8-40 英雄散華Ⅶ
管楽器のような圧を与えていた心臓の鼓動が止まる。同時に体から血を抜く様な魂吸いも治まった。つまり、黄龍の生命活動が停止したのだ。
生涯最速の一撃を放ったサファの刀は、一点の曇りも無かった。十字に切られた心臓からは血が滝のように流れているというのに、藍色の刀身に脂すら付着していない。その刀身を鞘に納めたサファは厳しい視線を上に向けていた。
幽体が風に吹かれるようにして消えていくのを目の当たりにした槍使いが声を掛けようとするが、それよりも前にサファは後ろを向かずに一方的に言い放った。
「すまんが、後を頼む。俺は上の様子を見に行く」
止める暇もなく、サファは心臓に向かって跳躍。そのまま心臓を足場にして、光線が開けた穴へと飛び込んだ。
縦に伸びるトンネルの中で、サファは一人、とある予感を抱いた。
あの光線。
鮮烈なる赤き閃光は、間違いなく精霊剣バルムンク。しかし、かの剣はイーフェの最期と共に行方不明となった。失われた伝説の武具となった。
だけど、と。男はとある可能性を頭に思い描く。かつて世界への影響を考えて白龍は封印という手段を選んだ。黄龍の体を砂粒に分解し、大陸に広く散らすという手法を取った。その時に、精霊剣もまた、封印に巻き込まれ行方知れずになっていたのではないか。
そしてそれは、もしかしたら、あの人も。
息が上がる。
連戦の疲労は多少はあるが、この程度の疲労で息が上がるような事はないはず。だとすればこれは、全く別の理由から来る緊張だろう。千年ぶりの邂逅に、体が強張っている。怯えていると言い換えてもいい。
会いたい、だけど会うのが怖い。
千年前。別れの言葉を交わす事も出来ずに、彼らの道は違えた。男は一人、一族を守る為にとその手を血で汚し、纏う衣服をどす黒く変色させ、修羅道を突き進んだ。結果はどうだ。確かに一族はいまも脈々と存続はしている。人々の興味や悪意に晒されないようにと世界の片隅で隠れるようにだが、居場所を作り、慎ましくも暮らしている。
そこに至るまでの道筋を、血と屍と悲劇で舗装しながら、エルフは今も生きている。
この結末が正しいのかどうか、サファには分からない。ただ、彼はそうする事でしか、師匠の、イーフェの死を受け止めきれなかったのは事実だ。彼女一人に担わせていた、一族を守るという過酷な役目を、たった一人で受け継いだサファ。その道の果てに彼は人として殻を纏いながらも、その中身は随分と変質してしまった。
自らの寿命を切り捨て、世界を滅ぼすという『七帝』にまで到達してしまった。
こんな変わり果てた姿を、彼女に見せる事が恐ろしかった。だけど、それ以上に、会いたいのだ。どんな結末を迎えるのか分からないが、もしかすると、これ以上ない悲劇で終わるかもしれないが、それでも会いたいという気持ちの方が強かった。
僅かに漏れる光の穴から、黄龍の皮膚が近いと分かり、サファは刀の柄に手を掛けた。ふと、数少ない友の一人である男の言葉が脳裏を過った。
『人生なんて、いつ終わるのか分かんないんだ。会いたい人が居るなら、会いに行けばいいんだ。もしかしたら、お前か、あるいはその会いたい人も明日には死んでいるかもしれない。そしたら、会う事も、言いたかった事も何もかも無駄になってしまうぞ』
