8-66 終局へと至る道 改訂版
※シアラのセリフを追加。
世界が停止したように、レイには思えた。
時の針が凍り付き、風が凪ぎ、空に浮かぶ雲すら縫い付けられたように動かな。
何より、死が人の形を成したような『勇者』が聖剣をレティの首筋に当てたまま停止したのだ。見る者の魂すら吸い込みそうな美しさでありながら、その切れ味は龍刀コウエンや精霊剣バルムンクよりも確実に上だと一目で思い知らされる宝刀。レティの細い首なぞ、濡れた紙を破くよりも容易く切断するはずだ。
その剣が、少女の肌に赤い筋を作る。鮮やかな色をした血が汗のように首筋を流れるも、翠の瞳に恐怖の色は無かった。
まるで、この剣がこれ以上進む事はないと知っているかのように、レティは動じていなかった。
それを証明するかのように、ジグムントは聖剣を引いた。それだけでも驚愕に値するというのに、その場で膝を折り、大地に剣を突き刺したのだ。
あたかも女王に剣を預ける騎士のように、どこか物語めいた光景を大地に転がりながらレイは呆然と見つめていた。
ディオニュシウスも同じだった。生半可な方法では消えないコウエンの炎に巻かれた魔人は、炎が喰らいついて離さない外側を切り離した。脱皮した内側から、一回り小さい狼が飛び出し、今にもレイを襲おうとしたが、ジグムントが停止したことで硬直した。
彼もまた、人魔戦役の時に、『勇者』の脅威を目の当たりにした一人。それゆえ、ジグムントが停止するのはあり得ないと思いつつも、同時に一つの可能性に思い至っていた。
「マサカ、ソノショウジョハ―――」
横に大きく裂けた狼の口から、なんという言葉が続くはずだったのか。それは永遠に分からず仕舞いとなる。何故なら、ただ一人。この異常な時が止まったとさえ思える状況で変わらずに動ける者がいたのだ。
着流しの裾がはためき、一陣の風と為ったサファが刀を振るう。『勇者』を単騎で押しとどめていた事による疲労が全身を縛る中、それでもこの剣鬼の太刀筋に衰えはあり得なかった。
脱皮したことで多少はサイズが縮んだが、体長だけでも七メートルはあるディオニュシウスの体が十字に裂ける。肉塊が四つに分かれ大地に倒れ伏すと、サファは即座に反転した。
狙うはジグムントの首だ。
しかし、『守護者』の溢れんばかりの殺気に反応したかのように、ジグムントが聖剣を大地から引き抜いた。刀身が煌めき熱線が大地を走る。サファは前方の空間を切断することで熱線を何処かへと飛ばした。そして、体を捻りながら続けざまの第二撃、第三撃を躱して距離を詰めた。
一騎に肉薄する両者の刃が激しくぶつかり合うと、空間を打ち砕きかねない衝撃波が広がった。
拮抗する両者の刃。
ところが、その天秤は呆気なく傾く事になった。
サファの細い体が聖剣の斬撃に弾き飛ばされたのだ。
それまでどうにか互角だった力量が、遂に逆転したのは明白な理由があった。
ジグムントの特殊技能、《ブレイバー》のせいだ。
仲間と定めた存在の劣勢に反応して力を増加させるこの技能。その仲間の定義には六将軍も含まれていた。ディオニュシウスがサファによって戦闘不能に追いやられたことで、その劣勢が力となってジグムントを強化させてしまった。
態勢を崩されたサファにジグムントの刃が迫る。
無防備な所に振るわれる刃が、柳のように細い体を斜めに裂く寸前、少女の声が再び『勇者』を縛った。
「止まって、ジグムント!」
無力な少女の叫び。
だというのに、ジグムントは雷を浴びた様に全身を痙攣させた。そしてサファから大きく距離を取るとレティの傍で膝を突いた。聖剣を地面に突き刺す姿は、レティが『勇者』を従えているようでもあった。
事実、彼女がジグムントを操っていた。
サファは動かないジグムントと、彼が傅くレティを交互に見つめた。そして濃厚な殺意をジグムントだけに絞ると、途端に彫像めいた『勇者』が柄に手を伸ばした。
だが、サファが殺気を散らすと、ジグムントもまた剣から手を離した。
