1節 全テハ、元通リトナル。
「はあ……なんだか緊張するわね」
全てが元通りになった戸無瀬の校舎。構造上、第一桜木高等学校の校舎を壊すことは不可能だったらしく、未だ戸無瀬の下には桜木が眠っている。
「なんで自分のクラスに入るだけなのに、僕までが一緒にいないといけないんだ」
季節は7月の夏。蝉の鳴き声がけたたましい中、私は自分のクラスである1年普通科Aの教室の前で緊張を爆発させていた。そんな私の隣りには、同じクラスではない弟の姿が。私が無理やりに付き合わせたのだ。
「だって、だって、私にとっては今日が入学式も同然なのよ? 皆とは初顔合わせも同然なのよ?! 皆の中では、私とは入学してすでに3カ月の付き合いっていう設定なのでしょうけど、私の中ではっ」
「はいはい、わかったから。遅刻するから早く入って」
私は4度目の深呼吸をし、意を決して扉を開けた。視界に飛び込んできた光景は、3日前とは似ているようで異なるものだ。
友達同士で談笑しあうクラスメイト、忘れていた課題に慌てて取り組むクラスメイト、机に突っ伏して居眠りをしているクラスメイト。これらの風景は生け贄制度があった頃からなんの変わりもない。決定的に違う点は、彼らが誰からも操られていないということ。組織によって記憶や情報の改竄をされているとはいえ、彼ら本来の人間性まで変えてしまう催眠術とはワケが違う。だから私にとってこのクラスメイトたちとは本当に本物の――“初対面”なのだ。
挨拶をしなくては、と思う。「初めまして」は変だし、ここはやはり「おはよう」なのだろうか。
「おはよう、梨椎さん!」
悩んでいる間に先手を打たれ、私は慌てて挨拶を返した。
「おはよう! その……女郎花、さん」
さっぱりとした笑顔と刻まれていない恐怖。それは操られておらず、また食人型の恐怖を知らない頃の女郎花さんに戻った証拠だ。
「? えぇぇ? なによ他人行儀。気持ち悪なぁ、いつも通り『紅羽』でいいってば、世槞!」
「……え?」
「だって、去年のオープンスクールの時に出会ってから私たち……友達じゃない!」
「……そっか」
私は笑った。吐き出すように、思わず漏れてしまったように。
「ごめんなさい。じゃあ言い直すわね。――おはよう、紅羽」
友達が欲しかった。でも失ったことで初めて、私は友達をすでに得ていたことを思い知った。助けられなかったことを後悔し、後悔を己の力として動くことが出来た。女郎花さんを――紅羽を助けられたのは、自分があのとき動いたからだと思いたい。
空席となっていたところには、今はよく知らない子が座っている。おそらく組織がどこかの人員オーバーの学校から回して寄越した生徒だろう。……こうして戸無瀬は、生け贄制度という呪縛から解放され、ごく普通の高等学校としての日々をスタートさせた。
「姉さん、僕、もう行くからね」
教室の外から手をヒラヒラと振る弟に私は礼を言う。弟は一度廊下に引っ込めた身体を戻し、「そうそう」と言うべきことを思い出したように私を手招きする。
「君の友達……えっと、木の実だっけ? 組織はその子の両親に、息子の死因を心不全だと伝えたらしいよ」
「木乃芽よ。心不全って……親はよく納得したわね」
「納得したんじゃない。納得させたんだ」
「はいはい。それが世界平和を守る上での最善の均等運営方法なんでしょう? わかってますわよ」
「文句なら組織の人間に言えば? 残念ながら僕はフリーのシャドウ・コンダクターだから。じゃあね」
こうやって、世界の真実を知ることを許されない第三者は、シャドウ・コンダクターたちによって都合よく操られていくのだ。ははは、なんだか常盤先生の催眠術の規模を世界レベルにした感じかな。
「ねぇ、紅羽」
「なぁに」
私は席につき、窓の外を指差す。
「ほら、校庭にね、桜の木があるでしょ? 花は散ってないと……思う?」
「なに言ってるの? そもそもあれって桜の木だったの? 去年のオープンスクールで初めて見た時から枯れていたから気付かなかったわ」
紅羽はキョトンと、自分が見たままの風景を教えてくれた。私はニコリと微笑み、言った。
「ごめんごめん。私の勘違い」
国松陽菜子が原因となり、常盤先生が引き起こした陰惨な事件の記憶は今や、私と紫遠、相模くんしか知らない。つまり勉強に対して必死にならずとも死ぬ必要のなくなった私は、中学校時代以前からの悪癖――“サボリ”を早速披露していた。へへへ、最近、寝不足だったからさぁ。
「先生ぇー、ごめんなさい。具合が悪いからベッドを借りたいんですけど」
地下学校へと通じ、また生け贄たちが投げ込まれていた忌まわしい保健室の床扉は今、床一面を真新しいフローリングに貼り変えられることによって覆い隠されている。私は保健室の扉を開くなりベッドへ突っ伏すが、すぐに首根っこを掴まれて立たせられた。
「え?」
「え? じゃない。サボりに来たことは見え見えだぞ。やはり生け贄制度は残しておくべきだったか」
見上げた新しい保健医の顔は、髪が赤いせいかやたらと強調されて見えた。しかしその白衣姿には見覚えがあり、私はいつも、高い壁に覆われたまるで監獄のような病院でその姿を見ていた。
「……愁じゃん!!」
新しく赴任してきた保健医は、私と紫遠の兄――梨椎愁であった。
「うわわわわ。まずい、ヤバい。ていうか精神病院は? 患者をほったらかしてなに戸無瀬の先生になってんだよ!」
「要請があったんだ。戸無瀬高等学校の保健室に空きが有り、教員免許を取得済の医者を急遽、募集すると。戸無瀬はお前らが通う学校だからな。丁度良いと思い、要請を受諾した。なに、案ずるな。病院の方は後任の先生方に任せてある」
私は口をパクパクとさせ、せっかく生け贄制度が無くなったのにサボれないどころか、家でも学校でも厳しい兄に監視されるという絶望的な事実を受け入れられず、首根っこを掴まれたまま手足をバタつかせていた。
「ああ、良い知らせがあるぞ。なんと戸無瀬は新しいシステムも導入したんだ。俺が精神科医ということもあり――生徒たちの心の安定を計る為のカウンセリングも実施されると」
「か、カウンセリング……」
「そうだ。世槞、自分の精神が危ないと感じたら俺のところへ来い。治してやるぞ」
「危なくならねーよ! 愁は私なんかじゃなく、国松陽菜子や常盤先生みたいな狂人を相手してろ!」
「それは無理な話だ。この世にいないからな」
「だから、“みたいなやつら”だって!」
やっと首根っこを解放された私は、寝ることを諦めてオカルト研究部へ向かった。保健室が駄目なら部室だ。




