3-41 精霊祭 四日目〈Ⅹ〉
滑らかな琥珀色の液体がガラスのコップに注がれる。禿頭の大男はぐい、と喉に押し込めるように液体を飲み干した。ドワーフの火酒は喉を焼きながら胃に落ちる。内壁から摂取されると男の体温を上げるが、生ぬるい夜風が吹くことで汗が引く。
男の周りには空になった酒瓶が積まれていたが、青い月光に照らされた男の横顔に酒に酔った様子は無く、むしろ苦々しさがにじみ出ている。病人が飲みたくない薬を口に入れるかのように男は新しい酒瓶の蓋を開けた。
オルドは夜の街並みを眼下に収められる城のテラスに陣取っていた。今日の戦いに疲れ果てて眠る街並みを見下ろしながら一献傾けている、というわけでは無い。
彼の視線は街並みでは無く、城壁沿いにあるくり抜かれた横穴に注がれている。そこはアマツマラの迷宮入口だった。瞬きすらせずに一心不乱に見つめる姿に誰もが声を掛けるのを躊躇うほどの気迫が滲み出ている。
「まったく。こんな所で、一人で酒盛りですか?」
すると、そんなオルドの背中に声が投げかけられた。オルドは首を向けるのも厭い、正面に置いてあった大斧の刃に視線をずらした。鏡のように磨かれた刃は背後の男の姿を映していた。
声を掛けたのは騎士団団長のミカロスだった。指の間にはシュウ王国産のワイン瓶が二本、それとワイングラスが同じように二個挟まっていた。
「私もご一緒してもよろしいですか?」
「……構わねえ」
オルドは不機嫌そうに応えつつも無造作に置かれた酒瓶を足で弾いてミカロスの座るスペースを確保した。ミカロスはテラスを埋めかねない酒瓶を前にしてため息を吐きつつも座り込む。
「一人でこれだけの酒を飲み干したのですか。陛下から聞き及んではいましたが相当な酒豪ですね」
だが、オルドは首を横に振って開けたばかりの酒瓶から火酒をグラスに注いだ。
「酔えねえよ。……いくら飲んでも、一向に酔えねえ」
漢の呟きと、視線からミカロスはオルドの心境を察した。自分も持ち込んだボトルのコルクを抜いて血のように赤いワインを注いだ。正式の作法では無いがどうせ安酒だ。王宮の饗宴でもあるまいといわんばかりの態度で気取らずに喉に流しこむ。
口の中にブドウの風味と、味わいが駆け抜ける。だけど、彼もまた酔う事は出来ないなと思いつつ飲み干す。
理由はオルドと同じ、迷宮にある。
「ご息女が心配ですか?」
「まあな、親バカと笑っても良いぞ」
「笑えません。……私も似たようなものです」
二人は揃って迷宮の入口へと視線を向けていた。何か異変が起きたらセーフティーゾーンの人員が飛び出して知らせに来る手はずになっている。それが無いという事はアマツマラの迷宮は平穏無事という事になる。……もしくは音も無く、壊滅しているかのどちらかだ。
すでに時刻は真夜中を指そうとしている。大規模攻略が始まってから丸一日を迎えようとする。作戦通り進行しているなら各広間の防衛は交代制をとり、休息も取れているはず。精神的にはともかく肉体的には無事だろう。
だが、そこは迷宮。いくら《ダンジョンクリエイト》である程度支配下に置いてあるとはいえ、不測の事態などいくらでもありえる。そもそも大陸を縦断する程の規模のスタンピードを予測もできず、首都まで攻め込まれているのだ。何が起きてもおかしくは無い。
それ以上に避難民たちの方がミカロスには心配だった。人は太陽の輝きを受けないと精神的に失調をきたす恐れもある。たった一日とたかをくくるわけにはいかない。それまでの三日間を狭い避難施設で過ごし、モンスターの襲撃に怯えて過ごしてきた。その時点で精神が疲弊しているはず。そこに追い打ちを掛けるかのような今回の作戦だ。
「お互い、眠れない夜になりそうですね」
「……お前は明日の指揮があるだろ。さっさと寝とけ」
