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影操師 ―散らない桜―  作者: 伯灼ろこ
第三章 シャドウ・コンダクター
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 2節 氷ノ壁。

「姉さん、シャドウ・コンダクターって知ってるかい」

 ボロボロになった学生服から垣間見える肌色は様々だ。主に土色だが、所々に紫色や緑色が混ざっている。いや、それはまだいい。問題なのは、人間とは思えない腕力と脚力、そして噛む力を備えているということ。人間としての言葉や思考も失っている為、それらの点が彼らに対し、バケモノという名称を付けさせたのだ。

「シャドウ……コンダクター……」

 私は自由のきかなくなった唇で、その単語を繰り返した。

「本当はさ、戸無瀬にどんな秘密が隠されていようが、誰が犠牲になろうが、僕にとってはとるに足らない問題だった。でも、それを姉さんが悲しむと言うのなら……僕は」

 バケモノが1匹、獣のように4本足を使って飛びかかる。1秒もしないうちに紫遠はそれに頭から丸かじりにされてしまう。だが、紫遠はバケモノよりも速く動いた。

「氷の力を、借りるしかないじゃないか……」

 紫遠がバケモノへ向けて伸ばした右手。そこにガラス細工のような、綺麗でクリアな“氷の銃”が握られていた。トリガーを引き、放たれた“氷の銃弾”はバケモノを貫き、バケモノは“氷のオブジェ”と化して動かなくなった。

「…………」

 今、何が起きた?

 凍りついたままおそらく死んでいるバケモノは、どうやって殺された。違う。その原因となった氷はどこから出現し、如何にして操られた。

 事態の明らかな異変を感じたバケモノたちは、超危険人物と判定した紫遠を少しでも早く仕留める為に一斉に動き出した。

「ごめんね、姉さん。第三者は、世界の真実を知ることを許されないんだよ」

「紫遠! 逃げてよ!!」

 紫遠が悲しく微笑む。私は知っている。こんな表情を浮かべる時の人間は、何かを諦める。だって、耶南がそうだったから。

 でも紫遠が諦めたものは、私が到底想像できないものだった。

「目覚めろ、氷閹ひえん

 紫遠がその不思議な響きのする名を呼んだ瞬間から桜木の中を冷たい風が吹き抜ける。ぴっちりと締め切られた教室の窓や扉がガタガタと揺れ、冷風の通過を示す。その発生源は紫遠自身だ。風はやがて吹雪となり、バケモノたちを吹き飛ばす。それだけじゃない。紫遠の足元にある黒い影が激しく揺れ、むっくりと、起き上がったのは――

「――――!!」

 黒い影から現れたのは、身の丈3メートルの大男。全身を漆黒のローブで覆い、僅かに見える肢体は青白い。目深く被ったローブのせいか目は見えないが、口が耳元まで裂けているのはわかる。そしてなによりも私が恐ろしいと感じたのは、大男が構えた、三日月型の鎌である。

 なんだ……なんだよコイツ……この姿は、まるで、まるで……。

 死神じゃないか。


――影を指揮する者(シャドウ・コンダクター


 そうか、と私はその言葉の意味を数年越しに理解した。

 紫遠の影から現れた死神は膝を折り、叩頭令を捧げて言う。

“我が主人、我が氷の王よ。――ご命令を”

 死神の声は紫遠の声ではなかった。おぞましく低く、エコーが掛かったように静かに響く。冥界より遣われし者の威厳と恐ろしさが、全て声に含まれている感じだ。

 私は紫遠を見る。紫遠は私を見ない。横顔だけで見える紫遠の表情は、冬に世界を支配する雪――それを凌ぐ冷たさだった。

「食人型……憐れな第一桜木高等学校の生徒の成れの果てを、殺そうか。全部」

“承知した”

 全てを殺す。いとも簡単に命じられた大殺戮に、氷閹という名の氷の死神は容易く頷いた。

“我が名は氷閹。氷を司りしシャドウ・コンダクター、梨椎紫遠様の下僕。その命により――貴様ら食人型を始末させて頂く”

 最後の言葉を言い終わらないうちに、頭を下げた状態で死神は鎌を振り払った。荒れ狂う吹雪、巻き添えとなって凍りついてゆくバケモノたち。

“しかしこの場所は狭い。我は広い場所にて、構うことなく氷の鉄槌を下したいものよ”

