6-59 不気味な静寂
「なんだぁ。期待外れの答えね……まあ、いいわ」
ジョゼフィーヌはつまんないとばかりに呟くと、背後に控えていたガシャクラへと振り向いた。
「ガシャクラ。私が渡せと命じた書状はまだ持っているかしら」
問いかけに、ガシャクラは胸元から書状を取り出し、
「ここにございます」
と、答えた。蝋で封がされた書状を一瞥すると、ジョゼフィーヌは続けて命じた。
「先の命令をもう一度実行しなさい。此度の変事における黒幕。エレオノールを名乗る女にその書状を渡す事。ただ、拠点を移していることもあるから、手勢全てを引き連れて上陸することを許可するわ」
畏まりました、と答えたガシャクラにジョゼフィーヌは付け足すように、
「それと。この都において、《ミクリヤ》とそれに連なる者に一切の手出しは厳禁とするわ。お前だけじゃなく、配下も含めてよ。全員に厳命するように」
「……畏まりました」
二度目の返事は若干遅れて、発せられた。内心では納得していないのは明らかだ。
「途中経過は私の従者にしなさい。指示も私が直接出さずに、あの子を経由するわ。あの子に従いなさい。分かったのなら、消えなさい」
三度目の返事は無かった。代わりに甲板からガシャクラの姿が消え、黒い影が船の中から姿を消した。
「坊やの望み通り、ガシャクラという不確定要素を排除してあげたわ」
従者が引いた椅子に座り直したジョゼフィーヌが色気のある笑みを浮かべて言う。男ならずとも惹かれてしまう微笑みを前にして、レイは背筋に寒い物を感じていた。
「気づかれていましたか」
「ふふふ。ガシャクラたちへの指示は、この子に言いなさい。この子は私の従者として、色々と便利な魔法を習得しているから、小間使いにはちょうどいいわよ」
影のように従っている従者がうっすらと頬を染めた。そんな彼女へ視線を送りながら、
「命ずるわ。坊やと共に行動し、彼の望む通りに動きなさい」
「畏まりました。……しかし、船の防衛はいかがいたしましょうか。私とガシャクラが居なくなると、ここは手薄になりますが」
「構わないわ。この状況下で、この船に喧嘩を売りに来るような大間抜けはいないでしょう。まあ、いたらいたで、お茶ぐらいは出してあげるわ」
愉快そうに唇を吊り上げるジョゼフィーヌに従者は何も言わなかった。代わりに、足元に置いてあった雑多な荷物を掴み、それをレイ達の前に差し出した。
それは龍刀を始めとした、レイとリザの装備一式だった。
「漂流時に身に付けていた一式だ。海水に浸かっていたため、こちらで手入れをさせてもらったが、問題ないな」
「とんでもありません。ありがとうございます」
礼を言い、装備品を受け取る。二人とも替えの服が無いため、借りた衣服の上に装備品を身に付けた。レイはともかくとして、リザは燕尾服の上に防具というなんとも変な格好となった。
「その服はあげるわ。エリザベートの服は元々、この子の戦闘用の服として作らせた物だから、ある程度の耐久性があるわよ」
「……ありがとうございます」
ジョゼフィーヌに対して、リザは躊躇いながらも礼を言う。まだ、思う所があるのか、視線は合わせない。それを察した女帝が口を開いた。
「お父様からの命令では、貴女たち姉妹を見つけたら、確保の後、本国に送り返すことになっているわ」
途端に、リザの顔色が変わり、半歩後ろに下がって身構えた。ジョゼフィーヌは動じることなく、
「焦らないの。……私としてはどうでもいい命令だと思っているから、確保どころか、本国に告げ口する気も無いわ。レティシアを治したら、好きにすればいいわ」
「それは……一体、どうして。どうして、見逃すのですか」
貴族とはまた別の、王族には王族としての責務がある。背負わなければならない業もあるはずなのに、ジョゼフィーヌはそれを全く気にした素振りをみせない。
家名を捨てたのに、貴族の業に縛られるリザとは正反対といえた。
「理由は二つあるわ。一つは、単にその方が面白そうだから」
妙齢の女性なのに子供のような屈託のない笑顔を浮かべるジョゼフィーヌにリザは困惑する。面白いという理由だけで、帝国の王、皇帝を自称する男の命令を突っぱねるのかと戦慄する。