あれは何時だったか。訪れた酒場で背中を丸めている若者を見つけて、強引に酒を飲ませ本音を吐かせた。どうやら恋人に会いにはるばるやってきたのだが、会うのをしり込みしているようだった。エイリーク―――安城琢磨は若者にそんな事を言った。酔っぱらいの戯言に感銘を受けた若者は、目を輝かせて酒場を飛び出した。そして翌朝、青年こと悪の魔法使いは有力者の娘の結婚式に乱入という暴挙を起こし強奪、後始末を自分たちがする羽目になったのだ。
あの時は、何を無責任な事を言うのだと呆れていたが、今なら分かる。
「ああ、そうだな。タクマ。会いたければ会えばいい。それで、良いんだな」
サファの手から藍色の斬撃が奔り、黄龍の皮膚を吹き飛ばした。途端、青空が目に飛び込み、一瞬、サファの視界は濃霧のような白色に包まれる。だが、男はひらりと態勢を整えると簡単に黄龍の背中に着地を決めた。
そして、視界が戻ると男は息を呑んだ。
夕日に照らされた世界に、白く輝く靄のような不定の存在。だけど、そこにある美はいささかも衰えず、生前の姿形をそこに残していた。幽体であっても、イーフェは美しかった。
「お久しぶりです……師匠」
―――うん、久しぶりだな、痩せっぽち。
千年ぶりの再会だというのに、エルフの師弟の言葉は固く、距離も遠かった。まるで生者と死者の間に越えられない溝があるかのように二人はその場を動けないでいた。
サファは、もしかしたらイーフェが生きているのではないかという希望を僅かに持っていた。彼女の死を確認したのは精霊だが、それも遠方から見ただけであり、死体が皆の前にあった訳では無い。もしかしたら、黄龍の封印に巻き込まれて、千年の時を経て蘇り、精霊剣を発動したのではないかと。そんな希望を抱いてしまった。
しかし、彼の萌黄色の瞳は、イーフェの向こう側で呆けたような面をしているレイやリザを捉えていた。周りの風景からするとどうやら、彼らがイーフェと戦い精霊剣を解放したようだ。
「やっぱり、師匠は……死んで……いるんですね」
口にしてから、己の浅はかさを思い知る。いくら落胆したからといって、それを口にするとは。慌てて否定しようとするも遅かった。イーフェは申し訳なさそうに笑い、そして自嘲気味に、
―――まあね。悪かったよ、あんな状況で死んじまって、さ。『英雄』の面目丸つぶれだね。皆、あたしの事を恨んでいるんだろ?
「いえ! そんな事はない! 師匠は最期まで勇敢に戦った。誰も、貴女の事を責めた事なんて、一度も無い!」
それは事実だ。生き残ったエルフたちは、己が境遇を嘆き、そうさせた世界を恨み、戦士たちの力不足を詰った。だけど、一人で黄龍に挑んだイーフェを悪しく言う者は一人も居なかった。皆が、彼女の戦いを誇りに思っていたのだ。
たった一人で、国を守ってきた戦士。それを誰が糾弾できようか。
だけど、そんな戦士を、『英雄』を許せないでいた者が一人だけいた。
誰であろう、他ならぬイーフェ自身だ。彼女は悲しそうに顔を歪めると、叫んだ。
―――違う!! あたしは、そんな、綺麗な存在じゃないんだ。恨まれて、軽蔑されて、罵倒されて当然の存在なんだよ!!
