1-3 スライムに敗北
※7/23 空行と一部訂正。
※10/15 ステータス修正。
脳が目の前の光景を現実だとは認識できないでいた。先程と同じ景色、匂い、気温、寸分たがわず目が覚めた時のままの光景が広がっている。当然、自分自身を見ても傷一つつけられた形跡は無い。サイズの合わないシャツとジーンズはスライムに溶かされた後も無い。服の内側を覗いても肌に火傷の痕なんて無い。
しかし、夢だとは思えない。現に皮膚をスライムが絡みついた不快感や、肉が溶けていく匂い、神経を凌辱するような激痛、意識が遠のく感覚。
どれも現実として記憶している。間違いなく僕は死んだ。そして、激痛と共に生き返った。もっとも、その痛みを思い出すだけで汗は止まらず、心臓は破裂しそうな勢いで鼓動する。
むしろ、生き返る前に味わった痛みの方が苦しかった、
眼をつむると、心を落ち着かせるために自分の心音に集中する。
「……て。なんだ、これ?」
眼をつむると、瞼の裏に本のような物が浮かび上がってきた。古びた本だが見た覚えは無い。ぼんやりと眺めていると表紙が開かれ、自分の顔写真と名前、それに幾つかの項目が浮かび上がってきた。
これは、まるでゲームとかのステータス画面じゃないか。
異世界は異世界でもゲームの世界かよと毒づきながら、一番上の能力値の項目に意識を向ける。
するとポインタが触れたのか、ページが捲れ、複数の項目と文字、それに数字が表示される。
LV.1 称号.スライムに負けた男
HP.10 MP.0
STR.1 END.1 DEX.1 MAG.1 POW.1 INT.1 SEN.1
やばい。コメントのしようが無いぐらい弱い。
全項目オール1とか無い。
なにより称号が屈辱的だ。変えられないのか。
意識を称号に向けると、またページが捲られ、称号一覧と書かれたページが開かれた。
表示されたのは二つ。『スライムに負けた男』、『招かれた者』の2つだった。
切り替えようかと思ったが、誰かがこれを見るものでもないと考えて気にしないことにした。
恥ずかしいのは自分だけだと考える。
戻れと念じると、ページは最初に戻る。
次は能力値の下の項目、技能と書かれた項目に意識を向ける。
再びページが捲られ、3つの項目が浮かび上がる。上から、受動的技能、能動的技能、特殊技能と書かれている。何故だか特殊技能の部分だけ赤く光っているのが気になるが上から順番に見ようと思う。
受動的技能の項目を開くと、一覧と書かれたページが開き、《エルドラド共通言語Ⅰ》と書かれていた。
その一つしかない。
なるほど、サターンの言っていた、この世界に合わせた体はこの能力値や技能の事を言っていたのかと納得する。
この技能があれば、たしかにコミュニケーションが取れる相手と意思の疎通はできそうだ。もっとも今のところ、出番はなさそうだ。なにせ、スライムとは意思疎通できないでいるし、人語を理解できそうな生物と会えそうもない。
しかし、この低すぎる能力値は……まさか、生まれたばかりの肉体だから? 見た目は15歳だが、能力は赤ん坊と同じなのか。それは無いだろ神様。
項目を戻り、次の能動的技能の欄を開くが、空っぽだった。
うん、なんとなく想像はしていた。
赤ん坊に使いこなせる技能は無い。
諦めながら、一応最後の特殊技能と書かれた欄を開く。
同じように空欄だと思い期待していなかったそこには、僕の期待を裏切るように文字が書かれていた。
《トライ&エラー》。
試行錯誤? 不思議に思い開こうとして、僕は強烈な痛みを味わう。
「ぐっあああ!?」
眼を開ける必要もない。この焼けるような痛みは覚えがある。
スライムの酸だ。見ればさっきと同じくスライムが周りを囲み、腹には僕を溶かそうとするスライムがへばり付いていた。音もなく近寄り、訓練された動きを見せる。
腹だけでなく腕や足にもついていた。
迂闊だった。これじゃあさっきと同じだ。
後悔しながら、まだ自由な手を使いスライムを引きはがそうとするが、柔らかい体は抵抗もなく指を飲み込み溶かしていく。目の前で指から皮膚が剥がれ、むき出しの肉が泡立ちながら溶けていく様を見てしまう。
