3-49 精霊祭 六日目〈Ⅲ〉
精霊祭、最終局面を彩るかのように全ての戦力がアマツマラの大地に集まった。
数千の防衛側の戦士と、オルドとテオドール。
一万を超えるモンスターの群れと赤龍とクリストフォロス。
フィナーレを迎えつつある地上部と時を同じくして、地下の迷宮でも魔人の手によって異変が密かに、そして大胆に起きていた。
「ほら、起きろよ、レイ。そろそろ時間だぞ」
寝袋に包み込んだ体ごと揺らされる感覚に目が覚めた。かがり火に照らされたニコラスの幼い顔が視界に映った。その顔色はひどく悪く、精彩を欠いていた。
ニコラスだけでなく、深夜の警護の為に仮眠をとっていた僕と同じ班の前衛組や、休息を取るレティの頭を膝に乗せたリザも、弓の弦を張り替えるギャラクさんも似たような顔色だった。鏡が無いがきっと僕も酷い顔をしているのだろう。理由は迷宮で熟睡できるほど図太い精神では無いため疲れが抜けていない、だけでない。僕らの頭上、地上に原因がある。
僕らが仮眠をとる少し前に、上からの伝令が広間にやって来た。曰く、地上の戦いが夕暮れを過ぎても終わらず、夜戦に突入することを。
いままでのスタンピードの傾向を打ち破るかのように突然戦い方が変わった。向うの戦力が尽きたことによる焦りなのか、それとも遊びを終らせに掛かったのか。ともかく、地上の決戦が僕らの予想よりも半日早く始まってしまった。
本来の予定では第一王子の援軍が着き次第、こちらが攻勢に出るはずだった。今日を凌げば勝ちが見えていた。なのに、僕たちの目論見を看破したかのように夕暮れ時になっても戦闘は続き、畳みかけるように城壁を攻め立てている。
伝令を最後に地上からの情報は降りてきていない。そのため地上の戦況がどうなっているのか地下の僕らに知る由も無い。避難民にはパニックの回避のため知らせてはいないが、事情を知っている僕らの不安は時が経つにつれ膨らみ、決壊の時を待っている。いつ、迷宮の入り口から城壁を突破したスタンピードの群れが押し寄せてくるかという恐怖と戦っていた。
「起きましたか、ご主人様。どうぞ、これを」
火の番をしていたリザが膝に眠る妹を起こさないように気を使って、やかんからカップに白湯を注ぐ。寝起きの頭を覚醒させるのにはコーヒーの方が良いと思ったがこんな状況では高望みだ。僕はその温もりで冷えた指先を温める。外側からの熱で指が溶けるかのようだった。
ニコラスもリザからおっかなびっくりカップを受け取ると火から距離を取った場所で白湯を口にしている。
一口飲んでから、リザにここに居ない人物の行方を尋ねた。
「シアラはどうしてる?」
「彼女でしたら、先程起きた戦闘の後片付けをしているはずです。おそらくもうじき……」
自分に白湯を注ぐと三つめのカップに同じように白湯を注いだ。すると、足音が聞こえてきた。振り返れば『氷の涙』を手にしたシアラが欠伸を浮かべつつ戻ってきた。見た目から怪我などは無く、無事のようだ。
「ふゎぁー。……あら、主様? おはよう」
「うん、おはよう」
挨拶を交わしたシアラが僕の隣に座って火に当たるとリザの細い手が僕の前に現れた。その手には先程注いだばかりの白湯が湯気を放つカップが握られている。
「お疲れ様です、シアラ」
「ありがと、リザ」
二人は短く会話を交わすと僕を挟んで火に当たる。シアラを奴隷に加えてから一日。二人の仲は僕の懸念に反して険悪では無い。少なくともリザはエリザベートではなく愛称で呼ぶことを許しているぐらいには認めている。
だけど、いつまた口喧嘩が起きるか分からない僕としては起爆するから分からない爆弾を持っているような気分を味わっていた。
僕はそっと目を瞑ってシアラの能力値を再確認する。
『シアラ・■■■■』
LV.31
HP.134 MP.342