「好きにおやり」

 溜め息混じりに言いながら、紫遠は私に振り返った。そのとき私は紫遠の左腕の怪我を見て驚く。バケモノに噛み千切られ、通常ならば痛いと叫んでのた打ち回るほどの怪我は、再生し始めていた。

「え? あれ? 骨、見えてたはずなのに……見えない……血管も……切れてたはずなのに……繋がって?!」

 回復は喜ばしい出来事のはずなのに、喜べない。だって、そんなこと有り得ないから。

「これが、僕らシャドウ・コンダクターの身体能力だよ。……さぁ、僕に寄り添って」

 紫遠の背後で、あの死神が鎌を大きく振り上げた。鎌は桜木の校舎の天井を砕き、外の世界の光を取り込む。地が揺れ、破壊音が耳をつんざく。私は紫遠の両腕に囲われながら、紫遠の影の化身が引き起こしている事象をしっかりと瞳におさめていた。

 天井にぽっかりと空いた穴。しばらく暗闇にいた為か、オレンジ色の光が眩しくて思わず目を閉じる。紫遠が私を抱きかかえ、軽く地面を蹴るだけでふわりと身体が舞い上がり、外の世界――戸無瀬高等学校へと戻っていた。

 桜木の地塗られた校舎から戸無瀬へ戻った私が見た光景は、桜木と同じだった。

「――――え」

 壁や廊下に飛び散っている赤いものは血かそれ以外のものか。今、廊下の角で身体を痙攣させている戸無瀬の生徒は、頭を丸かじりにされているからなのではないか。

「た、助け……」

 すぐ近くから差し出された手を私は瞬時に掴むが、紫遠がキツくその手を叩き落とした。

「?!」

 私は目を見開き、紫遠を見上げた。

“ふむ。これは凄まじいな。一体、何匹の食人型が桜木に潜んでいたのだ”

 地下の学校にいたバケモノたちを一掃した氷閹が、同じく戸無瀬へ戻り、紫色の唇を動かして非常に落ち着いた物腰で言う。

「さぁ……どうでもいいや」

 校庭にて、涎を垂らしながら走るバケモノの狙う先にはバレーボール部の女子生徒。女子生徒は逃げるがあえなく捕まり、その柔らかい首筋へと容赦なく噛みつかれていた。この光景が至る所に見受けられ、しかし私は愚かにも硬直したまま動けずにいた。

 今、動かないと。逃げている人はまだいっぱいいる。せめて、無事な子たちだけでも助けてあげないといけない。私にはそんな力は無いけれど、紫遠なら……その死神なら……!

 私は、先程のような怒りの表情ではなく、懇願する表情で紫遠を見た。紫遠の言葉を信じたかった。だって、紫遠はさっき、バケモノたちを皆殺しにするって……。

「とにかく僕は、僕が戸無瀬に対してしてあげる<最低限の処置>を施して帰るよ」

 紫遠はそこら中で喰い散らかされている生徒たちに目もくれず、再び私を抱きかかえると戸無瀬の外へ向かってスタスタと歩き出す。

「紫遠?! 待って! 助けなくちゃっ……」

 紫遠は正門から一歩外へ出ると、くるりと背後を振り返り、右手の平を掲げた。

氷壁アイスウォール

 囁くように吐かれた言葉通り、紫遠の手から発生した氷の粒子が戸無瀬高等学校の敷地内をたちまち覆い尽くし、キラキラと輝いてまるで宝石箱のように形成された氷の壁の中に閉じ込めてしまった。

 正門前にて「助けて」とこちらへ伸ばされた手は、氷が壁を形成する際の巻き添えを食らい、その部分だけが氷化する。

「監禁完了。これで食人型は戸無瀬の外へ出られない」

 私は氷の壁に触れてみた。冷たい。冷たくて、固くて、到底、破壊出来そうにない。

 手を抜こうにも抜けず、涙を流しながらこちらに訴えかける生徒を紫遠は冷たく見下ろしている。背後に迫ったバケモノが生徒の片足に噛みつく時、紫遠はすでに戸無瀬から離れていた。

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