6-53 朝を迎えて
妙齢な美女が裸でなおかつ自分の隣で寝ているという、健全な青年なら垂涎もののシチュエーションに対して、レイが最初に思った事は、
(えっ!? 何これ、怖すぎる! 美人局? 異世界美人局!?)
と、何とも情けなくなる内容だった。
キングサイズのベッドから飛び降りようとするも体が上手く動かず、ベッドを揺らすだけで終わり、振動が伝わってたわわに実った乳房が揺れ目に毒だ。
(というかちょっと待ってくれよ!)
心臓が鼓動を速め、血液が各所に行き渡ると、体の感覚がより鮮明になる。具体的に言えば、下半身の頼りなさがはっきりと分かる。シーツの下を覗きこみ、自分が下着を履いているかどうかを確認し―――そこに何もないのを確認して更に絶望的な気分を味わう事になった。
(やったのか、やってしまったのか、僕は!?)
ナニをという、具体的な固有名詞を避けてレイは己の記憶を思い出そうとする。しかし、いくら頭を捻っても艶やかな肉欲の記憶は欠片も見つからなかった。
(そもそも僕はレティ達があんな状況なのに暢気にしているような人間なのかよ。最低だな、僕は! 死んじまえよ! ああ、死ねないか!)
あまりの衝撃から動揺と混乱によって、思考がめちゃくちゃだった。
思わず頭を抱えてしまうレイ。ベッドの上でもんどりをうつ少年に美女は目を丸くする。一枚しかないシーツは転げまわるレイの体に巻き付き、男の情欲を誘う曲線が惜しげもなく披露された。
起伏の富んだ体が艶めかしく動き、レイににじり寄ると、気配に気が付いた少年が顔を上げた。黒い瞳に真剣な光を宿した少年は、
「あの、こんな失礼な事を聞くのは恐縮なんですが……しちゃいましたか、僕!?」
と、身も蓋も無い質問をぶつけた。美女は呆気にとられ、しかし、一瞬のうちに蠱惑的な唇を歪めると切り返した。
「しちゃったて、なんのことかしら」
「えっと、それは……その」
言葉が出てこないレイに対して美女は悠然と構えた。揃えた足を崩し、一分の恥じらいも感じないように堂々と裸体をさらけ出す。その態度に、レイの方が気後れして目線を逸らすと、美女は噴き出して笑いだした。
「ふふふ。かわいい反応。……安心して、っていうのはおかしな話だけど、貴方と私の間にそういう艶めいたものは無いわよ」
「ほ、本当ですか!」
「ええ。流石の私も貴方に手を出すような事はしないわ。服を脱がせたのは、濡れたままだと風邪をひくと思ったからで、変な悪戯はしてないわ」
仲間の非常時に女性と行為に及んでいる最低人間というレッテルを免れたことに胸をなで下ろすと同時に、別の疑問が湧いてくる。どうして目の前の美女は全裸なのだろうか。まさか、冷えた体を温める救助行為的なあれなのかとレイが考えると、
「ちなみに私が裸で眠っていたのは、起きた時の貴方の人間性を確かめるためよ。襲ってくるような獣なら容赦なく潰していたわ」
ごりっ、と。美女のしなやか指先が球体を握りつぶすような動きをしてみせると、レイの下腹部が血の気を引いたように冷たくなってしまう。
話題を変えようとレイは別の質問をぶつけた。
「あ、あの。僕以外にも誰か拾っていませんか。金髪の青い目をした女の子なんですけど」
「ええ。その子も拾ったわ。いま、別室で治療中だから、後で会わせてあげるわ」
美女の言葉にリザが無事だと判明して安心すると同時に、腕が体を支えられず倒れてしまう。四肢のみならず、体の芯が重く、ベッドに吸い寄せられるように動けない。
「まだ回復してないようね。昨夜はあれだけ激しく戦ったんですもの。いま、温かい飲み物を持ってくるわ。だから、まだ横になっていなさい」
「えっと……すいません。あと……できれば服を」
レイのか細い声に美女は自分の姿を見下ろして笑みをこぼした。
「そうね。男の子には目の毒かしら。ちょっと待っててね」
そう言って、美女は四方を囲うレースの向こうへと消えた。ぱたぱたと足音が続き、ベルの鳴る音がすると扉が開き誰かの話声が聞こえてくる。レイはベッドをナメクジのように這いつくばって移動して、どうにか枕の位置まで戻る。
