1-4 不思議な姉妹
※7/23 空行と一部訂正。
左腰に差した剣を鞘から抜き、両手で握りしめる。
刃の長さは1メートル程。重さは2キログラムもない。これはゲームで見覚えがある。確かバスタードソードと呼ばれる種類だ。刃が両側に存在し、両手で握れるぐらいの長さに柄が伸び十字の形を作っている。もっとも、ゲームのよりも剣の幅は広く、何より鋭い。
軽く横に振る。
重い。
日本で振ったこともないそれは、頼りない軌跡を描き、支えきれずに大地を刺す。力を込めて引き抜こうとすると、ひっくり返ってしまう。
この筋力だと満足に振ることもできない。何度か振り回したが体は剣の重みに耐えきれず、ヨタヨタと無様な姿をさらす。このままだと、振った時の勢いで自分の体を切ってしまう恐れもある。
(これは厳しいな。スライムぐらいなら振り下ろしで倒せるかもしれないが、複数で現れたり、素早い生き物が現れたら太刀打ちできない)
やはり方針としては、モンスターと極力遭遇しないでこの森を抜けようと決めた。
剣を鞘に仕舞い、もう一度死体に手を合わせてその場を離れた。
30分も歩けば、景色も変わるかと期待していたが、進めど進めど森の中。
時折周りを警戒し立ち止まっては息を潜めている分、大して進んでいないように思えた。そう思うと、余計に疲労がたまり、鉛のような手足に鞭を打ち歩くが、いまだに森に終わりは見えない。
頭がぼうっとし、視界が歪み始める。水分が欲しい。指先もしびれてきた。
せめて死体の傍にあった荷物ぐらいは持ってくるべきだったと後悔する。
(さすがにあれ以上死体漁りをしようとは思えなかったけど……まあ、今更後悔しても遅いか)
一度休憩を取ることにした。
適当な木の根に腰を下ろし、座りながら頭の中で描いた地図を開く。
自分の中ではスタート地点をAの方角にまっすぐ進んだキャンプ地をさらにまっすぐ進んだ、と仮定する。
もしその通りに進んでいたなら、BとCの警戒範囲の間を進み、安全な場所に居るはずだ。間違って、BとCのどちらかの警戒範囲に居たとしたら、すでに遭遇するか、あるいはこれから遭遇するかもしれない。その時は覚悟を決めるしかない。
一番厄介なのはまだ見ぬモンスターを含めたDの群れなんぞがこのあたりに居るとしたら。
そこまで考えて、僕は全身の疲労が体に重く圧し掛かって、動けなくなっているのに気付く。
頭も働かない。両足に力が入らない。
(……まいった。危険だけど……少しここで……休もう)
僕はそこまで考えて、がくりと眠ってしまった。
もう一つの、一番起こりうる可能性に気づかずに。
耳元で、がさりと音がした。
全身が音に反応して身構えながらも、起き上がるのだけは回避できた。
首だけで音の方向を覗く。
そちらを見て、この可能性に気づかなかった自分が情けなかった。
スライムが4体。群れを為して僕の後ろを通り過ぎようとしていた。
グループAだ。
あのスタート地点はおそらくこの森に複数存在するモンスターたちの境界線なのかもしれない。だからどの方向に逃げても一定の時間移動したら何らかのモンスターの群れと遭遇したわけだ。
ならあの場所まで来た偵察部隊が引き返さないとなぜ思わなかった。
(本当に間抜けだ、僕は!)
