8-61 ディオニュシウスⅥ
待ち望んでいた、その時は遂に来た。
といっても、正確な時刻が曖昧な『それ』にとって、その時が何時の季節で、朝なのか、昼なのか、夜なのかすら不明ではあった。
ただ、室内が今にも崩壊しそうな岩壁のような張り詰めた空気に満ち、明らかに緊張した面持ちの研究者達を目にして、自然と『それ』は気が付いたのだ。
今日、カタリナなる人物が現れるのだと。
『それ』はこの時を待ち望んでいた。
生を受けてから、心が逸る事も、期待で待ち望むという事も無かった『それ』にとって、カタリナを待つ日々は充実した日々と言えた。
この時の為に、自分の肉体をより戦闘に適した形態に変質できるように訓練を行い、透明な容器の内側に切れ込みを入れて簡単に破壊できるように工作を済ませ、カタリナなる人物の命を奪うためのシミュレーションを何度も繰り返してきた。
一つずつ、困難に対して試行錯誤することは、不定の体に宿った仄暗い復讐心を大いに喜ばせた。出口の見えない迷宮で蹲る獣が、何かに導かれるように迷路を突き進んでいたら不意に出口の光を見つけたような、そんな高揚感が手足の先まで満たしていた。
―――早く、来い。来い、来い、来い、来い、来い、来い、来い、来い、来い、来い!
興奮から今にも行動しそうになる自分を押しとどめ、複数の眼球は室内の入り口へとくぎ付けになる。そして、遂にその時が来た。
緊張が最高潮に達し、息づかいですら聞こえそうな静寂に覆われる中、ヒールの音だけが響く。
二列に分かれて並ぶ研究者達が一斉に頭を下げ、その間を通る女性に視線を向けない様にしていた。顔を上げれば最後、そのまま首が下に落ちると言わんばかりの態度。研究者の中には、恐怖から震えている者まで居た。
間違いない。あれがカタリナだ、と『それ』は瞬時に察した。
薄暗い室内では顔はハッキリとは見えないが、首から下は機器などから発せられる光に淡く照らされていた。細身ながらも腰が括れているのがよく分かるほど薄手のドレスに身を包んだ女性は、優雅な足取りで研究者達が作った道を進む。
残念ながら『それ』の位置からだと顔までは見えないが、体つきからすると華奢な印象を抱いた。日頃接する魔人種達のような威圧感は無く、それこそ触れれば砕けるような脆い花のような存在に見えた。
予想外の感覚に、思わず拍子抜けしてしまう。これならば、関単に殺す事が出来てしまう。
「それで進捗状況は、主任」
「は、ははっ」
鞭を打つような鋭い声に、いつもは研究者達の前で横柄な態度を取っていた小太りの男が、今にも倒れそうなほど狼狽した様子で前に出て来た。カタリナは薄暗い室内で、ヒールを履いたまま何の迷いも無い足取りで容器の林の中を歩いていき、小太りの男はそれを追った。途端、他の研究者たちも二人に続き新たな列を成した。
「こ、此方を御覧ください。二年前より新たに培養を始めた胚の成果により、実験体の成長率は上昇、その後の生存率も安定し、高水準を保っております。また、こちらの報告にもある様に、実験体から採取した素材は、個体により程度に差はあれど、許容範囲に収まり、現場からも高評価を頂きまして―――」
「―――ねえ」
びくり、と。
小太りの男のみならず、カタリナを除く全ての研究者達が身を竦ませ、呼吸すら自発的に止めてしまう。カタリナが発したのはたった一言だが、その一言で場の掌握を済ませてしまった。彼女がゆるゆるとため息を吐く音だけが、静寂を打ち破る。
「ワタシの言葉が理解できないのかしら、アナタ? その禿げかけた頭蓋の奥にあるのは本当に脳なの? それとも脂肪の塊かしら。ワタシは、なんて、尋ねたかしら」
「その、あの……進捗に、ついて、です」
「ああ、よかったわ。ワタシ、てっきり豚にでも話しかけたのかと思ったわ。……もっとも、アナタが人語を解するだけの豚という可能性もあるわね。それで? 答えはどうなのかしら」
誰が見ても分かるほど、男の顔色は青白くなっていく。体の何処かで血が抜かれているのではないかと思うほど血色が悪くなる男は、魔人種特有の黒い瞳を左右に揺らし、カタリナの機嫌を損なわない答えを考えようとした。
だがその時点で手遅れだという事を、この男は理解できないでいた。
「そう。人語を解するだけの豚、という訳ね。それなら、それでいいわ。無能者には、それなりの罰を与えなくてはね」
