1節 友達ガ欲シイ。
この学校の桜は散らない。春はもちろん、冬になっても満開のままを維持している。一体いつから散っていないのかは知らないけど、その桜がこの学校を狂気へと走らせた原因であると俺は確信している。
「ヤバいな。西洋史の登場人物たち、皆名前が似すぎてて誰が何をしたかまるで覚えられないや。地学もヤバいなー。このままじゃ生け贄にされちまう」
「じゃー来月の生け贄はお前がなってくれよ。そうしてくれると助かる」
「嫌だって。俺は来年甲子園へ出て、プロ野球界からスカウトされるっていう華の道を決めてんだからな!」
「マジか、立派な夢持ってんじゃん。じゃあ、卒業までのあと35回、学年最下位は避けなきゃな」
世界史の授業が終わった後に、そんな会話を笑いながら交わしているクラスメイトの男。……正気の沙汰ではなかった。
この学校はおかしい。入学した生徒も、ここに通わせる親も。どうして生け贄制度なんて非人道的な行為を受け入れているのか。警察は、行政は、世界は、こんな学校を野放しにしておくのか。
今すぐやめたいのはやまやまだが、この学校は退学を許さなかった。一度入学したら最後、卒業するまで頑張って生き延びねばならない。だが、そんな制度は知るかと退学を強行突破したやつは不思議と1人もいないらしい。そこから推理すると、退学を強行すれば恐ろしい罰が待ち受けているのだろう。意外とチキンだった俺は、遅刻や欠席すらも怖くて、日々生け贄に抜擢されることに怯えながら通うことを余儀無くされている。
心を許して話せる相手がいない。学校を批判する発言をしても咎めはされないだろう。でも、まるでカルト教団のような学校で、熱狂的な信者を相手に話す気なんて、起きるわけがない。
ただ1人を除いて。
「友達がほしい」
と、その子は言っていた。
なら俺がなってやるよと気前のよいことは言えず、ただ一緒に悩んでやることしか出来なかった。
その子は同じクラスの女の子だった。赤い髪が眩しく、かと言って染めたわけではないらしい。それが本当に地毛だとしても、信じる者はおそらくこの世に1人もいないだろう。かくいう俺もその1人なのだが、証拠として毛根を見せてもらった時に、それが事実であることを知った。
当然ながら学校側も赤髪についての真偽を確かめる為に毛根を見るかと思われたが、入学してから2ヶ月。その子は髪について触れられることなく、また誰にも気にされることなく、普通の学校生活を送っていた。
いや、普通というのは間違いか。
この学校は、戸無瀬高等学校は、全てが異常だ。
赤髪の子――梨椎世槞は、元々の可愛らしい外見が台無しになってしまうほど、この学校に怯えていた。だが俺は安心していた。その反応こそが、普通だと思うから。
世槞が本来悩むべきじゃない問題に頭を痛めているのは、やはり学校側の運営方式に問題があるからだろう。
――月に一度、各学年から1人の生け贄を出すこと。
何に対しての生け贄か? それはあの散らない桜の木に対してらしい。何らかの宗教の対象だったりするのだろうか。
「で? 世槞は一体、誰と友達になりたいんだ?」
俺の問い掛けに、世槞は悲しそうに顔を伏せ、ぼそりと答える。
「……女郎花紅羽」
「ああ……俺の前の席の子か。でも、どうしてその子なんだ? この学校にいるヤツなんて、俺と世槞を除いたら全員――<同じ>だろ?」
「紅羽は違う。……違ったのよ」
「? 世槞、女郎花さんのこと下の名前で呼んでたっけ?」
世槞は空を仰ぎ、眩しい太陽の光に目を細める。
「1年前……中学3年生だった頃に来た戸無瀬のオープンスクールでは、そう呼んでたの」
「ああ、あれか。俺も参加したけど、まさか戸無瀬がこんな学校だったなんて当時は気付けなかった」
「あの時の紅羽は普通だったのよ。初めて会って、すぐに意気投合して、来年入学したら、友達になろうって……約束、したんだけどね」
「入学してみたら、女郎花紅羽は別人になってました、ってやつか」
「うん。私のことなんて忘れてた。初めまして、って言われた時は、どうしようかと迷ったわ。結局、私も初めましてって返したけど。……紅羽の性格は変わっていない気がする。でも、違うのよ、何かが」
「そうだなぁ。戸無瀬の生け贄システムを素直に受け入れてしまうあたり、俺と世槞以外は、全員何かが変わったはずだ」
世槞は両膝を折り曲げて身体をコンパクトにたたみ、うなだれる。
「この学校、怖い」
風が吹く。柔らかい風は次第に強くなり、校庭に落ちている紙屑や牛乳パックをコロコロと転がす。桜は揺れない。
「そういえば世槞、4月末の学力テストでは学年で何番目だったんだ?」
「え?」
「成績表に、順位出てるだろ?」
「えーと……230番目……くらい?」
世槞は黒目をキョロキョロと忙しなく動かせる。
「……はぁ?! それ、かなりギリギリじゃん! 下から10番目だろ?!」
「い、言われずとも」
「おい、ちゃんと勉強したのか? あと少しで生け贄は世槞かもしれなかったんだぞ?!」
世槞は力無く笑い、俺はその呑気さに肝を冷やした。
「その成績結果、知ったら家族の人が心配するって。世槞の身を案じて」
「そうかな? 皆、私のこと無関心だから……多分、何も言われない」
「そんなこと無いだろ。この学校の方針を承知の上で入学させたくらいだから、世槞の親も俺の親も正気の沙汰ではないことくらいわかってるけど……さすがに、命が危ないとなったら」
「うち、親、いないから」
「……。そうだったのか」
「兄と弟がいる。兄は仕事で忙しくていつも家にいないし、弟は私に無関心。私が死んだって、誰も気にしないよ」
「…………」
暗く、重くなった空気。世槞は慌てて笑顔を取り繕い、家族の話題を振り払う。
「私も多分、馬鹿ってわけじゃないのよ? ほら、皆、自分の命が懸かってるから必死に勉強したんだよ。だから学年最下位でも結構高い点数だったんだと思う。わ……私でも5教科の総合が320点だったし?」
「……低い。命が懸かってるにしては、低すぎる」
「そうかなぁ?」
「俺でも400点はこえたぞ? もっと必死になれよ……。次の学力テストは、1週間後だぞ。マジで生け贄になったら、どーすんだ……」
「頑張るよ。死ぬのは……嫌だし。はは、ったく、成績悪かったら淘汰されるだけじゃなく、死を迫られるなんて、とんでもない進学校だわ」
世槞は立ち上がり、背伸びをする。少し変わったデザインの戸無瀬の制服。そこから伸びる細い足は、夏でも黒いタイツに覆われている。
「耶南」
世槞が俺の名前を呼ぶ。
「ん?」
応える俺。
「どうして散らないのかしらね――桜」
ああ、どうしてだろうな。
「桜に対して生け贄が捧げられているのなら、桜さえ散ってしまえば生け贄制度なんて無くなるのかもしれないね」
そうか。生け贄が必要無ければ、学校側も生徒側も普通に戻るかもしれない。俺は妙な確信を得た。同時に、世槞は友達を得られるかもしれない。
――散らない桜、全ての元凶。
俺はその謎を解くことを、密かに目標とした。