自分に激しい怒りを覚える。
こんな所で休憩せずに、一歩でも遠くに逃げるべきだった。
幸いスライム達は僕に気づかない様子だ。しかし、ここで黙ってやり過ごすのも危険だ。なにせスライム達の進む先は、これから進もうとした方向だ。
今更進路を変えればそれだけ他の群れに遭遇する確率は高い。かといってあいつ等の後を追いかけるのは、まして戦うのは暗い森では避けたい。剣を振るスペースも取れない。
とっさに足元に落ちている木の枝を掴み、スライムの向こう側に投げつけた。
狙い通り枝は茂みを揺らし、何かが潜む音を偽装する。
スライムの群れは音に反応し、じりじりと茂みに近づく。
いまなら行ける。
木の根を蹴り飛ばし走った。
後ろからスライムの鳴き声と茂みを揺らす音がするが振り返る余裕は無い。
全身の筋肉を動かす。心臓は無茶な行動に合わせて血液を循環させ、肺は酸素を欲した。全身が悲鳴を上げているようだ。しかし、立ち止まるわけにはいかない。
ここで死んだら、はたしてどこからやり直しになるだろうか。剣を手に入れ休憩をした後になるのか、それともやはりスタート地点からやり直しになるのか。確かめたい欲求もあった。何より死んで楽になりたいという欲があった。だが、それを実行に移す勇気は僕になかった。
とにかく苦しいと悲鳴を上げる体を意志で捻じ伏せる。
無心で足を回し、走る。走る。走る。
そして走った。
森を抜けるまで走り切った。
小高い丘からなだらかな曲線を描く草原を見下ろす。所々に点在する民家や牧場らしき建造物。そして、僕の目を掴んで離さないのは一際高い城壁に囲まれた建造物の群れ。城壁に囲まれた街があった。
「街……だ。……見えた」
青い月と星々の輝きであたかも輝いているように見える。思わずこぼれた涙を拭いさり、丘を降りようとして、音を聞いた。
うしろを振り返れば、そこにはスライムが森から出て、僕を襲おうとじりじりと輪を広げていた。
「しつこいな、お前らは!!」
叫びながら、剣を抜く。先程までの疲労は嘘のように消え、活力が全身に満ちるのがわかる。
スライムもまた、鳴き声を甲高くして応じた。
「先手必勝!!」
僕は両手を振り下ろし、スライムを狙った。一番端に居たスライムを縦に両断する。すんなりと刃を受けたスライムは一瞬動きを止めたと思うと、中身を大地にぶちまけた。緑色の吐瀉物のようなものが一面に広がり、その中に白い石を落して死んだ。
まず1体。
振り下ろした剣を持ち上げながら、次のスライムを狙おうとして、横からスライムが体当たりをするのを視界の端で捉えた。
咄嗟に持ち上げた剣を盾のように構え、スライムを受け止める。剣に突撃したスライムは柔軟な体から想像もつかない固さで剣にぶつかる。しかし剣を折るほどの衝撃ではなく足元に落ちた。すかさずスライムを真上から突き刺す。同じように体を包む膜のような物が剥がれ、中身が零れた。
やっと2体目。新記録だ。
たしかな手応えと、達成感を感じながら地面に刺さった剣を抜く。残り二体になったスライム達に剣先を向ける。
「さて、どうする?」
人語を介さないモンスターは、しかし、何か思う所があるのか鳴き声を上げる。
やはりやる気か。
両手に力を籠めて剣を握りしめる。構えは知らない。とにかく敵がどう動いても対応できるように中段で構えておく。気を付けるのは1体を倒した直後にもう1体が飛びかかってくる事だ。
さきほどは幸運だったと思え。
自分に言い聞かせながら覚悟した僕は、どちらを倒そうと考えて、しかし動きを止めた。
森が鳴いたのだ。
甲高い声の合唱が森から吐き出される。なにかが森を掻き分ける音も聞こえる。
(しまった! 残りのグループも向かってきている)
気づいた時には遅かった。森から複数の影が飛び出し、月光に照らされる。BとCの群れ。合わせて11体。今この場に13体のスライムが揃った。
これは逃げるしかない。
そう判断して、僕は一歩後ろに下がり、異変に気付いた。揃ったスライムは僕を無視して一か所に集合しだした。
ぐちゃり、と不快な音が響く。
