなかった。
モンスターとは、本来なら迷宮で生まれ、成長し、死ぬ存在だ。その肉体は栄養となって迷宮に吸収され、新しいモンスターを生みだす糧となる。ただし、それは迷宮内での話だ。
一度、母の胎内とでも呼ぶべき迷宮から外へと踏み出したモンスターは、地上のルールに縛られる。同種同士でコロニーを形成し、そこで営みを送る。食料を確保し、寝床を作り、外敵から種を守り、そして子を為す。モンスターがモンスターを生むのだ。
動物なら当たり前の営みはモンスターとしてのあり方を弱めていくという。地上で代替わりをしたモンスターから得られる経験値や魔石は、代を追うごとに減少していき、最後にはモンスターから動物へと変化する場合もある。
そんな地上のモンスターが子を為す手段として卵があるのは知っていたが、実物を見たのは初めてだった。シアラも興味深そうに卵を見つめていた。
「これがモンスターの卵だとして、どうしてそれを、あのキュイが持っていた事になるんだ。いつ、手に入れたって言うんだ」
「無論、戦争の最中じゃろう。お主らのニチョウ。キュイもあの戦場に居ったのだ。あの戦場には人間と魔人以外に、モンスターが大勢居った。クリストフォロスが何処からあの数を引き連れたのか知らんが、地上のモンスターなのだろう。これは推測なのじゃが、その中のどれかが卵を持ったまま死に、お主のニチョウがそれを拾った、と考えれば自然じゃろう」
「そりゃまあ、そうとしか考えられないけど。そんな事、あり得るのか」
「とんでもない確率だな」
限りなく零に近い確率の話だが、事実としてモンスターの卵が此処にあり、それを拾ったのはキュイである以上、マクスウェルの推測を認めるしかない。
しかし、それでも疑問は残る。
「どうしてハインツさんが、奴隷商人が此処に?」
「このモンスターの処遇について、解決法の一つとして呼んだのじゃ」
処遇という言葉にレイは首を捻った。これがモンスターの卵なら、解決方法は一つしかない。
「卵が孵化する前に壊すんじゃないのか」
「それも解決法の一例ではある。じゃが、実はもう一つ。この卵には使い道があるのだ」
一拍開けると、マクスウェルはその解決法を口にした。
「モンスターの奴隷化を聞いた事は無いか?」
「……モンスターを奴隷に? 彼女みたいに奴隷紋を刻んで、人の言う通りにする事が出来るのか」
驚くレイに奴隷専門の商人ができると返答した。
「あまり認知はされていないが、出来るんだよなこれが。昔、魔人の中にモンスターを操った男の事を知っているか?」
知っているどころか、それと対面したこともあるレイは頷いた。ハインツは話が早いとばかりに続けた。
「モンスターは操る事が出来る。それが実証されたことを受けて、モンスターに対する研究が過熱化してな。結果として、卵の状態に奴隷紋を刻み込めば、モンスターを使役する事が可能だと判明し、実証が繰り返され一般に普及したんだ」
もっとも、これはここ十数年ぐらいの話だがとハインツは締めくくった。
レイは驚きつつも、ある事を思い出していた。それは水の都、アクアウルプスでの一件だ。
《アニマ・フォール》を都にばらまいたエレオノール。彼女が隠れ蓑としていた犯罪組織アウローラサーカスにはモンスターを操る調教師が居た。
あれは恐らく、モンスターに奴隷紋を刻んだのだろう。
「モンスターの奴隷化はあまり一般的ではない。理由の一つに、やはりモンスターへの忌避感が強い事がある。奴隷化されているとはいえ、モンスターを街中に連れ込むのは混乱を招きやすく、迷宮では探索中に間違えられて冒険者から攻撃を受けたという報告もある。じゃが、少数で旅するお主らには、モンスターといえど新しい戦力を得るのは悪い話では無かろう」
暗に、これから過酷な運命が待っているのだから戦力を整えろとマクスウェルは言っていた。レイもそれには同意見だ。
モンスターを仲間にするのは、抵抗はあるが、六将軍や帝国とこれから対決するかもしれない現状、今のままでは戦力不足だ。
「それで、この卵は何のモンスターが宿っているのかしら」
