8-23 封印されしもの 『前編』
常識外の激突が繰り返される度に、堅牢な石造りの天井が揺れると埃が頭に落ち、それはまるで男が追い求めた王冠のように着飾る。
「居たぞ、アフサル王子だ。生かして捕まえろ。あの者には、生きて吐いてもらわなくてはならない情報が山のようにある」
「ええい、ヌギド族め。ここも先回りしていたのか。王子を逃がせ、残りは盾となって誰も抜けさせるな」
敵味方区別なく、怒号が響く度に男の体は殴られたように怯む。理知的な王族として誉れ高かった相貌は土埃と汗に汚れ、走りにくい儀礼服は所々が破けていた。その姿は、男の追い求めていた王としての姿とは真逆で、男の描いていた夢が崩落していく現実の証左と言えた。
アフサルは数名の部下とクリシュに前後を守られながら、祭儀場を脱出しようとしていた。
「王子。お急ぎください。この先に、外へ続く抜け道があります」
「はっ、はっ、はっ。わ、分かっている。分かっているが。くそ、くそ、ちくしょう」
荒い息と共に、胸の内に広がる敗北感を吐き出そうとする主から、クリシュはそっと視線を外した。
クリシュは実に有能な臣下だった。
ガヴァ―ナでダリーシャスらを取り逃した事で、主からの信頼を失い、神前決闘という誉ある戦いにおいて選ばれなかったにも関わらず、彼は最悪の事態に備えていた。信頼できる部下を適時祭儀場に忍び込ませ、祭儀場内の全ての出入り口と通路を頭に入れ、更には祭儀場付近にも軍団を配置しアフサルを安全な場所に案内できるようにしてあった。
ヌギド族の襲撃を受けつつも、アフサルを守り通していたのは彼の手腕によるものが大きかった。
そんな彼でも読み切れなかった点が二つあった。
一つは、神前決闘がこのような形で決着を迎えるという点。よもや、帝国将軍の正体が、悪名高き六将軍が第二席ゲオルギウスだとは予想もしていなかった。国の中枢に神敵を招いたとされ、アフサルは王族としての資格をはく奪されてしまった。それは部下たちの間に動揺を生み、彼らの動きを鈍くさせたのは明白だ。
もう一つは、弟、ラシードの存在だ。双子の妹であるナリンザと違い、父の庇護下で成長した年少の弟は、クリシュの思考や手法をよく理解していた。クリシュの基盤となる考え方は、全て同じ父から教わったから、当然と言えば当然なのだ。
ゲオルギウスと何者かによる戦闘の余波で、観客席の四割近くが吹き飛ばされるか、あるいは崩壊してしまった今、仕える逃走経路は一つしかなく、それに向けてアフサルを半ば引きずるような形で誘導していた。
そんな彼の行く手を阻むように、兵士たちが殺到し、剣を構える。
「アフサル王子、投降してください。貴方には現在、ダリーシャス王子より出頭命令が下されております」
「出頭? 出頭だと! ふざけるなよ、ダリーシャス。貴様如きが、この私に何を命じれるというのだ。クリシュ、薙ぎ払え!」
「御意に」
激昂する主の命令に過不足なく答えると、クリシュは剣を構えた兵士たちの間をするりと通り抜けた。自らの側面を通り、後方に現れた存在に呆気にとられた兵士たちの体は斜めにずり落ちた。
上半身と下半身が別れた兵士たちを突き飛ばすようにアフサルは駆ける。
「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな。私を、王族から追放するだと。勝者がダリーシャスだと! 認めん、こんな結末、誰が認められるか!」
今にも炎を口から噴き出しそうな程に気炎を上げるアフサルだが、状況は加速度的に悪化していた。通路の曲がり角から再び兵士と、ヌギド族の混合部隊が姿を見せた。中には魔法使いらしき者も居た。
狭い通路内で魔法を使うのは、同士討ちの危険があるのを理解できない愚か者か、あるいはその危険を承知してなお覚悟を決めた者かの二つに一つだ。
クリシュは後者だと断じた。
背中の筋肉が盛り上がり、手にした槍が飛ぶ。通路の端から端へと減速することなく到達した槍は、魔法使いの鼻孔を突き抜け、ついでとばかりに後ろに居た兵士の頭部に刺さり止まった。
武器を手放してしまうと、背後に控えていた部下から剣を受け取ると、クリシュは通路を吶喊する。
