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試行錯誤の異世界旅行記  作者: 取方右半
第8章 動き出す世界
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8-38 黄龍討伐Ⅶ

 金色の双眸は前を喰らいつく様に睨む。押しとどめていた精神力が体の中で渦を巻き、マクスウェルの体を内側から削っていく。びしり、びしりと不吉な亀裂音が聞こえてくるのは、幻聴ではあるまい。


「くははは。笑えるの。何十年経っても、この呪いを受け止めきれないままとは。しかも、これに縋るしかないというのが、性質が悪いぞ、……カタリナめ」


 瞼の裏に焼き付いて離れない、残酷だが美しくもあった魔女の相貌。耳朶に染み込み拭えないのは、狂奔の哄笑。


 恨み節を呟くと、マクスウェルは呼吸を数度繰り返す。清涼とは言い難い黄龍の体内を循環する空気を取り込み、吐き出し、精神を集中させた。そして、長杖を両手で握りしめ、詠唱の準備に入る。


「《知よ灯れ》」


 途端、マクスウェルの体から精神力が汲みだされるが、それは尋常ならざる量だった。人一人が保有する量を遥かに越え、精霊と遜色がない。だが、それはある意味当然の事だった。


 ―――彼はこれから、精霊の領域に足を踏み入れるのだから。


「《■■■■、■■》」


 マクスウェルの唇から紡がれる詠唱は、人には発声できないはずの言語だった。それはどこか、モンスターが詠唱する時の音に似ていて、しかし、邪悪な意思を感じさせない、神聖な輝きを宿す調だ。


 背後から紡がれる詠唱に、サファは珍しく驚嘆の声を上げた。黄龍の醜き心臓より放たれる全力の魂吸いを、空間を遮断することで防いでいるため振り返る余裕はないが、冷然とした相貌が興味深げに歪んだ。


「あの童。なにを勿体付けているのかと思えば、よもや精霊言語ビブロスを操るとはな。中々どうして、大したものじゃないか」


彼の知る限り、お同じ芸当が出来るのは安城琢磨と共に旅をした魔法使いぐらいだ。


 千年以上の時の中でも、数少ない心の底からの称賛を送る。それだけマクスウェルの切り札は特殊な物だった。


 元々、魔法とは精霊などに許された世界の理を操る術理だった。それをある時、精霊に育てられた子供が彼らの力ある言葉を、人に発声できる言語に落とし込めたのが始まりだ。


 その結果生まれたのが魔法言語ヒエログリフであり、旧式魔法だ。


 精霊言語ビブロスはその逆。


 精霊にしか使えない言葉だ。


 つまり、マクスウェルは本物の、原初の魔法オリジンを紡ごうとしているのだ。


 当然、それには代償が必要だ。


 そもそも、どうして魔法言語ヒエログリフが生まれたのか。それは精霊言語ビブロスは肉体を持つ者に多大な負荷を掛けるからだ。


 口の端から赤い血が流れていく。内臓の一部が腐り出して出血が逆流したのだろうか。痛覚は義務を放棄し、神経は焼き切れて行く。体の平衡感覚が狂いだし、長杖を支えにしなければ立てなくなる。


「《■■■■■、■■■■■■■》」


 体の表面を走るひび割れが更に進行する。枯れ木を踏み潰すような音が彼方此方か聞こえてきた。


 人に扱えない精霊の言葉を無理やり発声すれば、自然、人の手に余る力の奔流に晒されるのは当然の結果だ。だが、マクスウェルは詠唱を止めようとはしない。


「《■■■■■■■》」


 体から血が汗のように流れても、続く詠唱。サファはともかくとして、《神聖騎士団》の面々はマクスウェルの状態を知りつつも、止めようとはしない。死に向かって一歩ずつ踏み出しているというのに、止める事も、振り返る事もしない。


 マクスウェルの意思を、覚悟に敬意を払い、水を差すような真似をしない。


 代わりに、マクスウェルの戦いを邪魔させまいと、幽体の群れを相手に一歩も退かない勇猛ぶりを発揮していた。


「《■■■■■■、■■■■》」


 精霊言語ビブロスを用いた魔法が、超級魔法を超えるかというと、別段そういう事はない。むしろ、マクスウェルが扱える魔法の中では、原初の魔法オリジンの威力はさほど高くなく、発動するのに命を賭けてしまうため、割に合わない。