「どうやら、自己保全を優先しつつも、それ以外ならそこ娘の命令を受けるようだな。……あるいは、娘ごと切り裂けば、首を落とせるかもしれないが」
「そんな事、いくら貴方でも許さないからな。レティに手を出そうとするなら、刺し違えてでも止める」
物騒な方法を試そうかと呟く男に背後から声を掛けたのはレイだ。本来なら指輪に生命力を吸い取られて身動きも取れないはずなのだが、ミストラルの《ヒールベル》によって回復しつつあった。
「止めて置け。その命を使い潰した所で、一太刀も浴びせる事も出来まい。娘、『勇者』はお前の命を受け付けるのか」
問いかけにレティは困った様に視線を彷徨わせ、そしておずおずとジグムントに命令する。
「えっと、立って」
周りの期待とは裏腹にジグムントは動かない。それからもレティが幾つかの命令をするも、どれも無反応だった。
「ふむ。まあ良い。娘の言葉で動かないのならば、それで重畳。レイ、この場はお前に任せる。それとその白馬、借り受ける事は出来るか」
レティの背後から蹄を鳴らして近づくアスタルテの顔を覗き込むと、戦馬は新たなる戦いの予感に鼻息を荒くした。
「……僕の馬じゃありませんから、大切にしてくださいよ」
「心得ている。無事に返すと約束しよう」
言うと、サファは慣れた様に馬の背に乗り、戦場を睨んだ。
「クリストフォロス、ジャイルズ……どちらも拮抗しているが、崩しやすいのはジャイルズだな」
大雑把に戦況を把握すると、『守護者』は目標を定めた。アスタルテは乗り手が短期間で何度も変わる事に動じる様子も無く、大地を蹴って走り出した。
残されたのはディオニュシウスの死体に背を向けるレイと、沈黙を保っているジグムントの前で居心地を悪そうにするレティ。レイは何と言葉を掛ければいいのか分からず、戸惑いを隠せないでいた。
《神聖騎士団》の長であるローランが率いるチームと、六将軍第五席ジャイルズの戦いは他の所と同じく拮抗していたが、その内容は大きく違っていた。
全身を夥しい傷跡で埋め尽くすジャイルズの体は右腕が肘よりも上の所で深く抉れ、動き回る度に筋線維が千切れていく音がした。当然のように動かない右腕は放置したまま、彼は左腕に自らの技能で生み出した刀剣を握りしめていた。
手負いの魔人を取り囲むのは剣使いを始めとした、《神聖騎士団》で前衛を張る三人だ。彼らは愛用の武器を用いて、ジャイルズを追い込もうと常に立ち位置を変えながら戦っている。
そしてそこから離れた位置で力を溜めているのは、『聖騎士』ローランだ。片手を失ってもなお、大剣を使う男は、背中で剣を支えるという不思議な構えをしていた。そこから取れる軌道は、斜めからの振り下ろしのみ。例え、どれだけの実力差があったとしても、武器の軌道が読めてしまえば回避することは不可能ではない。
だが、ローランから立ち上る闘気を前にすれば、それが夢物語であると身を持って思い知らされる。
特殊技能《ロード・トゥ・ヘヴン》に蓄積されてきた先代たちの意思と力。それはローランの体を内側から食い荒らす獣の如き凶暴性を持っていた。
ゲオルギウスとの戦いで解放し、短くない時間を戦った事で限界を超えた男の体は、短期間での二度目の使用に耐えられるとは言い難かった。
事実、ジャイルズに放った一撃は目測を誤り、右腕を掠める程度に終わり、その代償として、男の内臓は再び損傷し、血が唇の端から漏れて顎を伝う。
ローランは、あと一度、この剣を振り下ろすのが限界だと判断した。
二度目は無い。
二度振るえば、体が砕け、運が良ければ生死の瀬戸際で堪えられ、運が悪くなくてもそのまま死ぬだろう。
そんな状況のローランが選んだのは、待ちの一手だ。
ジャイルズが自分の間合いに踏み込んだ瞬間、最後の一撃を放とうとした。
