6-54 甲板の密談 『前編』
「ところで、あの子。なんであんなに普通に動き回れるのかしら。白湯に痺れ薬を入れるように命じたはずよね、私」
ジョゼフィーヌは後ろで控えている従者に向けて流し目を送る。艶やかさを削ぎ落したナイフのような視線に従者は頬を染めつつも、
「おそらくですが、飲むふりをして捨てたのではないでしょうか」
「捨てた? ……ああ、あの隙に。中々抜け目ないのね。そういうの、嫌いじゃないわ」
嬉しそうにレイに対して微笑むジョゼフィーヌだが、当の本人は興味を示さずに背中を向けたままだった。彼の視線は壁の亀裂に吸い寄せられ、その向こう側で囚われているリザに固定されている。
その不敬な態度に従者の瞼がピクリと動き、剣呑な空気を発するが、レイは気が付かない。
(肩が動いている。自発的に呼吸ができてはいるようだけど……毒か何かで動きが取れないのか、あるいは単に眠らされているだけなのか。ここからじゃ、判断できないな)
椅子に縛られ、ぐったりと頭を下げているリザ。装備品の類は外され、衣服もガウンのようなものに着替えさせられている。その首筋にはガシャクラの刃が突きつけられている。
「状況は理解したかしら。貴方の奴隷の命は私が握っているわ。大人しく言う事を聞いてくれるなら、乱暴はしないわ……あら、やだ。これじゃ、三文悪役の科白ね」
天蓋が砕けて、破片が散らばるベッドから降りたジョゼフィーヌはレイの方へと近づこうとする。しかし、それを従者が押しとどめた。
自分の行く手を遮った従者にムッとした表情を見せたジョゼフィーヌだが、すぐに不思議そうに首を傾げた。いつもは冷淡な、能面のような表情をしている従者が身構えているのだ。
その答えは直ぐに出た。
「《砕拳》」
とん、と。握った拳を軽く壁に当て、レイは戦技を発動した。途端に、室内を仕切る壁が砂のように砕け、壁に掛かっていた絵や時計の類が音を立てて落ちて行く。
「……戦技か。そんな物も使えるようになったか」
壁が砕けたことよりも、戦技を使った事にガシャクラは喜びに笑う。リザに突きつけていた刃を下げると、レイの方に向かって重心を傾けた。
だけど、先に動いたのはレイだった。体に絡みついていたシーツを剥がすと、ガシャクラの眼前に向けて放り投げたのだ。
白いシーツが壁のようにガシャクラの前に立ちふさがった。老人は、
「小癪な真似を!」
と、あっさりとシーツを切り裂いた。しかし、直ぐに動きを止める事になる。なぜならガシャクラの前方に居たはずのレイが消えているのだ。
死角に回りこまれたと警戒し、上体をガードするガシャクラに叱責まじりの警告が飛んだ。
「違う、下だ!」
ガシャクラには死角でも、後ろで見ていた従者にはレイが何処にいたのか直ぐに分かった。レイはシーツを放り投げると同時に、床を這うかのように態勢を低くしていた。その姿勢のまま、ガシャクラの止まった足に向けてタックルを仕掛けた。
老人の股下に頭を入れたレイは、そのまま体を起き上がらせる。ガシャクラは文字通り、足元をすくわれ、顔面から床に落ちようとする。間一髪、軽業師のように宙で回転させて着地を決めるも、すかさずレイの後ろまわし蹴りが襲い掛かる。
着地直後の身動きが取れない状況での一撃をまともにくらった老人の体は、ボールのように飛び、隣室へと追いやられる。
吸血鬼もどきとの戦闘で、期せずしてある分野の経験を積むことになった。
それは人間サイズの相手に対しての格闘術だ。
いままで、レイが戦ってきた相手はほとんどがモンスターで、一人で稽古をする時も想定する相手はモンスターだ。当然のように剣や刀を振っていた。
一応、人間を想定した格闘術をリザから習ってはいたが、実践する機会は全くなかった。
それが、吸血鬼もどきを捕縛したり、追い払う過程で試すようになり、ある程度の経験が身に付いた。禍を転じて福と為す。
レイは縛られているリザに駆け寄ると、彼女の傍で跪き顔色を窺う。レティから毒に蝕まれているときの人間の特徴を学んでいた。脈拍や、呼吸の回数などを確認し、異常はないと判断した。素人判断だが、眠らされているだけだろう。
「リザ。……リザ、起きてくれ」
肩を優しく揺すると、瞼が持ち上がり青い瞳が姿を見せた。何度か瞬きを繰り返すと、瞳に光が戻った。
「ご主人様……ご主人様! ご無事ですっ!?」
意識が覚醒した途端、少女は勢いつけてレイに尋ねる。自分が拘束されているのを理解していないため、その体は揺れ、あっという間に椅子が傾き倒れてしまう。
「ご主人様、ピエロはどうなって、それにいまは何時で、ここは一体。というか、何で裸!? 私、縛られ!? え、どういう、ええ?」
縛られたままの自分に加え、レイが全裸だと言う事に気が付いたリザは顔を赤くしてあたふたと動揺した。レイはガシャクラに切り裂かれたシーツで下半身だけを隠しつつも、年相応に赤くなっているリザを珍しいと思ってしまう。
