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試行錯誤の異世界旅行記  作者: 取方右半
第8章 動き出す世界
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8-24 封印されしもの 『後編』

 男の荒い息遣いが、寂しく通路に反響する。


 供を付けず、一人で走るアフサル。時折、来た道を引きつった顔で振り返り、追っ手来るものが居るかどうかを確かめる。足はもつれそうになり、汗が飛び散る。


 石壁越しに伝わってくる振動や剣戟、軍靴の足音に背筋を震わせた。


「なんで、なんで、なんで、なんでこうなったんだ! どうして私が、こんな惨めな思いをしなくてはいけないのだ!」


 いつしか、口から現状を恨めしいとばかりに怨嗟の言葉があふれ出した。


 アフサル以外、誰も居ない通路に、それは虚しく響いた。


「私は、あと少しで、あと少しで王になれたのだぞ。ダリーシャスに勝利し、父を謀殺し、ワシャフも戦死に追い込んだ。邪魔者は全て排除して、玉座に座るだけだったはずだ。なのに、なんで、なにが、どうしてこうなった!!」


 叫ぶアフサルの脳裏に、一月以上前の光景が鮮やかに蘇った。


 西方大陸を手中に収めた超巨大国家、帝国。


 異世界より招かれし『勇者』と人龍戦役の遺産とでも呼ぶべき竜騎兵。そして各国に嫁がせた帝室に連なる王族達の働きかけが組み合わさり、暗黒期よりも前から、帝国は存在していた。現在、地上に存在する国の中で最も歴史があり、なおかつ力がある国だ。


 その力をアフサルは求めた。


 自らの出生の秘密を知り、王冠を掴めないと知った彼は、奪うために帝国に近づいた。自国の領地と物資を餌に、外征を目論む帝国と軍事同盟を締結し、南方大陸出兵を支援。その代りに自国内で起きる予定の、ワシャフの反乱鎮圧に対して兵を貸してほしい。


 水面下で行われた交渉は、予想外の速さで纏まった。帝国の王室に対して、外堀から埋めていこうとしたアフサルにしてみれば、これは驚きだった。もっとも彼は、これも天が自分に味方しているのだろうと都合よく捉え、交渉相手として自らテーブルに着いた皇帝と文のやり取りをし、条約を詰めていった。


 その過程でアフサルが王室の娘を貰うという事になったが、悪い取引では無い。婚姻関係を結べば、名実ともに、帝国の後ろ盾が得られるのだ。


 かくして彼は帝国との貿易問題を口実に帝都へ向かい、皇帝を始めとした王族らと対面し、軍事同盟を締結した。


 デゼルト国の首都オーマットよりも洗練された帝都。その宮殿において、アフサルは鎧の将軍を皇帝から直接紹介された。


 重厚な威圧感を放つ鎧武者を前にして、戦闘方面に長けていないアフサルは気後れしたが、皇帝から友好の証だ、好きに使ってくれたまえと言われ、アフサルはその言葉通りにした。


 結果、この様だ。


「皇帝が私を嵌めたのか? それとも皇帝もこの事を知らないのか。いや、そんなはずあるまい。自国内の将軍が魔人だと気が付かない愚か者など居るはずが……ならば、途中で入れ替わったというのか」


 次々と浮かんでくる答えのような物は、どれも可能性の泡沫。


 すぐさま出てくるそれらしい反論の針に触れれば途端に弾けて消える。真実を知るには、石舞台に登場したゲオルギウスを問い詰めるか、遠く離れた帝国に居る皇帝に聞かなければならない。


 何たることだと、アフサルは愕然とした。


 この王位簒奪にあたり、自分はファラハとワシャフの二人を、掌中で転がる球のように扱っていた。だというのに、この状況。まるで自分こそが皇帝か、あるいは魔人の掌中で転がされる球のようではないか。