仲間達はローランの狙いを察知し、魔人を追い込むために連携を取っていた。例えるなら、川下に張った網に、川魚を追い込んでいくような物。だが、それは魔人にとっては余りにも分かりやすい作戦であり、右腕が負傷したとはいえ、高位冒険者達の連携を凌ぐ程度は可能だった。魔人とはいえ幼すぎる相貌に締まりのない笑みが浮かぶ。それは紛れも無く嘲笑であり、戦う相手に対して礼を失していた。
しかし、直後に飛び込んできた声に、彼の笑みは綺麗に消え去る事になる。
『ジャイルズ! そちらにサファが向かいました!』
珍しく冷静さをかなぐり捨てた声は、クリストフォロスの物だ。
ジャイルズはサファとジグムントが戦っていた方向に急いで振り向けば、一直線に向かってくる白馬と、それに跨る緑髪の男が目に入った。
異常なまでの闘気を感じさせるエルフに心当たりは一人しかいない。
一直線にジャイルズの方へと向かうサファに対して、クリストフォロスが妨害を行う。乾いた大地に突如として影が生まれる。それは闇のように深く濃い色をしており、足を取られれば最後、底なし沼のように引きずり込まれてしまう転移の影だ。
しかし、サファは白馬の手綱を軽く引いただけで、その妨害を軽やかに避けた。勿論、クリストフォロスが仕掛けたのはそれ一つではない。魔法を折りこんだ幾つもの妨害が展開される者の、サファは嵐の中を濡れる事も無く突破する。
そして自らの間合いに入ったのを確認して、腰の日本刀へと手を伸ばした。
途端、ジャイルズは全身の肌が粟立つのを感じた。
まだ、距離にして十五メーチルは離れている。
サファは馬上だ。
だというのに、ここが既に奴の間合いだと、体が理解していたのだ。
それが間違いではないとサファは証明した。
居合いから放たれた斬撃が空間を切り裂く勢いでジャイルズに向かう。
ジャイルズは左手で足にある傷口を触れると、そこから半透明な斧を引き抜いた。
そして、体を一回転させながらサファの斬撃を迎撃した。
「《金剛爆撃》!」
戦技が轟く。
斧から放たれら爆発の戦技は、サファの斬撃を防ぐのには成功した。
だが、代償にジャイルズの体が大きく後ろへと弾き飛ばされてしまう。
「出鱈目な威力だな、相変わ―――」
「―――やっと、来たな」
地獄の怨嗟も、此処までの不気味さは持ち合わせていないだろう。
耳朶から脳髄までを一気に侵し尽すような囁き声に、ジャイルズは体を捻りながら、新しい武器を展開した。
背後に居たのはローランだ。サファの攻撃を受け止め弾かれたことで、彼はローランの間合いへと追いやられてしまった。
左手の中で生まれるのは片手槍。
とてもじゃないがローランの、命を乗せた一撃を受け止める事は出来ない。
それは誰であろうジャイルズが一番承知していた。自分の体に刻まれた、どの傷跡よりもローランに与えられた右腕の傷が物語る。
だから、この槍は攻撃を防ぐためではない。
手を伸ばせば、触れそうな至近距離で互いの武具が交差する。
大剣を斜めから振り下ろす『聖騎士』に対して、魔人は片手槍を投げたのだ。
狙いはローランの右肩だ。
深々と突き刺さる槍にローランは顔を顰め、そして振り下ろした一撃は大きくそれてしまう。
本来なら肩口からそのまま斜めに振り抜かれるはずだった一刀は、その途中で刃が体から抜けてしまったのだ。
ジャイルズの狙いは防御では無く、攻撃による妨害。
突けば崩れる砂上の楼閣のような脆さがあったローランならば、かすり傷でも攻撃を外す要因になると彼は考えたのだ。
そしてその通りになった。ただし、ジャイルズも軽い傷では済まなかった。左肩を斜めから入った刃は、心臓の上付近で引き抜かれたが、重要な血管を幾つか損傷していた。
地面に倒れ伏す魔人に冒険者たちは一斉に躍りかかる。
ローランを助けようとする者は皆無だった。
彼らが血も涙もない冷血漢という訳ではない。血も涙も飲み込み、信頼するリーダーが命を賭けて倒そうとした魔人を討つことが、何よりも優先されると判断したのだ。
ところが、ジャイルズの体を覆うように黒き影が取り囲んだのだ。
