閑話・受付嬢の出立Ⅱ
サブタイトルを少し変更しました。
レース越しに差し込んでくる日差しが柔らかい春の陽気めいた物から、新緑の葉を通しても弱まる事のない強い物に変化した。暦は春の下月を少し過ぎた。もうじき、中央大陸に雨季がやってくる。それが過ぎれば太陽の位置は高くなり、輝く様な夏がやって来る。
ネーデの受付嬢にして、魔人種のアイナはベッドの上で寝返りを打つ。早くに両親を亡くし、その後、弟も亡くした彼女は天涯孤独の身。今はギルドの女子寮にて悠々自適な一人暮らしを満喫していた―――はずだった。
朝のまどろみの中、彼女のベッドの下から、にょきり、と。真っ白な腕が二本、突き出た。床板を手で掴み、ベッド下から不審者が這いずって出て来た。気の弱い子供などが見たら、泣いてしまうかのようなおどろおどろしい光景だった。不審者はアイナの寝ているベッドからある程度距離を取ると、ゆっくりと立ち上がり、隣室へと向かった。足音を立てない、まるで滑るかのような歩行術は訓練された者にしかできない。
隣室は小ぢんまりとしたリビングと台所しかない。不審者は勝手知ったるなんとやら。寝巻の上にエプロンを身に付けると、慣れた手つきで鍋などを出す。水瓶から水を汲み、塩を振り。出汁として鶏の骨が入った網袋を浮かべる。湯を沸かしている間に野菜の皮むきと乱切りを済ませると、鍋に投入した。スープが出来上がる前に、黒パンを二人分用意すると、フライパンの上に乗せてじっくりと焼き目を作る。こんがりと焼き色が付いたパンを皿に盛り付けると、そのままフライパンの火は消さない。濡れ布巾でフライパンの温度を下げると、油をひいて、ニチョウの卵を二つ、割って入れる。ある程度熱が回って、白身が濁ってきたら、水を投入した。じゅわぁ、と食欲をそそる音と共に蒸気が上がると、不審者はフライパンに蓋を被せる。そして頃合いを見計らうと、蓋を取って目玉焼きを手ごろな位置で二つに割って、それぞれの更に盛り付ける。その頃になるとスープも出来上がった。白色のスープを更に盛る。最後に付け合わせのフルーツとしてビワを適度なサイズに切って添えた。ここまで、無駄のない動きから、不審者がこの台所に慣れているのは明白だった。
二人分の朝食をテーブルに並べた不審者は、ちらりと時計を見た。そろそろ、家主の起きる時間だ。エプロンを外した不審者は再び足音を殺して、隣室へと舞い戻った。幸せな寝顔を浮かべて暢気に寝ているアイナに向けて不審者が忍び寄る。見事なまでの歩行術のせいで、ベッドで眠るアイナは近づいてくる不審者に気づかなかった。
その不審者はアイナの枕元に立つと、膝を付いた。そのまま、彼女の緩んだ寝顔に顔を寄せる。まるで悪の魔女に眠らされた姫を起こすために、口づけしようとする王子のようなシーンだ。
もっとも、顔を寄せるのもまた女性なのだが。
不審者である女はじっと、藍色の瞳でアイナの顔を見つめた。そこには何の感情も無い。ただ、アイナが呼吸し、生きているかどうかを確認していた。
「……アイナ殿。……起きてください」
唇が触れ合いそうな程、近い距離で顔を寄せて女は言う。鈴を震わすような声なのだが、艶やかな光景に反して、何の情感も篭っていない平坦な声だった。
「起きてください、起きてください、起きてください、起きてください、起きてください、起きてください」
まるで機械のように女は何度も繰り返し言うと、アイナの瞼が震えた。
ゆっくりと、瞼は持ち上がり、魔人種の証たる黒色の瞳が開かれ、自分の正面にある無機質な顔と対面する。不審者の長い頭髪がアイナの顔にかかり、視界を狭めているせいで、余計に不審者の顔に視線が向く。
アイナは一瞬、面喰ったかのように瞬きを繰り返すが、驚いた様子を見せなかった。それどころか、タオルケットから腕を引きずり出すと、がしりと女の顔を掴んだ。
「……あのさ。毎朝、毎朝、おんなじこと言わせないでくれる、ルリジオン。顔が近いのよ」
