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試行錯誤の異世界旅行記  作者: 取方右半
第8章 動き出す世界
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8-5 鎧の奥にある真実

 弱くなるため。


 ローランがあっけらかんと、天気の話をするかのように告げた一言にリザ達は言葉を失う。本来なら、あの漆黒の鎧は強くなるための魔道具の筈。装着者を、戦う相手と同程度まで引き上げるという効果は絶大だ。身に着けるだけで、最強の冒険者と互角になるのだ。


 例え、世界最弱でも、それを身に着けている間は世界最強と同じ目線になる。そんな夢のような魔道具を、どうして弱くなる為に使うのか。矛盾した一言にリザ等が混乱しているのを余所に、何か考えが纏まったのかマクスウェルだけは平静さを取り戻しつつ質問を続けていた。


「ローラン。直接剣を交わしたお主に聞くが、同程度というのは、本当に同程度なのか」


「ああ。互いに馬上していたから、他の数値は知らないけど、筋力、耐久あたりは同じだろうね。敏捷も、多分」


「となれば勝敗を別つのは戦技か、あるいは技能スキルなどの能力値アビリティと無関係な部分となるな。お主の時は、それを使った形跡は?」


「無いと思う。あの時、アイツはそういったのを使って来なかった。これは推測だけど、あの鎧を着けている間は、戦技などは使えなくなっているんじゃないかな」


「道理である。身に着けるだけで戦う相手と同程度の能力値アビリティになる。そんな破格の効果、なにかしらの制限があって然るべきだ。だとすると、勝敗を別つのは別の要素……ああ、それでレイ殿という事か」


 納得したかのように頷くマクスウェル。すると、話が終わった瞬間を見計らったかのようにミストラルが割り込んだ。美麗な顔に困惑の色が浮かび上がっていた。ローランの言う、弱くなるためという言葉に不安すら抱いている様子がはっきりと分かる。


「ねえ、ローラン。さっき言っていた弱くなるためというのは、どういう意味なのかしら。それに、レイ君にしか勝機が無いという意味も分からないままよ。ちゃんと説明して頂戴」


「分かったよ。……とはいえ、どこから説明するべきかな。……皆はミラースライムというモンスターを知っているよね」


 ローランの口から出てきたのモンスターの名前はつい先程も思い浮かべた物だ。


「存じております。かつて、レイ様が戦い勝利した相手です」


「そうなのかい。なら話が早い。ミラースライムと違い、あの鎧は戦う相手の能力値アビリティだけを正確に写し取り、自己の物とする。その代わり、自前の戦技や技能スキルは使えない。さて問題だ。その鎧の所有者はどうやって勝てばいいのでしょうか」


 唐突な問題にリザ達は顔を見合わせる。ローランの意図は不明だが、答えを出すまでは話の続きをするつもりはないようだ。代表するようにリザが口を開いた。


「武器……でしょうか。ミラースライムと違い、武器までは同じにはなりません。必然、武器の差はそのまま残るかと」


「それも一つだね。でも、もう一つ。明確に違いが生まれるはずだよ」


「それでは……技術や、経験でしょうか」


 リザが出した答えが正解だったのか、ローランは大きく頷いた。ローランの推測通りなら魔道具が写し取るのは能力値アビリティまで。戦う相手の技量までは同じに出来ない。


「ある程度の強者同士の戦いにおいて技能スキルや戦技は重要な要素だ。その辺で暴れている雑魚相手なら、あの魔道具でも十分役経つけど、強者を相手に戦技など使えないというのは自殺行為だ。逆に言えば、あの魔道具を身に着けても勝つというのは、それだけ自分の技量に自信があるという事だね。……実際、僕自身、あれと剣を合わせた時にそれを感じた」


 ローランの額に残る真新しい傷。ガヴァ―ナを脱出する際に将軍と遭遇した時に負わされた手傷だ。額の一部を削った敗北の証をローランは上から掻いた。


「あの時、馬が先に力尽きていなかったら、槍はこの傷よりも、もっと深い傷を付けていたはずだ。だから、僕はが鎧を身に着けた理由についてこう考えたんだ。自分の本当の実力を隠す為に、故意に弱くするためだと」


 自らの正体を隠す為に、あえて枷を付けるような物だとローランは締めくくった。ローランの推測は恐らく正しいのだろう。漆黒の鎧が戦う相手に合わせて能力値アビリティが変動し、その代わりに戦技や技能スキルといった物を使えなくさせる。そのため、勝敗を別つのは鎧の下に隠された素の技量だと。