この状況でなければ、もう少しだけ見ていたいと思うぐらい珍しい光景だ。しかし、泣く泣く諦めた。
「リザ。落ち着いて話を聞いてくれ。いまは朝で、ここは船の中だ。僕らは海上を漂っているうちに、面倒な人たちに捕まってしまったようなんだ」
「ひどいわ。面倒な人なんて。同じベッドで朝を迎えた仲じゃないの」
背後から聞こえてくる声にレイは嫌そうに振り返る。ジョゼフィーヌが砕けた壁の残骸を踏み越え、レイ達の方へと無造作に近づいてきた。あまりの無造作ぶりに、一瞬気勢がそがれてしまうほどだ。
もっとも、仮にレイが彼女を人質に取ろうとしても、背後で殺気を放っている二人に邪魔されるのは目に見えていた。女帝はレイと同じようにリザの前でしゃがみ込んだ。リザの視線が訝しげに女を睨みつける。
「ふふふ。こんにちは。ジョゼフィーヌ・ヴィーランドよ。可愛らしい、おじょうちゃん」
「ウージアの女帝!? どうしてここに」
信じられないとばかりに目を見開いた少女に興味を無くしたかのように、ジョゼフィーヌは口を開いた。
「ねえ。戦奴隷の無事を確認できたことだし、今度こそお話をしましょう。……もちろん、断らないわよね」
背後からの圧力は一段と増した。レイはため息を吐くと、一つだけ注文を付けた。
「服を用意して下さるなら、構いませんよ」
海鳥が海面を撫でるように飛空し、そのまま上昇すると甲板に影を落とした。レイはちらりと海鳥を見上げると、視線を元の方に戻した。
白い山のような都、アクアウルプス。そこから一キロほど離れた位置に船は停泊していた。付近には停船中の船がちらほら見える。おそらく、アクアウルプスから一時的に退避した船なのだろう。身一つで逃げ出したものの、食料などが積み込んでおらず、外に脱出することもできずに様子を伺っているのだろう。
双眼鏡もなしに、都の方を見続けても何かが分かる訳ではない。人か物か判断できない物が豆粒程度に見えるだけだ。街の状況なんて、全く分からない。
ただ一つ、気になることがあった。外層部と内層部から幾筋か煙が上がっているのだ。色は様々で、上がっている時間もまちまち。少なくとも火事の類ではなさそうだ。
だとすれば、あれは狼煙だとレイは推測した。意味までは分からないが、狼煙を上げる生存者がいる事を示す。
一刻も早く、アクアウルプスに戻りたいと焦るが、周りを固める黒装束がそれを許さない。甲板上に案山子のように微動だにしない黒装束たちだが、レイには彼らの殺意が刃の如く突き刺さるのを感じていた。
特に、自分を背後から睨みつける隻腕の男が、今にも飛びかかりそうなほど強い殺意を放つ。
(流石に完全武装して殺気を放つ相手を、さっきのガシャクラのようにあしらえる自信は無いな。返り討ちにあうのが目に見えているよ)
レイは自分の状態を確認する。貸し与えられた白いシャツに黒のスラックスというシンプルな装いに、武器は何一つ身に付けていなかった。少なくとも、この船の何処かにコウエンは居るはずなのだが、見当もつかない。
「お待たせしたかしら」
どうしたものかと悩むレイの背後から声が掛けられた。振り向くと燕尾服の従者を付き従えたジョゼフィーヌが甲板に姿を現した。先程のガウン姿とは違い、真紅を基調としたブイネックのサマードレスを着込み、大きなつばの着いた帽子を被っている。
だが、レイの目を引いたのは、その二人のさらに後ろから姿を現したリザだ。彼女もまた服を借りたのだが、それがどういう訳か燕尾服なのだ。
黒を基調としたそれはシックな装いとなり、リザの佇まいと合わさって清廉さを感じさせる。ただ、強い日差しが照り付ける甲板。言うまでもなく気温は高く、レイとてシャツのボタンを幾つか外し、腕まくりをしているのに対して、リザの燕尾服姿には一部の隙も緩みも無かった。
「……ねえ、その恰好。暑くないの」
「……あついです」
自分の方へと近寄ってきたリザの額には汗が浮かんでいた。だけど、彼女は自分と同じ格好をする男装の麗人が汗を流すどころか、涼しげに構えているのを見て負けてたまるかと背筋を伸ばした。
「冷たい物を用意させたわ。どうぞ、座ってちょうだい」
甲板の中央には小さな足つきのテーブルと、それを挟んで椅子が二脚置かれている。その一つに腰かけたジョゼフィーヌは対面に座るようにレイを促した。
指示に従い、レイはその席に着く。リザは主の背後に立ち、油断なく周囲を睨みつけた。
すると、打ち合わせをしていたのか黒装束たちが音もなく姿を消していき、甲板にはレイとジョゼフィーヌ。従者とリザの四人が残った。
甲斐甲斐しく世話をするのは男装の麗人、ただ一人。彼女は氷で冷やされた炭酸水をボトルからグラスへと注ぐと、レイとジョゼフィーヌの前にそれぞれ置いた。