 屈辱に歯噛みする。


「くううう! こんなことが許されるか。否! 許してはおけん!」


 今にも気炎を吐きそうな程、怒りと苛立ちを燃え上がらせた。


 屈辱には屈辱を。


「皇帝だろうが、魔人だろうが、『魔王』だろうが関係ない。私を嵌めた奴は全員、足元に跪かせてやる。まずは、この場を乗り切り、ダリーシャス。貴様からだ!」


 決意を新たにすると、男の視界に空が見えた。いつの間にか隠し通路を抜け、外に繋がる通路へと躍り出ていたようだ。


 薄暗い通路から晴れた青空を目にしてしまい、アフサルは思わず目を眇めた。


 階下から聞こえる喧噪は避難中の民だろうか。彼らに紛れてクリシュが用意した兵と合流するべきだろうかと考えていると、アフサルの細めた視界に、新しい光が射し込んだ。


 曲がり角から突きだすように振るわれたそれは、まぎれもなく短刀。太陽光を反射した光だった。


「―――っ! ひ、ひいいい!」


 間一髪。光に目が眩み、長い裾を踏んだことで態勢が崩れた。それがなければ、アフサルの腹に、短刀は突き刺さっていた事だろう。空振りに終わった襲撃者は、全身をすっぽりと覆うマントを身に着け、顔を隠していた。


「な、何奴だ! 顔を隠さずに、名を名乗れ、この卑怯者め」


 返答は刃の応酬だ。左右に振るわれる短刀にアフサルはしり込みし、後ずさりする。しかし、彼は不思議に思った。


 短刀を振り回す襲撃者からは、これといった威圧感を抱かないのだ。クリシュのような武芸者が持つ、人を委縮させるような独特の空気が無い。冷静になれば、短刀を振る姿も、立ち振る舞いも、どれも素人臭かった。


 その事に気が付くと、アフサルは俄然やる気を出した。


 デスクワークが主ではあるが、ナキ家の当主から教わった護身術をおっかなびっくり行う。短刀を持つ腕を掴み、外に向けて捻る。くぐもった悲鳴が零れ、短刀が通路を滑ると、アフサルは襲撃者を蹴り飛ばして、短刀をひったくった。


「武器さえあれば、こっちのものだ。さあ、名を、なの……ば、馬鹿な!」


 奪った短刀を持って振り返ると、通路の手すりにぶつかり倒れた襲撃者のマントが捲れ、隠れていた顔がむき出しとなった。それを見て、アフサルは顔を青ざめた。


 興奮していた頭は氷水を掛けられたように冷たくなり、足元から寒気が忍び寄った。


 まるで、幽霊を見たかのような様子だった。


 否。


 彼は正に幽霊を見たのだ。


「お前は、お前がなぜ生きているんだ、ルドラ!」


 名を呼ばれた、死んだはずの男はゆっくりと立ち上がると、アフサルへと伽藍洞の瞳を向け、怒気を露わに叫んだ。


「どうしてだと。馬鹿な事を聞くな! 外道である貴様が死なずに、どうして私が死ねようか。娘の、リリーの命を奪った貴様を残して、どうして死んでいられると思うのだ!」


「目的は娘の復讐か。だが、説明になっていない。私はどうして貴様が生きているのかと聞いているんだ。頭から火を被って、自殺したはずだろう」


「簡単な事だ。王宮内に、貴様に協力する人間が居るのならば、それと同程度に私に協力してくれるものが居たという事さ」


 ルドラの言葉で絡繰りを理解した。おそらく、ルドラは目撃者と医師を金か何かで抱き込み、自分が自殺したのだと嘘を吐かせたのだ。発見された死体は身元が不明なほど損傷していたため、目撃者の証言と、医師が歯の治療痕を確認してルドラだと断定された。


 しかし、そこでおかしいとアフサルは呟いた。


「念のために、私は死体をクリシュに確認させに行った。焼死体は確かにあったと報告されたが、お前は生きていた。だとしたら、あの死体は誰なんだ。王宮は神前決闘のために固く門が閉ざされ、死体を持ち込むことは出来まい」