「存じております。その上で、毎朝同じ返答になり恐縮ですが、貴女の生存確認は私の義務です。ご了承ください」
アイナに顔を掴まれたまま、女は言う。このやり取りはもう、数えるのも馬鹿らしく成程、毎朝繰り返されてきた儀式のような物だった。最初の頃はアイナも驚きのあまり絶叫したが、今では脈が振れることすらない。
「私の役目はおはようからお休みまで、貴女の傍に潜み、貴女の健康を保ち、貴女を危機から守ります。この命に代えても」
それまで、何の感情も浮かんでいなかった藍色の瞳に艶めいた色合いが浮かぶ。まさに、熱心な信者による宣誓だった。
「なんて、重い宣言。……いつまで続くのよ、この生活は」
アイナは深いため息をついて、今の境遇を嘆いた。この奇天烈な神官との同居生活はすでに一ヶ月と半分を過ぎていた。その間、アイナの心痛は増す一方だった。
「さて、アイナ殿。朝食の準備は出来ております。……召し上がりますか?」
「……食べる」
法王庁調査部所属、二等異端審問官ルリジオン。
少し長めの薄い藍色の髪を根元で一纏めにした、スレンダーな少女。口数が少なく、気配を消すことに長けており、人ごみに紛れたり、夜の闇の中に溶け込むのが非常に得意。一緒に暮らしているアイナはしょっちゅうルリジオンの姿を見失ってしまう。
その一方で、炊事洗濯掃除と家事に関しては非の打ち所がない。既にアイナの部屋はルリジオンの管理下にあり、隅から隅まで綺麗に磨かれた室内にアイナの手が入る余地は無い。料理に関してもアイナの手作り弁当を食べようとしたことのない同僚たちが、彼女の作った弁当を開けた瞬間、砂糖に群がるアリのように集まった。
つまり何が言いたいのかと言うと、
「出て行ってもらう理由が見つかんないよー」
「一月半以上も一緒に暮らしていて、今さら何を言ってんのよ」
ギルドの机に突っ伏したアイナは出勤早々、愚痴を吐いた。長い黒髪を乱し、盛大な溜息を撒き散らす。隣席のクレアは彼女のそんな態度に呆れて口を挟む。アイナはクレアの方に首を向けて、気だるげな様子で言う。
「だってさー、想像してみてよ。毎朝起きるたびに、自分の顔が相手の瞳に写っているのが見えるほど顔を近づけられるのよ。最初の頃は心臓が張り裂けるかと思ったわよ」
「……それは、中々ですわね」
机を挟んだ向かい側からカトリーヌが気遣わしげに声を掛けた。同僚たちに向けてアイナの同居生活の愚痴は止まらない。
「宣言通り、おはようからお休みまで、ずっと私を監視しているのよ。朝はご飯を食べてるところをじっと見られ、出勤中はぴったりと物陰から隠れつつ尾行。仕事中は視界の隅に写るかどうかの位置を固定。仕事帰りは一緒にお風呂に浸かって、いつの間にか先回りして夕飯と洗濯を済ませて待っていてくれるんだよ。休日には一緒に買い物に出たり、掃除までしてくれるの。それが全部完璧なんだよ」
「……途中から自慢話に変わった気がするわね」
「私、同棲したての恋人同士の話を聞いてるみたいです。一緒に出勤し、一緒に帰宅し、一緒のベッドに眠るなんて、なんだかくすぐったいですわ」
「……いや、流石にベッド下を同じベッドとは言わないでしょ。アンタも大概ね」
どこか夢見がちなカトリーヌにクレアは呆れかえってしまう。そんな二人の会話も今のアイナの耳には届かない。彼女は彼女なりに、この同居生活において精神的な苦痛を受けていた。
「そりゃ、自分から条件を出したから、それが整うまで時間がかかるのは分かる。その間、一緒に暮らさないといけないのも分かるわよ。でも、だからって、こんな面倒な人と一緒に暮らすなんて。……ああ、あの時の自分をぶん殴ってでも止めたい!」
「そう言えば、アイナ。その条件って何なのさ? いい加減教えなさいよ」
アイナがぽろりと言った条件にクレアが食いついた。条件とはアイナと法王庁の異端審問官との間に交わされた何かしらの約束事だ。異端審問官の話によれば、六将軍を退けたアイナの力を狙い、再び六将軍がやってくるかもしれない。そこを法王庁は叩こうとしているのだ。