集まったスライムが互いの体を溶かしながら、ぐちゃぐちゃと耳を塞ぎたくなる音を響かせて、1つの塊に変化していく。
「おいおい。……まさか融合しているのか!? そんなのありかよ」
驚く僕をよそに、その生物は見る見る体積を増やし、森に居たクマをも越える巨体を手にしていた。
「ギュィィイイイ!!」
全身を戦慄かせて鳴く巨大スライムは体の一部を変形させた。ごぼごぼと泡立つと、2本の触手を生やしたのだ。その姿は指のない腕といったところだ。
その腕が振るわれた。後ろに飛ぶと、頭を砕こうとした左腕が地面に大きな音を立ててぶつかる。
地面は砕け、蜘蛛の巣のような亀裂を走らせる。その威力を目の当たりにし、顔が青ざめつつ、丘を転げ落ちる。
どうにか尻餅をつきつつも立ち上がり、巨大スライムの方を向いた。しかし、丘の向こうに消えた敵の姿はここからでは見えない。今なら、逃げられる。そう考えて、一目散に後方へと逃亡した。
結果的には正解だった。
2度目の轟音と共に巨体が僕の居た場所に着地したから、正しい判断だったと言える。
おそらく巨大スライムは2本の腕を叩きつけた反動で飛び上がったのだろう。もう互いに射程範囲内。手を伸ばせば触れるほどすぐ近くにまで来た。
(今なら剣が届く)
咄嗟に、僕はバスタードソードを思い切り横に振った。小さなスライムを狙うのではなく、巨大な的を狙うのだ。とにかく力一杯に、叩きつけるように振るった。
しかし、振るわれた剣はスライムの柔らかな体を切るどころか、刃を押し返した。反動でみっともないコマのように逆に回る僕を触手が襲う。腹に一撃をくらった僕の体は吹き飛ばされ、大地に投げ出された。
息をすべて吐き出させる衝撃。喉から血が吐き出る。視界が点滅する。一撃で死ななかったのが幸運だった。
乱れた呼吸は戻らず、力は入らない。しかし、目の前のモンスターは追撃を止めはしない。
再び触手を伸ばすと、僕に向かって振り下ろす。
(ああ、また……死ぬのか。今度もまたスタート地点からなのかな)
死への恐怖は無かった。死んでもやり直せるという傲慢が僕を戦闘へと駆り立てた。どう考えても巨大スライムの時点で逃げの一手しか残っていないのに。むしろよくここまで粘ったと自分を誇らしく思ってしまう。
受け入れてしまった僕はせめて、痛みを感じないようにと祈った。
……しかし何も起きない。
どこか遠くで大きなものが落ちた音がした。
「大丈夫ですか」
細くて綺麗な響きを持った声が耳を震わす。
まさかと思いつつ、うっすらと目を開けると、そこには女神が立っていた。無論、クロノスでは無い。人間の少女だった。
流れるような金髪は青の月明かりを受けて輝いて見え、手には飾り気のない細い片手剣を握りしめた少女が巨大スライムとの間に立っていた。
晴れ渡った青空を思わせる青の瞳は此方を心配そうに見つめ、それでも体は半身でモンスターを警戒している。
「大丈夫ですか」
小さな口から、再び声が漏れた。ようやく我にかえる。
「逃げて……僕はなんとかなるから逃げて!!」
死亡してもスタート地点からやり直せる僕と違い、目の前の、軽装で、肌も幾らか露出した、とても戦士のようには見えない少女は違う。あたりまえに死ねばそれっきりだ。
体のラインを隠さない、薄手のインナーのようなものと最低限の防具しか着けていない。触手の一撃で砕け散りそうなほど細い。
死んで、元に戻れると考えていた卑怯者が彼女に助けてもらう資格なんてない。
「いいから……逃げろ!!」
あらんかぎりの力を籠めて叫ぶ。
しかし、彼女は薄く微笑む。
「大丈夫です」
優しい声色で返すと彼女は何の気負いもなく、巨大スライムと正対する。
見るとスライムに変化があった。2本あった触手が1本しかない。なにより巨大スライムは明らかに怯えたようにズリズリと距離を取ろうとしている。彼女に怯えているようだ。
スライムは覚悟したかのように全身を戦慄かせると3本の触手を体から吐き出し、都合4本の触手が狂ったように振りまわされる。
「《この身は一陣の風と為る》!」
