8-37 黄龍討伐Ⅵ
快活さや力強さを感じさせる瞳に、柔らかそうな唇。『紅蓮の旅団』副団長であるロータスのような、理知的な美女というよりも、エトネを大きくしたような野性的な魅力を醸し出している。幽体であっても、生前の彼女がとても美人だったのが良く分かる。
エルフの『英雄』イーフェの幽体が、精霊剣を携えて、実体の精霊剣の前に立ちふさがっていた。
考えてみれば、これはありえた可能性だった。
幽体が、千年前の黄龍によって殺され、吸収された哀れな被害者なら、彼女がその列に並んでいたとして、何ら不思議では無かった。ただ、考えたくなかったのだ。国を守る為に命を燃やした『英雄』が、国を滅ぼした元凶の手先として扱われるという悲しい可能性から、目を背けていた。
感情を削ぎ落したような相貌は、他の幽体と同じでぽっかりと空いた伽藍洞を覗くような不気味さがある。しかし、他の幽体と隔絶しているのは、彼女から発せられる威圧感だろう。これまでに出会って来た怪物らと比較しても、劣らない威圧感にレイは緊張を高める。
「イーフェ、イーフェ。私達の寵愛を受けし者。私の声が届かないの? ミヅハノメの一部よ! ねえ、返事をして、イーフェ!」
すり鉢状の形状のせいか、雨水がうっすらと溜まる中に手を突き、崩れ落ちたハヅミは、必死に呼びかける。だが、イーフェは視線を僅かに向けるだけだった。それでもなお、声を張り上げるハヅミを、シアラが羽交い締めにする。
「無駄よ、ハヅミ。あの方がイーフェ様だとしても、意思がある訳じゃないのよ。黄龍が食らった魂の残響。形はあれど、そこに意思は存在していないの」
「だから何よ! あそこに居るのはイーフェなの! 私達が、見捨てて、一人で寂しく死なせてしまった、可哀そうな子なのよ!」
「落ち着いてください、ハヅミ様! お気持ち、お察しします。ですが……今の彼女は―――」
リザがハヅミを説得しようとするも、それは叶わなかった。
背中を向けてしゃがみ込むリザを隙だらけと判断したのか、イーフェはリザの方に向かって突進する。攻撃の気配に気が付いたリザはロングソードを素早く抜き放ち、イーフェを迎え撃った。
「―――黄龍を倒すための、障害です」
リザは血を吐くような思いで残酷な現実を突きつけた。
そして、精霊剣とロングソードが激しくぶつかり合い、戦いの火ぶたは切られた。
拮抗する両者の鍔迫り合いだが、よくよく見れば優勢なのはイーフェだ。リザは両手でロングソードを握り、イーフェは無造作に片手で握っていた。片手でリザを押さえているのだ。
空いた手はリザの頭部を殴打しようと迫る。首を傾けて躱すリザ。幽体の、温度の無い拳が掠めるだけで、彼女の怨嗟の声が肌から染みこんでいく。
言語化できない、怨嗟の声に身震いするが、意識を保とうと必死になった。
だけど、イーフェの攻撃は終わっていなかった。
鍔迫り合いを続けたままの態勢で繰り出した拳が、リザの側面を通り過ぎると、花を咲かせるように拳は開いた。そして、無防備な後頭部を掴むと、手前に引き寄せる。
そこにあるのはリザの刃だ。
ロングソードの形状上、両刃の片方はリザの方を向く。そこに口づけを落とすようにリザの頭が近づく。首に力を入れて耐えようとするが、今度は意識がそちらに向かい、腕の方が疎かになる。拮抗する鍔迫り合い崩れ、刃の方から近づいて行く。
「リザを離せ!」
横合いからレイが龍刀を斜めに振るわなければ、リザの相貌は、己の刃で傷ついただろう。レイが奇襲を掛ける事を読んだかのように、イーフェは斬撃を軽やかに回避。回避の途中、体を横に回転しつつ、レイの胸に回し蹴りを叩きこんだ。
《耐久》の加護が発動し、衝撃は緩和されたが、レイは僅かに後ずさりをする。態勢を崩されたレイに向けて、精霊剣が容赦なく襲いかかる。遅れて、龍刀を振るうレイだが、一合、三合、五合と打ち合わせていくも、重ねるごとに刀の軌道がぶれる。
無駄のない斬撃の嵐に翻弄され、太刀打ちできなかった。
十合目に達する時、フェイントを掛けられた。
真下から振るわれる一撃に合わせようとして、振り下ろした斬撃は空を斬る。そのまま、黄龍の背に龍刀は食い込み、途中で軌道を変えた精霊剣がレイを狙おうとする。
