4-26 掟
「―――っえ?」
エトネの瞳がこれでもかというほど、大きく開かれる。小鳥のような小ぶりな唇が戦慄き、どうして、とか細い声が漏れた。
ブーリンは固い表情を変えず、淡々と言う。
「理由は幾つもあるが……最大の理由は、我等エルフは同族同士の婚姻を重要視している。身も蓋も無い言い方をすれば純血主義を是としている」
「同族同士……エルフはエルフとしか子を成してはいけない、と?」
エトネの隣に座るレイがブーリンに聞き返す。頷いたブーリンは更に説明を続ける。
「かつて、我らは広大な緑と湖が広がる、楽園を故郷としていた。花が咲きほこり、森に住む生き物たちにとっても楽園だった。それが千年前。ある出来事に端を発して、滅んだ」
ブーリンはどこか遠くを見つめるような、胡乱気な視線を向ける。
「地は枯れ、水は淀み、空気は汚染された。……エルフにとって新鮮な水と大地は生きていくのに重要な要素である。……死んだ土地では生きていくことはできない。これがエルフの滅びの始まりといえた」
一度言葉を区切ると、まるで見計らったかのようにロテュスが集会所に姿を見せた。彼女の登場に一番反応を見せたのはエルフたちだった。座ったままの姿勢で頭を下げると場所を開けた。
ロテュスは先程とは違う色のアオザイに身を包み、中に居る人々を視線で撫でると、上座の一角に座った。髪を手で梳くと、ブーリンに視線を送る。話を続けろ、と。
「我らの脱出行は……この際省略しよう。聞いてもつまらない話だ。問題はこの後にあった」
ブーリンの声色が一段と低くなる。同時に居並ぶエルフたちの顔色も変わり、空気が張り詰める。
「分散して、新天地に辿りついた我らは、ほんの刹那の間、他種と交わりを持った。……理由は様々だ。新天地に居た種族との平和的な交流の為。民族移動で減った労働力の補填。……単純に愛を交わした者もいた。その結果、其方のような雑種が生まれた」
「エトネとおんなじ、ハーフエルフが」
少女の声に喜色が混じる。自分と同じ存在が居たという事実が彼女を勇気づける。エトネは身を乗り出して尋ねる。
「その人たちは、どうなったの?」
ブーリンは固く瞼を閉じる。その姿は耐え難い苦痛に堪える修験者の様だった。ゆっくりと開かれた萌黄色の瞳がエトネを見据える。
「多くが、死に絶えた」
「……え?」
その言葉にレイ達は息を呑んだ。特にエトネは呆然とショックを受けた様に、しっぽがだらりと垂れた。ブーリンは少女の全身に視線を滑らすと、急にレイに尋ねた。
「この娘は、この齢にしてはひどく強くは無かったか?」
「え? ……ええ、まあ」
曖昧な返事になってしまう。レイはエルドラドの一般的な七、八歳の少女の実力を知らない。しかし、客観的に見てもエトネは強い。頭に異常に、と着けていいほどには強かった。
「……エルフという種族が他種族と交わると……例外なく強靭な強さを持って生まれる事が多い。エルフという種族の持つ特性と他種族の持つ特性が混じり合う。それに加えて、稀有な技能も発現しやすくなる」
レイ達の脳裏に、エトネの《憑依》が思い浮かんだ。それを表情で察したのか、ブーリンは嘆息すると、言葉を続ける。
「同時にその精神が酷く、脆くなる」
「精神が脆い?」
「うむ。……我らは寿命が長い為か、変化しにくい。考え方や、生き方、価値観などが千年前と変わらない。他種族から見れば、里に流れる時間はまるで止まっているかのようだろう。同族同士なら、それで問題は無い。しかし、一滴でも他種族の血が混じった子にとっては違う。彼らにとって、変化を拒む里は牢獄に近かったそうだ」
ブーリンは一度言葉を止めて立ち上がると、集会所の片隅置かれた砂時計を掴んだ。くるり、とひっくり返すとヒョウタンを二つ合わせたガラスの中を、砂が落ちていく。