つまり、アイナを囮にするのだ。
非人道的な作戦なのだが、アイナ本人はその作戦を受け入れてしまった。その際に何らかの条件を異端審問官との間に交わし、それが整うまで時間が掛かるという事でルリジオンという護衛兼監視役との同居生活が始まった。
しかし、アイナはこの話題になるとあからさまに話を逸らす。今も、ばね仕掛けのように背中を伸ばすと、机に散らばっていた書類を纏め、仕事を再開した。
こうなったら、梃子でも話さないのを二人は十分知っている。またしても聞く機会を失った彼女たちも、仕事に戻った。なにせ、彼女らの机に詰み上がった書類は大木のように天井に向かって伸びているのだ。遊んでいる暇はあまりない。
ネーデのギルドはいま、目が回るような忙しさの中にあった。一月以上前に起きた古代種の龍たちの暴走によって、しばらくギルドは世界中から伝わってくる大小さまざまな情報の処理に追われていた。それらが一段落すれば、後回しにしていた現実が戻ってきた。何しろ、この街は世界中の注目を集めていると言っても過言ではないのだ。
ネーデの街近くにある迷宮。そこはこれまで、上層、中層、下層の三層から成り立つ迷宮だった。攻略に要するパーティーの平均レベルも低く、初心者向けの迷宮として広く知られていた。
それが、今から二か月以上前を境に、難易度が急上昇した。
深層の発見と、六将軍第二席ゲオルギウスの登場によって迷宮が強化されたのだ。
特に深層は、世界中見渡しても数が少なく、そこで採れる上質な魔石や、貴重なモンスターの素材、特殊な鉱石や薬草などを求めて、高位のパーティーが訪れるようになった。
まだ、深層の最深部に到達したパーティーは一つしか無く、ほとんどの冒険者は迷宮と街を行ったり来たりして、少しずつ地の底を目指して潜る。それにつれて深層に関する精度の高い情報が集まって来る。ギルドはその情報を纏めて、ネーデの迷宮の新しいガイドラインを作成していた。事は深層だけでは無い。上層部からモンスターが強化され、迷宮の難易度が上昇したのだ。新しい迷宮が一つ発見されたような大きな出来事である。無事に帰って来た冒険者一人一人から、聞き取り調査を行い、膨大な情報を精査し、不確かな情報を削ぎ落し、信頼できる資料を作るのは並大抵のことでは無い。
アイナは元冒険者と言う事もあり、冒険者からの聞き取り調査を主に担当していた。冒険者特有の心理に共感できるため、彼女相手に重要な情報などをぽろぽろと漏らすのだ。
この日も、カウンター越しに上層から帰って来た冒険者たちから、迷宮で起きた出来事を聞いていた。美人相手に得意げに冒険譚を語る冒険者。アイナはにこやかな営業スマイルを顔に張り付けつつ、手元に握った羽ペンは一言一句聞き逃すまいと高速で文字を生み出す。ふと、その冒険者の向こう側に、陰鬱な空気を纏った少女の姿を見つけてしまい、営業スマイルが固まってしまう。
陰鬱な空気を放つルリジオンは神官服に身を包み、入り口近くの柱の影に身を隠し、アイナから視線を外さない。ベールが付いている頭巾を外しているため、綺麗な顔は外気に晒されている。
ただでさえ、法王庁の神官服は目立つというのに、ベールを脱いだルリジオンは、その美貌と相まって余計に注目を集める存在だった。伏しめがちな藍色の瞳は、星々に照らされた湖のように深い色合いを放ち、何の感情も現さない無表情は見る角度を変えれば深層の令嬢といった趣を感じさせる。
「あの……職員さん? 俺の話、聞いてます?」
「……あ、ああっと。すいません、ちょっとボーっとしちゃいました」
アイナは冒険者に対して頭を下げると、思考からルリジオンの事を追い出した。
(ほっといても大丈夫だよね。もう、あんなめんどくさい事にならない……よね)