 アフサルの疑問にルドラは忘れたのかと返した。


「忘れたのか。昨日、お前に逆らって死んだ我らが従兄弟の存在を」


 アフサルは脳裏に腹違いの兄弟の顔を思いうかべた。


「……そういう事か。死体を焼いたのか、貴様は」


 昨日、神前投票が行われている最中、アフサルとダリーシャス、双方に票を投じないという選択をした王子が居た。自ら命を絶った王子の亡骸は、正式な葬礼が行われるまで棺に納められていたはず。


「死者の体を破壊するとは。天に唾するような行為だぞ」


「貴様に言われたくない。浅ましき欲望に二人の父のみならず、産みの母を、そして私の娘まで殺した鬼畜にはな!」


 叫ぶルドラに対して、顔に火の粉を浴びた様に赤らせたアフサルは手にした短刀を突き刺そうとして、はたと気が付いた。


 自分の手で、人を殺す。


 頭の中で思った事実に腹の底が石を飲み込んだように重くなった。


 これまで策略や謀略で命を奪うように命じて来た自分が、この手で人を殺すという。それを自覚した途端、手にした刃が巨石のように重く感じた。


「ちぃ。今は貴様に構っているような時間は無い。己の幸運を噛みしめてひっそりと生きておれ」


 精一杯の虚勢を張って道を進もうとしたアフサルにルドラが叫んだ。


「怖いのか、臆病者!」


 足が止まった。


「なんだと? どういう意味だ?」


 品行方正と謳われた男とは思えないほど嘲笑を浮かべたルドラはそのまま、


「策略で、謀略で、計略で人を殺せても、いざ自分でやろうとすれば腰が引ける。それが貴様の本質だという事さ。この臆病者」


 体の芯まで冷えたはずが、ぐつぐつと湧きたつ感情が内側からこみあげてくる。それを必死に理性で押しとどめようとするも、ルドラの最後の一押しが止めとなった。


「ダリーシャスなら、きっと自分で始末を付けただろうな。貴様と違ってな! だからあれは、王になれるのだ!」


「だまれえええええ!」


 獣声が轟く。


 視界が狭まり、アフサルは手にした短刀でルドラに向かって突進していた。今すぐにでも、こいつを殺したい。そんな陳腐な殺意に突き動かされてとった、軽率な行動。


 その責任をアフサルは己の命で払う事になる。


 鈍い手ごたえが伝わる。


 食用肉と違う、重く、密度のある人の肉を突き刺すと、ルドラの体が後ろへと傾いていく。いつの間にか、ルドラは手すりに腰を乗せていた。アフサルが突き刺した事で、そのバランスが後ろへと―――外へと向かったのだ。


「―――あぁ」


 呆けたような声がアフサルから漏れた。地面へと吸い込まれるように倒れるルドラの両手は、がっしりと、あらん限りの力を籠めて、アフサルの体を掴んでいたのだ。


 重さが偏り過ぎた天秤のように二人の体は手すりを乗り越え、真っ逆さまに落ちていく。今頃になって気が付いた。ルドラは、これを狙っていたのだ。


 自分が、この通路を使うかどうか不明だが、ここなら、外が見えるここなら相打ちを狙える。武に長けていないルドラが、その命を武器として勝負を挑んできたのだ。


「いま、お父さんが行くよ、リリー」


「ふ、ふざけるなあああああああ! 私は、こんな所で、死ぬわけにはあああああ!」


 相反する末期の言葉を残しながら、二人の体は頭から地面に叩きつけられた。


 鈍い音と共に、鼓動は止まったのだ。







 ―――世界の楔が抜け落ちた。


 瞬間、祭儀場に集まった人々は声なき咆哮を浴びた。


 水面に石を投げて波紋を作るが如き咆哮は、祭儀場のみならず南方大陸に住む全ての人々に届く。どこか、自由への喜びを叫ぶような咆哮はしかし、それを浴びた者達に変調をもたらした。赤子から年寄りまで。


