9-2 動乱終わりし後
頭が割れんばかりに痛い。
頭の中に直接入り込んだ小人が金づちを振るうかのような鈍痛が、目を覚ましたレイを襲う。横たわった体を起こせば、視界は正常な角度となる。
飛び込んできた部屋の散々たる状況にため息しか出なかった。
豪奢な造りの部屋はそこかしこに酒瓶が転がり、皿に山と盛られたつまみは僅かにしか残っていない。部屋には酒気の匂いが漂い、自分の吐く息にも混じっている事にレイは気が付いた。
「……三日連続で……二日酔いかよ」
酒でやられた喉は掠れた声を発した。
デゼルト国動乱と後の世で呼ばれる騒動から二週間。
世界は張り詰めた緊張から、徐々にではあるが平穏へと移りつつあった。
新王ダリーシャス・デゼルトと法王庁は今回の騒動を、偶然が重なって起きた出来事だと発表した。
王位を巡る内乱中に、不幸にも古に封印された黄龍が復活。それを『聖騎士』が率いた特別部隊が撃破すると、内乱鎮圧を目的として駐留していた帝国軍の一部が暴走。それを防ぐ形で一時的に帝国軍との戦端は開いたが、すぐに終結。現在は、他の帝国兵共々、これ以上の暴走が無いように拘束、監視下に置いている―――という筋書きが世界を相手に発表された。
無論、それが嘘八百なのは当時者である帝国も知っているが、彼らもその嘘に乗った。派兵した部隊の指揮官、ディオクレティア将軍が独断で行動したと釈明をしたのだ。
人災で崩れ落ちたカリバン砦跡からディオクレティアと思われる遺体が発見された。死者に口なし、これ幸いと全ての責任を押し付けたのだ。
汚いやり方だが、これも政治である。落とし所を作らなければ、世界が納得しないと言われてしまえば返す言葉は無かった。
こうして、今回の騒動において六将軍の名前と、ついでに『守護者』の名前は削られる事になった。魔人達の暗躍という事実は、世界中に伏せられたままなのは思う所が無いわけでは無かったが、一方で混乱を長引かせないという方針にも理解できる。
その代りとばかりに、自分たちの名前が売れてしまったのは納得できない。
等級は上がらなかったが、黄龍撃破に貢献したことでデゼルト国及び法王庁から全員が叙勲される事になった。
シアラに言わせれば、人民に浸透しやすい華美な英雄を祭り上げる事で、真実を覆い隠す常套手段ね、との事だ。もっともそれが分かっていても、断わる事は出来なかった。
ちっとも覚えられない長い名前の勲章は、鞄の奥底で大事に眠っている。
動乱後、《ミクリヤ》の名前は大々的に広まり、久しぶりに再会したフェスティオ商会若頭のジェロニモなどを経由して、様々な方面から接触があった。俄かに周りがうるさくなり始めたので、彼らは騒音被害から逃れるために王宮へと引き籠っていた。
「……喉……乾いたな」
レイは近くにあったコップに残った液体を煽ろうとして、その中身が酒であることに気が付き下ろした。きょろきょろと辺りを見ても、転がっているのは全て酒瓶。それも大体が空だ。
何とも酷い有様だと思いつつ、ようやく目当ての水差しを壁際の棚の上で見つけた。そこまで歩こうとするも、その足取りは夢遊病患者のそれに似ていた。数メートルの距離を歩くのに五分近く掛け、その間に七回は転んだ。三回は瓶を踏んだことで転んだのだが、残りは何も無い所で転んでいた為、始末に負えなかった。
いつの間にか、頭以外も痛み出した体に首を捻りつつ、水差しに直接口を付けた。生ぬるい水ではあったが、体がよほど乾いていたのだろう。あっという間に空になると、黒い瞳にあった酩酊の陰りは消えていく。
「昨夜は……ああ、そうだ。クトゥスが部下を連れて混ざったのか。あいつ、暗殺者の割に表に顔出し過ぎじゃないか」