卵の曲線を指先でなぞるシアラ。知識のないレイ達では、殻を眺めていてもその奥にあるモンスターの正体は分からない。だから専門家や賢者に尋ねるも、彼らは顔を曇らせた。
「それに関してだが、よく分からんとしか言えん」
「モンスターの奴隷化が一般になって十数年。膨大なモンスターの種類に対して事例は少なく、モンスターの卵に対する研究も行き詰まりを迎えている。この卵からどんなモンスターが孵化するかは不明だ。とりあえず言える事は、あの戦場に散ったモンスターのどれか、と言う事だけじゃな」
「じゃあ、とんでもなく厄介なモンスターが出てくる可能性があるって事か」
「無論、その逆もあり得ると」
戦闘に特化したモンスターが出るのか、あるいはまったく役に立たないのが出てくるのか。それは運に任せるしかない。
(中身のわからないガチャみたいなものか。下手に契約したら、妙なのを預かる事になるかもな)
「ねえ、話の大筋は分かったけど、どうしておちびが呼ばれたのかしら」
考え込むレイに代わり口を開いたのはシアラだ。そういえばとエトネを見れば、好奇心に瞳を輝かせて、卵を見つめていた。
「奴隷契約をするのは主様でしょ。だったら、この子が来る必要は無いでしょ」
シアラのもっともな疑問にマクスウェルは否と告げた。
「実はそうもいかん。モンスターとの奴隷契約は、人との奴隷契約と本質は変わらんのじゃ」
「……それってもしかして、僕とこのモンスターが契約を交わすとなると、対等契約しかできないのか」
レイの言葉に老婆がその通りだと頷いた。
それは二重の意味で厄介だ。モンスターの死がレイの死に繋がるのならば、このモンスターにも《トライ&エラー》が発生する恐れがある。
それは余りにも危険だとレイは考えた。
「人以上にモンスターは死にやすいからな。そんなのと対等契約を結ぶのは余りにも危険すぎるだろ。かといって、奴隷は奴隷を持てない。坊主以外は奴隷だからどうするのかと思ったら、このお嬢ちゃんが来たって訳だ。……まさかハーフのエルフがパーティーに居るとは思わなかったがな」
商売柄か特別な人種を前にして興味を示すハインツに、エトネは素早く反応した。嫌悪を隠さずにシアラの背後へと逃げ込んだ。過剰とも言える反応だが、彼女の来歴を考えれば仕方ない。父が、そして母が死んだ原因は奴隷商人による物だ。
「ふむ。どうやら嫌われてしまったようだな。まあ、話を纏めようか。もしも、お前さんがこの卵を奴隷化するというのなら、そっちのお嬢ちゃんを主にするのがお勧めだ。これはマクスウェル殿の意見でもある」
マクスウェルの方を伺えば、彼は意味深な視線を向けていた。
彼は《トライ&エラー》の事を知っている。
死ねば時間を戻せることだけでなく、対等契約を交わした奴隷の死でも巻き戻る事を知っている。彼もまたモンスターをその輪に加える事は危険だと判断して、エトネを主に推薦したのだろう。その気遣いは正しいのだが、一つ問題もある。
「エトネ。話は聞いていたかな」
ここで話を振られるとは思っていなかったのか、エトネは萌黄色の瞳を不思議そうに傾けた。
「この卵から生まれようとする奴は、どんな種類なのか。それは誰にも分からない。もしかしたら、とんでもなく危険な奴かもしれない。傍に居るだけで、周りが苦しんだり、迷惑を受けるかもしれない。君はこの先、そいつと共に暮らせるか。あるいは、自分の手で始末を付けられるかい」
「レイ殿。そこまでの覚悟をエトネ嬢に求めなくとも―――」
「―――ごめんなさい、マクスウェル様。これは《ミクリヤ》の問題。横から口出さないで頂戴」
シアラが制したことにレイは目で礼を伝え、改めてエトネへと向き直った。彼女は幼くとも可憐な相貌を悩ませて悩んでいた。
厳しい質問なのは承知しているが、これはエトネの今後に関わる問題だ。
エトネとは遠くない未来に別れる。
それは彼女が望んだことだ。
故郷で静かに暮らしていた幼い少女は、その身に流れる血の希少さから父を失い、母と共に故郷を離れエルフの里に身を寄せようとした。だが、不幸にもその道中で母を失った彼女は、エルフの里からも拒絶され、一人で故郷の山まで戻る事になった。
レイ達と行動を共にしているのは、彼らに依頼したからだ。自分を故郷まで連れていってほしい、と。