 だとすると、リザは新たな疑問に直面する。どうしてそんな相手にレイならば勝機があるのだとローランは口にしたのだ。姉の心中を読んだかのようにレティが身を乗り出して尋ねた。


「あの、それじゃ、なんでご主人さましか勝てないって言ったんですか。ワザと弱くした状態でもローラン様を追い詰めるような相手なんですよ」


 それはどこか責めるような口調になってしまっていたが、本人は気が付いていない様子だ。ローラン自身も気にせずに返した。


「それに関しては君のお姉さんが答えたよ」


 急に話を振られあたふたと慌てるリザ。自分が何を口にしたのかと考えて、ある事を思い出した。


「もしかして、レイ様の勝機とは武器。つまり龍刀の存在ですか」


「その通りさ。龍刀コウエン。あれを見た時、正直震えたよ。赤龍の骨を元として、鍛冶王が己が命を籠めたような一振り。かつてエルフの英雄と呼ばれた存在が振るった剣にも匹敵するだろうね。技量で大きく上回るアイツに唯一対抗できるのは、龍刀を持つレイ君、ただ一人だ」


「待ってください。武器ならば、ローラン様もお持ちではありませんか」


 今は持っていない大剣の事をリザは口にした。ところが、それは違うとマクスウェルが否定に入った。


「こやつが持ち歩くあの剣は、正真正銘ただの剣だ。こいつの馬鹿力に耐えられるだけの厚みを有した、言わば鉄の塊。武器としての資質は二流も良い所だ」


 容赦ない評価にローランはそこまでいう事もないだろうと肩を落とした。その反応で彼らの口にした事が事実だと理解できた。


 リザは一度、立て続けに分かった事を己の中で整理しようとする。鎧の魔道具によってレイと同程度の能力値アビリティとなった将軍。その技量はローランすら圧倒し、戦技や技能スキルを封印した状態でも勝利できるほど。そんな怪物を相手にレイが勝てる可能性があるのは龍刀の存在だ。武器の一点だけが相手を上回っている、と。


 昨日、ローランが口にした通り、これは細く、脆い糸のような勝機だとリザは思う。確かに、龍刀コウエンは逸脱した武器だ。それだけに取り扱いは慎重となり、レイが全てをコントロール出来ているとは言えない。失礼な物言いだが、まだ未熟なのだ。


「この戦いで、そう都合よく龍刀の力を御しきれると思いますか、シアラ。……シアラ? どうかしましたか、そんなに思い詰めた表情で」


 隣に座る仲間の様子がおかしい事にリザは気が付いた。シアラは白く、ほっそりとしたシルクのような手で口元を押さえていた。露わになっている顔の上半分は青ざめてもいた。リザに名前を呼ばれ、シアラは首をぎこちなく動かした。


 瞬間、リザはシアラの技能スキル、《ラプラス・オンブル》が発動したのかと身構えた。しかし、金色の瞳に変化はない。ようやく手を口から離したシアラは、掠れるような声で囁いた。


「ローラン様。……貴方は、まさか、あの将軍の中身が、とお考えなのですか」


 シアラの言葉にリザは意味が分からなかった。帝国から派遣され、帝国の兵士を率い、帝国の将軍として舞台に上がっている鎧の男を指して、帝国の将軍では無いとはどういう意味なのだろうか。


 ところが。


「うん。アイツは、帝国の将軍じゃないだろうね」


 ローランがシアラの妄想じみた考えを肯定してしまった。リザだけでなく誰もがあまりの急展開に付いて行けないとばかりに唖然とする。どうにか立ち直ったリザはシアラにどういう意味だと尋ねた。


「どうもこうも無いわよ。あの鎧の男は自分の力を魔道具で隠したがっていたのよ。それってつまり、自分の強さをさらけ出せば、正体がすぐにばれてしまうほど有名って事よね。もし、本当に帝国の将軍なら、自分の力を隠す必要なんてない。でも、自分の力を隠しているってことは―――」


「―――帝国の人間ではないという事ですか。……それならば納得出来てしまいます」


 リザの妙な発言には理由があった。帝国の四大貴族が一つ、ウィンドヘイル家の娘であったリザは本人の性格もあってか有名どころの将軍の名前は網羅していた。しかし、先程告げられた名前にも、ローランを上回る将軍の存在も知らなかったし、聞いた事もなかった。無くて当然だ。シアラの推理通りな、帝国の人間ではないのだ。


