6-46 真夜中のアクアウルプスⅥ
―――勝敗は一瞬で決まった。
腕を滑らしてチャクラムを構えた双子の曲芸師が息の合った連携を見せる前に。モンスター使いが鞭を振るい、レッドパンサーが鋭い牙で肉を割く前に。骨と皮しかない痩せた男が体内から吐き出したメイスを投擲する前に。
アウローラサーカスの誇る裏の芸人たちは、ぬるりと背後に現れた黒装束達に殺されてしまう。ある物は頭をかち割られ、ザクロのような中身を晒し。ある物はたおやかな首筋を左右から押しつぶされ、頭がぼとりと落ち。ある物は骨と皮しかない体内から濁流のように血液を流して死んだ。
観客として手を出す暇が無かったシアラの目には、彼らがいつ現れたのかすら理解できない程の早業。だが、リザの青い瞳は薄暗い観客席に蠢いていた黒装束の集団を微かにだが捉えていた。
「……最初から、仲間を二つに分けていたんですね」
背を向けるガシャクラにリザは問いかける。小柄な老人の背は何も語らず、それを承知でリザは言葉を重ねた。
「ワザと目立つ場所に降り立ち、周りの目を自分たちに向けて置いて、伏兵対策として伏兵を置いていた。ある意味滑稽でしょうね。自分たちの潜んでいる前を何も知らずに歩いている獲物が居るんですから」
「ふむ。大体正解だな。しかし、一つだけ違う点があるぞ」
ガシャクラの言葉にリザは眉をひそめる。すると、ガシャクラは義腕の指を鳴らした。鋼鉄がぶつかり火花が散ると、リングの上に居た黒装束たちの姿が泥のように崩れ、後も残さずに消えた。
いや、最初からそこには誰も居なかったのだ。
「これは幻術魔法。……そういう事ね。ここに降り立ったのは、最初からガシャクラ一人で、後は幻だったわけね」
魔法によって欺かれていた事に気が付くと、シアラは悔しそうに顔を歪ませた。
「そういうことだ。……さて、座長。いや、それを操る魔術師よ。形勢は決まった。さっさと姿を現して書状を受け取れ。こちらはそこの小娘らと違い、貴様と敵対するつもりはない。これ以上手間をかけさせなければ、手も出さん」
言外に、これ以上手間をかけさせるなら、実力行使に出ると言っている。
証拠のように観客席から放り投げられた芸人の死体がリングを血に染める。薄闇に身をひそめているせいで、正確な人数は分からないが、黒装束の集団は観客席を一段ずつ降りてくる。
状況は誰が見ても不利なはずなのに、座長は動じることなく、口を開いた。
「ふふふ。まだ。終わりじゃないよ」
口の端をぐにゃりと歪めた気味の悪い笑み。同時に、肥満気味の体が動き、レイピアが振るわれる。鈍重な見た目とは裏腹な素早い動きでガシャクラの懐へと潜りこむと、老人の喉仏を狙い突く。
しかし。
「動きが温いぞ」
一閃。
ガシャクラの義腕が軽く振るわれ、細いレイピアが花の茎を折るかのように二つに分かれてしまう。返す刀でガシャクラは座長の顔を殴りつけた。
「ぎゅふぅうう!」
悲鳴を上げてリングを囲う仕切りに激突する座長。肥えた体が観客席にぶつかって止まると、鼻や口から血を流して動かなくなっていた。
傍で見ていたリザ達は座長が死んだのではないかと思ってしまうほどの一撃だ。
ところがだ。
自らの義腕と座長を何度か見比べたガシャクラは、素早く周囲に落ちている芸人の死体にも視線を送る。そして、それらを仕留めた黒装束たちにも視線で何かを問いかける。
視線が合った黒装束たちは一様に頷くと、ガシャクラは泥を口にしたかのように顔を苦々しく歪ませた。まるで何かに腹を立てるかのように、舌打ちもした。
「外道が。……趣味の良し悪しを論じるような道徳性を持ち合わせてはいないが、これほど不愉快な相手も珍しい」
心に溜まった膿を吐き出すように独白するガシャクラはリングの天井を見上げて叫んだ。
「魔術師! 死体を操るのはこれぐらいにして、さっさと出てこい!」
ガシャクラの言葉は天幕を震わす。リザとシアラは驚きのあまり目を見開いて硬直した。
「死体を……操るですって」
少女たちはリングの内外で倒れているアウローラサーカスの芸人たちを観察する。ガシャクラの部下に致命傷を与えられた死体はリングの上でピクリとも動かない。これらがいつ、死体になったのかまでは判断できない。
