6-52 コウエンの提案
「いいかげん、起きんか、この戯け者」
何処かで聞いた事のある声と共に、これまた覚えのある圧迫感に顔が押された。うっすらと開けた視界の大部分が何かに覆われ、両端から見えた空は月明かりの夜空ではなかった。
小さな足裏が離れると、頭上には赤茶色に濁り、薄汚れた空が際限なく広がっている。視線を横に向ければ、ひび割れた大地が延々と続き、それを遮る存在が何も無い、乾いた大地が地平線まで伸びていた。
ここに来るのはナリンザの葬式以来だとレイはぼんやりと思う。
自分の心象風景。《トライ&エラー》を繰り返したのが原因なのか、命の雫が干上がった死の世界だ。吹き付ける風も渇き、砂埃だけを巻き起こす。
「此処で会うのは久方ぶりじゃな、レイ」
レイの視界を遮るようにコウエンは姿を見せた。溶かした銅のような滑らかな褐色の肌に、紅蓮に煌めく長髪。同じ色の瞳が蠱惑的に吊り上がっていた。もっとも、その全てがひっくり返っていた。空中に腰を下ろし、逆さまに浮かんだコウエンは長髪が地面に触れるのを気にした様子もなく、レイに話しかけた。
「どうじゃ? 記憶はちゃんと残っておるか」
問いかけにレイは鷹揚に答え始めた。
「僕は……ピエロと戦って、《全力全開》を発動して、それから……ああ、そうだ。超級魔法を浴びて、死んだ……のか?」
「否。最後が違う」
レイの言葉をコウエンは逆さまのまま否定した。少女の姿をした存在はそのままの姿勢で何があったのか語り始めた。
「二発目の《全力全開》を発動し、代償として生命力を瀕死になるまで支払って死にそうになった其方を見て、あの従僕は其方を連れて海に飛び込んだのだ」
瞬間、レイは漆黒の壁の如き海に叩きつけるように落ちたのを思い出した。確かに、自分はリザと共に海へと落ちたのだ。
「超級魔法の引力を振り切る為に、落ちる寸前、従僕は《風ノ義足》を発動しよった。海に飛び込んだ瞬間にそれを解放。魔法の効果範囲から逃れようとして、成功したのじゃ」
「……そうだ。体がバラバラになりそうな衝撃を味わったんだ」
《風ノ義足》を海中で発動させれば、それはさながら魚雷のようなものだ。水の抵抗を最小限にするために、リザは頭を前に突き出してレイの体を離さないようにしたのだが、それでもやはり抵抗は激しかった。
全身を殴打されるような痛みが襲いかかった。もっとも、それでも。超級魔法の餌食になるよりかはずっとマシと言えた。
「辛くも魔法の直撃を避けた其方らだが、あの魔法の余波は凄まじい。なにせ空間を削る魔法じゃ。削られた空間が元に戻ろうとして引き寄せられ、当然のように海中にいた其方らも影響を受けた。縦横無尽に動く海流に飲み込まれてしまい、意識を失ったのだ」
「それじゃ、リザは無事なのか。いや、それよりも、死に戻りは発動していないのか」
「さてな。妾が最後に見た時は、何処とも知れぬ海上を漂う其方と従僕の姿のみ。あとは知らんよ」
他人事のように醒めた口調で言い放つコウエン。しかし、レイにしてみれば有り難い情報だ。少なくとも、自分もリザも死んではおらず、おそらくだがシアラも死んでいないのだろう。無事かどうかはともかくとしても、その情報でいまは十分だ。
「海というのは退屈でな。変化がなくて飽きておったら、お主がここで寝そべって居るのに気が付いたという訳だ。どうだ、これで気がすんだか」
「うん。教えてくれてありがとう。……ついでに幾つか質問したいことがあるんだけど、いいかな」
コウエンの眉が不思議そうに上がる。レイから見れば、下がっているのだが。逆さまの少女に対して、レイは質問を投げかけた。
「あのピエロ。エレオノールが口にした二つ名、二代目『魔導師』。そして、七帝の一角にいる『魔術師』。似たような響きをしたこの二つは同じ存在なのか」
世界救済を託された一人であり、《トライ&エラー》が因果を重ねる技能である以上、レイは自分が『七帝』と遭遇するのは仕方ないと割り切っていた。これが自分に配られたカードである以上、それを如何にか足りない頭で使いこなすしかないのだ。
問題は、敵が『七帝』かどうか。レイは赤龍の知識を持つコウエンに正面から尋ねた。
