3-51 精霊祭 六日目〈Ⅴ〉
「それで私は……死んだはず。……でも、今は生きてる? 何が起きてるんですか、ご主人様!?」
「……ご主人さま、お姉ちゃん、どうしちゃったの!?」
《トライ&エラー》による復活で記憶が混乱しているリザに何も言えない。そんな姉を案じるレティの声も僕の耳を通り過ぎていくだけだ。僕は二人を前にして動くことすらできない。
突然起きたアマツマラの迷宮のスタンピードだけでも手一杯なのに、リザが《トライ&エラー》に巻き込まれるなんて想像すらしていなかった。彼女は前回の記憶を。迷宮の変成が起こり、モンスターとの戦闘が始まり、そして自分が死ぬ瞬間の記憶を引き継いでいる。
だけど、《トライ&エラー》の齎した物はこれだけじゃ無かった。
「ああ! 寒い……熱い…苦しい……痛い! 魂が削られる! ……レティ、ご主人、様。助けてっ!」
記憶の混乱を自分の中で順に整理していたリザが突如として自分の体を押さえつける。明らかに様子のおかしいリザの呟きから彼女が何を言っているのか分かった。これは《トライ&エラー》による復活の際に味わうイタミの事だ。魂をも削るイタミ。耐えがたい苦痛だ。
僕はイタミを幾度も繰り返した結果ある程度耐性は出来た。それに今回はイタミ以上の苦痛があったためさほど苦しいとは感じなかった。しかし、死に戻り初体験のリザにとって筆舌しがたい苦痛なのだろう。僕はリザを力づけようと声を掛ける。
「リザ! 呼吸を繰り替えせ! イタミはじきに治まるはずだから……たのむ、耐えてくれ」
声を掛けるしかできない自分が余りにも無力だった。レティが素早く杖を抜いて回復魔法を使い、いつの間にか戻ってきたシアラがリザのただならぬ様子を見て、回復薬を取り出した。
僕は空のコップを彼女に差し出した。緑色の液体がカップに注がれると、譫言を繰り返すリザの口元に当てた。《トライ&エラー》によるイタミは物理的なダメージを与えない。人の精神を、魂を削り取るのに合わせて、体がイタミを感じる。誰よりも僕はその事を知っている。しかし、回復薬では回復しないと分かりつつも、気休めでも効いてくれるのを祈った。
唇から少しだけこぼれた液体が形の良い顎を伝って迷宮の床を濡らす。喉が動くのを見れば、回復薬を飲んでいるのだと分かる。
でも、リザの様子は一向に良くならない。晴れた青空を思わせる瞳は焦点が合っていない様に彷徨い、自分の体を抱き締める手は強く、爪が肉に食い込みそうになる。シアラがゆっくりとリザの手を解きほぐそうとしている。回復魔法が効かないと分かったレティが体を震わす姉に自分の体温を移そうとしがみ付いた。
「リザ、ここに皆いるわよ。ここは安全だから、しっかりしなさい!!」
「お姉ちゃん! 元に戻って!! あたしを置いていかないで!」
「そうだ! リザ、そんなイタミに負けて自分を見失うな。君はここに居るんだ!!」
全員の必死の呼びかけが天に通じたのだろうか。
ようやくリザの体から強張りが解け、紙のように白かった顔色に朱が差しこむ。瞳にも光が戻り、平静を取り戻してきた。
「……レティ、シアラ、……ご主人様。私は……」
リザが僕らを見つけた様に呟いてようやく僕らもホッと胸をなで下ろした。
「おねーぢゃん! 良かったよ!!」
「心配かけさせないでよ。まったく、もう!」
レティとシアラは勢いよくリザに抱きついた。抱きついてくる二人を受け止めたリザは目を白黒させながら周囲の状況を確認している。その姿は嘗ての自分に酷似している。あの森にてスライムに殺されて、初めて死に戻った自分と。
リザの瞳が僕に吸い込まれるように固定される。彼女は抱きついたまま離れない二人を抱えて焦りを浮かべながら口を開く。
「ご主人様! 敵が来ます。……いえ、敵が来るかもしれない?」
