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試行錯誤の異世界旅行記  作者: 取方右半
第4章 エルフの隠れ里
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閑話・受付嬢の出立Ⅳ

 ギルドを出たアイナとファルナは最寄りの食堂へと足を運んだ。そこはかつてアイナとレイが食事をしたオルゴン亭だった。


 昼食の時間だからか、冒険者や商人や職人たちでごった返す中、アイナ達は二人用のテーブルへと案内された。水を出した小さな女の子に向けて注文を伝えた。


「繰り返します。AランチとBランチ、一つずつですね。少々お待ちください」


 頭を下げた拍子に栗色の髪が揺れた。他の店員と揃いの制服に身を包んだ少女は、厨房へと注文を伝えに駆けだした。


「ねえ。もしかして、あの子供って、あの時の労働奴隷?」


 水を喉に流し込んだファルナは少女の方を指差しながらアイナに聞いた。彼女の言うあの時が何を指すのか分かったアイナは肯定するように頷いた。


「はい。レイ君が助けた娘です」


 二人が視線で追いかけている少女の名はリラ。オルゴン亭で働いている労働奴隷の少女だ。ゲオルギウスの襲来時の破壊音を聞いた女将が外に様子を見に行かせ、結果として戦闘に巻き込まれた。


 ゲオルギウスの槍が向けられたとき、身を挺して庇ったのがレイだった。戦闘に巻き込まれた直後は、大きな物音などに過剰に反応していたが、いまではすっかりと元気になり、愛嬌を振りまいている。


 本当に駆け出しの冒険者でしかないレイが、傷だらけになりつつも、巻き込まれた少女を助けた姿は、いまでもアイナの心の中で鮮烈に残っていた。唇の端が緩み、目尻が下がった。


 すると、ファルナが悪戯猫のようににんまりと笑った。


「アイナさんが聞きたい話って、やっぱりレイの事?」


「っ! ごっぉほ。ごっぉほ!!」


 水を飲んでいたアイナは核心を突かれて、水が気管へと入り込み咽てしまう。ハンカチを取り出して、零してしまった水を拭うアイナの耳は真っ赤に染まっていた。アイナの焦り方にファルナは大笑いしてしまう。


「えっと。その……。まずは先に言わせてください。赤龍討伐、お疲れ様です」


 居住まいを正したアイナはファルナに向けて頭を下げた。


 スタンピードが収束してからしばらくして、七日間の戦争の流れが各地のギルドへ報告された。その中には赤龍討伐の作戦も概要ではあるが判明した。


 坂道の街の、最奥の城に降り立った赤龍。若い冒険者たちが結集し、策を弄し、命がけで引きずり下ろし、鍛冶王の元までおびき寄せたのは広く知れ渡った。


 その作戦の指揮を執ったのがファルナと書かれていた。


 彼女の名前は一躍、冒険者やギルド、それに市井の人々にも広まった。


 しかし、当の本人は嬉しそうどころか沈んだ表情を浮かべた。


「よしてよ。アタシがしたのは、本当に作戦を立てた所だけさ。後は他の皆の力。特に、レイのお蔭なんだよ」


「それじゃ、やっぱり、あのREIはレイ君なんですね!」


 アイナは赤龍討伐に関係した人物のリストにレイと書かれた人物を見つけた時から、まさかという思いと、もしかすると言う思いが手を繋いで踊っていた。ルリジオンとの同居生活の最中も少しでも情報を得ようとアマツマラのギルドに連絡を取っていたが、確信は手に入らなかった。


 それがやっと、アイナの口から聞くことが出来た。


「あ、ああ。そうさ。アイツも赤龍討伐に関わっていたんだよ」


「……名前を見た時にはまさかあのレイ君が関わっているなんて信じられないと思い。でもその後に、巻き込まれる不運はありそうだから、もしかすると関わっているかもしれないと心配していました。……やっぱり巻き込まれていましたか」


