あなのあいたバケツのはなし
どこかとおくの国の、ある森のなかに、ちっぽけな女の子がおかあさんといっしょにくらしておりました。
まえにはおとうさんもいたのですが、ある日狩りに出かけたままかえらなかったのです。おかあさんはとてもかなしんで、びょうきになってしまいました。
おかあさんは、いちにちじゅう、ベッドでねていなければなりません。ですので女の子は、そうじやせんたくやおりょうり、たくさんのしごとをぜんぶひとりでやらねばなりませんでした。それでまいにちとてもいそがしいのでした。
なかでもいちばんたいへんなしごとは、水くみでした。女の子はまいにちながいみちのりをてくてくあるいて、森のむこうがわにある川までゆき、バケツに水をくんで、おもたいバケツをおうちまで運んでこなければなりません。女の子はまだほんのちいさな女の子ですから、それはとてもたいへんなしごとでした。
水くみにつかうバケツは、ずっとまえに、お父さんがつくってくれたバケツです。それはもうだいぶんふるくなって、底にちいさな穴があいておりました。それでも女の子は、そのこわれたバケツをずっと使いつづけていたのです。だって、だれも、しゅうりしてくれるひとがいませんでしたから。
女の子は川までゆくと、おおきなバケツを水でいっぱいにします。そしてそれをぶらさげていっしょうけんめいおうちまではこぶのですが、おうちにつくころには、バケツの底にちょっぴりの水がのこっているだけでした。ほとんどの水は、バケツをはこんでいるあいだに、底にあいた穴からこぼれていってしまうのです。
ですので女の子は、じゅうぶんなだけの水をてにいれるために、まいにちなんどもなんども川とおうちのあいだをいったりきたりして、バケツをはこばなければなりませんでした。
ある日、なんどか川とおうちのあいだをいったりきたりしているうちに、女の子はすっかりくたびれてしまいました。むりもありません。バケツはおおきくておもたいのに、女の子は、ただのちっぽけな女の子でしたから。
そこで女の子は川べりにこしかけて、しばらくのあいだやすむことにしました。
女の子がひとり、ぽつんとすわっておりますと、そこへ、いっぴきのカンガルーがぴょんぴょんと通りかかりました。そして女の子に、なにをしているのかたずねました。
「このバケツに水をくんで、おうちにはこばなければいけないの」
と、女の子はこたえました。
「でも、とてもくたびれたので、ちょっとやすんでいるんです」
カンガルーは目をまんまるくして、かなしそうに耳をふせると、
「まあ、それはおきのどくに」
と、いいました。そして、
「よかったらわたしが、おてつだいしましょう。わたしは、ものをはこぶのがだいのとくいなんですよ」
と、しんせつにいってくれたのです。
女の子はとてもよろこんで、カンガルーに、ていねいにおれいをいいました。
カンガルーは川から水をくんでバケツをいっぱいにすると、おなかのポケットにだいじにバケツをしまいました。
「さあ、いきましょう」
そういうと、にっこりわらって、げんきよくあるきだしました。
「なんてべんりなのかしら。からだにポケットがついているなんて。わたしにもあんなポケットがあったらよかったのに」
と、女の子はちょっぴりカンガルーがうらやましくなりました。
ふたりはどんどんあるいていきました。みちのりはときどきさかをのぼったりくだったり、ごつごつした石の上をとおったり、ぬかるみをあるいたりとたいへんなものでしたが、カンガルーはへっちゃらで、かろやかにステップをふむように女の子のまえにたってあるいていきます。ですがもちろん、あんまりげんきよくステップをふみすぎて水をこぼさないよう、よく気をつけておりました。
「なんてたのしいカンガルーかしら。あるいているだけなのに、まるでダンスをおどっているみたい!」
女の子はカンガルーのうしろについてあるきながら、おもいました。
ところがです。ふたりがとうとう女の子のおうちについたとき、カンガルーは、なにかおかしいことに気がつきました。
水のしずくがポタポタと、カンガルーの毛皮からこぼれています。
「これはいったいどうしたことかしら?」
カンガルーがあわててポケットをのぞきこみますと、なんと、じまんの毛皮がすっかりびしょぬれになっています。
バケツの底の穴から水がこぼれて、カンガルーのポケットを水びたしにしてしまったのでした。
カンガルーはかんかんにおこりだしました。なぜって、カンガルーは水にぬれるのがだいきらいなものなのです。
カンガルーはポケットからバケツをつかみだしてぶっきらぼうに女の子にわたすと、ぶつぶつもんくをいいながらさっさといってしまいました。
女の子に、「さようなら」もいわずに。