幽体のイーフェの言葉は、耳では無く脳が捉える。そのせいか、彼女の感情が直接流れてくる。強い悲しみを含んだ叫びに、サファは戸惑う。
「な、何を仰るんですか。どうして、そんな風に自分を卑下するんですか」
『そうよ! 貴女は頑張った。誰にも出来ない、尊い事を貴女は成し遂げたのよ。それを自分で否定することなんて無いの』
窘めるように言うのは、水の精霊の末端にして中枢であるハヅミだ。少女の形をした水が幽体のイーフェに近づこうとするが、逆に彼女は距離を離すように遠ざかった。円形のすり鉢状の縁に向かってゆらり、ゆらりと近づくと、そこから見える景色は彼女の記憶と大分違っていた。
乾いた大地に人々が身を寄せ合うように暮らし、建物が小さな塊のようにひしめき合い、世界の広さだけが浮き彫りとなった光景。末期の記憶とは、全く違う。
―――違うんだよ。あたしはね、二人とも。死ぬ直前にこう、思ったのよ。花の都なんて、エルフなんて、みんな滅べばいいのに、って。
血が流れていく。臓器などを傷つけないようにと突き刺したが、それでも出血は激しく、意識が遠ざかっていく。傷口は熱を持ち、痛みは絶え間なく襲ってくる。それでもイーフェは歩みを止めようとはしなかった。
山のように丸みを帯びた黄龍の背中を昇り、心臓の真上に向かう。
だけど、その道のりは険しかった。
精霊たちの加護が無い彼女は、戦士としての技量は一般的な水準よりも上だ。豊富な戦闘経験がある分、エルフの戦士たちの中でも上から数えた方が早いぐらいだ。それでも、その強さは常識的な範囲に過ぎない。ましてや、今の彼女は傷を抱えている。
《パッシング・フォワード》の効果を増長させる為に、故意に体を傷つけているため、動きに精彩を欠いている。その為か、行く手を阻む幽体の攻撃に四苦八苦していた。
見覚えのある敵国の装備を身に着けた兵士の幽体が放つ矢を躱し切れず左足に突き刺さり、熊のような形をしたモンスターの爪を右腕に浴びて手甲が砕け、武器も持たない子供たちが行かせまいとしがみ付くのを振りほどけずにいた。
幽体の攻撃は、肉体の出血以上に彼女の心をすり減らしていく。傷口から、触れた肌から彼らの想念が流れ込む。何故、自分は死ななければならないのだ。何故、こいつは死んでいないのか。何故、何故、何故。言葉にならない負の感情がイーフェの心を追い詰めていく。
それでもと己を叱咤し、押し寄せる幽体の群れを切り払い、彼女は突き進んだ。
何故なら、自分はエルフの『英雄』。花の都の護り手なのだ。
自分が負ければ、故郷が滅ぶ。だから、勝たなくてはいけないのだ。そう言い聞かせて、彼女は遂に、心臓の真上に辿り浮いたのだ。
急所の一つである心臓の真上だからといって、そこに目印のような物は無く、かといって特別な防衛機構も無かった。内部と違い、外部からの攻撃は鱗と肉で防げるという判断なのか、あるいは外側からでは心臓の正確な位置は判明できないと考えたのか。
残念ながら、此処に居るイーフェはその二つをクリアした。
手にした精霊剣に注いだ精神力の量は生涯で最大。今ならば、大陸すら貫く槍となろう。そして、一度は心臓まで辿り着いた経験があるため、外側からでもその位置を間違える事はない。
黄龍の背に向けて、バルムンクを突き刺すと、剣先はするりと抵抗も無く入る。精神力が留まり切れなくなり、熱が漏れている。
そんな塊にイーフェは凭れかかった。彼女が燃える事はない。正当な所有者である彼女は、精霊剣で傷つく様な未熟者では無い。
血を失い過ぎて冷えた体にバルムンクの熱は心地よかった。彼女は失った体温を精霊剣に求めていた。もう、己に残された時間はそれほどないと自覚していた。
黄龍を倒す為にと傷を作り、放置し、あえて幽体の攻撃を浴び続けたツケが溜まったのだ。息は掠れ、肌艶は脂漏めいた物へと変貌し、死の沼地に体が半ばまで浸かっている。おそらく、精霊剣の力を解放した余波で、自分は吹き飛ぶだろうとイーフェは覚悟していた。
それで良いとも納得していた。
一度は、故郷の滅亡に喜びを見出してしまった自分を恥じ、許せなくなり、半ば自棄になって此処まで来たのだ。此処で故郷の為に死ねるのなら、それも悪くは無いと考えた。
エルフの一生は長く、その死にざまは高潔であれと言われている。長い人生において常に勝者であり続けるのはあり得ず、常に聖者であり続けるのは難しく、それゆえエルフは長き人生の最期を重要視する。どんな最期を迎えるのかで、その者の人生の価値が決まると言えた。
だとすれば、自分の人生は上々なのかもしれない。
