6-47 真夜中のアクアウルプスⅦ
★
炎に全身を焼かれていた。
いつから焼かれて、どうして焼かれているかなんて分からない。まるで記憶も燃やされたかのように、何も思い出せない。
炎は舐めるように全身を覆い尽くし、啄むように質量を削っていく。
皮膚が溶け、筋肉が燃え、血が蒸発し、神経が焼き切れる。口から飛び込んだ炎は酸素を奪い、水の中に沈められたかのように息が出来ない。
外側が焦げた炭とも、白くなった灰とも見分けがつかなくなるほど焼かれると、骨が炙られる。脳も無いのに思考できるのはなぜだろうかと、ぼんやりと考えてしまう。
そんな思考も炎は燃やし尽くし―――肉体が再生する。
炙られた骨が、焼き切れた神経が、蒸発した血が、燃えた筋肉が、溶けた皮膚が、一個の人間として再生した。
そして同じことを繰り返す。
出来の悪いカセットテープのリピート機能のように。何度も何度も何度も何度も何度も。
何度も繰り返す。
絶叫は炎に飲み込まれ、激痛も炎に飲み込まれ、感情も炎に飲み込まれ、炎は炎すら飲み込み、狂ったように燃え上がる。
★
「―――っうう!!」
全身が燃えるように熱かった。熱水を血管に直接注入されたように血が沸騰し、心臓が息苦しさと共に鼓動を速める。脳は熱湯で煮込まれているようにガンガンと激痛を送り込む。
体温調節として流れる汗すら蒸発しかねない高温ながらも、レイは意識を繋ぎとめる。荒い息を何度も繰り返して周りの状況を確認した。
目の前には訝しげに室内を見回すダリーシャスが座っている。その様子からすると、吸血鬼もどきにはなっていないようだ。同じようにレイも室内へと視線を向ける。目が覚めた場所は用意された宿屋の一室だ。
鼓膜を揺るがすのは澄み切った鐘の音。だけど、これから起きる事を知っているレイにしてみれば、不吉の象徴だ。
時刻はちょうど午前零時を超えた頃。レイの意識は、アクアウルプスが断末魔を上げる直前へと戻ってきた。
「奇妙だな。このような時刻に鐘が鳴るなどあり得んぞ。そもそも、あの鐘は―――おい、レイ。何処へ行く」
ダリーシャスの独り言を無視して、レイは高熱に蝕まれる体を必死に動かして、隣室の扉へと走り寄った。彼は急がなければならなかった。
前回、レイは戦奴隷との対等契約によって死んだ。つまり、リザかあるいはシアラ、もしくはその両方が死んだことを意味する。
対等契約を結んだのはもう一人、レティが居るが、この際彼女は除外だ。吸血鬼もどきの彼女らは驚異的な自己治癒機能が備わっており、並大抵の攻撃では死ねなくなっている。
リザとシアラ。どちらかが、あるいは両方なのかは不明だが、どちらにしても死に戻り直後は全身を走るイタミで満足に体は動かない。その最中に隣で吸血鬼もどきになった二人の相手は難しい。
下手をすれば、リザ達まで吸血鬼もどきとなってしまう。
だからレイはノックもせずに扉を開けた。
―――同時に、レイの視界は迫りくる誰かの背中に塞がれることとなる。
「あ? 一体なっだ!?」
言葉は最後まで出ず、レイは床と水平に投げ飛ばされた少女の背中を顔面で受け止める羽目になる。そのまま倒れずに堪えたのは成長の証か。
「ご……ご主人様、どうして! とにかく、逃げて!」
リザの悲鳴まじりの警告がベッドから飛んだ。レイの顔にレティを投げつけてしまったのはリザだった。これは別に狙ってやったことではない。満足に体が動かせない中、吸血鬼もどきになって襲い掛かる妹を精神力を纏う事で無理やり投げ飛ばしたら、運悪くレイにぶつかってしまったのだ。
一難去ったとばかりに気力を使い果たしたリザはベッドから飛び降りようとして足がもつれてしまう。その間にレティは態勢を立て直して、身近に居た人間を襲った。
つまり、レイだ。
レイの首筋にレティは牙を突き立てた。鮮血が隙間から零れ、床へと垂れて行く。
「あ……ああ……そんな。ご主人様まで……吸血鬼もどきに」
床にへたり込むリザ。これは想定しうる中で最悪に近いケースだった。
レイの《トライ&エラー》は死に反応して発動する。この死が自殺か他殺かでその後に関係するのだが、ここではあまり重要ではない。
問題は、吸血鬼もどきに至る過程に、死があるかないかであり、その答えは出ていた。吸血鬼もどきに至る過程に死は無い。
レティがその証明をしてしまったのだ。彼女が吸血鬼もどきに至る過程で死んでいれば、戦奴隷との対等契約によってレイも死に、自動的に《トライ&エラー》は発動してしまう。
だが、前回においてそれは無かった。レティが吸血鬼もどきになったからと言って、《トライ&エラー》は発動しなかった。
だとすればレイが吸血鬼もどきになっても時の巻き戻りは起こらないのだ。そして、吸血鬼もどきの人間は非常に死ににくい。腕が切られてもその腕が即座に生え変わるほどの再生能力を手に入れてしまう。
吸血鬼もどきのレイを殺せない以上、《トライ&エラー》は発動しない。
レイが吸血鬼もどきになれば死に戻りは発動しないのだ。
(どうすればいいの。ご主人様が吸血鬼もどきになる前に自殺するべき。いえ、戦奴隷の自殺で発動するかは不明なのよ。それにこの異常事態に《トライ&エラー》が使えなくなる方が問題よ。でも、このままだと、ああ、どうすればいいのよ!)