そしてそれが地面へと吸い込まれて消えると、そこには魔人ジャイルズの姿は無かった。
ただ、青い血が存在の証とばかりに残されていた。
クリストフォロスが気づいた時には、全てが手遅れだった。
轟音を立てて崩れるディオニュシウスの巨体。
どういう事だと状況を確認するために開いた窓に映るのは動きを止めたジグムントと、戦場を横断しようとする白馬に跨るサファ。妨害の為に放った影や魔法は悉く躱されてしまい、結局ジャイルズは深手を負ってしまった。
瀕死の同胞を転移の影で回収し終えた時、クリストフォロスの魅惑的な相貌は恐ろしいほどまでの冷たさに彩られた。対峙するマクスウェルですら、一歩退くほどの寒々しさだ。
「これは……どうあがいても、挽回する事は出来ませんね」
「それは敗北宣言と捉えても構わんかな」
「ええ。そう捉えてもらって結構ですとも。ディオニュシウスは死に、ジャイルズは瀕死。ついでに言えば、ゲオルギウスも撤退をしましたね。認めましょう、我らの敗北、と」
気圧されたとはいえ、そこはやはりA級冒険者。隙を見せた相手に立ち直る機会は与えないとばかりに挑発をするも、クリストフォロスは動じることなく肯定した。異様な素直さに不気味さが増した。
「言い訳を述べさせてもらうとしたら、やはりこの少女が予想外でしたね。まさか、『勇者』を止める事が出来る者がこの地に居たとは。貴方達の隠し玉ですか」
問いかけと共に投げられた窓はマクスウェルの眼前で停止した。頭を垂れるジグムントとその前に立つレティの姿は、まるで一枚の絵画のような美しさだが、マクスウェルは感動ではない理由で絶句した。
その反応からクリストフォロスは不思議そうに首を傾けた。
「おや? その反応だと、知らないようですね。……なるほど、これは誰かに謀られましたかね、私も。帝国の側に、居るのでしょうか。この少女か、あるいはこの少年を表舞台に引きずり出したい人物が」
自分の手元に残した窓には、別の映像が表示されていた。黒髪に白髪が混じる少年、レイだ。
「《ミクリヤ》のレイ。陛下から聖印を与えられた、七番目の魔人に到れるかもしれない存在。陛下の憎悪が芽吹き始めた以上、いずれはその蠱惑的な力に、屈するでしょうね。……御息女も居る事ですし、いずれは挨拶をしなくてはいけませんが、それはまたの機会と致しましょう」
指を鳴らせば窓は空気に掻き消えるようにして霧散した。同時に、クリストフォロスの体を空中に出現した影が下から飲み込んでいく。頭の中で疑問符が浮かぶマクスウェルだが、思考を切り替え口元に笑みを浮かべつつ、挑発を繰り返した。
「逃げるつもりか、クリストフォロスともあろう者が。同胞の仇を討つことも無く、尻尾を巻いて逃げるとは、魔人の名折れじゃな」
しかし、この挑発にもクリストフォロスは涼しい顔を浮かべた。
「ええ。逃げさせてもらいますとも。何しろ、この地で行うべき目的は全て達成していますからね。言ってしまえば、この戦は座興。戯れに過ぎません」
口から出た言葉は一見すると、負け惜しみのような内容だが、しかし、マクスウェルはその言葉が真実だと理解していた。これまでの行動から六将軍の、『魔王』の目的はあくまでも黄龍の復活であり、それの討滅だと推測できた。
その為に派遣された六将軍四人と『勇者』、そして帝国の飛龍部隊と六万の兵士ならばそれも可能だっただろう。
それが《神聖騎士団》と《ミクリヤ》、そして『七帝』の『守護者』が参戦したことで計画は果たされてしまった。
「今更ですが、お礼を一つ。黄龍討伐ありがとうございました。一応、私としては貴方がたに再び封印でもされたらと、内心怯えていましたが、『機械乙女』を呼び出してまで討滅に尽力されるとは。いやはや、ご協力に感謝を」
図らずも六将軍の思惑に手を貸してしまった事に、マクスウェルは逆に渋面を作る。それを愉快そうにクリストフォロスは眺めた。影は腰のあたりまで飲み込んでいた。