「時の流れは皆にとって平等である。しかし、感じ方は違っていた。……純血のエルフと雑種の間には大きな違いが、深い溝が広がっていく」
「……その言い方だと、まるでハーフエルフだけが悪いように聞こえませんか?」
「ご主人様! その言い方は……」
挑発的な物言いにリザが止めにはいるが、ブーリンの威圧的な視線の前に言葉が続かなった。
「確かに……我らにも問題はあった。理解できない存在として、腫物のように扱うのではなく、腰を据えて理解しようと努力を重ねるべきだったかもしれない」
「だったら!」
「だが!! ……全ては終わった事なのだ。……ハーフエルフたちは、己が胸の内に生まれてしまった闇に飲まれ、自らをダークエルフと名を改め、我らの里を、いや、世界各地に散った同胞たちの居住区を奪おうとした」
上座にて控えていたサファとロテュスの眉間に深い皺が浮かぶ。おそらく、彼らはその頃を知る、数少ない者達だとレイは推測した。
「争いは激しく……悲しき結末で終わった。ダークエルフたちの敗北でな」
「……それじゃ、貴方たちはエトネもそうなると思って、この里に居られないと言うのですか?」
レイの問いかけにブーリンは彼の方を向いて、重苦しく頷いた。
「それが掟である。エルフという種族を残していくのに必要な規範である」
視界がくらりと揺れたかのような錯覚をレイは味わった。視線を横に滑らすと、上座に並ぶエルフたちは全員が同意するように頷いた。サファも、ロテュスも。
しかし、レイは認めるわけには行かなかった。ここ以外にエトネを受け入れてくれる場所は無い。そしたら、彼女は本当に一人きりになってしまう。
「それじゃ、なんでエトネとエトネの母親を迎え入れる事にしたのですか!? ……まさか、母親だけを受け入れるつもりだったなんて事は言いませんよね!?」
思わず、吐き気を催す最悪を想像してしまう。しかし、ブーリンは否定する様に首を横に振った。
そして、別の形の最悪を告げる。
「エスニアは母娘揃っての里の移住を望み、我らはその代価として、新たな伴侶を娶る事を迫った」
「……はぁ?」
レイは目の前の男が何を言っているのか分からなくなった。頭が硬直したかのように停止したレイに構わずブーリンは言う。
「新たな伴侶を受け入れる事で、新たな純血を生む。その代りに、娘が一人立ちできる年齢までは里にいる事を我らは認める。……それがエスニアとの契約だ。……結果は見ての通りだ。エスニア亡き今、その娘に用は無い。……むしろ、危険な存在である」
ブーリンの容赦のない言い方に、エトネがぶるり、と震えた。顔を俯かせると声も無く、大粒の涙で床を濡らした。その姿を間近で見たレイは頭の中に火がくべられたかのように熱くなった。
「……そんなの!!」
怒りのあまり、言葉が上手く続かなかった。冷静になるように大きく深呼吸を繰り返すと、煮えたぎるマグマのような怒りも多少は治まる。
改めて口を開いた。
「そんな言い方はあんまりじゃないですか。エトネは、ここで受け入れてもらえなければ、行く当てがないんですよ」
「仕方あるまい。それもその娘の運命である」
ブーリンに何を言っても、決定を翻せるとは思えなかった。レイは視線を上座に並ぶエルフたちに向けた。一見すると里長の意見に従っているが、何か思う所が無いのか、縋るような気持ちで言葉を紡ぐ。
だけど。
「それが掟である」「里長の決めたことに間違いはない」「その娘を里に置くことはできない」
口をそろえて、否定する。サファは壁に寄りかかりながら無言を貫き、ロテュスも意見を述べることなく、成り行きを見守っている。しかし、二人がレイに加勢する様子は無い。
(くそったれ! 何か、何かないのか?)