 だけど、原初の魔法オリジンには既存の魔法、魔法言語ヒエログリフを用いた魔法に無い優れた点がある。


「《■■■■■■■■■》」


 それはに挑めるという点だ。


 エルドラドにおいて、人と精霊の間には大きな隔たりがある。それを格と呼ぶ者も居れば、階層と呼ぶ者も居る。平たく言えば、人と精霊は同じ領域、同じ目線に立つことは出来ない。精霊の方が、一段上の領域に位置している。彼らは世界を構成する核の一つであり、世界の上で暮らす有象無象の人間と同じ扱いはされない。


 つまり、人がいくら攻撃しても、精霊を傷つける事は不可能だ。力ある者が戦技なり、魔法なりで倒したとしても、それは一時的な結果に過ぎない。精霊を抹消するには同じ次元に居る精霊か、あるいは更に格上の存在の力が―――例えばゲオルギウスの持つ概念殺しの槍のような、神々の権能でなければ駄目だ。


 人間にとって、原初の魔法オリジンとは、上位存在に対抗できる唯一の呪文なのだ。


 最も、それを人の身で扱うなど不可能に近く、そんな事をしなくとも精霊を召喚して彼らの力を借りれば、それで話は済むのだ。だけど、黄龍の持つ魂吸いの力は精霊に最も効果的に働く。この場で精霊を呼び出す事は不可能であり、マクスウェルの選択は唯一の解だ。


 最終節まで唱えたマクスウェル。消耗しきった体は赤い衣を纏ったかのように鮮血に染まるが、彼はさして気にした風も無く、前に倒れるように進む。近づく少年の気配に気が付き、サファは空間の切断を一度止め、体を低く構えた。足裏に力を溜め、一気に距離を詰める散弾をする。


 空間の遮断が無くなった以上、魂吸いを防ぐ事も出来ない。殺人的な勢いで、自らの生命力が消えていくのを感じつつも、マクスウェルは魔法を完成させる。


「《■■■■■■■》!」


 瞬間、空気が煮える。


 少年の眼前に現れた小さな小さな、それこそ蛍の光のような火種。


 だが、その火種に込められた力は、世界の理を書き換える力を秘めていた。


 火の神プロメテウスに仕えし、火の大精霊カグツチ。彼が有する破壊と浄化の権能を宿した火種が心臓へと触れると―――煌々とした橙色の爆炎が黄龍の体内を照らした。






 レイ達と幽体であるイーフェの戦いは続いていた。


 正面切って相手取るのはレイだ。イーフェに向けて龍刀とダガーを繰り出す。


 ダガーから放たれた紫電は手甲で受け止められ、龍刀を横に薙ぐも、縦に振るわれる精霊剣に阻まれた。幽体という、希薄な存在の癖に、こと攻撃に関しての圧力は実体と変わらない。つばぜり合いをする中、紅蓮の炎を纏わせようとするレイに先んじる形で、切っ先が淡く輝く。


 光線が放たれる前兆だ。


 レイは体を横に向けて、切っ先の方角に向けて放たれた光線を回避する。顔は淡い白色に照らされ、熱が空気を焦がす匂いが鼻を突く。そのまま、体を横に回転させた遠心力を使って一撃を与えようとするも、イーフェの足刀が右ひざを襲う。まるで斧を叩きこまれたような衝撃に、レイはその場で崩れ落ちた。


 代わって、今度はリザが攻める。ロングソードを鞭のようにしならせた連続切りも、イーフェが渾身の力を込めた一撃に吹き飛ばされてしまった。


 エトネが背後から仕掛けようとするも、精霊剣の柄が少女の頭を強く殴打し、エトネは黄龍の背を転がる。それを見たシアラが眉を吊り上げ、


「《ブリザードパイル》!」


 と、中級の魔法を完成させる。しかし、直後に彼女の秀麗な相貌が険しくなった。


 いつもなら五本は出現する氷柱だが今回は三本しか出なかった。立て続けに魔法を連発したせいで、精神力が枯渇しだしているのだ。残り少ない精神力を無理やり絞り出して成型した魔法は、しかしイーフェの素早い身のこなしで躱されてしまう。