 男も女も関係なく。


 弱き者は姿なき存在の咆哮を浴びた瞬間、糸が切れた様に倒れ伏したのだ。祭儀場の外に避難したダリーシャスやラシードも、遠く離れた港町に暮らす人々も、そして石舞台に残ったレイやリザ達も意識を失い崩れ落ちた。


「レイ殿! エリザベート殿も。ゲオルギウス、これは一体何なのだ」


 咆哮を浴びて意識を保てていたのはサファやゲオルギウスといった怪物や《神聖騎士団》の高位冒険者ぐらいだ。マクスウェルが後ろで倒れたレイを気遣いゲオルギウスに問いかける。


「何と尋ねられても困るな。私もこうなるとは聞いていなかった。千年の長き拘束から解放され、浮かれているのかもしれんし、もしかすると目覚めの欠伸かもしれん」


 どこか、からかう様子で告げたゲオルギウス。すると地面が小さくだが揺れ始めた。


 足元から伝わってくる微震。怪物達の狂騒曲を受けてなお、不壊を貫いていた石舞台が、概念殺しの権限を受けて巨石は砕け、そこに秘められていた封印が解けてしまった。


 祭儀場を厳かに包んでいた厳粛な空気が霧散し、致命的な失敗を犯したのだと集まった冒険者たちは思い知らされた。


「ここで九つ」


 突き刺した槍を引き抜くと、ゲオルギウスは満足そうに呟いた。


「これで黄龍の封印は解け、国喰いと呼ばれた魔獣がこの世に再臨する。先の咆哮……いや、はそれの合図だろうな。クリストフォロスの立てた計画とはいささか違った形となってしまったが、これもまたよし。何しろ、千年前の当事者もまた、この地に降りたったのだからな」


「世迷い事はそれで終いか、ゲオルギウス」


 氷のような凍てつく殺気を放ちつつ、サファは刀の柄に手を当てた。左足を引き、居合いの構えを取った。


「貴様ら六将軍の目的なんぞ知らんが、あれを蘇らせても碌な事にはならんのは明白だ。だというのに、蘇らせようとするのは、碌でも無い企みがあるという事。ならば、ここで確実に、貴様だけは摘んでおく」


「待ってくれ、『守護者』殿。こやつには聞いておきたいことがあるのだ!」


 マクスウェルが必死に叫ぶも、サファは刃のように切り捨てた。


「知らん」


 一閃。


 マクスウェルの視力を持ってしても銀光が微かに映るしか見えなかった。


 抜く瞬間も、納める瞬間も見えない、神速の抜刀術。


 それが抜かれたと証明するのは、切断されたゲオルギウスの首だけ―――のはずだった。


「……余計な邪魔を」


 苛立ちを隠すことなく呟いたサファ。萌黄色の視線の先には、ゲオルギウスを庇うように影が直立していた。その向こう側で、瀕死のゲオルギウスもまた不愉快そうに顔を歪めていた。


「余計な邪魔をするな、クリストフォロス!」


「クリストフォロスですって!? 第四席もここに来ているというの!?」


 ローランの治療と並行してレティの覚醒も行おうとするミストラルが、これ以上状況が悪化することに悲鳴を上げた。しかし、それを否定したのは以外にもサファだった。


「否。こいつはこの場には現れん。人魔戦役の頃から常にそうだ。影に潜み、闇に紛れ、霧を呼ぶ。姿を隠し、裏から何もかもを操る黒幕気取りだ。そうだろう、クリストフォロス!」