最初の勢いとは裏腹に語尾では言葉を濁した。普通に考えて、死んで復活したなんて思わないだろう。いま、自分の身に起きている出来事を理解しきれていないのだ。それでも、まさかの可能性に備えて敵の襲来を伝えたリザに向けて口を開いた。
「リザ、大丈夫だ。分かってる」
時間が無い為、短い言葉に幾つもの意味を込めた。聡いリザは僕の込めたメッセージを理解し、それでも信じられないような表情を浮かべていた。
「……なら、やはり先程の光景は夢では無く、現実……なのですね」
「ああ。詳しい説明は後で必ずする。だから、リザ。そしてレティもシアラも。今から僕のやるべき事を説明するから詳しく聞いてくれ」
事情の分からない二人も僕の真剣な声に顔色が変わる。レティは涙を拭い、シアラは杖を握る手に力を込める。そして精神的狂乱から立ち直ったリザは力強い意志を瞳に宿している。僕は三人に簡単にこれから起きる事、そして僕のしておきたいことを説明する。三人の反応はレティが猛反対をし、シアラが僕を罵倒し、未来を知るリザが消極的賛成を示す。僕は根気強く二人を説得し、しぶしぶ納得してくれた。
―――それとほぼ同時に、迷宮の変成が起きた。
一度体験した僕とリザ。そして半信半疑ながら説明を受けたレティとシアラを除く人々の口から悲鳴が飛ぶ。その中で懸命に指示を出すギャラクさんの声が飛んだ。僕はシアラにかがり火を任せると前回確認できなかったことを確認する。
振動に合わせて、吊るされたランタンが小刻みに揺れる。その中で壁際にあった左右の広間に繋がる通路がゆっくりと閉じていく。いや、あれは通路がずれているのか? ともかく、この距離では分からないが通路自体が無くなった。
やはり第一階層の広間の配置自体が変化しているようだ。
(やっぱり、作戦はこれぐらいしか思いつかないな)
揺れる床に手を突きながら先程説明した作戦を頭の中でもう一度確認する。相変わらずの綱渡りの力技に自分でも辟易してしまう。しかし、時間の無い、戦力の足りない状況で選択肢は他に思いつかなかった。
数分後。永遠に続くかと思われた振動は終わる。同時に、僕の作戦が開始する。
「リザ、シアラ、レティ! 後は任せる。打ち合わせどおりに頼む」
「分かりました。……あとで、誤魔化さずにちゃんと私の身に起きたことを説明してもらいます」
リザがロングソードの柄に手を伸ばして威圧的に言う。しかし、瞬時に頬を緩ませると頭を下げて「御武運を」と短く告げた。
「まだ、何が何だかよくわかんないけど、りょうかーい。行ってらっしゃい!」
レティが言葉を伸ばして愛嬌を振りまきつつ、手を振った。
「……なんていうか。本当にアンタは無茶苦茶な奴ね。まあ、精々気張りなさい、主様」
シアラが傲岸不遜な態度で僕を送り出す。だけど、小さく「絶対に帰って来なさいよ」と続けた。
僕は三人に向かって頷くとその場を駆けだした。突然の異変に混乱続く結界の中で駆けだす僕に向かってギャラクさんやニコラスが後ろから声を掛けるが全て振り切って走る。彼らに説明するのはリザ達に任せる。
結界の外に向けて走っていると、前方にホラスが立っていた。僕を待っていたわけでは無い。結界の防衛の為に待機していた時にこの振動が起きたのだ。彼は結界の境にて内外に目を光らせている。何か起きても対処できるように武器を抜いていた。
「おい、中で何か起きたのか!?」
切羽詰まった様子で走る僕の様子から、ただ事では無いと感じたホラスが問いかけてくる。僕は速度を落とさずにそのままホラスの横を通り過ぎた。
「結界の中に居た方が良い! 後の指示はギャラクさんが出すよ!」
「お前はどうすんだよ?」
既に後方へと流れたホラスからの問いかけに大声で返した。
「僕は奥の広間の様子を見てくる!!」
そしてそのまま、奥の広間。つまりモンスターがやって来る方向の通路へと飛び込んだ。変成前と変わらず、広間同士を繋ぐ通路は短く、横幅も狭い。