アイナは仕事に戻りつつ、一抹の不安を拭いきれなかった。何しろ、この一か月半、彼女が起こしたトラブルの処理に追われてきた。特に多かったのが、彼女をナンパしようとした男たちの対処だ。まだ、彼女の素を知らなかったギルド職員や冒険者たちは熱っぽくアイナを見つめる彼女の横顔に吸い寄せられ、手ひどい目にあった。その事を知る者達は、彼女においそれと声を掛けなくなったので、大丈夫だろうとアイナは思ってしまった。
だから、見逃してしまった。
彼女のことをよく知らない冒険者が、柱の影に居るルリジオンに声を掛けた所を。
「ねえねえ。そこで何してんの、きみ?」
ルリジオンに声を掛けたのは彼女よりも年上だが、幼さの残る青年だ。少し浮ついた感じの姿だが、女に好かれる容姿をしている。その事に自覚があるのか、単に手慣れているのか、ルリジオンに対して積極的に体を寄せて行く。離れた所では男の仲間と思しき冒険者たちがニヤニヤと成り行きを眺めていた。
「うわぁ。やっぱ近くで見てもスッゴイ可愛いね、きみ。神官さんだよね。ここで何してんの? あれかな、修行の一環でモンスター退治とか?」
男の言う修行とは、法王庁の掲げている教義の一つに関係している。法王庁はモンスターの脅威から人々を守る事を是とし、神官たちに強さを求めている。そのため、彼らに対して、冒険者として活動することを許可している。神官服を着てパーティーに参加する者も居れば、そうでない者もいる為、一見すると判別しにくいが、それなりの数の神官が冒険者としてギルドに登録されている。
しかし、ルリジオンがこの場に居る理由は修行では無い。彼女は細い眉の間を狭め、不機嫌そうな表情を浮かべていたが、一緒に暮らしているアイナですら見落としてしまうほど、感情の機微は薄い。ましてや初対面の男はルリジオンが不機嫌になっているとは露とも思っていない。そのため、男はベラベラと自分がどれほど素晴らしい冒険者かというのをアピールしていた。それでも反応の無いルリジオンに対して、男は何か気付いたかのように指を鳴らした。
「あ、分かった! 君がここに居る理由は―――」
だん、と。
言葉を区切ると同時に、男はルリジオンの前に立ち、彼女の背後の壁に向けて腕を叩きつけた。身長差から男がルリジオンに覆いかぶさるようになった。そして、男はルリジオンの耳元で甘い声色を使って囁いた。
「俺と会うため……だろ?」
これは男の常套手段だった。かつて潜った迷宮にて発掘された書物に記されていた、冒険王の口説き術の一つ、《壁ドン》。これで落ちなかった女は居なかったのが、男の密かな自信だった。
すると、ここに来て、ルリジオンが反応を示したのだ。
顔を上げ、髪と同じ色の瞳を潤ませた。頬が赤らみ、薄紅色の唇が切なく震えた。先程までの無表情とは打って変わって、情感豊かになった少女を前にして、男の喉が鳴った。
男は手応えを感じ、顔を寄せていき―――。
「口が臭いです」
「……はぁえ?」
ぴしゃり、と。まるで鞭のように鋭い言葉が男の横っ面を叩いた。男は端正な顔を阿呆のように崩す。
「先程から我慢していましたが、顔を近づけられると困るので言わせてください。貴方の口は下水か、あるいはドブか何かですか? 臭気を振りまいている自覚はありますか? なかったら、残念です。貴方の鼻か脳はすでに汚染されています。凄腕のヒーラーでも治療は不可能でしょう」
「ぐはぁあ!」
男は不可視な刃に貫かれたかのように膝を屈した。何しろ、見た目だけは可愛らしいルリジオンから容赦のない口撃を浴びたのだ。心が傷ついても仕方ない。しかし、ルリジオンは男と目線を合わせると、言葉を続ける。
「老婆心ながら、もう一つ付け加えると、体臭の方も臭います。冒険者稼業ということもあってか、香水を付けていますね。他者を不快にさせないという心持は正しいのですが、正直につけ過ぎです。目は沁みますし、頭が痛くなりました。正直、この服に臭いが付いたらどうしようかと思いました」
「ごほぉう!」
