8-2 祭儀場
デゼルト国首都オーマット。
物流、交通、文化、軍事的にも重要な首都。クリーム色の建物がひしめき合う首都からほど近い場所に、その神殿はあった。
首都を一望できる起伏に富んだ丘の上にそびえ立つ、荘厳な白亜の社。
無神時代が始まり、13神からの寵愛を感じられなくなった人々は、神々の痕跡を自らの手で焼き払った。これまで、神に縋って生きてきた恩を忘れた暴挙なのか、あるいは神との決別の証なのか、それとも先の見えない不安を誤魔化すための行為なのか。様々な学説が提唱されるが、真実はその時代を生きた人間にしか分からない。
暴動は当然、南方大陸にも及び、神を模った像や起こした奇跡を記した書物、歴史的な価値のあった絵画や遺物なども徹底的に破壊された。それらを収めていた神殿は柱の一本に到るまでもぎ取られ、神殿という形を保てた残骸は数える程度しか残らなかった。金銀財宝だけは根こそぎ持ち出されたのだから、人間の浅ましさが浮き彫りとなっている。
オーマット近くにあるこの神殿は、デゼルト国が建国してから建立された、比較的歴史の浅い神殿である。この地域を占有していた十四の氏族を束ねたデゼルト族の長は首都を定める時に、ある伝説を耳にした。
曰く、この地に大いなる災いが降り注いだとき、天から九つの光が大地を穿った。それはたちまちの内に災厄を鎮め、大地に平穏を齎した光なり。光の落ちた場所に民が向かうと、そこにあったのは巨大な、石のみ。人々はこの石こそ、災厄を封じた要石だと理解し、聖なる土地として崇めるようになった、と。
その伝説通り荒野の丘に、巨人が埋め込んだような平らな石があった。伝説から数百年が経過し、ここを聖地として扱っていた当時の一族は霧散してしまったが、伝説が嘘ではないと証明するかのように存在していた。驚くことに、石は数百年の間、風化することなく存在していたのだ。試しに魔法や戦技を放ったが、石の表面に傷一つ付ける事もできず、石を掘り出そうとするも、地面と同化したかのようにびくともしなかったのだ。
伝説が事実だと知ったデゼルト国初代国王は、
「決して砕けない石。それはまるで、相争っていた我らの結束を表しているかのようではないか。ならば、この地を我らの始まりの地としよう」
と、伝説にあやかり首都の地を決め、石を崇めるように神殿を建立したという。もっとも、その伝説を耳にしたのが初代国王ただ一人という事もあってか、真偽は分からず、確かめる事もできないまま、いつの間にか消えてしまった。
時代が流れて行くうちに、石の来歴は誰にも分からなくなり、それでも王家は理由が分からなくても石を大切に扱い、民にとっても霊験あらたかな存在となり、節目節目には人々が集まり、祝いの儀式などを開く場所となった。神殿の横に石を囲うように円形の観客席が設けられ、石の周りを整えて祭儀場として扱うようになった。
王の任命式も祭儀場で行うようになった。不作の年には豊作を祈願した舞いが行われ、疫病の年には終息への祈祷が行われている。
そして今日。
この場所で神前決闘が行われようとしていた。
何百年もの間、雨風に晒されてなお摩耗することなく、風化することなく形を変えてこなかった巨大な丸石。おうとつも無い、不可解なまでに平たい石を囲むように円形の客席が人で埋め尽くされていた。祭儀場の外では、不謹慎ながらも出店が開かれ、目敏い商売人が一儲けしている。
彼らのほとんどがオーマットに暮らす人々である。
つい昨日まで起きていたワシャフ・プラティスの反乱によって、戒厳令や集会禁止などの法律で息苦しい生活を科せられていた民衆。彼らは娯楽に飢えていた。刺激に飢えていた。変化に飢えていた。
そんな土壌があったせいか、カリバン・デゼルト王の正式な退位の発表と、それを受けて開かれた神前投票の結果が同数だったためにアフサル、ダリーシャス両王子の神前決闘が執り行われるという発表は一気に広まった。発表があってから一夜明けてで。多くの人々がこの地に集まっていた。
彼らは動乱が続いた国の行く末を憂い、新たなる王の誕生をこの目で見ようとする意識の高い者達―――ばかりではない。