短い通路を抜けると、僕らが守っていた広間とほぼ同程度の広さを持つ広間へと辿りついた。どうやらまだ、ここにモンスターは姿を見せていないようで、広間の中央にある結界から悲鳴や怒号は聞こえない。単純に突然の振動による動揺だけが広がっている。目的地までの最短距離を走る中、左右の壁に視線を向けるとやはり、ここでも横の広間への通路が消えている。
すると、前方の結界を守ろうとする人の声が飛んできた。
「おい、お前! そんなに走って、どうしたんだ。何が起きたんだ!?」
最初は武器を抜いていた冒険者は、走って来るのが人間だと分かると警戒を解いて質問を投げかける。でも、彼の質問に応える余裕は無い。僕はその冒険者に駆け寄ると質問を遮って問い質した。
「ここの番号は幾つだ!!」
「はぁ?……番号って……広間の番号か?」
「そうだよ。迷宮に潜る時に聞いただろ。早く答えてくれ!」
唐突な質問の内容に不審そうな表情を浮かべる冒険者がもたつきながらも口を開く。
「こ、ここはB-7だ」
「―――っ! やっぱり広間の配置もシャッフルされてるのかよ!!」
本来なら僕が居たC-8から奥に続く通路を抜ければたどり着くのはC-9のはず。それが違うという事はやはり迷宮の広間そのものが移動している証だ。
あっけに取られた冒険者を置いて僕は再び走り出した。混乱が続く結界内を通り抜けて更に奥の広間に続く通路を抜けると―――ホワイトタイガーとすれ違う。
「グルウウウウ!」
「うおぉっと!」
通路を抜けた途端に、通路に飛び込もうとするホワイトタイガーの群れと遭遇した僕は思いっきり横に向かって飛び込む。追撃に備えて立ち上がらず、回転しながら迷宮の床を移動して距離を取った。しかし、予想された追撃は無かった。
ホワイトタイガーの群れは僕に一瞥をくれる事も無く、すぐに通路へと消えていった。やはり、普段のモンスターとは違い、何かしらの目的を与えられている。おそらく、足止めか、あるいは地上への道の確保か。どちらにしても、これがタダのスタンピードでは無いのがこれで確定した。
とにかく、僕はC-8から二つ先の広間に辿りついた。他の広間と同様に正方形の形を持つ広間の中央に円形の結界が存在する。先の二つとの違いは中級モンスターが通り過ぎた為、避難民たちの悲鳴が響き渡っている事だ。
僕は避難民でごったがえす結界の中に飛び込んだ。天幕の配置やかがり火の置き方に他所との違いは無く、そのためここを守る防衛部隊の居所は直ぐに分かった。避難民を結界の後方において、前方に、奥に繋がる通路の方向に向けて陣形を取っている。
その中に、見覚えのある赤色の髪を僕は見つけた。陣形を取る戦士達を鼓舞する声を耳が拾った。
「全員、気をつけな! 奥の通路から敵がまた来るかもしれないよ! 避難民はアタシらの合図無しに結界を出ないで! 安全が確認されるまでは結界内に待機!!」
年の若い少女の声は迷宮に良く響き、誰もが自然と少女の言葉に従った。やはり、彼女には父親譲りのカリスマのような物があるに違いない。褐色の肌を惜しげもなく晒す、その背中に声を掛けた。
「ファルナ!」
「あ? ……レイ! こんなとこで何してんのよ、アンタ?」
氷を思わせるような青い瞳が疑問の色を浮かべている。僕が此処にいる事を訝しんでいた。一方で僕にとってもファルナがここに居たのは予想外だった。だけど、足を止めるわけにはいかなかった。
「ごめん、ファルナ! いまちょっと急いでいるから」
本来の予定ならここの番号を聞きたいのだが、二つの理由から諦める。一つはホワイトタイガーとすれ違った事でこの後アイアンライノーの群れか、もしくは別のモンスターの群れが押し寄せてくるため時間が無いため。そして彼女に捕まれば確実に足を止めざるを得ないための二つだ。そのため、速やかに彼女の横を通り過ぎようとした。だけど、視界がぐるりと回る。
ファルナに首根っこを掴まれて倒されたと気づいたのは迷宮の床に背中を打ち付けた時だった。見上げた視界にファルナの顔が映る。こめかみのあたりがぴくぴくと動いているのは見なかった事にしたい。
