11節 朝霧クン。
「だけど辛かっただろう? 飢餓での苦しさは」
なにかしら。彼からのこの優しい言葉は。私のことを思い、共に悲しんでくれている。私が戦時中に飢餓であえいでたことも併せ、同じ苦しみを何が悲しくて再び味あわなくてはならないのか――それを、感じてくれている。
なんだか、まるで、“お父さん”みたいな人ね――。
「大丈夫! 飢餓には慣れているわ。それに、飢餓の苦しみを和らげる為に私は、生け贄の食べ方についてとある方法を思いついたの」
「うん」
「少しでも長く食べ続ける方法と、美味しく食べる方法」
「うん」
「こっちへ来て」
私は彼を案内してあげた。とっておきの場所へ。空襲が最も激しい時間、皆と肩を寄せ合って隠れていた場所へ。
「桜の根元か……」
彼の目はまた、輝いていた。視線が土の天井を貫く幹から根元へ移動した時、そこに転がっていた赤いハイヒールを見つける。ヒールがやたら高く、履いているだけで息が詰まりそうだ。
「見覚えある? これね、上の学校の先生の靴よ。悪趣味よねー」
「美味しかった?」
「さぁ。傘見クンが食べたからわからない」
「食べた理由は? お前たちは生け贄以外には手を出さないと思っていた。まぁ、その約束を守っていること自体が信じがたいことは確かだったけど」
「食べた理由は1つ。――そのとき私たちは、すでに自由を手に入れていたから」
だから、お父さんとの約束を守る必要が無くなったの。
お父さんを殺さない必要も。
「うふふ! ねぇ、貴男に見せたいのはハイヒールなんかじゃないのよ。本命はこっち」
桜の木は長く続く防空壕の最奥にある。幹を中心に直径50メートルくらいの広い空間。そこの土壁をぐるりと指差し、私は言った。
「ほらぁ、見て。これが、私が編み出した食べ方よ」
壁にポツポツと穴のようなものが空いているけど、それは穴じゃないの。ねぇ、よく見て。それは穴じゃなくて、陥没した頭蓋骨だってことに気付かない?
彼は無言だ。ただひたすらにペンを走らせている。うふ、いいわよ。どんどん記録しなさい。記録して記録して記録して記録して、私に食べられたらいい。
「ここ数年でね、生け贄をちょっとづつ食べる方法を編み出したの。ほら、よく言うじゃない? 一口30回、よく噛んで食べる。すると満腹感を味わえるって。それと同じようなものね。うん。人間ってつくづく不思議な生き物だと思うわ。私のお母さんが飢餓で死んだことが信じられないくらい、人間は進化してる。飲まず食わずでも死なず、こんな風に頭だけを残しても死なない。あっ、その場合は心臓と繋げておく必要があるんだけどね」
彼は私が作り上げた『壁の穴』という絵画に視線を滑らせ、順に見学する。その中の一部分、ここ数ヶ月のうちに私が作り上げた絵画の前で、彼は立ち止まった。反応アリってやつね。実はそこだけまだ全てを食べていないのよ。つまり、頭と心臓を繋げている最中の芸術作品がある。
「この子たちは、知っている」
溜め息混じりに彼はそう言った。きっと頭が残っているから、判別しやすかったのね。
「この子は隣りのクラス、この子はその隣りのクラス、この子は同じクラス、そしてこの子は……正義感の強い後輩だった」
深い、深い溜め息。あらら? さすがに彼も気が滅入ったのかしら。今まで散々、記録記録だの言っていたのに今ではノートもペンも下ろしてしまっている。
「少しずつ食べていく理由は、満腹感を得る為だけ? 違うだろ。他に、国松にとって最上の理由がある」
私は笑った。ウフウフと。彼は本当に察しがいい。頭も回る。そろそろ食べ頃かしら。
「人間の部位の中でね、一番美味しいのはそう……脳味噌なの」
「そうか」
「だからって脳味噌から真っ先にかぶりつくことはしないわ。それは愚か極まりない行為よ。何故かっていうとねぇ、脳味噌以外の部位も美味しく頂きたいじゃない?」
「そうか」
私は言った。声を大にし、嬉々として。
「人間ってのはねぇ、生きながら食べるのが最高なの!」
「そうか」
「心臓さえ動いていれば人間は死なないことが判明したわ。だからまず、足を食べて逃げられないようにするの。それから心臓と頭を除く全てを日を分けて食べる。最初は人間の悲鳴がうるさいんだけど、日が経てば段々と小さくなるし、心臓が見え始める頃には痛みも無くなったようで、ケラケラと楽しく笑い始める。頭と心臓だけになったら、壁に埋める。そうやって出来上がった私の作品たちが、互いに楽しそうに会話をするのよ。聞いていると楽しいわよ。ほら、今もそこの子が」
私はくいっと作品の1つを指差す。彼は見ているようで見ていない。一体、どこを見ているのかしら。
「朝霧くん? うわぁ、久しぶり!」
芸術作品の1つが、口を開いてそう言った。ああ、彼の名前は朝霧っていうのね。朝霧○○? それとも○○朝霧?
「何ヶ月ぶりかな? ああ、でも時間の感覚が無いからなぁ、僕。ここへ来てから、皆とお喋りをして過ごしているから、日が経つのが早いような遅いような。はは、何を言っているかわからないよね、ごめん」
朝霧くんは答えない。
「ここに朝霧くんがいるってことは、もしかして君も生け贄になってしまったの? 可哀想に。でもね、そこの陽菜子さんに頼めば、僕らみたいに楽しく過ごすことが出来るようになるよ」
朝霧くんはやっと口を開く。
「なぁ、矢倉」
「ん?」
「お前の脳味噌は、一体どんな味がするの?」
「え?」
朝霧くんが私を促しているような気がした。だから私は、メインディッシュの前菜として、矢倉くんの脳味噌を食べることにした。まず、見開かれた矢倉くんの両目に指を2本、突き刺して引き抜き、つるりと飲み込む。次にぽっかりと空いた2つの空洞に指を引っ掛け、力に任せて手前へ引く。ぶちぶちという音と共に顔の皮が剥け、頭蓋骨が見える。頭蓋骨はいつも石で叩いて割るのが私流。割られた頭蓋骨からぬるりと見える、つやつやの脳。私はたまらずかぶりついた。
「ああ! 美味しい! ぐちゃ。美味しいけど私が独自に決めたランキングでは下の方かしら! ぐちゃ。そう、脳味噌の美味しさはね、その人が持つ精神力に比例するの! ぐちゃぐちゃ。例えば私から逃げたり、脅えたり、命乞いをするような人間の脳はマズいわ! ぐちゃ。 私に逆らったり、攻撃を加えようとしたり、仲間を逃がして自らを犠牲にするような逞しい精神を持つ人間の脳味噌は……絶品! ぐちゃぐちゃ。だから私の母親の脳味噌はすごく、すごく美味しかったのよ――!!」
矢倉くんの心臓の鼓動が弱くなる。ああ、そろそろこの子も死ぬのね。今までありがとう。美味しい手足を、美味しい胴体を、美味しい内臓を、美味しい骨を、美味しい脳味噌を。私、貴男のことを絶対に忘れないわ! さようなら!
「なぁ、国松、ちょっと聞きたいんだけど」