膝を屈した男は見えない襲撃者から顎を打ち抜かれたかのように海老反りとなって、背中からギルドの冷たい大理石に落ちた。
「この際です。最後まで言わせてもらいます。先程の『俺と会うため……だろ?』。あれが一番、クサかったです」
「もう勘弁してくれぇぇぇ!!」
涙と鼻水を流す男は叫ぶと、ギルドの床に突っ伏してしまった。男の誇りや矜持と言ったものは細切れになって暴風に吹き飛ばされてしまった。その頃になって、男の仲間達は慌てて二階から降りてきて、男を連れてギルドを出て行った。その際、男が泣きながら、
「俺って、そんなに臭かった? そんなに臭いか!?」
という、必死の問いかけに沈黙を貫いた。
「あの哀れな方に、13神のご加護がありますよう、願い奉る」
ルリジオンは膝をついた姿勢のまま、男の去った方角に手を合わせて祈りの言葉を呟いた。それだけ見れば、敬虔な神官にしか見えないのは逆に恐ろしかった。
「何やってんの、この嗜虐神官!!」
祈りを上げているルリジオンに対してアイナが肩を怒らせて近づいた。
「また、冒険者の方を傷つけたの!? これで何度目よ!!」
「……心外です。私は単にあの方の欠点をご忠告しただけです」
「大の大人が欠点を忠告された程度で、精神に失調をきたすほど取り乱すか!!」
この一月半、ルリジオンを口説こうとした男は皆、彼女の口撃の前に撃沈していった。その度にギルドに男たちの悲痛な慟哭が上がっていた。
「お騒がせして申し訳ありません。しかし私が受けた命令は貴女の監視と護衛です。それは法王から一等異端審問官として認められたオーバート殿の命令。言い換えれば、13神からのお言葉と同様。それなのに彼らは皆、私と貴女の間に立ち、邪魔をしてくるのです。ですから、彼らは私の敵です。敵に容赦は要りません」
言いながらルリジオンは笑みを浮かべた。その笑みは同性のアイナですらゾッとする程美しく、同時に恐怖を与える。アイナは怯んだ自分を奮い立たせるかのように声を張り上げた。
「あああ! 本当にもう!! いいから、立って頂戴。ここに居たら、邪魔だし目立つわよ」
ルリジオンを無理やり立たせて、神官服に付いた埃を払う。その間も、ギルドに居る者達から容赦ない視線をアイナは感じていた。心の中で均衡を保つように念じる。
(平常心、平常心、平常心。……よし、切り替えよう。仕事しよう。そうすれば、この子を見ていなくて済む。……ああ、仕事をしている時だけが一番、気が休まるなんて……、これって、何かの病気かしら)
一抹の不安を抱きつつも、刃のように降り注ぐ視線を無視した。すると、ギルドのハーフスイングドアが軋む音がした。アイナは来客に向けてとびっきりの笑顔を向けた。
「ようこそ、いらっしゃいま……あら?」
言葉が途中で途切れたのは、ギルドに入ってきた人物に見覚えがあったのだ。顔なじみと言う訳では無い。なにしろ彼女がネーデに滞在していた間、ほんの数回顔を合わせた程度だ。
しかし、彼女の事は記憶に残っていた。
前に見た時は短かった赤い髪は少し伸び、アイスブルーのような青い瞳に前髪が掛かる。長旅からか、衣服に汚れなどが目立つか、疲労の色を見せないのはベテラン冒険者の証明か。褐色の肌を惜しげも無く晒し、堂々とした振る舞いをする。
アイナの傍にいるルリジオンよりも年の若い少女は、どこか大人びた雰囲気を放っていた。前にあった時は、年相応の幼さの方が目立っていただけに、その変化に驚いた。長命種のアイナにしてみると、短期間で成長していく人族が羨ましかった。
「やっと着いた! ……あれ? アンタ、確か。親父と一緒に戦った……そう、アイナさん!」
「え、ええ。その通りです。……お久しぶりですね、ファルナ様」
『紅蓮の旅団』所属、D級冒険者のファルナは輝く様な笑顔を見せた。
「ファルナでいいって、前にも言ったでしょ、アイナさん」
読んで下さって、ありがとうございます。
次回更新は日曜日頃を予定しております。