「それに、ローラン様はここに来てから一度も、あの鎧の男を帝国の将軍とは呼ばなかったわ。……もしかして、気が付いているのですか。あの鎧の下に隠れている者の正体が」


「……逆に問う。シアラ・マールム。君はあの鎧の下に隠れている者の正体に気が付いているのではないかな」


 フルネームを呼ばれ、シアラの顔色がこれ以上ないほど青ざめて行く。マールムという苗字は魔人種にとって複雑な意味を持つ。魔人種を統べる『魔王』の苗字であり、魔人種の裏切者として名高い六将軍の一人の苗字でもある。法王庁が彼女の背景についていつの間にか知りえていた事にリザは気色ばんだ。


 最強の冒険者を相手にしながらも恐れることなく拳を握り、いつでも戦えるように腰を浮かした。そんなリザの反応にローランは苦笑を浮かべた。悠然と、リザが決死に近い覚悟を抱いているというのに、それを正確に理解しながらも青年は応じる素振りすらしない。それだけの実力差が二人の間には深い谷のように広がっていると言わんばかりだ。


「法王庁として君にとやかくするつもりはない。不戦の島で起きた悲劇についても聞き及んでいる。君が『魔王』らとは道を違えたことは間違いない。それだけに、そんな君だからこそ、もう気が付いているはずだ。あの鎧の下にいる、この世でもっとも最悪の相手を」


「シアラ。どうなのですか。貴女は、本当に気づいているというのですか」


 全員の視線がシアラへと集中する。彼女の事情を知る者は労わったり、気遣ったりする色が含まれているが、それ以外の者は訳が分からないと混乱まじりの視線だ。


 そんな中でシアラは口にする。


「アイツは、アイツの正体は―――」






 刃が届かない。


 首を狙って下から突き上げた龍刀は、二本の槍に阻まれ弾かれる。下から狙う一撃を、更に下から掬い上げられるように弾かれたせいで上体がぶれてしまう。その隙を突くように槍が揺らめいた。鋼鉄の槍がぐにゃりと溶けた飴細工のように形が崩れたと思った瞬間には、槍の穂先が飛び込んできた。


 相手の狙いは右目だ。


 レイは首を回す事で目を潰そうとする攻撃を躱す事に成功した。しかし、そのせいで視界があらぬ方向へと向いてしまった。しまったと思う頃には遅く、背中に向けて槍が振るわれていた。それに反応して《耐久》の加護が発動するも、その障壁は幾度の攻撃を受けて蜘蛛の巣のようなヒビを作っていた。


 背中への一撃が止めとばかりに障壁は砕けた。一瞬だが、槍はレイから離れた。障壁と引き換えに、レイは相手の間合いから脱出することに成功したのだった。


 龍刀を構え、切っ先を相手に向ける。瞳に光は失われておらず、戦意が高いのが窺い知れる。だけど、気力だけが漲っていても、肉体が無事とは言えなかった。防具の着けていない隙間を蛇のように槍は噛み付き、幾筋もの傷跡が血を流させる。息は上がり、鼓動は落ち着く暇はない。筋肉は悲鳴を上げ、神経は殺気に当たり過ぎて麻痺し、頭はこの状態からの勝利を模索して熱暴走を起こしている。


 そして何より、戦えば戦うほど、マグマのように熱く、コールタールのように黒く、ヘドロのように粘ついた憎悪が心を支配せんと勢いを増していた。外に将軍、中に理由なき憎悪と問題だらけだ。


 加えて《耐久》の加護が切れた。時間経過と共に回復するが、少なくともこの戦闘中に回復するには時間が足りないだろう。神前決闘で唯一持ち込みが認められなかったのは回復系のポーションだ。失った生命力も、体力も直ぐには取り戻せない。


 絶体絶命の状況であっても、レイの意思が折れないのは意外でも何でもなかった。


 元から、このような状態になるのは織り込み済みだったからだ。こうなると分かった上で舞台に上がった。剣を合わせる事で、戦う事でしか伝わって来ない相手の情報を持ち帰るための一戦。敗北もあると理解していた。


(とはいえ、予想以上に強すぎるだろ。本当に、僕と同じ能力値アビリティなのか、こいつは)


 龍刀を構えつつ、レイは内心でため息を吐く。漆黒の鎧が戦う相手の能力値アビリティをコピーする効果があるというのはレイも気が付いていた。その上で、相手の優位性が技量に、自分の優位性が武器にあるという事も理解していた。それらをひっくるめて、鎧の男を相手に勝利できるのが自分だけという可能性に達していた。