レイの窮地を今度はリザが救おうとする。
イーフェの死角、後背からロングソードによる刺突を繰り出した。意識を払っていない、無防備な背中に突き刺さるはずの一撃を、イーフェは完璧に防ぐ。
くるりと体を反転させ、身に着けていた手甲でリザの刺突を防ぐと、精霊剣をカウンターとして放つ。
横薙ぎの一撃を、リザもその位は予測していたため、前のめりにしゃがみ込むことで回避―――した瞬間、眼前にあったのはイーフェの膝だった。待ち構えていた膝の一撃が完璧に入り、リザの鼻から血が噴き出し、頭が持ちあがる。
曝け出した白い首に対して、精霊剣が先とは真逆の軌道を描く。
鮮血に染まるはずだった精霊剣は、しかし、リザが防御の為にと構えた手甲に弾かれた。
すかさず、レイが龍刀を構えて突撃した。
だけど、イーフェは流れる様な足さばきで、縦に振り下ろされた龍刀を避けると、リザの腕を掴み一気に引き寄せた。意識が混濁しているリザはあっさりと引き寄せられ、放り投げられる。
「ちょ、うわっと!」
悲鳴を上げたのはレイだ。物のように投げられたリザを斬る訳にもいかず、構えを解いて受け止めるが、リザの向こう側でイーフェが距離を詰めようとしている。おそらく、リザごと自分を貫こうとしているのだ。後手に回らされたことを自覚しつつ、龍刀の炎を展開しようとするレイの耳に、シアラの力ある声が飛び込んだ。
「《ブリザードパイル》!」
杖を引き抜き、放たれるは氷の中級魔法。巨大な氷柱が五本、イーフェを狙い、宙を滑る。
《アイスエイジ》に引き続き、《ブリザードパイル》を発動させたシアラの息は若干上がっている。ここに辿り着くまでに、絶え間なく襲ってくる幽体を蹴散らすのに、初級や低級魔法ではあるが数を多く使った。
蓄積された疲労は無視できない量だ。
その上に、更に上級、中級魔法を放ったのだから、無茶な行動と言えた。しかし、相手はエルフの『英雄』。出し惜しみは出来ない。
氷柱は一筋の軌跡を描くようにイーフェに迫る。いくらイーフェが強くとも、幽体であるのならば掠めただけでも存在が保てなくなるはず。そうふんで、シアラは攻撃の範囲が広くとれる魔法を選んだ。
しかし。
「そんな、嘘でしょ!」
シアラの口から悲鳴が零れる。イーフェは直撃したはずの氷柱をすり抜けたのだ。
いや、すり抜けたのは語弊がある。彼女は直撃する氷柱を最小限の動きで、歩幅で、速度で体をずらしたのだ。そして氷柱が通り過ぎた時、元の位置に戻ったため、淀みない一連の動きからすり抜けた様に見えた。
そして、イーフェはシアラに向けて、精霊剣をかざす。幽体の筈の精霊剣だが、刀身が輝きを増すと、次の瞬間、刀身から熱線が放たれる。
幽体と同じ白い熱線は黄龍の背を焼き切る。下から上へと熱線が通り過ぎると、熱した溶岩のように肉体がどろりと溶けた道が出来ていた。対策をせずに浴びれば、人も一瞬で融解してしまいそうだ。
「シアラ、エトネ!」
精霊剣の威力に驚きつつも、レイは二人の名前を呼ぶと、別の所から声がした。
「こっちよ、主様!」
熱線が奔った地点から左の方に、二人はもつれるように転がっていた。エトネ、いやハヅミがシアラの胸倉を掴み、横に跳んだのだろうか。危く蒸発して死ぬ所だった二人は、肩で息をしていた。
ハヅミの下に居るシアラが腕を伸ばし、杖をイーフェに向けると、
「《我らの外敵を、悉く打ち倒せ》《ウィンドストーム》」
生み出されるのは風の竜巻。イーフェを取り囲むように変則的な風が流れると、それは一気に巻きあがり、竜巻を形成した。しかし、それは刹那の間を置かずに、内側から切り裂かれた。風は形を保てなくなり霧散し、イーフェは姿形を保ったまま、実体の精霊剣の前に戻った。
障害とは的を射た表現だ。彼女をどうにかしなければ、精霊剣に触れる事すらままならない。
だが、これで態勢を立て直す時間を取れる。レイは牽制と時間稼ぎを兼ねて、炎を斬撃として放った。イーフェは炎を煩わしいとばかりに切り捨てたが、警戒してか精霊剣の前を離れようとはしない。
その隙に、レイは血を流すリザを担ぎ、シアラとハヅミの元に合流した。