体の重さは変わらず、満足に動けない。戦闘の疲労なのか、海水に浸かって体力が消耗したのか、《全力全開》の後遺症なのか、あるいは別の理由か。
原因は分からないが、今は回復を優先させるべきだと判断する。
一方で、思考は目まぐるしく動き回っていた。
まず、現状の確認だ。
僅かに動く首を回して室内を見渡す。白いレースに阻まれて、中の様子は余り分からないが額縁に嵌った絵画や凝った衣装を施された棚の上に宝石などが無造作に置かれている。また、エルドラドでは珍しい人の背丈と同じ大きさの姿見が壁に立てかけられていた。
これだけでも相当な金持ちの部屋だと分かる。
そして、微かに感じる揺れから、ここが沖合に出ている船だと言う事も判明していた。船の船室にしては相当な広さだ。それに揺れの小ささから船自体が巨大だと言う事も分かる。
(ともかく、沖に出ている船なら吸血鬼もどきに襲われる心配はないはず。……そうなると陸に残してきたシアラが心配だ)
コウエンの説明によれば、リザの機転に助けられた自分は彼女と一緒に漂流していた。そこにシアラは居らず、彼女の生死は不明だ。
いや、生はともかくとして、死は無い。戦奴隷の対等契約を交わしたため、シアラが死ねばレイも死ぬのだ。死に戻りが発動していない以上、シアラは生きているはずだ。
問題は吸血鬼もどきになっているかどうかだ。
レイは目をつぶりステータス画面を開く。《仲間》の欄を開くと、異常を示す赤い文字が二人分だけ染まっているのを確認した。レティとエトネだ。
用心の為にシアラとリザのステータスを開き、魂の変質、《アニマ・フォール》に感染していないかどうかを確かめておく。二人とも問題は無かった。
(よかった。シアラもリザも無事だ)
続いて、レイはレティのページを開く。そこに付随する『魂の変質』を開き、残り時間を確認した。
『魂の変質完了まで、17:31』
エルドラドは日本と同じで二十四時間で一日。真夜中からカウントダウンが始まったため、今の時刻は朝の六時半ごろだと分かる。
(もう、朝か。アクアウルプスはいま、どんな状況なんだ。無事な人はどれぐらいいるんだろうか。シアラはどうしているんだ。レティ達が吸血鬼もどきになってしまい、僕らともはぐれてしまったんだ。心細いだろうに)
たった一人で危険地帯に取り残された仲間を思い、安全地帯で暢気に寝ている自分に腹が立ってきた。しかし、思いとは裏腹に体は動かず、奥歯を噛みしめ耐えるしかできない。
するとレースが捲れ先程の美女が陶器のコップを持って入ってきた。胸元が大きく開いた扇情的なガウンだが、裸よりかは格段に面積が上がった。
「白湯よ。起き上がって飲めるかしら」
優しげな声色にレイは鷹揚に頷いて、体を持ち上げる。絡みついていたシーツがずり落ち、胸板が露わになった。
「あの、出来れば僕にも代えの服をお借りしたいのですが」
恐る恐る頼み込むレイに美女は優しく微笑み、
「だめよ。私の裸は目に毒でも、貴方の裸は目の保養になるもの。はい、どうぞ」
差し出された陶器を受け取り、白い湯気を放つ中身に口をつけたふりをする。
「……ああ、美味しいです」
言葉と共にレイはちらりと正面のレースへと顔を向けた。つられて美女がそちらを向いた瞬間、彼女から死角になる場所に中身を零す。白いベッドが白湯を呑み込んだ。
一瞬の隙を突いた早業に美女は気が付いた様子もなく、視線をレイに戻した。
「僕らを拾ったって仰っていましたが、その時どのような状況なのか教えてもらえませんか」
ベッドの端に腰かけた美女は栗色の髪をかきあげると、
「いいわよ。……といっても、貴方達を拾ったのは私の部下だからまた聞きになってしまうけどいいかしら」
レイが大丈夫ですと返すと美女は説明を始めた。