「そちらこそ。……今日はたまたま上手く行きましたが明日も同じことを繰り返すおつもりですか?」
ミカロスが何を言いたいのかオルドには直ぐに理解できた。
遊撃部隊の事だ。
結局、昼に差し掛かる頃になってやっと倒れたキュクロプス亜種を最後に遊撃部隊は撤退を決めた。
その時点で三万近い敵の内一万を足止めどころか撃破したのだ。お釣りが出るほどの成果だった。しかし、残りの二万のモンスターを前にしての撤退は容易では無かった。
まるでモンスターで出来た防波堤のように城壁に群がる敵たちの中を掻き分ける内に、遂に戦死者が出てしまった。
オルドたちを城壁の内へと入れようと囮になったB級冒険者の顔をオルドは生涯忘れる事は無いだろう。
「貴方が遊撃部隊を率いると申したのは……身勝手な罪滅ぼしの為でしょう」
物言いは柔らかいが、内容は辛辣で、断定的だった。そして事実、その通りだった。
オルドが遊撃部隊を結成させた理由は足止めやキュクロプス亜種の対応の為でもあるが、それ以上に責任を取りたかったのだ。
このスタンピードに冒険者を巻き込んだのは自分だと他ならぬオルドは考えていた。提案したのは王国で、呼びかけたのはギルド長のヤルマル。そして決めたのは冒険者自身。だが彼らの背中を押したのはオルドの檄だった。
結果、今日までの間に八百いた冒険者は五百五十まで減らした。それは誰かにとっての仲間を、友を、家族を、自分が奪ったことになる。
そんな人間が城壁の内側で偉そうに指揮を執ってなんかいられなかった。
願わくば、一番危険な役目を。命を賭けるに値する場所を求めていた。
本来、遊撃部隊を作るつもりも無かった。単騎で城壁の外に降り立ち、暴れまわるつもりだった。それを止めたのがテオドールだった。王はオルドを諭し、せめて一人ではいかない様にと遊撃部隊を作るように命じた。
名乗り出てきた十人には自分がどうしてこんな危険な役目を買って出たのか説明した。恐らく、それが逆に作用してしまったのだろう。殿を受け持った冒険者は最期に叫んだ。
「希望を。俺達の希望を向う側に送り込め!」
と。
笑いながら、敵の群れに飲み込まれていった。
またしても、自分は生き残り、他人を死に追いやってしまった。オルドは鎮魂の意味を込めて酒瓶を傾けた。
「……明日も同じことをするかどうかわからん。何せ今日の戦いで向うは大打撃を受けたからな」
ミカロスは大打撃と告げられて、視線を迷宮の入り口から城壁へと切り替えた。そこに並べられているバリスタの群れに。
原始的な兵器の存在は兵数の不利を覆した。時間が無く百五十挺しか用意できなかったが、その戦果は凄まじく、モンスターを圧倒していた。
三万の軍勢の内、二万近い数の骸が城壁の周りに積み上がっている。夕暮れと共に撤退した敵兵の数は一万と少しだった。
「今日までの討伐数とダラズの伝令からの報告が正しければ残りの数は撤退したのも含めて二万。一方、こっちは明日の夕方には援軍が一万。そして明後日には四万が到着する。……クリストフォロスが赤龍を率いてこなけりゃ、問題は無いだろうと、今日の会議でも結論が出ただろ」
王不在で行われた会議は終始楽観的に終わった。流石に宰相のルルスは気難しい顔を浮かべていたが、文官は元より武官にもこれで勝てるという空気が流れていた。
だが、懸念材料はまだある。
「こちらから偵察部隊を出せない以上、敵の残存兵力を二万と断定するのは危険です」
「だがよ。魔力汚染が消毒した後、ウージアの偵察部隊が確認したんだろ。それに南の防衛線もすでに再構築されてメスケネスト平野から敵が攻めて来れば直ぐに分かるようになっている。それが無いという事は敵の増援も無いって事だろ」
オルドの説明は殆ど会議の結論の焼き直しといえた。だが、戦局を俯瞰で見ればオルドの言う通りだった。後は明日の夕方まで乗り切れれば勝ちは見えてくる。