「この戦に付き合ったのも、帝国が南方大陸に飛び地を得て、そこを起点とした侵略戦争を行ってくれればと思いましたが、この結果では残念ながら期待しない方が良さそうですね。……どちらにしても、帝室が一枚岩でない事が分かっただけでも良しとしましょう」
「その傲慢が裏目に出たようじゃな。お主にとって座興に過ぎない戦いで、仲間を失う事になったではないか」
「ディオニュシウスの事ですね。確かに、認めましょう。彼の喪失は悲しく、魔王軍の作戦における責任は私にあります。つまり、彼の死は私のせいですね」
悲しそうに顔を伏せるクリストフォロス。憂いを帯びたその表情は、仲間を失った事に苦しみを抱いているのが伝わって来た。しかし、クリストフォロスは予想外な一言を発したのだ。
「ですが、問題はありません。魔人ディオニュシウスには代わりが居ますから」
「……何を、言っておるのだ、お主」
「ジャイルズが死亡すれば、その損失を埋めるのは難儀しますが、ディオニュシウスに関しては予備がありますからね。あれから三百年。裏切者の研究を引き継いで、どうにか数は揃えられるようになりました」
「何を言っておるのだと聞いているのだ!?」
激昂するマクスウェルだがクリストフォロスは応じることなく、謎めいた言葉を拮抗した戦いを繰り広げた敵に贈る。
「ディオニュシウスの死骸を調べなさい。あるいは戦った者の意見を聞けば、貴方なら直ぐに理解できるはずですよ。それではマクスウェル、機会があれば再戦を。最も、私が前線にまで出てくるのは、そうそう無いのですけどね」
笑みすら湛えた相貌だったが、影に飲み込まれる瞬間、僅かに残った金色の双眸から放たれたのは壮絶までな殺意だった。
そして影に飲み込まれてクリストフォロスもまた、姿を消すのだった。後に残されたマクスウェル達は、心の中に拭いきれない不安を抱いてしまう。
クリストフォロス流の置き土産だった。
しかし、この場における全ての人間たちは一つだけ勘違いをしていた。
魔人ディオニュシウスはまだ―――生きていたのだ。
土煙が晴れた戦場。大地に打ち捨てられた狼のような造形をした体は縦横十字に切り裂かれ、断面からは内臓と血、そして液体と固体の境のような粘液が地に染み込んでいた。
辺りは死臭に満ちていく。此処が迷宮ならばモンスターの死肉は迷宮にとっての栄養となり吸収され、新たなモンスターの誕生に使われる。
地上だと、そう簡単には上手く行かない。いずれは大地に還り栄養となるが、それまでに何倍もの時間を必要とし、巨大な体はほっとけば腐っていき更なる腐臭を撒き散らしてしまう。
そんな為政者たちの頭を悩ませる存在の一部が、人知れず蠢いた。サファに切られた断面から泡が吹く様に肉が蠢くと、塊となって落ちた。
地面に激突した衝撃で拡散する肉塊の中から現れたのは、スライムのような粘液だった。人の形をしており、金色の双眸がぎょろぎょろと激しく動く。
粘液の中央には白い魔石が収まっていた。
「ア、アヤウク、シンデシマウトコロダッタ」
裂けた口から零れるのはひび割れた声だ。
六将軍第六席、人造モンスターでありながら魔人に至ったディオニュシウスは健在だった。
といっても、辛うじてと頭に付く状態だ。人の形をしているが、レイ達と交戦していた時のような強靭さは欠片も無かった。
今までは鎧という拘束具に自分を押し込めていたが、それが破壊され人造モンスターとしての機能を最大限に活用した結果、ディオニュシウスは限界を超えた変異と再生を繰り返した。巨大な狼の姿形は、実のところ張りぼてに近く、サファに切断されたことで回復する事も出来ないまま肉体として維持できなくなってしまった。
魔石の周りの肉体を集めて、どうにか生にしがみ付いていた。
だからサファも、そしてクリストフォロスもディオニュシウスが生きていることに気が付かなかった。