一閃。
まさに言葉で男を叩き切ったのかと思うほど辛辣な態度に、男は哀れにも崩れ落ちた。泡を吹き、白目を剥く姿に研究者達は慌てて介護に走る。そんな状況を完全に意識から遮断したと思しきカタリナは、容器の中で揺蕩う同胞達を眺めながら一方的に告げた。
「ここの研究は現時点をもって凍結。人員、資材についての再配備はおって知らせるから、それまでは待機していなさい。……もしくは親しい人との別れを済ませておくように」
カタリナの冷たい氷のような言葉は、研究者達の動きを止めるには十分すぎる威力だった。彼らは表情では納得しがたいとしているのに、静止の言葉を上げようとする者は皆無だった。
異論を認めない一方的な宣言は『それ』の同胞である実験体にまで及んだ。
「実験体は全て廃棄。残った資料などはワタシの研究室に運びなさい。視察は以上よ」
廃棄。
廃棄だと。
たった一言で自分を含めた同胞たちの処遇が決まった事に、『それ』は深い怒りと絶望を抱いた。カタリナと呼ばれる女がどれだけの地位に居るのかは『それ』にとっては不明であり、何よりどうでもいい事であった。
ただ、この女に自分の中にある復讐心をぶつけてやらなければ気が済まなかった。これまでに散っていた同胞と、そして今この場に居る同胞たちを代表し、たった一人、自我を持った自分がこの女に思い知らせてやる必要がある。
これは権利であり義務だ。そして何より使命なのだ。
幸運にも、カタリナが『それ』の容器の前を通り過ぎようとする。身近で見れば見るほど、最初の印象が強まった。
飾りの少ないドレスを優雅に着こなす姿は、白衣で統一されているこの室内では浮いているはずなのに、違和感はほとんど無く、それだけに威圧感の類は微塵も無い。長い黒髪は波打っており、彼女が歩く度に生き物のように揺れていた。
すると、その頭がゆっくりと動いた。容器の中で見下ろしていた『それ』を見上げようとするのだろうか。
『それ』はほくそ笑んだ。
顔を上げた瞬間に襲いかかろう。まさか、自我を持たず、ただ生きているだけの実験体から攻撃されるとは思ってもいないはず。実験体を物のように扱って来た研究者達を、それこそ物のように扱う不遜な女が、最期に浮かべる表情をこの目に焼き付けて死のうと決めたのだ。
手足が戦闘に適した形に変形し、亀裂の入っている容器へとゆっくりと近づく。
あとはタイミングを見計らうだけだ。
カタリナの顔が持ち上がり、少女のようにも見える相貌が容器に映りこみ―――『それ』は見た。
見てしまった。
カタリナの金色に輝く双眸を。
その瞬間、『それ』は全てを悟った。
―――勝てない。
自らの、そして同胞たちの醜悪な姿を超越した禍々しき極彩色を前にして、『それ』はカタリナの異質さを思い知る。
全てが違うのだ。
強さも、存在も、生物としての格も、何もかもが彼女の方が上だ。
言うなれば、同じ地平に立っていないのだ。
まだ研究者達の方が脅威に感じるのは、強さの差が『それ』でも理解できる程度にしか開いていないからだ。だが、カタリナとは違った。こうして間近で、それこそこの容器の厚み分しか離れていないほど近くに居ても、カタリナがどれほど強いのか、想像することすら出来ないでいた。
それが全てだった。
この天上に位置する女に勝つどころか、この命を失ったとしても一太刀も浴びせることなく死ぬ。その未来が瞬時に見えてしまった。
―――とはいえ、そのことを理解できたのと攻撃をしないという事はイコールにはならなかった。
自らの中で膨らみ続け、蝕み続けて来た復讐心がカタリナを前にして冷静な行動を取らせるはずもない。もしも、ここでカタリナを襲撃しなければ自らに宿した復讐心が、本懐を成し遂げるどころか臆病風に吹かれたことを許さないだろう。
それは自分の死を意味する。
どちらにしても待っているのが死である以上、後悔しない方を選ぶ。
『それ』は圧倒的な実力差も、この先に待ち受ける運命を理解しつつ、それでも己の復讐心を満たすためだけに無謀な特攻を仕掛けた。
鋭い切っ先へと変化した四肢が容器を突き破った。保存溶液や砕けた容器の破片と共に『それ』の復讐心を具現化した刃がカタリナに降り注―――。
「―――あはぁ」
零れたのは、上擦った吐息。氷のような冷たく整った美貌が一転して歓喜に溶け、笑みを作る唇から喜びの声が上がったのを聞いた瞬間、『それ』にとっての世界が逆さまになる。