STR.61 DUR.104 DEX.52 MAG.256 POW.143 INT.213 SEN.72
リザやレティのステータス画面と同じく名前の一部が塗りつぶされ、技能や称号は確認できない。一方で、奴隷として購入した時のファンファーレ。シアラが仲間になった証のようなあれが出た途端、『仲間』の項目にシアラの名前が出た。
奴隷として購入すると他の人のステータス画面が確認できるのかもしれない。もっとも試す為に他の奴隷を購入する気は無い。
僕は一度見た能力値を再び見つめる。赤い龍との戦いではシアラが主体となる。それだけに彼女は何が得意で何が不得意なのか頭に叩き込んでおく。
シアラの能力値はやはり魔法に特化している。魔法の威力を左右するMAGと魔法の成功確率を決めるINTの値が飛びぬけて高い。それにMPも非常に高い。そのくせ耐久値であるDURが高いのが気になった。魔法使いの割に殆どリザと数字は変わらない。これは半分とはいえ魔人種の血を引いているのが関係しているのだろうか。ゲオルギウスも下半身を無くしても生きていたし……いや、比較対象が悪すぎるな。
「ちょっと、主様。どうかしたの?」
「ご主人様、眠らないでください。ニコラス様がお待ちになっていますよ」
僕は両隣に座る二人に体を揺すられて目を開けた。心配そうにこちらを見る美少女二人になんでもない、と返すと立ち上がって大きく背を伸ばした。やはり、寝袋とはいえ、固い迷宮の上で何度も寝ていると背中の筋肉が固まる。体を伸ばすと関節から音が生まれた。
顔を上にあげれば迷宮の天井を覆い尽くす闇が見えた。いくら目を凝らしてもその硬い岩盤の上を透視することはできない。地上の戦況なんて見る事さえできない。ましてや、赤い龍が現れているかどうかも分からなかった。
(恐らく、今夜か明日の夜。そのどちらかに赤龍と遭遇する予知に収束するはずだ)
そう、認識すると胃の中に重たいものを感じた。しかし、これに屈するようでは話にならない。
地上で行われている夜戦を乗り切れば明日にはスタンピードの群れは駆逐されるはず。確率として高いのはやはり今晩だろう。もしくは、戦いの終わって一息ついている街を最後に奇襲する為に登場するかのどちらかだ。
だが、後者の可能性はともかく、前者、つまり今晩に予知が起きるかどうかで言えば確信は持てないでいた。理由は僕らが迷宮にいる事だ。
最後の伝令は、ある命令を僕らに伝えていた。曰く、上の戦況次第では街の中腹に防壁を展開。その際に防壁の外側にいる避難民を迷宮に収容するために第二階層の攻略を行う場合もある。そのための心づもりをしておくように、と。
上の戦況次第だが僕らは更に地の底へと向かって進軍する可能性がある。シアラの予知では赤龍との対峙は地上のはずだ。この状況で僕らが迷宮を飛び出して地上に向かうケースが思いつかなかった。
普通に考えて迷宮を脱出しないといけない場合は、迷宮で避難民の警護をするのが難しくなった場合だ。だが、それは今の時点では有りえない。なぜならこの一日の間でモンスターの出現頻度が目に見えて減ったのだ。それに一度に現れる数も少ない。
アマツマラの迷宮を知っているニコラスやマエリスさん、それに鉱夫の人たち。加えてアマツマラ在住のメーリアさんも口をそろえて迷宮がいつもの状態に戻ったと言う。
確かに、この程度の頻度で現れるなら、アマツマラの迷宮を鉱山として使うのはさほど難しくは無いだろう。もっとも他の広間も同じようになっているのかどうか分からない以上断言はできない。
それでも、地上よりも迷宮の方が安全なように僕の目には写っていた。
―――この時までは。
大きく背伸びをしていた僕の顔にパラパラと粉のような物が降り注いだ。背伸びと同時に欠伸をかみ殺していた口の隙間にも粉は入り込んでしまう。