「ぐぁああ」
しくじった。なぜこんな所でのんびりとしていたんだ。とにかくこの場から脱出しないと。
しかし、もう遅かった。
痛みは全身から抵抗する力を奪い。僕の意識は再び遠のく。
―――また死ぬのか。
★
同じイタミを味わいながら目が覚める。全身を流れる汗を不快に思いつつ、それでも蘇れた事に安堵する。
見渡せば、いや、見渡さなくても分かる。同じ森の同じ場所だ。おそらく同じ時間だろう。
間違いない。僕は死んだ。そして生き返った。
急いで意識を集中させて、先程まで開いていた特殊の欄を開きなおす。
現れた《トライ&エラー》を開く。
表示された画面を見る。
『スキル保有者が死亡した場合発動。その日の午前0時、もしくは保有者が意識を覚醒した時刻まで時間を巻き戻す。
対象:1人。発動回数2回』
「……原因はこれか」
瞼を開けながら納得する。立ち上がり裾や腕をまくりながら今起きている事態を頭でまとめる。理由は不明だが、僕は死ねなくなったようだ。無限の命を手に入れたというより、コンテニュー制になったと言うのが正しいのだろう。
これが確実に発動するかどうか、使用可能回数があるのかどうかは気になるが置いといて、目の前の脅威を処理しよう。時が戻っているなら、もうじきスライムの群れが現れる。
身支度を終えて周りに目を凝らす。最初の一体はどこから来たか、冷静に思い出す。
正面だ。
スライムの群れは正面から現れ、半円状に散りながら僕の退路を断っていた。
だったら、逃走経路は後方だ。
そう考えて、僕は暗い森の中に飛び込んだ。
★
そして通算11回、死亡した。
「やばい。オワタ式を生身でやるのがこんなにつらいとは思わなかった」
特に死んだら何事もなく目覚めるわけでないのが一番つらい。蘇生前に味わうイタミの方が殺される痛みよりも苦しく、確実に心を削っていく。
弱音を吐きながら、12回目の星空を見上げつつ死亡遍歴を思い出す。
スライムの群れに6回、人食い植物に1回、人の背丈をはるかに超えるクマに3回、森で足を滑らせて1回。
とにかく死んだ。
しかし、無駄な死を積み重ねたつもりは無い。2つ分かったことがある。
1つ目はモンスター同士に縄張り争いが存在すること。正確にいうと、種族の縄張り争いがある。スライムを連れて森を駆けずり回った5回目の時にそれは起きた。
人の背丈をはるかに超え、両の手は人を一撃で死に至らしめる爪を持つクマが目の前に立ちふさがった時、スライムは僕を襲わずに逃げたのだ。
僕も逃げようとしたが、手の届く位置に居たせいで、背中からザックリと斬られて死んだ。
そこで、6回目、7回目と同じくスライムを引き連れてクマを探し、わざとスライムの群れを突破して遠くから様子を窺った。
すると、クマと会敵したスライムが意を決し体当たりを仕掛けた。体格差を顧みない蛮勇は群れに伝播し、ほかのスライム達も続いた。
もっともクマにはかすり傷を負わすこともできずに薙ぎ払われ、スライムは全滅。ついでに僕も殺された。
もう1つ、判明したことはスライムの群れが複数いる事だ。
すくなくとも3パターン居る。
というのも、何度も遭遇すると数を数える余裕もできたのだが、出くわした場所で数が違うのだ。
仮にスタート地点で出くわす群れをパターンAとする。その数は常に4体。
そして、パターンAがやってくる方角を12時とすると11時から9時の方角で出くわす群れは5体。これをパターンBとする。
次に1時から3時の方角で出くわす群れは6体となる。これをパターンCとする。11回目の僕を殺した群れだ。
この3つの群れが存在する。
体感時間と歩く速度、その際の疲労具合から、スタート地点から近い順で並べるとA→C→Bの順だろう。
少なくともこの3つの群れは数や出くわした時の時間などから増援を呼んで数を増やした同じ群れではないと思いたい。
だとすると、次に気になるのはこの3つの群れが何をしているのか。
特にBの群れはクマの出没ポイント近くまで来ているのだ。あの様子からすると力関係でスライムが不利なはずなのに。
僕はそこまで考えて1つの可能性に掛ける事にした。