血と汗が飛び散る様を見物したいという物見雄山な者が多かった。言ってしまえば、彼らにとってこれは溜まった不満を晴らすガス抜きのような物だ。普段目にする機会が少ない、戦士同士の血で血を洗う様な凄惨な戦いを目の当たりにしたいという。非日常的な刺激を味わいに来たのだ。
もっとも、自らの命を賭けた王子たちにしてみればこれ以上ない真剣な場である。それを知っている人々は刺激に飢えた野獣のような興奮を、仮初の厳粛な空気で包み込むぐらいのことはしていた。もっとも、それが今にも弾けそうな風船のように膨らんでいるのは一目瞭然である。
観客席の中で、周囲と隔絶されたような空間がある。民衆が歩いて近づけないような構造となっており、周囲を兵士たちが警備する。そこは王族と十四氏族らのみに許された貴賓席。つい数日前まで軟禁生活を強いられたとは思えないほど、族長たちは生気盛んな姿を見せている。労働奴隷たちに命じて扇を扇がせ、そよ風に当りながら酒瓶を傾けていた。
そんな遊興な族長たちの一段上には命を賭けている王子たちが並ぶ。アフサルとダリーシャスの間が空き、二人にそれぞれ票を投じた王子が並ぶ。
裏切りと保身からアフサルに票を投じたワシャフの息子らは、反乱に加わった事もあり民衆からの冷たい視線に身を縮ませていた。一方でアフサルは不遜な態度を崩さず、余裕の微笑みすら浮かべて民衆に手を振っている。
なにしろ、彼の代理として戦うのは帝国の将軍。あの『聖騎士』ローランと互角に渡り合ったという強者である。
考えられる中でも最強の手札を、彼は切ったと自負している。
影のように傍に仕えているクリシュ・ナキには一瞥もくれることなく、勝利を確信していた。
反対側のダリーシャスは真剣な面持ちを崩さず、これから始まる戦いの舞台へと熱い視線を向けていた。彼が送り出すレイは、稀有な経験を積んではいるが、実力の程度は中級冒険者程度。
はっきり言って勝ち目は薄い。
ダリーシャスに票を投じた線の細いホセインは従兄の横顔を盗み見ながら、もう一人の従兄に声を掛けた。
「あの。レイなる者について、僕はあまり知らないのですが、どのような冒険者かご存知ですか、ジャマル殿」
声を掛けられたジャマルは観客席を眺めるために手にした単眼鏡を降ろすと、従弟の質問に答えた。
「よくは知らない。ただ、ここ数か月で話を聞くようになった冒険者ではあるな。貴様とて『緋星』の二つ名、聞き覚えはあるだろう」
「いえ。正直、冒険者などの噂話にはあまり興味がなく。申し訳ないのですが全く聞き覚えがありません」
「なんと嘆かわしい事だ。書物に耽るのも悪い事ではないが、見聞を広く持つことも王族の責務ではあるぞ。冒険者の名が知れ渡るという事は、何か大きな災厄や騒動が起きたという事。砂の形が風で一変するように、どんな些細な事でも気にしておく癖を身に着けておくべきだ」
もっともらしい事を口にするジャマルだが、彼がレイの事を注目していたのは人物コレクターという趣味が高じた結果でもある。名が知られ始めたというが、それもまだ別大陸の事で、南方大陸に居るジャマルが広く情報網を有していたから網に引っ掛かったに過ぎない。それを棚に上げてホセインに説教するのはいささかお門違いかもしれないが、当の本人たちは真面である。
ジャマルは興が乗ったのか、レイがこれまで関わったとされる事件、騒動についてホセインに語り出した。それは公式記録にも乗っているアマツマラのスタンピードだったり、水の都アクアウルプスで起きた《アニマ・フォール》事件や、非公式扱いになっている六将軍第二席との戦いや、噂話程度のシュウ王国第二王子との諍いなど。一時期、アフサルに与していた時に彼から要望を受け、レイの情報を改めて調べ直した結果、細かい所まで知っていた。
話のスケールに驚くホセインだが、全てを聞いた上である疑問を口にした。
「それで、結局のところレイという冒険者は強いのでしょうか」
「む。それは……むぅ」
立て板に水とばかりに止まる事なかったジャマルの口が閉口してしまう。レイが稀有な経験を積んだ冒険者であるという事は私財を投じて得た情報から理解できたが、それがそのまま彼の強さになるかどうか。そればかりは戦闘に疎いジャマルには断言できなかった。