 黄龍の背で砕け散る氷の飛沫に触れることなく、イーフェは実体の精霊剣の前を陣取った。此処が自分の居場所だと定めた様に動かない。


 イーフェとは、他の怪物と違い戦いが成立する。だからといって、善戦しているとは胸を張っては言えないだけの実力差が四人ミクリヤと『英雄』の間にはあった。


「分かっていたとはいえ、やっぱり強いよな、この人も」


「ええ。流石は大軍勢から国を守ってきたお方です。サファ様の師匠というのも納得がいきます」


 渋面を作るレイとは反して、リザは頬を緩ませ、憧憬を青い瞳に浮かべて告げた。そのことに気が付いたシアラが額に青筋を作りながら、


「……あのね、リザ。割と厄介な状況なのに、そんなに目を輝かせないでくれるかしら」


「ええ!? そんな、私は別に」


「いーえ! ワタシの眼は誤魔化されないんだから!」


 手を勢いよく横に振って否定するリザだが、彼女の双眸が熱っぽい視線を送っているのは間違いない。強い人大好きっ子の本能が隠しきれていなかった。


 とはいえ、リザの気持ちも分からなくも無かった。


 人数的に有利だというのに、生前の力量を遥かに下回る状況だというのに、難攻不落の砦のような堅牢さを見せるイーフェに、畏敬の念を抱かずには居られなかった。


 だが、憧れているばかりでは黄龍を止める事は出来ない。


 この要塞並みの頑強さをどうにか突破しなければならないのだ。


 これまでに剣を交わした事で一つ、分かった事がある。イーフェの戦い方は伝聞からだと、酷く攻撃的で、暴力的なイメージがあったが、実際には護りの剣だ。


 レイの感覚は間違っていなかった。


 エルフは長じて護りに長けている。


 花の都が健在だったころから、常に外敵の脅威に晒され続けていたからか、彼らの戦闘技法は攻守の比重が守勢に傾いていた。人間兵器などと揶揄されるイーフェや、多くの血を流してきたサファですら、戦い方の基本には護りがある。


 こと、イーフェは百年近い年月を護り勝ち抜いた経験がある。それは幽体となってなお、彼女の中に宿り、力となっていた。


 難攻不落の人間要塞を前に、レイは勝ち筋を探る。


「彼女を倒そうとすることは難しいね。大火力を放ったところで、精霊剣に防がれてしまい、普通に競り勝つのは不可能に近い。僕らの内、誰か一人があそこに、実体の精霊剣の所まで辿り着ければ、それでいいんだけど、そう簡単には許してくれない。行こうとすれば、イーフェが先回りして防いでしまう」


「裏を返せば、黄龍もあの精霊剣を厄介だと自覚していることなのでしょうね」


 イーフェが守る精霊剣。あそこに辿り着き、籠められている精神力を解放さえすれば、黄龍を倒す可能性があった。


「こうなったら、指輪を使うべきかな」


「それは駄目よ、主様」


 赤色の指輪を親指で撫でながらレイが呟くと、シアラが言葉を鋭くして制した。


「《全力全開オールバースト》を使った上で魂の交換を行えば、確かに状況は一気に押し込めるかもしれないけど、効果があるのは一分だけよ。それを凌がれたら一気に不利になるわ」


「シアラの言う通りです。クリシュ殿との戦いをお忘れですか」


「いや、忘れてないよ。指輪を使って、一気に攻めようとしたけど、失敗した。魔法の効果が切れるまで凌がれてしまったよ」


 二人に言われ、レイは苦い経験が蘇る。


 ガヴァ―ナの港町でクリシュ・ナキと戦った時、レイは指輪の力を解放して戦いを決めようとしたが、結果として敗れてしまった。《全力全開オールバースト》と魂の交換の組み合わせは強力だが、反面、発動した直後の体は極度の疲労感に包まれ戦闘続行は難しくなる。


 切り札を出すという事は、その切り札で勝利を掴まないと逆転されてしまうリスクが付き纏うのだ。


「いまは耐えるのよ。この状況が、何か変わる瞬間がきっと訪れるわ。その時になって指輪を使えばいいわよ」


「だけど、砂漠を抜けるまで、もう時間が無いぞ」


 直に黄龍はアルビノ砂漠を抜ける。魂吸いを発動している黄龍は、侵攻した土地の魔力を、その通り道ごと吸収してしまう。そうなれば、その土地は魔力が通らなくなる、死の大地となる。ただでさえ、魔力が乏しい南方大陸の一角にあるデゼルト国の存亡は、今この瞬間に掛かっていると言っても過言では無い。