カタリナに向かって落ちていた自分の体が、保存溶液が、容器の破片が一瞬にして吹き飛ばされたのだ。何をされたのか分からないまま、『それ』は来た道を引き返し、辛うじて形を残していた容器を突き破り、更には同胞の眠りを妨げつつ室内の反対側まで追いやられた。
壁に激突した途端、四肢がもげ、胴が潰れた。これまで幾度も受けて来た実験は、『それ』を含めた実験体をギリギリで生かそうとする、ある意味手心の加わった残虐行為。
しかし、今の一瞬の攻防、否、戦いにすらなっていない交錯に、相手を生かそうとする手心の存在しない行為だ。
『それ』は静かに思う。
自分は死ぬと。
壁に体液をぶちまけ、そのまま崩壊していく体をどこか他人事のように見つめつつ、『それ』は間近にまで聞こえて来た死の足音に耳を向けていた。多少の自己再生機能は獲得しているが、微々たる程度の治癒力ではこの傷は治せない。
「カタリナ様。その実験体は此方で駆除します。ですから、お離れくださいませ」
研究者の悲痛な声がすると、自分の傍に誰かが近づいたのを感じ取り、視線をそちらに向けた。
そこに居たのは、戦いにもならなかった次元の違う存在、カタリナだ。彼女は見る物を恐怖させる金色の瞳で『それ』を見下ろしていた。
「アナタ。自我が生まれているわね」
カタリナの言葉に研究者達がどよめいた。実験体の暴走自体は極僅かだが過去にも例があり、それらは全て外部からの衝撃による電気信号の誤作動だと判断されていた。今回のもそうなのだろうと、彼らは思い込んだ。
ところが、カタリナは彼らの無能さを嘲笑い、確信を持って違うと断言した。
「だって、目を見れば分かるわ。アナタの中には立派な復讐心が、憎悪が花開いているわ。自我が無い、ただの肉の塊じゃ、そうはならないわ」
不意に、『それ』の心臓が鼓動を強めた。
死の気配に体が抗っているのではなく、自分の中に存在する感情を見抜かれたことに何かが反応していた。その何かが不明なまま、『それ』はカタリナの言葉に耳を傾けた。
どこか優しい響きのする言葉は、痛みすら紛らわす魔法の言葉のようでもあった。
「ふふ。今のじゃれつきも、他の魔人種なら最低でも相打ちに出来たでしょうけど、残念ながら相手が悪かったわね。ワタシ、魔人なのよ」
『魔人』という言葉が何を意味しているのか『それ』には不明だった。
ただ、現実として自分の命懸けの特攻をカタリナはじゃれつきと評した事に、互いの実力差が明白になる。
「でも、それぐらいはやる前に分かってるわよね。此処に呼吸するためだけに集まった無能者と、アナタは違うわ。……そう、理解しながらも挑まずには居られなかった。自分の中にある復讐心を殺す事なんて、アナタは出来なかったのね」
またしても、鼓動が強まった。
向けられた禍々しき金色の瞳に映るのは、慈愛と―――共感だ。
カタリナは『それ』が言葉を発せずとも、『それ』の中に巣食い、そして自身でも言語化できない感情の渦を正確にくみ取ったのだ。
―――この方は、私を見て下さるのか。
自己に自我が宿った瞬間から、『それ』が抱き続けた純粋な願い。
この世に生を受けたのに、誰からも気が付かれることなく、単なる物として扱われ、消費させられていく運命。抗う事も、憤る事も出来ない同胞たちの絶望を拾い上げて、奴らに刻みつけようとした復讐心をこの方は気が付いてくれたのだ。
その事に、『それ』は無上の喜びを抱いていた。
「そうね。アナタなら、案外お父様の憎悪を宿せる器になるかもしれないわね」
「カタリナ様!? それはもしや、これに聖印をお与えになるという事ですか!? こんな、偽りの生命体に!」
研究者の一人が信じられないと叫ぶと、一転してカタリナは黄金に輝く瞳に侮蔑と苛立ち、そして一匙の殺意を混ぜた。もっとも魔人カタリナの殺意は、一匙程度でも戦場に出ない研究者達には死の鎌同然だった。
「誰がアナタに発言の許可を与えたかしら」
静かな叱責は研究者の意識を刈り取るのに十分だった。太った男に引き続きその場で気を失った研究者の事など興味が無いように、カタリナは『それ』の方へと向き直った。
「それで、どうかしら? アナタがもし生きたいと願うなら、ワタシはその為の機会を与えるわ。でも、このままここで朽ち果てるのが望みなら、それでも構わないわ。お友達も大勢いるもの、寂しくないわね」