彼女はその暴風雨を恐れずに、何かを呟いたと思うと真っ直ぐ突き進む。その初動は僕の動体視力では追いきれなかった。1本1本が木の幹と同じくらいの太い触手を難なくかわしていく。それだけじゃない。手にした片手剣を振るったかと思うと、触手を切り裂いた。
「すごい」
思わず驚きが口から出る。
ものの1分もしないうちに4本の触手を失ったスライムは最後の抵抗と言わんばかりに、体を広げると彼女を飲み込もうとする。
「……遅い」
津波のように襲い掛かったスライムに対して剣士は一歩後ろに飛ぶことで回避し、細い剣に手を触れる。
「《超短文・低級・形状変化》」
指先から光が放たれたと思うと異変が起きた。彼女の手にした剣が形状を変えたのだ。レイピアのような形から片刃の巨大な剣へと変化した。彼女の体型と不釣合いな大剣を横に薙いだ時、決着はついた。巨大スライムは体を両断され、大地へと帰っていた。
草原に静寂が齎された。
さっきまで猛威を振るっていた巨大スライムは幻のように消えた。
剣を元の形に戻した少女は何でも無かったように剣についた汚れを拭い去る。息を乱すどころ汗をかいているようには見えない。
呆然と座り込んでいた僕は近づいてくる人影に気づかなかった。
「もー、お姉ちゃん。ご主人様がよんでるよー、ってどういう状況?」
鈴のようなキラキラした声が耳元で弾けたようだった。金髪の剣士に何処となく似通った幾らか幼い少女がどこからか走ってきた。剣士と違いぼろを纏っているのが気になった。
キョロキョロと不思議そうに周りを見渡し、草原に残った痕跡や白い石を見て、僕を最後に見つめる。
「レティ。その人に回復を」
「はーい。お兄さん。ちょっと動かないでね《超短文・初級・回復》」
近づく栗毛の少女は、懐から小さめの杖を取り出し僕に向ける。杖から放たれた光が僕に触れた途端、全身から痛みが消えていくのがわかる。その小さな手の甲に不思議な印が飛び込んできた。まるで焼印のように少女の肌にくっきりと存在している。
金髪剣士と何処となく似た顔立ちだが、彼女と違うエメラルドグリーンの瞳は僕の全身をくまなく見る。
「うん、どこも異常無し! それにしてもおかしな格好してるね。どっから来たの?」
「……これ」
少女の質問を遮り、剣士は僕に大き目の石を差し出す、思わず手を伸ばして受け取ってしまう。薄い白い石に見覚えがある。スライムを倒した時に落としていた物だ。これはスライム達のよりも大きい。
「その剣、冒険者様ですよね。ごめんなさい、獲物を横取りして。これ、貴方のです」
「…あ、いえ。僕の方こそ助けてくれてありがとう」
なんとか声を絞り出す。
「それにあいつを倒したのは君だ。だから僕がこれを受け取るわけにはいかない」
「私が持っていてもしょうがないのです。それにネーデの街に向かうのでしょう?」
押し返そうとする僕を遮り彼女は目線を向うの街を指す。
「あそこならギルドもあります。換金ができます」
「なら、なおさら僕が受け取るわけにはいかな」
「それに、お願いがあります」
僕の発言を遮るように彼女は言う。
「街の人たちに私達が此処にいる事を知らせたくはないのです。いいですか?」
真剣な声色で言われ、咄嗟に頷いてしまう。
「命の恩人の願いなら、必ず」
「私の事なんか忘れてください。もう二度と会うこともないと思います。主人が呼んでいるようなのでこれで」
「じゃーねー。ばいばーい!!」
少女の声が綺麗に高く響かせながら、二人は連れ立って丘の向こうへと消えていった。
ただただ僕は見送った。
しばらくして、ようやく立ち上がる。手には片手に余る程の白い石を握りしめて彼女たちが消えていった方を眺めていた。
「……主人ってことは人妻なのだろうか。15歳くらいに見えたのに」
唐突に思ったことを口走り、気づく。
「せめて名前ぐらいは聞いとくべきだった」
ため息を吐きながら、もう一度周りを見渡す。誰も居ない草原を風が撫でる。先程までの戦闘が嘘のようにしか思えなかった。
どうにか生きて森を抜けられた僕はネーデの街に向けて走り出した。