絶望が全身を支配する。つい数秒前まで体を蝕んでいた炎はどこへ消えたのか、急速に強張る体は凍えるような冷たさに囚われていた。
すると、リザの耳を何かを拾う。それはいまだに響く鐘の音では無く、人の声だった。
掠れて聞こえる声に視線を向けると、声のする方は扉からだ。
「……おい、リザ。ぼーっとしてないで、こっちを見てくれ」
幻聴では無い。幻覚でも無い。幻術でも無い。
扉の付近には首筋を噛まれながらも両の足でしっかりと立ち、呼びかけるレイが居た。もう片方の手はレティの頭を後ろから押さえており、離さないようにしている。一見すると、無図がる子供をあやす兄のような姿だ。
「ご、ご主人様? だ、大丈夫なんですか? 吸血鬼もどきには、え、あれ」
慌てふためき混乱する少女に、
「落ち着いてくれ。血がどくどくと流れている以外は無事だ。それより、そっちを頼む。シアラがピンチだ」
レイに言われて、リザははっとなった。キングサイズのベッドにレティとエトネを挟んで両側で眠っていたシアラ。彼女もまたエトネに襲われていたのだ。振り返れば、いまにも噛みつかれそうなシアラが枕を間に挟んで抵抗していた。
「シアラを助けて、それからこっちに来てくれ。レティは僕が押さえておくから」
「りょ、了解です」
リザは大急ぎでベッドの上に飛び乗ると、ずり落ちながらも抵抗を続けるシアラの救援に向かった。そちらの方は問題ないと判断したレイは、頭を押さえているレティが逃げようともがくのを両手で押さえた。
背中を壁に預けていたが、踏ん張る足から力が抜けズルズルと落ちる。そのまま床に座り込み、全身で抱え込む様に押さえつける。それでようやくジタバタするレティを離さないで済んだ。
触れた肌から伝わる温もりは驚くほど冷たかった。死者ほどではないが、生者とは思えないほど冷たいそれに、レイはせめて自分の温もりを移そうと余計に力を込めた。
「レティ。それに、エトネ。絶対に、絶対に。何が何でも元に戻してやるからな」
獣じみた唸り声を上げる二人に言葉は理解できない。それでも、ほんの僅かだが、少女らの抵抗は弱まったように思えた。
「……これは一体、どういう事なんだ!?」
前回同様、宿屋の屋上に上ると、外層部の至る所から聞こえる悲鳴と怒号に、ダリーシャスは驚きの声を出す。室内でレティとエトネを手際よく拘束するレイ達に対して、記憶の引継ぎが無いダリーシャスは混乱するばかり。一つ一つ説明するよりもまず、何かが起きているのだと分からせるべくレイ達はダリーシャスを連れて屋上へと移動した。
肌に叩きつけるような悲鳴と怒号の嵐を浴びているダリーシャスを放置して、レイ達は退路を探すと嘘を吐いて隣の建物へと移動した。リザとシアラがレイの傷口を治療している間に、各々が前回に知り得た情報を交換する。
「やっぱりアウローラサーカスが犯人か。あの目が見えないピエロが主犯で、それ以外の人を殺したうえで死体を操るなんて。それにガシャクラたちもこの街にやってきてんのかよ」
老人たちの執念に恐れ入るよ、とぼやくレイに対してリザ達は信じられないといった表情を浮かべていた。彼女らにはレイが吸血鬼もどきになれない事を説明していた。
「本当に……本当に体は何ともないんですね、ご主人様」
これで何度目の確認か。レイは律儀に答えた。
「ああ、今の所、吸血鬼もどきになる様子はないよ。レティに噛まれた傷口はまだ痛むけど、それだけだ」
首筋に付けられた傷口はポーションのお蔭でもう薄い皮膜が覆っている。シアラが爪でほじくると傷口が破けて血が垂れた。
「治りは普通ね。……正直に答えてね。今回の騒動を引き越したのは主様じゃないわよね」
「それも違うよ。主犯は君たちが見つけたんだろ。……というか、吸血鬼もどきにならないのを見たらそう思うかな」
「そうね。これが主様以外ならワタシはそいつを確実に主犯か、その共犯者かと思っちゃうわよ。でも、主様ならこういう可能性もありと言えばありよ」