まず、一番近いAに見つかる前に遠いBの群れの方に向かった。
森を何度も歩けば、おおよその地形は覚えた。すでに薄暗い視界にも慣れ、薄らとだが周りの状況も見える。スタート地点からBとの中間地点と思われる場所まできた、と思う僕はここで進路を右手に切る。
つまりAの背後の地域を目指し、未踏の地を進む。
そもそもだ。スライムは僕を探していない。
ここが重要だと判断した。
おそらくあのスライムの群れは、何かを発見し警戒行動をとっているのではないのか? なにせスライムは非力な僕が木の棒を闇雲に振っても倒せるほど弱い生物。どう考えても夜に食料を求めて危険なクマが居る近くまで来るとは思えなかった。
あのスライム達は何かを見つけて警備をしているのではないのか? そしてその地点こそAが現れる方向の向こう側にあるのではないのか。
どうにか働かせた頭で下した結果にすがる思いで信じた。信じるしかなかった。少なくともそう信じることで足は動き、気力は萎えずにいる。正直体力よりも、精神。心の疲弊ぶりが酷い。直感に過ぎないが、あれは何度も味わっていたら、心が死ぬ。
この考えが間違っているなど考えずにとにかく進む。もしかするとこの先に居るのは別の群れ、あるいはより凶悪なモンスターが居るかもしれないと思いつつもとにかく進んだ。
不安から自然と呼吸が乱れ、苦しくなってくる。
額を流れる汗を袖で拭く。とにかく、今の僕は体力が無い。低い能力値が足を引っ張っている。
鉛のような足は満足に動かなくなり、ついには何かに躓き倒れこむ。
しまったと思った時には遅く、両手を前に突き出し、とにかく直ぐに立ち上がれる備えだけはする。
手をつきながら倒れた僕は、ひんやりと冷たく柔らかい感触を味わう。森の湿った地面とは違う感触に驚き、すぐさま立ち上がり、へたり込んだ。
死体があった。
僕の死体ではない。誰かの死体が2体、そこにはあった。
1体は寝袋のような物の上で寝ころび、もう1体は胡坐を組んで座り込んでいる。一見すると2人とも眠っているように見えた。もっとも頭が有ったら、の話だが。
「―――!?」
口元を抑えて悲鳴を押し込む。とにかく落ち着こうと、自分の名前と年齢と誕生日と出身地を念仏のように繰り返し心で唱える。
僕の名前は御厨玲。20歳だったが、今は15歳。11月11日生まれの神奈川県で生まれた。現在は都内の大学に通っていたら、異世界に居る。
何度も心の中で繰り返した。目の前の死体を極力意識しないようにする。10分程経ち、まだ心拍数は高いがいくらか心は落ち着いてきた。
薄暗い森の中、零れる月光を頼りに死体に近づく。
死体を前にどうすればいいのか途方に暮れる。連れて行く訳にも行かないし、埋める時間も無い。
とりあえず、手を合わせた。
「なんまいだ、なんまいだ」
日本式の御経が異世界で通用するかは知らない。
とにかく呟いてから死体に触る。ゴムのような質感が返ってくるが、我慢しながら情報を手に入れようとする。見た感じ、死んでそこまでの時間は経っていないようだ。僕の経験からすると、首や頭、あるいは胸などを溶かして致命傷を与えるのがスライムの基本だ。その後、全身をスライムの溶解液で溶かされ、捕食されたのだろう。溶けた肉とむき出しの骨と共に、明らかに違う食い止しの跡が残っていた。2つとも頭が無いのはスライムにとってメインディッシュなのだろうか?
2つの死体はそれぞれ木製の鎧を着こみ、腰には西洋剣が挿してあった。近くには焚火のような跡も残っている。この場所で休憩していたのか、もしくは寝泊りをしていたのか、ともかくこの二人はスライムと遭遇し、戦うこともできずに殺されたのだ。
その証拠に、彼らの持っている西洋剣は鞘に入ったままだった。経験者だからわかる。意外とスライムはアサシン向きのモンスターだ。
溶けた鎧は使えなさそうだが、鞘に入った剣は大丈夫そうだ。
「すいません。名前も知らない貴方たちからこの剣をもらいます。生きて森を抜けたらこの場所を誰かに伝えます。だから僕を許してください」
祈るように呟き、剣を掴むとベルトの隙間に差し込む。
ようやく僕は武器を手に入れた。