6-61 逃げ出す者と抗う者
「ふぅ。随分と綱渡りでしたが、どうにか切り抜ける事が出来ましたね」
ジェロニモがベンチに体を投げ出して、首などに浮かんだ汗を拭っていた。レイ達は会議室から場所を移して、人気の少ない廊下に集まっていた。メンバーはレイ、リザ、シアラ、従者、ダリーシャス、オルタナ、そしてジェロニモの六人だ。
あの後。裁判は女帝の名が出た事で風向きが一気に変わった。議長の老人を始めとした強硬派が意見を翻して強制的に終わらせると、議題は次の内容に移り、レイ達は用済みとばかりに追い出されてしまった。
遠くの方から、喧々諤々の議論が壁をも突き破って廊下に反響して聞こえてくる。
「助かりました、ジェロニモさん」
「いえいえ。私なんて。シアラさんを助けたのは、王子と、そしてウージアの女帝の力ですよ」
レイ達から少し離れた所で彫像のように動かずに待機している男装の麗人は、興味がないのか話に加わろうとはしない。
彼女を放って、それぞれが別れてから何が起きたのか情報のすり合わせを始めた。口火を切ったのはジェロニモの隣に座るダリーシャスだった。
「俺があの二人と共に軍船に送られたあと、朝方になってフェスティオ商会の遣いがやって来たんだ。至急、来てほしいとな。それであの二人を軍船に置いて、俺がここに来たら裁判が始まろうとしていた」
「私がオルタナさんから連絡を頂いた時には生き残りの評議会のお歴々は、彼女の処刑を前提に話を進めようとしていました。それに異を唱え裁判を拓くように掛けあいつつ、彼女を助けるために王子に来てもらったんです」
「重ね重ね、本当にありがとうございます」
レイは二人に頭を下げる。リザも、そしてシアラも感謝の言葉と共に頭を下げた。しかし、レイには別に気になったことがある。
「でも、どうして助けて下さったんですか。ダリーシャスはともかくとしても、ジェロニモさん。あの評議会の人たちは権力を持った人たちなんですよね」
「ええ。席に着いていた方々は皆さん、力ある商会を率いています。特に、レイさんと言葉を交わしていた老人は、評議会の頂点の一人。この街の一番のお偉いさんですよ」
「そんな人に逆らってまで、どうしてシアラを助けようとしてくれたんですか。失礼ですが、今回の事で貴方の立場は」
「悪くなったでしょうね。確実に」
ジェロニモは何でもない風に言うが、商人としての損失は大きいはずだ。客観的に見て、レイ達に彼の損失を取り返せるだけの価値があるとは思えなかった。
だが、ジェロニモは頬を緩めると、
「レイさん。私は商人です。時には損を覚悟で、これぞと見込んだ人や物に投資をするのですよ。投資したからと言って、確実に値が上がるとは限りません。むしろ、大損する時もあります。ですが、私は商人として、貴方達に期待しているんですよ」
「僕らに期待、ですか」
「はい。レイさんはオルド殿のような大手クランとして、多くの団員を受け入れ、世界各地に派遣して迷宮から稼いでくれそうな人ではありませんが、金銭に代えがたい何か大きなことをしてくれそうな匂いがします。私は、それに投資しているのですよ」
だからね、とジェロニモは続けた。
「期待していますよ、レイさん。君なら、きっとこの異常事態を治めてくれますよね」
何の根拠もない、ただの勘だ。しかし、ジェロニモは自分の勘を疑っていない。ダリーシャスが爪先でほうけているレイを小突いた。
「答えてやれ、レイ。期待されているんだから」
促されたレイは一度呼吸を整えると、
「頑張ります。どんなことがあっても、レティとエトネを、いえ、他の感染者も元に戻して、エレオノールを倒します」
と、告げた。ジェロニモは優しげな微笑みで期待していますよと返した。
「それじゃ、アクアウルプスの現状の確認からいきましょうか」
一転して、今度はシアラが話を仕切り出したが、誰も文句は言わない。彼女はちらりと時計を見上げ、いまが九時前だと確認した。
「あと一五時間ぐらいで二人を含めた、《アニマ・フォール》感染者は元に戻れなくなるわ」
レイのステータス画面でも、同じ事が記されている。刻々と減っていく残り時間は止まらない。
「どれぐらいの人数が感染したんだ?」