「その反応だと、知っているのは赤龍絡みだけみたいだね」


「……何ですか。その不穏な言い方。まるで、私の心痛を悪化させるネタがまだあるみたいじゃないですか」


 お腹を押さえるアイナにファルナは赤龍討伐戦を含めた、七日間の激闘を語りだした。突如始まったモンスターたちの大攻勢。翻弄されていく人間。その中でも必死に戦った戦士達。魔法工学の兵器すら使い、戦局を覆そうとするも、必死の努力をあざ笑うかのように襲来した赤龍。


 そして、その赤龍を倒す為に、一番危険な囮役を買って出たレイの雄姿を。


 頬を赤く染め、熱っぽく、雄弁に語るファルナだったが、対照的にアイナは顔色を青くしていく。特に赤龍を連れて、トロッコで坂道を下る所に差し掛かると、青白い顔色は紙のように白くなった。


「……彼は、何か、とんでもない星の元に生まれたんですか。この街でも十分生死の境を行ったり来たりしたと思ったら、アマツマラでも似たような目にあってんじゃないですか」


「かもしんないね。冒険者になったこの街で伝説の六将軍と遭遇したあとに、スタンピードと赤龍に巻き込まれるなんて。普通に冒険者稼業していても、そうそう出くわさないよ」


 スタンピードの話に盛り上がっている最中に運ばれてきた食事に手をつけながら、ファルナは苦笑した。


「それで、レイ君はまだアマツマラに居るんですか?」


「そいつは分かんないや。あの野郎、退院したと思ったら、すぐに仲間を引き連れて森に出かけやがったんだ。アタシはアタシでその直後にこっちに向かって街を離れたから、その後は分かんないんだよ」


「そうですか。……だとしたらやはり、あの《ミクリヤ》というパーティーがレイ君かどうかは知らないんですか」


「《ミクリヤ》? なんだいそりゃ?」


 アイナは数週間前に来た、ある通達が気になっていた。新規のパーティー情報だ。アマツマラで登録された《ミクリヤ》というパーティーのリーダーがREIと書いてあったのが気になっていた。


 だけど、そこに記載されていたレベルが、ネーデを出た時のレイとは倍以上違っていたため、別人だと判断した。まさかこんな短期間で急上昇するわけがないと常識的に判断したのだ。その謎はファルナの説明で氷解した。


「出来たばかりのパーティーなのですが、リーダーがレイと書いてありました」


「ふーん。他のメンバーにリザとかレティとか書いてあった?」


 今度はアイナが首を傾げる番だった。聞き慣れない名前に困惑しつつ記憶を思い出した。


「確か……エリザベートやレティシア、それにシアラと……エトネと登録されていまし……どうかしましたか?」


 ミシリ、と。ファルナの握ったスプーンが軋んだ。ファルナの顔には引きつった笑みと、青筋が浮かんでいた。


「エトネ? ……知らない名前だねぇ。あのバカレイ。まーた、女を増やしやがったね」


「やっぱり、レイ君なんですね。……パーティーの構成が彼を除いて全員女の子と言うのが気になりますが」


 通達には登録された冒険者の名前や、レベル、ランク、そして性別と年齢が記されていた。


 《ミクリヤ》の通達を見たアイナは信頼して送り出したレイがハーレムを築いている所を想像して、ざらついた感情を抱いた。


「エトネが何者か知らないけど、残りの三人はアイツの戦奴隷だよ」


「戦奴隷!! それじゃ、レイ君は戦奴隷を購入したんですか!? その上、七歳の子供をパーティーに加えているんですか!?」


「七歳!? もしかして、エトネってのは七歳なの!? 何考えてんのよ、アイツは!!」


「まったくその通りです!!」


 ナイフで白身魚のソテーを細切れにして、ここに居ない誰かに向けて苛立ちをぶつけるかのようにアイナは気炎を上げた。追随するかのようにファルナは鶏肉を噛み千切る。店内の客たちは彼女らの方に注意を向けないよう、微妙に体の向きを変えた。


 不思議な事に、共通の敵を持つと、人は妙な親近感を互いに持つ。美少女二人がレイに対する不満を語るほど、食事のペースは上がっていく。


 ちなみに、遠く離れた場所で黒髪の少年が言葉に出来ない悪寒に襲われていたのは言うまでもない。


 二人の皿はあっという間に空になる。喋るのに夢中なり、コップも空となっていた。客の間を通るリラを捕まえて、お代わりを頼んだファルナは、アイスブルーの瞳で店内をぐるりと眺めた。