「まず、ここはアクアウルプスの内海。防波堤の内側の沖合に停泊する船内よ。夜の内に入国したけど、様子がおかしかったから船を岸に寄せなかったの。それで荒事に長けた部下に様子を見に行かせ、その帰りに大きな爆発に遭遇したのよ」
大きな爆発というと、龍刀とエレオノールの上級魔法がぶつかった瞬間の事だろうとレイは推測する。
「それから少しして、この船に戻ろうとした部下が粉々に砕けた破片にしがみ付く貴方たち二人を見つけて連れ帰って来たのよ。それが数時間前。いまはもう朝よ」
「それじゃ、街の様子は何かご存じありませんか。仲間が一人、取り残されているんです」
「そうなの。それは心配ね。でも、ここからじゃ良く分からないわ」
残念そうに首を振る美女。レイはこれ以上、ここに居ても情報は集まらないと判断した。シーツを下腹部に巻きつけ、ベッドを降りようと動く。まだ、芯が重く感じるが、一刻も早くアクアウルプスに戻る必要があった。
今はまだシアラも吸血鬼もどきになっていないが、次の瞬間どうなるかは不明だ。それに時間が経つほどエレオノールが逃亡してしまう恐れもある。
ところが、降りようとするレイの手首を美女が掴んだ。
「……すいませんが、離してもらえませんか」
「やぁよ。もうすこし、お話をしていかない―――《ミクリヤ》のレイ君」
ぴくり、と。レイの眉が動く。表情を強張らせ、身構えつつも口を開いた。
「リザから……一緒に助けてもらった仲間から名前を聞いたんですか」
探りを入れた質問を美女は無視し滔々と、
「D級冒険者のレイ。E級パーティー《ミクリヤ》のリーダーとして、戦奴隷三人とハーフエルフの冒険者一人という珍しい構成で活動をしている。その来歴は謎が多い。数か月前に中央大陸ネーデの街で冒険者登録をした次の日には付近にある迷宮を上層部とはいえ単独で攻略。どういう訳かその直後にまた上層部を攻略。更には発見されたばかりの深層部にて傷を癒していた魔人ゲオルギウスと交戦。他の冒険者、特に『岩壁』のオルドの加勢があったとはいえ生存を果たす」
レイの視線が鋭くなり、険しくなる。美女は構わず、諳んじるかのようにレイの過去を話す。
「その後、街を出立。東方大陸シュウ王国に渡るとウージアにおいてガシャクラが率いる一派と交戦。老いたとはいえかつては帝国の暗部を担っていた男の仲間と腕、そして誇りに傷をつけた。ウージアを離れると、精霊祭で湧き立つアマツマラに到着。運悪く、南より北上してきたスタンピードに襲われ、首都防衛戦に参加。その戦いであの古代種の龍、赤龍の撃破に貢献する。その後、どういう経過なのか不明だけれどハーフエルフの少女を保護、冒険者として登録し、パーティーを結成。南に向けて出発し、途中シアトラ村に到着。そこで起きていた新しき迷宮の騒動に首を突っ込み、大怪我を負いつつも生還を果たす」
美女の視線がレイの体を隅々と見つめる。視線が当てられた部分がざわつき、まるで蛇が這いずり回るような気持ち悪さをレイは感じた。
「一月以上の療養を経て、シアトラ村を出立。シュウ王国南部最大都市のオウリョウに着き、どういう訳か第二王子スヴェン・ヴィーランドの庇護下に置かれ、彼の助力を得てデゼルト国までの船を手に入れる。というのも、《ミクリヤ》には六人目の仲間が存在しているから。その青年の名は、ダリーシャス・オードヴァーン。南方大陸の一国、デゼルト国の王子よ。彼を護衛することが貴方たちの役目」
違うかしら、と美女は続けようとしたが、言葉が出なかった。掴まれた手首を返したレイに押し倒されたのだ。
上から見下ろすレイだが、緊張は緩められなかった。頭の片隅で危険信号が喧しく鳴り響き、自分が優位に立っているというのに足場が脆く不安定に感じてしまう。
押し倒されてなお、美女は淫靡と気品を兼ね備えていた。むしろ、レイを見下ろすかのように視線を叩きつけていた。
「顔に似合わず、情熱的なのね。ちょっと胸がときめいたわ」
「……どうして僕の事をそこまで知っている。それにダリーシャスの事も」