例え、強制されるがままに剣を振るい、命じられるままに国を守り、一族という鎖に縛られ続けた人生であっても、皆を守る為に死ねるのは、そう悪い人生ではないはずだ。
イーフェはそう考え、そして剣を握る手に力を込めた。
最期に、故郷の姿を一目見てから逝こうと決め、そして前を向いた。
高みから見下ろす故郷の姿は一変していた。難攻不落の鋼鉄の森は色を失い、枯れ木となってなぎ倒され、花吹雪く原野は燎原の火に巻かれ、水晶で出来た城はひび割れ崩れ落ちた。阿鼻叫喚の地獄絵図を前に、イーフェは静かに思う。
―――ああ、これが見たかったのだ。
思ってから彼女は表情を青ざめる。失血死寸前だからでは無く、自分の本質に向き合った事で衝撃を受けたのだ。いま、自分は何を思ったのだ。心の底から、嘘偽りなく、何を願ったのだ。
―――もう、誤魔化せない。望んだのは、故郷の崩壊だ。
止めてくれとイーフェは叫んだ。王族に引けを取らないと言われた野性味のある美貌はやつれ、滂沱の涙に汚れていく。それでも、彼女の本心は醜き感情を曝け出す。
―――願ったのは、一族の苦難。
あまりにも醜すぎる感情は、まるで黄龍の姿に酷似していた。
―――この状況に誰よりも喜んでいるのは、あたしだ。
いや、黄龍は自分の影であり、対であり、そして本心の具現化のような物だ。黄龍という獣が、自分の中にひた隠しにしてきた本心を、願いを、叶えてしまった。
滅亡の砂時計が落ちていく惨状は、紛れもなくイーフェの夢見た世界だ。
その事実を突きつけられ、イーフェは叫ぶ。
「違う、違う、違う、違う! あたしは、あたしは、こんなの、望んでいない。あたしは、自由を望んだんだ! エルフが、花の都が滅ぶところなんて一度だって望んじゃいない!!」
―――そうなのかい? 本当にそう思えるのかい。心の底から、違うと言えるのかい。
「くどい! こんなのを望むなんて、そいつは悪魔の化身だ!」
いつの間にか、どこからか自分に対して話しかける悪意に満ちた声にイーフェは声を荒げた。幼い少女のような声は陰鬱とした色合いに満ち、鉄錆に浮いた油のような気持の悪さがあった。まるで、世界を滅ぼす悪意の塊のような声は続く。
―――いやいや。それは嘘だね。これは君が望んだことだ。それはぼくが保証しよう。これは間違いなく、君が望んだことさ。
「黙れ、黙れ、黙れ! 何者か知らないけど、それ以上あたしを愚弄するなら―――」
―――だって君、笑ってるよ。
衝撃が全身を貫いた。悪意に満ちた声の指摘にイーフェは己が頬を触り、そして口角が吊り上がっているのに気が付いた。間違いなく、彼女は笑っていた。
これで二度、イーフェは笑ったのだ。国が滅ぶという事実を前にして、その姿を目の当たりにして抱いた気持ちは憤怒では無く歓喜。それは誤魔化せなかった。
悪意に満ちた声は聖母のような慈愛を込めて囁く。
―――ご覧。壮麗と評された花の都の最期を。でも、これだけじゃ足りないだろう。君の中にある絶望を、曝け出しなよ。
それはイーフェの魂を汚す毒の言葉だ。
―――まだ、エルフは滅びきっていない。彼らは逃げ出す算段をしている。君という存在を見捨てて、新天地に逃れようとしているんだ。
イーフェの息が荒くなる。自分が取り返しの付かない道に誘導されているのを自覚しながら、彼女は悪魔の囁きに耳を傾けてしまう。
―――そんなの、酷いよね。許せないよね。見逃せないよね。
「……何が、言いたいのよ」
これまでとは打って変わって弱々しい声に、姿を見せない悪魔のような女は笑う。
―――見捨てなさい。黄龍を倒す事を諦め、自らの願望に身を委ね、エルフが滅びる様を特等席で見物しなさい。
「……そんなこと……できるわけ」
―――できるさ。精霊剣に注ぎ込む力を、自らの肉体を癒すのに使いなさい。そうすれば、貴女は死ぬことは無いはずよ。
死の沼地に沈みゆく意識。イーフェは声の持ち主が自分の技能を知っていることに違和感を抱く事すら出来なかった。ただ、彼女の誘う悪意に満ちた未来を眩しそうに目を細めていた。
―――さあ、どうするのかな。
問いかけにイーフェは迷い、涙を流した。自分の本心を、自分自身すら気が付いていなかった本心を無遠慮にこじ開けられた。これ以上の辱めは無いというのに、それが心地よくさえあった。『英雄』であれと己を律してきたことの反動なのか、抱えていた闇を吐露したことで、心が軽くなったのだ。
それが溜まらなく悲しく、そして許せなかった。
だから、彼女は決めた。
「バルムンク。あたしを―――燃やして」
―――なんだって?