「正確な数は分かりませんが、一万弱の生存者が、外層部に複数設けられた避難所に集まっています。この数は街の人口からすれば二割です」
ジェロニモが横から口を挟んだ。彼の言う通りなら《アニマ・フォール》に感染したのは四万にも上る事になる。だけど、それならおかしな点がある。
「ちょっと待ってほしい。僕らはここに来るまで感染者の姿を一人も見ていない。一体どこにそれだけの数が隠れているんだ」
「隠れているっていうのは間違っていないわ。主様の言う通り、感染者は隠れているわ。街の至る所にね。あいつら、光に弱いのよ」
新しい弱点の発見にレイとリザはシアラの話に喰いついた。
彼女の話を纏めると、真夜中から朝日が昇るまでの数時間は、レイも知っている行動を感染者はとっていた。人を襲うか、ぼーっと立っているか、あるいは動かないで横になっているか。
それが東の水平線が明るくなり、暗い空を追い出し始めた頃、様子が一変した。動ける感染者が一斉に建物の中へと逃げ込んだのだ。
建物に逃げ込んだ感染者は暗い室内へと駆け込み、降り重ねるように倒れて動かなくなった。
逃げ遅れた感染者は道端で蹲る。元から動けなかった感染者共々、その皮膚が石のように硬質化し固まってしまったのだ。
アクアウルプス全域の感染者が同じ行動をとったのだ。
いま、街で動いている感染者は一人も居ない。
「もっとも、室内に逃げ込んだ感染者は石のように固くなった感染者と違い、血走った瞳や牙といった特徴がそのまま残っているわ。もしかしたら、夜になれば動き出すかもしれない」
「一応、道端に落ちていたりした感染者は感染者の隔離施設に四肢を拘束された状態で運ばれたな。まあ、隔離施設とはいえ、単に窓や出入り口を鉄板で補強しただけの箱だがな」
「それじゃ、レティ達は」
心配そうな顔を浮かべるリザにダリーシャスが答えた。
「案ずるな。あの二人は軍船の船室で他の感染者同様に静かにしている。光を浴びておらんから、石のように固くもなっていない」
その答えにリザはとりあえずホッとした。代わりにレイが別の質問を投げかけた。
「それで、評議会は、あそこの老人たちはこの騒動をどうやって収拾するつもりなんだ。感染者たちの治療法は探せているのか。そもそも、シアラ。君が持っていたはずの研究資料と飴はいまどこにあるんだ」
「落ち着いて主様。順に答えるわよ。まず、研究資料はここに。飴はオルタナに渡したわ」
シアラは丸めた資料を服の内側から取り出した。どうやら評議会に取り上げられるのを防いでいたようだ。
「裁判が始まる前に、一通り目を通したけど、この資料には《アニマ》の事は書いてあっても、《アニマ・フォール》については一言も無いわ。それに、《アニマ》自体の解除方法も此処には記されていないの。とりあえず、幾つか重要な部分に折り目をつけたからざっと目を通してくれる」
シアラに促されて、レイは初代『魔導師』が生み出した《アニマ》という呪文の目的と効果を頭に叩き込んだ。
彼が目指した魂の変質とは、一言で言うなら魂の減量だ。
人の魂から無駄な部分を省き、最低限の要素のみで人の魂を保ち、来るべき《正体不明》の出現までに魂の総量を減らせないかという試みだ。だけど、魂は複雑な要素が絡み合ったブラックボックス。それも一人一人が違った造形をしており、それらを一緒くたに扱い、画一的に減量させるのは不可能と判断しこの魔法の完成を断念したと締めくくられていた。
「ちょっと待ってくれ。それじゃ、この魔法は」
「未完成って事になるわ。それでも理論は残されていたから、エレオノールはそれを引き継いだのでしょうね」
元になる魔法が未完成だからこそ、この資料を奪われてもエレオノールにとって全く不利では無かったのだ。
「飴の方は生き残りの魔法使いたちを総動員して調べて貰っている最中だ。ただ、術式の分析に手こずっていて、飴から治療方法を手に入れるのは難しいかもしれんそうだ」
今回の騒動において、意外な事に魔法使いの多くは生き残れたそうだ。原因は、彼らが有事の際に必要な防衛を工房に仕込んでいたためで、シェルターに引きこもって第一波を生き延びたらしい。
「その代り、感染者を直接調べている奴らから《アニマ・フォール》について興味深い報告を貰った」