「二つ目は……老人の妄執に付き合っているほど暇じゃないのよ、私も」
口汚く、実の父親に対して辛辣な事を言うジョゼフィーヌ。レイは不思議に思うが、すぐに彼女は口を開いてしまい、考える時間は無かった。
「さて、坊や。貴方が、この地獄のような状況をどうやってひっくり返すのか。ここから楽しみに見物させてもらうわ。……つまらない演劇なら、私が怒っちゃうわよ」
屈託のない、無邪気な笑みだが、彼女の口から出た邪悪さの塊にレイは再び背筋を震わす。
眠らない街ウージア。そこを一代で築き上げ、世界中に影響力と情報網を持つ女帝。
やはり、一筋縄でいかない相手だと思い知らされた。
真っ赤に染まった船の欄干からジョゼフィーヌが大きく手を振る。視線の先には一艘の小舟が海を掻き分け、都市の方へと向かっていく。
乗船しているのはレイとリザ。そして従者と船頭の四人だけだ。欄干にもたれかかるジョゼフィーヌを見上げて、レイは一度だけ手を振る。すると、ジョゼフィーヌは大きく手を振り返した。まるで子供のようなあどけなさだ。
かと思えば、リザの過去を爪で抉るような加虐的な面を持つ。何とも不思議な女性だ。
「あの人、どういう人なんですか」
小舟の上で、レイは従者に向かって尋ねた。燕尾服を着込んだ男装の麗人は短く切りそろえた黒髪を押さえつつ、
「どうも何も、ああいったお方です。天使のような清らかな面を持つ一方で、悪魔のような邪悪さを兼ね備え、それがくるくると気まぐれに回っているお方。そういう意味では、貴方は幸運と言えます」
「幸運って、どういう意味なんですか」
「今回のあの方は随分とお優しい面ばかりが出ていました。……正直、あの船でどちらかを嬲りものにした後で放逐するのかと思っていましたが、勘が外れましたね」
そんな可能性もあったのかと、レイは顔色を青くした。リザは話に加わらず、油断なく従者の方を見つめていた。
なにしろ、彼女は純血の魔人種だ。かつて、魔王フィーニスに率いられ人龍戦役、人魔戦役を戦い抜いた種族。その突出した強さ故に疎まれ、迫害され、国を焼かれたとも言われる存在。狭い小舟で彼女がその気になれば、負けるのはレイ達の方だ。リザは従者が不審な行動に出た瞬間、彼女を連れて海に飛び込むつもりでいた。
「どういう人という質問はむしろ貴方にしたいぐらいですね」
唐突な質問にレイは戸惑う。従者はそのまま、リザとレイを見比べながら、
「いくら私が主の命によって貴方の手伝いをする事になったとしても、それは一時的な関係。そもそも、気まぐれな主の事です。いまにも新しい命令を下すかもしれません。貴方を殺せと」
リザの顔に険が走る。だが、レイは曖昧に笑って、
「それはあり得そうで困りますね」
と、言うだけだった。従者はレイの態度を気に入ら無さそうに目を細めた。
「やはりおかしいですね。私は御覧の通り、純血の魔人種。貴方の奴隷のように警戒してしかるべき相手だというのに、貴方は全くといっていいほど警戒していない。それが不思議で仕方ありません」
探るような黒色の瞳を前にしてレイは困ってしまう。確かに、彼女の言う通りなのだ。純血の魔人種の強さは身に染みて理解している。種を超え魔人となったゲオルギウス。そして、魔王フィーニス。どちらも怪物と評されるに十分な実力を持っている。
おそらく、目の前の女性も、それ相応の力を持っているはずだ。レイも先程の僅か数秒足らずの交錯からそれを感じ取っていた。
だけど、どういう訳か、レイは彼女に敵意を持てなかった。
より正確には、彼女の黒髪黒目を見ていると、懐かしさと感謝の念が湧き上がり、どうしても敵意のような感情が生まれなかった。
その理由は分からない。
分からないため、無言を答えとして返すと、
「……まあ、良いでしょう。主の気が変わらない限り、私は貴方に協力することを誓います」
と、従者が頭を下げた。ふと、レイは気になる事を質問する。
「あの、従者さんの名前は何て言うんですか」
すると、頭を上げた従者が驚く内容を口にした。
「私には名はありません」
「え? そうなんですか」
驚くレイに対して、従者は誇らしげに、
