3-43 精霊祭 五日目〈Ⅰ〉
精霊祭、五日目。
空には再び灰色雲がかかり、まるで人々の胸中を表すかのようだった。死闘は開幕から始まった。前日と変わらない規模の軍勢を投入できたモンスター側は南北に弓なりに伸びる城壁に取りつく。中級から超級までの怪物が城壁を越えようと一心不乱に攻め立てる。その士気は高く、勢いもついていた。
一方で防衛側の士気は低かった。
バリスタという強靭な兵器を持ち、敵に制空権を取られ続けた今回のスタンピードにおいて、前日と同じく飛行系モンスターが姿を見せていないのに、その士気は低く、どこか動きも鈍い。
あれだけの死闘を続けてなお敵の数が前日と同じだからでは無い。戦闘が始まる前にダラズにてモンスターの孵化が確認された情報は戦場に居る全ての者に開示されていた。
増援部隊が襲撃にあったからでは無い。モンスターの孵化に関する情報と違い、こちら下手に明かせば士気を著しく損ねかねない。そのためミカロスを始めとした指揮官にしか伝わっていない。
では、何故これほどまでに前線の士気が低いのか。
答えはある男の不在にあった。
『岩壁』のオルド。
B級クラン『紅蓮の旅団』を率い、幾つもの逸話を生み出し、このスタンピードにおいて防衛側に絶大な影響力を与えている男。赤龍のブレスが直撃してもなお、すぐさま戦線に復帰する二つ名に恥じない頑強さがそのまま冒険者たちの支柱として重要な存在だった。そんなA級冒険者がこの五日目に姿を見せなかったのだ。原因は魔人ゲオルギウスの血を飲んだことにあった。
明け方に近い頃の鍛冶王の工房にてオルドは賭けに出た。S級の壁へと挑み―――失敗した。確かにレベルは急激に上がり、能力値はS級相当となった。
だが、代償に彼の体は急激なレベルアップに耐えられず重大なダメージを負い、意識を失った。一時は生死の境をさまよい、峠を越えた現在も治療中だった。
かくして防衛側の精神的支柱といえた男の離脱は士気の著しい低下を招き、戦力的にも低下した状態で五日目の戦闘が始まった。
「あー!! もう、めんどうくさいわね!!」
ロテュスの双剣が煌めくたびに城壁上に上り詰めたモンスターは細切れに切り落とされる。例え上級モンスターの群れでもA級冒険者は歯牙にも掛けない。上級モンスター、プラチナゴリラの皮膚は文字通り金属のごとき頑強さだ。それなのにロテュスの振るう双剣は何の抵抗も感じさせずにプラチナゴリラを骸に変える。
だけど、倒しても、倒しても切りが無かった。大地にはモンスターが押し寄せたことでピラミッドのように城壁に沿って張り付く。詰み上がった同胞の死体を躊躇も無く駆けあがって彼らは侵入する。開戦からわずか一時間で城壁上の通路はモンスターの血肉で埋め尽くされんとする。
波のように絶え間なく打ち寄せるモンスターと対峙していくたびに城壁上の兵員にも欠損が出始める。モンスターの屍と折り重なるように兵士や冒険者の死体が積み上がっていく。
それでも、戦線を辛うじて構築しているのはバリスタの功績だった。
昨日の時点で爆発する魔法の矢はすでに底を付いてはいた。だけど、普通の矢でも十分な殺傷能力を発揮する。百本の矢が発射するたびにモンスターを仕留めていく。
さらに副次効果としてモンスターを倒した兵士はレベルアップを果たし、幾らか強力な兵士と化す。一つのバリスタにつき三人の装填手が付く。レベルアップ酔いに備えて討伐数が一定を越えたら入れ替わり、レベルアップを果たした兵士が戦線に加わる。
簡易的なレベリングを果たしている。モンスターの勢いを削ぎ、兵士の強化にも繋がっている。まさに一石二鳥だった。更に明るい報告もあった。
迷宮に潜っていた正規兵百五十名が戦線に加わった。