明確になりつつある意識は昨夜の乱痴気騒ぎを正確に覚えていた。《神聖騎士団》のメンバーが酒瓶とつまみを抱えるようにして、レイが寝泊まりしている部屋に突撃を仕掛け、酒盛りは始まった。
当然のように捕まり、逃げる事は出来なかった。逃げようとしても、相手は高位冒険者の集団。例え酔っ払っていても、レイを捕まえるぐらい造作も無かった。
飲み始めてからしばらくして、ダリーシャスに報告を終えたクトゥス・ヌギドが部下を連れていつの間にか酒盛りの輪に加わっていた。溶け込む様に風景に加わる手際の良さは、流石暗殺者と賞賛すべきだろうか。
レイの意識が辛うじて残っていたのは、窓から見える濃紺の空が白くなりつつある空だ。おそらく、夜明けの空だ。今の時刻は壁時計が昼を指していた。
随分と寝すぎてしまったと反省しつつも、やはり疲労が溜まっていたなと痛感した。
弁明する訳ではないが、周囲が俄かに騒がしくなり、王宮に逃げ込むように暮らしている間、何も酒浸りの毎日ではない。どれだけ周りが騒がしくなっても、レイは冒険者なのを忘れていない。
外を出歩けないレイ達の為にと、王宮まで足を運んだギルド職員にプレートの更新を頼んだ。ガヴァ―ナの港から動乱終結まで《ミクリヤ》は少ない回数戦闘を行った。特に上げるとしたら、やはり黄龍戦とディオニュシウス戦で得た経験値は膨大だ。黄龍戦に参加できなかったレティでさえ、ディオニュシウス戦で得た経験値で一気にレベル上げていた。
どんな状況であれ、強くなったことは喜ばしい事。喜色を滲ませるリザ達の一方で、レイは憂鬱な表情をしていた。彼はある覚悟を決めて、改めて自分のステータスと向き合った。
レベルは百の大台を突破した、能力値もそれなりの数値を指していた。
だが、その数字が最大値から減少していたのを彼は知っていた。
彼の持つ特殊技能、《トライ&エラー》は一度や二度程度の死ではイタミ以外のペナルティは発生しない。だが、それが百や二百となり、更には奴隷契約を交わした戦奴隷が死ぬとなると話は別だ。
発生するペナルティというのは、能力値が低下してしまうのだ。
レベルは下がっていないが、実質的には下がったのと同じだ。むしろ余計に性質が悪いと言えた。能力値を上げる手っ取り早い方法はレベル上げる事だが、レベルが高くなるにつれ上昇に必要な経験値は増えていく。『冒険の書』において、レベルが百を超えると、一つ上げるだけでも相当な数のモンスターを討伐しなくてはならないと書いてあった。
レベルを上げて、下がった能力値を(アビリティ)を取り戻す事も難しくなった。
六将軍第六席ディオニュシウスは魔人であると同時にモンスターでもあった。黄龍戦で得た能力値は戦闘中に発動させた《トライ&エラー・グレートディバイド》によって低下し、そこからディオニュシウスを倒した経験値を獲得して上昇したのだろうが、やはり黄龍戦直後のステータスと比べれば見劣りがする。
これまではあまり深く考えてこなかった問題だが、そうもいかないとレイは危機感を抱いた。
名前が売れれば、それだけ強敵と遭遇する危険も高まる。
六将軍の一角を打ち倒し、彼らの企みを挫いたレイ達は『魔王』の勢力から狙われる可能性が高い。そうなれば、《トライ&エラー》を使う頻度は高まるだろう。
そうなると、能力値の低下というペナルティが発生し、更に死ぬ可能性や頻度が増して行き、更にペナルティが発生しやすい状況へと転がり落ちていく。
このペナルティを無視する事は出来ない。
そんな時、声を掛けてくれたのが《神聖騎士団》だった。彼らは六将軍との戦いの後も、デゼルト国に滞在していた。名目としては、拘束中の帝国軍への武威による牽制だが、本当の所は不明だ。法王庁から指令を受けているのか、あるいは何か目的があるのか。
どちらにしても彼らもまた、王宮内に滞在して暇を持て余していた。
