気持チ悪イ。
その小高い丘に建つ学校には、奇妙な風習があった。
「今月の生け贄が決定しました」
5月上旬――初夏の香り漂う新緑の季節。校庭の一角で咲き乱れる桜の木は、花びらのただ1枚も散らすことなく、無言で佇む。
ここは月夜見市にある戸無瀬高等学校。市内でも有名な進学校である。そこの1年普通科Aクラスの担任の女教師――飛鳥由美子の抑揚の無い喋り方は、告げた内容に現実味を帯びさせない。
「生け贄は、先月末の定期学力テストで学年最下位であった――友場麻由さんに決定しました」
クラス全員の視線が、教室の中央へと注がれる。中央の席には、黒いおさげ髪を垂らしたメガネ姿の少女が座っている。
「非常に残念な結果となってしまいました。普通科Aクラスは、卒業まで誰1人も欠けることなく進むことを目標に掲げていたのですが、まさか最初の月で引っかかるとは」
女教師は相変わらず淡々と話している。
教室内がざわつくことはない。現実を真摯に受け止め、尊い犠牲となったクラスメイトに手向けの言葉をおくる。
――別れが寂しい。
――来世でまた会いましょう。
――貴女の死を無駄にはしない。
犠牲となる友場麻由は、手向けの言葉を花束のように受け取り、はにかみながら別れの言葉を言った。
「入学してまだ2ヶ月目の短い付き合いだったけど、皆、今までありがとう。私のこと、忘れないでね!」
模範的な台詞。
教室の扉が開き、化学の五十嵐先生と現代文の石代先生が現れ、友場麻由の両脇を抱えて教室を出る。
「皆さん、今月末の学力テストでは次こそ最下位を避けましょう。残り39人のクラスメイトを減らすことなく、卒業をすることが来月からの新たな目標です。では今日のホームルームはこれで終了です」
チャイムが鳴り、放課後の時間となる。
生徒たちは、待ってましたと一斉に椅子から立ち上がる。友達同士寄り合い、今日起きた出来事を面白おかしく報告し、笑い、部活動や自宅、遊び場など思い思いの目的の場所へと向かう。
その中で、顔を伏せたまま立ち上がろうとしない女子生徒が1人。教室の窓際の、一番後ろの席だ。
髪が赤い。
その女子生徒は片手で口を押さえ、押し寄せる吐き気を堪えていた。
――気持ち悪い。
やがて女子生徒は鞄を持ち、テストの結果表を握り締め、教室を出た。
廊下では、同じクラスの女子たちが恋の話に花を咲かせていた。女子たちの中の1人が、女子生徒に気がついて手を振る。
「バイバーイ、梨椎さん!」
女子生徒は笑う。
ぎこちなく笑う。
そして挨拶を返した。
「ばいばい、女郎花さん」
校庭へ出る。
真っ先に視界へ飛び込むのが桜である。
太く、立派な木。
戸無瀬高等学校の象徴。
女子生徒は桜を見上げながら、震える手で携帯電話を握り、どこかへ繋げる。
「…………」
電話の相手はなかなか出ないようだ。呼び出し音だけがひたすら耳の中で響き続き、諦めようとしたその時に電話口から低い声が聞こえた。
『どうした』
男性の声だ。大人で、ひどく落ち着きがある。
「……ねぇ、この学校、怖いよ」
『はぁ?』
「皆、おかしい。だから、やめたい」
『おかしいとは? 具体的に』
「生け贄制度のことよ」
『ああ、そんなことか』
「……え?」
『学力を上げる為には、多少手荒ではあるが確実な方法だ。お前はやれば出来る子であると俺は確信している。その学校でライバルたちと切磋琢磨し、自身を鍛えろ』
「ま、待って! だって、成績が悪かったら、死んじゃうのよっ……?」
『……はぁ。いい加減にしろ、戸無瀬ではそんなこと当たり前だろう。これ以上お前の我が儘に付き合ってなどいられん。俺は仕事が忙しいんだ。切るぞ』
「ねぇっ……私が死んでもいいの? お願いよ、待っ」
無情にも切られた電話。女子生徒は無音になった携帯電話の画面をしばらく見つめ、静かにポケットの中へ戻した。
信じられない。
この学校も、家族も。
そのとき、赤髪の女子生徒の眼前を、男子生徒が通り過ぎる。男子生徒も、同じ赤い髪をしていた。女子生徒は赤髪の男子生徒の後を慌てて追い掛け、少し戸惑いながら横に並び、歩いた。
「今日……私のクラスの子が生け贄になったのよ」
「知ってる」
泣きそうになりながら恐怖の事実を話すも、男子生徒の反応は素っ気ない。
「ねぇ、私、これからどうしたらいいの?」
地面に長く伸びる2つの影は、決して重ならない。
「お互い、学年最下位は避けようか」
男子生徒からの、素っ気ないアドバイス。女子生徒は俯き、諦めたように頷く。そして男子生徒が行く道と同じ道を歩き続けた。