壁に寄りかかったまま話を始めたオルタナに全員の視線が集まった。帽子を深くかぶる事で視線を遮りながら、手元に開いた羊皮紙の束から情報を抜粋して話す。
「この魔法、《アニマ・フォール》は人の魂そのものを全くの別の存在へと変化させようとしている」
「魂を変化。それはいったい何に」
「さあな。それこそ……精霊や、古代種のような超常の存在か。あるいはモンスターか。ともかく、人としての魂では無くなる。そして、魂が人でなくなる以上、肉体も人でない何かに変質するだろう。いま起きている異常な回復、いや修復力は魂が別の存在へと変化していくのを肉体が防ごうとする防衛本能じゃないかと推測している」
「それじゃ、魂の変質が終わったら」
「魂に引きずられて、肉体もその魂に合った性質に変化するだろうな。逆に言えば、いまならどうにかできるはずだ」
慰めのように付け足したオルタナは帽子の鍔を押し上げ、ジェロニモに視線を送った。ジェロニモはその視線に気が付き、困った風に口を開いた。
「評議会は……今回の騒動を自分たちの手で収拾するのを……諦めました」
「え……ええ!?」
レイの驚いた声が人気の少ない廊下に響く。ジェロニモは済まなそうに、
「物的被害はともかくとしても、人的被害の大きさから、これ以上の被害を避けるべく、都市からの脱出計画を打ち出しました。昼頃には、動かせる船舶を使い、避難作業が開始されます」
廊下の先から聞こえてくる喧噪に向けて、
「いまやっているのは、その割り振りでしょうね。限りある船に全ての生存者を乗せるのだって厳しいというのに、自分の商会の物資や人員、商売品を多く積もうとするための言い争いが続いているんですよ」
「撤退って。それじゃ、この街は、感染者たちはどうなってしまうんですか」
ジェロニモは表情に悔しさを滲ませながら首を横に振った。それだけで意味が通じてしまう。
彼らは諦めたのだ、と。
「魔水晶を通して近隣の国々に報告が行き渡っているはずです。おそらく、彼らに丸投げするのでしょう。……ある意味、これも商人らしい判断です。これ以上儲けが出ない商品に対して見切りをつけ、倒産を免れようと画策するところなんて特に」
自虐的な言葉にレイは相槌も打てなかった。代わりにリザが質問を発した。
「それでは、冒険者の方々はどのようにされているんでしょうか。スタンピードの時と同様に、ギルドが率先して動いているのですか」
「それがどうも違うみたいなのよ。スタンピードの時は、高い指導力のあった高位の冒険者が居たからこそ、纏まったのよ。でも、今回は違うわ」
シアラが淡々と告げる。
「高位の冒険者ほど、感染者を如何にかしようと率先して動き、噛まれていったの。いま、残っている冒険者はE級以下の冒険者ばかりで、彼らは商人の護衛として街を抜け出す船に潜りこもうと躍起になっているわ。商人とかも少しでも航海が安全になるように目ぼしい冒険者を探していたわ」
「つまり、真剣に感染者を助けようとしているのは、ここに居る人たちだけなのか」
信じられないとばかりに尋ねたレイに対して、街に残っていた四人は気まずそうに黙ってしまう。その沈黙こそ、答えだった。
レイは頭を掻きながら、作戦を練る。
「……とにかく、エレオノールを探して《アニマ・フォール》の治療方法を聞きだすのが現状、僕らに打てる唯一の手だ。彼女の行き先に関する情報は、何かある」
シアラとオルタナが首を横に振った。
「少なくとも、黒いドレス姿の少女は誰からも聞いていねえ。そんなけったいな姿した奴なら、確実に誰かの噂になっていてもおかしくは無いだろうに」
「だとしたら、隠れているのかな。……それじゃ、鐘の方は何か情報はある」
真夜中のアクアウルプスに鳴り響いた、美しくも不気味な音色は、この場に居る全員が聞いていた。しかし、
「夜の内は近づけなかったし、朝になったら拘束されていたから、何も調べられなかったわ」
「俺も似たようなもんだ。姫さんが捕まってからは若旦那の指示に従って動いてたんでな」
「そうなのか。……うん、じゃあまずは鐘の方を調べよう。もしかしたら、何か分かるかもしれない」