 だが、蓋を開けてみればどうだ。


 自分は満身創痍。致命的な負傷は避けられているが、小さな傷は幾つも作っている。


 相手は一騎当千。いくら挑んでも此方の刃は相手に届かず、相手の槍は此方を貫く。


 実力差は明白だ。


 分かりきっていた事だが、事実として突きつけられると心に来る。と、同時に、腑に落ちない事もあった。武器を合わせ、槍が肌を裂き、殺意に当てられる。ある意味肉体の交わりとも呼べる戦いの最中、相手の考えや意思が朧にだが伝わってくることがある。


 いま、鎧の男は苛立っていた。


 圧倒的に有利なはずなのに、どうしようもないほど苛立ちを抱えているのが槍から伝わってくるのだ。それに、おかしいのはもう一つある。鎧の男は明らかに手を抜いていた。


 魔道具を使い、弱く偽装していることではない。先の一撃も、幾度も衝撃に阻まれているのを知っていながら、首や足を狙えたにも関わらず背中を狙ったのだ。


 まるで。


「まるで、僕を殺さないようにしている」


「……なに?」


 ふと、思った事を口にしてしまう。それは鎧の男へと届いてしまった。鋼鉄の兜に阻まれて顔は伺えないが、その下は不愉快そうに歪んでいるのかもしれない。槍を握る手に力が加わった。


 だが、その力もすぐに緩んだ。


「……確かに、そうだ。私は、お前をこの場で殺すべきかどうか悩んでいる。それが戦いに影響を与えているのは否めないな」


 まさか肯定するとは思っていなかった。唐突の告白にレイは鎧の男の意図が読めないでいた。その間も、男は滔々と語る。


「私に与えられた主命を考えれば、早々に役目を果たし、陛下の元へと馳せ参じるべきなのだ。だが、一度ならず、二度もこうして相まみえた事。そして何より、陛下からを授かったという事実が私の興味を捉えて離そうとしない。故に、こうして役割から逸脱しないように、しかし役目から逸れてしまった状況を許容している自分がいる。全くもって不甲斐ない有様だ」


「――――っな。聖印だと!? お前、なんで、この事を!」


 レイは咄嗟に、自らの目の下に走る傷跡を触った。瞬間、傷口で何かが蠢く様な感触に身震いした。かつて、フィーニスに付けられた傷は、得体の知れない何かが這入りこんだ入り口でもある。その際に、フィーニスが自らこれを聖印と呼んでいた。しかし、それを如何して眼前の男が知っているのか。


 レイの疑問に応えることなく、鎧の男は自らの胸中を語り続けた。


「そもそも、貴様が悪いのだぞ、小僧。陛下から聖印を授けられたというのに、それと向き合おうとせずに背を向け、目を逸らし、意識しまいとするからそのように膨れ上がり、今にも弾けそうになっている。熟した果実が、地面へと落ちる寸前というべきか。放置していれば大地の染みとなるのを見過ごせないと向かい合ったはいいが、いくら戦っても自らの憎悪を解き放とうとしない」


「質問に答えろ! この聖印は一体何なんだ。そもそも、どうしてお前は、この傷の事を聖印と知っているんだ。お前は何者なんだ!?」


 頭が痛い。


 激痛と呼ぶのも生ぬるい。頭蓋を切開し、頭頂部からハンドミキサーでクリームのようにかき混ぜられているかのような痛みに視界が点滅する。黒い靄が意識を包み込もうと足元から這いずり回っている。


 それでも、レイは尋ねずにはいられなかった。


 もう、


 それを認める勇気だけが彼には無かった。


 鎧の男は肩を竦めると、良いだろうと答えた。


「聖印とは陛下の力を宿した種だ。憎悪を糧として育ち、実を着け、花開く。さすれば貴様は、と成りえたかもしれない。だがな、小僧―――レイ。貴様は陛下から寵愛を賜りながら、その意味を理解できない愚者だ。愚者には陛下の寵愛は勿体なかった。否、陛下から寵愛を受ける資格すらなかったという事だ。故に、これは罰である」


 鎧の男はかつて別の者へと口にした言葉を、再び発した事に気が付いていなかった。手にした二振りの槍を先端で揃えると、不可思議な現象が起きる。なんと、槍の穂先が融合し、柄が互いに蔓のように絡み合った。あっという間に二振りの槍は、一本の槍へと姿を変えた。二つの柄が絡み合い、穂先で結びつく、元からそうであったかのように。