 正確に言えば、怪しい人物が居ないかどうかを確認していた。


「ねえ、アイナさん。正直に話してほしいんだけど。……法王庁の異端審問官の言う事。あれってどれぐらい信じてる?」


 声量を抑えて、囁くような声だったが、不思議とアイナの耳に飛び込んでくる。驚いてファルナの顔を見ると、真剣な物だった。流石に海千山千の冒険者たちを束ねている『紅蓮の旅団』団長の娘。年若くても、人を見る目は養われているとアイナは内心で感心した。


「これっぽっちも。まったく信じてませんよ」


「あっは。やっぱり」


 一転して破顔したファルナは、すました顔で断言したアイナに尊敬の念を抱く。ファルナは腕っぷしが強い人も好きだが、頭の切れる人も好きだった。


「まず、前提条件が不可解すぎます。どうして、『魔王』の元に集わなかった者の娘を、彼らが必要とするのか。そこで理解に苦しみました」


 魔人種という種族は、単一民族の国家だけに帰属意識が非常に強い。何かあれば、国民全員が一丸となって困難に立ち向かい、外敵を排除してきた。


 それに参加しなかっただけで、非国民だ、裏切り者だと同族から罵られ排除され、時に殺されもした。アイナの両親は人魔戦役の頃にはすでに成人を超えており、一人前の戦士だった。なのに、彼らは戦争に参加せず、人間世界に残る事を決めた。つまり、彼らからすると裏切り者の定義に当てはまる。


「プライドの高い六将軍たちが困窮しているからと言って、裏切り者の娘を仲間に引き入れるとは思えません。まあ、殺しに来る可能性は高いので、どこかでネーデを離れる覚悟はしていました。ですので、彼らが囮作戦をすると言われた時に便乗させてもらう事にしました。……正直、居心地のいい場所とは言いにくくなりましたしね、この街も」


 リラが注いでくれた水を飲みつつ、アイナは窓の向こう側を眺める。ネーデの街は緩やかな新陳代謝を行っている。街を離れる者、街に新しく住み着く者。まだ目に見えた大きな変化はないが、あと数年もすれば、ここから見える景色も大きく変化してしまうかもしれない。それがアイナにとって寂しい物だった。長年暮らしていた場所だけに、感傷はひとしおだ。


 ファルナはアイナの寂しげな横顔を黙って見つめた。


「それで、ファルナさんの方はどうしてあの人達を信じてないのかしら?」


「あれ? アタシが信じてないって言った?」


「恍けないでください。あんな質問しておいて、法王庁に不信感を抱いてません。信じてます、なんてこと言わないでください」


 ファルナは、ごめんごめん、と軽く謝ると、自分の抱く不信を言葉にした。


「アタシがアイツらを信じないのは、このクエストをアタシラのような若手主体のパーティーに躊躇せず任せられるところさ。いくら、向うが条件を指定してきたとしても、おかしな話だよ」


 ファルナは一等異端審問官のオーバートという男は知らない。彼女が出会った法王庁の代表はルリジオンだけだ。その彼女はファルナを始めとした若手の冒険者たちを見て、何の感情も浮かべなかった。


 ルリジオンは今回の囮作戦における概略を知っているはず。任務の難易度の高さも理解しているはずだ。いくら、別動隊による支援があるからといって自分の命を預けるかもしれない相手が年下だと分かれば、困惑してもおかしくない。


「普通、こんな小娘が班長です、って言って納得する? あの場にはカーティスも居たのに、やけにあっさりと受け入れた」


「それは単に、事前説明を受けていたからでは。オルド様から法王庁に説明があり、その情報が彼女の元に伝わっていた、と」


「まあ、その可能性もあるんだけど。ただ、もう一つ気になる所があるんだ。……この囮作戦、道中で六将軍か、あるいは魔人種の襲撃があった時について何一つ説明されてないでしょ」