「やはりここは僕ですら名前の知っているローラン殿にお任せするべきだったのではないでしょうか」
隣に座るダリーシャスに聞かれまいと小声で囁くホセイン。彼の言葉を受けて、ジャマルは先程まで単眼鏡で覗いていた貴族然とした男の横顔を思い出す。
人物コレクターであるジャマルに取って、ローランという男は彼の眼鏡に適う男だった。威風堂々とした佇まいに、口元には涼しげな微笑み。それでいて瞳は他を圧倒する眼力を放つ。
大地から発掘された至高の金剛石が、熟練の職人の手によって見事に磨き上げられた。そんな印象を持つ男だ。是非、傍に置きたいと狙っていた。もっとも、それをすれば確実に法王庁と争う事になってしまう。流石に、準備もなしに挑める相手ではないため、今は諦める。
そのローランなら、なるほど神前決闘の場に相応しい戦士だと言える。どのような経緯でダリーシャスとローランが知り合ったのか不明だが、首都奪還時の状況からすると法王庁はダリーシャスに力添えをすると決めたようだ。
ならばローランがダリーシャスの代理として決闘に参加しても問題は無いはずだ。
「負ければ僕らの命が掛かっている大事な戦い。いまからでも遅くはありません。代理の者を変更するように進言するべきではありませんか」
小心者らしいホセインの言葉にジャマルはため息を吐いた。
従兄のそんな反応に戸惑うホセインに対してジャマルは鋭く切り込む。
「だから貴様は阿呆なのだ。いいか、ホセイン。貴様の言葉は正しくもつまらない」
「つまっ!? ……貴方こそ、御自分の命が掛かっていることをお忘れではありませんか」
「確かにそうだ。これは俺の命も、そして貴様の命もかかっている。だがな、我らの命は、とうの昔に潰えてもおかしくは無かったのだぞ。俺は貴様の父、ワシャフ伯父の反乱の時。貴様は、ダリーシャスの首都奪還時。どちらも首と胴が別れを告げてもおかしくない状況だ。いま生きているのは、運が良かっただけだ」
「それは……そうかもしれませんが」
「ならば、この命、最初から無い物と考えて愉しめばいいのだ。人生とは愉しむ事。勝つも一興、負けるも一興。そのような気構えでいなければ、心労で潰れてしまうぞ」
王族として、国の財政を預かるグセイノフ家の人間でありながら博徒のような言を口にしたジャマルにホセインは唖然としてしまう。どれだけ豪胆な心臓を持っているのだと、逆に恐ろしく思う。
すると、そんなジャマルがダリーシャスの向こう側に位置するアフサル陣営を眺めつつ、つまらなそうに呟いた。本来なら、そこに居るべきもう一人の従兄について思いを馳せた。
「生真面目に生きていると、あいつのように自ら死を選ぶことになってしまう。自分で死を選ぶことほど、つまらない事はないぞ、あの馬鹿垂れが」
「ねえ、ラシード君。アフサル王子の傍に居るのって、アフサル王子に票を投じた王族なんだよね。だったら、一人足りないような気がするんだけど」
貴賓席から少し離れた場所にて着席しているレティが、上を振り返りつつ隣に座るラシードへと尋ねた。
本来ならナキ家の人間としてダリーシャスの傍に居なければならないラシードだが、いまは《ミクリヤ》や《神聖騎士団》の面々と行動を共にしていた。
ダリーシャスが気を利かせたのだ。
敬愛する兄と袂を別つ覚悟を抱いたとはいえ、彼はまだ十歳の子供。すぐ傍に居る兄の存在に苦しまないようにとの気遣いだった。
とはいえ主であるダリーシャスの傍を離れているのは彼なりに気落ちする出来事だったらしく、沈んだ面持ちで伏せていた。レティの問いかけに遅れて反応して、彼は振り返った。そして、アフサルの陣営で足りない人物の顔に直ぐ思い至った。
「ルドラ王子ですね。あの方は……その。お亡くなりになられました」
「「「ええっ!?」」」
王族の死。
その事実に驚くリザやローランたち。彼らの脳裏を過ったのはアフサルの母親だったマストゥーレの死だ。アフサルの真実を打ち明けるために王宮に足を運んだ母親を、アフサルは容赦なく殺した。