「それは分かってるわよ。でも―――」


 ―――震動が体を貫く。


 仕方ないじゃない、と続くはずの言葉は、突如起きた衝撃波に遮られた。黄龍の体が、空気を送り過ぎた風船のように膨れ上がったようにレイには感じた。黒い雨に汚れた黄龍の鱗が透けて橙色の閃光が煌めいた。


 それが何なのか、外側に居たレイ達には分からなかった。黄龍が何か厄介な事をしようと準備しているのか、あるいは中に突入したマクスウェルらが行動した結果なのか。その判断は付かない。


 だけど、これまでに幾つもの修羅場を潜り抜けたレイ達は、頭で理解するよりもまず、本能で勘付いた。


 流れが変わる、と。


 感情の乏しい幽体のイーフェが、何かを気にするように下を向いたのも、その表れだったのか。レイ達は流れるように、各々が用意していたとっておきを披露する。


「《全力全開オールバースト》!」


「《この身は一陣の風と為る》!」


「《我が足は、世界を跨ぐ》!」


「《器を満たせ》」


 四者四様。


 この瞬間に全てを賭けるように、少年たちは動いた。


 先陣を切ったのはエトネだ。


 《狭間ノ省略》を発動したエトネが、一気にイーフェとの距離を詰めた。懐に飛び込み、至近距離からボルトを射出する。目と鼻の先ほどの距離から放たれた一撃は、イーフェの胸に吸い込まれる寸前、右腕を保護する手甲に弾かれた。


 ボルトが雨の斜面に落ちていくのと同時に、精霊剣が縦に振り下ろされる。エトネの体を二つに分けかねない一撃を、エトネはあえて手で受け止めた。


 ガントレットによる、真剣白羽取りだ。


 両手を頭の上に掲げ、虫を掴む様に手を合わせる。金属同士が激しくぶつかり合おう音が響き、刃はエトネの手の間に挟まった。エトネは腕に精神力を込めて、精霊剣を挟み折ろうとする。


 攻撃を封じられたイーフェだが、動じることなく冷静に対処した。


 エトネの体に深々と爪先がめり込み、幼い体は後ろへと吹き飛んだ。


 すると、エトネと入れ替わりに飛び込む影があった。


 レイだ。


 右目を灼眼に染め、龍刀から猛々しい炎を巻き上げて加速した少年は、空中で体を捻りつつ、全身でぶつかるような激しい衝撃を刀に込めた。生半可な一撃では決して止まらない威力だ。


 それを察したのか、イーフェはここに来て精霊剣を両手で握りしめた。


 途端、彼女が纏う闘気が剣呑とした物に変化。直後、精霊剣が輝くも、それは光線として放たれず、剣の威力を上昇させた。そして、全身全霊を掛けるレイに合わせるように、精霊剣が振るわれた。


 衝撃が両者の体を震わした。


 龍刀と精霊剣。


 どちらも規格外な武具であり、尋常ならざる力を籠められた一撃は、互角で終わる。紅蓮の炎は掻き消え、白色の煌めきは消え去る。互いの一撃が弾かれた両者は、そこで足を止め、剣を振り抜いた。


 一合、三合、七合、十合と激しく打ち合いを重ねる二人。


 もしも、イーフェが幽体では無く、実体を持ち真面な思考を有していたなら驚嘆しただろう。レイの身体能力が向上している以上に、剣筋が冴え渡り、苛烈さを増していることに。


 魂の交換による技量の上昇。半分、無自覚とも言えるレイの戦いぶりに、イーフェは全力で相対するしかなかった。希薄な意思しかない幽体の彼女の頬にうっすらと笑みが浮かんだのは見間違いだろうか。白熱する戦いにイーフェは全力で応えていた。