「……確かに、あの場でルリジオンは言いませんでしたね」


 その点はアイナも気にはなった。流石にネーデを離れた直後に狙われるとは思いたくないが、港町で船に乗ったという偽装をした後、北上していく過程で魔王軍らの襲撃にあう可能性は零では無い。


 まだ、アイナもファルナもちゃんとした囮作戦の全容は聞かされていない。もしかすると彼女らの知らない切り札があるのかもしれない。しかし、それらを差し引いてもルリジオンの対応には不審な点が拭いきれなかった。


「なんだか、凄くちぐはぐな気がすんだよね。こう、上手く説明できないけど、囮作戦を行うのが目的じゃないっていうか、何か別の事に狙いがあるって言うか」


 口に出しつつも、ファルナは自信がないかのように言葉を濁した。アイナも彼女に言われて、改めて不安を感じていた。


「……それじゃ、降ります? このクエストから」


「それはしないよ」


 アイナの問いかけに間髪入れず返した。


「一度受けたクエストを降りるなんて事は、クランの名を傷つける。たとえ、信じきれない依頼人でも、戦う相手が魔人種であっても、アタシはやり切ってみせる」


 アイスブルーの瞳に、燃え盛る大火があった。紛れも無く、冒険者の顔を浮かべているファルナにアイナは頼もしさを感じた。


「アイナさんの方はどうなの? 怖くなったから、止める。ってのは、言えないだろうけどさ。本音ではどうなの?」


 ファルナの問いかけに、アイナは瞼を固く閉じた。暗闇の中、この街で過ごした日々が鮮やかに蘇り、通り過ぎて行く。楽しかった事。辛かった事。嬉しかった事。悲しかった事。いくら言葉を費やしても語り切れない思い出がこの街にはある。


「離れたくないって思う自分も居るわ。でもね、それ以上にこの街を戦場にしたくないって思っている自分も居るのよ。だから私はこの街を出る」


「それじゃ、決まりだ。アイナさん」


 ファルナは右手を差し出した。


「アタシら『紅蓮の旅団』、ファルナ班は全身全霊を持って、アンタを聖都まで送り届ける。信用できない依頼人に先行きの見えない道程。せめてアタシらに命を預けてくれ」


「ええ。お願いします、ファルナさん。この命、貴方たちに預けます」


 アイナも自分の右手を差し出し、固く握手を交わした。






 アイナとファルナが固い握手を交わしている頃。ルリジオンはネーデの街を歩いていた。もちろん、目的の無い散策なんかでは無い。


 この一月半、彼女は街の地図を頭に刻み込んでいた。大通りから横に伸びて行く通りが、何処に繋がり、何処に出て、地図にすら載らないような細い裏路地すら、彼女は知っていた。


 二等異端審問官ルリジオン。彼女の専門は追跡術だ。器具に頼ることなく、鬱蒼とした森の中でも方角を知り、雑踏が奏でる足音だけで対象を見極め、例え魔法を使って姿形を変えたとしても動きの癖から見極めることが出来る。


 何の訓練も受けていないアイナが日夜撒こうとしても、絶対に不可能なのだ。逆に言えば、尾行のスペシャリストは、逃走のスペシャリストでもある。


 彼女はギルドを出てから、自分を追跡してくる存在が居ると仮定して、追跡者を撒こうとしていた。通りを幾つも渡り歩き、時には商店の中に入り店員の目を盗んで裏口から抜ける。


 そうして、彼女は地元民でもめったに来ない路地へと身を投じた。建物の間に、誰からも忘れられたような空間と言うのはどこの街にもある。周囲を確認して、魔法を詠唱した。


超短文ショートカット中級ミディアム防音空間サウンドプルーフ


 新式魔法が発動し、彼女の周囲に光の膜を形成する。そして、続けて、二つ目の新式魔法を詠唱した。


超短文ショートカット上級ハイ偽装迷彩カモフラージュ


 すると、不思議な事が起きた。神官服に身を包んだルリジオンの姿が溶けるように消えていく。ものの数秒で少女の姿は最初からなかったかのように消えた。


 しかし、魔法の内側にはちゃんとルリジオンの姿はあった。彼女が使用した二つの魔法はそれぞれ隠密系の魔法である。


 前者は自分の周囲と、その外側の間に見えない防音の膜を張り、外部との音を断絶したのだ。これで、中で何が起きても、それこそ爆発のような轟音がしても、外には聞こえない。逆も同様だ。