シアラは手持ちのポーチから精神力を回復するポーションを取り出して、喉に流し込んでいた。雨が容赦なく降り注ぐ中、瓶の口から唇を離すと、彼女は力強く口元を拭う。魔法を連発して消耗した様子だが、金色黒色の瞳は戦意に燃えていた。
「あれが、『英雄』イーフェか。話に聞いていた通り、強いね。……でも」
「そうね。反射速度も、対応力も、何より遠距離でも戦える精霊剣も厄介ね。……でも」
レイとシアラは同時に告げた。
「「戦えない相手じゃない」」
移動速度が見えないほど速い訳では無い、剣の斬撃が反応できないほど鋭い訳では無い。熱線の射程が驚くほど長いわけでは無い。何より、相手は幽体なのだ。掠めれば、此方に勝機はある。
そう結論付けるレイ達に、ハヅミはちょっと違うわねと呟いた。
「今のあの子は、全力の姿じゃない。あの子の戦い方は、精霊を宿している事が基本なのよ」
千年前、エルフを守ってきたイーフェはエトネと同じ希少な《憑依》の技能に目覚めていた。しかも、未熟で幼いエトネと違い、彼女は複数の、それも最上位精霊を同時に《憑依》させる事が出来ていた。
人の身でありながら、空を駆けまわり、大地を捲り、試してはいないが海を割る事すら、きっと出来ただろう。精霊の力を束ねた、いわば精霊の女王だった。
だが、黄龍を止めるためにと、自らを刺したイーフェは精霊を道連れにはせずに、単身で乗り込み、死んだ。
その為、レイ達の行く手を阻むイーフェは精霊を宿していない状態なのだ。
「全力じゃないとはいえ、幽体とはいえ、侮る事は出来ません」
続けてリザが水を差すと分かりつつも、厳しい事を口にした。鼻血を手で拭うと、ロングソードの刃こぼれを見ながら、
「彼女の一撃は、非常に重たいです。膂力がというよりも、想いが詰まっていると申しますか……上手く、言葉に出来ず、申し訳ありません」
「いや、リザの言いたい事はよく分かるよ。僕も似たようなのを感じる」
イーフェの剣は、非常に重たいのだ。
精霊を宿していないとはいえ、相手はエルフの国を守ってきた『英雄』なのだ。生まれ落ちた三百年、自由を望みながら、しかし故国の現状からそれを諦め、戦いに次ぐ戦いに明け暮れ、生き延び、鍛え上げられていった戦士。
その実力は侮られる事はなく、生涯を掛けて辿り着いた境地は達人の領域だ。
決して、容易い相手では無い。
「どうやら……これ以上は……表に居られないようね」
苦悶の表情と共に告げたのはハヅミだった。精霊は、黄龍の魂吸いとは相性が悪いのだ。今にも消えそうな程、存在感が薄まると、
「あとは……お願いね。あの子を……そして……千年囚われ続けた……エルフや……他の人々を……解放して……あげ……て」
と、無念そうに告げてハヅミはエトネの中に潜る。代わりに表層に浮かんだエトネが幼げな瞳で周りを見つめ、そして自らの祖先であるイーフェを見つめた。
「エトネ。状況は分かってるかな」
「うん。あのけんをつかえば、こうりゅうをたおせるんでしょ」
「その通りだ。……残り時間も長くないだろう。全力で行こう」
指輪の感触を確かめながら、レイが言うと。リザ達も頷いた。
「あまり、時間が残されている訳でもない」
奇しくも同じ時に、似たような事がマクスウェルの口から漏れた。暗闇を晴らす光の下で懐中時計を確認した魔法使いは、長杖でリズムを刻む様に、足元を叩く。
幽体と戦っている《神聖騎士団》の面々は、これがマクスウェルの考え込むときの癖だと知っていたため、話しかけるような事はせず、眼前に迫る幽体を退け、彼に考える時間を与える。
「『機械乙女』の攻撃でも、黄龍の移動速度が落ちていない場合を想定すれば、あと四十分か、あるいは三十分。どれだけ多く見積もっても、一時間後には、こやつは砂漠を抜けてしまうだろう。つまり、儂らが引き返す時間的猶予は存在しない」
黄龍の心臓前に辿り着いたというのに、全力の魂吸いを前に行動を封じられた突入組。いまは、サファが空間を切断して、魂吸いの暴力から逃れて安全を保っている。
とはいえ、薄氷を踏むような状況なのは変わらない。
日本刀を振るう姿はいつもと変わらずに冷然さを保つサファ。傍から見ている分には、この剣鬼は何時間でも防げるかもしれないが、裏を返せばサファという切り札を防御に取られてしまっているのだ。