そして、次に向かう国こそ、彼女の故郷。
中央大陸南部にある、獣人の国カプリコルだ。
レイが彼女を試すような質問をしたのは、全ては彼女の安全の為だ。
エトネが一人で暮らしていく場合、奴隷化したモンスターは武器になるはずだ。エトネが闇ギルドの奴隷商人から狙われたのは事実だ。いまも、正規の奴隷商人であるハインツでさえ彼女に強い興味を示した。中位冒険者となった彼女の事だから、そうそう遅れを取る事は無いはずだが、それでも備えはあった方がいい。
その備えにモンスターは役立つのではないかと考えたのだ。
しかし、現時点でどんなモンスターが生まれるのか不明なため、これは危うい賭けなのだ。もしも生まれてきたモンスターが、奴隷化しても危険な種類ならば殺す必要がある。その時、傍に自分たちが居れば彼女は手を汚さずに済む。だが、そうでなかった時、果たして彼女はその決断を下せるのか。
それを含めて、レイは彼女に問いかけていた。
「選ぶのは君だ。君がどうしたいか、教えてくれ」
問いかけに沈黙が返った。
エトネは俯き、如何すればいいのか爪先をじっと見つめていた。やはり、この年頃の子供に求める質問では無かった。
「うん。分かった。なら、マクスウェル。その卵は―――」
「―――まって、おにいちゃん」
小さな声は、意外なほど書庫に響いた。振り返れば、悲しそうな萌黄色の瞳とぶつかった。
「エトネが、エトネがいらないって、いったら。このこは、どうなるの」
「廃棄が妥当だろうな」
そっけない口調で言うのはハインツだ。パイプを弄びながら、
「どんなモンスターから採取された卵か分からん以上、商品価値を付けられん。俺を含めた真っ当な奴隷商なら扱わんな。マクスウェル殿は如何かな」
「儂としては、学術的に興味はあるが、生憎とこの為体でな。しばらくは安静にしておく必要がある。管理できない以上、諦めるしかない」
揃って不要と言われ、エトネの表情は更に曇った。シアラの影からおずおずと進み出ると、机に置かれた卵へと手を伸ばした。モンスターの卵だからか、少し怯えた様子で、しかしゆっくりと手を当てた。
「わぁ、あったかい。あったかいよ、おにいちゃん」
レイも彼女にならい手を当てる。分厚い殻は熱を持っており、脈動すらしていた。自分は生きていると声高に叫んでいた。
「きめたよ、おにいちゃん。このこはエトネが、せきにんをもってめんどうみるよ」
「……いいのかい。ここで見捨てても、誰も君を咎めないよ。何しろ、相手はモンスターなんだから」
「うん。でもね、このこはなんにもわるいことしてないんだよ。ひとをたべたわけでも、きずつけてもいない、うまれていないこ。それなのに、かってにころされるなんて、そんなの、かなしいよ」
優しい子だとレイは思った。自分が口にしている内容が、どんな責任を持つことになるのか、それを含めた上で、彼女は面倒を見ると言っている。
ならば、レイに止める権利は無い。
「分かったよ。ハインツさん。この卵と、この子の間に奴隷契約をお願いします。代金はもちろんお支払いします」
「承った、と。もっとも、やるのは俺じゃなく、婆さんだがな」
言うと、ハインツはエトネに場所を開ける。どうすれば良いのかと不安がるエトネに、椅子に座って言う通りにすればいいんだと教えて背中を押した。
「可愛らしいお手てだね。さ、この水晶玉に手を」
老婆の陰気な声に導かれるように奴隷の契約が行われていく。それを眺めていると、シアラがわき腹を小突いた。不満そうな表情を隠そうともせずに、
「ねえ、主様。おちびにモンスターを預けたのは、あの子の安全の為? アンタ、もしかしなくてもカプリコルでおちびと別れるつもりなの?」
不機嫌な口調と下からねめつける様な金色の瞳にレイは背筋に冷たい物を流した。
「……つもりもなにも、その予定だろ。彼女を生まれ故郷に連れていく。それが僕らの受けたクエストだ」
「そうだけど……情とか未練とかないわけ? これだけ旅して来て、危険な事も楽しい事も一緒だった仲間に、まるで餞別を用意するような」