逆さまの少女は唇を舌で舐めると、
「妾が其方に情報を与える謂れは無い。……無いのだが、今回は中々楽しめた。その褒美をやらんわけにはいかんな。赤龍の名を持って告げよう。二代目『魔導師』と七帝『魔術師』は全くの別物じゃ」
ピエロが『七帝』じゃないと分かり胸をなで下ろすレイにコウエンは言葉を重ねた。
「ついでに言えば、初代『魔導師』も、七帝『魔術師』では無い。初代『魔導師』は妾の推測ではあるが、あれは『招かれた者』じゃろうな」
と、爆弾を落とした。驚きのあまり言葉を無くしたレイに対して、コウエンはくるりと体を起こした。逆さまに浮かんでいた少女はひび割れた地面に足を着けると、自分のみぞおちからへそまでを指でなぞる。なぞられた部分が炎を上げ、そこから一振りの刀が姿を現した。
龍刀コウエン。紅蓮の刀身に一点の曇りなく、少女の手に収まった。
同時に赤く濁る空から紅蓮の塊が落下した。隕石のように地面に突き刺さった塊は瞬く間に一振りの日本刀へと姿を変えた。
龍刀コウエン。紅蓮の刀身に一点の曇りなく、地面に突き刺さり、抜かれるのを待っていた。
「龍刀が……二本?」
「深く考えるでない。ここは其方の心象風景。思えば全てが思いのまま。其方が現実で目覚めるまでの間、妾手ずから其方に刀の振り方を教えてやろう。ついでに、初代『魔導師』について語ってやっても構わんぞ」
挑発なのか、彼女は手招きする。
レイは数秒考え込むが、どうせ肉体が目覚めなければここから出る事はできない。むしろ、コウエンが上機嫌で話をしてくれると言う珍しいチャンスだと前向きにとらえる事にした。
紅蓮の刀身が鏡のようにいまの姿を映す。ニコラス作の防具は着ておらず、普段着のままだ。
(精神世界で切られたら、痛いんだろうか。それとも痛くないのか)
疑問に思うが答えは出ない。レイは立ちあがり、龍刀を引き抜くと構えを取る。刀身を相手に向け、両手で柄を軽く握り、中段で構えた。何人かの冒険者の構えを真似たものだ。
対するコウエンは龍刀を片手で握り、肩で担ぐように持っていた。少女の背丈と同程度の大太刀を振れるのかどうかレイは疑問に思った。
―――二つの疑問に対して、答えはすぐさま出た。
紅蓮の長髪が揺れたと思った瞬間。コウエンはレイに向かって回転しながら飛びかかり、すれ違いざまに首を両断した。
あまりの早業に、落ちた首が地面に転がってからレイは切られたことを自覚し、一秒と経たず視界は元の高さへと戻った。汗が吹き出し、思わず首を撫でた。切られた痕はなく、しかし、切られた感触が皮膚の内側には残っている。
「言うたであろう。此処は其方の心象。死を思えば死に、生を思えば生を。如何様にも変化する世界なのじゃよ」
つまり、どれだけ体をバラバラにされたとしても死ぬことは無く。逆に死を願えば即座に死ぬと言う事かとレイは納得した。
「さて、仕切り直しじゃ。妾に一撃を与える度に、初代『魔導師』について語ってやろうではないか」
龍刀を肩に担いだまま、空いた手で手招きするコウエンに向かって、レイは距離を詰めた。
「その言葉、忘れるなよ!」
言葉と共にレイはコウエンを上段から一気に振り下ろした。対してコウエンは切っ先を右後方へ降ろし、脇構えから逆袈裟に切り上げた。
二振りの龍刀が激しく正面衝突する。だが、つばぜり合いは一瞬だった。コウエンは力を抜くと、切っ先を後ろへとわずかに傾けた。それだけで、レイの龍刀が滑り落ち、地面へと誘われた。
態勢を崩されたレイは倒れるのを嫌い、地面を割るかのように踏みしめる。しかし、それは大きな隙で、コウエンは見逃さない。彼女は無造作に、レイの踏みしめた足を後ろから斬りかかる。大根のように、腿が斜めに切られた。
痛みは無い。ただ、体の軸がずれて倒れそうになるのをレイは堪えようとした。コウエンを地面に突き刺し、杖のように縋った。
コウエンは何の躊躇もなく、レイの腕を両断する。コウエンを握る手が半ばから落ち、少年の体は今度こそ地面へと落ちようとした。
だが、倒れる最中、レイはコウエンの言葉を反芻する。ここが自分の心象世界だと。
(ここは僕の心の中だ! 思え、腕が繋がり、足が繋がっている姿を!)