どういう意味だよと抗議する声はスルーされてしまう。
「それでさ、コウエンは僕が吸血鬼もどきにならないのは、魔王の施した聖印のせいじゃないかって推測しているんだけど」
二人の視線が、レイの目の下に残る傷口に集まる。傍目には普通の傷口なのに、その下には得体のしれない何かが這いずり回っていると想像して少女たちは背筋を凍らせる。
「……ごめんなさい。お父様からフィーニスの事はあまり聞いていないの。聖印の事も、フィーニスがお気に入りに施した印としか」
「そうか。……それじゃ、ピエロと直接顔を合わせた時、そいつから魔人種の気配はしたか」
「それは無いわ。あのピエロは間違いなく、魔人種とは無関係の存在よ」
力強く断言するが、そうなるとやはり自分が吸血鬼もどきにならない原因が分からなくなってしまう。
ともかく、前回に置いて手に入れた情報は出そろった。特に、アウローラサーカスが主犯だと判明したのは大きい。
そして、一週目と二週目で大きな違いがある。それはダリーシャスが吸血鬼もどきになっていない事だ。
「もっとも、ダリーシャスを連れまわして街を歩くわけにもいかないから、軍船に乗せるのは変わんないけどね」
「その後、前回と同じようにアウローラサーカスに向かうのは良いのですが……正直あのピエロを倒す方法が見つかりません」
リザが悔しそうに言う。人を吸血鬼もどきにする何かを飴に込めて撒き散らし、裏社会の住人を殺した上で操り、旧式の上級魔法を詠唱もせずに発動させる力。
どれをとっても驚異的だ。
レイは直接顔を合わしていないが、《トライ&エラー》の死に戻りのイタミから推測できる。イタミの度合いは殺した相手とのレベル差に比例する。死に戻った時のイタミから敵の強さを文字通り肌で感じていた。
ところが、シアラは自分の薄い胸を叩くと、
「問題ないわよ。ピエロの使った手口ぐらいもう見抜いているし、対処法も思いついているわ」
と、自信満々に告げた。力強い言葉にリザは喜色を浮かべ、
「流石です、シアラ。それで、どのような作戦なのですか」
「慌てないで。今はダリーシャス王子を軍船に乗せるのが最優先よ。それに出来る事なら人手が多い方がいいんだけど、この街でまだ戦える人は残ってるかしら」
「それなら一人心当たりがいるよ。もっとも、今回も会えるかどうかは分からないけどね」
不思議そうに首を傾げる二人だが、質問をする時間は無い。なぜなら、隣の宿屋屋上から男の驚く声と、キュイが鳴く声が響いてきたのだ。屋上に出た時点で、シアラにキュイを呼んでもらったのだ。その際、ある命令を下したのだが、それが上手く行っていればいいと思いつつ、レイは拳を扉に当てた。
「キュイが来たね。……《砕拳》」
レイは前回同様に屋上の出入り口を戦技で壊す。一刻も早く下に降りるために、不法侵入と器物破損の罪を甘んじて受け入れる事にした。全部終わったら、賠償金を払いに戻るつもりだ。
扉が灰になり、闇が姿を見せた。
「前回通りなら、この建物は一階まで吸血鬼もどきが居ないはずだけど、一応用心のために僕が先行して様子を見る。二人をキュイに乗せて、アイツが下に降りたら、そっちも来てくれ」
ダガーを引き抜いたレイに向かってリザは了解ですと返して、シアラを連れて宿屋の方へと移動した。
階段を降りるレイの足取りは慎重で、足音を立てないように気を配っていた。いくら吸血鬼もどきにならないとはいえ、大量に噛まれれば失血死はあり得るし、目標をリザ達に変えられては困る。用心に越したことは無いのだ。
レイの用心とは裏腹に吸血鬼もどきは二階に至るまで影も存在しなかった。
問題は次の階だ。
一階は来客用の受付となっており、遮蔽物もない空間。そこに前回は吸血鬼もどきが一体入り込んでいた。レイの推測では、その吸血鬼もどきは何かしらの戦闘によって偶然入り込んだ個体。知能が低下してしまう吸血鬼もどきは仲間から孤立し、出口を求めて延々と壁にぶつかっていた。