途中、目に付いた壁に掛かった燭台を捻ると、横の壁が一人でに動き出した。一瞬背後を振り返ったクリシュは部下たちに叫んだ。
「貴様ら、王子を通路に押し込めろ!」
ぽっかりと口を開ける空洞は通路の両端に位置する者達にも見えた。
ダリーシャスの側に付いた者達は逃がすまいと罵声を飛ばしながらクリシュへと殺到し、クリシュの部下はアフサルを隠し通路へと押し込める。それに抵抗するアフサルは殺到する兵士を一人で捌いているクリシュへと喉を涸らした。
「待て、私一人で行けと言うのか!」
「我らは此処で殿となります。その先は道なり進めば、出口にて用意した千の兵が貴方様をお守りします」
「違う。お前らはどうするのだ、クリシュ!」
その問いかけに、忠実なる部下は答えを探しあぐね、そして初めての嘘を吐いた。
「ご安心を。我らもここの敵を討ち果たしたら、追いかけます。ですが、万一の事もあります。どうか、お早く、安全な場所に」
追いかける事なぞ出来ないのは、クリシュが一番分かっていた。通路の先から聞こえてくる軍靴の音に。背後の道から追いかけてくる敵の息遣いに。
この通路は直に、敵で埋め尽くされる。だが、この出入り口さえ守れれば、他に入り口は無いのだ。だから、彼は此処を離れる事は出来ない。
「お行きくださいませ、王子! 御武運を!」
「―――っう。分かった。武運を祈るぞ! 生きて、また会おう!!」
「勿体ない……お言葉です」
言葉と共に駆けだす足音が遠ざかっていく。仕掛け扉が閉じるとそれも途切れ、部下たちが燭台を叩き折った。これで幾らかの時間が稼げるという物だ。
血に塗れ切れ味の落ちた剣を兵士に突き刺すと、代わりの槍をもぎ取り仕掛け扉の前へと陣取る。
石突きで床を叩くと裂帛の気合を上げた。威風堂々とした立ち姿に逃げ道を塞いでいるはずの兵士たちがしり込みしてしまう。
「我が名はクリシュ・ナキ。アフサル王子第一の部下として、貴様らをここから先には行かせやしない!」
「レイ様、目を、目を見せてください」
必死な声のリザになされるがまま、レイは余計な抵抗をしなかった。頬を両手で押さえられ、顔を覗き込まれると、視界はリザの美しい顔で満たされた。
晴れた青空を思わせる青い瞳に真剣な色が浮かび、数秒が経過すると彼女はほっとため息を吐いた。
「良かった。目は黒のままです」
「本当? あたしにも見せて!」
「エトネも、エトネもー」
少女ら二人にせがまれ、リザは場所を譲ると、レイは首の角度を下に向けた。宝石のような透明感のある翠の瞳と、春の日差しを浴びた草原のような萌黄色の瞳に覗きこまれ、こそばゆさを感じた。此方も数秒を掛けて、丹念に確認すると喜色を浮かべて喜んだ。
「良かったー。ご主人さま、元に戻ったんだね」
「もとにもどった! もとにもどった!」
石舞台を跳ねまわり、全身で喜びを表す二人。それは二人がどれだけレイの変調に心細く、不安に思っていたのかの裏返しだ。
すると、横合いから白い手がレイの顎を掴み、顔を無理やり横に向けさせた。待っていたのは金色黒色の瞳だ。
「シ、シアラさん?」
「ちょっと黙ってなさい」
冷たく言い放つと、二色の瞳は他の少女らと同じように穴が開くほど見つめ、納得いったように小さく嘆息した。
「とりあえず、急場は凌いだようね。吐き気とか、頭痛とか、体に違和感はある?」
「いや、特に問題はなさそうだ」
「そう。どちらにしても、後で色々と検査をするから、大人しくしてなさいよ」
言うと、シアラは背を向け僅かに距離を取ると、聞こえるか聞こえないかくらいの小声で、
「……心配かけさせないでよ、ばか」
と、呟いた。レイからは背中しか見えないが、それが震えているように見えたのは錯覚ではないはずだ。彼女だけでは無い。リザもレティもエトネも、皆が涙ぐんでいた。
「心配かけて、ごめん。それと、助けようとしてくれて、ありがとう」
「え? ご主人さま、魔人になりそうな時の記憶があるの」
「いや。その時の記憶は全くないんだ。でも、声が聞こえたんだ。一面闇の世界に囚われていた時、皆が僕を呼ぶ声が聞こえたんだ。声は力となって、闇を貫き、そこからコウエンが助けに来た。だから、フィーニスの憎悪から解放され、こうやって戻って来れたんだ」