女の子はとてもびっくりして、むねがどきどきして、かなしくなりました。
でも、いったいなにがわるかったのか、ちっともわかりませんでした。
それは、とてもきもちのよいあさでした。女の子はいつものように川にむかっているとちゅう、おおきなくまにあいました。
「こんにちは。いいおてんきですね」
くまは、女の子にあいさつしました。それから女の子に、どこへゆくのかたずねました。
「川へいって、このバケツにみずをくむんです。そして、おうちにはこぶのよ」
女の子はこたえました。
「そう、それなら」
くまはいいました。
「ぼくがてつだってあげるよ。ぼくははたらきもののくまなんだ!」
女の子はとてもうれしかったので、くまに、ていねいにおれいをいいました。
川につくと、女の子はバケツを水でいっぱいにして、くまにわたしました。
くまはバケツの取手を口にくわえると、えがおであるきはじめました。
「しんせつなくまさん」
女の子はおもいました。
「それに、いうとおり、はたらきものだわ」
じっさい、そのとおりでした。くまは、はたらいてだれかをたすけてあげるのがとてもうれしいようすでした。ときどきふりかえって女の子を見ては、にっこりわらいます。女の子も、なんだかうれしくなって、くまとおなじように、ほほえみました。
くまはとてもちからもちでした。おうちについたときも、おもたいバケツを川からずっとはこんであるいたのに、ちっともつかれていないようでした。
「とうちゃく!」
くまは、おうちのまえでバケツをじめんにおろすと、うれしそうにいいました。そしてバケツをのぞきこみました。ところが、バケツの中には、水がほんのちょっぴりのこっているばかりです。
くまは、とてもがっかりしたかおをしました。ですがすぐにげんきをとりもどして、女の子にえがおをみせました。
「よし、もういちど水をくみにいこう。そして、こんどはもっとたっぷり、お水をはこんでこよう」
そうしてふたりは川にもどって、バケツにいっぱい水をくんだのです。
ところがもういちどおうちまでバケツをはこんできたとき、くまは、バケツのなかにはやっぱりすこしの水しかのこっていないことに気がついたのです。
「よし・・・」
くまは、がっかりしたかおでつぶやきました。
「ぼく、もう、おうちにかえらなくちゃ」
そういうと、くまは、女の子にえがおもみせずに、森のなかへゆっくりとあるいていってしまいました。
女の子はくまに、とてもわるいことをしたと思って、かなしくなりました。だって、くまはあんなにがんばって女の子のおてつだいをしてくれたのに、女の子はくまをがっかりさせてしまったのです。
でも女の子には、いったいなにがわるかったのか、ちっともわかりませんでした。
それは、とてもあつい午後でした。
女の子が川でバケツに水をくんでいますと、ちかくでとつぜん、水しぶきがあがりました。女の子がおどろいてそちらをみますと、水の中のあさいところにおおきなみどりいろのワニがいて、女の子をみてニヤニヤわらっています。
「おまえは、どうしてなんどもなんどもいったりきたりしているんだね?」
わにがたずねました。わにがしゃべるとき、とがったするどい歯が、おおきな口のなかにみえました。
女の子はちょっとしんぱいになりましたが、おそるおそるいいました。
「このバケツに水をくんで、おうちにはこんでいるんです。でもいちどにちょっとしかはこべないから、なんどもなんども、いったりきたりしているんです」
「はははははは」
ワニは、おおきなこえでわらいました。
「こんなあつい日に、ごくろうさんなこった!」
たしかに、ワニのいうとおりでした。それはなつのいちばんあつい、むしむしとした日だったのです。女の子はその日はもうなんどもバケツをはこんでいましたが、おうちにはまだほんのちょっぴりしか水がたまっていませんでした。それなのに、女の子はもうとうに、へとへとになっていました。
「どうだね」
ワニがいいました。
「わしが、てつだってやろうじゃないか。わしはこうみえて、とてもすばやくあるけるんだから。おまえさんのしごとぐらい、すぐにおわらせられるにきまっとる」
女の子は、ちょっとのあいだかんがえました。
ほんとうのことをいうと、女の子は、ワニがちょっぴりこわいとおもっていたのです。でも女の子はもうとうにヘトヘトでしたから、おてつだいしてもらわなければ、夕ぐれまでに水くみがおわりそうにありません。
「きっと、」
女の子はかんがえました。
「このワニさんは、いいワニさんにちがいないわ。だってしんせつに、おてつだいをしてくれるといっているんだもの」
女の子はワニにおてつだいをしてもらうことにして、ていねいにおれいをいいました。
「どういたしまして」