(コウカフコウカ、ジャクタイカシタコトデ、カエッテキガツカレナイトハ。トモカク、クリストフォロスノケハイガシナイイジョウ、ワタシハ、タンシンデテッタイシナケレバナラナイ)
気配だけなら低級モンスター並みにまで低下したディオニュシウス。更に言えば、小型のモンスターに変身さえすれば、戦場から逃亡する事も可能だろう。一番恐ろしいサファが、わざわざ低級のモンスターに意識を払うとは思わなかった。
だからディオニュシウスは自らを低級モンスターで、なおかつ飛行が可能なリトルクロウという個体に変身した。黒いカラスの形をしたモンスターだ。
これで力はほとんどなくなった。戦闘力も本当に低級モンスター程度しかない。
黒い羽を羽ばたかせ、空へ向かって飛翔するディオニュシウスは内心で嘲笑う。自分よりも圧倒的な強者だったサファを、作られた存在である自分が出し抜いたという事実に歓喜を得ていた。
―――しかし、その体を矢が射抜いた瞬間、ディオニュシウスの歓びに溢れた心は、地の底へと落ちる事になる。
矢は羽を正確に射抜いた。翼に衝撃が走り、カラスのような姿をしたモンスターは錐もみしながら地面へと激突した。血で汚れる大地の上で、ディオニュシウスの変身が溶けていく。
「ナニガ、オキタノダ。ヤ、ボルト、ダト!?」
体を貫く短い矢を引き抜くと、ディオニュシウスは背後から近づく気配に身を強張らせた。すぐ後ろに、死を告げる存在が居ると彼は悟ったのだ。だが、振り向かない訳にもいかない。
体を捻り、金色の双眸で見れば、そこに居たのは紫がかった黒髪を靡かせた少女が杖を構え、クロスボウを構えたエルフと獣人種のハーフが立っていたのだ。
「ゴソクジョ、ナゼ、ナゼ、ナゼ!」
馬車を破壊した後、意識から外していた存在が目の前に現れ、更には自分の変身すら見抜いた事にディオニュシウスは動揺を隠せなかった。そんな哀れな存在にシアラは冷たく言い放つ。
「何故? 何が聞きたいのかしら。アンタがまだ生きていることをどうして知っているのか。それとも、どうして今のモンスターがアンタだと見抜いた? それとも、ワタシ達が此処に居る理由でも聞きたいのかしら」
混乱するディオニュシウスを糾弾するように杖は魔人を狙う。
「ワタシの眼は、生きている限り、逃れられない死の確率を見る事が出来るわ。サファ様に切られた体の一部に影が纏わりついているのが遠くからでもはっきりと見えたのよ。そして、アンタが変身したモンスター。あれは低級よ。この戦場に居るモンスターはね、中級から上級まで。だから、アンタが変身したモンスターだって、一発で分かったのよ。そして、ワタシ達が此処に要る理由はね―――」
そして、彼女は自らに残る精神力を絞り尽くす勢いで、魔法を練り上げた。
「―――同胞をこの手で倒す為よ。《アイスバレット》!」
鋭い切っ先を持つ氷の氷柱が空中で形成されるや、それが見えないレールに乗った様にディオニュシウスへと迫る。
不定の形であるディオニュシウスに回避は不可能だった。
質量と速度が掛けあわされる事で衝撃となる。
氷柱が突き刺さり、衝撃で粘液状の肉体が吹き飛ぶ中、ディオニュシウスは奇妙な事に嬉しく思っていた。
同じ魔人へと至った同胞たちは、誰一人としてディオニュシウスの異形を不快に思わなかった。『魔王』の元を去った第一席も、武人として尊敬に値するゲオルギウスも、自らを見出してくれたカタリナも、常に前線で戦う機会を与えてくれたクリストフォロスも、共に肩を並べ戦火を潜り抜けたジャイルズも、姿形の違う自分を仲間と認めて受け入れてくれた。だが、普通の魔人種に対して、彼は一度たりとも自らの姿を晒した事はなかった。
実験体として扱われる日々、容器の外に居た魔人種たちは皆が似たような目を向けていたのだ。
異形な姿をする自分に冷徹な観察と隠しようもない侮蔑の視線を。
醜き姿に対して、研究者という立場からすれば当然の反応だ。だが、それでもディオニュシウスとってその視線は、三百年が経過しようとも拭いきれない染みだった。