手っ取り早く言えば、暇を潰せる方法を探していた。
彼らはレイの持つ《トライ&エラー》について知っており、そのペナルティの一つに能力低下がある事も聞いていた。そしてディオニュシウスとの戦いに助太刀してくれたミストラルから、レイが死を繰り返した事を聞いていたから話すまで無く、状況を察していた。
「ペナルティ自体をどうにかする方法は生憎と知らないが、下がった能力値を上げる方法は知っているよ」
そう、簡単に言ってのけたローランにレイは喰い付いた。
「ほ、本当ですか。それってどんな方法なんですか」
その行動が間違っていたのは、ほどなくして理解できるのだが、その時には遅すぎた。満面の笑みを浮かべる脳筋三号は簡潔に、
「簡単だよ。―――体を鍛えれば良いんだよ」
と、言ってのけた。
「……はい?」
思わず聞き返してしまったレイだが、ローランは何らおかしな事は口にしていなかった。
能力値を手っ取り早く上げる方法がレベルを上げる事ならば、地道に上げる方法は体を鍛えることだ。『冒険王』エイリーク曰く、冒険者の能力値の項目には、それぞれ熟練度なる数値も設定されている。これはレベルとは無関係に、人が鍛えられた分上昇されていく。
「つまり、筋力が落ちたのなら筋力を上げる特訓を。敏捷が下がったのなら敏捷を上げる特訓をすれば、墜ちた分は取り戻せると言う事さ」
「説明は理解しました。理解しましたけど、これはどういう状況なんだ!」
抗議の声を高らかに上げるレイ。借り物の防具で全身を固め、手には刃を潰した片手剣。それを取り囲むのは《神聖騎士団》の面々だった。流石に愛用の武器を持ちだしてはいない、迸る闘気は濃厚で、王宮に迷い込んだ小鳥たちは一斉に羽ばたいて逃げた。
「だから、能力値を手っ取り早く上げるには格上との実戦形式の乱戦が一番だ。これだけで生命力、精神力、筋力、耐久、敏捷、ついでに感覚と六つの項目が同時に上がるよ」
おかしなことを口にしていないが、口にした人間がおかしい人物だった。
「一歩間違えれば死にますよね! 僕は死に戻れるだけで、普通に死にますから!」
「大丈夫、大丈夫。このやり方は武装神官を育成する神学校で、正式に行われている方法だ。僕らも経験したけど、死者は……うん。とにかくやってみようか」
「死者は!? 死者が出たんですね。というか、ちょっと、待って。一人ずつじゃなくて、一遍に来るな、ってアンタも来るのかよ、ローランさん!!」
レイの悲痛な叫びが中庭に木霊した。
その後の事は思い出したくない。吐き気がするのは深酒とは違う理由だ。
もっとも、ローランの言葉は偽りでは無く、一定の効果はあった。五日間、連日太陽が沈むまで行われた特訓のお蔭か、ローランが太鼓判を押した項目の数値は黄龍戦後に大分近づいた。特訓という名のリンチが終わると、
「マクスウェルが動けたら、魔法抵抗力とかも同時に上げられたんだけどね」
「それってどんなやり方、いや、良いです、聞きたくないです」
「あはは。でも、真面目な話、これは応急措置に近い。出血した箇所を塞いでいるのと同じだ。重要なのは、出血する原因を取り除くことさ。この先、君がもっとレベルを上げ、実力を付けた場合、能力値が低下したからといって、同じ事が通じるとは限らない。この先も《トライ&エラー》を使うなら、そこら辺は真剣に考えるべきだ」
それは重々承知していた。
この先も《トライ&エラー》を使い続けるのならば、ペナルティから逃げる訳には行かない。能力値の低下だけでなく、もう一つの問題も含めて。
あまり思い出したくない日々を思い出してしまったからレイの表情は優れていなかった。しかし、この五日間の特訓で目標に近づいた事で、今日は休みとなった事を思い出せた。
だから、誰にも起こされずに放置されていたのだろう。