ワニはそういいながら、こころのなかでニヤリとわらい、つぶやきました。
(ちょうどもうすぐおやつのじかんだ。やわらかくてうまそうな女の子だぞ。きょうはついてるなあ)
「もうすこしこっちにきておくれ」
ワニはいいました。
女の子はそろそろと、あさい水のなかにはいっていきました。
「ここまできて、わしのあたまにそのバケツをのせておくれ。わしがはこべるようにな」
女の子は、バケツをワニのあたまにのせました。そして、
「これでいいわ」
と、いいました。
そのとたん、ワニが大きく口をあけたのがみえました。
女の子はおどろいて、おもわずうしろにとびのきました。
そのひょうしに、バケツがひっくりかえって、ワニのあたまにすっぽりとかぶさってしまったのです。おおきなバケツはすっかりワニのあたまをおおっていて、ワニはなんにもみえません。
「なんてこった!」
ワニはさけびました。
「まっくらでなにもみえんぞ。わしのおやつは、どこにいった!」
女の子はおおいそぎで川からでると、ちかくのやぶのなかにかくれました。
ワニがぶんぶんあたまをふりまわしますと、バケツがあたまからすぽんとはずれて、いきおいよくころがっていきました。
「いったいどこにいった?」
わにはキョロキョロとあたりをみまわしましたが、かくれている女の子をみつけることはできませんでした。
「ちえっ」
わにはくやしそうにはぎしりすると、
「どうやらべつのおやつを、さがさなきゃいけないらしい」
とつぶやいて、ゆっくりと、おおきなからだをくねらせながら、どこかへおよいでいきました。
女の子はやぶのなかからいそいでかけだすと、バケツをひろって、おおいそぎでおうちにかえりました。
女の子はとてもとてもこわくて、かなしかったのですが、なにがいけなかったのかちっともわかりませんでした。
それは、きれいな夕ぐれのころでした。女の子がおもたいバケツをさげて川からおうちにもどるとちゅう、おおきなダチョウがみちばたにたっていました。
小さな女の子が、おおきなバケツをよろよろしながらはこんでいるのがおかしかったのでしょう。ダチョウは、女の子をみると大きなこえでわらいだしました。
女の子はおどろいて、おおきなまんまるい目でダチョウのかおをみあげました。
「まあ、まあ」
ダチョウはわらいながら、いいました。
「とってもみちゃいられないわ。いまにころんじゃうわよ。さあさあ、はこんであげるから、そのバケツをわたしなさいな」
ダチョウは、あかるくわらいながらいいました。
でも、女の子は、きこえないくらいのちいさなこえで、
「いいえ、けっこうです」
とこたえました。
「えんりょしなくてもいいのよ」
ダチョウはいいました。
「わたしはあなたよりずっとおおきいんだからね」
そういうと、おおきなからだについているりっぱな羽をひろげて、バタバタとふってみせました。
でも、女の子は、だまったままあたまをふると、あるきだしました。ダチョウはぽかんと口をあけて、女の子をみつめています。
ダチョウのすがたがみえなくなるくらいあるいたとき、
「なんてしつれいな女の子だろう!」
と、ダチョウが、トントンとあしをふみならしながらひとりごとをいっているのがきこえました。
女の子は、とてもとても、はずかしくおもいました。
でも、女の子はもう、かなしいことも、こわいことも、だれかをがっかりさせたりおこらせたりすることも、ぜんぶいやだったのです。
「こんにちは!」
だれかがとつぜんはなしかけました。
女の子がびっくりしてあたりをキョロキョロみまわしますと、すぐそばの木のねもとに、いちわのとしとったふくろうがねそべっています。
女の子は、きっとこのふくろうもみんなとおなじように、バケツをはこんであげようというのだろうとおもいました。ですが、よくみてみると、ふくろうはちいさくてとしをとっていて、とてもよわそうです。とても女の子のおおきなバケツをはこべるとはおもえません。それなので、女の子は、ふくろうがいったい女の子になんの用があるのかとふしぎにおもったのです。
ふうろうはいいました。
「むすめさん、すまないが、水をすこしわけてくれないかね。みてのとおりびょうきで、のどがかわいているのに川までとべないのだよ」
女の子はなにもいいませんでした。でも、ちいさなてのひらでバケツから水をすくうと、ふくろうがのめるように、くちばしのところにもっていきました。
ふくろうは、ごくごくといきおいよく水をのみました。
「まあ」
女の子はこころのなかでつぶやきました。
「きっと、ものすごくのどがかわいていたのにちがいないわ」
いっきに水をのみほしてしまうと、ふくろうは、にこにこしながら女の子にていねいにおれいをいいました。
