6節 美味シク、美味シク。
「入学してから2回目の生け贄発表となりました」
終業間際のホームルーム。普通科Aクラスの担任、飛鳥由美子は前回同様、淡々と話す。その抑揚の無い口調と感情の読み取れない表情からは、生け贄がどのクラスから出たのかを推理することは出来ない。
「皆さん、喜んでください」
だがその一言で、生け贄はこのクラスから出ていないことが判明した。俺は一番後ろの席に座る世槞とこっそり視線を交わし、親指を立てる。
「生け贄は、先月末の定期学力テストで学年最下位であった――普通科Eクラスの田邊弘治くんに決定しました」
遠くの廊下から、田邊弘治を連行する為に教師が2人、歩いてくる足音が聞こえる。
「皆さん、この調子で今月末の学力テストも頑張りましょう。では、解散です」
すでに机の上に散らかったものを全て鞄の中に仕舞っていた世槞は、緊張の面持ちで立ち上がる。俺は先に廊下へ出て、窓の外から田邊弘治の姿を探す。
――今、職員室の前を通過している。あと少しで保健室だ。
世槞、急げ、という視線を送ると、世槞は頷いて廊下へ走り出る。しかし思い出したように教室内へ振り返った。一体どうしたんだ、と見ていると、
「女郎花さん、ばいばい!」
あの子に手を振っていた。
「うん、また明日ねー」
真実ではない笑顔、真実ではない言葉。でもそれらを真実に変えるべく、俺たちは動き出すんだ。
今日のことをオカルト研究部の先輩たちに伝えるべきだったろうか。しまったな、と走りながら後悔をするが、とりあえず第一桜木高等学校の場所を発見してからでも遅くはないだろう。
「世槞! 止まれ!」
俺は後ろを走る世槞に合図を出し、保健室からまだだいぶんと距離のある廊下で停止する。
「どうしたの?」
「見ろ。保健室横の階段から、2年と3年の生け贄が連行されている」
「……本当だわ」
1年生の教室は校舎の1階にあるが、学年が上がるごとに教室のある階数が増える。保健室への距離が一番短い1年の生け贄が先に到着し、遅れて2年と3年が送られてくるのは当然のことだった。
生け贄に決定された3人の生徒は、抵抗することなく従順に連行されている。これが面接時に戸無瀬側に飲まされたという催眠薬の効果か。なんて恐ろしい。
「生け贄が3人に、それぞれに連行する教師が2人。保健室の中には保健医がいると考えて……計10人ほどが中にいるわけか」
俺は世槞に指示を出す。
「世槞、お前は校舎の裏手に回って外から保健室内を覗け。俺はそこの扉の窓から頑張って覗く」
「ええ、わかったわ」
「保健室には廊下側と外側、両方に扉がある。生け贄が連行されるとするなら、どちらかの扉からだ。だから、もし外側だった場合、頼むぜ」
「うん」
「あ、あと、周りの人間に気をつけろよ。怪しまれないように振る舞うんだ」
「任せて」
世槞は可能な限り足音を小さくし、校舎を出て裏手へ回った。
「さて」
俺も足音を小さくし、ジリジリと保健室へ接近する。扉にあいた正方形の窓。少し背伸びをして、室内を窺う。
……室内では、白衣を着た保健医が注射を持ち、それを生け贄に対して投与していた。注射を打たれた生徒はすぐに意識を失い、その場に倒れる。
保健医が発した言葉に、俺は耳を疑った。
「よし、味付け完了。これでこいつは美味しくなった」
――――??!!