『随分な言われようですが、まあ、概ね間違っていませんね』


 叫ぶサファに呼応するように直立する影から声がした。それは理知的で落ち着きがある、穏やかな声色だというのに、聞く者の心胆を凍えさせる狂気を孕んでいた。


「ふん。大方、窓を開いてこの場を眺めているのだろう、覗き魔」


『仕方ないでしょう。視える範囲、手の届く範囲なら絶対の刃を持つ怪物。陛下から頂いた影すらも切り裂く貴方に対抗するには、貴方の前に立たないという帰結に至ったのは極々自然な流れですよ』


「相変わらず口が回る。それで? ゲオルギウスのみならず、クリストフォロス。貴様まで出張って黄龍を復活させるとはどういうつもりなんだ」


『どういうつもり、と仰られても、貴方に答える道理はありません。……が、一つぐらいは教えてあげましょう。貴方は勘違いしていますよ』


 勘違いと言われ眉をひそめたサファに対して、転移の影を通じて話しかけるクリストフォロスは、誰かの秘密を告げ口するように声を潜め、


『一席と三席を除く、が、この地に集まっているのですよ』


 打ち明けられた内容にマクスウェルは杖を取り落とした。


 六将軍第二席ゲオルギウス。


 六将軍第四席クリストフォロス。


 この二名だけでも悪夢に近いというのに、加えてあと二人。


 六将軍第五席ジャイルズ。


 六将軍第六席ディオニュシウス。


 人魔戦役の頃に『魔王』の元を離れた一席と三席を除く、全ての魔人が南方大陸に集結しているという事実に、胃の内容物がせり上がりそうになる。


 何かが。


 言語化できない、何か大きな流れが動きだしている。それを主導しているのが魔人なのか、あるいは帝国なのか、それとも他の勢力なのかは不明だ。


 しかし、この国がその舞台あそびばに選ばれているのは間違いない。


『とまあ、適度に情報を公開して貴方方の不安を煽るのもこれぐらいにして、本題に入るとしましょう』


「ほう。引きこもりの貴様が、よもや俺の前に現れる気になったか。その影の扉を開け、外に出てくると言うのなら、この刃を持って歓待しよう」


『御冗談を。これから始まる演目に貴方という存在は、輝きが強すぎます。ともすれば、主役すら食ってしまう、そんな自己主張が過ぎる役者。演出家としては目障りなので―――消えてもらいます』


 宣言と共に、サファの足元に影が展開される。レイが攻撃に使っていた物理的な圧力を持つ影とは違い、それは転移用の影だ。触れれば最後、飲み込まれてしまう。何処にでも繋がるというのなら、サファをこの大陸外へとも飛ばせるはず。


 サファの体が影に吸い込まれそうになる瞬間、神速の抜刀が放たれる。一陣の風は、不定の影すら切り捨ててしまう。


 萌黄色の瞳は造作も無い事とばかりに静かに語るが、直後、クリストフォロスの狙いに気が付き曇った。


「止めろ、クリストフォロス。私を、離せ!」


『この戦闘狂。出番が残っているうちに降板なんて、百年早い! 大人しく戻りなさい』


 直立する影はゲオルギウスの体を正面から飲み込む。抵抗するゲオルギウスの意思を無視すると、


『時間稼ぎに付き合ってくれてありがとう、サファ。先程はああいったが、実際の所、私は君の飛び入りを歓迎するよ。即興劇、それも悪くない』


 そう、気障な言葉を残し影は丸くなると手品のように跡形もなく消えてしまった。


 微震が続く祭儀場。激戦の影響で半壊した観客席は時折崩れ、外に避難した民衆は混乱と恐怖から悲鳴を上げている。砕けた石舞台に残された冒険者たちは脱力感に苛まれていた。


 自分たちのリーダーであるローランが、それこそ命を賭けて追い詰めたゲオルギウスを取り逃したうえ、古代種の龍が一体、黄龍が復活した。六将軍は暗躍を続け、帝国の動向も不明だ。