ふくろうは、水をたっぷりのんだのですこしげんきがでたようでした。ふくろうは女の子のバケツにあいた穴をちらりとみましたが、なんにもいいませんでした。
女の子はふくろうになにかいおうとおもいましたが、なにをいったらいいのか、わかりませんでした。
それなので、かわりに、そのばしょからいそいでにげだしました。
なぜって、女の子は、もう、かなしいことも、こわいことも、だれかをがっかりさせたりおこらせたりすることも、ぜんぶいやだったのです。
つぎの日、女の子が川からおうちへバケツを運んでいるとちゅうで、だれかが、めのまえにとつぜんまいおりました。それはきのうのふくろうでした。
「こんにちは!」
ふくろうはいいました。
女の子はなにもいいませんでしたが、ふくろうはちっともきにしていないようでした。
「きのうは、お水をありがとう。おかげですっかりげんきになりました」
どうやらそのようです。ふくろうはげんきよく、パタパタはねをうごかしてみせましたので、女の子もほっとしました。
「お水のおれいに、いいものをあげましょう」
ふくろうはそういうと、女の子に、てをひろげるようにくちばしで示しました。女の子がそうすると、ふくろうは女の子のちいさなてのひらに、ぽとんとなにかをのせました。女の子はそれをみますと、ふくろうがくれたものにすっかりおどろいてしまいました。
それは、ぴかぴかひかる、きれいなちいさな石でした。
女の子はそれまでだれからも、こんなすてきなおくりものをもらったことがありません。どうにかして、やっとのことで、ちいさなちいさなこえで、ふくろうに、
「ありがとう」
といいました。
ふくろうはにこにこして、とんでいきました。
女の子は、まだどきどきしていて、からだじゅうがとてもあたたかくなりました。そして、てのひらのうえのきれいな石をじっとみつめました。
てのうえでころころところがすと、おひさまのひかりのあたりぐあいで、いろんなちがったいろにみえます。
女の子はたのしくなって、しばらくころころと石をてのひらでもてあそんでいましたが、ふとしたひょうしに石が女の子のてからころげでて、ぽちゃんとバケツの水のなかにおちてしまいました。
女の子があわててバケツをのぞきこみますと、石は、バケツの中のゆらゆらとゆらめく水のそこで、まるでゆめのように、にじのいろにかがやいておりました。
「まあ」
あまりのうつくしさに、女の子はおもわずこえをあげました。
きっとあのふくろうは、空からにじのかけらをちょっぴりいただいて、女の子にもってきてくれたにちがいありません。
女の子はすっかりうれしくなって、ときどきバケツのそこをちらりちらりとみながらおうちにかえりました。おもたいバケツをはこぶつらいしごとが、きょうは、なんだかきゅうにたのしくなりました。
ところがおうちにかえりついたとき、女の子は、なにかがいつもとちがうことにきがつきました。バケツが、なんだかいつもより重たいようなのです。
女の子はくびをかしげながらバケツをのぞきこみました。するとどうででしょう。
バケツは、水でいっぱいではありませんか。
そう、お水がたっぷり、その日はもう川にいかなくともよいくらいあるのです。女の子は、いったいなにがいつもとちがうのか、ちっともわかりませんでしたので、こまってしまってバケツのそこをながめました。
はたして、そこには、あのきれいな石がぴかぴかと光っておりました。
石がバケツのそこにあいた穴にすっぽりはまって、穴をふさぎ、そこから水がこぼれなくなっていたのです。
冬がすぎ、春がおとずれました。
女の子は、庭にたっていました。
女の子の庭は花でいっぱいです。今では、女の子は庭でじぶんの花をそだてることができるのです。女の子のぶんとおかあさんのぶんと、それにお花のぶんまでも、たっぷりお水をはこんでくることができますから。
きれいにさいた花たちは、女の子のおうちに、明るい色とよいかおりをはこんできてくれました。たくさんのどうぶつたちも、花をみに庭にやってきます。ですので、おかあさんもさみしくなくなって、すこしげんきをとりもどしました。いまではまいにちおかあさんはベッドからおきあがって、女の子とどうぶつたちと、庭をおさんぽするのです。
お母さんは女の子にほほえみかけました。女の子も、おかあさんにほほえみかけました。
なぜって、女の子はもう、かなしいことも、こわいことも、だれかをがっかりさせたりおこらせたりすることも、へいきだったからです。
(このおはなしをよんだあなたはたぶん、穴のあいたバケツで水をくむなんて、この女の子はあんまりおりこうじゃないな。と、おもうかもしれません。でも、あなたはがっかりするでしょうが、おとなでもいがいとそういうことをしているものなんですよ。)