別に、その分の広間が蹂躙されて守るべき対象が無くなり行き場を無くしたというわけでは無い。王発案の策だ。奴隷商人との交渉の結果レベル二十以上の奴隷が迷宮の防衛に加わったのだ。その分の正規兵をこちらに回せた。
しかし、このどれもが焼け石に水程度の効果しかない。城壁上の通路に上り詰める敵の数は時間が経つにつれ多くなる。今も、城壁まで上り詰めたレッサーデーモンがロテュスの隙を突いて地上に、つまり、都市の内側へと降り立った。
「―――っう! しまった!!」
後悔を口にして、眼下を見下ろせば兵士を蹴散らしながら通りを進もうとするレッサーデーモンの頭頂部が見えた。彼女は傍にいた冒険者にこの場を任せてレッサーデーモンを追いかけた。
城壁から建物の屋根に軽やかに飛び移ったロテュスは四指に嵌めた指輪から鋼鉄糸を展開させる。伸縮自在の鋼鉄の糸は彼女の意志に従い、レッサーデーモンの四肢を絡めとった。
だが、デーモン種の固い皮膚と筋肉は鋼鉄の糸でも食い込むのが精一杯だった。そして、彼女のSTRではレッサーデーモンの歩みを止めるには足りない。纏わりつく糸にも構わず、坂道を上る。ロテュスの体はレッサーデーモンの勢いに引きずられる。嵌めている指輪事、指が抜けるかもしれない。
「なんって馬鹿力! こういう筋肉バカの相手はこっちの筋肉バカ二人って相場が決まってるでしょ!!」
ここに居ない二人の男に罵声を叩きつけたロテュスは糸を更に伸ばす。張りつめていた糸がたるみ、レッサーデーモンは体を縛る力が緩んで倒れこんだ。その隙にロテュスは屋根の向こう側へと渡り、足元の通りに向けて飛び降りた。そこは倒れているレッサーデーモンの居る通りとは建物を挟んだ隣の通りだ。
空中を落下する際に全身の筋肉を稼働させて、一気に指を振り下ろした。刹那の間、指先に感じた抵抗は、すぐさま破られる。ロテュスがレンガを敷き詰めた通りに着地する時にはすでに張りつめていた糸は緩んでいた。彼女の体重と落下の際の衝撃。そして全身の力が加わった事で鋼鉄糸はレッサーデーモンの輪切りを生み出した。彼女が指を振るえば血の付いた鋼鉄糸は指輪に収納された。
都市への侵入者を倒したのにロテュスの表情は暗かった。足元を見て彼女は低い声で呟いた。
「これで何度目かしら、侵入を許したのは」
彼女は足元に付着したモンスターの血痕を縁石に擦りつけた。というのも、降り立った通りにはモンスターの屍が至る所に散らばっている。戦闘の爪跡も残り、流れる血が砕けたレンガの窪みに溜まっていた。
城門は破られていない。
しかし、城壁上に押し寄せるモンスターの群れは防衛側の隙を突いては街の中へと降り立ち坂道を駆けあがろうとする。すでにアマツマラ下層部分に居た避難民は中層部分よりも上方に避難させた。同じように城壁沿いに並んでいた医療施設を始めとした支援施設もギルド付近まで移動している。そのため、この辺りの建物には人はいない。
だからなのか、無人の建物に目もくれずに坂道を上ろうとモンスターは進む。逆にいえば、これはチャンスでもある。無警戒の背後から敵を突くことが出来るうえに、通りには魔方陣による《クローズドウォール》が文字通り壁のように展開されている。通りの両側にそそり立つ、建物の側面に魔法言語を刻むことで壁の形をした結界を作ったのだ。超級や上級モンスターでもこれを破るには一分は掛かるだろう。だが、壁を壊す前に、壁の向こう側にあるバリスタがモンスターを貫く。《クローズドウォール》は《クローズドサークル》と同じで魔石を弾く力がある。つまり、タダの鉄の塊は問題なく貫通する。
昨日の戦いで破壊された五十挺の内二十以上が一晩のうちに修理され城壁から街の上層部分へと向かう通りに配置されている。坂道の上から下を狙う関係上、足の部分を直接杭で固定している為、撤退などで戦線を後方に下げる際は置いていくしかない。それでもモンスターの侵攻を防いでいる。