しかし、死の間際。もっとも若い魔人種の娘から、彼は同胞と言われた。自らの姿形を目にしてなお、そう呼んでもらえたことは、彼にとっての幸福と言えた。
フィーニスからは理性と狂気を。
カタリナからは生きるための機会を。
そして彼女の子からは、幸福を与えられた。
「カンシャシマス、ヘイカ、カタリナドノ、ゴソクジョ。ワガイッショウニ、コウカイハ、ア、ラ、ズ」
その言葉と共に氷は魔石を砕き、ここに六将軍第六席ディオニュシウスは死亡した。
金色の瞳でも死の影は見えず、大地に広がる粘液の体は元に戻る事はなかった。
ようやく終わりを告げた戦いに、シアラは深いため息を吐き、そして覚悟を決めた。
これから起きるであろう、ある少女の分岐路を仲間として立ち会う覚悟を。
「おちび、アンタはミストラル様の所に戻ってディオニュシウスが死んだことを伝え―――」
「―――やだ」
一刀両断。直球な拒絶の言葉にシアラは思わずエトネを見つめた。すると萌黄色の瞳が自分と同じ種類の感情を抱いて見つめ返していた。
覚悟だ。
エトネも覚悟を決めていた。
「エトネもいく。いっしょにいくよ」
エトネに未来予知の事は話していない。だというのに彼女は年上のレイやシアラの、そしてレティの様子から何かを察したかのように落ち着いた口調で言う。
「エトネも《ミクリヤ》だもん」
「……そうね。ワタシが悪かったわ。アンタも、立派な《ミクリヤ》だよね。じゃあ、一緒に行こうか」
「うん!」
エトネの満開の笑みにシアラは歩き出す。ディオニュシウスの死骸を超えれば、目的地はすぐそこだった。
遠くに見える城砦の如き堅牢さはあるはずの砦は見るも無残に破壊尽くされ。隕石が複数落ちたかのような地形にはモンスターや人の死体がちらほらと散らばっている。
魔人や『勇者』が戦争から降りたというのに、主戦場からは剣戟が止む様子は無い。
そんな状況なのに、正面にいる三人の周りだけは音が立ち去ったかのように静かだった。
聖剣を地面に突き刺し、頭を垂れたまま膝を突く『勇者』。その前に立ってレイに対して背中を向けるレティ。二人の顔は、シアラの位置からでは窺う事は出来ない。
もっとも、レイの方は背中からでも困った様子なのは伝わった。レティになんと声を掛ければいいのか考えあぐねているのだろう。一方でレティの方は皆目見当もつかない。
しかし、彼女がなんと口を開くのだけは知っていた。
意を決したように振り返ったレティの表情にシアラは悲しみを覚える。普段は愛嬌を振りまき、時折大人びた横顔を見せる表情は、今にも絶望に押しつぶされそうな、悲嘆と苦渋に満ちていた。
予知夢で見たとは言え、思わず目を背けてしまった。だが目は背けても、耳朶は予知夢通りの言葉を拾う。
「ねえ、ご主人さま。あたしたちと一緒に、地獄に付き合ってくれる?」
予知夢で見た通り、否、それ以上にレティの感情が流れ込んでくる。不安と絶望に声は震え、今にも呼吸が止まりそうな程か細い吐息。まるで死刑を受けようとする囚人のような面持ちではないか。
すると、そんなシアラの手にそっと柔かい物が触れた。
それはエトネの手だ。
言葉は無い。だけど、彼女の思いが手を通じて伝わって来た。
一緒に見届けよう。レイが、自分たちのリーダーが何というのか、見届けようと彼女は語りかけていた。シアラは己が恥ずかしくなった。一度は未来予知で見ておきながら、知っていながら耐えられないと視線を逸らしたというのに、エトネはちゃんと向き合おうとしていたのだ。
目尻に浮かぶ涙を拭い、シアラは金色黒色の瞳を前に向けた。
艶を無くした翠の瞳は、まるで地獄を再現しているかのようだった。そんな瞳に見つめられたレイは、よく通る声で返事をした。
―――嫌だ。
と、短く答えたのだ。
「……はぁ?」「おにい……ちゃん」
予想外な、そしてあまりにも無慈悲な答えにシアラとエトネは揃って放心した。だがそれ以上に衝撃を受けていたのはレティの方だ。幼い体から骨が抜けたのではないかと思うほど体を震わせ、血管が干上がったのではないかと心配してしまうほど顔を白くさせていた。