「懸念すべき点は、姿を見せなかった赤龍とクリストフォロス。それに……投石機の存在だな。後は……ああ、もう一つあったな」
呟いたオルドは空を指さした。ミカロスはその動作だけでオルドが何を指しているのか分かった。
「飛行系モンスターが現れなかった事ですね」
「おう。こっちとしては助かったがな。お蔭で城壁沿いに多少の損害は出たがほとんどの建造物が攻撃に晒されなかった」
どういう訳だか今日のアマツマラの空は平和だったのだ。不気味なほど穏やかに。お蔭で戦力を分散せずに城壁沿いに集める事が出来た。
正規兵二千九百。予備兵役八百五十。これに冒険者を足した数がこちらの残存兵力だった。付け加えると百五十挺あったバリスタもモンスターの攻撃や、突貫制作による弊害で動作不良を起こしたものなどで廃棄せざるを得ないのが五十挺程出た。残りは百挺程だ。
二万の数を相手にするのなら十分勝機はあった。
―――その時だった。
夜の城内を走る足音が響いてきたのは。二人は不審に思って視線を背後の闇へと向けた。
暗闇から兵士が一人、走り寄ってきた。ミカロスは直ぐにその正体に気づいた。今夜の当直番の兵士だった。城下内や迷宮、夜営している敵に動きがあれば彼の元へ情報が集まる。
つまり、どこかで何かが起きたのだ。
ミカロスは兵士が喋る前に口を開いた。
「何処だ! どこで何が起きた!!」
兵士はミカロスの剣幕に驚き、一度口籠った後、絞り出すように吐き出した。
「敵襲です!! 闇夜に乗じて敵が動き出したそうです!!」
オルドは咄嗟に青白い月夜に照らされた街並みを、そして城壁の向こう側に視線を滑らした。だが、城壁の向こう側はまるで黒い雲に包まれたかのように敵の姿は見えなかった。
そして何より、静かすぎた。モンスターが一斉に動き出せば、地鳴りのような音が聞こえたはずだ。少なくとも戦いの先触れは聞こえてこない。
「おい、誤報じゃないだろうな! 敵が近づいているようには見えないぞ!」
オルドが兵士に向き直ると、彼は首を横に振って、握りしめていた書簡を突き出した。
「敵は此処に来たのではありません」
ミカロスとオルドはしばし、蝋で封じられた書簡を見つめた後……最悪の予想に震えた。
一方その頃、アマツマラから伸びる曲がりくねった街道を西に進んだ先の街でも一つの報せが届いた。
眠らない街ウージア。
常なら夜こそ、この街が最も色づく時間帯。歓楽街は酒と笑い声で満たされ、娼館は男の欲望を吐き出し、賭博場では堕落した人間共の狂気と慟哭が交差していたはずだった。
だが、今のウージアは眠る街となっていた。
近隣の村から避難してきた民を受け入れた後、四方の門を閉め、城壁に招集した兵士や傭兵。更には冒険者が警備にあたっていた。
物々しい空気から街は自粛ムードに染まり、自然と店は閉め切っていた。唯一、堕落に歎じるのはこの街の主たる女帝ただ一人だった。
彼女は城の一室。大理石で磨かれた浴場にて汗を流していた。
湯船に浮かべたバラの花弁が湯に熱せられ、室内に香りを満たす。女帝が身じろぎするたびに豊満な肢体が透明な湯の中で震える。
成熟された女の色香は世話係として浴場に入室しているメイドたちをも虜にした。ただでさえ、すでに逢瀬を楽しんだ後なだけに放たれる色香は暴力的だった。
パートナーたる女は彼女の寝室にて気絶している。代わりに湯の傍にて彼女に傅いているのは男装の麗人だった。彼女は手にしたワイングラスにワインを注ぐと主に手渡した。
女帝は香りを楽しむと、優雅な手つきでワインを喉に流した。
「……ああ、美味しい。貴女もどう? 近年まれに見る逸品よ」
「ありがとうございます。職務がありますので後で頂きます」