 そして、後者の魔法は自分の姿を隠す迷彩の魔法だ。匂いや気配を誤魔化すだけでなく、恐るべきことに探知系技能スキルや魔法からも逃れることが出来る。


 欠点としては、一歩でも動けば偽装が剥がれてしまう点だ。その場を動くことはできないので、戦闘には不向きだ。


 この二つの魔法を駆使することで、ルリジオンは世界から姿を消すことに成功した。そして彼女は懐からある物を取り出した。


 水晶の形をしたピアスだ。耳に付けたルリジオンは、ピアスを撫でた。


 すると、ルリジオンの脳に雑音が響く。


「こちら、二等異端審問官ルリジオン。応答願います」


 ルリジオンは虚空に向けて喋りかける。まるでそこに誰かが居るかのように。すると、驚くことに返事が来た。ただし、彼女の耳朶を震わすのではなく、脳に直接声が送り込まれた。


『聞こえている。こちら一等異端審問官オーバートだ』


 無論、オーバートがルリジオンのように迷彩の魔法を使い、彼女の見えない所にいるわけでは無い。彼の姿はネーデの街から南に位置する森の中にあった。


 オーバート以外にも、複数人の神官たちは森の外周部に固まり、前線基地のような物を構築していた。


「第二対象である『紅蓮の旅団』所属、ファルナと接触。三日後に第一対象である魔人種アイナと共に、ネーデを離れます」


『御苦労。第二目標がネーデに入ったのはこちらでも確認した。これより私達もここを引き払い、港へ向かう。以後、念話の可能範囲を超える為、現地での判断は貴様に任せる』


「了解いたしました」


 遠く離れた二人を会話させているのは、両者が耳に付けているピアスのお蔭だ。遠距離通信を可能とする魔水晶。それを更に細かく砕き、加工することで顔を合わせなくても会話が出来るようになる。


 もっとも、制限がいくつかあり、会話が出来るのは同じ魔水晶の欠片同士。通話可能な距離も短く、一度に会話できるのは数分程度。自然に魔力が回復するまでに数日かかる。


『二等異端審問官ルリジオン。確認しておくぞ。貴様の本当の役目は何だ?』


「私の役目は魔人種アイナ、及び冒険者ファルナの身柄を聖都まで護送する事です」


『それが分かっているなら、十分だ。命を賭して成し遂げろ』


「了解です」


 ルリジオンは胸に手を当て、ここにはいない上官に対して礼を取った。そして、ピアスが輝きを失うと同時に、頭の中に木霊していた声は聞こえなくなった。


 用を済ませたルリジオンは一歩歩き出して、魔法の効果を消すと路地を抜ける道を進む。その最中、オーバートから命じられた、本当の命令を思い出していた。







「六将軍が自らあの女を狙ってやってくることは無い」


 一ヶ月半前のギルドの執務室で、オーバートはルリジオンに本心を明かした。


「仮に戦力不足だとしても、配下の者を送り込むはずだ。大将が自分から動くことは、まずありえん。……いや、そもそもあの女を仲間に加えるのも考えにくいがな」


 オーバートが平然と告げる内容は囮作戦の根底を覆す。アイナの身を狙ってくるであろう『魔王』や六将軍を迎え撃つのが、作戦の趣旨。なのに、オーバート自らが、それは無いと言うのは矛盾している。


 しかし、背筋を伸ばして話を聞いているルリジオンは全く動揺していない。情報部に所属している彼女は知っていたのだ。この上官が口にすることが全て真実ではないと。


「でしたら、なぜ、あの者を我らが保護する必要があるのでしょうか」


「我らの狙いはあの魔人種の女を確保する事だ。保護では無い」


 確保という表現にルリジオンの眉がピクリと震えた。


「二等異端審問官である貴様には説明できない秘匿事項がある。古くから……それこそ教団と呼ばれた頃から、法王庁は一つの難題を解き明かすことを至上の命題としている。そのための鍵を我々は掴まなくてはいけない。情報部はそのために設立されたといっても過言では無い」