悪意に満ちた声が初めて、感情を露わにした。困惑する声にイーフェは叩きつけるように叫んだ。
「許せない! お前なんかの甘言に唆され、一瞬でも滅んでしまえと思った、あたしが許せない。でも、黄龍を倒して、エルフを守ろうという気持ちも抱けない。だから、だから、だから!」
自害する。
『英雄』であることを全うする事も出来ず、エルフの滅びを直視する事も耐えきれない中途半端な自分。卑怯で、臆病な自分という痕跡をこの世に残す事すら、イーフェは耐えられなくなった。
だから、彼女は自分の剣に向かって命じた。
「バルムンク! あたしを、あたしのこの黒い願いごと、燃やし尽くして!」
精霊剣バルムンク。ただの儀礼用の剣として生まれたそれに感情は無い。人格など有していない。ただ、所有者の思いをくみ取り、それを具現化するだけだ。
だから、イーフェの願い通りに剣は閃光を生みだした。剣が禍々しい赤に染まり、そしてまばゆいばかりの光がイーフェを飲み込んだ。
星が爆発するかのような輝きが黄龍の背中で生まれ、そして消えた時、そこにあったのはすり鉢状に抉れた跡と、持ち主が無くなった剣だけが残された。
―――あたしは、『英雄』として黄龍を倒す事も、エルフが滅びる事も、どちらも見たくないから自分を殺した。そんな卑怯で臆病で、愚か者なのよ。
イーフェの懺悔はそう呟いて幕を閉じた。誰もが涙を流さずには居られなかった。
『英雄』として祭り上げられた女性は、その実、ただの人だったのだ。
それに気が付かないままエルフたちは彼女を『英雄』としてしか扱わず、望まず、だから滅びの道を歩んだのだ。
それを最も知っているのはこの場におけるサファだ。
彼は足元から消えつつあるイーフェに向けて歩き出した。
―――こっちに来るな。あたしは一人で消えていくのがお似合いなんだ。
「そんな、悲しい思い。二度とさせません」
―――うるさい! あたしは、人生の最期を汚した。中途半端な結末を迎えた愚かなエルフなんだ。だから、それに相応しい消え方をするべきなんだ!