 神前決闘が始まって一時間も経っていないというのに、激流に回る水車のように頭は混乱した。


 何処から手を着ければいいのか、それすらも分からない。最高峰のパーティーですら、その有様だった。


 そんな中、着流しを止める腰に日本刀を差しているサファはおもむろにレイの頭を蹴った。


「さっさと起きろ、童」


「いったい! え、あれ。……僕、寝てましたか」


「寝てたというよりも、気絶していたというのが正しいな。それよりも童、状況が複雑になった」


 黄龍の欠伸から目を覚ましたばかりのレイは混乱しつつも、視線を鋭くしてサファを見上げた。千年以上の時を生きる怪物は面倒だとため息を吐くと、


「情報の共有と今後の対策がしたい。兎に角、この地で権力を持つ人間を知っているなら、案内しろ。残された時間はそれほど多くないはずだ」









 デゼルト国首都オーマットより遠く離れた地。


 アルビノ砂漠中心部、通称『悪魔の巣』に男は居た。闇を固めて鋳造したような鎧を身に着け、人の手を重ねたような悪趣味な杖を携えた、彫像めいた青年は、周囲に散らばるモンスターの骸に目も向けずにいた。


 すると、そのモンスターの骸に影が差した。それは日差しを遮ることで出来る影では無く、それよりも濃い影だった。影が下から上へと移動すると、それに合わせるように男が出現した。


 上半身を青い血で染め上げた、手負いの獣。なけなしの力をかき集めて槍を持ち上げると、背中を見せているクリストフォロスに向けて突きつけた。


「答えろ、クリストフォロス! 何故、私をあそこで死なせなかった!」


 激昂するも、それは理不尽な内容である。見捨てるならまだしも、命が尽きそうなゲオルギウスをわざわざ助けたのだ。現にゲオルギウスの頭髪は肩までの長さとなり、灰化は止まらなかった。命の残量を示す蝋燭が、今にも燃え尽きそうになっている。


 だというのに苛立ちを隠そうとせずにゲオルギウスは続けた。


「私は、敵ながら『聖騎士』ローランに感銘を受けた。いや、ローラン個人では無く、『聖騎士』という称号に。その称号を受け継いで来た男たちに敬意を抱いた。塵芥に過ぎない人間どもが、たった一つの力を後生大事に育て上げ、受け継いで来た。途切れることなく、絶やすことなく、無為にすることなく、今日まで高めて来た力。刃を通じて、この体に、彼らの声なき叫びを聞いた」


 どこか陶酔したような物言いに、ようやくクリストフォロスは振り返った。ゲオルギウスと同じ金色の瞳に、氷のような冷たい影が差した。


「私はその叫びを真っ向から粉砕しようと決めた。そうすれば、彼らは更なる高みを目指すだろう。ローランと、《ロード・トゥ・ヘブン》と正面から激突し、力及ばずに負けた。ならば、仕方あるまい。これも結果だと受け止め、死から背を向けないと決めたのだ。だというのに、だというのに貴様は!」


 ゲオルギウスの視線はクリストフォロスを射殺さんばかりの強い物だった。残り僅かしない命を使ってでも、眼前の男を殺そうとする気迫で漲っていた。


 そんなゲオルギウスに対してクリストフォロスは一言、


「下らない」


「……なに? いま、下らないと言ったか」


「ええ、言いましたとも。戦士の矜持とでも呼ぶべき、貴方の信念。なるほど、さぞ楽しい戦いだったのでしょう。自らの命を賭けるに値する戦い―――そんな物、あり得ない」


 瞬間、クリストフォロスの周囲が圧力を増し、放たれる雰囲気が氷のような冷たい物へと変化しだした。


「我らの血は一滴まで、肉は一片まで、魂は一欠片まで。全て陛下の物。陛下のために命を捧げ、それ以外に命を賭けるなどあってはならない。……三百年の孤独の間に、そんな当たり前を忘失したというのなら、その首を断ち、陛下に私から謝罪をしよう」