「ぺっ、ぺっ。……なにか口の中に入った」
「ちょっと! カップの中に飛んだでしょ、バッチィわね」
口の中の粉を思わず吐き出すと、飛沫物がシアラの白湯に飛び込んでしまったようだ。文句を言うシアラが白湯の表面を見せるように手を伸ばした。しかし、その表面は幾つもの波紋を浮かべていた。
不思議に思った僕らが顔を見合わせるのと同時に―――迷宮が揺れた。
立っていられない程の酷い揺れでは無かった。だけど、時間がまずかった。誰もが夕食を取り終えて天幕の中で眠っていた時にこの揺れだ。結界内のあちこちで悲鳴が上がる。眠りこけていたレティも飛びあがり、姉の顎と衝突する。
「じ、地震か!?」
「だとしても変よ!? 迷宮が此処まで揺れるのは!?」
悲鳴に負けない大声で叫ぶとシアラも同じ声量で返した。高い天井に人々の声が響いて反響する中、ギャラクさんが揺れる床を物ともせずにかがり火へと走った。
「全員!! かがり火を消すか押さえろ!? 結界内で火事が起きたら、ここに居られなくなっちまう!」
その声に防衛部隊の全員が反射的に行動を開始した。身近の火元に駆けよれば、消火や、倒れないように固定にとりかかる。僕は咄嗟に杖を振るうシアラの名前を呼んだ。
「シアラ! 消すな!」
「―――了解よ、主様!」
シアラの氷の魔法が混乱して這いつくばる人々の隙間を縫って放たれた。狙いはかがり火の足元だ。床の振動に合わせて隙間が出来つつあるかがり火が氷の魔法によって固定されていく。迷宮にある光源なんてヒカリゴケの淡い明かりと、壁際のランタンぐらいだ。無駄に広い広間の中央部分はかがり火が唯一の光源。混乱する状況で光を無くせばパニックは避けられない。
僅かな言葉だけで僕の意図を組んだシアラに心の中で称賛する。口に出さないのは調子に乗られると癪に障るから。
ともかく、数分間続いた揺れは徐々に静まる。いや、これは地震なのだろうか? 地震のように同じ方向に繰り返し反復するような揺れではなかった。何かと何かが大きくずれて、擦りあわせる。その何かがとても大きくて、それで振動も大きくなった。そんな風に思ってしまう。
揺れが収まるとようやく皆が顔を上げる。天幕の中から避難民たちが顔を出して外を覗く。互いの無事を確認し合うように名前を呼び合っている。
その中でいち早く動くギャラクさんが大声で安全確認と怪我人の有無を聞いて回り、外側の警備をしていたホラスたちも様子を見に結界内へと帰ってきた。誰もが不安の色を隠せないでいた。二百人の安全確認を行うのだ。時間をすこしだけ要す。
すると、僕の袖が引っ張られる。視線を向ければ、目を覚ましたばかりのレティがじっと結界の外を見つめていた。エメラルドグリーンの瞳に戸惑いの色が浮かぶ。
「ねえ、ご主人さま。あそこの壁、変じゃない?」
促されて結界の岩壁へと視線を向けた。等間隔に吊るされているはずのランタンに一カ所だけ、距離を多めにとられたような空間が出来ていた。確かに変といえば変だが、気にするような物では無い。振動で吊るされていたランタンが落ちただけでは無いか。
しかし、レティはすでに視線を真後ろへと向けていた。僕もそちらの方に振り向くと、そこにも同じように等間隔に吊るされたランタンの間が一カ所だけやけに広い場所があった。どちらも壁の中央付近だった。
「待て、待て! 中央付近!?」
「そうだよ! あそこには隣の広間に繋がるはずの通路があったはずだよ!!」
アマツマラの迷宮は基本的に広間の四辺の中央に隣の広間へと通じる通路がある。これが全体の配置において端の広間や角の広間でその先に広間が無ければ通路は存在しない。