「それじゃ、私たちの出会いに乾杯」
差し出されたグラスを持ち上げ、乾杯に応じた。だが、唇を湿らせたジョゼフィーヌと違い、レイは持ち上げたグラスをそのまま机に戻す。女帝は気分を害されたかのように、
「心配しないで。今度は毒なんか入れてないわ。なんなら、こっちを飲むかしら」
と、言いながら口紅がかすかについたグラスを持ち上げるが、レイはそれを断わり、自分のグラスから炭酸水を一口飲んだ。
「疑い深いわね。……そういえば、どうして貴方は白湯を捨てたのかしら?」
「そりゃ捨てるに決まっているでしょ。普通の神経の人間なら、あんな激しい戦闘があった場所近くに落ちた人間に対して、あんなことはしませんよ。怪しすぎます」
レイがずけずけと言うと、ジョゼフィーヌは気分を害するどころか、それもそうね、と屈託なく笑う。そして、笑みを浮かべたまま、
「ねえ、貴方。『招かれた者』なんでしょ」
と、確信を込めて言う。リザは驚きのあまり硬直するが、レイはある程度覚悟していたためあっさりと、
「ええ、そうです」
何の駆け引きもせず、あっさりと認めたのだ。ジョゼフィーヌは意外そうに瞬きを繰り返した。
「驚いたわ。少しぐらいは誤魔化すなり、恍けるとか、逆に情報を引き出そうとはしないの」
「僕の情報をガシャクラに調べさせたんでしょ。だったら、経歴のおかしさから、分かる人には分かってしまいますよ」
現にオルドやテオドール、それにサファにも似たような理由からばれてしまった。
何より、レイはこの短い接触で、ジョゼフィーヌ相手に腹の探り合いは不利だと悟っていた。
「それで。ウージアの女帝がどうしてここに居るんですか……っていうのは聞くまでもないですよね。今回の騒動に貴女も関わっているのは間違いありませんから」
「あら、それはどういう意味かしら」
「エレオノールの研究資料を僕の仲間が押さえています。……それと、貴女が彼女に送った書状の存在。……この意味がご理解できるかと思いますが、どうですか」
甲板の空気が硬直化し、二人の周囲の気温だけが下がったかのように冷たくなった。
今度は従者が顔色を変える番だった。なぜ、レイが書状の存在を知っているのかはこの際どうでもよかった。問題は身の程を弁えずに主を脅そうとする態度だ。彼女は後ろで組んでいた腕を解き、前に回そうとして―――主の流し目に制された。
一方でリザは顔色を変えないように必死にこらえていた。レイが書状の存在を知っているのは、前回のテントでの一幕を自分たちが教えたからだ。ガシャクラの主が誰なのかはスヴェンから聞いていたこともあり、考えるまでもなく、女帝が黒幕に宛てた書状だと想像できる。だけど、その内容を自分たちは全く知らないのだ。
それなのに、レイはその書状の存在を使い、ウージアの女帝を脅そうとしているのだ。
女帝と黒幕の間にどんな繋がりがあるのかさえ不明なのに、この様な博打を打つのだ。勝算はあるのかと問い質したくなるが、そんな事をすれば向こうにこちらの動揺がばれてしまうためぐっとこらえていた。
そしてレイは、机の下に隠した手が汗で滲むのを感じていた。
言うまでもなく、レイの口にした内容は根拠のないハッタリだ。エレオノールの研究資料とは言うが、正確にはエレオノールが所有している初代『魔導師』の研究資料であって、彼女の書いたものではない。それ以前に、ジョゼフィーヌがエレオノールと全くの無関係という可能性もあり得るのだ。
だけど、今はハッタリでも何でも使って情報が多く必要なのだ。全てはレティとエトネを助けるために、レイは大博打に出た。
ジョゼフィーヌはグラスの中で弾ける泡を見つめると、ポツリとつぶやいた。
「そうね。アクアウルプスで起きている騒動。その黒幕ともいうべき存在とは因縁浅からぬ相手よ」
でもね、と女帝は続ける。
「今回の騒動に関して、私は徹頭徹尾、傍観者よ。あの都であの子が実験をするという話を人づてに聞いて、政務に飽きたから避暑がてら遊びに来ただけ。これは本当よ」
「……じゃあ、魂の変質、《アニマ・フォール》に関する知識や治療法は」
「何の事だかさっぱりね。ご期待に沿えなくて申し訳ないわ」
レイは落胆を隠せなかった。エレオノールに負けた直後に、降って湧いたように現れた微かな可能性だっただけに、それが断たれてしまい、余計に落胆していた。
だけど、肩を落としている暇はない。レイは次なる手に掛けてみる。
「それじゃ、取引をしませんか」
「取引? 一体どんな事かしら」
楽しげに笑うジョゼフィーヌにレイは、
「僕らがエレオノールを探すのを手伝ってほしいんです。代価として、彼女と貴女の間に繋がりあるという証拠を発見次第、全て破棄します」
と、告げたのだ。
読んで下さって、ありがとうございます。