 クリストフォロスの死刑宣告に対して、ゲオルギウスは無言を貫いた。髪の灰化はその間も侵攻し、短髪へと変わった頃に彼は口を開いた。


「……すまん。頭が冷えた」


「ならば、結構です。私はジャイルズらと合流し、帝国軍と共に進軍を。貴方には、此れより陛下の元へと赴き、時に備えてもらうのですよ。こんな所で朽ち果てられては困ります」


 言うと、クリストフォロスは影を展開し、その中から巨大な肉塊を取り出した。魔人たちよりも倍近い高さのある肉塊は薄紅色をしており、丸みを帯びていた。


「これはもしや」


「はい。先に貴方に提供したのと同列の心臓。です。どうぞ、使ってください」


 手間をかけさせるとゲオルギウスは謝罪すると、自らの右手で龍の心臓に触れた。途端、心臓と魔人の境界線が曖昧になり手が、心臓が融合を始めたのだ。


 右手に無理やり押し込めるように心臓が体積を減らしていく様を、クリストフォロスは気分が悪そうに見つめた。


「相変わらず、下品なやり方ですね。陛下なら、もっと鮮やかに、紳士的にやりますよ。戦闘狂の野蛮人」


 嫌味に対してゲオルギウスは何も返さなかった。彼の言う通り、自分の融合方法はフィーニスに比べれば粗野だ。それに、陛下の為にと捧げた命を、寄り道の私闘で捨てようとしたことは、六将軍の一人として軽率な行動だった。


 反省するべき行為だ。


 数秒かけて融合した心臓を、腕を通して胸部へと運ぶ。レイとローランと貫かれて動かなくなった心臓を体外へと排出すると、血管を新しい心臓へと繋ぎ合わせた。


 慣れた手つきで一連の人体改造を終えると、確認のために胸に手を当てた。素肌から伝わってくるのは、火山の噴火のように力強い鼓動だ。


「流石は古代種の龍。良き心臓だ。これなら馴染むのも早いだろうな」


 六将軍。それは『魔王』の忠実なる臣下であると同時に、『魔王』の力を与えられた怪物でもある。ゲオルギウスが与えられたのは二つ。


 融合と改造だ。


 前者は他者の臓器などを自己の物へと取りこむ力だ。取りこんだ臓器は時間が経てば生まれた頃からあったかのように違和感を無くし、更に力ある者の肉体ならゲオルギウスに力を与える事が出来る。『勇者』ジグムントとの戦いで瀕死に陥ったゲオルギウスは、ネーデの迷宮最深部で三百年もの時間をかけて魔力を吸い上げる事で肉体を再生しようとしていた。


 だがローランとレイ、そして『鉄壁』オルドとの戦闘で心臓を二つ奪われた。だというのに、たった数か月で心臓を復活させたのはこれが理由だった。


 彼は古代種の龍、青龍と緑龍の心臓を手に入れ、それを自らの物としたのだ。


 後者の改造は、読んで字のごとく。


 普通の人間ならば、両肩に物を喋る口は無く、心臓とて三つはないはず。それは魔人であっても同じだ。


 ゲオルギウスは自らの体を、より戦闘に特化できるようにと改造したのだ。口を二つ増設することで、近接戦闘中でも魔法が発動できるようにし、心臓を三つ作る事で即死を回避できるようにした。


 それがこの怪物の秘密だった。


「それで。封印を解かれた黄龍は……やはり、あれなのか」


「あれだね」


 短髪となった黒髪が砂風に撫でられたゲオルギウスは、視界に収まりきらない竜巻を指す。


 天と大地を支えるかの如く伸びる竜巻は砂を巻き上げ、中を隠すようにしていた。しかし、魔人たちは気配を感じていた。竜巻の中で息づく、超常の存在に。


「かつて、暴走する黄龍に対して白龍は封印を決意した。しかし、通常の封印では黄龍を押さえつけるのは不可能だった。時が経てば、封印が弱まり内側から破られる。それを恐れた白龍は興味深い手法を取ったのだ」