だけど僕らの居るC-8は横五列の配置でも中央。となりに広間が存在しないのは有りえないはず。僕とレティは同時に同じ疑問に直面した。そして、先に答えが出たのは迷宮に対して多少の知識を持つ僕だった。
「まさか、迷宮の変成が起きたのか? いま、よりにもよってこの時に?」
迷宮の変成とは、迷宮が姿形を文字通り変化する事だ。広間の形や罠の種類、更には階段の位置や、広間の順番さえも入れ替わる。迷宮ごとに規模や期間がまちまちなのだが、長く迷宮に潜っていると、行きと帰りで別の迷宮を攻略する時もあるという。
僕も知識としては知っていたが直面するのは初めてだった。しかし、アマツマラの迷宮は変成が起きるのは一年に一回。それがよりにもよってこの時に起きるのだろうか。
そんな疑問を抱く僕に追い打ちを掛けるように悲鳴が残った二つの通路の内、片方から聞こえてきた。元の構造からいえば、迷宮の奥へと続く通路からだ。
全員が凍り付いたようにそちらの通路を見つめた。断続的に聞こえる悲鳴に加えてモンスターの唸り声も聞こえてきた。ギャラクさんが全員の意識を自分へと集めるかのように大音声を出す。
「避難民の方々に通達! 皆さんは結界の後方。迷宮の入り口側の方へ集まって。場合によっては脱出できるように荷物を持って! 防衛班は結界の前面。奥の通路側に集合!!」
ギャラクさんの指示に誰もが右往左往しながら従う。その間も隣の広間から悲鳴は反響しながら聞こえてくる。さらに後方の広間からも人々の騒めく声が聞こえてくる。前後から聞こえてくる声にもみくちゃにされそうだ。
僕たち防衛班二十人は奥の通路側に集結した。全員が通路を緊張した面持ちで見つめる中、シアラが僕の首根っこを掴み小声で囁く。
「主様。警戒して!」
彼女の金色黒色の瞳が動揺の為か震えているように見えた。
「全員から死の影が見えてる。濃さはまちまちだけど、ここはやばいわよ」
囁くような声だったが、確かにそれだけは聞き取れた。僕が聞き返そうとするも、被せる様にギャラクさんの指示が飛んだ。
「全員! 気をつけろ。何かが来るぞ」
同時に迷宮の通路から黒い影が疾走する。あっという間に距離を詰めて結界の傍まで近づいたのはホワイトタイガーだった。白い毛皮を持つ四足獣が結界の外周に沿ってこちらを見つめている。数は全部で二十体は居る。
「なんで、この階層に中級モンスターが!?」「奥の広間は突破されたのか!?」「やばい、このままだと囲まれちまう」「避難民を中央に集めないかい!?」「むしろ、今のうちにここを脱出するべきなんじゃ」
得物を舌なめずりしながら見つめるホワイトタイガーの群れは結界の周りをうろついていたと思ったら、すぐさま後方の通路へと飛び込んで消えた。どうやら結界を突破できないと理解しているようだった。途端に入り口側の広間からここに負けない悲鳴が響く。
だけど、一息ついたと思えたのは間違いだった。アイツらの目的は僕らの足止めに過ぎなかった。
「やべぇのが来るぞ!」
先頭に立つホラスの叫びに振り返れば、犀のような形をしたモンスターが一直線に結界へとぶつかってきた。魔石を弾く結界に阻まれモンスターの皮膚は電流が走ったように赤く熱せられる。それでもかまわずにモンスターは突進を続ける。
「アイアンライノーだ! このままじゃ結界が破られるぞ」
ギャラクさんの声を皮切りに、アイアンライノーの群れが押し寄せてきた。彼らは強靭な皮膚によって結界のダメージを堪える。僕らが慌てて結界越しに攻撃を加えても弾かれるだけだった。
そして悪夢のような数分が通り過ぎると結界に亀裂が走った。そして僕らが止める間もなく、僕らを守っていてくれた結界はガラスのように砕ける。
じゅうじゅうと皮膚を熱せられたアイアンライノーの群れが一気に押し寄せてきた。
読んで下さって、ありがとうございます。