「そ、そうだよね。嫌だよね。うん、分かってた。分かってたよ、そんな事は。でも、おかしいな、何で、何で涙が溢れてくるんだろうね」
エメラルドグリーンの宝石のような瞳から涙が連なって落ちる。地面に幾つものシミが生まれる中、レイはレティの方へと距離を詰めた。涙を拭おうとして、しかし止まらない少女は気が付かないまま、正面にまで近づいた少年に抱き寄せられる。
急な温もりに怯え固まるレティに、レイは自分の本心を告げた。
「一緒に地獄なんか付き合わないよ。君達が地獄に居ると言うなら、そこから連れ出してやる」
それがレイの答えだった。
錆びついた歯車のようにぎこちない動きでレイを見上げるレティは信じられないとばかりに首を振る。それに合わせて涙が落ちていく。
「……ご主人……さま? 本気で、本気で、言ってるの。……あたし、たちの敵は、帝国、だけじゃない、かもしれないんだよ。世界が、相手になる、かも、しれないんだよ」
「そんなの今更じゃないか。シュウ王国で僕は『招かれた者』、世界救世主候補で、戦う相手は世界を滅ぼす怪物。その話をした時、君はこう言ったろ」
―――「もう、地獄なら一緒に潜ってきた仲じゃない」
「だから、僕もこう言うよ。地獄なら一緒に潜り抜けてきた。そして、まだ地獄が続くと言うなら、そこから一緒に出よう。だから、教えてくれ。君は、本当はどうしたいんだい」
問いかけに、レティは息が詰まるほどの衝撃を味わっていた。
それは決して苦しい物ではない。むしろ、あまりにも優しく、暖かい物を感じてしまい、言葉が出せなかった。
しかし、レイの瞳を見つめているうちに、彼女の中にあった、幼い頃に捨て去った本当の願いが口を突いて出た。
「―――助けて」
共に地獄を彷徨うのではなく。
「お姉ちゃんも、あたしも―――助けて」
共に温かな日差しが降り注ぐ地平にいきたい。
あの日に捨て去った願いを口にすると、レイは頷いた。
「ああ、助けるとも、何があっても、君達を助け出す」
十分すぎる答えだった。レティは、再び息が詰まりそうな衝撃を味わい、そして体内の水分を出し尽すような勢いで涙を流した。しかし、その涙は決して、絶望に悲嘆する涙ではないはずだ。
泣き続けるレティを抱き締めながら、困った風に頭を掻くレイ。そんな二人に飛び込む影は、エトネだった。いつの間にか走り出していた幼女もまた、目に涙を溜め、レイ達にしがみ付く様に飛びついたのだ。
あれよあれよと、少女二人に泣かれながら抱きつかれるレイ。シアラは、それを眺めながら静かに思った。
―――ああ、ワタシはこの光景が見たかったんだな。
だが、すぐに自分の思い違いに気が付き自分の頭を叩いた。
「違ったわね。あと一人、ここに居るべき者が、居て欲しいのがいるわね。早く、戻ってらっしゃいよ、リザ」
此処に戦争は決着を迎える。
帝国に置ける勝利の柱と言えた六将軍らと『勇者』がそれぞれ死亡、逃亡、停止となり、その情報が水を吸い込む綿のように帝国兵に浸透した。一方で、それらを食い止め続けていた『守護者』、《神聖騎士団》、《ミクリヤ》は損傷大ではあるがいまだ健在だ。
これ以上の戦争行為は無意味と判断した帝国側が武装放棄するまでさほどの時間は必要としなかった。
かくして、デゼルト国を舞台とした動乱は、これを持って幕となった。
帝国と魔人が手を結んだ事。
黄龍が復活し、討滅された事。
そして『機械乙女』や『守護者』、『勇者』などがぶつかりあった事は、その意味が分かる者には衝撃と共に広く伝えられていった。
同時に、その戦いに最初から最後まで加わっていたパーティーと、彼らの名前も広まってしまう。
世界が《ミクリヤ》を知った。
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