「そうですか。私達の声が。……では、フィーニスの憎悪は」
一瞬嬉しそうに唇をほころばせたリザが、大事な事だとばかりに確認をする。レイは胸に手を当て、
「まだ憎悪はある。でもコウエンが封じ込めてくれているから、こうしていられるんだ。……それで、ゲオルギウスはどうなったんだ?」
フィーニスの憎悪に飲み込まれる直前の記憶がまざまざと蘇ってくる。どういう訳か、抉られたわき腹は再生されているが、あの痛みは幻では無く、ならばゲオルギウスも夢ではない。
「ゲオルギウスなら向うだぞ、童」
「……わらし?」
聞き覚えのある呼び方にレイの全身は硬直し、勢いを取り戻したかのように振り向いた。視線の先には、日本画にでも出てきそうな着流しを着こなす、エルフ族の青年が居た。もっとも見てくれは青年なだけで、レイがこれまでにエルドラドで出会った誰よりも最年長なのだが。
「サ、サファさん!? な、なんで、貴方が此処に!」
驚きつつ名前を呼ぶと、呼ばれた側のサファは面倒だと言わんばかりに頭を掻いた。
「答えるのは……面倒だ」
口に出してしまった。
「あとで童の仲間に聞いておけ。それよりも、ゲオルギウスだろ。ほれ、其処に居るぞ」
理解が追いつかないレイが更に首を回せば、そこには衝撃的な光景が広がっていた。石舞台に倒れ伏す、血まみれのローラン。全身から血を汗のように流し、白銀の鎧は朱銀へと変化し、左腕は肘より先が弾け飛んだように吹き飛んでいた。現在、ミストラルを始めとしたヒーラーによる回復作業が行われているが、はたして生きているのだろうか。彼女らの険しい横顔をから不吉な予感がひしひしと伝わってくる。
「ご主人さま。あたしもお手伝いしに行くね」
「う、うん。行って来てくれ」
レティが治療の輪に加わった。
ローランの事は彼女らに任せるしかない。レイは視線を倒れ伏すローランから更に奥、石井舞台の中央へと向けた。そこには奇怪なオブジェが鎮座していた。
両足は石舞台に張り付いたように動かず、全身を使って曲線を描くように仰け反り、茨のような長髪が石舞台に掛かる。男を支えているのは類まれなる筋肉だけでなく、胸を貫通した槍だ。青い血が黒檀の槍を伝い石舞台に雫となって落ちていく。
ローランと同じように傷を負い、悪魔的な意匠の鎧を失ったゲオルギウスが、前衛的な美術品のように動かずに佇んでいた。
《神聖騎士団》の面々が、表情を険しくして男を半円状に取り囲んでいた。そこから少し離れた場所でローランの治療が行われ、同距離の別の場所に自分たちとサファが揃っている。
「ゲオルギウス。死んでいるのか」
「その表現は正確では無いな。この場合は、じきに死ぬだろうな。あれが体の作りからして特殊だとしても、三つの心臓全てを失えば、まあ、死ぬしかあるまい」
冷然と言い放ったサファ。すると、何処かから、獣が喉を鳴らすような音が響く。それが笑い声だと気が付いた時、冒険者たちに緊張が走った。
天を仰ぎ見ていた男が、体を直立させる。たったそれだけの動作だというのに、大気が震え、威圧感が増した。高位冒険者でさえ気色ばむ威圧感を涼し気に受け流したのはサファ一人だ。
本当にこれで死にかけなのか甚だ疑問だ。
「くくく。認めよう。そこの『守護者』の言う通り、私は直に死ぬ」
静かな、夜の森の如き深淵な声がゲオルギウスから発せられた。まるで、彼を突き動かしていた衝動が槍と共に破壊されたように、実に静かな語り口だった。
ふと、レイはゲオルギウスのある変化に気が付き、それを口に出していた。
「どういう事だ? ゲオルギウスの髪が、灰になっていく」
レイの言う通り、茨のように絡み合った黒い長髪が、先端から白い灰となって崩れていくのだ。それはゆっくりとだが、頭頂部に向けて変化していた。
「覚えておくといい、小僧―――レイ。魔人種にとって髪とは、体外にある心臓だ。例え、心臓が潰されたとしても、生命力が蓄積されたこの髪を消費することで、ある程度の時間は生存可能だ」
シアラに視線で確認を取ると、彼女はその通りだと頷いた。
「……その様子からすると、貴様は陛下の恩寵を拒絶したようだな。一度はあの絶対的な幸福感に包まれたというのに。身も心も委ねれば、陛下の力を授かれたというのに。何とも愚かしい決断をしたのだ」