「さて、と。皆はどうしてるかな」
自分以外誰も居ない室内。時間からして、今頃中庭に集まっているだろうと見当を付けた。
本来、この部屋は来賓の宿泊を目的としている。
豪奢な飾りが施された天蓋付きのベッドがあるが、残念ながら寝心地を味わった事は無い。毎夜毎夜、酒瓶とつまみを片手に突撃する《神聖騎士団》の面々に付き合い、頬に絨毯の跡を付ける日々。
そんな中でリザ達は宴会に一応参加するも、頃合いを見計らってそろりと姿を消してしまう。大抵、シアラが酒瓶の一本をくすね、別室でしっとりと飲んでいるそうだ。できればそちらに混ざりたいのだが、高位冒険者からは逃げられない。
それでも、流石は音に聞こえた《神聖騎士団》。レイが毎朝二日酔いに苦しみながら特訓という名の生き地獄を耐えている間、彼らは酒が残っている素振りは一切見せない。部屋を埋め尽くさんとする酒瓶の大部分は彼らが開けたというのに。
酒に対する耐性も飲めば鍛えられるのだろうかと考えたレイが、龍刀を腰のベルトに差して外に出れば、待っていたと言わんばかりに女官がずらりと並んでいた。
軽く会釈をすれば、深々としたお辞儀が返された。
「おはようございます、レイ様。お部屋の清掃に入っても宜しいですか」
「え、ええ、構いません。よろしくお願いします」
どうやら、レイが起きるのを待っていたようで女官たちは隊列を組んで中へと入っていく。戻って来る頃には埃一つ無い完璧な状態なのだろうが、その数時間後には台風じみた襲撃で荒らされてしまう可能性が高い。
自分のせいではないのだが、レイは申し訳なさがこみあげて来た。
ともかく、結果として部屋を追い出されてしまった。何処かで時間を潰さなければならない。
(腹はさほど空いてないんだよな。リザとかは多分中庭に居るんだろけど、どうせローランさんらもそこに居るだろうし。行けば巻き込まれるよな)
どうするべきかと悩んでいると、廊下の先から見慣れた顔が歩いてきた。
《神聖騎士団》の槍使いだ。
「なんだ、起こしに来たんだが、起きていたのか。てっきり、もう少しばかり眠っていると思ったぞ」
意外そうな表情をする青年にレイは挨拶をする。
「おはようございます。起こしに来たって事は、僕に用なんですか?」
「ああ。実はやっとマクスウェルが動けるようになってな」
喜ばしい知らせにレイは喜色を浮かべた。
『三賢』マクスウェルは帝国との戦争が終わり、首都オーマットへ戻る最中に倒れてしまった。原因は極度の疲労だ。意識は朦朧とし、脈も取れないほど弱々しくなった。
考えてみれば、当然の話だ。
ゲオルギウスとの神前決闘から立て続けに起きた黄龍討伐や六将軍との激闘において、マクスウェルは味方の要として活躍していた。後から聞いた話だが黄龍戦の時は、黄龍が持つ魂吸いを止めるために体に負荷がかかる力を発動し、六将軍との戦いでは仲間の援護があったとはいえ、第四席クリストフォロスと渡り合っていた。
シュウ王国で起きたスタンピードの際に、操られていたとはいえ赤龍を単独で制圧しかけたテオドールと互角に戦えたクリストフォロス。そんな怪物と呼べる存在と渡り合えば、消耗も仕
方ない。
それから今日まで、マクスウェルの意識は回復したが立ち上がる事もままならかった。
面会も謝絶で、看病のために出入りできたのはミストラルとその助手になったレティだけだ。そんな人物が動けるようになったというのは喜ばしい知らせだ。
「それはおめでとうございます。……でも、どうしてそれを僕に」
疑問に首を傾げると、同じ疑問を抱いた槍使いが、訝しそうに口を開く。
「ああ。実はそのマクスウェルがお前さんを呼んでいるんだ。悪いんだが、書庫まで来てくれないか」
読んでくださって、ありがとうございます。