その作業は淡々と続けられ、それらを眺めている教師たちの顔は操り人形の如く無表情だ。
まさか先生たちも操られているのだろうか。だとしたら、黒幕は一体、誰なんだろう。
保健室の窓からは、僅かに赤い髪が見え隠れしている。世槞だ。今更ながら思ったが、あの赤い髪は目立ちすぎる。大丈夫だろうかと、俺はハラハラとしていた。
そして3人目の生け贄が倒れた時だ。保健室内の動向よりも、世槞の動向が気になっていた俺は、保健医がこちらを見ているという事実に気付くことに、数秒を要していた。
しまった。
そう感じるより早くに扉は開け放たれ、俺は、7人の教師たちに見下ろされるかたちとなった。
「お前は……1年普通科Aの木乃芽耶南か。こんなところで何をしている」
教師たちの目には、光が無い。ただ下された命令を忠実に実行しているロボットのようだ。冷や汗が流れる。
俺は保健室の中にある窓を見た。世槞と目が合った。「来るな」と合図を出そうとした時だ。世槞の背後から現れた常盤先生が世槞の口を押さえ、保健室から離れた。
あいつ、やっぱり正気じゃなかった! 俺たちは騙されていた――と怒りを覚えたが、常盤先生は人差し指を唇に当て、頷いた。
なんだ、あの仕草は……。
「木乃芽、答えなさい。こんなところで何をしている」
世槞のことは気になるが、こちらもなんとか切り抜けなければならない。
「あ……その、気分が、悪くて」
咄嗟の嘘がバレバレであることは承知している。俺は一か八か、この言葉に賭けてみることにした。
「そのっ……弘治は友達なんで……せめて最後のお別れを言いたくて!」
賭けの結果は見えているけども、賭けるしかなかった。ああ、俺はこれから一体どうなるんだ……!
「そうか。でも残念ながら、田邊弘治にもう意識は無い。生け贄となる準備が整ってしまったからな」
保健医の男はそう言うと、「もう帰りなさい」と言って扉を閉めた。
「え……」
しばらく、呆然としていた。
どうやら俺は助かったようだ。まだ実感が無いまま、保健室を離れる。第一桜木高等学校がどこにあるのかを見届けるなんて余裕も考えも、この時にはなかった。
校庭へ出る。足取りが覚束ない。散らないあの桜が、視界を掠める。正門をくぐった時だ。俺は忘れていた恐怖と震えを一気に思い出し、その場に座り込んだ。
ガチガチと意識無く歯が鳴り、心臓の鼓動が早い。肢体の感覚が無い。自分が今、ここに存在しているのかわからない。
なんだよなんだよ、なんなんだよこの学校は!! 生徒も教師も学校制度も全て! 皆!
生け贄が、美味しいだって?!
嫌だ。やめたい、こんな学校。でもやめたらどんな仕打ちが待っているかわからない。たとえ月夜見市から、いや日本から逃げたとしても追いかけて捕まえられそうで恐い。
ああああああああ、恐い。恐い。あのまま見逃してもらえなかったら、俺はどうなっていた。
オイシク、味付ケヲサレテイタンジャ?
「耶南!」
その声に名を呼ばれ、頭を抱えていた俺は我に返った。見上げると、赤い髪の少女が息を切らせ、俺を見下ろしていた。
「大丈夫?? さっきは、かなり危なかったわよね――……耶南?」
俺は少女の――世槞の手を引っ張り、抱き寄せていた。
俺の身体は震えが止まらず、誰かの温もりと安心が欲しかったんだ。情けないだろう。桜の謎を解き明かすんだとか啖呵を切った後に、男のくせに、こんなザマだ。
「良かった……世槞が無事で」
「……常盤先生が助けてくれたのよ」
「そっか……あの先生を疑って悪かったな。感謝、しなきゃ」
「耶南……」
――保健室で見たこと、覚えてる?
世槞の問い掛けに、俺は頷くだけで精一杯だった。ああ、やっぱり情けない。世槞は俺を気遣い、
「帰ろう」
と言った。
「学力テスト、耶南は何位だったの?」
夕食の準備をしている母親――戸無瀬に操られている母親がそう尋ねる。
「真ん中くらい」
「そう。まぁ戸無瀬で真ん中くらいの順位なら、そこそこ良い大学へは行けそうね」
我が子を生け贄として捧げることをどう考えているのかわからない母親の言葉など聞き流し、俺はやはりベッドの上で震えていた。
不安は消えない。どうしたら消える? どうしたら、桜の謎を解きたがっていたあの頃の力強さを取り戻せる?
ああ、駄目だ。これが戸無瀬の罠だ。正気を保っていても、あの光景を見せつけられたらもう、従順になる他、道が無い。
情けない。ごめんな、世槞。俺、やっぱりお前の友達になる資格、無いや。
次の日のことである。
臨時の生け贄として、1年生の中から無作為に選ばれた木乃芽耶南が提出されることになったのは。