 法王庁の情報部はありていに言えば、スパイである。五大陸の主要国家に潜伏し、重要人物の弱みを探し、無ければ作り、重要な情報を法王庁に送っている。


 その情報部が探している鍵と言うのが何なのか、ルリジオンには見当もつかなかった。だけど、自分に知る権利がないのなら、それで十分だと、思考を切り上げる。そのようにルリジオンは教育されていた。


「あの女。魔人種アイナは鍵と多少なりと縁があったようだ。……少なくとも、上のお偉方は何かしらの材料に使えると判断した。だから、我等に確保するようにと命令が来たのだ。貴様にはあの女の監視と護衛を任せる」


「了解いたしました。……この街での滞在期間はどれ程になりますか?」


 ルリジオンの質問にオーバートは机の上に置かれた羊皮紙を摘まむ。異端審問の結果を、魔水晶を通じて本部に伝えた返事だ。そこには新しい命令が付け加えられていた。


「どうやら、情報部の調査によって、鍵に繋がる人材がもう一人いるそうだ。欲張りな上の方々はその者も手元に置けないかと画策している様だ。そのため、しばらくはネーデに逗留してもらう」


「了解いたしました。二等異端審問官、ルリジオン。任務拝命いたしました」


 オーバートが下がれと言わんばかりに手を振ったので、ルリジオンは机から離れた。その際、抜群の聴覚が彼の呟きを拾った。


「『紅蓮の旅団』所属。あの『鉄壁』のオルドの娘を確保するだと。……下手をすればギルドすら敵に回しかねないぞ。法王猊下のお考えは分からん」


 唸るような、低い声だった。






 時間はあっという間に過ぎて行く。


 アイナにとって出発までの三日間は目が回る忙しさだった。職場の同僚への挨拶、仕事の引継ぎ。誰もがアイナを慕っていただけに、彼女が街を離れると聞けば、悲しげな表情を浮かべてしまう。特に席の近かったクレアとカトリーヌは涙を流していた。二人は最近のアイナの様子がおかしかったのは気づいていたが、まさかこんなに急に居なくなるとは想像していなかった。


 次に、この街の昔なじみ達へ別れを告げに回る。防具鍛冶のワルグに武器鍛冶のフリオなど、この街には知り合いが多くいる。誰もが一度は引き留めようとするも、アイナの決心の固さに、泣く泣く見送るしかなかった。挨拶回りの最後に訪れたのは、とある孤児院だった。かつて、アイナと彼女の弟アハドが暮らしていた孤児院は他の孤児院などと合併したりして名前は無い。しかし、彼女が訪れた孤児院の来歴を遡ると、彼女らが暮らしていた孤児院に辿りつく。いわば、血縁のような間柄だ。


 アイナは給金の一部をその孤児院に寄付していた。かつて世話になった恩返しだ。その縁で孤児院には何度も訪れており、職員や子供たちとは顔なじみとなっていた。その日もアイナは子供たちに捕まると、彼らが満足するまで遊ぶのに付き合わされた。へとへとになって、くたびれたアイナを可笑しそうに追い抜いていく子供たち。アイナは彼らを眩しそうに見つめた。


(ああ。やっぱり私は此処に居ちゃだめだ。ここに居て、ここが戦場となってあの子らが傷ついたら、絶対に耐えられないや)


 夕日に照らされた子供たちを見て、アイナは改めて街を離れる覚悟を固めた。


 挨拶回りを終えると、部屋の大掃除が待っている。いつ、帰ってこられるか、そもそも帰ってこられるかすら分からない旅に出るのだ。家具は全て処分し、長い間、住み続けた汚れをルリジオンと共に綺麗にしていく。


 旅立ち前日の夜。ハクシ主催の送別会が開かれた。場所はオルゴン亭。貸し切りだった。参加したのはネーデのギルド職員全員だ。二十四時間開いているギルドで、全職員が出勤しているといことはどういうことか。