頭の中でエルフを説得できるような材料を見出そうとする。すると、一筋の光明が降りて来た。
「母親……そう、母親だ!」
「ちょ、ちょっと。主様?」
シアラが戸惑ったように声を掛けるが、レイには届かない。
「エトネの母親。えっと、エスニアさんの親族は里には居ないのですか!? その方の意見を聞きたいです!!」
孫娘、あるいは姪の苦境を知れば、きっと自分たちの味方になってくれる。藁にも縋るような思いでレイは問いかける。
―――だが、現実は残酷だ。
エルフたちは困ったように、戸惑う様な反応を見せた。やおらしばらくしてから、一人、また一人と、無言のまま視線をある人物へと注ぐ。
上座の中央。レイたちと正対して座るブーリンに向けて。
がつん、と。
頭を固い鈍器で殴られたかのような衝撃をレイは味わった。リザ達もその事実に気付ぎ、言葉を失った。ただ一人、涙を流し続けるエトネだけは集会所の奇妙な静寂に戸惑っていた。
ブーリンは、肺の中の全ての空気を吐き出すのではないかというほどの、重く長いため息を吐いた。
そして―――告げる。
「エスニアは私の娘だ」
「……え?」
エトネが弾かれたように顔を上げた。涙で塞がれた視界はぼやけて何も見えていない。
「そして……その娘は私の孫になる」
その瞬間。
強い怒りがレイを貫いた。
ゲオルギウスによってアイナが殺された時よりも。
オルドとの特訓の時よりも。
レティが誘拐された時よりも。
赤龍と戦った時よりも。
祖父が孫娘を、見捨てたと理解できたことが、信じられない怒りとなって爆発した。
激しい怒りだった。文字通り我を忘れる。
刹那の間を置くことなく、ブーリンに向かってレイは飛びかかっていた。拳に精神力を込めて、戦技すら発動しようとしていた。
それを止めたのはサファだった。
壁際に座っていた彼は誰の目にもとまらない早業でレイを素早く床に叩きつけた。首の付け根を片手で押さえつける。柳のような手のどこにそんな万力のような力があるのか、レイには見当もつかなかった。
遅れて動き出したのはリザだった。止める間もなく、レイが飛びかかり。防ぐ暇も無く、サファに取り押さえられたのを、全てが終わってから理解した。
「ご主人様!」
レイを救おうとして、動こうとするも、
「動くなっ!」
サファの鋭い喝によって、凍ったかのように動きを止めてしまった。
「それでいい。下手に動けば、童の首を折るぞ」
偽りでない証明のように、サファの指に力が掛かる。腰を浮かしていたリザはレティに引っ張られて座り直した。
ところが。
一人だけ動くのを止めようとしないのが居た。
事もあろうに、首の骨を押さえられているレイだった。あらん限りの力を四肢に込め、歯を喰いしばって起き上がろうとする。サファは力を緩めていないのに、徐々に床から体が持ち上がっていく。
「なんで……なんで、家族に、そんな事を、言うんだ!」
言葉が途切れ途切れになるも、ブーリンに向けて放たれる。しかし、里長は聊かの動揺も見せずに告げた。
「掟だからだ。致し方なし」
短い言葉。だけど、固い拒絶だった。
レイが感じたのは凄まじい重圧だ。里長としての、エルフという種族を生かすための重責が巨大な質量を伴っている。それはレイには到底理解が及ばない領域の話だった。
ブーリンはレイからエトネの方へと向いた。涙目で呆然とする孫娘に非情な言葉を投げかけた。
「其方が私の孫娘であっても、掟は絶対である。……ゆえに、其方らには里を出てもらう事になる」
「アンタはっ!」
冷淡な物言いにレイは更に激昂する。だけど、サファがレイの頭を空いた手で押さえつけるため、言葉が続かない。
「……わかった」
「エトネ!」
突如、エトネが言うと、レティが驚いて声を出した。激昂していたレイも唖然としてしまう。