しかし、今どうなっているのかは不明なのだ。
一階に続く階段へと足を踏み入れ、下の様子を伺う。
(静か……だよな)
窓の隙間から外の断末魔は聞こえてくるが、一階は静寂そのものだ。ここまで来るのに掛かった時間は前回よりも今回の方が短い。ダリーシャスを除く全員が記憶を引き継いでいるため、レティ達の異常に混乱する事もなく、ダリーシャスも吸血鬼もどきにならずに済んだおかげで時間が短縮されていた。
(まだ、吸血鬼もどきが建物に侵入していないのかな。だとしたら、逆に厄介だよな)
吸血鬼もどきになるには、吸血鬼もどきに噛まれる必要がある。一階に吸血鬼もどきがいたという事は、近くに他の吸血鬼もどきが居るという証拠だ。それも複数。
覚悟を決めて下へと降りた。一階は前回と違い綺麗な姿を保っていた。吸血鬼もどきが侵入した形跡もない。
自分の予想通り、これからやってくるようだ。
素早く扉へと忍び寄り、中から鍵を開けて僅かに扉を開けた。音だけで外の様子を伺おうとする。すると、剣戟の音に紛れて男の怒声が飛び込んだ。
「一体全体、何なんだこれは!?」
切羽詰まった男の声は建物を曲がった角の方から聞こえた。続けて聞こえてくる音や声からすると、そちらの方で戦闘が行われている様だ。
街の状況からすれば、確実に生存者と吸血鬼もどきの戦闘だろう。勝敗まではレイには分からないが、戦っている連中の誰かが吸血鬼もどきとなって、この建物に侵入する事になるのだろう。
「キュイ?」
びくり、と。横から聞こえて来た声に体を震わした。隙間を見上げれば、いつの間にかキュイがレイを不思議そうに見つめていた。背には拘束された上で縛りつけられたレティとエトネが居る。キュイは扉を頭で押すと、隙間を広げ室内を覗きこもうとする。おそらくリザ達を探しているのだろう。
「……なんだよ、お前か。びっくりさせるな……あーあ」
文句を言いながら首を曲げて角の方を見ると、吹き飛ばされて倒れた吸血鬼もどきの赤く血走った眼と視線が合ってしまう。
見つかってしまった。
「グウウウウ」
唸り声を上げた吸血鬼もどきが起き上がるなり、レイに向かって駆けだした。扉を閉めても、もう遅いだろう。逆に、レイは打って出る事にした。
ファルシオンは鞘に納めたまま、ベルトから抜くと吸血鬼もどきのみぞおちを突く。普通なら呼吸困難に陥る衝撃なのだが、吸血鬼もどきにとってみればつっかえ棒に体を押されたようなもの。届かない手を必死に伸ばす。
そこからさらに力を込めて吸血鬼もどきを押し倒すと、馬乗りになってダガーを首筋に当て電撃を流した。
「ギィァアアアア!」
充血した目が震え、上がった悲鳴は電源が切れたかのようにぱたりと止まる。切った所で直ぐに再生する吸血鬼もどき相手には打撃が有効だ。鞘に納めた剣をバットのように振るった方が効果的なのは前回身にしみてわかった。
「ゾンビ物のゲームでバットが必ずあるのはこういった理由なのかもな」
レイはぼやきながら失神した吸血鬼もどきを拘束するのを諦めた。何故なら、曲がり角から吸血鬼もどきがわらわらと姿を現したのだ。
ここで戦えば、建物へと吸血鬼もどきを招いてしまう。レイは扉を閉めると、一気に駆けだした。襲い掛かる吸血鬼もどきの喉やひざ裏を鞘に収まったファルシオンで突き飛ばして態勢を崩して道を作ると角を曲がる。そしてそのまま、吸血鬼もどきの群れを飛び越えて、生存者たちが背中合わせに戦う輪の中に着地した。
「貴様っ! 何者だ!?」
三十代くらいの男性が武器を構えたまま叫ぶ。この生存者たちの中でも腕が立つのか全身が赤く染まっていた。
「通りすがりの冒険者だ。仲間を待たせているんで、手早く終わらせたい。協力してくれ」
一方的に告げると、コウエンの柄に手を伸ばした。
読んで下さって、ありがとうございます。