かたいわね、と女帝はつぶやくと空いたワイングラスを従者に向けて差し出した。従者は跪いてワインを注ごうとして―――主の手によって湯船へと誘われた。
するり、と蛇のように従者の腕を絡めとった女帝は従者を湯船に引きずり込んだ。その際にワインがボトルごと湯船に落ちてしまった。赤い血のような液体が湯に混ざる。
「……お戯れを。近年まれに見る逸品を湯に飲まれてしまいました」
「構わないわ。それぐらいのワイン。あと何十本と蔵にはあるでしょ。それにほら、ワインを肌に浴びると若返るって言うでしょ?」
従者は俗説ですが、と返そうかと思ったが止めた。確かに、ワインの混じった湯を浴びた女帝の肌はより、美しさを放っているように見えたからだ。すると、女帝の目が自分の上を見つめていることに気づいた。
「ほんと、貴女の髪って綺麗な色よね」
女帝の指が従者の髪を撫でた。その指先の感触に全身が歓喜の波に震えた。
「まるで鴉の濡れた羽のように黒いわね」
自らの出自の証を褒められて魔人種たる従者の胸中は喜びに震えていた。そのまま女帝は黒髪を触りながら言葉を紡ぐ。
「そういえば、聞いたかしら。今回のスタンピード。主犯は六将軍第四席クリストフォロスですって」
この情報はアマツマラから回ってきた情報だった。魔力汚染が除去出来た後は時折、戦局に関する情報が送られてきたのだ。すでに彼女は赤龍の襲来や六将軍についての情報も手に入れていた。
「貴女は……面識はあるのかしら」
「いえ。あの者達は私の親の世代を率いていた存在。正直よく知りません」
本心からの言葉だった。従者が生まれた時から伝説は聞いてはいたが、所詮は伝説となった存在。記憶の片隅にて埃をかぶっていた存在だ。
「冷たいわね。……気にはならないの?」
「全く。……それよりも、私が貴女様の傍に居られるかどうかが気になります」
「あら、何で?」
従者はクリストフォロスの存在を知った時から抱えていた不安を吐露した。
「例え、面識が無くとも同じ魔人種が始めたこの騒動。犠牲者も相当な数が出ています。……もし、私がいる事で貴女様に迷惑が掛かったとしたらと思うと……いっその事」
「駄目よ」
従者の言葉を女帝は遮った。彼女はそのまま言葉を継ぐ。
「そんな事は関係ない。貴女は私の物。私の物を捨てる時を決めるのは私よ。だから周りなんて関係ない。貴女は私の物よ」
「―――っ! 有りがたき幸せです!!」
女帝の言葉は従者の全身を極上の幸福で満たした。この時が永遠に続けばいいとさえ思っていた。だが、その時は長くは続かなかった。
慌ただしく開かれた扉から入って来たメイドによって女帝の意識はそちらへと移ったのだ。
殺意を胸に秘めたまま、従者は湯船から上がり、メイドの前に立ち塞がった。メイドは怯えた表情を浮かべて書簡を突き出した。
書簡を開いた従者は先程までの怒りを忘れたかのような驚きを見せた。女帝も何かあったのかと思い、湯船から上がった。すかさず、メイドが豊満な体が溢れる蜜のような雫をタオルで拭いていく。
従者は女帝に書簡を差し出した。女帝の目が書簡の内容を一瞥すると、彼女は高笑いを上げた。大理石の浴室に彼女の笑い声が響いた。
「ふふふ。あははは! 面白いわね、六将軍クリストフォロス。こんな手を仕込んでいたなんて!」
彼女はひとしきり笑うと書簡を湯船に放り投げてしまう。そして、振り返る事も無く、浴室から従者たちを引き連れて出て行った。
湯船に浮かんだ書簡は瞬く間に湯で滲んでいく。それはウージアから送り込んだ偵察部隊からの報告だった。再三の援軍要請を断る代わりに、偵察部隊だけはダラズに派遣していた。
文字は乱れ、書いてあるのはたった一行だった。
『ダラズにてモンスターが孵化する。戦力の増加を確認』
と。
それも刹那の間にインクが滲み、湯船の底に沈んでいった。
読んで下さって、ありがとうございます。