 誰かに頼まれたわけでもなく、クリストフォロスは学者のように語り出した。興味が無いゲオルギウスだが、先の叱責がある手前、大人しく傾聴する。


「黄龍を小さな粒に分解したのです。物体を構成する小さな粒のように、黄龍という存在を徹底的に分割し、分割し、分割し。力と意思を極限まで薄めて、それが集結しないように封印したのです。……さて、この小さな粒とは何だと思いますか」


「知らん」


 にべもない回答にクリストフォロスは肩を落とした。もっとも、ゲオルギウスにしてみれば大分譲歩したのだが。


 気を取り直した魔人は面白いとばかりに口角を吊り上げ、


ですよ。このアルビノ砂漠を形成する大砂丘。数カ国と隣接するこの地にある砂の大半が、分割された黄龍なのです」


 その答はさしものゲオルギウスでも意表を突かれた。自らの頬に振れる砂が、黄龍の一欠けらだと思うと、クリストフォロスの気持ちも若干だが共感できた。


「ほぅ。封印と聞いていたから、時空の裂け目や地下の巨大空間と思っていたが、よもやこの砂粒が黄龍だとは。……待て。だとすれば、黄龍はまだ」


「その通りでしょうね。まだ、復活を果たしていないのでしょう」


 背後に広がるアルビノ砂漠にはまだ大海原のような大砂丘が広がっている。だというのに、眼前の竜巻は巨大で、薄らと見える影もまた巨大だ。


「今の時点で既に赤龍を超えていますね。しかしながら砂は、体の欠片は大量にあります。集めた伝承が真実だとすれば、黄龍の姿は都市のように巨大だったとか。恐怖から誇張されたのかと思いましたが、どうやら真実かもしれませんね」


「それだけ巨大ならば、動くだけで国の一つや二つ滅びるな。二つ名に恥じない怪物ぶりだ」


 自分たちで封印を解いたというのに、どこか他人事のように語る魔人。すると、竜巻に変化が起きた。ゆっくりと、ゆっくりとだが、竜巻が動き出しているのだ。同時に地響きが強まった。


 どうやら竜巻に隠れた黄龍が動き出したようだ。


「再生途中でも動き出すのか。この方角からすると、デゼルト国、それも首都か。つくづく運の無い国……という訳ではあるまい」


「御明察です。赤龍の時と同じように、私の魂を」


 ゲオルギウスがフィーニスから融合と改造を与えられたのなら、クリストフォロスが与えられたのは転移と魂の剥離。聖印を与えるのと同じように、クリストフォロスは任意の相手に自らの魂を与え、ある程度の命令を下す事が出来る。


「もっとも、黄龍は作為的に暴走されています。千年の時を経ても、それは変わらないので、私の意のままとは行きませんでした。できたのは、向かう方角だけですよ」


 結果として、黄龍は悪魔の巣を離れ、アルビノ砂漠を北西に進もうとする。その先にデゼルト国首都オーマットがあるのだ。


 オーマット近くにある神殿で、不本意な別れをする羽目になったローランとサファ、そしてレイの顔がゲオルギウスの脳裏に過る。ローランはともかくとして、サファとレイ。この二人がどう動くのかゲオルギウスですら読めないでいた。


 しかし。


「どうなるの分からないからこそ、この浮世は面白いのだ」


 呟く魔人の前を巨大な竜巻は悠然と、どこか威風すら漂わせて邁進するのであった。







 かくして国喰いと恐れられた怪物は再臨した。


 千年の時を経て、意思は邪悪なる者達に歪められたまま。暴威を振るう事に一切の躊躇いは無く、ただ歩くだけで大地は死滅し、人々は蹂躙される。


 神前決闘の演目は終わり―――黄龍討伐の幕が上がる。


読んでくださって、ありがとうございます。

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