何より、座長はつい先程まで動いていたではないか。確かに、何者かの干渉を受けて奇妙な様子だったし、喋っている内容も座長の口を通して話していたふしもある。
だけど、座長も芸人も死体のようには到底思えないほど、滑らかな動きをしていた。リザ達には到底信じられない内容だ。すると、少女達の内心を見透かしたように、ハスキーな女の声が、動かない座長の口から放たれる。
「お見事。大正解さ。オメデトウ」
台本を読んでいるかのような棒読み口調には、言葉通りの感情は込められていない。ガシャクラが不満そうに鼻をならした。
「それでさ。どうして彼らが死体だと分かったんだい。今後の参考にしたいから是非ともご教授願いたい」
「……瞬きと肉の固さ。そして何より、匂いだ」
ため息を吐いたガシャクラは律儀に答えを言う。
「そこの小娘らと会話している時から、貴様は瞬きを一度もしていなかった。そして、殴った時の肉の固さ。この腕が感覚の繋がっていない作り物だとしても、生きた肉と死んだ肉の違いぐらいすぐに分かる。そして何より、この天幕に微かに漂う匂い。これは死臭だ」
座長は、いや、座長を操る何者かは納得したかのように座長の折れた腕を無理やり動かして拍手をする。その拍手も掌をぶつけるのではなく、手の甲をぶつけていた。骨が力いっぱいにぶつかり、細かく砕ける音が響く。
歪な拍手は一つでは収まらない。四人の芸人も同じように寝そべったまま腕だけが動いて拍手をする。ある者は頭が割れ、ある物は頭が無く、ある物は血まみれのまま。共通しているのは、全て死体だという事だ。
骨が砕け、肉を突き破る拍手の中、あまりの現実離れした光景に、リザは臓腑の芯が凍えるような感覚を味わう。吐き気を堪えるので精一杯だ。
「なるほど、なるほど。いやー、随分と参考になったよ。ぼくはあまり人と会わないからね。だからこそ外に出た時にこうして出会った経験は何よりの財産となる。貴重な意見として受け止めさせてもらうよ」
「だったら、さっさと顔を出し、書状を受け取れ。それさえ済めば、我らはこの場を立ち去れるのだ」
「うーん。そいつは嫌だな」
ぴきり、とガシャクラの額に青筋が浮かぶ。座長を操る者はくすくすと笑い声を発した。
「だってさ、その手紙ってあの人からのでしょ。だったら間違いなく嫌味の連発だよ。あの人、ぼくに厳しいんだもの」
「……貴様と主の間がどのような物なのかは知らんが、儂は渡せと命じられた。ならば、貴様の両腕が落ち、両足が捻じ曲げてでも渡す義務がある。……そのような目に遭いたく慣れれば、さっさと受け取れ」
「わぁ。怖い、怖い。そんな怖い事を言われちゃ、ますます会いたくないし、受け取りたくないな。それに、せっかくここまで来てくれたご老人が死体となってお帰りになるのも忍びないから、ここは穏便に消えた方が身のためだよ」
ハスキーながらもどこか甘えた風な喋り方で挑発する座長。対してガシャクラは剣呑な雰囲気を放ちながらも、黙って睨んでいた。二人の間に激しい火花が散る中、割って入る声が上がった。
黒装束の一人だ。
「頭領! 客席の後ろに、生存者が隠れています」
全員の視線がそちらに集まると、黒装束が上背のある男を引きずる。リングの上ではスポットライトを浴びて輝いていた紫の長髪は、土やほこりにまみれ薄汚れ、きらびやかな舞台衣装は皺だらけになった上に血を大量に浴びている。男の端正な顔立ちは、見るに堪えないほど汚れている。しかし、その特徴的な姿を見間違えることは無い。
「アンタはアウローラサーカスの魔術師!」
シアラの叫びにガシャクラを含めた黒装束の一団が動く。男を取り囲むように全員が配置に着いた。
「なるほど。死体を操るような輩だ。こそこそと隠れているのが似合いと言えば似合いだ。しかし、本当に……貴様がそうなのか?」
ガシャクラの言葉が後半になると尻すぼみになってしまうのも無理はない。黒装束に引きずられた男は涙と鼻水を流し、顔中ぐちゃぐちゃに汚しているのだ。とてもじゃないが、これだけの騒動を引き起こした黒幕とは思えなかったし、思いたくも無かった。