倒れていく最中に、レイの思いに反応したかのように肉体が繋がる。太腿から斜めに切り落とされた足も、半分の長さになった腕も元の長さを取り戻し、手には龍刀が握られている。
「呵々! それでよい。それでこそ、幾百の死を乗り越えた漢。些細な死に怯えるなんぞ、其方には似合わない!」
言葉ともに、コウエンが龍刀を袈裟に振るう。レイは倒れながらも体を捩じり回避した。そのまま地面を転がり、片膝を突いて止まると、コウエンが追撃を仕掛けた。小柄な体を翻し、宙を舞う少女は龍刀を振りかぶる。
レイは龍刀を横に構えて攻撃を受け止めた。激しい火花と衝撃が全身を貫く中、レイは龍刀の柄を押し上げた。刃で刃をくい込ませていたコウエンはバランスを崩して地面へと落下した。レイとは違い、少女は地面を転がるような無様な姿はさらさず、手で地面を叩くだけでくるりと回り着地を決めた。
しかし、そこをすかさずレイの龍刀が迫った。右薙ぎの一撃は少女の浮き出たあばら骨を抉る。
コウエンは自らの柔肌を裂かれたことに怒るどころか、
「やるな、レイ!」
花が咲き誇るかのような笑みを浮かべて褒めた。
「だが、これではかすり傷だ。追撃の手を止める事はならぬぞ」
コウエンの言う通りだ。薄く裂いた傷口はすぐさま治り、滑らかな肌は傷一つ無かったかのように艶を放つ。コウエンの持つ龍刀が上段から滑るように振るわれ、レイの肩から脇腹へと斜めに抜けた。
「とはいえ、一撃は一撃。約束は守ろう」
すぐさま復活したレイが、龍刀を振りかざすよりも早く、コウエンは独楽のように回り、レイの上半身と下半身を別れさせた。
「其方も知っておるように、千三百年ほど前から始まった、いわゆる無神時代と呼ばれる時代は幾つかの転換期があった」
喋りながらも、コウエンの炎のような苛烈な攻撃は止まらない。振りかざした姿勢のまま再生したレイに向けて、合わせるようにコウエンは下から刃を振りかざし、単なる力技でレイを押し返した。そのまま今度はコウエンが振り下ろしの一撃を放った。
「立て続けに起きた三つの戦役。それを一纏めにした『暗黒期』。それに対を成すように存在した『黄金期』に初代『魔導師』は存在した」
聞き覚えのある名称だが、レイに考える余裕は無かった。態勢を崩されたレイはコウエンの振り下ろしを受け止めるのに必死だった。上から押され、レイの龍刀が下を向く。
しかし、コウエンは止まらない。レイの防御をあざ笑うかのように彼女は力を抜くと、レイの持つ龍刀を駆けのぼった。刃から柄。柄から腕。腕から肩へ上った少女は、肩を蹴るのと同時に、龍刀を振るう。無防備な肩に一撃を貰ったレイはそれでもコウエンを追いすがろうと振り向き、コウエンの龍刀が肋骨の間を滑るようにして肺を貫いた。
着地したコウエンが龍刀で刺突を繰り出したのだ。
瞬間、レイは反射的に行動した。考えるよりも早く、身の丈ほどの日本刀を振るうコウエンの小さな手を掴んだ。
紅蓮の瞳に驚きと、歓喜が入り混じった。
レイは右手だけで、龍刀を彼女の脇下から入れて腰のあたりから出した。
「くはっ。『黄金期』とは簡単に纏めれば、今に繋がる社会構造と技術が確立された時代の事じゃ」
骨を切らせて肉を断つなんて言えば聞こえはいいが、致命傷を負っている時点で敗北だ。心象世界だからこそできる戦法にコウエンは笑いを込みあげつつも説明を続ける。
「『冒険王』の異文化。『科学者』の魔法工学。そして『魔導師』の新式魔法。この三つが生まれた百年足らずの期間を『黄金期』と人の子らは呼んでいる」
一度距離を離れた両者は、お互いを食い合う獣のように吶喊した。互いの刃が届く間合いで切り合いが始まった。終始押しているのはコウエンだった。小柄な体格で縦横無尽に駆け回り、懐深くに潜りこんだかと思えば、あっという間に刃の外へと退避する。掴みどころのない、陽炎のように立ち回り、一度刃を振るえば、鬼火のように一気に燃え盛った。