「あのー、ファルナさん。今ちょっーと急いでいるんですけど」
「へぇ。この訳の分からない変成が起きている中でどこに行こうって言うんだい?」
語調は優しく。しかし、眼は笑っていなかった。僕を固定するように彼女の長い足がぐりぐりと鎧を踏む。でも、僕にはファルナに関わっている時間は無い。彼女の足を掴んで起き上がる。片足が持ち上がりバランスを崩して倒れそうになるファルナの手を引き寄せた。
簡単に拘束から抜け出せた僕に驚くファルナに謝りつつも、別れを告げようとする。
「ごめん。でも、急いでいるんだ。奥の通路に行きたい―――」
「―――奥の通路? あそこは止めときな。あそこは危ないよ」
僕の言葉を遮ってファルナが強い口調で断言した。その言い方が引っ掛かり足を止めた。彼女は僕の進もうとした方向を見据えて言葉を継ぐ。
「アタシらの内の一人が偵察であそこの通路を見てきたら、通路が伸びて階段が出現していた。そして、階段の下からモンスターの唸り声が聞こえたって命からがら伝えてきたんだ。今だってホワイトタイガーの群れがあそこから出てきたって、おいっ!! 人の話を聞いてんのかよ」
ファルナが後方で叫ぶが足を止める訳にもいかない。何せその情報が僕の一番求めていた物だった。
僕は再び結界を抜けて、通路へと飛び込んだ。いままでの通路と違い、鼻をつく獣臭が充満し、反響したモンスターの声と足音が波のように押し寄せる。奥に伸びる通路は途中で左に折れている。おそらくその先に下へと繋がる階段へ繋がっているはずだ。
つまり、ここが避難民の居る第一階層とモンスターの居る第二階層を繋ぐ出入り口だ。
その時、曲がり角に巨大な影が姿を現した。手にはバトルアックスを握り、人に近い体格を持ち、頭部が羊のモンスター。纏う雰囲気はとても中級とは思えない。おそらく、上級か、あるいは超級だろう。狭い通路のため、モンスターの体だけで通路が塞がってしまう。
「グオオオ、ゴオオオオ!」
僕を視認するとそのモンスターは体が通路を削るのもお構いなしに突進してきた。僕は咄嗟にバスタードソードを抜いて防御の構えをとった。
―――何の助けにもならないと分かりながらも。その場を引くわけにはいかなかった。
粗悪品のバスタードソードが爪楊枝のように簡単に折れるとバトルアックスの刃は僕の胴体を肩から切り落とそうとする。しかし、ニコラスが施した《耐久》の加護が発動すると、見えない壁のような物が刃と鎧の接触を拒む。
だけど、山羊頭のモンスターはすぐに対応した。刃を寝かせて力任せに横に振る。
首の肉を裂き、骨を砕く音。下半身に流れ落ちた出血の熱さを感じたと思ったらあっという間に僕は死んだ。
★
四肢と頭部がコの字型の杭のような物で押さえつけられ、巨大な岩盤に打ち付けられている。僕の体は固定されている。その岩盤をマグマで煮ているのだろうか。高温に熱せられた岩盤は僕の背中を焦がしていく。そして、固定された視界は鈍色に光る断頭台の刃から逸らせないでいた。
高所から降り落ちる刃は首を狙わない。僕の痛覚が何処まで持つか試すかのように足の皮を削る所から始めた。規則正しく、一定の間隔で、何の慈悲もなく、刃は落ち続ける。
足の皮から始まった処刑はすでに腰のあたりまで来ている様だ。断定できないのは体の有無が腰のあたりで曖昧になっているからだった。
しかし、振り落ちる刃を受けながら僕の意識はイタミに向いてない。ただひたすら、リザがこれに巻き込まれていないことだけを祈っていた。
★
「ほら、起きろよ、レイ―――」
ニコラスの声が聞こえた。イタミが全身を苦しめるが表情にはおくびも出さずに起き上がる。
「―――ああ、分かってるよ」
イタミの波が全身を駆け巡る中、思考だけは次の段階に向けて練り上げる。何せ僕の作戦はここからが本番だ。
読んで下さって、ありがとうございます。