 だから、彼女は失念した。


 もう一人、接近戦を得意とする者の存在が、この状況で攻めてこないという理に叶わない現実に。


「行きます! 飛翔穿!」


 リザの声が空中から響く。イーフェが気づいた時には遅かった。


 《風ノ義足》を発動したリザは、一手目から空へと跳んでいたのだ。


 そして空中で姿勢を整えると、ロングソードを《形状変化シャープチェンジ》によって大剣へと変化させると、足に残っていた風の力を解放して斜めに加速した。


 飛翔穿と名付けられた必殺技は恐るべき勢いで空間を削る。さしものイーフェですら、手こずるかもしれない威力だが、しかし、角度が違っていた。彼女はレイと激しく打ち合うイーフェでは無く、その奥にある精霊剣へと向かっていたのだ。


 レイ達の決めた作戦はシンプルだ。


 リザか、あるいはエトネの、移動系技能スキルを持つ者が精霊剣を解放する。


 四人で倒し切れないイーフェを、最初から倒す事を計算には入れず、彼女をレイが足止めしている間にどちらかが辿り着くというのが理想の形だ。


 最も、その形に持っていくのも大変な作業だった。ようやく、ここに来て成功の道筋が浮かび上がった。


 リザの視界が高速で流れ、精霊剣へと一気に迫る。レイとエトネが意識を奪っていなければ、飛翔穿を発動しても邪魔をされる恐れがあった。


 現に、イーフェは空を駆け抜ける流星の如きリザに向けて、光線を放とうとする。精霊剣が急速に輝きを強めていく。


 レイとの距離を開け、振り返りざまに精霊剣の力を解放しようとして―――。


「させるか! 《留めよ、我が身に憎悪の視線を》!」


 ―――レイの《心ノ誘導》が発動する。イーフェの体を見えざる手が引き寄せたかのようにぐるりと回り、光線が横にずれる。背後のレイに向けて光の刃が迫る中、シアラが叫んだ。


「《シューティングレイ》!」


 光の低級魔法が杖から放たれると光線と魔法が交錯する。だが、拮抗する事など出来ないとばかりにシアラの魔法は一秒も持たずに砕けてしまう。しかし、レイにとってその一秒で十分だった。


 横に振るわれた光線がレイの首を落とすよりも前に、エトネが少年の体を後ろから押し倒した。頭の上を横滑りするギロチンの刃が通り過ぎると、衝撃音が黄龍の背に響く。


 飛翔穿で落下したリザが精霊剣の傍に着地したのだ。


 彼女は黄龍の背中に突き刺さるロングソードを見向きもせず、精霊剣の柄に飛びつき、そして願う。


「精霊剣バルムンク! 私の呼びかけに応じて、力を貸してください!」


 龍刀と違い、意思があるはずの無い無機物が、どうしてか呼応するように輝きだす。


 それは幽体の精霊剣とは違い、綺麗な、とても綺麗な赤色せきしょくだった。


 イーフェが死の間際まで流し込んだ精神力は、刀身を強烈なまでの赤き閃光に変え、そして―――。







 原初の魔法オリジンを浴びた黄龍の心臓。醜く肥大化したそれは、爆炎が晴れると、内側を曝け出していた。てらてらと濡れている赤黒い肉に悍ましさしか感じない。


 普通ならば、あれだけ破損された心臓は役割を終えて眠りに着くはず。だが、元の瞳の色に戻ったマクスウェルの視界では、心臓が鼓動を刻もうとしているのが見えた。何より、厄介な魂吸いは止まらない。


 冒険者たちの体から生命力が吸い取られる。しかし、その勢いは弱々しく、心臓が弱体化した事で機能が弱まったようだ。つまり―――。


「―――今なら、体が動く! この好機を逃すな、サファ殿!!」


「言われなくても分かっているぞ!」


 魂を絞り出したかのような叫びに背を押され、サファが駆ける。距離にして十メーチル強。サファの俊足を持ってしてみれば、瞬きの間に踏破できる。


 だが、彼の行く手を阻む様に、黄龍の最後のあがきが始まった。


 心臓のある空間を取り囲む肉壁が蠢くと、そこから触手のように肉がせり上がるのだ。それを回避するために後ろへと跳躍したサファは、瞬間、己の失策に気が付いた。


 触手は自分の妨害の為だけでは無かった。盛り上がった肉壁の多くは、サファを行かせまいと邪魔をするが、そのうちの一本だけは別の行動をとった。槍のように伸びた触手の先端は、半壊した心臓を貫く。