レイの体で刃がくい込んでいない場所は無く、対するコウエンは終始上機嫌に龍刀を振るう。
「そらそら、どうした。もう、お終いか。その程度で終わってしまうのか、其方は」
「……うるさいな」
何度目かになる距離の探り合いから一転してレイが攻めに回る。
力任せに振るった横薙ぎでコウエンを弾き飛ばすと、そのまま愚直に突進する。コウエンはそんなレイを迎え撃つように同じ横薙ぎを振るった。ところがその一撃は空を切る。
コウエンの低い横凪よりも更に下。地面を這う蛇のように低く頭を下げたレイは刃を躱すと、コウエンに向けて柄尻を叩きこんだ。長い龍刀を振るうよりも早く、相手への一撃を与える。
一瞬、コウエンの体が浮きあがった。それを見たレイは彼女の浮いた両足を払った。コウエンの視界は急速に回転した。地面に倒れこむ前に、幼女は地面を拳で叩く。ひび割れた大地に新しいひびが生まれ、コウエンは更なる回転をしてその場を離脱しようとする。
だが、レイは逃さなかった。
「うぉおおおお!」
逃れようとするコウエンに向けて上段から刃を振り下ろした。すかさずコウエンは己の龍刀をレイに向けて投げた。
互いに至近距離から繰り出した一撃。
だけど、レイのコウエンが先に届いた。刃はコウエンの足を切り裂き、刹那の間を置いて、コウエンの刃がレイの額を貫いた。
「『魔導師』については余り多くは語られてはおらん。赤龍の記憶にも僅かにしか残っておらん。じゃが、一つ分かっているのはその少年が新式魔法を生み出し、それを多くの者に伝えたからこそ、今に残る技術として使われていることぐらいじゃな」
片足を失ったまま、地面に倒れこんだコウエンは、元気よく飛び上がると背伸びをした。体を解すかのように手足を絡ませ、筋を伸ばす姿は元気よく遊び回ったあとの子供の姿だ。
滑らかな銅のような肌は戦闘の高揚感から艶を増しており、血色がよくなっていた。上機嫌のまま、彼女はレイに近づいた。レイは額から貫かれた状態を保ったまま跪いていた。手にしていたはずの龍刀は消え、意識があるのかないのかはっきりしない様子だ。
コウエンはやり過ぎたかと思いつつも、龍刀を抜き、血を払った。そして、龍刀を地面に突き刺すと、その柄の上に立つ。
すると、ようやくレイは起きたのか、跪いた姿勢から体を地面に投げだし、荒い息を繰り返した。
「妾が知っているのはこれぐらいじゃな。『魔導師』が『招かれた者』だと聞いたのも、その後出会った冒険王から聞かされた事じゃし、もしかするとあ奴の勘違いという可能性もある……って聞いておらんな、レイ」
刀の上から見下ろすコウエンは紅蓮の瞳に呆れを浮かべていた。レイの胸は激しく上下し、返事をする余裕なんて無かった。
幾ら斬られても死なず、痛く無くても疲労は感じる。コウエンの繰り出す嵐のような斬撃に翻弄され、なすすべもなく斬られ、疲れが限界に達していた。
どこからか取り出した懐中時計の蓋を開けたコウエンが、時計の針を見た。
「十分で妾が斬られたのは三回。一方で其方が斬られたのは七十八回か。……十秒に一回以上斬られておらんか。この軟弱ものが」
ぐうの音も出なかった。
「其方も理解しておるじゃろうが、戦いとは天分の才や技能、能力値の値だけでは決まらん。どれだけ戦ってきたのかも重要じゃ。その点で言えば、其方は百年単位で戦ってきた『魔王』や『勇者』に大きく負けておる」
荒げた呼吸のまま無理に口を開いた。
「どうして……急に、そんな、分かり切った事を」
「其方の勘違いを正すためじゃよ。あの指輪に込めた《全力全開》なる魔法。あれのお蔭で妾の炎を、片腕分程度は扱えるようになったが、それはそのまま其方の技量が上がった訳ではない」