「その代りに、フィーニスの憎悪を、魂を受け入れるんだろ。冗談じゃない。アイツなんかの魂、殺されたってお断りだ」
「ふっ。手負いの身でなければ、その首を斬り落としても収まらない愚行だが、今は見逃してやろう。例え、此度が失敗したとしても、その聖印がある限り、貴様は陛下から逃れられまい」
「……随分と穏やかだな、アンタ」
苛烈にして加虐なるゲオルギウスからは到底想像できないほど、穏やかに笑う姿を見て、レイはむしろ寒気すら抱いた。だが、ゲオルギウスは金色の瞳をローランに向けて、薄く笑みすら浮かべた。
「なに、満足する戦いがやれたのだ。陛下の御為にと練り上げた武技が敗れた事は業腹ではあるが、それ以上に良き戦いが我が心を満たしたのだ。……貴様らは、《神聖騎士団》だな」
問いかけにマクスウェルは頷く。するとゲオルギウスは視線をローランに固定したまま、
「そやつが無事に生還できた時は、我が言葉を伝えて欲しい。……見事、と」
「……心得た。『三賢者』の名に懸けて」
一瞬、ゲオルギウスがマクスウェルを驚いたように見つめ、しかし、何かを納得したように頷くと頼むと礼を告げた。既に髪の灰化は腰まで達していた。
「思い返せば、六百年。生を受けしころから、私は戦い続けていた。父が振るいしこの槍を受け継いでからは、特にそうだった」
ずぶり、と。胸に突き刺さったままの槍をゲオルギウスが引き抜くと、青い血が一層激しく噴き出し、髪の灰化が速度を上げた。
青く輝く黒檀の槍を回すと、ゲオルギウスは穂先を下に向けた。
「目的も無く、生きるがために戦う日々はどこか空虚だった。常に胸に穴が開き、満たされるという事を知らず、腹を空かせた餓鬼のように戦場を彷徨った。だが、その無為な日々に、陛下は終止符を打ってくださった。魔人種の、魔人種による、魔人種だけの国を作る。なんと甘美な響き。その夢の旗に、我らは集った」
死に逝く男の言葉を汚さないためか、誰一人動こうとはしない。それはサファですらそうだった。冷徹な萌黄色の瞳に浮かぶのは長きに渡り戦った好敵手への別れの色だろうか。
しかし、その中でレイだけは全く別の事を考えていた。
この祭儀場を取り囲む違和感。
断絶した記憶の前後。空白の時間で起きたであろう激闘によって祭儀場は大きく様変わりをしていた。空白の観客席からは煙が上がり、吹き飛ばされ、雪崩にあった様に崩れている。
「陛下から聖印を授かり、あの方の魂と力を与えられた日の事はよく覚えている。北方大陸の冬の寒さが厳しい土地を切り開いた日々は苦しくも充実していた。噂を聞きつけ、各地の同族が集まり、子が生まれていき全ては上手く行くと思った。……それを黒炎が、『龍王』が薙ぎ払ったのは、忘れようにも忘れられない」
サファが何故いるのか。ローランがどうしてこれほどまでに瀕死の状態なのか。自分が魔人化中に此処で何が起きていたのか、探るためのヒントは無い。だけど、一つだけ言えることがあるとすれば、祭儀場が半壊するほどの激しい戦いが繰り広げられたという事だ。
だとしたら、おかしい。
「我らは誓った。我らの国を滅ぼした『龍王』を。それを許容した者達を許さないと。痛みには痛みを。悲しみには悲しみを。滅びには滅びを持って、復讐は完了する」
何故、石舞台は傷一つ無いのだ。
黒々とした石の舞台は、さながら波一つ立てない夜の湖面のように美しく整っていた。ここで、『七帝』と『聖騎士』と六将軍が死闘を演じたとは思えないほど、整然としていた。
「皆、ゲオルギウスは何かを狙っている!」
根拠はそれだけだ。ただ、頭の中で警鐘が激しく鳴り響いていた。
槍の穂先がゆっくりと、周りに気づかれずに石舞台へと近づいていくのが、何よりも恐ろしかった。
レイの叫びに反応してマクスウェルらが動き出そうとしたが―――遅かった。
槍は、石舞台に突き刺さった。
それまで、怪物達の狂騒曲を受け止めた不壊の巨石が、それこそガラス細工の如き脆さで槍に貫かれ、ヒビを走らせた。
「死の神タナトスが振るいし神杖。其が宿し権限は概念殺し! 千年前、白龍が施した封印より今目覚めよ、黄龍!!」
―――瞬間、世界の楔が抜け落ちた。
読んでくださって、ありがとうございます。