「貴方の事は部下が調べた情報よ。そして、ダリーシャスの事は前から話題になっていたのよ。神前投票を控えたデゼルト国で王族が一人、従者たちと共に行方不明になっているって。内々に私の方にも相談を持ち掛けられていて、ある程度追いかけていたの。それで、持っている情報を繋ぎ合わせたら、ぴったりとあてはまったの。割れた皿の破片が繋がるようにね」
美女は穏やかに何でも無い風に言うが、彼女はとんでもない事を口にしていた。デゼルト国が神前投票を行おうとしているのは事実だ。いくらか調べれば、判明する程度の内容だ。
だけど、彼女は今、向うから相談を持ち掛けられたと言ったのだ。
自国の情勢が不安定だと、内情を口にする王族が居るはずがない。にもかかわらず、相談を持ち掛けると言うのは、目の前の美女がデゼルト国に対して強い影響力を持っていることに他ならない。
「あんた……何者なんだ」
レイの言葉に、美女は破顔した。先程までの固い声色とは一転して、弾んだ声で、
「今更その質問なのね。本当におかしな子。でも、まだ自己紹介もしてなかったわ」
と、言う。レイは聞き逃すまいと耳を澄ませて、
―――しかし、飛び込んできた黒い影に邪魔をされてしまう。
白いレースを破き、美女を押し倒すレイの腹に革靴の先端がめり込む。そのまま、長い脚が持ち上がり、レイを上へと蹴り上げた。天板が割れ、持ち上がった体が天井にぶつかった。
「主に何をする!」
女性の怒号が響き、レイは砕けた天板の向こうから睨む、男を見つけた。
いや、正確には男装の麗人だ。燕尾服に身を包み、黒い頭髪が目に掛かる程度に短くしてはいるが、豊かな双丘が衣服を押し上げている。
(黒髪黒目……魔人種!? いや、そこは今どうでもいい。とにかく、反撃を)
天井から離れ、重力に捕まり落ちるレイ。彼は咄嗟に割れた天板の破片を掴み、男装の麗人―――ではなく、ベッドに寝そべる美女に向けて投擲した。
先のとがった破片が無防備に寝そべる美女に向けて飛ぶ。
男装の麗人は動じることなく、足でシーツを浮かせると、闘牛士のマントのようにはためかせた。破片はシーツに弾き飛ばされ、ついでのようにレイの体にシーツが絡みつく。
身動きが取れないままベッドに激突したレイに向けて、男装の麗人は蹴りを叩きこんだ。
レイの体は床と水平に飛び、反対側の壁へと叩きつけられた。壁の一部が砕け、向こう側が透けて見えるようになった。
「ぐぅうう!」
咄嗟に精神力で体を包み込んだおかげで、見た目ほどのダメージは無かった。しかし、それでも不利だ。裸の上に武器もない状況で、魔人種の相手は出来ない。迷うことなく逃走を選ぶ。
傍にあった扉に向けて走り出そうとした時、
「小僧、逃げるな」
と。聞き覚えのある声に阻まれた。声がしたのは、自分がぶつかった事で空いた穴からだ。レイはそこを覗きこむと、向こう側の様子が見えた。
似たような間取りの室内。その中央に二人の人影があった。一人は椅子に縛られ拘束され、意識を失っているのかだらりと頭を下げていて顔は見えない。だけど、金色の長髪を見間違えるわけがない。
そして、その少女に向けて刃を突きつけている老人も見間違えることは無い。黒装束から伸びた義腕は鈍色に輝き、隻眼がギラリと睨んでくる。
「動けばどうなるか、言わなくても分かるな」
「……ありきたりな警告だな、ガシャクラ」
レイはその場に腰を下ろし、後ろを振り返った。壊れたベッドから降り、悠然と立つ美女の正体に今更思い当たったのだ。
「アンタが、ウージアの女帝、ジョゼフィーヌ・ヴィーランドか」
美貌と淫欲が黄金比のように組み合わさった美女は薄く笑みを浮かべていた。
「ええ、そうよ。ねえ、お仲間の心配も分かるけど、少しだけ私とお話をして下さらないかしら、レイ」
どこか慈愛の籠った呼びかけに悍ましさを感じつつ、レイは不遜な態度を貫いた。
「それはいいけど、いい加減服を貸してくれませんかね」
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