「……そんな事、言われなくても」
「分かっておる、と。さて、それはどうかのう。其方がちらりとでも、これなら『魔王』と戦えるとでも思わなかったと胸張って言えるか?」
レイはコウエンと自分が心象世界で繋がっているのだと改めて思い知った。隠し事はできない。
「本当なら、もっと長い月日を掛けて、其方を鍛えようかと思っておったのじゃが、予定が狂いおった」
良くも悪くも、とコウエンは付け足すと、龍刀の柄から降りてレイの元へと近づくと足を折りたたみ、倒れて見上げるレイの顔を覗き込んだ。
紅蓮の瞳に自分の顔が写り込んでいた。
「急ごしらえの、僅かな時間のみなれど器は成され、魂は言うに及ばず。百の死にすら耐える逸材。惜しむらくは技量、ただ一つ。こればかりはどうしようもない。そんな其方に妾の炎は扱いきれぬ」
「……そんな、事は。分かっている」
「じゃが、妾の力なくして『魔導師』を僭称した、あ奴を倒すことはできん」
「それも……分かっている」
エレオノールが繰り出す魔法を正面から受け止められるのは龍刀コウエンの力だけだ。しかし、それでも受け止めるだけだ。単純な技量で自分は負けていた。
龍刀の炎に振り回されるだけで魔法の効果が切れてしまった。
「そこで、一つ提案がある。其方の願いと、妾の願い。その両方を叶える提案じゃぞ」
コウエンの唇が動き、提案を語った。その内容にレイの瞳は驚きで見開かれた。
「そんな事……できるのか」
「百を超える死を乗り越えた其方だからこそ可能な荒業。もっとも、決めるのは其方で、妾じゃない。じゃが、覚えておけよ。妾はいつでも交渉に応じるぞ」
その言葉が合図だったかのように、レイの体は透け始めていく。肉体が目覚めようとする合図だ。コウエンは何も言うことは無いとばかりに立ち上がり、背を向けた。風に吹かれ靡く紅蓮の長髪を、レイは眺めながら言われた提案を反芻しつつ、心象世界を後にした。
意識が覚醒する直前。四肢に力が入らず、五感だけが妙に感度を上げる。レイはまず、鼻をくすぐる香水の香りに違和感を覚えた。僅かにしか動かない体を支えるのは柔かな肌触り。
(あれ? 僕は海に落ちたんじゃないのか)
違和感から目を開けると、飛び込んできたのは空では無く、木製の天板だ。美しいレリーフが施されたそれを見上げて首を傾げる。視線を周囲に向けると、薄いベールが四方を取り囲んでいた。
「……どこだよ、ここは」
呟きと共にどうにか上半身を起こすと、ベッドが軋んだ。自分が天涯付きの高級ベッドに寝かされているのをようやく理解した。もっとも、理解できたのはそこまでで、どうしてこうなっているのかは全く分からなかった。
ふと、横を見おろすと、シーツが人の形に膨らんでいた。レイはコウエンからリザと共に海を漂っていると教えられたのを思い出した。
「リザ。無事なのか。それで」
此処はどこなんだと続けようとシーツを捲ったレイは、そこで硬直した。
自分の傍で寝そべっていたのは女性だった。
陶磁器のように白い肌はベッドに柔らかく支えられ、シーツを剥いだ瞬間閉じ込められていた女性の香りが広がる。肌を覆うものは何一つなく、腕で胸元を隠そうとしないため、豊満な丘の上に桜色のおうとつがでっぱり、下腹部には申し訳程度に薄茶色の茂みが生えていた。
全裸で自分の横に寝そべる女性が淫靡な微笑みを浮かべながら、翠色の瞳をレイに向けた。
「おはよう。昨夜は凄かったわ。だって、寝かしてくれないんですもの。でも、起き抜けに別の女の名前を言うなんて、ひどいひと」
甘く囁くような声なのに、じっとりと淫靡な響きがふくんでおり、それがレイの耳朶を震わした。
読んで下さって、ありがとうございます。