レイの言葉にリザとシアラ、そしてオルタナとダリーシャスまで頷いた。レイは瞬きを繰り返して、デゼルト国の王子に尋ねた。
「まさかとは思うけど、来る気なのだろうか、ダリーシャス」
「まさかとは思うが、俺を置いていくつもりじゃなかろうな」
今更の話ではあるが、ダリーシャスは王子だ。《ミクリヤ》にとっては護衛対象でもあり依頼人だ。彼をデゼルト国の首都まで連れていくのが目的で旅をしている。
そんな重要人物を連れ回して、エレオノールを探すのは危険だとレイは説得しようとするも、ダリーシャスが先に口を開いた。
「日没まで。日没までは手伝わせてくれ。それと、あからさまに危険そうな場所には近寄らないようにするし、其方の指示にも従うつもりだ」
だから、頼む、と。ダリーシャスは言う。
この状況下で猫の手も借りたいのは事実だ。レイはしぶしぶ、
「日没までですよ。日が西の水平線に触れたら、即座に軍船に戻ってもらいますから、そのつもりで。……それで、オルタナ。アンタはまだ手伝ってくれるのか」
「ああ、そのつもりだ」
「でも、アンタにはアンタの目的もあるんだろ」
オルタナはそうだなと頷きつつも、
「残念だが、俺のような貧乏魔法使いは船に乗せて貰えそうもない。流石に小舟で外洋に出る訳にもいかんしな。だから、この騒動を治めた方が最短で街を出るのだと合理的に判断しただけさ。これが終わったら、さっさと島に向かうつもりだ」
「そうか。……なら、よろしく頼みます。……正直、アンタの戦闘力は頼りにしているんです」
エレオノールの上級魔法はともかくとしても、下位の魔法はレイ達三人でも凌ぐことはできた。そこにオルタナという近接戦闘が得意な人が加われば、エレオノールを追い詰めるのも夢ではないはずだ。
だけど、彼はくすんだ金髪の下から興味深そうに男装の麗人を見つめて、
「俺なんかよりも、よっぽど役に立ちそうなのがいるじゃねえか。なあ、純血の魔人種さんよ」
と、直立不動を貫く従者に声を掛けた。男装の麗人は黒真珠のような瞳をちらりと向けた。
「この短期間に二人も魔人種と遭うとは思わなかったが……どういう経緯で知り合ったんだ、坊主は」
レイが答える前に、シアラが裾を引っ張り耳元で囁いた。
「……ねえ。あの純血、トトスの港に居た人よね。どうしてここに居るのよ。それに、あの人の主の、ウージアの女帝って」
「順をおって説明するよ。……彼女はさっきも言った通り、ウージアの女帝、ジョゼフィーヌ・ヴィーランドの―――」
「―――ジョゼフィーヌ・ヴィーランド様だ。間違えるな」
感情を排した瞳に、ギラリと刃のような輝きが宿りレイを射抜く。慌ててレイは言い直した。
「ジョゼフィーヌ・ヴィーランド様のお付きの方です。……エレオノールとの戦いの後、僕とリザはその人に拾われて、まあ……いろいろありまして、協力関係になりました。いま、この街にはガシャクラとその手下たちが入り込んでエレオノール探索に加わっています」
「いや、その色々の部分を説明しろよ」
オルタナの容赦ない声が飛ぶが、レイにしてみれば色々は色々としか説明できない。『七帝』だの『勇者』だの四大公爵だのと一から説明する訳にはいかない。
ところが、その含みのある言い方に納得したのか、
「そう、色々あったのね」「なるほど。色々ですか」
と、シアラとジェロニモは納得した。オルタナは呆れたが、これ以上は聞いても意味がないのかと諦めたが、ただ一人、納得していないのが居た。ダリーシャスだ。
彼は真剣な表情をレイに向けた。
「レイ。ウージアの女帝というと、ウージア。そして、オウリョウで其方を襲った者達の元締めだったはずだ。それでも手を組んだのか」
「……はい。正直、ガシャクラは許せないし、生かしておくには危険すぎます。でも、それよりもまず二人を助けたいからこそ、手を組みました」
「そうか。……目的のためには敵とも手を結んだのか」
納得したダリーシャスは引き下がった。レイは全員に向かって告げた。
「僕らの目標は二代目『魔導師』を名乗るエレオノール。彼女から《アニマ・フォール》の治療法を聞きだし、彼女を拘束します。みんな、協力してくれ」
その言葉に、全員が頷いた。
読んで下さって、ありがとうございます。