「俺じゃねぇ! 俺じゃねぇんだ。俺は何にも関係ないんだよ!」
泣きわめく男に向かってガシャクラはみぞおちを踏み潰す。小柄ながらも鍛えた老人の脚力と体重で男は呼吸が出来ないように呻いた。
「騒ぐな、耳障りだ。……貴様は何者だ。あの娘らは貴様が魔術師だと言っているぞ」
すると男は首を千切れんばかりに横に振った。何かを説明したそうに口を動かしているのでガシャクラは足を退けてやった。
「はぁはぁはぁ。……俺は魔術師なんかじゃない! ただのモノマネ芸人だ!」
「……モノマネ」「……芸人」
リザとシアラが顔を見合わせると、男は早口で己の事を説明する。
「そうなんだよ! 俺は本当ならアウローラサーカスだとコミック。つまり笑いを取るための芸人なんだ。……でも、この街で公演をうつって事になった時、座長からここに居る間だけは魔術師の振りをしろって。俺は座長に、魔法なんか使えないって言ったんだ。そしたら、魔法はお前の相方になる奴が使うから、そいつに合わせればいいって! だから、俺はそいつの指示に従っていたんだ! 俺はただの普通の人間なんだ。座長達とも違う、普通の人間なんだよ!」
男の悲鳴じみた叫びに全員の顔色が変わった。男の言葉が真実なら、その魔法使いこそ、この騒動における黒幕なのだ。ガシャクラが男の服の襟を掴む。
「そいつとは一体誰だ。答えろ!」
隻眼の老人が間近に迫っても、男の錯乱は止まらない。
「あいつは、普段は大人しそうなやつなんだ。目が見えないのに明るくて剽軽で、新参者なのにサーカスに溶け込んでいて。でも、ついさっき、アイツはサーカスの皆を殺しやがった。子供も、大人も、みんな。殺しやがったんだ」
男の目から涙が川のように流れて行く。彼の衣服に付いた血は、おそらくその時に付いた血なのだろう。苛立たしげに何度も問いかけるガシャクラを無視して、男は慟哭する。
「アイツがいなけりゃ! アイツがサーカスに来なければ、俺達はまだ家族で、仲間で居られたのに。アイツが、あのピエロが―――」
「―――あーあ。言っちゃったね」
天幕にハスキーな女の声が響くと、男の涙は途切れ、今度は怯えたように歯を鳴らす。リザもシアラもガシャクラも黒装束たちも、声の方向を探そうと周囲を見渡す。
しかし、声の主―――ピエロは姿を見せず、一方的に語りかける。
「ぼくの正体を言わない。そういう約束だったろ。そういう約束を交わして、君は生き延びたんだ」
「あ……ああ……違う。違う、違う、違う! 俺はまだ、お前の事は何も言っていな―――っもご!?」
何処かからか聞こえる声に向かって弁明しようとした男の口が、何かに塞がれてしまう。男の首がありえないほど膨らみ、喉を詰まらせているかのようだ。
そのようなコブが男の体の至る所に出来ていた。ガシャクラたちが男から距離を取るのと同時に、コブが破裂した。
コブから出てきたのは鎖だった。何本も、何十本もある鎖が男の体内から飛び出すと、男の体に絡みついた。隙間なく、男の全身を縛り上げると、鎖は徐々に回転しだす。
「いやだ、止めて、止めて、止めっギャアアアアア!!」
男の口から醜い悲鳴が響く。回転する鎖は男の皮膚を削り、骨を、肉を、神経を削っている。染み出た血液が周囲に飛び散り、赤く染める。次第に鎖は体積を減らしていき萎んでいく。そして、回転が終わると、鎖は泡のように溶けて消え、残ったのは人の肉塊と血まみれのリングだけだった。
「無残な死に方。とてもじゃないが、お客様には見せられないショーだとは思わないか」
ハスキーな女の声が肉塊の向こう側、観客席の方から聞こえると、スポットライトが一斉にそちらを向く。光を浴びて観客席の闇から姿を見せたのは白いメイクに、滑稽な舞台衣装を身に纏う―――道化師だ。
「そういえば、あの男と一緒に舞台に上がっていたのは、あのピエロだけだったわね」
シアラの言葉にリザはショーの内容を思い出す。色鮮やかな魔法の劇場、リングに上がっていたのは魔術師と名乗っていた男と、観客席に座っているピエロの二人だけだった。