「やまにもおきてはある。おとうさんが言ってた。おきては、一人を生かすためじゃなくて、みんなを生かすためにある。だから、時には一人をみすてることもあるって」
エトネは毅然とした態度を見せる。目に溢れんばかりの涙を溜めて、それでもこれ以上泣くもんかと歯を喰いしばって堪えていた。
「だから、わかった」
「……其方の父は良き御仁だな」
ブーリンは口の端を僅かに緩めた。それも一瞬の事。直ぐに笑みを消すと、固い表情で告げた。
「里に住まわす事は出来ん。しかし、其方はまだ幼い。身の振り方を考える猶予をやろう」
ブーリンは指を立てて、手のひらを見せた。
「五日。……五日間だけ、里に滞在を許す。それまでに身の振り方を考えるのだ。里には残れぬが、森に定住するもよし。故郷を恋しく思うなら、それもよし。人と交わるのもまたよし。……幾らかの蓄えもある。路銀の足しにすると良い」
そこまで言うと、ブーリンは立ち上がる。それに習うように他のエルフたちも立ち上がった。そして、サファによって拘束されているレイを見下ろすと告げた。
「見れば其方らも怪我を負った者も居るようだ。その娘と共に滞在することを許そう。……ついては先程の事も不問に致す」
ブーリンは視線だけでサファに手をはなすようにと指示を出した。しばし躊躇った後、サファはレイの拘束を解いた。誰もが固唾を飲んで、レイの行動を見守る。又してもブーリンに飛びかかるのではないかと緊張していた。
しかし、レイは脱力したかのように床に寝そべったまま動かなかった。彼の中で烈火のごとく燃え盛った怒りは鎮火していた。
レイはサファに頭を押さえつけられている間に、横目でエトネの姿を見ていた。小さな少女の、小さな拳が固く握られ真っ白になっているのを。
自分がこれ以上感情に振り回されるのは、エトネが胸を搔き毟りたくなるほどの思いで吐き出した決意を汚す行為だった。
動かないレイを見て、ブーリンは出口に向かう途中で最後に付け加えた。
「其方らを客人としてもてなそう。後で世話役を使わす。里の中を見て回るのも許可しよう。ゆるりと体を休まれよ」
一見すると、レイ達の状況を気遣った優しい言葉のように思える。
だけど。
孫娘に向けて『客人』と言ったのだ。
お前は『身内』では無い、と。
エルフが集会所を出て、レイ達だけが残ると、エトネは誰にはばかることなく涙を流した。頬を伝う雫は床に無数の跡を残す。レティが強く、強く、これでもかというほどエトネを抱き締めるが、少女の涙は止まらなかった。
レイは少女の涙を止められない、己の無力さを呪いたかった。
【補足説明】
種……エルドラドに住むヒトの分類群。人間種、獣人種、魔人種の三つに分かれる。
族……それぞれの種から枝分かれする、部族の単位。人間種なら人族(人間族)、巨人族、ホビット族、エルフ族。獣人種なら狐人族、犬人族、蜥蜴人族、猪人族など。魔人種は魔人族のみ。
純種……同種の同族同士、及び同種の他族の父母から生まれた子供。容姿や族は父母のどちらか片方のものになる。人族(人間族)とホビット族の子供はどちらかの族。
雑種……他種の父母から生まれた子供。容姿は父母の種族の特質、特性が混ざって発現する。種族の分類は色濃く発現している方に合わせる。人族(人間族)と猪人族の子供は人族(人間族)をベースに獣耳や尻尾が生える。
純血……同種の同族同士の父母から生まれた子供。確実に種族は父母のと同じになる。
例:リザとレティなら人間種の人族(人間族)の純種もしくは純血。シアラなら魔人種魔人族の雑種。エトネは人間種エルフ族の雑種。ロテュスなら人間種エルフ族の純血。
読んで下さって、ありがとうございます。