納得出来ないとばかりに呟くシアラに、レイは少しだけ笑ってしまう。シアラの今の姿は、子離れ出来ない親に似ていた。普段はおちびと呼び、からかっているのだが、実際はエトネを一番に心配しているのは彼女だろう。
笑った事に気づかれ視線は鋭さを増したため、レイは誤魔化すように咳払いをした。
「そりゃ、僕も別れるのは寂しい。出来る事なら、一緒に旅をしたい。でも決めるのはエトネだ。故郷の山に戻り、その後を如何するのかは彼女しだいだ。その時に、どんな選択をしても大丈夫なように準備する事しか、僕らには出来ない」
違うか、と尋ねるとシアラは不満そうにするも理解は示した。
そうしている間にエトネと卵の間に奴隷契約は為された。
卵の上の方に、リザ達と同じ奴隷紋が焼き印のように記され、エトネも右手に溶けるように消えた奴隷証文を不思議そうに見つめていた。
「覚えておきな、お嬢ちゃん。人との奴隷契約だと、奴隷に死ぬことは強要できないけど、モンスターとの奴隷契約はそれが出来る。あんたの手に負えないぐらいになった時は、周りに迷惑を掛ける前に、ちゃんと始末を付けるんだよ」
「うん、わかった。ありがと、おばあちゃん」
「良い子だねぇ。……うちにくるかい」
「何言ってんだ、婆さん」
人さらいに職種替えしそうな老婆を引き剥がしたハインツは、後で代金を請求すると言って書庫を出ていった。
「これで、まずは一つ用件が片付いたな。では二つ目に入る……のだが」
言葉尻を濁したマクスウェルは意味ありげな視線をシアラに向けた。どうやらレイと二人きりで話したい様子だ。それを察したシアラは卵を大事そうに抱えているエトネに、
「じゃ、おちび。ワタシらはあっちでモンスターの孵化について調べましょうか」
「ふか?」
「卵が孵ることよ。どうやったら孵るのか、アンタは知ってるの」
「ううん」
「でしょ。じゃあ、行きましょう。ついでに、文字のお勉強の時間よ」
「ぇう」
一瞬にして表情から感情が抜け落ちたエトネを連れて、シアラは本棚の迷宮へと姿を消した。残されたレイは、マクスウェルが促すまま彼の正面へと座った。
「さて、順序が狂ってしまったが、まずは謝罪の言葉を送らせて欲しい。何しろ、ここに至るまで慌ただしく、そのような時間が取れず仕舞いでな」
「改まってどうしたの」
「なに、お主には助けられた。正直な話、お主らの救援無くして、六将軍の撃退はおろか、退却もままならなかったろう」
高位冒険者にして『三賢』と謳われたマクスウェルでさえ、六将軍と『勇者』の軍勢を前に敗北を覚悟していた。それだけ逼迫した状況だったのだ。
それがこうして生き残れたのも、レイ達が六将軍第六席ディオニュシウスを足止めし、更には『勇者』ジグムントを停止させたからだ。
「その代償として、お主の仲間。レティシア嬢の秘密が明らかになってしまったのは、儂らの力不足ゆえ。それを含め、すまない、と」
深々と頭を下げるマクスウェルにレイは首を横に振った。
「頭を上げてくれ。レティの事は、いずれ何処かで明らかになっていたよ。多分、水の都で女帝ジョゼフィーヌと出会った瞬間が致命的だった。勘だけど、今はそう思うんだ」
シュウ王国に嫁ぎながらも帝国本土に絶大な権力を有する魔女ならば、何を仕掛けてもあり得るだけにマクスウェルも同意しかける。
「例えそうだとしても、これは儂の気持ちの問題。そしてそれとは別に、儂自身の役目の為、お主に渡しておきたい物がある。それゆえ、こうしてわざわざ足を運んでもらったのだ」
渡す物とは何なのかと不思議がるレイの前で、マクスウェルは居住まいを正した。途端に周囲の空間が緊迫した物へと様変わりし、釣られてレイも緊張を滲ませてしまう。
「まず、改めて自己紹介をさせてもらいたい」
「自己紹介? それなら前にもしてもらったじゃないか」
「あれは法王庁に属する者としての紹介じゃ。これからするのは、儂本来の所属になるのだ」
謎めいた言葉を紡ぎ、一拍開けるとマクスウェルは告げた。
「儂の名はマクスウェル・エラトステス。学術都市最高意思決定機関『三賢者』が一人。人は儂を流浪のマクスウェルと呼ぶ。以後、改めてよろしく頼む、『招かれた者』よ」
読んで下さって、ありがとうございます。