これでは状況を打破することは出来ない。
「この状況は、言うなれば黄龍の罠だな。心臓に辿り着くだけの実力者を持ってしても、魂吸いの暴威に嵌れば退くことも進む事も出来なくなり、力尽きるまで黄龍の養分となってしまうという。実に厄介な構造だ。まるで、悪意に満ちている」
黄龍の巨体を目の当たりにすれば、外からどうにかするよりも、内部に侵入して心臓や重要な臓器を狙うべきだと考える。それは『英雄』イーフェであってもそうだった。
彼女と違い、マクスウェルらに戻るための手段や時間は残されてはいないが。
「こうなって来ると、黄龍が何者かの思惑で墜ちたという説もあながち間違ってはおらんかもしれんな」
顎に手を当て考え込む姿は、新説を目の当たりにした老教授が己の知識を紐解く姿にも見えなくはない。ここが埃の立ち込める書棚の前だったならば、違和感のない光景だが、此処は黄龍の腹の中。そんな穏やかな物腰は普通ならあり得なかった。
だが、裏を返せば、それだけの余裕がマクスウェルや《神聖騎士団》にはあるという事だ。
最強の冒険者が率いるパーティー。潜ってきた修羅場の数も、質も、冒険者の中ではトップクラスだ。彼らにとって、一手間違えれば全滅するという状況は、過去にもあった。モンスターに囲まれ、逃げ場がないという事もあった。迷宮の生み出した罠に嵌ったことだってあった。
黄龍復活という事態よりも酷く、どうしようもない底なし沼の様な状況に頭まで浸かった事もある。今回の事態は、修羅場の程度としては上の下であり、失敗した時は国が滅亡しかねないと、いささか被害が大きすぎるだけといえた。
ゆえに、焦ることなくマクスウェルは最善策を打ち出す。
「サファ殿。しばし、宜しいか」
「なんだ、『三賢』。悪いが、振り返る余裕はないぞ」
振り返る余裕がなくとも、話せる余裕がある事が、この男の出鱈目ぶりを表している。
「構いませぬ。これより儂が魔法を放ち、心臓を削ります。こやつの再生能力からすれば、五秒か、あるいは六秒程度の時間が稼げるはず。そしたら、お主に止めを任せたい」
「……勝算はあるのか。六龍の心臓ともなれば力の塊。生半可な魔法は通らんぞ。ましてや相手は、墜ちた精霊、黄龍。旧式の超級でも、効果があるかどうか」
魔法とは、本来は精霊のみに許された術理。それをとある男が人の言語でも再現できるようにとダウングレードしたのが、旧式魔法だ。それを更に簡易に、そして速効性を高めたのが新式魔法である。
つまり、精霊に魔法は効果が薄いのだ。
「承知しておりますとも。ですから、儂もローランに倣い、秘中の秘を使おうと決心したのです。とはいえ、それでも黄龍の心臓を一撃で葬り去るまではいくまい。ゆえに、最後の一撃を」
「……了承した。頃合いを見て、場を譲ろう。失敗しても、骨ぐらいは拾ってやる」
答えつつ、懐かしいなとサファは思う。誰かの力を当てにして、戦いを組み立てるなど、それこそ人間戦役以来だ。三百年ぶりの共闘に意識を高める。
段取りが整うと、マクスウェルはこれでよいと一人呟く。その横顔は覚悟を決めた殉教者のようで、あるいは死刑台を前にした囚人のようにも見えた。
おもむろにローブを抜き捨て、シャツのボタンを外し、上半身を露わにすると、少年の体には奇妙な文様が刻まれていた。胸の中心から四肢に向かって伸びる、ジグザグと曲がりくねった黒い線は禍々しい雰囲気を放つ。
その様を複雑そうな表情で見つめると、マクスウェルは胸の中心部に手を当てた。すると、線の中心が黄金色に輝きだした。
途端、マクスウェルの全身が震え、汗が浮かび上がる。苦痛の声を噛み殺す少年の胸元からは黄金の釘が抜け落ちた。すると黒い線が脈動し、何もしていなというのに一人でに伸びていくのだ。先端が伸びる度に、激痛が少年を襲う。黒い線はマクスウェルの体に走るひびのようだった。
黄金の釘はマクスウェルの手の中で光の粒となって溶けて消えた。
「ぐうううぅ! ……相変わらず、これは老体に響くなぁ」
脂汗が頬から落ち、痛みの波に襲われながら顔を上げるマクスウェル。
少年の双眸は邪悪な金色に輝いていた。
読んでくださって、ありがとうございます。