もしや、またしても暗殺を実行したのかと驚く彼らに、暗殺を生業とするヌギド族のクトゥスが説明をする。
「自殺だ。朝方、王宮で焼死体が発見された。損傷が激しく身元は分からなかったが、焼け残った所持品や歯の治療痕、そして目撃者の供述からルドラ王子の自殺だと判明した。おそらく、娘の死を知り、世を儚んでの行為だろうな。……自らに票を投じた従兄弟が死んだというのに、あの不遜な態度とはな」
「……王家の問題で人が死んでいくのは仕方ない事だけど、それを涼しげな顔で受け止めるような人間は、王様になっちゃいけないわよ」
自らも『魔王』を祖父にもつシアラが訳知り顔で言うと、リザもマクスウェルも頷いた。もっとも、そのためには神前決闘でレイが勝たなくてはいけないのだ。
「ローラン。そろそろ戦いが始まるのじゃが、いい加減説明をせんか」
マクスウェルの言葉に全員の視線がローランへと向く。平時は締まりのない笑みを浮かべている青年だが、今日に限っては厳めしい、引き締まった表情をしていた。
普段なら穏やかな空気を漂わせているのに、まるでこれから戦場へと赴くかのような強烈な闘気を放っており、それに慣れているはずの《神聖騎士団》の面々ですら、気が高ぶっていた。
「説明って何の事だよ」
「レイ君の勝機についてだ。あの時は傍に戦う相手が居り、王宮内ではどこにどんな仕掛けがあるのか分からないから尋ねられんかった。しかし、今なら違う。ここに余計な目や耳はおらんだろ。ならば、問う。お主は何を持って彼に勝機があると断言したのだ」
「……口を挟むようで申し訳ありませんが、私たちもそれを知りたいです。是非、お聞かせください、ローラン様」
マクスウェルの意見に同調したのはリザだ。《ミクリヤ》のメンバーである彼女たちはレイが持つ《トライ&エラー》の事を知っている。
レイがそれを多用して、どうにか勝利を見出そうとしているも理解できる。だが、それを知らないはずのローランが、何故勝ち目があると口にしたのか。それだけは分からなかった。
何より、レイ自身、ローランが口にした勝機の正体に心当たりがありそうな素振りをみせていた。後から尋ねても、レイは言葉を濁すだけで何も説明しなかった。誰かの盗み聞きを恐れてなのか、あるいは言語化できないほどの微々たる予兆なのか。それは本人しか分からない。
あと少しで始まる決闘を前にして、レイを心配に思う者達は平静を保てずにいた。祭儀場に武器や防具を持ち込めなかったローランが困った風に頭を掻いた。
「そんなに知りたいかい。どうやら、話さないと収まりが付かないようだね。なら、少しだけ」
「なんだ、お主。ここまで来て、まだ引っ張るつもりか」
「確信に到っていない可能性だからだよ。多分、戦いが始まれば僕の考えが間違っているかどうかが判明する。それまでは秘密にさせてもらうよ。ただ、今の時点で言える事は一つだけある。それは、アイツを相手にする限り、僕では勝てない」
「……何だと。それはどういう意味なんだ」
「言葉の通りだよ。アイツは、一対一で戦う限り、僕でも、エリザベートちゃんでも、誰も勝てない。ただ一人、レイ君ならあるいは勝てるかもしれない」
最強の冒険者の言葉に全員が驚く。特に共に行動して、死線を幾つも潜り抜けてきた《神聖騎士団》の冒険者たちは信じられないとばかりに首を振った。
「ちょっと待て。それは何か? ガヴァ―ナの港を離れる際に、お主は帝国の将軍と剣を交えたが、もしや」
「うん。あのまま戦っていれば、確実に僕は負けていた。レイ君が助けに来なければ、あそこで死んでいたか、あるいは不毛な消耗戦を延々と続けていただろうね」
もっとも、これも仮定の話に過ぎないと締めくくるローラン。まるで奥歯に物が挟まったような言い方にリザは不満を隠さない。それだけレイを心配しているのだろう。すると、話の難しさから祭儀場を見ていたエトネが声を上げた。
「あ、みんな見て。おにいちゃんがでてきたよ」
リザ達のみならず、ダリーシャスやアフサル、王族や十四氏族の族長、そして集まった民衆たちの視線を浴びながら戦士が二人、舞台に姿を現した。
読んで下さって、ありがとうございます。