降って湧いた選択肢に、『それ』は迷うことなく飛びついた。
復讐心は自身の中で黒い塊となって残っている。だが、それ以上に自分を見出してくれたカタリナに付き従いたいという欲求が存在したのだ。
『それ』はこれまで一度たりとも欲しいとは思わなかった器官を生成する。胴体の適当な位置に突如として生まれたそれは、拙くもひび割れた声を上げた。
「イ、ギ、ダ、イ。イギ、ダイ。イキタイ、イキタイ、イキタイ」
その答えに満足したのか、カタリナは春に流れる雪解け水のような透明な微笑みを浮かべた。
「そう。なら、お父様と引き合わせてあげるわ。もっとも、アナタが六番目の魔人に成れるかどうかは、アナタしだいよ。えっと……名前は無いわよね。それもお父様にお願いしましょうか」
こうして『それ』は数多存在した実験体の中で唯一、自我を誕生させた上に五将軍第三席にして『魔王』の姫カタリナ・マールムに見いだされ、フィーニスに引き合わされ、聖印を植えつけられることとなる。
想像を絶する苦痛を乗り越えた先で、『それ』は六番目の魔人として覚醒し、それに相応しい名前を与えられることになった。
六将軍第六席ディオニュシウスの誕生である。
幾度の衝撃で遂に形を維持できなくなった鎧が剥がれていくと、そこから現れた姿にレイ達は戸惑いと共に吐き気すら覚えていた。
頭部を失ったはずの胴体は人のような肉の塊では無く、スライムのような粘液に、なめした牛の皮や醜い竜の鱗、更には鈍い輝きを発する鉱石のような物が皮膚として張り付いていた。まるで他生物の皮膚を剥いで繋ぎ合わせたパッチワークの上着を羽織っているようにも見える。
そこから伸びる四肢も、粘液がどうにか腕や足の形を作っているが、液状のためか関節など無く、窮屈な鎧から解放されて表面が波打ち泡を吐く。半透明な体の至る所に金色の瞳が浮かんでおり、それが意思を持ったように動き回る。鼻を突くのは腐敗が進んだ魚の臭いを何倍にも濃くした物で、仲間の中で一際匂いに敏感なエトネが尻尾を逆立てて鼻を押さえた。
もっとも、獣人種の血が混じっていなくとも強烈な匂いだ。
だが、レイにとって匂いよりも重要な物が目に飛び込んでおり、それどころでは無かった。
ディオニュシウスの体の大部分を構成する粘液。その中に浮かぶ眼球とは違う、丸みを帯びた白い色の石は紛れも無く魔石だ。
エルドラドの文明を支える魔法工学の燃料にして、冒険者たちにとっては日々の糧を得るための取引材料。それを見間違える事はあり得なかった。
それがディオニュシウスの中にあるという事はとある事実を指し示していた。
醜悪にして、異質。人ならざるその姿は――――。
「――――モンスター。お前はモンスターなのか。モンスターが魔人となったのか、ディオニュシウス」
「モンスター……モンスターですって! そんな、馬鹿な話があるわけないでしょ! モンスターが魔人だなんて、そんな、はずが」
最初は激昂と共に否定していたシアラだが、目の前の現実が示す事実を拒絶することは出来なかった。聡明なだけに、衝撃的であっても目の前の事実を事実として捉えようとする。
すると、ディオニュシウスの胴体にある口からひび割れた声が流れ出した。
それは間違いなく、先程まで聞こえていたディオニュシウスの声であった。
「ミテノトオリデアル。ワレハ、カタリナドノガシキシタケンキュウシセツニテ、セイトジガヲカクトクシタ、ジンゾウモンスターデアル」
「人造。人がモンスターを作り出すというの。そんな事、出来るはずがないわ!」
「キサマラノジョウシキナド、ワレニハカンケイアルマイ。ジッサイ、ワレヲフクメタジンゾウモンスターハ、スベテシッパイサクノラクインヲオサレタ。ワレハタマタマジガニメザメ、カタリナドノトデアエタカラ、コウシテマジントナレタニスギナイ」
自らを人造モンスターと語るディオニュシウスの体が脈打つ。それまで鎧を装着することで、辛うじて人の形を保っていたが、その拘束具が無くなった事で、怪物は怪物として力を振るえるようになったのだ。
「コノミニクキスガタヲミタモノハ、ヒトリトシテイカシテオカナイ。コトゴトク、ミナゴロシダ」
立ち昇る濃厚な死の気配に、レイは龍刀で応じようとするも、自らの腕を蛇のように伸ばしたディオニュシウスの攻撃を食い止める事は出来なかった。