 なんと、ギルドが臨時閉鎖したのだ。送別会の間だけ、門が固く閉まった。


 参加者にはギルド職員だけでなく、『紅蓮の旅団』のファルナたちも参加した。当然、ルリジオンも部屋の隅っこをキープしつつも参加した。真夜中を過ぎても開かれていた送別会は、結局朝方までどんちゃん騒ぎだった。


 つまり。


「……頭痛い。飲み過ぎた」「……気持ち悪い……吐きたい」「……ああ、世界が揺れる」


 送別会に参加した多くは徹夜明けの上、二日酔いの状態だった。


 空は小憎たらしいほど澄み切った青空を広げ、絶好の旅立ち日和と言わんばかりに穏やかな風が吹いている。まるでアイナ達の背中を押すかのようだ。


 旅立つアイナらを見送ろうと、送別会を乗り切ったギルド職員らと顔なじみの人々が集まっている。もっとも、ギルド職員らは、ついさきほどまで飲んでいた酒が胃の中で揺れており、青白い顔を浮かべていた。


 そんな中、アイナやファルナなどはいつもと変わらない様子を見せていた。流石は現役冒険者と魔人種。送別会のどんちゃん騒ぎの中でも、自分を見失わずにいた。


「それじゃ、皆さん。見送りに来ていただいて、本当にありがとうございます。お体には気を付けてください。……お酒の飲み過ぎは気を付けましょうね」


 ギルドの制服を脱ぎ、長旅に向いた出で立ちをしたアイナが頭を下げて集まった人たちに向けて感謝の言葉を述べた。


 後半はギルド職員に向けたが、彼らは曖昧に頷くしかできない。そんな中、ハクシが一歩前に出た。彼は懐から紙きれを一枚アイナに向けて突き出した。


 アイナの黒色の瞳が文字を追い、不思議そうに瞬きを繰り返す。


 ハクシが取り出した羊皮紙はアイナの退職届だった。なぜ、彼がこれを今だしたのかアイナには分からなかった。


 すると、ハクシは羊皮紙を折りたたむと、一気に半分に切り裂いた。


 紙が破ける音が二度三度と繰り返され、あっという間にアイナの退職届は細切れの羊皮紙になった。風が吹くと、まるで紙吹雪のように風に乗って散ってしまう。


「ギルド長? 何をしてるんですか?」


「お前の退職願は俺の裁量で却下した」


 驚きのあまり、アイナは言葉が出なかった。その間にハクシが説明を続ける。


「この戯け者。帰って来れるかどうか分からないだと。お前は帰って来るんだよ! この街に。なぜなら、ここはお前の故郷だろ!」


 ハクシの咆哮にアイナは涙をこらえるのに必死だった。気を抜けば、あっという間に涙腺が崩壊してしまう。


「俺の裁量で、休職扱いにしておいてやる。……俺がギルド長をやっている間にさっさと帰って来いよ。」


「……はい!」


 アイナは目元を抑えながら、ハッキリと返事をした。すると、タイミングを見計らったかのようにルリジオンが出発を告げる。アイナは荷物を背負うと、動き出したファルナらに付いていく。後ろから、声援のような声が掛かって来るのを、手を振って返した。


 そして、ついに彼女は門へと辿りついた。


 そこを超えれば、外の世界だ。弟を亡くし、仲間を亡くした時から、彼女は街の外に一歩も出ていなかった。他人には見えない、境界線のような物をアイナは感じた。


「どーしたの、アイナさん。行こうぜ」


「どうかされましたか、アイナ殿。上司が港町で待っています。急ぎましょう」


 先に門を潜ったアイナとルリジオンが向こう側から手招きしていた。アイナは意を決して、境界線を踏み越え―――外の世界へと歩み出した。


(この世界のどこかで旅をしているレイ君。私もこの街を離れて世界を回る事になりました。それでも、最後にはこの街に帰ってきます。……だから、いつか貴方もこの街に戻ってきてくださいね)


 アイナはレイと交わした再会の約束を胸に抱いて、一路、聖都を目指す旅路へと歩み出した。


読んで下さって、ありがとうございます。4章の閑話はここまでです。次回はステータス。その次は人物紹介を予定しております。


次回の更新は明日を予定しております。

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