 だが、それは貫いている訳では無い。ぶちりと音を立てて千切れる触手。子供が形の崩れた泥団子を直す為に、泥を塗りたくる様に心臓が元の形を取り戻してしまったのだ。


 途端、全身の肌が粟立った。刹那の間を置かずに全力の魂吸いが襲いにかかるだろう。これぐらい、未来を知る術がなくとも理解できる。


 空間を切断すればそれを防ぐことも可能だが、そのためにはマクスウェルが命懸けで行った献身を無駄にする行為だ。なにより、防いだところで次につながる策がある訳でもない。


 自然な、淀みの無い動作で鯉口を切る。これまでにも何度も、何十と、何百と、何千と、そもそも数えるのも愚かだという回数を積み重ねてきた抜刀術。肉壁を蹴って加速したことで、黄龍の心臓は既に間合いの内だ。


 だというのに、この一閃が振り抜くだけの時間が残されていない。


 刃が心臓を両断するよりも前に、魂吸いが発動する。


 此処までなのか。


 此処が限界なのか。


 サファの胸中に苦々しい過去が蘇った。


 千年前。人間と交流によって蹂躙されていく花の都こきょうを目の当たりにした時と同じだ。あのどうしようもない絶望を前に足を止めてしまった自分が許せずに、剣を振るい突けたというのに。その結果が、その終わりが此処なのか。


 ―――いや、違うはずだ。


 どこかで自分という存在は終わりを迎える事になる。世界を崩壊させてしまう『七帝』の一人だと知った日から、それを常に意識していた。自分が居なくなった後の世界で、同胞が困らないようにと行動してきたのは、此処で終わりを迎えるためでは、断じて違う。


(そうだ、此処は俺の死に場所では無い!)


 腕の筋肉が盛り上がり、神経が高速で指示を飛ばす。数えきれない回数を積み上げてきた抜刀術。だが、此度の一撃は、それまでを上回る速度へと到達するのがサファに分かった。


 だけど、それでも、己の千年をぶつけたとしても相打ちが限度だという非情な現実もサファには理解できてしまった。しかも、その一撃を持ってしても、黄龍の心臓を止められるかどうかは難しい。これほどまでの異常な再生能力だ。一撃では足りない。


 そこまでを瞬時に理解できるだけの技量と経験がある事が不幸だった。


 あと一手。


 あと一手あれば、黄龍を倒せるというのに。


 どうしようもない絶望に、頭を垂れそうになるサファ。しかし、それでもと一縷の望みに掛けて、抜刀術を放とうとし、そしてほぼ同時に致死量の魂吸いが放たれる。


 ―――寸前、頭上から鮮烈な赤色が降り注ぐ。


 全くの前触れもなく、両者の激突に割り込む形で、真上の肉壁を融解させて降り注いだ刃のような光線は黄龍の心臓を縦に貫いた。閃光によって黄龍は一瞬だが空白の時間を生んだ。


 肥大化した心臓の損傷は甚大だが、最低限の生命活動を可能としていた。心臓を修復させるか、攻勢に打って出るべきか。どちらを選択するかで、黄龍は一瞬だが動きを止めてしまった。


 ―――その一瞬を俺は千年待った!


 神速一閃。


 轟音が唸り、サファは己が全てを捧げる一撃を繰り出した。物体を切り、空間を裂き、そして時すら超越した居合いが黄龍の心臓を横に切断した。


 縦と横。十字に断たれた心臓が、鼓動を止め、黄龍の断末魔とも呼ぶべき咆哮がアルビノ砂漠の空に吸い込まれていく。


 勝負を分けたのは、ほんの一瞬。


 だけど、その一瞬を生みだしたのは、今を懸命に生きる者達の必死の抵抗。そしてたった一人で国を守ろうとした『英雄』と、同胞を守るためとはいえ夥しい屍山血河を築いた『守護者』。


 千年の時を超えて、再び交錯した師弟の絆だ。


 かくして国喰いと恐れられた黄龍は、自らが生み出した不毛な大地の境界線にてひれ伏した。黄ばんだ瞳から輝きは失せ、不気味な地鳴りは静かになり、その山のごとし巨躯が動く事は―――二度と無い。


読んで下さって、ありがとうございます。

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