先端を鋭い形状に変化させた腕の一撃は、レイの頭部を抉り貫通した。
★
時間が巻き戻る。
与えられた猶予は僅か五秒。自らの頭を抉る刺突が、速度を失った世界でゆっくりと進む中、レイは龍刀の刃を縦に振り下ろす。相手の攻撃を叩き落し、返す刀でもう一撃与える腹積もりだった。
だが、その目論見は甘すぎた。
龍刀の一撃は刺突を押しとどめるどころか、逆に弾かれてしまった。
宙を舞う刀に手を伸ばそうとしたまま、猶予の五秒が過ぎてしまった。
世界が速度を取り戻した時、レイの頭は予定調和の如く、極々自然に貫かれてしまった。
★
時間が巻き戻る。
手には龍刀が握られ、レイは振り下ろす一撃の狙いを変えた。鋭い金属のように変質した先端では無く、その根元。液状の塊だ。半透明な液体に龍刀は沈み込むも、半ばまで到達した所で異変に襲われる。
刃を受け止めた液体が内部で変質しだしたのだ。
粘り気のある液体から、刺突の棘と同じく硬質な金属へと。
ディオニュシウスが魔人として得た力とは別の、元から備わっていたモンスターの機能は変化。自分の体を好きなように、無機物、有機物を問わずに変質できる。研究施設で注入された二百種類の遺伝子情報から好きな物体、形状を全体もしくは部分的に施せる。
その中には飛竜の遺伝子が組み込まれており、ディオニュシウスは龍刀に宿る赤龍の魂に本能的に怯えていたのだ。
それは今も続いている。だが、そんなハンデを抱えながら、《トライ&エラー・グレートディバイド》という技能を使ってもなお、埋められない実力差があった。
液体の中に浮かぶ金属に囚われ抜けない刃。それを嘲笑うように、ディオニュシウスの腕が無数の刃と変質しレイを細かく切断した。
★
時間が巻き戻る。
大きく距離を取ろうとすると、棘が射出され喉を貫通した。
★★★
時間が巻き戻る。
ダガーの雷撃を飛ばし牽制をするも、逆に帯電した腕を網のように変形され絡めとられ、高出力の雷を浴びて黒焦げになった。
★★★★★
時間が巻き戻る。
残っている精神力を全て龍刀に回して発動した《崩剣》。棘の破壊に成功するも、弾は幾らでも生成できるのだと言わんばかりに、枝分かれした腕の棘、合計五本に体を貫かれ、挙句の果てには切断されてしまった。
★★★★★★★
結局の所、ディオニュシウスとレイとの間の実力差が埋まらなければ勝機は無いのだ。
鎧という正体を隠すための衣を脱ぎ捨てたディオニュシウスは魔人としての力に加え、人造モンスターとしての力を自由に振るえるようになった。人の形を捨て、怪物の姿を晒すディオニュシウスの力は絶大だ。
一方でレイ達は追い詰められていた。レイを始めとした全員が消耗している。ミストラルでさえ、弱化魔法を唱えた事で精神力が枯渇していた。レイの龍刀も輝きを失ってしまい、黒い刃と成り果てていた。炎は起こらないのはコウエンが魂の交換により疲弊し、苦痛に喘いでいるからだ。
過去に《グレートディバイド》を発動した時にフィーニスに一撃を与えられたのは、フィーニスが慢心をしていた為だ。
レイという人間に興味を抱き、どんな事をするのだろうと彼は心を躍らせていた。レイとしては命懸けの戦いだというのに、フィーニスにしてみれば演劇を鑑賞する気分だったのだろう。だから、一撃を与えた褒美とばかりに聖印と、そして命を見逃したのだ。
相対するディオニュシウスは全力だ。
余裕など微塵も無く、六将軍としての傲慢さも無くした純粋な戦闘機械。
秘密にしていた自分の正体を暴かれた事で、怪物は文字通り形振り構わず戦いに挑んでいる。その必死さが、一つのシーンを繰り返して十七回も死ぬという結果に表れていた。
棘による刺突を掻い潜る事も出来ずに、レイはその場に縫い付けられたように死を繰り返していた。
ただし、この程度は想定内の事であり、驚く事には値しなかった。レイの顔に浮かぶ苦渋の色は、ディオニュシウスと全くの無関係の出来事だった。
外側では無く、内側でニタニタと笑う不愉快な存在に、レイの感情は逆撫でされていた。
迫りくる十七度目の死を前に、レイは自らの心の裡に呼びかけた。
「この状況で、何の用なんだ。―――影法師」
読んで下さって、ありがとうございます。
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