もっともそれは水際で止めているに過ぎない。どこかが破綻すれば一気に決壊する堤防に過ぎなかった。
ロテュスは軽快な動きで城壁上に戻ると縁から顔を覗かせて、今にも昇りきるホワイトキマイラの前足を切り落とした。縁を掴んでいたモンスターはそのまま悲鳴を上げて落下していく。
「まったく、これじゃきりが無いわよ!!」
ロテュスの言葉はその場にいた全員の心境を代弁したものだった。真綿で首を閉めるかのようにじわじわと追い詰めていく戦いもすでに五日。
兵の疲労はピークを迎えようとしてた。
正にその時だった。
轟音と共に―――城壁の一部が崩れ落ちたのは。
「今の音は何だ!!」「龍のブレスか!?」「確認を急げ!」
正門からギルドまでのメインストリートの中腹辺りに設置された指令所。ミカロスは動揺する騎士たちを尻目に指揮所を飛び出した。指揮官として我を忘れた行動だ。付き従う副団長のコンロンに指揮を任せ、指揮所に戻るように言うのも忘れていた。
彼の中で最悪の想像が急速に膨らんで実体を成そうとする。まさか、と心の内で繰り返しながら城壁上へと続く階段を上った。
先程の轟音とは裏腹に城壁上は不気味なほど穏やかだった。先程まで都市の各地に響き渡っていた剣戟も、悲鳴も、まるで全滅したかのように静かだった。人も、モンスターも動きを止めてある一点を見ていた。
ミカロスもそちらを、城壁の左手を見て、絶句した。分厚い城壁の上側が破壊されていた。赤龍のブレスのように高熱で溶かされ抉られたのではない。巨大な石によって抉られ破壊された。証のように城壁を砕いた主犯が屋根の上に鎮座している。建物の上層部を半壊させた岩が今にも地面に落ちかねない危ういバランスで保っていた。
視線を敵の方へ向けるのにミカロスは数秒の手間を費やした。まるで首がさび付き、歯車が軋むかのように動かなかったのだ。体が意志を拒絶した。だが、どちらにしろ、直ぐに目に入った。
僅か二百メーチル程度の距離に投石機が五基、出現していた。
土台は三角錐のような骨組みが作られ、登頂部にある長い棒が仕掛けによって縦回転する。その姿は巨人の腕の如く、先端に吊るされた巨石を放り投げる。高所から勢いづいて降って来る巨石は堅牢な城壁さえ菓子の様に砕く。現に、アマツマラを守る城壁の一端が砕かれている。
モンスター共はその仕組みを理解しているのかおぼつかない様子で、しかし、淡々と次弾を装着する。棒の先端に巨石を括り、反対側の先端に結んである紐にはさらに重い重しを吊るす。この重しを一定の高さまで持ち上げ、落とす勢いを利用して巨石を投擲している。
「……何故だ」
気が付くとミカロスの口から誰何の声がこぼれ落ちる。
知能の発達していないモンスターが理屈を理解しないまでも、正確に投石機を使いこなしている事は確かに驚きだった。だが、それ以上の疑問がミカロスから湧き出る。
「何故、こんな近い距離になるまで投石機の存在がこちらに伝わらなかったのだ!?」
投石機の中には車輪を付ける事で自走可能な物もある。だが、アマツマラを襲っている五基の投石機はいずれも自走が出来ない種類だ。本来人間が運搬する際、コロの原理に基づいて馬で引っ張るのが普通のやり方。六メーチル程の巨体が遮蔽物の無いすそ野を横断していれば否でも目に入るはずだ。
ミカロスは傍にいた兵士につかみ掛らんばかりの勢いで詰め寄る。泡をくった兵士は震えながら答えた。
「か、影です!」
「何!?」
「地面に漆黒の影が、五つ生まれたと思ったら、そこから、吐き出されるように、投石機が姿を現し、たのです!!」
兵士が恐怖から言葉に詰まりながらも、ミカロスにはその情景が容易に想像できた。恐らくクリストフォロスによる影の転移。