つまり、
「あなたが、この騒動を引き起こした黒幕!」
リザの鋭い声色を受け止めたピエロはあっさりと頷いた。
「そうだね。アクアウルプスを地獄に変えたのも、アウローラサーカスの団員を血祭りに上げたのも、全部ぼくがしたことさ」
悪びれる様子もなく、懺悔する様子もない。ただ事実を事実だと断定するかのような口調に、リザは怒りが込み上がり二の句が告げなかった。代わりにガシャクラが喋る。
「アウローラサーカスの魔術師。確認するが、貴様が本当に黒幕だな」
「くどいなぁ。外を御覧よ。ぼくが今現在進行形で地獄を作ってますよ」
「ならば、この書状は貴様宛だ。我が主から此度の黒幕に渡すよう命ぜられたもの。さあ、受け取れ」
懐から差し出された書状に視線を向ける事も無く、ピエロは困った風に頬杖を突いた。ガシャクラを無視するかのように、彼女は口を開く。
「昔聞いた童謡にさ、受け取りたくない手紙の対処方法があるんだけど、知っているかな?」
訝しげるガシャクラたちを無視してピエロは歌う。
「『くろやぎさんたらよまずにたべた』、『しろやぎさんたらよまずにたべた』」
リザは眉をひそめた。調子の外れた音程に、幼い子供に読みきかせるかのような歌詞。童謡らしい童謡ではあるが、彼女には、ピエロが口ずさむ歌に聞き覚えは無かった。同様にシアラも眉をひそめていた。
「実に素晴らしい方法だとは思わないかな。本来の歌としては二匹のヤギが届いた手紙を食べてしまい、互いにどんな内容の手紙を出したのか確認する手紙を出して、それも食べられてしまい、懲りずにまた手紙を出すという終わりのない歌なんだけどさ。ここでぼくが参考にするべきなのは、届いた手紙を処分して、届かなかったと言い張る事で手紙を受け取らなくても済むという事さ。悪いのは配達員だ。きっと彼もヤギさんなんだろう」
「……何が言いたいんだ、貴様」
ガシャクラの全身から殺気が立ち上る。彼は遂に実力行使に出るつもりだ。同様に黒装束の男たちも身構えていた。対して観客席に座るピエロは変わらずに、
「だからさ、手紙と配達員。そして目撃者の全部を燃やしてしまえば、終わりでしょ」
と、事もなげに言い、指を鳴らした。
―――勝敗は一瞬で決まった。
円形のリングが一瞬で炎の海と化した。荒れ狂う火の粉が全てを燃やす。芸人たちの死体も、ガシャクラとその仲間も、リザもシアラも。
何もかもを呑み込んで、業火は踊る。
「キュ、キュイイイイイ!!」
唯一、リングの外に出て様子を伺っていたキュイだけが炎の荒波に飲まれることなく、悲鳴を上げていた。なにしろ、炎の中に居る者達は声を上げる余裕すらなかったのだ。
皮膚が燃え尽き、血が乾き、肉が炙られ、神経が激痛に焼き切れ、肺の酸素すら炎は飲み込む。明るい橙色の炎の中で、人は黒い影のようにしか映らない。
それも指先からボロボロと崩れ落ちていき、ただの黒い染みとなってしまう。
(この大火力……間違いなく上級魔法。それも旧式の……でも、どういう事なの!?)
炎が飲み込めなかった思考だけをシアラは働かせていた。死ぬまであと数秒、それまでの間に、手に入るだけの情報を脳に、記憶に焼き付け次に繋げようとしていた。
(詠唱をしている素振りは見せなかった。……いまだって、あの公演の最中も……ピエロは詠唱をしていないはずよ)
シアラがガシャクラの探している魔術師の事を聞いて、それがピエロではないかと思わなかったのは先入観だけではない。どんな形であれ、魔法を発動するには詠唱が必要なのだ、旧式でも新式でもそれは変わらない。なのに、ピエロはショーの最中も、そして今も、詠唱をせずに魔法を発動した。
現に、つい数秒前まで、ガシャクラとたわいのない話をしていて、詠唱をする暇はなかったはずだ。
それなのに、ピエロは瞬時に旧式の上級魔法を発動したのだ。そのあり得ない行動が何なのか見極めようとする。
だけど。
その思考すらも炎は飲み込んでしまった。後には何も残さず、炎はうねりを持って燃え盛る。
読んで下さって、ありがとうございます。