「かつてはありましたが、あの方に拾われた折に捨てました。あの方に拾われた時、私の過去は一切が塵芥に帰り、二度目の生を得たのです。そして、あの方は、私をあの方のただ一人の従者として傍に仕える事を許してくださりました」
変化の乏しかった表情に紅が差す。胸元に手を当て、万感の思いを込めて彼女は言う。
「あの方の従者は私だけ。それがこの世における最高の誉れでなくて、なんというのか。私はそれだけで十分。それ以上を望むのは天に唾を吐くようなもの。よって、私は名を持たず、ただ従者と呼ばれているのです。ですから、私を呼ぶなら、従者と」
恍惚とした表情で言われてしまい、レイとリザは何も言えなかった。小舟の上は何とも言えない空気となってしまい、そこに助け舟のように船頭が言う。
「昨晩の戦闘跡が見えてきました」
三人は進行方向へと視線を向けた。
数時間前まで、巨大な天幕が中央に鎮座し、前後を屋台の広場と団員の居住地で挟まれていた出島は見るも無残な姿になっていた。打ち寄せる波間に足場の残骸が浮かび、その上に乗っていたと思しき物の残骸も浮かんでいた。巨大な天幕も足元が崩れたせいで半分が海につかり、残された半分も足場に打ちつけられた杭にしがみ付く様に残っている程度。
出島は元の半分以下の大きさになっていた。屋台が立ち並んでいた部分がなんとか残っているが、そこも無数のひび割れが走っており、いつ崩れてもおかしくない有様だ。
超級魔法の威力を物語っている。よく生き延びれたなと奇妙な感心を抱いてしまう。小舟は出島の残骸を大きく迂回して、アクアウルプスのゴンドラの船着き場へと向かった。
「……奇妙ですね」「ええ、奇妙です」
現場を横から眺める内に、リザと従者が異口同音に奇妙という。彼女らの視線を追いかけると、彼女らは波間に浮かぶ人の死体や、まだ形を保っている屋台の方を見ながら奇妙だと呟いていた。
「どういう意味なんだい。奇妙って」
レイの問いかけにリザが答える。
「御覧ください。どこにも《アニマ・フォール》に感染した人が居ないんです」
指摘を受けて、レイも彼女たちと同じ方向を見た。
確かに奇妙だった。
波間に浮かぶ、辛うじて残った人の残骸はエレオノールが殺したサーカスの団員たちだ。まともな人の形をしたのはどこにも居ない。
また、屋台の広場の方にも、生存者と感染者の激しい戦闘痕が残されてはいるのだが、無人だ。生存者も、感染者も居ないのだ。
「感染者たちはどこに消えたんだ」
疑問を呟くも、誰も答えられなかった。そして、小舟が船着き場へと着いてしまう。
「従者さんは武器を持っているんですか」
小舟を降りたレイは階段を上る途中で、改めて確認する。なにしろ、彼女は燕尾服を身に纏うだけで武器らしい武器も防具らしい防具も持っていないのだ。かといって、レイが貸し与えられる武器もない。ファルシオンはエレオノールとの戦闘時に紛失してしまった、龍刀とダガーを貸すわけにはいかない。リザも、替えや予備の武器を持っていないのだ。
従者は質問に対して、
「問題ありません。愛用の武器は用意してあります。自分の身は自分で守ることができます」
と、だけ返した。その口ぶりは自身の強さに自信があるという事だろう。
レイは納得すると、ダガーを引き抜き、構えながら通りに出た。いつでも感染者に雷撃を浴びせられるようにだ。ところが、通りには感染者の姿は無かった。
動けない感染者の姿も無い。生存者の姿も無い。まるで無人の街のように誰も居ないのだ。
「全滅したのでしょうか」
リザが不吉な事を口走り、慌てて自分の口を押えた。
「それならそれで、感染者があちらこちらにいてもおかしくないはず。でも、これだけ誰も居ないとなると」
「居ないとなると?」
吸血鬼やゾンビを題材にした作品から、いま起きている事の不自然さに対する推測を口にした。
「感染者が移動したか、建物内に固まっているかのどっちかだな」
レイの推測に二人は眉をひそめる。前者に関してはリザにも心当たりがあった。それは一週目の出来事だ。宿屋の隣の建物から降りた時、近場には感染者がほとんどいなかった。あれはもしかすると、感染者が何処かに移動しているのではないかとレイは言っていた。