(ぬかった!! 考えてみれば防壁を飲み込んだ時点でこれも有りえたのだ! 陛下も仰っていたでは無いか。クリストフォロスの影は出入り自由だと)
防壁や赤龍を飲み込んだ時点で投石機の一つや二つ簡単に吐き出すことも、改めて考えれば当たり前のように感じられる。だが、それは結果的に見ればの話だ。普通の人間を想定した戦争を想定する指揮官にとって飛び道具の如き発想は思いつかなかった。
己の失態に歯噛みしている間にも残りの投石機から放たれた巨石が弧を描き、城壁に迫る。内二つは城壁上から跳躍したロテュスとディモンドによって弾き返された。もっとも弾いた本人たちも後方の街に墜落してしまう。そのうえ、残りは城壁に直撃したり、あるいは掠りもしないで街並みを砕く。まだ、モンスター達も使いこなせてないのか放たれている数の割に城壁に直撃したのは二発だけだった。
今なら決定的な敗北を喫する前に押し返せる。
そう判断したミカロスは隣に立つコンロンに向けて指示を飛ばす。
「破損した城壁を直ぐに修復! ヨグトゥース殿指揮下の魔法使いに命じろ、強度は度外視。人が載っても崩れない程度にして行き来が出来るように。街に落ちた投石は無視。火の手が上がっている訳じゃない。それとディモンド殿に通達。遊撃部隊を率いてあの投石機の破壊を優先して欲しい!!」
夜中に行われた会議で投石機が現れた場合、遊撃部隊を用いて撃破するのは計画に組み込まれていた。もっともその際に指揮するのはオルドのはずだった。だが、いま彼は苦痛に呻いている。
代わりに指名されたのはディモンドだった。ロテュスでは一撃の破壊力に一歩劣るからだ。
指示を受けたコンロンはすぐさま伝達しようと踵を返す。
だが、その最中に動きを止めると、すぐに反転した。ミカロスが疑問に思う前にコンロンは行動を開始した。あろうことか、ミカロスを突き飛ばしたのだ。
ミカロスが何故と問う前に答えが降ってきた。二人が居た場所に投石機から放たれた巨石が墜落したのだ。たった一人残ったコンロンを押しつぶして。
突き飛ばされたのと同時に巨大な質量の物が落ちてきた衝撃でミカロスは城壁上を二転三転と転がった。彼が顔を上げた時には―――騎士団副団長の姿は何処にもなかった。
「コン、ロン。……どこだ、どこに居る、コンロン!!」
ミカロスは城壁に食い込む様に鎮座する巨石に向かって拳を叩きつける。だが、ピクリとも動かない。代わりに彼の足元に岩から染み出た血の水面が広がっていく。
「―――貴様らァァァァ!!」
絶叫と共にミカロスは城壁を飛び降りようとした。周囲に居た兵士たちが止めなかったら彼の体はモンスターの群れに飲み込まれていただろう。
「放せ! 放せ!!」
「放しません!! 貴方を喪えば我らの敗北は必定!! 絶対に放しません!!」
しがみ付く兵士を振りほどこうとするがいったい彼らのどこにこれほどの力があるのだろうか。くい込む指が離れまいとする意志そのものだった。だが、それでもミカロスの激昂は収まらなかった。
あの五つの投石機は言ってしまえばクリストフォロスの戯れだった。赤龍と己という絶対の戦力を有し、万を優に超えるモンスターの大軍を用いた遊戯。アマツマラの戦士がいつまで持つかを試すかのような悪戯心が見え隠れする。
投石機はその象徴といえた。人類の知恵が生み出した兵器を知能の無いモンスターに扱わせることで尊厳を奪うかのような行い。そんな莫迦げた考えに自分は、自分の育ててきた兵士は、守るべきはずだった民は、蹂躙されていくのだ。
怒りで濁った瞳は投石機ばかりを見つめていた。仮に視線に物理的な威力があったら瞬時に破壊せしめていただろう。
その投石機の向こう側。モンスターの群れの後方、無人の平野にて何かが動く影を最初に見つけたのもミカロスだった。
読んで下さって、ありがとうございます。