「そんな事、絶対にありえない!」
鋭い大音声が夕暮れに染まる空を揺らす。幽体であるイーフェですら、気迫に驚き震えた。
「確かに、貴女の死に際は見苦しく、辛く、悲しい物で彩られている。だけど、それは誰かに後ろ指を指されるような恥ずべき物なんかじゃない!」
サファはイーフェと同じ目線に立つ。盆地の縁に立ち、橙色に染まるイーフェを見つめながら告げた。
「人生の価値を決めるのは、死に際じゃない。その人生を通して、何を残したかだ」
―――だったら、やっぱりあたしは最低だ。こんな怪物だけ残しちゃったじゃないか。
「違う! 貴女が残したのはこんな醜い怪物じゃない。この俺だ!!」
その言葉に、幽体のイーフェが呆けた表情を浮かべた。予想外の言葉に、彼女は呆気にとられたのだ。
「俺は自分で誇れるような道を歩いてきたとは言えない。むしろ、貴女以上にあちこちに恨みや悲劇を生んできた。それでも、俺がエルフを守れたのは、師匠、貴女が居たからだ。貴女という師匠が居たから、エルフは今も生きているんだ! この大地で、生き続けていけるんだ! 貴女が懸命に生きたからこそ、俺は此処に居られるんだ!! それを間違っていた風に言わないでくれ!!」
息を荒げるサファにイーフェはどこか嬉しそうに笑みを浮かべた。夕日に照らされたその笑みはとても綺麗だ。
―――ああ、そうか。あたしは、あんたを残せたのか。なら、それでいいのかな。
いつの間にか、イーフェの体は首から下までが消え去っていた。頭部だけが浮かぶ彼女は頷くと、視線をハヅミと、そしてサファに向けた。
―――うん。なら、悪くない。こんなあたしを心配した友と、立派に成長した弟子に見送られるなら、それはそれで悪くないな。
言葉と裏腹に、憑き物が落ちたような満足そうな笑みを浮かべたイーフェにハヅミは言う。
「イーフェ、貴女に安らかな眠りを。さよならよ、『精霊の寵愛を受けし者』」
「良き旅路を、師匠」
―――じゃあね、ミヅハノメ、サファ。
夕日が沈む。いつの間にか青い月が地平線から昇り、空には星の輝きが瞬いている。
同時に、イーフェの姿は夜の闇に吸い込まれるようにして消えたのだった。
エルフの『英雄』イーフェ。彼女が生きた証である愛弟子を残して、彼女の魂は御霊に昇る。
サファは瞳に焼き付いたイーフェの姿を忘れないように刻み込む。あの笑みが見れた事が、此の戦いにおける最大の成果といえたかもしれない。
すると、彼の耳朶をハヅミの慌てた声が震わした。
「ちょ、ちょっとエトネ! それにレイも! ああもう、サファ、こっちに来なさい! もう体を構築できないんだから!」
振り返れば、窪地に倒れこむ人影があった。それは紛れもなく、レイを始めとした《ミクリヤ》の四人だった。
国喰いと恐れられた黄龍は滅びた。その報せは遠く離れたデゼルト国首都オーマットにも可能な限りの速さで届けられた。十四氏族の長らと緊急の会合を開く新王ダリーシャスはその報せに拳を天に向かって突きあげた。
「よくぞ、よくぞやってくれた!」
その喜びも無理もない。黄龍という怪物が国を蹂躙するよりも前に倒れるという、考えうる中でも最良に近い結果に終わったのだ。これを喜ばない王は居ない。
「それで、レイ達。黄龍討伐に向かった者達の安否はどうなっているのだ」
「報告によれば、重傷者が一命を除くと、皆が気絶、あるいは体調不良を訴えているとの事です。特に《ミクリヤ》の方々は全員が気絶しています」
「なんだと。それはどういう事なのだ!」
一転して怒気を露わにするダリーシャスに伝令は慌てて、
「ご安心ください! 彼らの症状はどうやら急激なレベルアップによる物らしく、命に別状はないとの事です。まだ仔細は不明ですが、死亡者は零との事です」
「そうか、そうか。うむ、ならば良し」
そう言って深く玉座に沈み込むダリーシャス。直近の問題が片付いたため彼は一瞬気が緩んだ。だが、それを許さないとばかりに次の伝令が駆けこんできた。
「ご報告いたします! ガヴァ―ナの港の封鎖に失敗! 帝国軍の大船団が接舷し、増援が上陸いたしました。その数はおよそ五万にも上るとの事です!!」
千年続く呪いじみた因果は断ち切られた。しかし、デゼルト国を揺るがす動乱の火は、いまだ治まる気配を見せない。帝国と魔人が手を結ぶという異常事態の波が、デゼルト国を飲み込まんと襲いかかるのだった。
読んで下さって、ありがとうございます。
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