一夜明けて、動ける感染者がどこかに集まっているのではないかという推測には説得力がある。
しかし、後者の推測に首を傾げる。
「いや、僕の世界では吸血鬼は大概日光を嫌って屋内に逃げ込むんだ。ゾンビの中にもそういった種類が居て……でも、吸血鬼やゾンビの弱点を彼らが持っているという保証もないんだよな」
自信の無さから後半は尻つぼみなってしまう。すると、従者がそれならばと前置きして、
「確かめればいいではありませんか」
と、事もなげに言い放つ。レイが聞き返す前に、彼女は手近な建物に近づくと、その扉を蹴破った。まるで破砕槌のような足刀に、リザは彼女がただ者ではないと改めて思い知った。
「ちょ、ちょっと!」
止める間もなく従者は中に入り、そしてすぐに引き返した。
「感染者とやらはいなさそうですが、一つ、手掛かりがありました」
手招きされ、中に入ると、どうやらここも誰かの立てこもりに使われた様子で、窓が戸棚などで塞がれ、上に繋がる階段の周りには机やら椅子やらが置かれていた。
光が遮断された室内に唯一残された光源は壁際に並べられた燭台だ。揺らめく火が下から壁を照らし、そこに書かれているメッセージを浮かび上がらせた。リザが内容を読み上げた。
「生存者へ。最寄りの避難所をここに記す。身の回りの物を持って集まれたし」
その下にはアクアウルプスのとある場所を指す住所が記されていた。
「罠、なんでしょうか」
「さあね。とりあえず手掛かりが全くないんだ。ここに行ってみようか」
レイの提案に二人は素直に頷いた。
建物を出てから、用心の為に慎重な足取りで避難所まで向かう。もっとも、レイの警戒とは裏腹に、感染者とは遭遇せずに避難所に辿り着いてしまうが。
避難所に指定された場所は、外層部の一角。陸地の狭いアクアウルプスでも珍しい広場が存在しており、奥には横長の建物がそびえ立っている。看板にはギルドの文字が掲げられている。
「ギルド。避難所として使えるのか」
スタンピードの時は果たして避難所として使われていたかどうか定かでは無かったが、レイの目の前には集まった生存者で広場は溢れかえっていた。
彼らの目的は炊きだした。
ギルド職員や、地元の住民たちが炊煙を上げる鍋から食事を提供する。集まった生存者は数百人ほどで、彼らはみな着の身着のままで草臥れた様子だ。しかし、感染者を警戒している様子は無い。生存者を守ろうと冒険者や兵士も居る事はいるのだが、最低限の数だ。
なにより、レイ達が生存者に近づこうとしても、誰も警戒していない。
「ここなら、事情を知っていそうな方が居るかもしれませんね」
リザの言葉にレイは頷く。やる事は決まっている。現状の確認と、シアラの行方だ。どちらもこれだけの人が集まっているうえに、ここはギルドだ。職員を捕まえればすぐに欲しい情報が手に入るはずだ。そう考えて、ギルドの階段を上がろうとしたレイに声が掛けられた。
「おい、ちょっと待て! そこの、黒髪白髪! そこを動くんじゃねえ」
「誰が白髪だ!」
聞こえた声に怒鳴り返すと、そこに居たのは見覚えのある男だった。中折れ帽子を頭に被り、革のジャケットを着込んだ西部劇に出てきそうな魔法使い、オルタナだ。
彼は生存者を押しのけてレイの方へと駆けだしてくる。
「オルタナか。あんたも無事だったか!」
オルタナとは、エレオノールとの戦闘前に分かれたきり、その後どうなったか知らなかった。しかし、あれだけの実力を持っている男なら無事だろうと考え、あまり気にしていなかったが、やはり生きていた。
しかし、様子がおかしい。焦りを滲ませた男はレイの手を掴むなり、彼を強引にギルドの方へと引きずるように進んでいく。
「ま、待ってください、オルタナ様」
慌ててリザが追いかけ、従者もあとに続いた。
「ちょ、ちょっと待ってください。どうしたんですか、オルタナ。事情を……というか、色々と聞きたいことがあるんだ!」
尋ねるレイに対して、オルタナは振り返りもせずに返した。
「いいから、さっさと来い。早くしねぇと、お前の奴隷が裁判で死刑を言い渡されちまうぞ!」
「「はぁっ!?」」
あまりの突然な内容にレイとリザが揃って驚きの声を上げた。
読んで下さって、ありがとうございます。