 瞬間、黒い靄を突き破って、一つの記憶が蘇る。


 ―――自分は―――この槍を―――知っている。


 ―――この槍は―――■■■さんを―――殺した―――槍だ。


 黒い靄の中、槍を手にした男の姿が浮かび上がってくる。まるで茨のように絡み合い、艶を失った黒髪。悪魔的な意匠の鎧。両肩で人のような、獣のような口が魔法を詠唱する。そして闇の中でも、黒い靄の中でも見間違う事の無い金色の瞳。


 その瞳を見た瞬間、頭が割れんばかりの激痛に、意識が混濁する。自分が龍刀を構えているのか、それとも立っているのかすら定かではない。


「死ぬことが貴様に残された贖罪の術と知れ」


『レイ、目の前じゃ!』


 声は近くからした。レイが気付いた時には、鎧の男は自分のすぐ傍に居た。言い換えれば、すでに槍の間合いという事だ。反射的に、本能的に攻撃しようとした。だが、龍刀は手に握っておらず、足元を転がっていた。だから、レイは拳を握り、それを叩きつけようとしたのだ。


 だけど、その一撃は簡単に阻まれてしまう。レイの右拳を、男は手首を掴むことで止めたのだ。


 そのまま掴まれた手首がぐちゃり、と水音を立てて潰された。


 レイの口から言葉にならない悲鳴が上がる。


 同時に、思い出した。


 かつて、同じように手首を握りつぶされたことを。


 同じように殴りかかり、同じように潰されたのだ。そのことを男も思い出したのか、兜越しにくぐもった笑い声が聞こえ―――槍がレイの心臓を貫いた。


 何の抵抗もなく、水に投げ入れたかのようにあっさりと、体は貫かれてしまった。鼓動が、最期の一回を刻むと血が逆流した。


「……お前は……お前は……」


 血と共にうわ言のように繰り返すレイに男は冷たく言い放った。


「今更思い出した所で、全てが手遅れだ」




 ★



 空中で全身を槍で串刺しにされる。裂けた穴から血が溢れる。破けた皮袋から臓物が落ちる。地面を四つん這いで進む亡者たちが血を啜り、臓物を食う様を見た。奴らは、まだ食い足りないのか槍で落ちないように支えている僕の体に目をつけた。槍を揺らし、細かな肉片に切り分ける。食べやすくなって落ちた僕を奴らは貪る。


 レイはそれを唯一残った眼を通して見ていた。生きながら地獄を見せつけられた。亡者が啜り、咀嚼し、貪る様を。目を閉じたくても、瞼の無いむき出しの眼球は見たくも無い光景を永遠と捉える。


 永遠とも思える時間の間、地獄を見ていた。


 ―――この地獄を僕は知っている。



 ★



 魂を切り裂かれるような感覚に、それだけでもう一度死ぬかもしれないとレイは恐怖した。心臓が痛いぐらい鼓動を速めている。今回ばかりは、それが有り難かった。生きているという証なのだから。


 全身から噴き出す汗すら重く感じる。指一本、満足に動かす事も出来ない。これまでに何百という途方もない数を死に戻って来たレイにして、このイタミは群を抜いていた。


 だけど、おかしな話である。


 その死のイタミに覚えがあるのだ。


 聞き覚えがある、見覚えがあるといった既視感は他の人間なら一度ならずともあるだろう。しかし、死に覚えがあると言えるのは古今東西、レイぐらいしかいない。


 レイはこの死に、覚えがあったのだ。前にも一度、同じ相手から殺されたのだ。


 こうして思い出せば、なんと無様な話があるのだろうとレイは皮肉を言いたくなる。ローランに手傷を負わせられ、槍を扱い、自分と因縁のある相手。それだけのキーワードで答えは直ぐに出るはずだ。いくら《トライ&エラー・グレートディバイド》のペナルティがあるからと言って、いや、あるからこうなったとも言える。


 認識の喪失によって、思い出すという行為に制限が掛けられてしまうという状況の恐ろしさを改めて思い知った。だからこそ、こんな状況に追い込まれてしまったと言えるのだから。


 王宮の贅沢な天井絵を見つめながら、レイは呟いた。


「ようやく分かったよ。……お前の正体が」


読んで下さって、ありがとうございます。


次回更新は15日月曜日頃を予定しております。

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